2013/12/31

2013年12月の雑記

  2013年12月の雑記。(→2014年1月2013年11月


  12/30(Mon)
  うーぶり屋#30。なかひろ氏は落ち着きのある喋り方と良く響くいいお声で、ずいぶん印象が上向いた。開発スタッフ同士のトークも面白い。


  [ hadashi.product.co.jp/3ping/ ]
  「えっ……この絵のどれが椎咲雛樹氏だって?」と見直してみたら、そうじゃなくて"雛咲"氏だった。『オーグメント』も買っていたのに。『りぼる・さもなー』もこの方だったのか。
  そういえば裸足少女ブランドには手を出したことが無かった。一度買ってみようかな。


  HOOKSOFT新作は、相変わらず薄目寸前の睫毛表現が……。


  「蕪木徹子」というお名前は鏑木虎徹をもじったものだろう(――アニメ『TB』の放映が2011年4月から。声優「蕪木徹子」氏のデビューは同年12月発売の『白濁の蒼きエレナ』)。『MH』のモンスターをネタにした名前の方もいらっしゃった(「里緒玲亜」とか)が、こんなふうにご自身の好きなものに因んでネーミングされる方には好印象を持てる。


  ここ十年、あるいはここ五年に限ってみても、最も大きな進展があったのは「着彩(の品質の全体的な底上げ)」と「プログラム(の全体的な安定と高度化)」ではなかろうか。音響面も、単純に機械的なクオリティ向上の側面で見て、非常に高品質になっている。
  なかでも背景美術の品質向上が著しい。CG鑑賞モードに背景鑑賞を登録するスタイルにはもっと普及していってもらいたい(――そうでないと、ゲームプレイ中にSSを撮りまくることになる、という個人的事情もある)。



  12/29(Sun)
  [ softhouse-seal.com/product/g-007/special-yoyaku.html ](アダルトゲームサイト注意
  見境無しというか、節操無しというか……その都度の流行に対する嗅覚がちゃんと利いているということでもあるが。『ぜったい遵守~ぱらだいす!!』では魔物娘化パッチだったそうだし。
  ちなみに、この元ネタに当たるブラウザ軍艦ゲームについては、「信濃が出るならプレイするかも」と思っていたが、その信濃が出てくるらしいと聞き及んでも、結局、プレイしようという気は起こらなかった(――その主な理由の一つはおそらく、あれらのデザインにメカ少女としての造形美や機能美がまったく感じられないという点だろうと自分では考えている。いっそMAMI19みたいデザインだったら……いやそれはそれで駄目だ)。


  年末アニメ生活の予定は完遂したので、年末年始のゲーム生活を豊かに過ごしていきたい。フルプライス2本くらいはクリアしておきたいところ。書籍の場合は内容によって読むペースも様々に変わる――何ヶ月も掛けて熟読しつつ頭の中で反芻していくこともある――が、PCゲームやTVアニメの場合はまとまった時間をとって集中的にコンプリートするのが通例。ゲームの場合は一度開始すればその勢いで一気にクリアする習慣(そしてまた、逆に、ひとたび中断してしまうと再開するのに大きな心理的労力が掛かってしまうという経験則)のせいもあるが、一本をきちんとクリア(コンプリート)してから次のタイトルに取りかかるという姿勢をとっているせいでもある。アニメも、3クール以上の規模になるとつらいが、それでもほとんどは録り溜めまたは記録媒体で一気に観賞している。だから、一作品の中に存在する反復、抑揚、蓄積、途絶、転換といった要素に対する感受性の持ち方が、勤勉な最新話視聴者とは異なっている可能性がある。


  [ d.hatena.ne.jp/mp_f_pp/20131105#c1388333661 ]
  既成楽曲の使用に対する現在の私の基本的な見解は、だいたいこのような感じになっている。
  というような話は他人のブログでやらかすなよ……(ごめんなさい)。

  そういえば『空色の風琴』には「フーガの技法」の第何曲かしらも使われていた(オルガン演奏)。BGM鑑賞モードの登録如何も含めて再確認したいが、win7では起動しないのだった。冬休みを機に、XP機を引っ張り出して来ようかな……。『はなマルッ!2』とか『Quartett!!』とか、他にもwin7では正常動作しないが内容を再チェック(スクリーンショット)しておきたいタイトルが――幸か不幸か――他にもいくつかあることだし。

