2016/03/31

2016年3月の雑記

  2016年3月の雑記。(→4月2月


  03/30(Wed)
  よし、この春は模型の春にしよう。(ゲームはどうした)(本業はどうした)
  ということで、いろいろ買い込んできた。一時的に制作/所持比率が急落したが、やむを得ない。

  【 お金を物に換えておくことの意義 】
  資産状況(預貯金及び収入の見込み)が切迫していないかぎり、欲しいものは出来るだけ買って手許に置いておくというのが、私の基本方針。預金の額は単なる数字であって私の精神を豊かにしてくれるものではないが、それを特定のアイテムに換えれば、それは具体的な財産になる。
  1)もちろん、それを実際に享受することによって、最大の満足を得られる。言うまでもない。ただし、もしもそれをすぐには消費せず、「積」んでいるとしても、それでもなお、単なる金銭とは比較にならないくらい、自分の精神に対して大きな肯定的影響を与えることができる。それは、例えばゲームの箱や書籍の背表紙の存在感からもたらされる体系参照的な知的刺激であれ、CDボックスを視界に入れておくことから得られるその作曲家の仕事の全体展望であれ、未制作模型のランナー状態を眺めることから構築される制作構想であれ、その物がそこにあるだけで私の意識を常に触発し続けている。本棚を持つこと、本棚を眺めることとは、そういうことだ。
  2)第二に、手許にあるということは、いつでも読む/聴く/作る/プレイすることができるということだ。現実的な選択肢として手許に持ち続けていること。そして、――OS非対応やデカール劣化などのリスクはあるものの基本的には――無くならないという保障。そのメリットは非常に大きい。とりわけ、専門性は高いが規模は小さいという分野では、「刊行された時点で入手しておかなければ後からでは入手困難になり、しかも今すぐに通読するのでなくとも長期的には間違いなく参照機会が何度も生じるであろう」という条件下に置かれることが非常に多い。研究でなくとも、オタクとして一定以上の自律性を持つようになれば、同様の条件を意識させられる機会はどんどん増えていくだろう。
  現物に換えて手許に持っておくということには、こうした意味があるし、そして、だから、基本的には「積み」を恥じる必要は無い。失敗だとされるべきなのは、「資力の限界を超えて買いすぎた場合」、「不必要なものを買った場合」、そして「人生の中で到底消費しきれないほどの量を買ってしまった場合」くらいだろう。とはいえ、それでも、少なくとも後二者に関しては、「好きなものに投資できた」という意義は失われない。
  しかしながら、お金を持っておくということにも、もちろん大きなアドヴァンテージはある。「満足感」、「金銭的余裕に基づく精神の安定」そ、して「万一の保障を買っている」ということだ。それゆえ、金の掛かる趣味を持たない人にとっては、「貯めておく」というのは、最も有益なお金の使い道だということになるだろう。

  ちなみに、今私が書いたようなことを額面通りに受け取ると、私のようにバカなことになります。


  フィクションの場合はともかく、現実(実在)の個人に関する事柄で、「置換されて喜んだんだろう」系のことを口走る輩は、オフラインの場であれば真顔でツッコむしかない(二度目は無い)し、オンライン上の関係であれば即座に関係を断って以後金輪際一切関わらないようにするしかない。そのくらい度しがたい発言ですのでね。


  SHC新作は、『真昼』『DC』風の依頼書システム+『アウトベジタブルズ』風の関門演出にするのかなあ、と想像している。『真昼』は、依頼書の種類は膨大(999種)だが関門突破演出はごく簡素。『DC』は依頼書(賞金首)の数はやや減って(400種程度)、内容は多対多戦闘オンリー。『野菜』は依頼書(財宝の建物)はごく少数で(6シーズンで25軒)、部屋突破演出はチップアニメで彩り豊か。その質(表現密度)と量(多様性)のバランスを新しいかたちで作り上げれば、それは十分新しいタイプのゲームになりうるだろう。
  もう一つ、『Wizard's Climber』式に、「ダンジョンの数はごく限られている(12+1個)がセミオートアニメーションバトルで表現される」という方向性もあり得るが、今作のコンセプトでは輸送先は多数登場させなければそれらしくならないから、この路線にはならないだろう。
  いずれにせよ、主人公「山県」という情報から、どうしても『真昼』系統での最新システムを夢見たくなるのは仕方ないところだろう。制作側も、その意味は重々承知のうえであえてこの名前(名字)を出してみせたのだろうし。

  最近のSHCは、脚本面の息の短さが気になっていたところなので、『勇者砲』で一作分、間を置いて余裕が出来たはずなので、最後まで詰めきったシナリオにしてくれることを期待したい。世界を滅ぼそうとする巨悪のごとき陳腐なものをお定まりのラスボスにする必要は無いのだけど、『勇者砲』はポッと出の無名の魔王がラスボス、『悪魔娘』もいきなりの故国からの召喚で幕切れ、『野菜』も一種の駄洒落オチと来ているのでね……。王家各勢力の謀略抗争の間を縫って走り回るドラマティックな『うえはぁす』や、国家間の戦争に乗じて利益を上げる『海賊王冠』の痛快さ、(過去の/現在の)恋人との戦いでクライマックスを迎える『真昼』の陰影と、初期作品はストーリー上のオチも刺激的だったし、『ブラウン通り』『LEVEL JUSTICE』から『巣作り』『南国』『DC』『グリンスヴァール』あたりは、世界の広大さと、そこで展開される物語の多様性が、ED分岐の豊かさにも反映されていたものだった。『DAISOUNAN』以降は、「個別キャラのバラバラで射程の短いED群」か「一本道ED」かのどちらかに振れきってしまいがちだったけど。


  例のAIのあれ。「伊藤ヒロが『かおるこさま語』を教え込んだ結果、『くつしたおいしい』『かおるこさまだいすき』しか言わないAIになった」くらいのネタは、すぐに着想していてしかるべきだった。


