2017/05/31

2017年5月の雑記

  2017年5月の雑記。(→6月4月


  05/30(Tue)
  低クオリティの耐えがたさを別とすれば、私にはNG要素はあまり無いと思う。悲劇的展開も設定撞着もパロディも異カプも、気にならない。過度の生理的グロはたぶんきついと思うけど、一般的なスプラッターの範囲内ならば大丈夫。ワッとおどかすタイプのホラーはちょっと苦手だけど、それは生理的反応レベルの問題であって、価値観に根差した好悪の問題ではない。
  もしかしたら最大のNG要素は、実生活上の知人の名前(姓/名)が登場人物の名前になっている状況かもしれない。ごく普通の知人であれ、近親者であれ、友人であれ、嫌いな人物であれ、あるいは身近でなくとも有名な人物やたまたま私が知識として知っている実在個人であれ。創作物を享受している時に、そういう実生活上の卑近なあれこれの記憶によって攪乱されるのは、とても不快なものだ。アダルトゲームでも、主人公の名前が実弟と同じものがあって、それをプレイするのはたいそう辛かった。声優が同じ名前のキャラクターを演じているのに対してもやもやするのも、おそらくはこれに通じる心理的機序によるものだろう。


  昨日の写真は差し替えようかな……。背景への写り込みに過ぎず、しかも創作性の乏しい商品写真ばかりであって、侵害性はきわめて低いとはいえ、あまりよろしいことではないので。私自身も、他人の創作物の扱いに関するモラル(または法意識)が低きに流れつつあるのかもしれないので、あらためてみずから戒めたい。
  →適当な背景で撮り直して差し替えた。グレー単色の味気ない背景になってしまったが、中途半端な疚しさを抱えているよりははるかにマシだし、本体部分の可愛らしさは損なわれていないのだから、満足すべきだろう。それどころか、上目遣い気味に撮ったので魅力が増したくらいだ。

  ブラウザの検索画面の写り込みは、屋外での写り込みとは意味合いが異なるし、そもそも撮影者(私自身)によって操作された結果だし、私の所有物の写真でもない。それに対して、多くの人がおこなっているような「今日買ったものを撮って見せびらかす」行為は、一応は当人が購入してみずからの所有物とした物を撮影しているのだし、それも店頭で露出しているようなガワ部分(パッケージや表紙)の粗い画像にとどまっており、権利侵害性という観点では比較にならない。もっとも、パッケージアート全体を正面から高解像度できれいに撮影したり、あるいは自己の所有物だからといって書籍の全ページをマイクロフィルムのように撮影公開するのは、当然不法になるだろう。


  映画は好きだけど映画は大っ嫌いだ。本編上映が始まるまでに、押しつけがましいCM映像を何本も見せつけられるのは耐えがたい。画面が暗転して本編が始まるかと思いきや、またもや次のCMが始まってがっかり。そろそろ本編かと思えば、またCM。続いてCM、CM、CM。そういう落胆を繰り返していいかげんに飽き果てた頃にようやく、ぬるっと本編が始まってしまう。しかも、映画館が告知している上映時間は正確ではなくて、例えば「13:00~15:00」とある場合、実際には13:07頃まで延々CMを流すのだ。そして本編終了時間も、その分だけ後ろへずれ込む。ほとんど詐欺まがいの時間指定を公然とやらかして、CMを半ば強制的に見せるのだ。私は本編映像の始まる最初の一瞬から最高度の集中と没入をもって体験したいのに、その準備が映画館によって致命的に傷つけられる。やってらんない。もちろん、そういう部分も含めてこの料金になっているという商売上の理屈のは分かっている。代価を――例えば5000円を――払ってCM無しの環境にできるならばそうしたいくらい。
  しかも、隣にはどんな客が座るか分からない。落ち着きなくゆさゆさと身体を動かしている輩、上映中ずっとポップコーンをもしゃもしゃ食べている奴(禁止行為ではないけれど、隣でやらかされると腕の動きが視界に入って非常に鬱陶しい)。挙げ句は映像を無断撮影しようとする徒輩(実際に遭遇したことがある。本編前のCM映像をスマホ撮影していたので、肘で突いて「止めなさい」と咎めた。撮影していた映像に鑑みて、おそらく『Fate』オタク)。映像作品を鑑賞している最中に、周囲数十cmの距離にそんなのが何人もいる(あるいはいる可能性がある)なんていうのは、望ましい視聴環境には程遠い。自宅でディスク視聴する方がはるかにマシだ。
  本編の作りも、残念ながら視聴体験の毀傷を助長しているかもしれない。プロローグパート(アニメ的に言うならばアバン)を置くスタイルが普及したせいで、「タイトル表示のうちに心の準備をする」ということも出来なくなっている。さらに言えば、視聴覚環境もたいしたものではない。高音はキンキン、低音はドスドスで、なんともデリカシーに欠ける。映画館でしか視聴できない作品があったり、あるいはまさに今観たい作品があったり、あるいは映画化されたので観に行って応援(貢献)したい作品があったりするのだが、そういう作品を人質に取られてこんな惨めで苦痛に満ちた体験をさせられる羽目になる。素晴らしい映画作品は無数にあるし、総体としての映画文化ももちろん良いものだが、しかし現在の映画産業のありようは大嫌いだ!!!


  『クロノクロック』を「クロノクロミー?」とボケる機会は逸してしまった。


  アダルトゲームのテキストでも、怒りマークや汗マーク、ハートマーク、照れマークなどは、90年代から時折使われていた(例えばF&Cなどは、そういうカジュアルな記号を躊躇無くゲームテキストに取り込んできた)。ただしそれはおそらく独自にフォント(画像素材)を作って組み込んだものと思われる。一般的なコードに含まれる絵文字や、現代の外部サービスと連携した拡張的記号の再現は、まだ行われていないようだ。ただし、スタンドアローンなゲームとしてのアダルトゲーム(とりわけAVG)にとって、そうする必要性は希薄なように思われるが。
  テキストボックス内のアニメーションも、もちろん技術的に可能だし、実際に行われてきた。典型的にはクリック待ちアイコンのアニメーションは、古典的にはアイコン点滅という原始的なかたちで行われていたが、00年代初頭にはすでに凝ったアニメーションのクリック待ちアイコンが多数現れていた。テキストそれ自体のアニメーションも、ゲームエンジンサイドで様々に操作されてきた。さしあたり思い出せるところだと、LittlewitchのFFDでは、テキストそれ自体が伸び縮みしたり震動したりしていた。『白詰草話』(2002)や『Quartett!!』(2004)の頃の話。テキストの色変えや部分拡縮といったフォント操作も、00年前後のタイトルではすでに実用化されていた。


  ぜろねんだいなんちゃらは、議論それ自体の知的成果という観点でも、人材の発掘/育成/輩出という観点でも、はたして何かろくな成果があったのかというと……。


  ネットのオタクイラストで、「顔立ちは子供っぽくあどけない」+「体つきは非常にグラマラスに、よく発達している」というタイプの絵を、どうも一人分の人体を描いたものとして認識しにくくなってきた。首だけすげ替えられたツギハギの絵を見ているかのような、あるいは二人のイラストレーターが中途半端に合作した絵を見ているような気分。そういうタイプの絵はすでにありふれているし、今後もさらにその傾向は強化されていくであろうと考えられる状況に鑑みるに、これはオタクとして生きていく上でまずい徴候かも……。