  というわけで記事「ひらがなせりふ」のためにスクリーンショットを撮ってきたのだけど、『仏蘭西少女』における平仮名台詞の扱いには疑問がある。主人公が廃人化した状態では、その台詞はすべて平仮名表記にされることがあるが、その場合でも、主人公以外の登場人物の台詞は通常のままであるのが普通だ。しかしこの作品では、そのような他者台詞もすべて平仮名化されている。これは、ストレートに解釈するなら、「主人公の言語的認識能力が低下していることを表現するために、主人公の居合わせている場で他の登場人物が発した台詞も平仮名化するというのは理に適っている」と述べてよいだろう。ただし、この作品のテキストは、(多くのAVG作品がそうであるような)「主人公のモノローグそのもの」という体裁では書かれていない。それゆえ、上記のような単純な解釈だけでは説得力を持たない。それは、「人称」関係を表現文法上の前提として受け入れようとする場合にはとりわけ説明困難な矛盾を来すし、また、そのような様式的理解(がゲームにおけるテキスト表現についても妥当するという観念)を受け入れない場合でも、テキストの平仮名化を主人公の言語能力の低下の反映のように捉える見方は避けねばならない(――テキストはあくまで読者[プレイヤー]に向けられた機能的存在であって、ゲームテキストに特有の文法化された表現様式の一つとして平仮名表記が採用されたのだと考えるのでなければならない)。

  それにしても、今時ディスクレス起動不可ってのは、時代錯誤的だなあ。「初回起動時のみディスク要求」ならまだしも理解できる(主に違法DL対策として)が、毎回ディスク要求するというのは、中古売却対策のためだとしても、やり方が古風すぎてイメージが悪い(――なかでも「定期的に(あるいはランダムに)要求する」というパターンはユーザーを最も苛立たせるだろう)。「2010年代にもなってPCゲーム業界はまだこんなことをしているのか」という意味で。EGScapeのPOV「起動ディスクが必要」を見ても分かるとおり、今年発売のタイトルにも何本も存在する。ブランド毎におおむね方針は固定的なので、ある程度は事前の覚悟もできるのだが、初めて手を出したブランドや新規ブランドで不意打ちディスク要求があった時の落胆はブランド自体への反感に転じてしまいやすいので、自分ではそういう不快感に直結させないようにはしているが。



  12/26(Thu)
  今年のPCゲーム購入本数は例年とほぼ同じだった。そのうちロープライス(低価格や廉価版)が3割程度なのも、ここ数年変わっていない。タイトル数ベースで見ればロープライス作品の比率は5割近くにもなっているという話をどこかで見た憶えがあるが、白箱系フルプライス作品は一本当たりのセールスがかなり大きい筈なので、「ロープライスが3割」というのはこの分野のユーザーの平均値くらいかもしれない。

  以前から言っていることだが、私にとっては「(予約して)買うか」と「いつプレイするか」は別の事柄だ。どちらも「プレイしたいと思えるくらい、好みに合う(or合いそうだ)」という関心から発する行為であるという点は同じだが、「買ってすぐにプレイすること」は私にとっては必要ではない。あるタイトルを「買うこと」は、自分の嗜好を市場に対してアピールするための、いわば投票行動であり、要するに自分以外の人々に向けて為される行動だと認識している。それは、特定のクリエイターにわずかでも経済的リターンを得てもらうためであったり、特定の嗜好表現やその特定の嗜好表現を追求しているブランドに対する支持であったりするが、とにかく、自分にとって好ましいor望ましいものが市場的に存立しうるだけの席を持っていられるようにするための買い支えだ。それは、趣味同人ならざる商業制作の領域ではけっして無視することのできない(あるいは、けっしてゼロにはならない)側面であり、また、縮小が叫ばれて久しい分野においてはなおさら、その万札一枚を賭けた一票の価値は重くなっている。それに対して、その作品を「プレイすること」は、自分一人の楽しみのための活動だ。他人のことは一切気にする必要が無い(――ただし、他人の存在や他人の行動が影響してくることはある。例えば私はSLG作品については可能なかぎり即時プレイに努めているが、その理由の一つとして「他人がすでに攻略記事を完成させているということを知りながら(その中身を見ないにしても)自分が後追いでプレイするのは癪だ」というものがある)。

  ゲームを店頭で大量買いする時は、どうやって運送したらよいだろうか。キャリーケースは、一見すると便利そうに思えるが、実際には紙箱を大量収納するのには向いていない。パッケージ自体が軽いので、重量を気にする必要も無い(――手持ちでも負担にはならないので、台車機能にはメリットが無い)。ただし、パッケージ保護の観点(つまりパッケを壊したり濡らしたりしないこと)ではアドヴァンテージがあるが。
  大型トートバッグを2~3枚持参するというのは有望かもしれない。紙袋だと持っているうちに把手部分が取れてしまう危険があるが、布製ならばその心配は無い。バッグ自体の重量も問題にならないし、分量に応じて融通無碍に対応できるし。問題なのは、上部が密閉されないので雨天に弱いという点、そしてきちんと収納しなければ外から見えてしまうという点。
  一番安全なのは、購入したレジでそのまま宅配発送してもらう方法だが、そこまでするくらいなら初めから通販にすればいい。

