2018/03/31

2018年3月の雑記

  2018年3月の雑記。(→4月2月


  03/30(Fri)

  アニメ版と原作版の読み比べは面白い。アニメ版制作者が原作をどこを取捨選択し、どのように配列を変更し、どのようなアレンジを施したかを細かく確かめることによって、アニメ版制作者が原作をどのように解釈したかが見えてくるし、アニメ版がどのようなコンセプトを持っているかも浮き彫りになってくる。そしてそれらの知見は、私が原作版とアニメ版それぞれを解釈するための前提的認識として役立つ。
  ただし、台詞の細かな変更に関しては、原作(ゲーム/漫画/小説)とアニメの間のメディア形式の違いによるところが大きいので、それ自体としてはあまり意味は無いという場合が多いと思う。


  人気のある眼鏡キャラがこんなにもたくさん溢れていて、眼鏡を掛けたキャラデザがごくありふれたことになっていて、そして眼鏡を貶すような発言をする人がほとんどいなくなった(目にしなくなった)。こんなに良い時代はない。感涙に咽び泣きたいほど嬉しい状況だ。
  00年代の頃は、眼鏡キャラは不人気だとか眼鏡は邪魔だとかいった失礼な発言と発想が蔓延していたのだよ……。現在のオタク界隈の状況からは、ほとんど想像もできないことだが。


  新記事:「『伏線』再論」。近年の問題意識をまとめるとこんな感じ。


  最近の投稿を削除するために、これを最後とtwログインしている。しばらくTLを眺めているのだけど……フォローしている方々みずからの発言が全然現れてこなくて、第三者投稿のRTばかりが流れてくる。ざっと95%はRTではないかというくらい。7年前のTLはこんなではなかったと思う。twの利用の仕方もずいぶん様変わりしているようだ。当時の私は、その方自身の思考と発言に興味がある方々をフォローしていたので、このTLはとても寂しい風景だ。現在のSNSでは、まるで「個人のアイデンティティとは、その者が何を考えているかではなく、その者が何に関心を持っているか(=ここでは、何をRTするか)に存する」かのようだ。7年前の時点でもすでに、人の思考はRTのブリコラージュによっても表現され得るのだという認識は持っていたが([tw: 56967842490355714 ])、2018年現在ではそのような姿勢がもっと広汎かつ圧倒的に普及しているようだ。

  私が特別な敬意を持っているクリエイターさんたちを、この機会にフォローするだけしておこうかなという考えもよぎったけれど……。

  向こうで何か書いてみようかとも思ったけど、書いても削除することになる(そういうつもり)だったから、大事なことや残しておくべきようなことはあの場には書きたくないし、かといって、消しても構わないような内容だったらわざわざ他人が読めるような場所で書くべきでもないので、結局書けることはもはや何も無いのだった。



  03/24(Sat)

  ガルフレラジオ#121、名塚氏の「ゴブリン」「半魚人」(13:55-)があまりに面白くて、つい何度か聴き返してしまった。


(2018年3月26日、自宅にて撮影)
ひとまず形になった「朱羅」2体。スミ入れとデカール貼付を行ってから、組み替え(合体)を試すつもり。なんとか今月中には……。レッド2色のバランス(二人を別の色にしている)は、わりとうまくいったと思う。


  今年に入ってから、1月は主にプラモと音楽、2月はゲームとアニメをたくさん、そして3月は中旬の風邪が痛かったけど、それなりに成果はあった。予定では春休みのうちに(実写)映画をもっと観ておくつもりだったが、ほとんど出来なかった。アニメやプラモは一段落ついたので、来月はゲームに時間を掛けたい。