  私にとって、受け入れやすい(付き合いやすい)他人とは、「心の若さを持っている人」なのかなあと思った。つまり、自分とは異なった思考/志向/価値観を持つ者の意見でも、その都度柔軟にそして慎重に考えたうえできちんと判断してくれる人。言い換えれば、結論先行で黒白/是非/敵味方の判断がいつも大上段で決まり切っているような人――つまり偏見が強くて自分の判断を相対化できない人――とは、会話ができないし、一緒に居続けることも難しい。
  ちなみに、「若さ」と書いたが、これはいわば比喩であって人間の(精神的)成長のありように即したものではない。実際には、上記のような精神的姿勢は、物理的な意味での「若さ」からもたらされるものではなくて、通常は、知的訓練を通じて得られるものだし、また、物理的な意味での「若い」人間――せいぜい大学生くらいまで――は、むしろ慎重な吟味を経ることなく、大量の知識や判断パターンをひたすら闇雲に摂取することにその特質(と美質)があるのだから。


  「トロ卓」「ササル」「チャン作」ってどの回で初めて言われたネタだっけ。見つからない。
  そういう話題を検索できるようにするために概要記事を作っているのに……。


  『Imitation Lover』が再プレイできない(起動できなくなっている)のがつらい。青山氏主演で、脚本も面白い作品だったのになあ。プレイ当時はメインヒロインの一ノ瀬響が本当に魅力的だったけど、今になって思い出してみると桐沢伊織先輩も興味深いキャラだった。




  03/26(Fri)
  「胃」ラジオは、「裸」の最後までは行けそうだが、年度中に「ベスト」を仕上げるところまでは難しそうだ。会議や買い物などの必要最低限の用事以外はずっと自宅にこもって机上でいろいろ作業をしながら聴き続けているのだが、3/22からの4日間で処理できたのは80回分(約40時間)。つまり、一日あたり20回分(約10時間)。最新回までは、ざっと220回分(=110時間程度)。なかなか進まないが、なんとか先が見えてきた。

  しかし、ここ数日間の生活には、致命的に音楽が不足していた。バッハを聴くと、心に染み通ってくるように心地良い。私は目の人(絵と演出)でもあり、言葉の人(文章)でもあり、手の人(模型工作)でもあるが、おそらくそれ以上に耳の人(声と音楽)でもあるのだ。


  『淫妖蟲』新作に、久々に秋華氏が脚本参加されるのか。白鳥武さんの絵がいよいよ美人になっているし、おそるおそる買ってみようかな。シチュエーションがとんでもないことになり過ぎていて、サンプルCGを見ても何がどうなっているのか一目で分からないものがあったりするが。

  『寮生たちの特権』に身長186cmヒロインか……。主人公は157cmとあり、体格差表現も期待できそう。しかも、全員帽子キャラとは、ありがたいありがたい。


  見返り美人ポーズの立ち絵っていいよね……。


  Chuableは、いろいろな仕掛けに挑戦している良いブランドではあるのだけど、個人的には、毎回少しばかりあまり好きになれない要素があったりして、なんとなく付き合いにくいブランドになってしまっている。


  まあ、ああいうのは、理解できなくはないのだけど。自分(たち)にとって理解困難な犯罪が発生した時に、そのような行為をおこなわせる心理的原因として、同様に自分(たち)にとって理解困難ななんらかのカテゴリー(社会集団)と結びつけることで自分を納得させようとするというのは、けっして珍しいものではないし、そして、当然ながら、社会的経済的な露出の多い現象乃至集団がその標的になりやすいし、一部のメディアが――事実を報道するという務めを忘れ去って――そうした臆見に寄り添おうとしてしまうのも、「あり得ることだ」として一応理解はできる。しかしながら、これまた当然と言うべきだが、1)当該行為を理解困難だと思考停止するのも、2)その原因を社会的なものではなく心理的なもの(「趣味」もそれに含む)に求めようとする狭さも、3)特定の(きわめて特殊な)行為が生成する心理的原因を特定の(きわめて多様な)集団に結びつけようとする幼稚さも、4)どの集団をその原因として選び取るかに際しての安易さも、5)そしてそうした想定を疑いもしない浅薄さに至るまで、すべてが知的怠惰と社会的偏見の所産にすぎない。
  悲しいことではあるが、致命的に想像力が欠如していて、自分たちがたまたま経験してきた社会関係以外のものをまるで理解できず(あるいは理解しようという姿勢をまったく持たないままに)、そして自分がたまたま得た固定観念(偏見)をもってあらゆる事象を判断する根拠として振る舞おうとする人が、この社会には実に多いのだ。残念ながら、現代日本人の平均(つまり全年代の全人口の中で最も多い層でもある)は、そのような意識しか持っていないのだ。年齢、職、経済状況等によって、そういう人にほとんど出会わずに済んでいる人もいるが、本当にどこにでも、ごく身近にも、いくらでもいるのだ。


  getchuのイラスト系特典(テレカやタペストリー)は、他社よりもウェディングドレスが多い(ので嬉しい)……という印象があるけど、実際のところどうなんだろう。


  八幡氏は声も芝居も、いかにもtriangle向き(ってどんなだ)だと感じるのだが、実際には『ヤクモ』一作にしか出演されていないのだよね……。「青葉氏とSkyFish」とか、「杏子氏とFAVORITE」、「有栖川氏とChuable/ensemble」などの場合は、出演数という確かな実績に基づくものだけど。




  03/25(Fri)
  「金儲けの匂いを嗅ぎ取った瞬間に オタクたちは嫌悪感を抱く」というのも、そろそろ見飽きた神話だなあ。オタクを持ち上げるリップサービスの台詞として、すでに陳腐化している。実際、アレとかあの辺とか、「金儲けの匂い」ぷんぷんなコンテンツが大人気だったりしている実例には事欠かないのだし。「オタクは『金儲けの匂い』を嫌う」という主張は、勘違いした(そして通俗化した)オタク媚びであるように思われる。しかも、それ自体が事実に反する命題であるというだけでなく、媚びとしても成立していないという二重の意味で。
  ただし、オタクたちが「金儲けの匂い」の有無に頓着せず、それどころかそうした匂いのきついものですら、自分たちが楽しめそうなものである限りあらゆるものを貪欲に楽しんでいるという事実それ自体は、べつに悪いことではない。むしろ私はそれに好意的であり肯定的だ(――私自身の方が、平均的なオタクよりも「金儲けの匂い」に反発しやすいくらいかもしれないほどだ)。