  先月のタイトルだが、『オトメスイッチ』も買ってきた(※中古ではなくもちろん新品)。パッケージも好印象。ういんどみると同じ印籠箱タイプで、CDケース揺れを防止するために手触りの良いスポンジがきっちり詰めてあるところも同じ。表面も艶のあるコーティングが施されていて、パッケージアートの横長レイアウトが良く映える。早くプレイしたい。
  そういえばDigital Cuteは『むすめーかー』『ぶるにゃんマン』のブランドなのだった。前二作のキャストから大きく変えてきているが、これはこれでいかにも今風な顔触れになっている。


  あるAVG作品の背景画像で壁に掛けられている油絵が、どうも実在の(有名画家の)油彩作品だったような見憶えがあるのだが、具体的に誰の絵だったかが思い出せず、先日からずっともやもやしている。モティーフやスタイルからしておおまかな推測は出来るのだが。図書館に籠もってこなければ……(実際、これは非常に恥ずかしいことだ。絵画作品を鑑賞した時にその美術的構成や歴史的位置づけをきちんと理解していれば、見返した時にすぐ気づける筈だ。つまり、その対偶命題として、その絵を見返してどの画家のどの作品なのかが分からないというのは、私がその絵をただ漫然と見ていただけだったからなのだ)。


  ある有名な小説家のtwアカウントと私のアカウントの二個だけが一つのリストに入れられていたことがあり、それに気付いた当時は「もしかして私のアカウントが、だれか有名な人物(が匿名でやっているアカウント)と誤認されているんじゃないか」と戦々兢々の思いだった。さすがにそんな誤解はあるまいが、もしも万一そんなことが生じていたら誤解なさった当人と誤解された第三者の双方に対して非常に申し訳ないことになっていただろうと思い返すにつけ……おそろしい。
  その他にも、ある方から「ちゃんとしたレヴューを読みたいです」と言われたこと(前のブログで一応それは果たせたかなあ)とか、「お前はエリート主義者だ」と言われたこと(その評価にはいまだに全然納得できないが)とか、いろいろ燻り続けているものはある。
  twに書き散らしたログも読み返して再利用しないと……。


  twで書いていたことをぼんやり思い出しつつ新記事:「ソフトハウスキャラ概観(2009年以降)
  いずれ稿を改めて一本ずつ丁寧に再検討していきたい。



  12/25(Wed)
  Escu:de新作情報公開。主人公の174cm/74kgってちょっと重くない?と思ってしまった。
  着彩(及びその前提となるキャラデザ)のおかげで、どんな原画家を持ってきてもトップページの集合CGを一枚目にするだけで「ああ、これはまぎれもなくEscu:deだ」と実感できる(――ただ単に、金髪キャラや銀髪キャラや紫髪キャラがEscu:deの定番だ、というせいもあるのだろうけど。金髪のヒロインがいなかったタイトルというと、2006年の『ふぃぎゅ@メイト』まで遡ってしまう)。


  「杜若桔梗」って、ゴギョウ・ナズナみたいな名前だなと思ってしまう。カキツバタは七草ではないけれど、そのネーミングセンスの方向性が。これがアジ・サンマだと、方向性は一見似ているようでしかし趣はずいぶん異なる。



  12/24(Tue)
  gglが+への参加を強制してきてすごく鬱陶しい。しかも知人(のオタHN)アカウントが出て来た。怖い。こんなのバレたら(社会的に)死ぬ。そして、ブログ編集へのアクセスも面倒な仕様にさせられた。恨む。このブログこそは、ゲーマーとしての最後の(つまりこれ以上もう他には行かない)住処とするつもりだったのになあ……。

  [ ho2ch.vs.land.to/ayaka.html ](※2013/12/23付)
  この方、同人までカバーされているのか! そしてこの能天気なキャラクターを堂々と演じておられるこのふてぶてしさ、まぎれもなく木村さん、もとい、「夜弦サキ」さん。