  ああ、あれはそういう話題だったのか。NG要素書いてくれ派は、ネタバレゼッタイダメ派とぶつかり合って共倒れでもしていてほしいかな。
  他人の創作物に触れるというのは、人畜無害なお楽しみの楽園体験ばかりではない。予想外の衝撃があることはあらかじめ覚悟すべきだ。ただしその一方で、読んだ後では当該作品に対する好き嫌いをいくらでも語ってかまわない。そして、作品に関する事後的言論をネタバレと称して禁圧したがる輩に対しては、その口をこそ閉ざせと言いたいくらいだ。



  05/27(Sat)
  五月も丸4週間が過ぎてしまった。今月は心理的にストレスのかかる要因がいろいろあったし、気温上昇のような外的要因もあったため、残念ながらあまり生産的に過ごすことができなかった。良い作品との出会いもいろいろあったので、充実していたのは確かだけど、やはり時間の無駄が多すぎた。もっと効率的に、もっとたくさんのことをしたい。


  姉妹百合ものは好きだけど、なかなか出会えない。「お姉ちゃん大好きな妹」のような、いかにもありそうなパターンも、アダルトゲームには滅多に出てこない。『神樹の館』の双子姉妹のような実例が無いわけではないけれど、あれも恋愛感情というよりは特殊事情によるものだったし。


  なんと……歩氏と杏氏が『夜勤病棟』を語れるとは……というか、この話題でこのタイトルをすぐに出せるとは……。(台本準備されていた可能性もあるが、本当にその場の即答だったらすごい。)


店頭で見かけて、この可愛らしさに一目惚れしました。プライズ品が店頭売りされていた模様。当分の間、机の上に居ていただこう。写真の拙さはご容赦下さい。接写写真で見ると頭髪のディテールが甘いが、実物を眺めている分には気にならないレベル。

  ところで、もしかして私はグリーン系デザインのキャラに反応しやすいのだろうか。室内に展開されているフィギュアたちの色調を見るに、その可能性は否定できない。そういえば、アダルトゲームではいろいろな事件(?)や経緯があって緑色+眼鏡のキャラが危険視されがちだったりするが、私はどちらの要素もまったく気にならない。
  そういえば、学生時代にシックな色合いのホワイトとライトグリーンのコーディネートで「今日は抹茶アイスファッションー!」などとほざいていたのを思い出した。どんな趣味だよ……。

  上のシノンさんの服は、MMOものにもかかわらず、非常に渋い青丹~草色のグリーン。塗装は繊細なグラデーションが掛けられており、実売1500円にしては十分なクオリティ。右腕が関節を無視して棒状でありすぎるのと、上腕裏側の塗装がやや崩れているのが気になる程度で、全体としては十分鑑賞に堪えるレベル。ちなみに、沢城ヴォイスの眼鏡キャラだが、空を飛びつつ電撃魔法を発動させたり、舌を出して列車砲を言霊実体化させたりすることは無い。


  最近は書籍購入がとみに増えている。土日はともかく、外出した日はほぼ毎日書店に立ち寄って、そしてたいてい何かを買っている。一応ちゃんと消化(読了)できているし中味もほとんどハズレが無くて充実しているのだけど、自宅のスペースが圧迫するのは避けられない。


  机の周囲を見ると、外付けBDドライブの上とか、外付けHDDの上とか、PCバッテリーの上とか、DVDパッケタワーの頂上とかにそれぞれフィギュアが鎮座ましましており、さらに机の上にもタグボートや摩耶やF2ザクや車の人トミカがずっと置かれているという有様。特に1/350摩耶は、埃がずいぶん積もってきた。超精密キットなので埃を払うのも容易ではないが、それでも近くに置いて日々眺められるのは心の栄養になっている。



  05/23(Tue)
  新記事:「『ToHeart』雑感」。だいたいこんな感じだったかなあ。


  中村氏と大橋氏は、アニメ版『星空へ』と、PS Vita版ゲーム『月に寄り添う』『相州』でも共演されていた。ゲームは基本的に個別収録らしいので、顔を合わせていなかったかもしれないけど、『星空』はレギュラー参加同士だった。
  今回のラジオを聴いてみると、中村氏は、キャラクターのイメージなど、大事なところにおそろしくデリケートに気を使ってフォロー発言をしながら、ご自身に関しては大胆に自爆し続けているという……その知性の鋭敏さと誠意の真率さは痛いほど伝わってくるし、トーク全体は非常に面白いのだが、そういった発言もポロポロ出てくるので、聴いていてどう反応したらいいか分からず、妙に疲れてしまった。


  「キャスター」と言うと、通常はニュースキャスターを意味していると理解されるだろう。しかし「キャスター」と発音すると、家具等の車輪部分を指していると受け取られるだろう。この違いは何に起因しているのかと考えてみると、おそらくは、「日本語では通常は、後者のアクセントで発音されるが、『(ニュース)キャスター』を指す場合にはその連語が暗黙裡に意識されて、アクセントが変化している」ということではないかと思われる。
  同様に、例えば「プレイヤー」という言葉を日本語の枠内で単体で用いる場合には「プレイヤー」と言うことが多いが、「○○プレイヤー」という言い回しの場合には、(「選手」の意味であろうが「再生機」の意味であろうが)アクセントが変化する。例えば「オーディオプレイヤー」や「(スポーツ)プレイヤー」など。おそらくこうした原理が作用しているのだろう。
  こうした事情からして、「"よくすべるキャスター"」のダブルミーニングを音声芝居で表現するのはおそらく不可能だろう。あくまで小説や漫画などの文字媒体でのみ成立する言葉遊びだ。いやまあ、音声でもフラットに発音してしまえばうまく通るだろうけど。


  どうして私はこんなにも白雪氏のことが怖いのだろう。べつにサドマゾヒズム的な意味合いのものではない(キャラクターに入り込みつつも同時にクールな距離感も感じさせる方だ)し、びっくり箱のようにビクビクしているというわけでもない(むしろ非常に安定感のある芝居をされている)。たしかにドスの利いた芝居が多いけれど威圧感があるというタイプでもないし、儚さに対する怖れでもないだろうし、尊すぎるというのも少々違うようだ。自分でもよく分からないが、確かに怖い。恐怖というよりは、聴いているこらちが居住まいを正さずにはいられないほどの、その芝居の現前から逃れようとすることが出来なくなるほどの、芝居に対する真摯な取り組みようとその気迫を感じているということなのかもしれない。実際にどんなお人柄なのかはまったく存じ上げないが、とても真面目で精神力の強い方なのだろうかと想像してみたりもする。そしてその緊張感は、音声表現芸術に対する聞き手側としての私に対しても、安易な聞き流しを戒める峻しく清らかな刺激となっている。
  そんなこんなで、小鳥居氏とは別のかたちで、「聴いてしまうのが怖い声優さん」の一人になっている。まあ、饅頭怖いの一種ではあるのだけど、出演作をプレイすることに対して常に憚りと躊躇いが頭をもたげてくる。そういった諸々をひっくるめて一言で表している感想が「怖い」なのだ。


  「男の娘」を部分的に反転させた「女の娘」という言葉はあるのかなと検索してみたら、どうやらわりとありふれた発想だったようだ。しかも、何故か女装男性の方々がしばしば使っているようだ。よく分からないけど、「男の娘」の「男」の部分をも「女」に書き変えてしまえるほどに徹底的に女性化しているという趣旨なのだろうか。
  男性がまるで娘さんのような仮装しているのを「男の娘」と呼ぶこととアナロジカルに捉えるならば、「女の娘」とは、成人女性がまるで少女のように装うことを指す言葉として使うことができるかもしれない。例えば、ちゃんと三十代の立派な女性になってもプロフィール画像をツインテールにされていてしかもそれがきれいに似合っている声優さんとか、立派な三十代なのにミニライヴでお会いした際に下手をしたら中学生くらいにしか見えなかった声優さんとかは、この言葉に当てはまるかもしれない。