  睡眠があまり足りていない時でも、午後11時より前に就寝すると、すぐに(0時なり1時なりに)起きてしまう。相変わらずのお子様体質。お風呂に長く浸かっていることもできない体で、温泉の楽しさというのも全然分からないし。

  ごはん写真ではちっとも食欲を刺激されないが、スイーツ画像には唾を飲んでしまう。
  鍔を飲んだらおかしい。「そう……そのまま飲み込んで」じゃあるまいし。


  [ www.getchu.com/brandnew/886260/c886260sample1.jpg ]
  このキャラを見て、同じく民安氏が演じられた『クラインハーゼ』のキャラを思い出したけど、
  [ www.getchu.com/brandnew/660671/c660671charab1.jpg]
  実際に見比べてみると、パーツ構成は似ていなくはないものの、やっぱりそんなに似てないか。


  波奈束ヴォイスのピロ水キャラは、――こういう言い方は普段はしないのだけど――まさに神品と呼びたくなる。程良いツン表現と、愛嬌のある台詞回し、それでいて品の良いクールさが保たれていて、そして声と絵のマッチングに至るまで……神々しい。

  杏子氏、優希氏、五行氏……『恋神』はキャスティングも素晴らしかった。羽鳥氏の芝居も、この作品で好きになった(――WILL系列以外では滅多に出演されない方だが)。これでもしも木村氏まで起用されていたら、私の中で、もはやどんな作品でも敵わない絶対的存在になってしまっていたかもしれなかったところだ。怖ろしや怖ろしや。もちろん、実際の『恋神』も、私の中では最高の(そして最も愛着のある)美少女ゲームの一つに位置している。


  変換候補はできるだけきれいに整理しておきたいので、わざわざ長い言葉を入力してから文字を削るという振舞いもしている。その一方で、大事な言葉はもちろん辞書登録している。



  03/23(Wed)
  「胃~之煮」まとめを再開してみよう。最近はSLGの再プレイ(あるいはレベル上げなど)や模型制作をしながら聴き返しているので、せっかくの機会を有効利用したい。おおまかな話題メモをとるのは適当に聞き流していても出来るが、投稿日などの具体的な数字を聞き取りそこねると大変。残り300回以上(ざっと100時間以上)あるので、最新回まで追いつくのはかなり大変だが。

  丸二日のうちに書けたのは30回分(10時間分程度)か……。まだ270回(つまり9倍!)ほど残っているし、最新回まで追いつくのは相当掛かりそうだ。


  というわけで、明日の午後には久々の杏子氏出演作が届いている筈。萌花ちょこ氏の出演作も3つあるけど、さすがに全部を買うわけには行かなかった。ただでさえ、未プレイの山がそろそろ大変なことになりつつあるし。
  ああ、でも、やっぱり杏子氏の堂々たる主役芝居を聴きたいな……。


  アダルトゲームのモザイク処理はなんとも思わない(あっても構わない)のに対して、アニメの白線は汚らわしい悪習としか思えない。さしあたり個人的な感性の問題として考えると、前者は局部や汚物に集中しており、そのまま見せられてもべつに嬉しくない物であって、モザイクが掛けられいてても、ユーザーである私の美意識や鑑賞姿勢を阻害していない。しかし後者は、胸部や腰周りなどに掛かっており、それらは基本的には美しいものであるのに、それを鑑賞するのを妨げられている。この違いは大きい。もう一つ、白線は、見た目にも非常に作為的なものに感じられ、そのことが私の鑑賞体験を傷つける。
  また、社会的な妥当性の次元で考えると、さすがに局部のストレートな描写は(とりわけ公然の場では)差し控えられるべきだという社会的合意が確立されていると思われる。だから、アダルトゲームが局部などを特定の仕方で隠蔽しているのは、受け入れられるものだ。しかし、胸部については、そもそも、隠蔽されるべきだという認識はけっして支配的なものではない。実際、たとえば年齢制限の無い一般漫画でも、素肌の胸部が描かれることはけっして稀ではない。にもかかわらず、アニメではこれ見よがしに隠蔽され、しかも、ディスク媒体になると一転して、白線を解除したヴァージョンで公然と販売されたりする。その二枚舌めいたいかがわしさが、私の心をその種のアニメ(の放映時視聴/ディスク購入)から遠ざけていることは否めない。ゲームでも漫画でも、モザイク解除版のようなものが別途売りつけられるなどということは無いのに。