  MG誌(2018年5月号)のインタヴュー。冬目氏が模型趣味を持っておられることは以前から知っていたけど、本格的なカーモデラーだったのか。イセッタ、KR(175/200)、ミニクーパー、ビートルなど、丸っこくてレトロっぽいデザインでフロントライトが目のように見えるタイプは、私も好きだが、ああ、プラモのキットはろくに作って(買って)いないなあ。
  「プラモデルは組み立てるとなくなる」と仰っているのは、一見すると不思議な表現だが、うん、確かにそういう見方の出来る側面はある。完成状態を鑑賞して楽しむのもあるが、模型は作る過程を楽しむものでもあり、キットをいったん作ってしまうとそれはもう「作ることのできないもの」になってしまう。いや、間違ってはいないが、なんだかおかしい、いやしかし、これはこれでモデラー心理の真理でもある。
  また、キットの状態では無数の完成状態がポテンシャルとして含まれているのだが、それを制作するということは、無数の可能性の中から特定の一つの完成状態を選び取ってしまうことでもある。制作着手前のキットをランナー状態で眺めていろいろ空想(構想)するのも、モデラーの楽しみの一つだ。そして、その中から一つのありようを自分の手で実現していく技術的過程という、もう一つの楽しみが、その後に待っている。

  私も久しぶりにカーモデルを作ってみよう。現在、店頭で入手しやすいのは、ビートルやミニクーパーのようだ。クーパーあたりから作ってみようかな。


  というわけで、いろいろやっていたら「アイチョ」をまた一周してしまった。手だけを使う模型制作と耳だけを使うwebラジオは、お互いを邪魔しないのでたいへん相性が良い(※ついでに頭では別のことを考えていたりもする)。もっとも、ヘッドフォンのケーブルがちょっと邪魔だったりもするけど、そのくらいは我慢できる。
  音楽を聴きながらの読書は、最近はあまりしなくなった。ゲームの場合は、クリア済みのSLG作品などを音を消して再プレイしつつ、別の音楽やラジオを聴くということはある。映像作品の場合は、さすがにそれに掛かりきりで視聴するしかない。


  このブログで概要紹介している「アイチョ」「胃~之煮」「中目黒モンキーパーク」webラジオは、私が最も好きなラジオであり、そして、最高だと思うラジオでもある。すなわち、トークの自発性、振舞いの自由さ、そして内容の密度、全体の雰囲気、いずれも本当に素晴らしい。

  「もっとIをチョウダイよ!!!」の場合は、特定の企業(アイデア・ファクトリー)のPR番組であることが信じられないほど自由闊達にコンテンツが作られているし、パーソナリティも前田剛氏はたいへん芸達者だし、小林眞紀氏のトークには驚きべき爆発力がある。即興歌謡曲やストリートビュー遊びといった各コーナーも、パーソナリティのスキルや個性をうまく活用している。毎週更新で300回という長寿番組を続けられたのも、アイエフの資金の問題だけではなく、おそらくはラジオそれ自体の人気があってこそのことだろう。
  ゲストも、お仲間の声優だけでなく、開発側のスタッフ(脚本家、ディレクター、漫画家、歌手など)を呼んで作品内容に踏み込んだ話をされているのも、聴き応えがある。アイエフのディレクターや収録スタッフ、さらには声優のマネージャーすら時折登場しているが、そういった自由な出入りが行われているのは、まさに収録現場が寛いだ親密な雰囲気であったことの証左だろう。

  「聴いてくれたら胃~之煮」も、累計500回を超えて続いている超長寿ラジオだが、こちらはスポンサーが一切ついていない、完全に自発的に作られているラジオだ。制約無しにトークできるのも、まさにスポンサーのないラジオならではの強みであり、「ケータイ大喜利」から『Monster Hunter』まで、パーソナリティの好きなものについてひたすら語れる場となっている。こちらもパーソナリティは男女コンビで、飛び道具的な笑いに満ちた笹島かほる氏を、中國卓郎氏が時にサポートしつつ時にリードしていくバランス感覚も、実に巧みだ。
  とりわけ中國氏はラジオMCとしてきわめて能力の高い方で、本職声優ならではのよく通る穏やかな声色や、メール投稿を独力で巧みに管理する勤勉さもあるが、趣味人としての話題の豊富さも尋常の域ではない。プロレスからゲーム、漫画、ランニング、TV/芸能、そして日常の出来事の記憶に至るまで、正確な知識を持ちつつ、トークでは話の運びがたいへんきれいで、その分野について詳しくないリスナーでも楽しみながらついていくことが出来る。トークの内容はかなりフランクで、突っ込んだところまで話を広げていくし、個人的な好みも隠さずに話していくのだが、説明の明晰さと、悪口で雰囲気を濁らせないバランス感覚、そして語り口の丁寧さもあって、本心からのトークとしての潔い心地良さが常にある。中國卓郎氏の存在こそが、このラジオのメインコンテンツだと言っても過言ではない。
  外画系の声優さんというのも特徴的だし、アニメ脚本家がゲスト出演して立ち入ったトークをされていくことも多い。切り貼りやBGMなどの編集は一切行っていないにもかかわらず、そして特別なコーナーなどは一切持っていないにもかかわらず、毎週30分ぶんのラジオが楽しんで聴けるというのは、本当に驚くべきことだ。
  ちなみに、自主規制音が入ったことは、記憶のかぎり、片手で数えられるほどしか無い。これだけフリーダムな自主制作ラジオでありながら、トークがけっして下品ではないということ、そして(広報などに関わるような)失態は犯していないということの表れだろう。