  【 トロフィー雑感 】
  双方を達成することが不可能な「トロフィー」の組み合わせといったらどういうものがあり得るだろうか。単体で実現不可能なトロフィーは除外するとして。単純に「○○したことがある」という経験を条件とするものであれば、同時には両立しない複数の条件でもステータスを推移させることによってトロフィーを累積させることは可能なので、順番に満たしていくことができてしまう。
  一つは、累積不可能なように択一的条件を設定するというものだろう。例えば「初回プレイでエンディングAに到達する」と「初回プレイでエンディングBに到達する」の二つのトロフィーを設定して、なおかつエンディングAとBは排他(同時には達成できない)とすれば、二つのトロフィーは完全に択一的なものになる(つまりトロフィーコンプリートは不可能になる)。要するに、再現不可能な一回性の条件を導入すればよい。
  もっと単純な形式としては、事後的には変更不可能な要素(アカウントの同一性を破棄すること無しには初期設定を変更できない要素)について、択一的な条件を設定するというのでもよい。これも、少なくとも初期状態においては択一的条件のいずれをも満たしうる可能性が提供されているが、いずれか一つを実現するとべつのものが実現不可能になる。
  あるいは、多少ひねって、相互入れ子構造にすれば、択一的になり得る。例えば、トロフィーAの条件は「トロフィーBを未達成の状態で別の特定の条件αを満たすこと」であり、トロフィーBの条件は「トロフィーAを未達成の状態で別の特定の条件βを満たすこと」であるならば、AもBも個別に達成することは可能である(実現不可能ではない)にもかかわらず、一人のプレイヤー(一つのアカウント)が両方を獲得することはできない。Aを達成した時点で、まさにAを達成したがゆえに、Bが達成不可能になるからだ(そしてその逆の関係も同じ)。
  これらの他にも、適当なパラドックスをアレンジすれば、両立不可能な二つの条件を想像することはできるだろう。
  ……うん、まあ、何の面白味も無い話だね。ただ単に特定の単一のトロフィーが獲得不可能であるというのではなくて、トロフィー間の択一性のゆえにトロフィーコンプ不可能になっているような事例が実際にあるかどうかは知らない。

  アダルトゲームでは、CG鑑賞モードやイベント回想欄の存在が、いわゆる「トロフィー」と似たような機能を果たしてきた。単なるエンディングコンプリート(物語の全ての結末をおおまかに読み切る)だけではなく、本筋に影響しないような細部の差分まですべて埋めることを、プレイヤーたちに動機づけてきた。あるいは、特定の条件を満たすことで、局所的に特別なイベントが発生したり専用の褒賞的なイベントCGが表示されたりするというパターンもある。
  そもそもアダルトゲームは大半がマルチエンド形式であり、しかもそれぞれが基本的には等価値であるため、唯一の(そしてそれゆえ最も望ましい目標となるところの)エンディングというものが存在しない。そのため、古典的なSTGやRPGのようにエンディング到達のみをゲームの目標にすることが、恋愛AVGには難しい。CGコンプリートや回想コンプリートは、「エンディングコンプリートに対するさらなる追加的挑戦要素」なのか、それとも「エンディング到達に対して、外在的次元から価値を設定することができないがゆえに、いわば代替的にCGコンプリートがゲーム促進的目標になったのか」、はたまた「単なる偶然の積み重ね」であるのか、事態の解釈は難しいが。
  トロフィー要素の実例としては、横スクSTG『ぶるにゃんマン』やRPG作品『イブニクル』のような非AVG系タイトルには、明白なトロフィー相当の機能や、本筋外のコレクションチャレンジが時折設けられてきたし、AVG系作品でもコンシューマ移植版でそうした要素が導入されることがあるようだ。お遊び的なコイン集めがあったのは、『_summer』(2005)だっけか。あれはコンピュータAVGにおける「トロフィー」的アイデアの比較的早い試みだったと言えるかもしれない。

  アダルトゲームにも、ある条件を満たすと特定の状態には到達できなくなるというものがある。例えば、あるSLG作品では、配下ユニットがすべてロストした時に特有のデッドエンドになる。しかし、2周目以降は不死身の(つまり絶対にロストしない)配下ユニットが自動加入するので、初周プレイのうちにそのEDを見ておくか、あるいは初周途中のセーブデータを保存しておかなければ、そのデッドエンドのイベントテキストを読むことができなくなる。
  もっとも、セーブデータを全消去するとか、あるいは(もし可能ならば)他のプレイヤーから初周途中のセーブをもらってくるといった対処も一応可能だし、そもそもそのデッドエンドはほんの数行の短いテキストで、わざわざ見るほどのものでもない。それでも、プレイヤーがあえてそのようなプレイをすればそういう状況に持ち込むことは可能だし、そして制作者側がその自由度の帰結にもきちんと対応してくれているのは嬉しいことだ。



  05/20(Sun)
  [ www.escude.co.jp/product/akatoki2/ ]
  あかときっつー!(※公式の読み) 今回もマントヒロイン天国になるようで何より。しかもボクっ娘までいるとは。キャストはまだ公開されていないが、これまでの起用傾向に鑑みて、おそらくアダルトゲーム分野メインで活躍している中堅どころをうまく配役してくれるだろう。
  むにゃむにゃな話をすると、このブランドはアニメ系の仕事が多い声優さんを起用することがほとんど無い。『あかときっ!』の葛西氏と『紅蓮華』の佐々氏は数少ない例外で、それ以外はPC(アダルト)ゲームメインで実力を高く評価されている声優ばかりだ。

  そうだ、せっかくだから魔砲器の運動を分かりやすく表現するために自動車エンジン音SEを付けることにして、連携攻撃の際にはキラキラな魔法陣エフェクトを展開するようにして、いっそ宇宙空間でも戦闘するようにして、ついでに創造石も可愛らしく金平糖みたいなデザインにして、メインキャストも小とりi…、いやまあそれはともかく。


  たまたま星(星団)の名前を冠した企業があって、それがたまたまアニメCMの制作を思い立って、話を持ちかけたアニメ制作会社にたまたま天文に詳しい知性派監督がいて、しかもどうしたわけか宣伝目的に囚われなくてよいということになって、最終的に繊細さと壮大さを併せ持ったジュブナイル天文ロマンになるだなんて、いったいどういう運命線のつながりを引っ張ってきたらこんなことになるんだ。これもプレアデス星人の科学力なのか。



  05/19(Fri)

  [ baseson.nexton-net.jp/kakumei-gi/character/data-gi04/ ]
  [ baseson.nexton-net.jp/kakumei-gi/character/data-gi04/image/image03.png ]
  今回の荀彧さんの立ち絵に心を貫かれた。おお、素晴らしい……。ちょっと怒ったような雰囲気で、エメラルド色の瞳を脇へ向けている表情。ネコミミ度が増したフード。毛先まで繊細なウェーブを形作っている頭髪。右手の可憐さと左手の緊張感の対比。切り立った縦のラインフリルによって否が応にも強調される上衣。衣服の薄いスミレ色と若葉色、そして京紫のリボンの不思議なコントラスト。ほっそりした肩口から、意外にボリューム感のある腰周りへのボディコンシャスな曲線(※実際には、腰を引いているためお尻が突き出ているように見えると捉えるべきかもしれない)。キュロットかバルーンパンツ(かぼちゃパンツ)のようなデザインの裁付袴の、膝周りのゆったりした感じとボーイッシュな雰囲気の不思議な取り合わせ。そして内股の姿勢。これまでの「かんたか」氏の同キャライラストと比べても抜群の出来だと思う。旧作のようなエキセントリックな「小心者ながら攻撃的な変態マゾヒストキャラ」ではなく、「あっ、この子、今まさに、この頭の中で妙なことをおもいっきり真剣に考えてやがる!」という雰囲気がよく現れていて、もうたまらなく可愛らしい。許されるならば私の自画像にしたいくらい。しかも、今回もおそらくCVは「みる」氏……本編はきっと素晴らしいものになるだろう。