  PCゲームであれば、定価8800円+税(に対するそれなりの割引価格)のものを毎月平気な顔でばんばか買うことができるが、同程度の価格のプラモは、買うつもりで店頭に訪れてもその場で二の足を踏んでしまいがちになる。この違いは、1)一つには、「個々の商品にどれだけの価値を見出すか、あるいは商品と価格の間の釣り合い(つまりお得かどうか)をどのように評価するかは、一様ではなく、人によって異なるものだ」という商品価値の評価のあり方の問題でもありうるが、しかし、2)おそらくは、「当該商品を購入する習慣が身についているか」という問題でもあるだろう。私はべつに、ゲームの方がプラモよりもリーズナブルだと考えているわけではないし、また、可処分所得を注ぎ込む対象として、ゲームよりもプラモを低く評価しているというわけでもない。にもかかわらず、フルプライス級ゲームはたくさん買う(一月に5個も6個も買ったりする)し、そしてしかし、同程度の価格帯のプラモは一つ買うのすら、気が進まないことがある。それは、私という経済的個人が、金銭乃至金銭的価値を必ずしもフラットに扱ってはいないということを意味する。8800円ならば何の躊躇もなく買うが、それがほんの1.11倍(9800円)になっただけで逡巡の度合いが飛躍的に高まるのも、同じことだろう。
  ただし、もう少し他の条件を考えることもできるだろう。3)他の商品との比較。8800円は、PCアダルトゲームとしては標準的な額だ。だから、それを買うことはなんら特別なことではないという意識で、安んじて買うことができる。しかし、プラモの8800円――超大型のMaster Gradeキットや1/350巡洋艦などが比較的近い――は、標準的な価格帯を大きく逸脱した、特別な商品だ。その特別さは、高い満足への期待というかたちで購入行動を後押しすることもあり得るが、心理的な障壁になることもあり得る。4)また、もちろん物理的条件も影響する。A4サイズかそこらの見慣れた(そして手に取りやすい)サイズの箱ならば、まとめてレジに持って行くことも楽だが、1メートルを超える長さの箱を持っていくのは、いささか気が引ける。それは(再び)シチュエーションの問題でもある。
  さて、それでは、他のジャンルについてはどうか。8800円のCDボックスセットは、わりと平気で買える。映像メディアは、6000円を超えると、事前に検討したうえでなければ買わない(――店頭でカジュアルに買うことは滅多に無い)。コンサートのチケットとしては、少々高いと感じてしまう。5000円程度の席が用意されていることもわりと多いからだ(――ただし、オペラなどでは、そもそも2万円台から5万円のチケットしかないという場合もあるが)。書籍(専門書)については、ある程度はやむを得ないと割り切って買ってしまう。衣類や食事は、まあ、必要と品質に応じて。等々。
  こうした嗜好品については、ある程度「習慣」の側面が大きいというのは確かであり、そしてそれゆえ、一度購入を経験してみれば、どんどん心理的敷居は下がっていくということでもある。それは、価値観そのものの変化を引き起こしているかもしれないが、往々にして習慣の変化、あるいは「慣れ」の次元の問題にすぎないという場合もあろう。いずれにしても、(心理的なのめり込みはさほどではない場合でも)一度買い始めると止まらなくなるというのはわりとよくあることだ。そうした変化は、昔は「箍が外れる」と言われていたようだ。

  というわけで今日も諭吉をたくさんヤってきました。模型もゲームも、そこそこまめにやっているのに、買う方も止まらないものだから、なかなか消化率が上がらない。音楽CDの方は、もはや聴未聴をいちいちカウントしていられないが。映像ディスクの方は、溜め込んでしまいがち。

  あっ、今日もまた、寝る場所が確保できていない。まさかプラモの箱を抱いて寝るというわけにはいかないし、ゲームのパッケージに囲まれたまま蹲って寝るというわけにもいかないし。



  03/21(Mon)
  ソフトハウスキャラ新作。『宇宙船サジタリウス』のような宇宙輸送業のSLGは、まさに私が――ありがちな「好きなものと好きなものを乗算すれば好きになれるものが出来るに違いない」式の発想で――妄想していたもの([ hwm2.gyao.ne.jp/serio/games/diary08.html#20081022 ])そのものだったりする。しかも海賊帽子キャラのメインヒロインとは。感涙に咽び泣きつつ200%の期待をもって待つしかない。
  ちなみに「山県」姓はもちろん『真昼』の主人公だし、「一姫」は『LEVEL JUSTICE』のヘルオー様の名前でもあった。偶然か、それとも何か関連があるのだろうか。タイトルの「ドラゴン」が何に関係するのかは、現段階では不明。たとえば船名が、伝説上のドラゴン「ブラッド・ライン」に因んでネーミングした、とかかもしれない。
  システム面は、『アウトベジタブルズ』のようなルート指定型の障害突破ゲームだと、比較的分かりやすく表現できるだろうか。ただし、既存のゲームシステムを応用するなら、様々な可能性が想像できる。例えば、複数の宇宙船を管理する『忍流』風の派遣型SLGという可能性も一応考えられるし、『うえはぁす』風にマップ上の東奔西走ゲームになるかもしれず、あるいは『真昼』『DC』『王賊』『BB1』のような依頼書システムか、『Wizard's』のようなオート進攻バトルとか……。

  「主の命令に反抗できる優秀さを持ち備え」というくだりに、『LEVEL JUSTICE』のイヴのエピソードを思い出した。「真城」という名字が過去作品に登場したことは無いはず。「ルーディニアリーファ種の財宝」も不明。ちなみに、『グリンスヴァール』の長寿族は「リーエ」種。『巣作り』のサブキャラは「エーファ・ライズマン」。

  新作タイトルの既視感を手繰っていたら……ああ、そうか、おまけムービー『両国ドミニオン』の中でコスモスタイガー先生が書いていたBL小説、『プラトニックドラゴン』か。


  もはや業界論(市場論)くらいにしか反応できない人たちっていうのは……。



  03/18(Fri)
  アダルトゲームの主人公どもは、初めての行為がひととおり終わった後で、思い出したかのようにキスをするような奴らばかりですからね! もちろん責任は一方的なものではなく、ヒロインたちの側も自分から行動することができた筈なので、それを要求したり自分から口づけしに行ったりしなかったのは彼女等(男の娘を含む)の側もキスを軽視していたと言わねばならないが。他方、黒箱系ならば、終わった後で唇も奪っておくというのは有意味な演出になる。


  『ヨスガ』アニメの「あはー、怖がらなくて胃~之煮ー」のシーンには毎度笑ってしまう。
  OPとED(挿入歌)は毎回飛ばすけど。


  琉花氏は、「るはな」と読むの? 今までずっと「るか・あか」さんだと思い込んでいた。
  ちなみに「琉」の字は琉球の「琉」だが、ファンならばPCに辞書登録しておくべきだろう。
  でもって、次の出演作はSkyFishで、またもや紫髪キャラ。どうせまたおしkk…こほん。
  ちなみに、クトゥルフものの模様。脚本は弘森氏直々なので、本気のタイトルに違いない。


  杏子氏は、聴く度に「おお、まさにこれこそが杏子氏だ!」と感じられるが、しかし同時に「本当にこれでいいのか?」と、よく分からなくなったりもする。……いや、なんというか、この表現が私の感覚と困惑を適切に言い表しているのかどうかも分からない。「これは、この芝居は、この方の芝居は、いったい何なのだろう? 今私は、この声優の現れにおいて、いかなる事態を、どういう現象を聴いていることになるのだろう?」というような、まっこと言葉にしにくい奇妙な感覚。