  「中目黒わくわくモンキーパーク」は、ゲームメーカーstoneheadsのディレクター三ツ矢新氏と、アダルトゲーム声優の民安ともえ氏のコンビで、ゲーム開発の現場担当者が腹を割ってじっくり話されるのがたいへん興味深かった。女性グラフィッカーへの局部関連の指示の言い回しやら、延期の実情に関する話やら、音声収録中のエピソードやら、文字通り「他では聞けない」ような立ち入った内容が、各回1時間を超える長尺で展開されていた。
  民安氏は、(まき氏に鍛えられたおかげもあって)ラジオの切り回しがたいへん達者であり、そのうえ「自身アダルトゲーマーでもあることを公言している声優」であることから、上記のようなゲーム内容に対する踏み込んだトークにも十二分に対応されていた。
  ゲストは、脚本家や作曲家、背景制作者といった開発サイドの方々を呼ばれているのも貴重だ。そうしたゲスト回では、普段に増して、「他では聞けない」重要な証言や示唆的な談話が引き出されていた。声優のゲストも、一条氏や胸肩氏といった男性声優を積極的に招聘されている。時には4人、5人といった比較的大人数のラジオになることもあるが、ラジオとしての進行制御は巧みに行われている。

  こんな素晴らしいラジオコンテンツが、毎週々々、しかも無料提供されていたというのは、本当に恵まれていたのだなあ……。そして今でも、無数のラジオ番組がweb上でフリーアクセスで公開されている。ありがたいかぎりだ。


  現代オタク文化の擬人化/女体化(美少女化)/美形化については、どこをどう切り分けて論じたらよいかの判断が難しく、まとまった展望を提示しづらい。以前の記事「カテゴリアルな萌えキャラ化」を改稿してみたが、いまだにきれいな整理が出来ていない。時代的に遡ればいくらでも類例は存在するものだし、分野的な広がりも大きい。私としては、『行殺新撰組』『LikeLife』『戦国ランス』『恋姫†無双』といった00年代のアダルトゲームがきわめて大きな役割を果たした――少なくとも文化的下地と制作ノウハウを提供した――と考えているのだが、これがどこまで妥当な評価なのかはよく分からない。
  個人的には、『行殺』の過激なパロディはまだしも、『LikeLife』(2004)の頃にはすでに「チープなネタだなあ」と思っていたし、現在のソーシャルゲームと結びついたキャラクター大量生産のネタとしての擬人化や女体化には辟易している。よほどのことが無いかぎり、このアプローチのものには手を出していない。特に好きなクリエイターさんの作品だとか、あるいは作品内容を把握しておく必要のある場合には、心中モヤモヤを抱えつつも買うのだけど。



  03/20(Tue)