  ちなみに、旧作ではこんな感じ。
  [ www.getchu.com/brandnew/275925/c275925chara10.jpg ](無印版)
  [ www.getchu.com/brandnew/570065/chara_all15.jpg ](『真』)
  [ www.getchu.com/brandnew/682047/chara_all15.jpg ](『萌将伝』)
  [ baseson.nexton-net.jp/sinkoi-eiyuutan/gi/character/image/image04.png ](『英雄譚』)
  [ koihime-ac.jp/img/character/bg-gi5.jpg ](『演武』)


  調子に乗って、講義の中でSUBARU車に言及してきた。(またかよ)


  今日もまた、室内に新たなオタクタワーが建設されました。


  「ω」字風の猫口キャラは、気に入る時もあれば、あまり好きになれない時もあって、自分の中でも距離感を掴みにくい要素だ。同一のイラストレーターや同一のキャラクターでも、好きになれる時となれない時が変化することもあるし、一人のキャラクターイメージ全体の一部として猫口要素を受け入れることができたり、あるいは逆に一人の猫口キャラクターが丸ごと好きになれなくなるきっかけだったりする。実に難しい……。


  『ノラと皇女』は、ラジオ開始の情報経由でアニメ化ニュースを知った。期待して待ちたい。 
  そういえば、まさかアニメでも「きんてきー!」台詞があるのだろうか。(いきなり不安になった)


  なーんだ、「パッションリップ」って、木村ヴォイスのスイートパッションと木葉ヴォイスのスイートリップの二人のことじゃないのか。



  05/18(Thu)
  イラストについてであれそれ以外の作品についてであれ、たしかにネットの人たちは技術面での具体性のある誉め方をしないよね……。日本のコミュニケーション文化の傾向なのか、日本のオタク文化の傾向なのか、あるいは日本のオタクの能力の低さの問題なのか、それとも伝え聞く「海外(他言語)」での状況も必ずしも一般化できないのか、事情はよく分からないけれど。
  どういう点が良いと感じたかを言語化(=意識化)して伝えることは、双方にとって有益なことだ。しかもそれは、さしあたりはべつに高度に専門的な技術的分析や傾聴に値する啓発的示唆などでなくてもかまわない。たとえば「特に腕のラインの描線が、見ていて気持ち良いです」とか、「グリーン系の色使いがきれいですね」とか、「可愛い小物の描き込みで、キャラクターのイメージがよく分かりますね」といった程度のシンプルな感想でも、それはどのようなポイントをどのように評価しているかを自分なりに選び取り具体化して表明する行為なのだし、そうした過程の積み重ねによって目が鍛えられていくのだし、言語化しようとする過程で新たな意味が見出されていく(自分の中で、あるいはコミュニティの中で、創出されていく)ということもあるのだし、そしてそれらは作り手側にも確かな手応えとしてフィードバックされていくだろう。
  オタクよ、もっと語れー。

  私自身は、そういうことをする場面(機会)自体がほとんど無いけれど、イラスト集CD-ROMを通販してもらった時のメールコメントや、あるいは即売会でクリエイターさんにお会いできた時のほんのちょっとした会話や、イベントの差し入れにファンレターを添えて渡す時は、「こんなところが良いですね」「こういうところが気に入りました」「どこどこの台詞が好きです」くらいのことは言うようにしている。もちろん、押しつけがましくならないように極力簡潔に、そして絶対に失礼のないように気をつける必要がある。



  05/17(Wed)
  純愛系タイトルでいきなりヒロインがハート目+口元ユルになると、ちょっとビビってしまう。
  いやべつに、黒箱系やピンク系ならば大丈夫というわけでもないのだけど。

  アダルト分野としてのAVGは、静止画ベースのメディアなので、視覚表現レベルでは吐息の描き込みや、体液のリアルな塗り、差分密度増大、モザイク処理への巧妙な対処といった、熟視に堪える細やかな官能性演出テクニックが、主に開拓され投入されてきた。その一方で、一目見てのダイナミックなアイキャッチ効果という点では、とりわけ10年代に入ってからは、しばしば隣接分野(アダルトコミックやネット上のお色気イラスト)から新技法や新たな感性を受容するという立場に回っているように見受けられる。
  ただし、重力や服飾縫製を無視した巨大風船バストや肉感的な人肌CGワークのように、元々はアダルトゲーム分野が主導的な役割を果たしてきた技法も多数存在する。また、(アダルトシーンにおける)一枚絵アニメーションも、アプローチそれ自体は前世紀から試みられていたし、00年代前半からは3D空間でのリアルタイムアニメーションが追求されるようになっていた(――無理なく受け入れられるような水準になったのはようやく近年になってからのことだが)。


  一時期はネット上でイカゲソ語尾の蔓延がたいへん鬱陶しかったけれど、作品それ自体には罪の無い事柄だし、それどころか作品はなかなか良い出来だった。ただしアニメ版の方は、主演の金元氏のクールな芝居ぶりがまさに当たり役だったし、藤村氏も役者としてのキャパシティの大きさを発揮して達者な芝居を披露されていたし、田中氏もいつもどおりの田中理恵的凄味をたびたび発揮していたのではあるが、構成面でのもどかしさ、演出面でのデリカシーの足りなさ、原作アレンジの気の利かなさをしばしば感じさせられた。

  また銀河語も見たいで銀河。漫画の「構成」をできるかぎり意識化して作り上げようとしていたシリアスな漫画家さんだったので、『スメラギ』からさらに先へ進んだ新作を読みたいで銀河。


  私もイージーなオタクなので、好きな作品と好きな作品を混ぜた二次創作を見るとほぼ自動的に大喜びします。二次元キャラたちで映画の名シーンを再現したイラストとか、アニメキャラに別のゲームのコスチュームを着せるとか。そういえば、ゲームキャラに既存オペラを演じさせるというのを以前に妄想したことがあった(cf. [ twlg: date-100303 , date-100311 ])が、これも「好きなものと好きなものを掛け合わせれば当然シナジーが生じるはずだ」という安直な発想だった。


  ひゃっひゃっひゃっ、記事にネタ写真を載せるのは楽しいのう。(ごめんなさい)

  車両の諸元からキャラクターの設定のことに考えを振り向けて、そういえば5人の身長設定等ははっきりしないのだった。『アートワークス』を見ても、もちろんスリーサイズのようなプライヴァシーに関わるデータは載っていない(設定自体が無いのかも。そのわりにドライブシャフトはミリ単位での設定が記載されていたりするが)。39頁のイラストを見るに、どうやら身長は「みなと>ななこ>いつき>あおい&すばる≧ひかる」のようだが、どこまで忠実なイラストなのかは判断できない。
  作中では、例えばOPの横顔カットでは、ひかるとあおいよりもすばるの方が少しだけ高く描かれている。本編中の描写もおおむねこのとおりだが、すばるとあおいの身長は曖昧で、両者がほぼ同じ高さで描かれていることもあれば、「すばる>あおい」の差のあるカットもある。