  03/16(Wed)
  例えば日本国内で考えてみても、「一万人に一人(上位0.01%)」といっても1万2000人以上は存在する計算になる。だから、「万に一つ」(例えば病気や事故)というのも、実際にはまったく存在し得ないものではなく、けっして社会的に無視して良い数字ではない。同様に、例えばクラシック人口は1%程度だと言われており、「1%」というと非常に少ないように聞こえるが、言い換えれば、実際には100万人以上いるということを意味する。非常に巨大な市場だ。別の観点で言うと、なにかしらの分野で、日本の全人口の上位0.01%に食い込むことも、けっして難しいことではない。ましてや活動や関心の多様化している現代では尚更だ。自分の得意分野を作るのは、けっして難しいことではないということだ。
  とはいえ、そこからさらに上位に入るのは、必ずしも容易ではないが。仮に、もう一桁上げて上位1000人ならばどうか。例えば、(うちはそういうブログなので)「アダルトゲームに関する知識に関して、上位1000人(日本全人口の0.001%)に入ることはどれほど容易/困難か」を考えてみよう。社内スタッフとしてアダルトゲーム制作に携わった経験がある人物だけでも1000人や2000人ではきかないだろうから、それだけで1000人の枠はほぼ埋め尽くされる。アダルトゲームに限らず、どんな分野でも、それが一つの分野として認識される程度の規模で存在しているかぎり相当数のプロがすでにいるわけで、そこに食い込んでいくのはもちろん非常に難しい。
  また、例えば現役アダルトゲーマーが30万人なり50万人なりいるとしても、それはせいぜい日本の全人口の0.3%かそこらのオーダーでしかないし、なんらかの定義の下で仮に「オタク」が300万人なり500万人なりいるとしても、それを全部集めてもほんの数パーセント(3%前後)の勢力にしかならない。あるいは、以前も述べたように、商品を1万冊なり1万本なり数千枚なりを売ったり何万ユーザーを獲得したりすることがどのくらい容易/困難かというのを想像するのも面白い。


  [ pbs.twimg.com/profile_banners/70675887/1451056167 ]
  なんだろう、たまたま見かけたこの絵が、可愛くて可愛くて目が離せない。東風谷さんというキャラで、元の画像は[tw: 705011627179913217 ]:こんなCGのようだが、どなたが描かれたものなのか、検索しても分からない。


  『面影レイルバック』の絵を見るたびに、心が痛くなるほど感激する。待ち遠しい。



  03/15(Tue)
  Escu:deの新作は、『プリマヴェール』シリーズのなのかな。このブランドのSLGは、フラグ管理がとにかく複雑で、過去作品もコンプリートが大変だったけど、システムの中で自分(プレイヤー)がいろいろ動いているという感覚は楽しいものなので、今回も期待したい。はなたか氏の原画は、『プリスター』(2010)以来……なんと、6年ぶりか。


  ああ、そうか、わりとこちらでのキャリアも長い方なのか。草壁美鈴役の頃は、まだそんなにはむにゃむにゃだったけど、最近の作品では実に良い芝居になっている。どことなく鈴田氏と発声の仕方が似ているようにも感じた。


  小説媒体でもそれ以外でも、仮想戦記ものやそのような要素を含む作品はほとんど読んだことが無い。定義にもよるが、未来の状況を描くSFは別論、史実上の特定の状況をベースとしてそこからの架空の軍事的情勢展開を描くようなものは、ほとんど読んでいない。ほらまあ、そういうのって作者の嫌らしい妄想が史実に都合良く混入されていそうなところがアレじゃないのという予断があるので……。アダルトゲームで言えば、最も典型的なのは『恋姫†無双』だが、キャラ萌えにや何やらはともかく仮装戦記的側面に関しては楽しめなかったし、『群青の空~』もやっぱりアレだったし。『マブラヴ』や『斬死刃留』にも、史実状況からの逸脱的変化があるが、前者は史実との関係はそれほどたいしたものではないし、後者は「戦」記というほどではない。
  非軍事のものも含めれば、とりわけタイムスリップものではありふれたアプローチだし、現実の地球上の人類史に寄り添いつつ柄の大きな歴史設定を持つ作品は大なり小なり歴史改変小説に類する側面を持つことになる(が、それ自体は別に良いことでも悪いことでもない)けれど。刺激的な想像力を含んだ『日本アパッチ族』とかは面白かった。


  模型制作を再開しているが、ゲームと交互に進めるとわりと良い感じ。ゲームに疲れたら、模型の作業を進めて、接着や塗装の乾燥待ちになったり、姿勢を悪くして疲れたりしたらまたゲームに戻る。最近だと、BANDAIの「ミレニアム・ファルコン」がたいへん気持ち良いキットだった。スケモ(艦船)は迷走中、もとい試行錯誤中。


  何故か『お嬢様と秘密の乙女』を見落としていた。買っておこうかな。


  陽月氏と大波氏の新規出演作が! ああ、良かった良かった。(感涙に咽び泣く)

  このブランドはキャスティングが毎回よく変わるなあ。今回のキャストの中では、大波氏(複数)、新堂氏、有栖川氏、杉原氏、朝香氏が同社近作に出演歴があるけど。
  新作を含めて直近8タイトルで3回以上出演されているのは、かわしま氏(6回)、大波氏、ダイナマイト氏(以上5回)、青山氏、五行氏、桜川氏(以上4回)、紫苑氏、有栖川氏、ユリア氏(以上3回)。キャスティングがころころ変わるという印象は、半ばは事実と言ってよいだろうけど、出演人数が多いせいもあり、また、大波/猫井や、佐藤/萌花ちょこ、野神/紘川、風音/未来羽といったあれこれのせいでもあるだろう。なかでも五行氏は、北見(神採り)/五行(V)/北見(魔導)/北見(天秤)と、よく分からない変遷をされているし。