  TVアニメなどの仕事に軸足を置いていると思われる声優さんたち(婉曲)は、アダルトゲーム用の名義を持ってゲーム作品に出演はされるが、しかしその名義でのラジオ出演は行われていない。これは契約形態か何かによるものなのか、それとも声優自身としてラジオ出演することには特有の配慮が要るのか、事務所間で共通する何らかの態度表明があるのか、事情はよく分からないが、ゲーム声優の間に非常に顕著な違いが生じている。声優個々人にとってデリケートなところがあるのか、それとも事務所レベルで決まった対応が取られているのか分からないが、モヤモヤするところではある。家庭用版やアニメ版に際してあちら側の名義でラジオ出演されることはごく普通に行われているので、そのあたりの微妙な切り分けがあるのだろう。同様に、雑誌インタヴューやアダルトゲーム公式サイトのフリートークをするかどうかに関しても、あるいはSNSでアカウントを持って情報発信するかどうかに関しても、そちら寄りの声優さんは非常に消極的なようだ。遥氏や神代氏や奏雨氏はtwアカウントを持っておられるが、かなり珍しい例だろう。
  私が思い出せるかぎり、女性声優だと鈴田氏(「ナツメ」「PUSH RADIO」など)と杏子氏(「アリスグラム」ラジオや「VOICE ACTRESS CONCERTO」記事)の2人しかいない。杏子氏はtwアカウントも持っておられるようだ。男性声優だと、氷河流氏(「うーぶり屋」などのゲスト)くらいだろうか。小鳥居氏や卯衣氏や波奈束氏や白雪氏や桃山氏や三代氏や上原氏や羽間百合氏や「車の人」が、(アダルト)ゲーム分野や個別出演タイトルについてどのような考えを持ち、どのような雰囲気で、どのようなお話をされるだろうかと考えるだに、やはりもったいないという気持ちがある。

  そういえば、沢村氏としては「リベリオン」ラジオがあったっけ。あと、芝原氏(PULLTOPラジオ)とか、夏峰氏(「さくらじ」)、奏雨氏(「桜花」)、乃嶋氏(「真・恋姫無双」)、萌花ちょこ氏(ラジオはゲスト出演のみ?)、在原氏(「先史文明」)、男性声優だと城樹氏(多数)とか一条氏(ゲストのみ?)とか……丁寧に思い返してみれば、そこそこいらっしゃるにはいらっしゃる。ただ、かなり珍しい事例だというのは依然として確かだろう。ちなみに、藤咲氏は(当初の桐谷氏と似たような感じで)どちら寄りかと判断するのはちょっと難しい。

  AUGUSTの『FA』ラジオは聴いていなかったのでwebからの伝聞知識だけど、ゲストに雛見氏が来られた回と、(『夜明け』のフィーナ役として)手塚氏が来られた回があったのか。なんとややこしい……。まあ、「中目黒」ラジオでも伊東氏と海原氏が(それぞれ個別に)ゲストに来られたこともあったし、それどころかダイナマイト亜美氏と南ピル子氏が来られた回もあったし……。

  いずれにせよ、18禁ゲームやその関連コンテンツに出演することは、いささかデリケートな要素を含んでいる。それゆえ、どのような場合に出演し、どのようなコンテンツには出演しないかについては、契約締結時に声優個々人の価値観に基づいて自由な決定の裁量が認められるべきだろう。そしてまた、そういうデリケートな難しさにもかかわらず、ラジオやイベントなどの関連コンテンツにも参加される声優さんや、あるいはSNSなどの広報活動も積極的に行っておられる役者さんたちには、敬意を覚えるし、一ユーザーとして感謝しているし、嬉しくもある。


  Escu;de新作情報公開。キャスト情報はまだか……。カテゴリーとしては黒箱系になりそうだけど、このブランドのことだから、明るめの雰囲気のピンク系寄りか、それともかなりハードなものになるか、予想できない。『プリマヴェール』程度のハードさだろうか。
  wingheart氏は、以前からわりと好きなイラストレーターさんなので、今回の起用は嬉しい。