  EDのバドミントンのカット、「身体能力の高い天才肌のひかる&パワーキャラ(?)ないつき」対「文学少女のあおい&鈍くさいと言われるすばる」では、勝負にならないのでは……。ちなみにななこも、本編中の活劇シーンではほとんどまったく活躍していないが、身体能力の問題というよりは、プレアデス星人の通訳に注意を振り向けているせいでパフォーマンスが落ちているのか、あるいはプレアデス星人のために後衛に回っているのかもしれない(もちろん演出上のキャラクター配分でもあるだろう)。あおい&すばるはコンビでの頑張りがクローズアップされることが多いし、ひかるはドライブシャフトコントロールの巧さが随所で描かれているし、いつきも3話などで主に馬力を活かした活躍が何度かある。



  05/13(Sat)
  萌え単眼がここまで普及するとはなあ……。かなりマイナーな嗜好だと思うし、ひとによってはグロテスクとすら認識するであろう造形だが、10年代に入ってからはオタクイラストでも大量に描かれるようになったし、商業レベルでも露出するようになってきた。2006年の『戦国ランス(Rance VII)』には「野菊」という単眼女性が登場する(cf. [ www.alicesoft.com/rance7/img/chr67.jpg ])が、これは商業レベルでの比較的早い実例だろう。それに続いて、『魔物たちとの楽園』シリーズの第五作(Vanadis、2011)にも単眼ヒロインが登場した。この点では、アダルトゲーム分野はわりと先進的だったと言えるかもしれない。いずれにせよ、マイナーな嗜好も堂々と享受され、あるいは公然と表現されたりするようになるというのは、オタク界における嗜好の多様化(豊饒化)を示すものであり、また、オタク界全体のキャパシティの増大をも意味しており、そしてさらには、マイナーであった嗜好すら一定のプレゼンスを得られるほどまでにオタク界への参加者が量質ともに高まっているということの現れだろう。


  駿河屋を利用したことは無いけど、そういえば実店舗もあるらしい。関西だとJRの高槻駅と兵庫駅の近くにあるようだ。一度行ってみようかな。
  →行ってきた。品揃えのヴォリュームはまあまあ。すばるちゃん(トミカのレガシィ)があったので、記念に買ってきた。トミカでは、残るはいつきちゃん(フォレスター)だけか。


  他地域ではどうか分からないが、関西(特に大阪)では、2015年頃から(中古)アダルトゲーム売り場が一気に縮小した。Ydbsのアダルトコーナーも閉鎖したし、a-twoやSfmpの中古売り場もずいぶん小さくなった(アニメやフィギュアに押されている)。新品入手不可能なものなどは、中古でもいいから早いうちに買っておけばよかったと思うが、後の祭り。
  コンシューマ系レトロゲームであれば、ソフト(カセット)剥き出しでもコンパクトに管理/販売できるのだが、PCアダルトゲームの場合は巨大な紙箱パッケージが販売スペースや在庫スペースを圧迫してしまうのも仇になったかもしれない。私自身も、自宅に収納できるスペースがもはやほとんど無いので、買うに買えなくなっていた。紙箱は潰してしまってディスクだけを保管するということは可能だけど、可愛らしいパッケージたちを破り捨ててしまうのは可哀相だし……。



  05/12(Fri)
  そのイラストレーターが昔描いていた絵は、描き込みの少ない簡素な可愛らしさが、ウェットな塗りの取り合わせの間で幸いにもバランスがとれていて、ぼんやりした表情づけもアルカイックな魅力として作用していた――のだが、十数年ぶりにリメイク版で同じキャラクターを描き直してみると、服装や頭髪のディテールが中途半端に増しているおかげで、キャラクターの表情の平板さがかえって際立ってしまい、一枚絵背景の描き込みの貧弱さやレイアウトの無策ぶりも露呈し、さらには色彩設計の大胆な単純さも失われて、個性の弱い薄っぺらいCGにしか見えなくなっていた。しかも、昔の絵ではしっとりした影の濃い色合いがその作品の雰囲気(状況設定)にもうまくマッチしていたのだが、その画風の変化は不幸にして当該作品のコンセプトをも裏切るような軽薄な明るさを志向していた。……こんな残念な変化もあったりする。


  【 アニメ系声優の「世代」 】
  アニメ系声優さんは、1987年生まれくらいまでの世代は錚々たる顔触れだし、1993年以降の新世代は新世代で何人もの才能が頭角を現してきているが、その間の88~92年くらい(20台後半)はあまり覚えが無いなあと、ちょっと調べてみた。……ああ、そうか、この方とかこの方がその世代だったか。たまたま私個人の経験範囲の作品で、 あまり耳にしてこなかっただけのようだ。
  それにしても、若手男性声優の乏しさは怖いね……。85年以降の層(といっても32歳以上!なのだけど)がおそろしく薄い。上の世代が詰まっていて新人が参入しにくいのも良いことではないし、逆に世代交代が早すぎて芸道の蓄積と深化をする余裕が無いのも困る。
  アダルトゲームはというと、10年代に入ってからドラスティックな世代交代が生じてきた。この分野ではおそらく「最初の」世代交代だが、うーん、どうなんだろう、才能の更新という観点でも、技術の継承という見地でも、多様性の確保という意味でも、わりと円滑順調に推移したと言ってよいように思われる。なかでも藤咲氏、秋野氏、上田氏、桃山氏、美月氏、奏雨氏、小鳥居氏、桐谷氏、手塚(り)氏、綾音氏など、それぞれにクリアカットな個性を備えた(つまり独自の表現スタイルを十分な厚みをもって身につけた)クリエイターが多数現れている。



  05/10(Wed)
  LNAF.OA(#15)もさすがのコンビぶりで、無理に盛り上げる必要のない、落ち着きのある楽しさが、聴いていてたいへん心地良い。門脇氏は、いつもながらちゃんとオタクしてらっしゃる感じが、本当に頼もしい。ちなみに占いコーナーも、現在まで14枚中10枚(71.4%)が正位置という強運ぶり。

  調子に乗って、講義の中でサルミアッキの話をしてきた。


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  企画主導した中核スタッフの一人として、当人が本来意図していたありようとか、もっと良いものにしたいところとかはあるのだろうけど、単純に「ミス」呼ばわりはいかがなものかと思う。出来たもの(最終的に受け手の前に現れたもの)が全てだし、出来たものが悪いとは限らない。
  例えば「妾」の件も、ユーザーにとってはミストレス九条環は「妾(わらわ)」キャラに他ならないのであって、今更「妾(あたし)」のつもりだったなどと言われても、ユーザーの中に確立されたイメージを変えられるわけもないし、作品それ自体が変化するわけでもない。また、ミステリアスな海原ヴォイスでは、「妾(わらわ)」呼称は非常にしっくり来る芝居をされていたし、あの声色で蓮っ葉な「あたし」名乗りをされてもむしろ雰囲気が崩れただろう。
  おそらく海原氏は「妾(わらわ)」という台本を受け取って、このキャラは「妾(わらわ)」キャラであるという前提で海原氏なりにキャラクター造形を解釈し、そのうえであのようなキャラクターを作り出したのだ。もしも「妾(あたし)」というルビの台本を受け取っていたら、九条環の芝居はまったく別ものになっていただろうし、そうすると『夢幻廻廊』の雰囲気全体がかなり違ったものになっていただろう。しかし、そこまで変化した『夢幻廻廊』は、そのような形姿の『夢幻廻廊』は実在しない。参加スタッフの一人の空想の中にしか存在しない。実在と不存在の違いはあまりにも大きい。「俺の美しい奥様」などと言われても、それはあなた一人だけの「奥様」であって、ユーザーがじかにその謦咳に接した「奥様」とはまったく別のキャラクターにすぎないし、どう美しいのかもまったく分からない(知りようもない空想上の世界の存在にすぎない)。他人に向けての創作(あるいは実際の作品として他人に見せない創作[的なイメージ])とはそういうものだし、他人に見せた創作物が作者の手を離れる(作者の意図では制御できない自立した存在になる)というのはこういうことだ。
  私にとっての美しい「九条環」奥様は、まちがいなくあの作品の中に存在したキャラクターに他ならない。それ以外のものではない。制作スタッフの一人に後から何を言われようが、この私の経験が事後的に変化させられるわけではないし、その経験の価値を後から変えることもできない。しかし、それを「ミス」だと主張することは、プレイヤーの体験をして、失敗の産物だと述べようとすることだ。作者にもそんなことを言う資格は無い。