  またも小林氏の界隈で妙ちきりんな話が……。
  アダルトゲームがシステム開拓やフラグ管理を疎かにしたせいで衰退したというような主張をされているが、それは今世紀のアダルトゲームに関する記述(認識)としては実情に反しているように思われる。私見では: 1)シンプルなAVGでも、単なる樹形図的分岐ばかりではない(個別の状態フラグをきちんと持って、イベントの中での細やかなテキスト差分変化をしているものも多い)。2)明白に組織立ったフラグシステムを使っているブランドは、00年代に入ってからもそれなりに存在する。Escu:deを初めとして、キャラメルBOX、かぐや、CYC、Innocent Grey、Abel software、Stoneheadsなどが代表的だろう。他にもSkyFishとか、LOST SCRIPTとか、あるいはStudio MebuisWaffleなどの黒箱系ブランドにもいろいろある。3)複雑なフラグ管理が行われなくなったのは、システムデザイン次元の頽落によって技術「喪失した」という問題ではなく、脚本長大化とヒロイン絞り込みによって、複雑な分岐展開のアプローチが「放棄された」と言うべきだろう。個々のシーンイベントがそれぞれ10分も20分にも及ぶような規模のゲーム進行で、複雑な分岐構成を導入なんかしたら、ユーザーにとっては苦痛でしかなかろう。
  そもそも短編の『雫』『痕』をして優れたフラグシステムの例とするのは、偏り過ぎている。これらのタイトルは、フラグシステムはけっして大規模なものではない(その現れとしてはむしろ単純な樹形図分岐に限りなく近かった)ので、そもそも体系化されたフラグ管理タイトルの例としては相応しくない。また、『雫』『痕』は現在の目から見ればロープライス並の作品規模でしかないのでイベント分岐表現を実行する敷居が低かった筈だが、それに対して現在のフルプライス作品の規模で実行するのは技術的難易度がまるで違うので、比較にならない。

  ちなみに、wtnb氏が『ToHeart』について述べている並列進行というのは、個々のヒロインのイベントフラグがそれぞれ高い独立性をもっており、それぞれが相互排他的(つまり、いずれか一人のヒロインのシナリオへ完全に択一分岐する形)ではなくて、かなりの程度まで両立可能なまま進められるというものだ。つまり、ヒロインAのシナリオを、イベント1、イベント2…のように進めていっても、その途中からヒロインBやヒロインCのイベントをイベント1'、イベント2'…と進めていける余地があるということだ。ヒロインAのイベントを発生させたからといって、他のヒロインのイベント発生が妨げられることが無いということだ。そうしたフラグ並列進行スタイルを徹底したところにあるのが、ソフトハウスキャラのゲームデザインだ。
  そしてそれは、イベント配置システム(イベント発生制御システム)の観点で言えば、一般的(あるいは理念型的)には、一元的な日付管理システムを所与として、それぞれの時点で個々のヒロインがそれぞれどこに居るか(つまり選択的に会えたり、あるいは会えなかったりするか)が定められているというものだ。
  この古典的なスタイルを、90年代型『同級生』シリーズなどは大規模に展開していたが、当然ながらそれはイベント間の衝突の危険があるし、大規模になればなるほど飛躍的に難しくなり、しかも基本的にはフラグ管理とイベント管理を同時に行う制作者個人の能力に大きく依存する。実際、『同級生』クラスの作品は、一般的にはむしろ「常人には真似のできない天才の仕事」だと評価されているくらいなので、それを模範として他のAVG群を批判するのは過当要求であって、応答のしようが無い。
  そのようなシステムでは、自動イベント(強制イベント)を挟むのは難しいし、また現在の白箱系は複数キャラが賑やかに登場するコミカルシーンを重視しているので、並列進行システムによって個別ヒロインの状態(どこまでイベント進行していて、どのような知識を得ており、どのような関係になっているか)が制御できなくなると、そうした集合イベントが難しくなる。まさにwtnb氏が指摘している[tw: 709588129544417281]ように、『ToHeart』ですらヒロイン間の交流を回避せざるを得なかったくらい、『同級生』スタイルのイベント制御は難しいのだ、というのが公平な評価だろう。やはり、どのようなスタイルを採るかという選択の問題でしかない。

  とにかく、白箱系のみを取り上げてアダルトゲーム全体を語るのは偏りすぎている。SLG系ブランドの作品を――alicesoftだけじゃなくてね――ちゃんとプレイしてから語ってほしい。

  それ以外の論点でも、特に黒箱系やSLG系では「ゲーム開始からすぐにアダルトシーンを出す」のは当然のように行われているし、逆に白箱系(純愛系)ではそんなことはそもそも分野的特性からして困難なのだから、筋違いの要求でしかない。

  そういえばこの方は、少し前にも、[tgttr: /li/897542 ]のようなことを口にして周囲から総ツッコミを受けていた(――ちなみに、こちらの議論に絡んでいる人たちも軒並みアレな人ばかりだが。残念すぎる)。以前twを利用していた頃は私もフォローして拝見していて、傾聴に値することもいろいろ仰っている方だが、アダルトゲームに関してはかなりバイアスの掛かった主張をされるので、そちら方面に関しては眉唾で見ている。



  03/11(Fri)
  うう……しまった、ゲームに興が乗って、完徹しちゃった……。


  最近の白箱系は、和装ものがちょっとしたブームになりつつあるようだ。いや、ブームと言うほどではないが、一昔前までは巫女キャラが注目されていたのがせいぜいで、それ以外は、独自の趣向として認知すらされていなかったのだから、これは大きな変化だろう。
  直接的には、一連の歴史ものが牽引してきたと思われるが、白箱系では『天神乱漫』(2009)、直近では『ものべの』(2012)の影響はあっただろうし、『なでしこドリップ』(2011)あたりもブームの先触れの一つだったかもしれない。もちろん、以前だってそうした方向性のタイトルが皆無だったというわけではない。忍者キャラや、現代風の和服、和装ウェイトレスなどはそれなりに多かったし、とりわけ『七彩かなた』(2006)には十二単キャラがいたり、桐月氏企画作品にはしばしば和装キャラが登場したりしていた。