  というわけで、「PULLTOP×PULLTOP」ラジオを聴き返す。鷹月氏と芝原氏は、なんというか、どちらもパーソナリティとして腹の据わった方で、トークの調子を外したり台本から逸脱したりすることを恐れずに、トークの虚実の狭間の巧みな綱引きを展開していく。それでいて、常に落ち着きのある雰囲気を堂々と維持しつつ、余裕のあるユーモア精神を発揮していく。
  鷹月氏は鷹月氏で、ネタをうまく拾ってくれる相方を前に、ゆったりと寛いだトークをのびのびと広げておられるし、その一方で芝原氏も、怪人キャラをきちんと受け止めてくれる相方の前で、安心して飛び道具を出している。キャパシティの大きな役者同士の自由闊達なラジオとして、たいへん貴重なパフォーマンスだと思う。
  使われているBGMも、弦楽と木管が多くて、あまりうるさくないのも好ましい。


  木村氏と卯衣氏は、主な活動時期がずれているせいもあって、共演作はかなり少ない。記憶のかぎりでは、『英雄*戦姫』(ともにメイン級)と、『Dies』シリーズ(卯衣氏はサブキャラらしい)、それから『I×SHE』(木村氏はサブキャラ)の3つしか知らない。考えてみれば、演じられる役の傾向が多少似ているようにも思えるし、共演機会が乏しいのはそのせいもあるかもしれない。例えば、りんねやユウラシアを木村氏が演じることは想像しやすいし、ヒヨリや周防院奏の卯衣氏ヴァージョンというのも面白そうだ。ただし、木村氏のミステリアスな先輩キャラ芝居で見せる複雑なニュアンスは唯一無二のものだし、卯衣氏の演じる陽気キャラの直截な雰囲気が誰にも替えの利かないものであることは間違いない。



  03/15(Thu)

  花粉症により集中力が削られる。3月はこんなふうだし、4月は新年度だし、5月もまだ落ち着かないし、6月は梅雨だし、7月から8月は暑いし……充実した趣味生活を営めるのは9月から10月あたりだろうか。11月は学会シーズン、12月からは寒くなり、1月は後期講義の終わりから試験の時期、2月は来年度に向けたあれこれが……。
  アレルギー反応のため、体力の消耗がきつくて、それを補うために食事量が増えるというのも厄介だ。食欲が衰えていないのは良いことなのかどうなのか。
  というわけで作業効率が急落しているが、なんとか趣味活動の密度を維持していきたい。

  花粉症と風邪のコンボのような気がしてきた。久しぶりの風邪だが、原因は:1)急激な気温上昇とそれによる発汗、2)水分摂取を怠っていたこと、3)花粉症による鼻腔環境悪化(乾燥とウイルス侵入)、4)ストレスと睡眠不規則、あたりだろうか。
  症状からして、インフルではないと思う(主に鼻と喉に来ているし、高熱はまったく無い)。日曜日のイベントで拾ってきたというには少々タイミングが合わないので、おそらく体調不良による(普通の)風邪だろう。どちらにしても辛いが。


  昔も今も、アンダーヘアを描き込むものはかなり少ない。特に学園恋愛系では、皆無に近いと思われる。ただし、年齢の高めなヒロインに焦点を当てたピンク系タイトル(「熟○もの」と言ったらよいのか)ではヘア描写の頻度はかなり高いし、白箱系とピンク系の境界線上くらいの位置づけの作品でも、ヘア描写が無いわけではない。
  ヘアというのは要するに、ごく細いストリングの集まりなので、昔の解像度の低いCGでは、きれいに描写するのは難しかっただろう(――かといって、モサモサにするわけにもいくまいし)。また、モザイク処理を掛けられる部分であるため、モザイクの色が汚くなるという問題もあるだろう。さらに、ヘアの色も問題になり得る。頭髪や眉毛と、アンダーヘアとは、色を合わせるべきなのだろうか。実際には、緑髪キャラがアンダーヘアもきれいなグリーンに塗られていたという例もあったものだが、それで良かったのかどうか……。


  web空間は、情報がどんどん消えていく場所でもある。無数のページが消滅し、無数のリンクが役立たずになり、無数のテキストが意味の分からないものになり、無数の情報が失われていく。昔のサイトだけではない。むしろ2010年代に入ってからは、ゲームやアニメの公式サイトの運用は本当に一時的な、その場限りの、所期の商品を売り切るまでの、寿命の短いものになっている。何があったか、何が行われていたか、何が起きていたか、どのような情報が存在したかが、後からでは辿れなくなっている。
  このデジタル時代においても往々にして、情報はそれを維持するためのコストを支払わなければ適切に保持しておくことができない。webページだけではない。「記録媒体」そのものですら、再生装置の仕様が変われば、ただの樹脂円盤になってしまう。LDを、MOを、あるいは特定のOS環境に依存する無数のソフトウェアを、私たちはなんと簡単に捨て去ってきたことか――あるいは、捨てざるを得なかったか。