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  それから、こちらも。凄惨な蹂躙のシーンなのに牧歌的なBGMが流れているというのは、むしろその状況の異常さを際立たせる大胆かつ卓抜な演出だ――プレイヤーとしての私はそう感じた。だから演出論などでもくりかえし激賞してきた。もしも伊藤氏が言及しているのが、私が考えているのと同じシーンのことであれば、伊藤氏が言うようにそのシーンを荒々しいBGMに差し替えてしまったとしたら、むしろそれは陳腐なシーンになってしまったかもしれない。制作者(の一人)が想定していなかったところからも、それどころか制作者の一人が考えるところでは「演出ミス」であったところからすらも、読者は新たな意味作用を見出す、あるいは新たな意味作用の解釈を作り出すことができる。作品が作者の意図を超えるというのはそういうことだ。


  そういうゲームがあるようだけど……駅名というのは、それぞれ現に特定企業が保有している施設の名称そのものなのだから、それを擬人化して卑猥なことをさせるのは相当危険な振舞いだと思うのだけど、大丈夫なのかね。すでに逝去している歴史上の人物やら工具等(ほとんどが一般名詞)やら艦船(大抵が国家帰属)やら刀剣(単なる物品だし商標等も一部を除いて存在しない)や花や楽器とは事情が異なり、「実在の団体とは無関係」と言って誤魔化すことは困難なように思われる。同様に寺社も、それぞれ現に実在する特定の法人と結びついており、そのため先頃の某ブラウザゲームも問題視された。
  wikiとかに目障りなアニメーション広告を出してきているのでマイナスイメージを持っている、というのもあるけど(――というか、ゲーム系wikiでそのゲームの存在を知った)。


  新記事:「目元表現の解釈
  ……おおう、この『こみパ』ヒロインの眼鏡率たるや。

  単独記事にするのは少々躊躇われた。アレなCGを掲載しているのもあるし、薄目の話をおおっぴらにするのもまずい。薄目に見えてしまう病気は、一度罹患してしまうと治療困難なので……。雑記欄に置いておくなら大丈夫、というわけでもないけど。というわけで、あまり興味を引かないようなタイトルにしつつ、薄目の注意書きをした。

  薄目の実例を画像引用することもできたのだけど、万が一にでも被害者を増やしてしまうのは申し訳ないので差し控えた。画像引用するタイトルとイラストレーターにとっても(不幸な錯覚の事故とはいえ)不名誉な言及になってしまうだろうし。

  このトピックは、上記『夢幻廻廊』の話題にも間接的に関連している。公開された作品の公共的評価は、受け手の側が意味解釈を行うことによって展開される。


  [ www.dmm.co.jp/netgame/feature/girls_cc_r.html ]
  岡村美佳沙(車の人)さんと四暮れい(車の人)さんが「共演」している。
  しかし、花鳥さんを演じているのはもはや松永氏ではないのか……(遥氏に交替している)。

  不思議な「共演」のあるタイトルというと、『クロノベルト』『あかね色』『英雄*戦姫』『姫狩り』も。



  05/09(Tue)
  『はつゆきさくら』は、キャスティングが素晴らしいのだけど未プレイ。残念ながら絵があまり好みではなかったので、パスしてしまった。


  『nine ここのつここのかここのいろ』が発売されたところで、和名序数系タイトルを思い出してみると、『ななついろドロップス』『六ツ星きらり』『よついろ☆パッショナート!!』は出てきたけど、残りが思いつかない。『いつか、届く、あの空に。』は「五日」ではないし。諦めて検索してみると、「○○の二日間」とか「○○する三日間」のようなタイトルは同人作品などで存在するようだ。

  すっかり忘れていたけど、『六ツ星きらり』にも、もちろんと言うべきか、「星見すばる」という名前のキャラ(メインヒロイン)が登場する。ヒロイン側の選択肢選択を垣間見させてくれる面白いキャラだったが、それだけでなく性格やシチュエーションも好きだった。


  『胃~之煮』は、「続」から「スペー酢」が抜群に良い。もちろん「ドリル」以降も良い回がたくさんあるけど、ネタの切れ味と笑いの爆発力は初期シリーズがひときわ光る。


  「死神さん」は、知的でお節介な主人公とグロデザインの取り合わせの面白さに、癖の強い日常的奇人、IT描写、密度の高いコマ割(横広コマや縦長コマも巧みに使いこなしている)、見せゴマの効果、ドラマの明晰な抑揚変化、そして気の利いた〆に至るまで、いつも通りの練達の魅力に溢れているし、木々津作品としては初(?)の男性主人公という個性もある。


  応援の気持ちも込めてtwのソフトハウスキャラ公式アカウントをフォローしに行きたいのだけど、フォローするアカウントを持っていないので何も出来ない。以前の趣味アカウントはまだ存在しているしPWも掘り出せる筈だが、捨てたつもりのアカウントに再ログインするのには尻込みしてしまう。こっそりログインしてフォローを増やしてくるのもセコい感じで気が進まないし、かといってべつに再ログイン宣言(投稿)をするようなことでもないし、そもそもtw上に蔓延しているあれやこれやの荒んだ騒擾のうんざりするような雰囲気に近づきたくもないし……。もっとも、twが悪いということではなくて、世の中全体が荒れているのだが。



  05/08(Mon)
  『女性声優アーティスト ディスクガイド』なる本を買ってしまったが……失敗したなあ。
  著者名が書かれていないあたりにすでに胡散臭さは感じられたのだが、各ページの上半分はジャケット写真と収録曲一覧で埋められており(といっても余白だらけでスカスカ)、下段の解説文はわずか20字×28行(実質500字程度)で、もちろんろくなことは書かれておらず、通り一遍の紹介的言及にすぎない。コラムやインタヴューもいくつかあるが、あまりにも食べ足りない。
  私のような声優ソング初心者にとっては「なるほど、こんなアルバムもあるんだ」という情報のきっかけにはなるが、現在では入手困難と思われるものも含まれているので購入ガイドとしても苦しいと思われる。今時わざわざ「女性」声優のみに限定しているのも不可解(――ただし、ジェンダーの分断が大きいのは音楽業界や声優[ファン]業界の通弊であり、以前の「声優論」のなんとかという本も、女性声優のみを取り上げるという、バイアスに鈍感なアプローチだった)。装幀はわりときれいなだけにもったいない。
  著者陣の名前をweb検索してみると、役者や映画関係のライター、芸能ライター(?)、アニメや音楽関係のライター、アイドル関係のライター、声優関係ライター、ゲームなどのライター、音楽関係ライター、声優関係ライター、そしてキャリア不明の人物3人の、計11人。「レーベルの枠を超えた」「声優特化の」「書籍の形をとったCDカタログあるいはムック本」と考えれば、1500円を支払う価値があると思える人もいるかもしれない。