  PCゲームについては、作品の完成度や先進性や実験性についての評価の高低とその作品に対する個人的な印象の好悪の度合いとはたいてい一致するようになっているのだけど、アニメについては双方の間に大きな落差が生まれることが多い。そしてさらには、世間的な評価の高低と私の中での評価乃至印象との間にも、ギャップが生じることは多い。アニメ作品を視聴していて、「ここで試みられているのが、よく考えられて構成された、十分に意義のあるものであることは、頭では理解できる。しかしどうしてもその趣味が、どこか好きになれない」ということがある。それは、BGMを初めとする音響表現の陳腐さが原因であったり、個々の役者に対する不満であったり、あるいはストーリー面の平板さであったり、TVアニメ特有の「30分番組」の枠組や「クール」制の構成に由来するもどかしさであったりするのだろうかといろいろ考えてみはするのだが、そうした個別事情に還元しきれないような苛立たしさが湧き上がってくる。「どうしてこれが評価されているんだ?」という不可解さ、「どこを楽しんだらいいのか分からない」という困惑、「これだけ挑戦的なことをしているのに、ちっとも好きになれない」というアンビヴァレンツ。もちろん、優れたアニメ作品を視聴する時も、その都度の特有の時間性、特有の音響空間、特有の演出、特有の視覚的デザイン、等々を、現在の自分の既知の語彙の範囲で言葉にできるところまで意識化し精緻化し明確化していくには、その時間はあまりにも足りない。ゲーム作品との大きな違いだ(※――そして、この観点で、アニメ作品の「物語」や「思想」の側面を語る人たち、あるいはそのような側面に議論が向かいやすいその傾向の存在が、理解できるようになった。そのようなアプローチには、さしあたり口を開いて言葉を出していくための足掛かりが多く議論を始めるための敷居が低い[と感じられやすい]のだ。もちろん、その敷居の低さ/高さは、射程の遠さ/短さとは別問題だし、また私自身がそのような議論を展開したいと思えるかどうかも別の事柄だが)。



  12/19(Thu)
  え、明日ってもうPCゲームの発売集中日なのか。今日の午後になってようやく風邪から復調しかけてきたところなのに……。
  『√ハーレム』には、瞳が☆型のキャラが。以前にも書いたとおり、一時的な感情表現としてではなくキャラクターの永続的個性として用いられる模様型瞳孔表現は、おそらく2011年のコンシューマ『閃乱カグラ』からの新スタイルだが、PCゲームでもこの種のキャラデザがいくつも現れている。
  追記:2007年のアニメ『グレンラガン』の「ニア」があったか。瞳に十字が入っている。

  [ www.getchu.com/brandnew/791311/c791311sample7.jpg ]※アダルト画像、厳重に注意。
  こ、これは……新発明なのか? 椎茸か何かに寄生されたみたいでずいぶん気持ち悪いけど。


  「男の娘」もずいぶん普及しきって、驚きの新鮮さを失ってきた感じ。こういう時にしばしば思い出してしまうのが『王立宇宙軍』の最後の台詞。「人類の領域は、どこまで広がることが、許されているのでしょうか? (…) どうか、お許しと哀れみを。我々の進む先に、暗闇を置かないで下さい。罪深い歴史のその果てに、ゆるぎない一つの星を、与えておいて下さい」。



  12/18(Wed)
  『美少女万華鏡』シリーズ新作とのこと。善哉。公式サイトの背景画像は竹林の小道で主人公は眼鏡キャラ。800円と言わず2000円、できれば8800円規模で制作してほしかったが、とにかく新作があるだけ良しとしよう。
  嵐山近辺をきちんと観光したのはこれまで一度しか無い(自転車で訪れてちょっと見て回るくらいなら何度もあった)が、天龍寺の門前は小さいながら華があって楽しげだったし、嵐山公園を登っていった先で見た渓谷の眺望も素晴らしかった(――ただし、わざわざあそこまで行く人はあんまりいないと思うが)。竹林の小道は、有名な竹林部分よりも、それに続く(東側の)竹柵小道の方が個人的には好み。PCゲームでは、『きっと、澄みわたる~』に背景画像として使われていたのは知っているが、他にもあるだろうか(――アニメ等も含めて考えると、嵐山はどちらかといえばマイナーで、おそらく伏見稲荷や清水寺などの方が使用例は多いと思われる)。


  そういえば阪急で淀川を渡る時――特に早朝や夕方――はしばしば、対岸(大阪側)の風景を見ては「『ONE』の『えいえんのせかい』の画像っぽいなあ」という漠然とした印象を持っていた。画像と見比べてみたわけではないし、記憶も定かでないので、実際に見返してみたら全然違っている可能性は高い。今の環境ではたして正常にプレイできる(動作する)のだろうか?

  ランダム要素について。『To Heart』(Leaf、1997)のCG鑑賞モードだったかアルバム登録モードだったかで、オカルト研究会の背景画像のシーンを選択すると、背景に幽霊らしき物体群の画像がランダムで追加表示される。こういう些細なところに現れる洒落っ気も好きだった。


  lightの『EA』はE-moteを使用しているのか。早めにプレイしたい。ルネ山氏も出演されているし、民安氏のお声にもしばらく御無沙汰していたことだし(――6月発売の『BRAVA!!』は未プレイだし、その前はもう2012年発売タイトルになってしまう)。