  私が公開してきたテキストは、意図的に削除したごく一部のものを別とすれば、すべてweb上に残っており、万人がアクセスできる状態を維持している。というか、そうあり続けられるように、サービスを選んできたつもりだ。この点だけは自慢してよいだろうか。あと、ページ内に余計な広告を一切出さないようにしていることも。

  ……そんなことを考えながら、手許の記録媒体どもの中身はどうだったかなといろいろ漁っていたら、『QoH99』が出てきたので、つい遊び耽って徹夜してしまった。あの当時のあれこれのおかげで、私の心にはいろいろなものが形成されてしまったのだよなあ。例えば、下のドットキャラの月島瑠璃子さんを見ると、「ああ、私がサーニャ好きなのは、ここにルーツがあったのか」という発見があったり。幼かりし私にとって、これらがどれほど豊かな鉱脈であり、どれほど重要な教科書であり、どれほど決定的な認識枠組(カテゴリー)であり、そしてどれほど大きな楽しみをもたらしてくれたことか。そしてどれだけ多くの厄介なあれこれを私の心に植え付けてくれたことか。

  タイトルから察せられるとおり1999年発売の同人ソフトであり、Win95/Win98を想定して制作されているが、Win7機でも一応動作した(――OPムービーが再生できないとか、キャラ選択画面が色化けするといった比較的小さな不具合はある。web検索すると、Win10でも正常動作させられるとのことだ。18年以上前のソフトなのに……すごい)。

  90年代末には、「主に男性向けの(ただし18禁とは限らない)」「しばしば二次創作の」「同人ゲームが」「ネットの評判で」有名になるという例が現れつつあった。Windowsアクセサリーのような二次創作ソフトもあれば、オリジナルの同人ゲームもあり、そうした中から大量の才能が芽吹いていった。こうした同人ゲームサークルを母体とする商業アダルトゲームブランドも多数存在する(例えばういんどみる[うさぎ倶楽部]やAUGUST[王宮魔法劇団])し、二次創作同人を手掛かりとして商業クリエイターになった者も、イラストレーターからゲーム脚本家、そしてゲームプログラマーも多数に及ぶ。『月姫』などもこの環境の中に生まれてきた。

『Queen of Heart '99』。主な使用キャラはセリオ、綾香、琴音。昔から一人で4人対戦(1P & COM × COM & COM)を延々プレイしていた。乱戦なので単調になりにくいのが長所。難易度「NIGHTMARE」だと、一対二で囲まれるとほぼ即死するので、緊張感もある。

  病中療養を言い訳にしつつ、4人対戦を200戦以上プレイして土日を過ごしてしまった。
  COMキャラは基本的にプレイヤーの行動に反応してくるばかりなので、単体での対処はけっして難しくない(――COM同士の対戦を見ると、超反応任せの強さはあるが、基本的な立ち回りはかなりトロいのが見て取れる)。ただし、ランク「NIGHTMARE」以上だと被ダメージが極端に大きくなるので、リスクのある行動をとりにくくなる。程々に楽しめる難易度は「HARD」までだろう。最上位の難易度「HELL」は、被ダメージが大きすぎるので4人対戦は最早まともに楽しめない。
  味方側キャラの行動をきちんと見て一対二で囲まれないように立ち回れば、勝率95%は維持できる。ただし、敵側が極端な強キャラ2人(特にティリア)だったり、味方側がバックダッシュで逃げ回るルーチンでまともに戦ってくれなかったり、あるいは開幕の立ち回りに失敗して大ダメージを受けたりすると、負けることもある。敵二人が壁際に固まっている状況も、こちらからは攻めにくい(一対二で打ち負ける)ので対応に困る。ともあれ、スコアの目安としては、COM側の4倍を維持するのを目標にしている。
  二対二対戦だと状況が絶えず変化するので、コンボの長さに執着するのは得策ではない。味方側COMを長時間放置することになってしまうのもリスキー。まとまったダメージを与えられる程度の(長すぎない)コンボを確実にヒットさせつつ、常に他のキャラの行動に対応できるようにしておく方が安全だろう。味方キャラ(COM)はSPゲージをうまく活用してくれないので、コンボでゲージを稼ぐ必要も薄いし。こちらが敵一人を抑えている間に、もう一人の敵COMに味方COMが一方的にやられてしまっているという場合もわりとある。