  このぶんだと、(アニメーションや漫画に関する議論乃至研究と同様に、)声優論も海外の研究者やマニアたちにどんどん先を行かれてしまいそうだなあ……。


(2017年5月8日、自宅にて撮影)

車の人 as トミカ。右から三津菱蘭沙さん、十代唯衣那さん(清掃車ヴァージョン)、豊多のあさん(ダークブラウン)。左端はスズキ・エスクード(Escudo)。Escu:deとは綴りが異なる。トミカには日傘世玲那さんや瀬戸りくさん(リミテッドヴィンテージ版)もいるので、見かけたら買おう。松蓼美桜さんは、廃版で高額化しているようだが。

  というわけで「さざなみ」を買ってきたのだけど、これを「おおなみ」として完成させられるだろうか。


  卑猥な名前の投稿者は、ディレクターレベルできちんと排除すべきじゃないのかなあ。メール投稿が多いか少ないかとかいう問題以前に、社会的に見て完全なNG行為なわけだから、よほどのプライヴェートラジオでもないかぎり、弾(はじ)いておくべきだと思う。ラジオによってはパーソナリティがわりと露骨に口にしづらそうにしている場面すらあるし。私はラジオを聴きたいのであって、役者に対する公開セクハラのごときおぞましいものを聴きたいわけではない。


  コミカルにデフォルメした絵であれば、前面が真っ平らなキャラは「余計なものが無くて、シンプルで気持ちいい」のだけど、全体がある程度以上描き込まれた絵柄であるにもかかわらず完全なマナ板状態だと、「胸部の肉付きが描けていない、下手な絵」に見えてしまう。よほどのことが無いかぎり、内部組織の存在によって、肋骨から隆起する部分は出てくるものであって、単なる平面になることは無い筈で、それなのに鎖骨から下が絶壁だったりすると、あまりにもざっくりと省略しすぎた絵としか認識できないものになる。スリムキャラはスリムキャラなりに、特有の難しさとデリケートさがあるのだ。



  05/07(Sun)
  英語版のwkpdでは、声優の別名義まで書かれていることもたまにある。"Other names: XXX(+漢字表記)"とか、"credited under name XXX"とか、"also known as XXX"とか、"goes by XXX"いった形で言及されていることもあるし、出演作一覧が(名義の別を注記しつつ)ひとまとめに作られていることすらある。典拠として日本(語)の非公式なサイトが参照されていたりするけど。

  表示言語によってこうした違いが生じているのには、様々な事情が考えられる。
  1)文化的慣習の相違?言語の違いに対応して利用者層の違いがあり、それによって、所属する文化圏(別名義の扱いに関する文化的慣習)が異なっているのかもしれない。
  2)侵害リスクの低さ? 本人および出演作が属する言語圏とは異なる層がアクセスするため、本人が公然とは認めていない別名義問題に別言語メディアで言及しても悪影響は生じにくいと考えられているのかもしれない。
  3)情報ソースの多寡? 日本語以外の言語では、いわゆる「別名義」に関する情報が極端に乏しいであろう。それゆえ、情報の確からしさを多少犠牲にしてでも、「そうであるとされていること」をせめてwkpdレベルででも記載しておこうと考えられているのかもしれない。
  4)偶然的事情? たまたま日本語版のwkpd編集子にはそうしたことに対して潔癖な人が多くて別名義言及を意識的に排除しており、他言語版ではそうした考えをもつ人が少ないとか、あるいは逆に、たまたま英語版にはそういうことを記載したがるユーザーがいて、その加筆が別段排除されずに維持されている……ということだけかもしれない。

  声優関連の英語版記事をざっと浚ってみたかぎりでは、別名義言及の有無及び様式はまるで一貫していないので、あまり深く考えずに適当に書かれているというのが実情かもしれない。二人のMai Gotoさんが同一人物扱いされていたりするくらいにはいい加減だったりするし。その一方で、日本語版wkpdでのオタク系記事の編集密度と注目度は高すぎるというのもあるが。

  良いかどうかという話をすると、1)まず「一般論として」そのような慣行があることは、何人もの声優が認めていることだし、表現文化および業界的慣習の記録として書き残されることには意義がある。2)また、「個別的」問題としては、当事者が公式に認めたことはおそらく皆無だろうから、誰が何者であるかをフォーマルな媒体で語ることは難しい。ただし、十分に確からしい情報を、永く残るどこかの媒体に記録しておくことは、やはり意義のあることだと思う。……うまく折り合いがつけられればいいのだけどねえ。



  05/06(Sat)
  笹島氏が真面目な話をされる時の雰囲気も、なんだか好き。今回の胃・ラフ#26も、「今時のおじいちゃん、おばあちゃん」についてのいろいろ考えながらの語り口に、妙に引き込まれる。というか、今回は中國氏と西垣氏が笑いへ引っ張っていこうとする時も全然乗っからず、ひたすら真面目にトークテーマに向き合っておられる様子が、ちょっと不思議な雰囲気になっている。
  パン21の「言っていることがすごく重みを帯びていて、真面目な人が喋っているみたい」な様子を思い出したりもする。


  夏も冬もずっと室温24度のままだったらいいのに……。


  【 漫画史の直感的把握(の欠如) 】
  昔の漫画はほとんどが後追いで知った(読んだ)ものばかりなので、漫画史の時期感覚がよく分からない。
  たとえば、手塚治虫(1928-89)がまだ存命で『火の鳥』シリーズや『ネオ・ファウスト』を発表していた80年代末に、モダンな世界設定の『パトレイバー』(1988-94)がすでに現れていて、でも『攻殻機動隊』(1989)はぎりぎり発表されていなくて、しかし『DRAGONBALL』(1984-95)はまだ前半でサイヤ人もまだ来ていなくて、『幽☆遊☆白書』(1990-94)はまだ連載開始されてもおらず、その一方、『デビルマン』(1972-73)や『ドカベン』(1972-81)の連載開始からは17年も経っていたり、しかし高橋留美子は『うる星』(1978-87)と『めぞん』(1980-87)を終えてようやく『らんま』(1987-96)を連載開始したところで、しかし『タッチ』(1981-86)もほぼ同時期に連載完結していて、でも萩尾望都はまだ『残酷な神が支配する』(1992-2001)を描いておらず、CLAMPはようやく商業デビューするかしないかの頃で、赤松健や久米田康治はまだデビューしていなくて……。私からすると、近いんだか遠いんだか分からない距離感だ。
  現在では評価の確立されている古典的な漫画が2000年代に入ってからの作品だったり、かと思えば00年代初頭に連載開始された漫画がまだ連載継続していたり、『パタリロ』に至っては1978年から40年近く続いていたりするし……。


  行楽シーズンにして『行殺』シーズン(※4月発売だった)。気軽に再プレイできるように、インストールしておこうかな。意外にも、ここのエンジンは最新OSでも動作してくれるし。


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  『こみパ』!?!?! すごく親近感が湧いてきた……。
  ところで、最近はツインテにしておられるのか。意外だ……。