  新記事:「学園恋愛系ブランド群」。



  03/08(Tue)
  00年代もすでに17年目ということは、私のアダルトゲームキャリアも、そのくらいになりつつあるのか。さすがに20年の大台はまだまだだし、中断や停滞の期間もわりとあったので、丸々20年間というには相当遠いが、それでも十年を優に超える歳月の楽しみをこの分野とともに過ごしてきたことに変わりはない。20年前(つまり1996年)から現在までずっとこの分野を定期的にプレイし続けているユーザーは、いったいどのくらいいるのだろう。


  [tw: 707096215985348609 ]
  この方はとても真面目な方だとは思うが、私とは価値観が合わないなあ。私にとっては、8bit(風)の画像作り――あるいは、それに限らず/それに類する、大ぶりなドットワークであれ、レトロPC風の16色表現であれ――は、比較的単純な色の職人芸的な配置やタイルパターンの効果的な応用から、素人目にも一見明らかなそのユニークなスタイルによって、新しい視覚的な面白さを、そしてそれを楽しむ感性こそを生み出した点に評価している。それを生み出すことになった技術的要因としての、機能上の表示制限のあるゲームグラフィックという性質(に関する了解)は、その新たなスタイルが受容される事実的基礎ではあるが、その工学的な技巧の高低は美学的射程の如何にほとんど関与していない。ドットワークの面白さは、それがたまたま成立した当時のデジタル環境の条件の歴史的限界に縛られるものではなく、むしろそうした事実的環境条件を踏み越えた地点においてもなおも固有の美として成立し得るものだと考えている。
  もちろん、一つの分野の美学が、それを現在に至る形で成立させている一定の物理的条件に対してそのような評価を与えることはあるのだが。つまり、実際には歴史的偶然に大きく左右されていたに違いないような環境要件を、当事者が、単なる偶然的な(つまり無視しても構わないような)所与と見做すのではなく、その分野の美的存立や価値観そのものと密接に結びついているのだという信念を共有していることは、しばしばある。私はそれらの多くを、できるかぎり自明視しないようにしている。
  また、しばしば語られる「機能美」という言葉も、私は基本的に信用していない(――つまり、「機能美」という言葉は、趣味分野の多くの場面で、いわば埋め草的に使われるクリシェに過ぎず、実際には機能性の理解が美的認識や美的価値に結びついてはいないように思われる)。
  要するに、「機能美」なるものが全てだという見解にコミットするつもりは無いし、その観点以外の美意識(が生まれたこと)の方が重要だと思うし、そうしたより広い美意識を縛り付けようとするならばその「機能美」的主張の方こそが放擲されるべきだと思う。


  原作では胸部にボリュームのあるように描かれていたキャラを、二次創作でイラストレーターさんが上品なスレンダープロポーションにアレンジして描いておられると、感涙に咽び泣く思いで心中快哉を叫びつつ心ゆくまで眺めるのだが、実際にはその逆の実例の方が世に溢れているのだし、そしてその逆のパターンのおかげで喜んでいる人(閲覧者)たちもいるわけで、だから後者のパターンをキャラ改竄だなどと一方的に悪く言うべきではないのだなと反省もする。


  【 一河氏について 】
  スレンダー特化というと、一昔前は大槍氏が別格の存在だったが、近年ではアンモライトの一連の一河原画タイトルが傑出した存在だろう。『夏色蜜汗』『妻色少女』『お兄ちゃん、教えて……』は、芹園ヴォイスのスレンダーワントップヒロインのピンク系ロープライスタイトルとして絶品。可愛らしい、絶妙の曲線を描いた頬の輪郭。ごくわずかにツリ目気味ながらキツさは感じさせない、美しくつぶらな瞳。構図とポーズに合わせてごく微妙な変化をつけて、全身の動きや、とりわけ頭を傾ける愛嬌ある仕草をよりいっそう魅力的なものにしている頭髪表現。細いが細すぎず、人体としてのきちんとした存在感のある胴体。折り曲げた脚部の表現に、立体感と肉付きと色気と恥じらいを湛えているところ。等々。そういえば、『夏色』『妻色』もゆったりしたワンピースで、『教えて』の看護服もワンピースのようなものだが、これは過剰にボディコンシャスにしすぎない開放的で優しい雰囲気にも寄与しているし、その着衣の空間的余裕はまさにスレンダー&小柄なヒロインに相応しいものでもあるし、そしてもちろん低年齢――もとい、えーと、こほん――ヒロインに親和的なファッション的意味作用でもある。
  たぬきそふとやGaletteよりもこちらの方が好みなのは、要するに私としてはべつに寸詰まりな路理キャラが欲しいわけではなく、てあくまでスレンダーヒロインの美しさを鑑賞したいからなのだろうと自己理解している。

  一河氏については、たまたま『兄妹秘哀』(2012)をプレイして、特にヒロインの立ち絵がたいへん可愛かったのがきっかけでファンになった。それ以降は基本的に全て買って楽しんでいるが、残念ながら2011年以前のタイトルは全然プレイできていない。描かれる絵については、上記のような美点があるが、柔らかめな両目の表情や、ほっそりした両肩の雰囲気、なだらかな腰周りの曲線美もあるし、なにより、身体のひねり具合や両腕/両足のポージングにたいへん情趣ある表情が出ているのがたまらなく素晴らしい。

  現在活躍している路理系ブランド、あるいは路理系に強いブランドといったら、あとは、えーと、エレクトリップ(ただしM志向)とLose(『ものべの』で一気に名を上げた)くらいだろうか。人によってはFAVORITEも挙げるかもしれない。

  手許のスクリーンショットやweb上のサンプル画像を眺めていていきなり薄目の呪いを踏んでしまっても泣かない。泣かない。


  [ www.carolworks.com/products/bokubatsu/img/sample/img_sample02.jpg ](※アダルト注意
  これ、どう見ても二人の下半身が融合しているようにしか……。男性側のお腹のボリュームもとんでもない(というか、そもそもどこがどう描かれているのかも分からない)し……。いったい何がどうしてこうなったんだ。原画と着彩の両方が大失敗しなければこうはならないと思うのだが……。