  2対2バトルでは、さしあたっての目標は、敵COMの片方を集中攻撃してまずは一人を倒すこと。COM単体への対処は容易なので、二対一になればほぼ勝ち確定になる。そのためには:
- 味方COMと連携して、こちらが敵COMにコンボを当てる状況を作る。
- コンボが適度につながったら味方COMに任せて、もう一人の敵COMを牽制(攻撃)する。
- コンボが終わるところで、出来れば敵COM同士を分断したままにしておく。
- ふたたび味方COMの行動に合わせて、どちらか一人を集中攻撃する。
- 狙う相手は、体力の減っている方から。あるいは、放置すると危険なキャラから。
- 体力の減っているキャラは攻撃力が上がるので、その意味でも優先的に狙いたい。
- 敵COM同士が集合してしまったら、ダメージを受けないようにしつつ、攪乱して分断を図る。
- 味方COMと敵COMが睨み合いになっていたら、まずはもう一方の敵COMを攻撃していく。
- HARD以上だと乱戦状況はプレイヤー不利なので、距離を取って様子見し、分断を図る。
- 体力やSPゲージに余裕があれば、判定の強い技で乱戦に割って入って分断を狙うのも。
- プレイヤーキャラが最初に倒れることは、絶対に避ける(ほぼ負け確定になるので)。
- ゲージは味方二人で共有。たいていの場合、プレイヤー自身が積極的に使っていってよい。
だいたいこのような方針で立ち回れば、優勢を維持できる。

  逆に、避けなければいけないのは:
- 「味方側のどちらかが最初にKOされる」。→味方COMの状況も常に気をつけておく。しかし、味方COMと敵COMのつつき合いで一方的に負けて、あっという間にKOされてしてしまう場合もある。味方COMが倒れてしまった場合は、二段ジャンプなどで安全な場所に行き、極力隙を作らないようにしつつ、まずは片方を倒すように努めるしかない。
- 「敵COM二人が固まる(集合する)」。→敵AI次第なので、制御しきれないが、左右から囲んで攻撃するなどして分断を図り、まずは弱っている方(または放置すると危険な強キャラ)から狙っていくのがよいだろう。
- 「壁際に押し込まれる」。→壁際はきわめて危険なので、ゲージを使ってでも脱出を図るべき。最悪の状況でも、まずはジャンプ(ダメージ軽減)。
- 「味方COMと分断される」。→味方COMが逃げてしまって、一対二で攻め込まれるような状況は、きわめて危険。味方COMとの連携が出来なくなった場合は、まずは目の前の敵COMを振り払い、味方COMと連携して敵COMの分断を図る。
- 「敵COMがゲージを貯める」。→敵側がゲージを貯めるのはどうしようもないが、敵側ゲージ量は常に気をつけておく。敵COMが強力な3ゲージ必殺技を出せる状況になったら、立ち回りの仕方(位置取り)に気を遣うことになる。
- 「背後から攻撃される」。→背後から攻撃されると、ガードできない(入力方向を適切に判断できない)ことが多いので、非常に危険。特に、「味方→敵←自分…敵」で挟撃している時に背後から攻め込まれると、優勢が瞬時に窮地に変わってしまう。理想的な位置取りは、「自分→敵←味方…(離)…敵」。
  不運にして味方COMの行動パターンが消極的だった場合(バックダッシュで逃げ回るタイプ)は、かなり対応に困る。プレイヤーに出来るのは、まず敵COMの一方をKOすることに努めるくらいだろうか。あるいは、プレイヤーキャラも後ろに下がってしまって、味方COMを囮や盾にするくらいのつもりで、反撃メインの立ち回りにするか。