  12/15(Sun)
  風邪のひきかけかもしれないのでゆっくり静養中。
  →危惧されたとおりの結果に相成った。一冬に三度も風邪を引くなんて……。ちなみに、一回は普通の風邪で、二度目は出張時に予約したホテルを見つけられず歩き回ったせい、そして今回は某イベントに参加した際に戸外の行列で長時間吹き曝されたせい。ろくでもない。


  和泉氏の絵は良いところもあるけれどその感性には少々苦手なところもあるという感じ(2007年の『あかね色』もいまひとつだった)で、今度の新作についてもどうしようか迷っていたのだけど、公式サイトの立ち絵――前傾姿勢で両腕をだらりと下げたノーガードポーズの立ち絵(?)なんて初めて見たかも――をじっと見ていると「なんだかんだ言ってもやはりこういうのもいいものだなあ」と思えてきて……。
  そういえば、不気味なノーガード立ち絵は『九十九の奏』にもあったか。


  00年代初頭までZONEで原画をされていたAM-DVL氏は最近どのような活動をされているのだろうかとggってみたら、昨年、一昨年と漫画単行本を出されていたようだ。個人的には、『紅蓮天衝』の原画集とかも買っていた。



  12/13(Fri)
  伊東氏はtwのプロフィールでも眼鏡好きを公言されているくらいなのに、残念ながらPCゲームではたしか『妹ぱらだいす!2』の理々奈に眼鏡差分があった程度じゃなかったかしらん。……調べてみたら『いちゃぷり!』の桜にも眼鏡シーンがあったようだけど、要するに「デフォルトが眼鏡」のキャラはいない模様。
   同人誌や個人イラストではなにやらいろいろと面白いのに、ゲームCG(の原画)単体として見ると今一つ味気ないというか、大人しいというか、ありきたりというか、そういう奇妙な落差のあるクリエイターでもある。それは一つには着彩が無難すぎるせいであるのかもしれず、あるいはPCゲーム十数年の歴史はそれほど大きいということでもあるのかもしれない。


  他人には説明しにくい単なるもやもやしたイメージの話に過ぎないのだが、私の中で三石氏はどうやら木村氏に近いところに位置づけられているようだ。(そして、それを意識して以来、三石氏の芝居がもっと好きになった。)


  以前も書いたようなことだが。
  公平な議論において必要なのは、あるいは目指されるべきは、正しい(あるいは妥当な)ものを見つけ出すことであって、自分が勝利することではないと考えている。他人に対して自分の意見を通すなんてのは、よほどの確信がなければ(あるいはよほど鈍感でなければ)出来るものでは無い。あるいは、ましてや、ある一つ立場を自分一人のものとして排他的な所有権だのそれに伴う(と見做されがちな)権威だのを宣言しようとするための場ではない。議論の当事者でない場合でも、私たちがまず目指すべきなのは「どちらが正しいか」の勝ち負けを判定しようとすることではない。ごく一般的な議論(高度な厳密さが要求されることもなく、結果に関する深刻さを伴うわけでもないトピック)であれば、さしあたりは自分にとって有益になるであろう示唆をその議論の中に探していればよい。
  ただししかし、妥協がほぼ不可避的である政治的調整の議論とは異なって、純然たる趣味の領域では、他人の趣味に対して自分の趣味を妥協させる必要など無いというのもまた確かだが。その「自分の趣味」なるものが確立されているかどうか(あるいはそんなものを考えたり後生大事にする価値があるか否か)という問とは別に、単なる「その場の」特定の趣味選択の場面に際しては、付和雷同的姿勢にはなんの価値も無い(――いや、全面的に無価値というわけでもないが。多数派の趣味に合わせることは、それだけ市場の大きさを享受できる可能性につながるという意味で、少なくとも一つの実利的アドヴァンテージはある)。
  要するに、趣味の領域での他人との間の交流(あるいは競争、あるいは闘争)活動にはこのような複数の層の考慮が関わってくるのであって、その都度何をどのように考慮して振る舞うべきかはわりと難しい。もっとも、「青山ゆかりの名演技の数々を語り合う」のようなトピックであれば、議論参加者たちのベクトルを合わせつつ、不毛な同意交換に終わることもなく、生産的な時間を過ごせるに違いないが。

  「『ハピメア』は久しぶりの妹系キャラだったよねー」
  「メインヒロインの風格があったのはやはり『Imitation Lover』と『瀬里奈』だ」
  「朱門……」
  「『Aster』も……」
  「歯切れの良い流暢さを楽しむなら『マジカライド』のおばかキャラですよ」
  「いや、おばかなら『ひめしょ!』と『えむぴぃ』も捨てがたい」
  「『想い出の彼方』は傑作だった」
  「ソフトハウスキャラのメインヒロイン役なら、『グリンスヴァール』のヴィヴィを推す」
  「『神楽』シリーズの葉子さんは迫力があったなあ」
  「『3days』のは怖かった」
  「『夏めろ』や『R.U.R.U.R』には妙な淫猥感が……」
  「知性派の芝居ぶりもいいよね。眼鏡キャラも多くて。『さかここ』とか」
  「『朝凪のアクアノーツ』の悪友系姉キャラは、案外素に近かったんじゃないか」
  「最初にプレイしたのは『CFエレンシアR』だったかも」
  「『はるはろ!』は……」
  うん、何時間でも(何十時間でも)一人妄想会議で楽しく過ごせてしまう危険な話題なので、ここは涙を飲んであえて止めねばならない。