  05/05(Fri)
  前回日本橋に行ったのは2月上旬だったので、そろそろ再訪していろいろ買い込んで来たい。ただし今週(末)はさすがに混雑するだろうから避けるが、いずれにせよ近いうちに行ってたくさん楽しみたい。


  食べたものに当たったようで久しぶりに戻してしまったけど、半日も経たないうちに食欲は完全回復していた。悪いものを食べてしまった時に適切にそうした反応が出るのは健全なことなので、食生活を反省するだけで足りる問題だ。それにしても、段差で足首をぐにゃりと思いきり捻ってしまった時もダメージ皆無だったし、お肌もきれいなままだし、体重はここ数年間順調に減量成功し続けているし……もしかして私のボディは十代なのでは?
  とはいえ、十代の自分に戻りたいかといえば、「否」だ。顧みても当時の私は本当に愚かだったので、そんな状態に今更戻りたくはない。ただし、現在の自分が賢明であるというわけでもないが。だって、十代を経てさらに二十代の自分もやはり愚かだったし、そして現在の自分が二十代の頃から劇的に成長したなどということは無いので、現在の私も依然として愚かなままであると推論する方が妥当だからだ。社交性や人当たりの良さのような対外的取り繕いの仕方は多少改善した筈だけど、内面の意識のありようはべつになんら洗練も発達もしていないし。


  【 e.go!/でぼの巣のキャスティング 】
  e.go!/でぼの巣のキャスティングは信用している。あれこれ方面からの人気狙いの起用もしないし、かといって十把一絡げな丸投げにもしていない。長く活動を続けているわりに、常連声優のような過剰な癒着もほとんど無い(さすがに榊原氏の出演が多めなのは仕方ない)。もちろん、聴き苦しい声優やミスマッチな配役もほとんど生じていない。PC(アダルト)ゲームメインの声優さんたちの正統派的なキャスティングになっている。しかも、純愛系タイトルとダーク系タイトルの両方を手掛けているおかげもあって、黒白分断に手を貸すこともなく、黒箱系ベースで活動している声優の純愛芝居や、白箱系中心声優のダークな芝居を聴けたりもする。PCゲーム声優ファンにとっての貴重な楽園であり続けている。
  以前にも述べたように、黒白の枠組から比較的解放されているのはSLG系ブランドの強みでもあるだろう。alicesoftやLeafにも、こうした声優起用の面白味がある。ただし、SLG系ブランドでも、ソフトハウスキャラやninetailは事務所丸投げや常連出演の傾向が強いし、Eushullyはかなりミーハーだ。Escu:deは、無難なキャスティングかと思えば、意外な人を起用してきたりして、ちょっと風変わりな個性がある。


  演出とは、クドく装飾することではないし、「(実態に即さない)見せかけ」を作ることでもないし、思いつきの局所的な注力のことでもない。受け手に対して当該作品の見せ方を、コンセプトに即して方向づけ、それに即して作品全体を構成し、そして洗練させることだ。ただ鈍重にゴテゴテと盛りつけて大仰な表現にするのは、演出の正反対の行為だ。


  考えないようにしてきたことだが……各室に物がどっさり溜まりすぎていて、ここから転出しようとする時に物品を箱詰めすることすら出来ないのでは?という懸念が。数年前にここに引越してきた時点ですでに、リビングに段ボール箱が山と積まれてほとんど身動きできなかったし、そこからさらにあれこれ買いまくってきて、室内のオタクタワーを何本も新築するに至っている。段ボールに詰めるためのスペースすらほとんど無いという状況で、いったいどうしたらいいのだろうか。「死ぬまで引越しをしなければいい」というのは一つの解だが、おそらくそうもいかないだろうし、このまま住み続けてオタク活動をし続けていればどうせ遠からずオーバーフローする。困ったなあ。



  05/02(Tue)
  先月の趣味生活はそれなりに生産的に過ごすことができた。ただし、精神的にはあまり落ち着かないままだったが。今月は新作消化に努めたい。


  先日の「コマ組み」記事に加筆。
  掛丸氏の漫画表現が巧すぎて巧すぎて、読み返していて笑ってしまう。もう「笑う」という反応しか出来ないくらい。物凄いコマ組みのページが多すぎて、5枚でも10枚でも画像引用したくなるが、なんとか自制する。実をいうと、今回の記事で引用した見開きは、この作品の中ではむしろそれほどすごくもない部類だったりする(残念)。
  うわあ……6000字の加筆に5時間も掛かったとは……。ほぼ事前準備無しで、読み返しや調べ直しもしながらの執筆とはいえ、ここまで筆が遅かったとは……。それと、漫画について長い文章を書くのは(つまり、はっきりと言語的に思考するのは)久しぶりだったので、自分の語彙の乏しさに苦しむ羽目になった。ただし、素晴らしい作品たちを取り上げられたのはたいへん嬉しかった。


  【 オタク道十八般 】
  武芸十八般に倣ったオタク道十八般は、以前にも考えたことがあった(2015/08/22)が、あらためて考え直してみるとわりと入れ替わりが激しい。2017年現在の目で見ると、「コスプレ」と「アイドル(イベント)」は逸しがたい重要な一分野であるように思われる。
  「二次元系のオタク」という括りで、思いつくものをざっと列挙してみると:アニメ、特撮、青年漫画、少年漫画、女性向け漫画、ゲーム(コンシューマ/アーケード)、PCゲーム(ネットゲーム等を含む)、TRPG/カードゲーム(などのいわゆる電源不要系)、LN/ネット小説、模型/フィギュア/ドール、コスプレ(「痛○○」を含む)、アイドル(イベント)、声優/webラジオ、オタクSNS、同人、評論/オタク史。ここまでで16分野。あと二つ入れるとしたらどのジャンルだろうか。
  個々のジャンルの規模や独自性を考慮してカテゴリーを適宜切り分けているが、たとえば青年漫画と少年漫画は表現文法が似通っているので一つにまとめてしまってもいいくらいだろう。また、模型/フィギュアとドールとでは内容も価値観も大きく異なる(客層も全然違う)ので、分割した方がよいとは思うが、外部からは違いを識別しにくいだろうからひとまとめにしている。

  これは「(二次元系)オタク」の外延をどこまでとるかによっても変わる。また、分野を挙げるか、基礎教養を挙げるかによっても変わる。実践的なスキル(芸道)として考えるならば、イラストスキル、カラオケ、アニメ視聴量、ゲームプレイ歴、PCスキル、モデラースキル、写真の知識、イベント参加歴、ネット(SNS)リテラシー、同人経験などが挙げられるだろう。声優の聴き分けは……実用的といえば実用的だが、本質には関わらない単なるネタスキルだと思う。

  到達水準でいえば、だいたい4段階くらいに分けて考えることができるだろうか。
  Lv1: 経験あり(完全に無知というわけではない、という程度)。
  Lv2: 一応のリテラシーがある(最低限、文脈を踏まえた受け答えが出来る)。
  Lv3: 自分なりの意見が言える(自分なりの価値観や審美眼を確立している)。
  Lv4: 独自性と専門性のある意見が言える。
  各レベルをポイントで算定するとしたら、私の場合は上記16分野中、えーと、甘めに見積もってもせいぜい25ポイント。0ポイントの分野がいくつもあるし、もちろんLv4水準は一つも無い。平均するとレベルは1.56で、平均レベル2にすら達していない。せめて平均レベル3には届かせたいところだが、それとてあまりにも遠い。「しようと思えば出来る(取り組んで楽しめるであろう)こと」はたくさんあるが、「現に出来ていること」は本当に少ないなあ。


  (→6月4月