  03/03(Thu)
  『プラネットドラゴン』……ぱっと見てあまり繋がりの無さそうな名詞を並列しているところが、『海賊王冠』みたいでいかにもソフトハウスキャラなネーミングだと思った。『王賊』のようなヘックス制の何かなのだろうか。内藤×佐々木コンビなのは間違いない。


  SFでドラゴンというと……最初に頭に浮かんだのはゼフィリスだった。


  『アマカノ』のアダルトアニメ版が発売されているとのことで公式サイトを見てみたら、上巻が上林さん編で下巻が星川さん編で、キャストも原作どおりで……えっ、下巻? 肝心要の高社さん編は無いの? そんな……。


  [tw: 702121496823476225 ]
  なんとうらやましい休日の過ごし方。


  十分に発達したCUBE作品は、かぐやと識別できない……というほどでもないか。



  03/01(Tue)
  [twID: yukayuka0605 ]
  ろくがつごんち生まれさんですね!
  出演作品のご紹介や猫写真の投稿もされていて、見ているだけで幸せになれる。


  『勇者砲』Ver.1.11か……。個人的には、あまり好きになれない方向性の修正だ。「攻撃力上限を上げる」から始まって、「→最大Lvを99にする→獲得経験値をいじる→経験値割増スキルを下方修正」というのがいかにも泥縄な感じで、しかもプレイヤーにとってはゲームバランスの変更だけでは済まず、SLGパートでの稼ぎ(育成)を促されることになり、かといっておそらくAVGパートのイベント追加などの新味もないというのは、いかにもセンスが無い。


  ここ最近、とりわけ昨年下半期から、小鳥居氏の出演作にやたら遭遇してきたような気分。実際にはタイトル数としてはそれほど多くもないし、出演されているタイトルの総数もそんなに多くはない(EGScapeによればこの2月末時点で22本)のだが、好みのブランドへのご出演や、注目している他の声優さんとの共演が結構多いので、遭遇率もかなり高い。ただし、芝居のあり方としては、まだよく分からない。勢いのある賑やかなキャラクターや、瞬発力の要求されるギャグキャラよりも、『こころリスタ』のアルファや『PH2』のアリスティアのように大人しくじっくり聴かせる役柄の方が、この役者さんの実力をより良く引き出しているのかなと思ったりするくらいで。


  某O大学のスーパーなんちゃらの言語感覚の悲惨さは、「究極(アルティメット)」なんたらとか「闇スーパー」ほにゃららと通ずるところがあるよなと思ったが、それはべつに『BADBROS』の脚本に研究者並の鋭敏さがあるとか世界的水準の視野の広さがあるとかいう話ではなく、そうではなくてむしろ、「高度に文科省的センスにすり寄った大学発プロジェクトのコピーライティング(及びそれに相伴われる企画内容それ自体の水準)が、オールドファッションでバンカラ志向な中二漫画のそれと識別できない程度のレベルである」ということに他ならない。もちろん問題は、言語表現だけでなく、それどころか、あの内容のいかがわしさにあるのだが。

  「スーパー」じゃなくて「ハイパー」だったら、『Hyper→Highspeed→Genius』な『はぴねす!』になったところなのだが。オチは「(予算が)どんぶり勘定」。



  【 ゆず原画について 】
  ゆず作品の一枚絵は、ゲーム一枚絵というよりも、どこか写真を――しかもスナップ写真を――見ているような気分になる時がある。肩肘張らない日常風景の自然さ。絵を見るだけでその場の状況がはっきり伝わってくる説得力。過剰なポージングや作為的な構図を使わずにそれを表現しきっている巧みさ。写真に準えることができるほどの、的確で安定感のある空間表現と、それから前後の時間の流れがある中で絶妙の一瞬を切り取ったかのような迫真性。ライヴ感のある、キャラクターたちの生き生きした表情。そしてそれらを通じて実現されている、ヒロインたちの魅力。旧作もそれぞれに良かったが、なかでも最新作こそは、この観点でみて抜群の出来だった。例えば、「ワイド画面のイベントCGにありがちな珍妙なレイアウトの傾きが、ほとんど出てこない」という一点を確認するだけでも、そのレイアウトの上手さは分かるだろう。

  ただし、残念ながら、着彩は相変わらずあんまり好みではないのだけど。

  このおそろしく安定感がありその場の状況の焦点にきれいにピントの合っている原画は、この現代のアダルトゲーム文化においては、もしかしたら良いことばかりではないのかもしれないが。ワイド画面が一般化して以降いや増して顕著になってきた、アダルトゲーム特有のあの奇妙に傾斜したレイアウトや、しばしば距離感の不明瞭さゆえに捉えどころなく全体が迫ってくるかのように見える着彩流儀は、いわば一昔前までの特撮表現がそのぎこちなさの故にかえって不思議な迫力と臨場感をもたらしていたのと同じように、アダルトゲーム体験の中で際立って印象に残る特有の分野文化的な感触と視覚的なスペクタクルを提供してきたのかもしれないのだが、こぶいち/むりりん両氏の絵からはそのようなコントロールの不徹底に由来する両義的なゆらぎが完璧に払拭され(てしまっ)ているからだ。
  アダルトゲームの絵または原画家について、時として、「上手いけれど萌えない」「上手いけれど扇情的に感じない」といった主張が提起されることがあり、私は基本的にはそのような考えには与しないが、そうした主張の中にもしもどこか汲むべきニュアンスがあるとするなら、それは上記のような分野的特質と関わるものなのかもしれない。


  [ circus-co.jp/product/ds/character/index.html ]
  「喋る帽子」キャラというと、『マジカルウィッチアカデミー』のジークフリードもそうだったけど、あちらは男性ヴォイス(谷氏)だった。上田氏の、このどこから声が出ているのか分からない芝居ぶりは、このキャラの設定に合っている……のか?