  12/11(Wed)
  「なくした小銭への怒り」……むしろヒンデミットあたりがいそいそとタイトルにしそうだが。

  新記事:「美術作品を参照しているゲーム
  『R.U.R.U.R』で手書きの「じてんしゃ」の「て」が左右反転してしまっていたのは「オカエリナサイ」のあれだと思った。あと、『神樹の館』に「ルビンの壺」があったり。『イマ』も辞書モードには無数の小ネタがあったが、そうした多趣味ぶりは視覚表現には反映されていなかったように思う。
  アニメについては、クラシック(またはその他の既成曲)使用のデータベースサイトは存在しないようだ。個人では追い切れない論点なので、wikiでもあれば便利なのだけど……。ちょっとggってみたら、こんなのが見つかったが、具体的にどのアニメのどこにどの曲が使われていたかの説明はこれだけでは分からない。
  『ピエタ』とか『水都幻想』とかいった昔のタイトルも思い出したが、特定の美術作品を引き合いに出した構図があったという話は聞き及んだことが無い。

  メモ:『パトベセル』がサティを使っていたようだ。
  cf. [ www32.atwiki.jp/patobeseru/pages/11.html ]


  [ fff.hatenablog.jp/entry/2012/12/07/204459 ]
  ggっていて見つけたのでメモ。たいしたものではないが。



  12/09(Mon)

  [ turumiku.sblo.jp/article/82060009.html ]
  ひどい、ひどすぎる。
  特にデータベース系サイト管理者の方々の間でも話題になっている模様。こういうのは扱いに困りますもんね……(cf. [tw: 409314813823565825 ])。もっとも、似たような例として「萌原(某)」系ネームもある(cf. [tw: 8193262514864128 ])し、同名別ブランドの実例もあるのだけど(――例えば『すみれ』[2000]など3タイトルを発売した「ひよこソフト」と、『月染の枷鎖』[2010]でデビューした「ひよこソフト」。資本関係も無い、単なる偶然の一致の筈)。私はといえば、「野神」奈々と書くべきか「野上」奈々と表記すべきかでいつも迷ってしまう程度のライトオタ。おそらく「野神」の方がポピュラーな筈だけど。
  役名と役者名とが同一という点についても、先例は存在する(cf. 雑記2010/08/10)。声優ではないが、『WHITE ALBUM』の主題歌及び劇中歌が歌手名=役名だったという例もある(――作中でキャラクター「森川由綺」が歌う曲が、クレジット上でも「作詞:森川由綺/歌:森川由綺」となっていた。実際にその歌を録音した歌手が何者だったのかは知りようが無いが、作詞については先頃当事者による証言が現れた[tw: 387373444410507264 ])。


  【 「議論すること」及び「思考すること」についてのちょっとした思考未満の走り書き 】
  web上では、他人の文章を「粗雑」とか「杜撰」と呼んで簡単に切り捨てるところはたまに見かけるが、しかしながらそういう発言を目にする度に、「そう切り捨てている人自身は緻密な議論をしているのか(もちろん上記のような行為自体が、説明不足の廉でまさに粗雑であるとされるという単純な事実を措くとしても)」、そして「さしあたりオタク界隈に限定してみるとしても、あるいはそれ以外のたいていの分野について見ても、緻密な議論を展開している人なんてそもそも滅多にいないのではないか」と思う。観察(実証)の精度においても論証(理論)の精度においても、十分な水準で議論を提示できている人物なんて、現在のオタク界隈では――とりわけ非クリエイターの側には――ほとんどいないんじゃなかろうか。「だから、まずはそんな高度な要求の刃を突きつけあい牽制しあうよりは、なんでもいいからいろいろな議論を出し合ってみよう」と言いたいところではあるが、しかしながらやはり、そのような「議論」の前提自体を破壊する人たち、つまり嘘っぱちをばらまく人は一定数いるので、それらをきちんと追い出すためには最初に述べたようなフレーズにも一定の実用性はいまだある、のかもしれない。
  私自身についていうと、ここで書いている文章がちっともロジカルに思考されていないということは認めざるを得ない。はっきり言えば、「考える」「思考する」ということがどういうことなのか、まったく分かっていない。なにか議論らしきものを展開していっている時でも、それらは実のところ単なる断続的な直感を形にしている(既知の語彙に大きく寄りかかりつつ言語化している)に過ぎず、その全体の論旨や体裁を整える段になって初めてその整合性や構成をおおまかに論理や概念枠組の篩に掛けてみているに過ぎない(――ただし、「理屈と膏薬はどこにでも付く」と言われるとおり、とりわけ人文系の議論においては「論理」[だと思い做されているもの]ははなはだ頼りないものではあるが、それでも無いよりははるかにましだ)。そしてこのようなプロセスは、「論理的」と言うには程遠い。そして、「創造性」という言葉からは尚更かけ離れている。ゲーマーとしての私がこれまで書いてきたものは、あまりにも浅薄なものばかりだ。
  他人の書いたものに対してどう向き合うか。ひとつは、その議論について実証的正確性を問うたり理論的強靱性を問うたりするというかたちで細かく検証するというものがある。これは、オタク界隈でちょっと目立ったテキストが現れた時、最初に出てくる(そしてたいていはその段階で終わってしまう)アプローチだ。それに対して、欠けているのは、そして望まれるのは、その問題関心やそこに含まれるアイデアは受け止めつつ、自分なりに問題設定から具体的検討から結論に至るまでを考えきってみることだ。それは、べつに公開の文章にして著すのでなくてもいい。他人のテキストの中になにか有用なアイデア(の手掛かり)があれば、そのテキスト全体に対してべつに忠実でなくてもいい(というのは、さきに述べたように、確率的にいえば実証や論証の緻密さはそれほど期待できるものではないので)から、その触発を自分の知識経験の範囲内で形にする(そしてそれを自ら獲得する)ことだ。つまり、場当たりの直感的感想をただ漏らしたり安易な結論に飛びついたりするのではなくて、なにか意義があると思われるテーマに巡り会ったならば、いろいろな角度から、さまざまな次元で、時間をかけて、自分の中でまとまった展望が得られるくらいまで、丁寧に(そしてできれば細部まで)考えようとし続けることだ。ただし、「まとまった展望」を獲得することそれ自体は必ずしも目的そのものではない。少なくともそのくらいまで考え続けるという目安だと思っている。限られた時間の中でその都度現実的な結論を提示する必要のある政治や経済の議論ではないならば、そうした態度は許されるし、また、たいていの場合、望ましいものだろう(――そしてそのうえで、獲得された一応の展望を、もしも他人のものとぶつけ合う機会に恵まれたならば、それはさらなる幸せな機会になるだろう)。私が考えているのは、あるいは夢見ているのは、こんな感じ。

  実証と論証のどちらにウェイトを置くか、あるいはどちらに向かうかという軸で論者の姿勢が判断されたり位置づけがなされたりすることがある。あるいは、「事実か理論か」、「工学か理学か」、「技術屋か論理屋か」といった類似の枠として提起される場合もある。しかし、ゲーマーとしての私はどちら寄りなのかと問われると……どちらでもない、不徹底だなあとつくづく思う。EGScapeでクリエイター情報やPOVを大量に登録するというタイプでもない(EGScapeにはずいぶんお世話になっているが)し、かといって大仰なグランドセオリーを提起したことも無い(――演出技術論も、理論的体系などではなく、あくまで「プラグマティックな予備学」のつもりだ)。


  そういえば『ABYSS BOAT』って今入手できるんだろうか。EGScapeにも1件しか得点が入っていない。



  12/08(Sun)
  ゲーム関連だけでも、プレイしたり、攻略を錬ったり、周辺情報を集めたり、webラジオを聴いたり、その他いろいろ無数にすることがあって、ここに何かを書くだけの時間すら惜しい。スクリーンショットの整理も、以前は一本クリアする度にしていたのだが、ここ一ヶ月ほどは撮るだけ撮って放置したままだ。忙しい。


  たった3回だけのwebラジオだったけど、「PI ★ CHU ★ BAR 釜蔵」はたいへん楽しかった。ということで、HDDの奥底から掘り出して聴き返しているところ。



  12/04(Wed)

  【 演出を「強化」する? 】
  「演出強化パッチ」なるものが多数存在することから見て取れるとおり、演出を「強化」するという表現(または発想)はこの分野では幅広く浸透している。gglで簡単にサーベイしてみたかぎりでも、この言い回しは00年代初頭にはすでにコンピュータゲーム分野で十分普及していたことが見て取れる。例えば2002年の『君望』DC版は「演出面も強化」と述べている。「演出強化パッチ」は、PCアダルトゲームでは『Orange Pocket』(HOOK、2003)あたりが最初期のものかと思われる。私もこの言い回しを使ったことはある。しかし、演出のクオリティは「強さ」(あるいは「増強」)という軸の上に置かれるものではない――演出をよりいっそう優れたものにすることは、「洗練する」あるいは「徹底する」「エラボレートする」「(コンセプトを)明確化する」といったような軸で捉えられるべきだろう――ので、これを「強化」するというのは本来はずいぶん奇妙な表現だ。
  いくつかの要因を想像することはできる。たとえば、1)演出の《質》の問題が《量的増強》の問題であった、あるいは量的増強が非常に強力に作品全体の質的変化に直結していたという時代が、おそらく実際に存在した(――デジタルゲームにおけるその技術史上の時期は、技術的可能性が拡大されつつ同時に技術的可能性の実現余地もまた大きく拡げられつつあった、90年代後半から00年代初頭のことになるだろう)。 2)とりわけPCゲーム分野では、事後的にリリースされる「パッチ」がしばしばそう呼称されてきたが、それは一つにはそもそもパッチ一般が補"強"及び修正のための存在であることにも関係しているだろうし、また部分的には、その(不具合の修正という)消極的印象を紛らわせるための強がりとして「演出強化」が謳われたのであろうと推測されるような実例を、ユーザーたちは何度も経験してきた。
  演出を「強化」するという表現は、演出一般の性質に照らしていささか誤解の余地のあるものである。しかしながら、現在でもコンピュータゲーム表現のクオリティはいまだに「掛けた手間の量(あるいは、掛けることの出来たコストの嵩)」の如何によって大きく変動しがちなものであるという実態を反映するものでもあるのだろう。また、もしかしたら、ゲームが成り立つためには(あるいはゲームが実際に現象するためには)プレイヤーの参加を必須要件としておりそしてそのための《素材》としてゲームは作られているという、ゲームに特有の存在条件に結びついたものであると考えるべきなのかもしれない。



  12/01(Sun)
  今後のことも考えてページだけ作っておく:「眼帯キャラ」、「傘ヒロイン」、「眼鏡主人公


  cf. [ ho2ch.vs.land.to/ayaka.html ](2013/11/29付)
  今回の飯野さん、元気いっぱいで実に良いなあ! >『サドぐるみの町』サンプルヴォイス
  SH-sealは、例えば『くノ一小夜』でも飯野氏に「はあ、はあっ……死ね死ね、完膚なきまでに死にさらせ、このっこのっ、あひ、いひひっ、ひひっ……!」とか「はっ、はは……糞虫がっ! 私がその糞にも劣る醜い触手を引き裂いて、臓物を床にたたきつけてやるわ……!!」といった台詞を演じさせてくれる面白いブランドなので、注目せざるを得ない。
  そういえばとふと気になったことで、上記サイトからもリンクが貼られているとおりbbspinkにも木村氏関連のところがあるのだけど、そこにいらっしゃるのはいったいどういう方々なんだろうか。私はゲームのことを他人とじかに語り合うのは苦手なのだけど、声優さんについての話題だったら同好の士の方々とお話ししてみたらとても楽しそう、と思った。今しがたログをざっと見てきたけど、ずいぶん平穏な雰囲気でのんびりと楽しみつつ、しかし熱意をもって積極的に情報交換をされている様子だった。過去に演じられたキャラたちのことをよく憶えておられる方もずいぶん多そうな様子で、なにか話題が出るとすぐに反応が出ている感じ。なんだかすごく居心地良さそう。
  個人サイトやブログも見つけづらくなっているし、tw検索も非常に困難なので、そういう「同好の士」を見つけることは、現在ではむしろ非常に難しくなっている。これが「ブランド」や「個別タイトル」の単位であれば、(とりわけSLG系の場合には)新作攻略記事を出せばアドバルーンになりやすいと思われる(――とはいえ、あくまで相対的な話であって、実際にはたいした効果は望めないと言ってよいだろう。『BB3』の攻略記事ページ群も、今確認してみたらアクセス数は三桁の最初の方のままだし)。


  そういえば、『殻ノ少女』の時坂紫がカタツムリを飼育してそれぞれに西洋人風の名前をつけていたのって、アンシーさんのパロディだったりするのだろうか。「カタツムリの飼育」というもの自体がそれほど思いつきやすいものではないのだし、Innocent Greyが時として見せる(擬似)少女漫画趣味を考慮すると、あり得なくもない。もっとも、いのぐれのは、もしかしたらただの『マリみて』趣味かもしれないが。
  世の中には、『デュエリスト×エンゲージ』という、見る人が見たら心拍数を高めるに違いないタイトルも存在する。制作スタッフは、WILL系列ブランドを中心に活躍されているクリエイターさんたちで、EGScapeを見るかぎりでは評価もわりと高いようだが、残念ながら買いそびれてしまった。8月に新装版が出ていたようだし、今からでも買っておこうかな。