  03/14(Wed)

  公式サイトで声優フリートークを公開するといったら、TriangleとWhirlpoolが双璧だろうか。実のところ、本編プレイ前に声優本人としてのフリートークを聴いても中途半端なものになりやすいのだが、Triangleの場合は長期に亘るシリーズものだから、プレイ前(発売前)トークでもそれりに具体性のある内容を出せていたし、声優も連続起用されていて気心の知れたトークをされていた。また、Whirlpoolは『ねこ☆こい!』(2010)までの話だが――『涼風のメルト』以降は声優フリートークは無し――、木村氏を初めとするキャスト陣が十分に時間を取ってトークされていたので、聴いていてたいへん楽しかった。

  『その大樹は魔界を喰らう!』、体験版公開中。システム概要を見たかぎりでは、『ママトト』(動く城&防衛戦のコンセプト)+『英雄*魔王』(地図上の移動ルートがイベント進行ルートになる)+『巣作り』(オート防衛戦)のような感じだろうか。

  エンジンにキャプチャ機能が実装されている(cf. 「環境設定」)。今回が初めてだっけ。ファイル形式はPNGとBMPが選択でき、メーカーロゴ等が自動合成されるという親切仕様。キャプチャ画像の利用条件は、画像無加工、非商用&非営利、ネットのみ、大量掲載禁止、18禁配慮など。

  ゲームバランス。ゲーム期間制限(総ターン制限)は無さそうだし、雑魚敵は無限(?)発生するようだし、プリっち自身のマナ回復速度も高いので、ゆっくり進めていけば詰まることは無さそう。おそらくエリアによって汎用敵ユニットの種類も変わるだろうから、取り漏らしの無いように一応注意しておくと良いかも。危なくなればスペシャルスキルで敵を入り口まで吹っ飛ばせば、たいていの状況は乗り越えられるだろう。
  ただし、「ターン短縮のために急行する=敵が集まる」対「敵を個別撃破していくとターン消費する」の状況の見極めをゲーム性の一部としてアピールしているので、局所的にターン制限や行動制限を課すようなギミックを入れてくる可能性は高い。実際、この体験版範囲でも、「無策に直行すると砲撃の射線に入る」対「迂回路を取ると時間が掛かる(&雑魚敵も増えてくる)」という選択肢が与えられている。また、もしかして敵勢力(特にボス配下)がターン経過とともに増強されるというシステムだとしたら、あまりゆっくりしているとクリア困難になる可能性がある。『プラネットドラゴン』や『勇者砲』を見ても、近年のSHCはかなりキツめの――初見ではクリア困難なくらいの――ゲームバランスで作っているので、わりと歯応えのあるものになりそう。

  テキスト上の言及を見るに、進行(侵攻)ルートを選べそうな気配がある。おそらくユニット&レベルの引き継ぎがあるだろうから、2周目以降では高難度ルートも楽しめると予想される。

  背景CGも良い感じ。BGMもなかなか。脚本も、作中世界に存在する社会関係そのものをきちんと状況の大前提として据えたうえで、その中にいる個人のアイデンティティの問題をドラマとして浮き彫りにしている。この点でも、ソフトハウスキャラらしさは健在だ。

  システムボイスはOFFにすべき。この声はひどい。



  03/10(Sat)

  フィクションなどに登場する銃器に関しては、いまだにほとんど区別できない。ごくメジャーなものならばいくらかは分かるし、外見や機構からそれなりに時代や用途を察することも出来るが、具体的にどの銃であるかは、調べなければ分からない。種類もかなり多いので、場当たりの知識の蓄積だけではフォローしきれない。歴史(技術史)を辿り、時間を掛けてきちんと系統立てて学んでおかなければ、そうそう識別できるようにならないだろう。


  即売会会場で、オタクとしての師匠である知人に会って、久しぶりに全力のオタクトークを展開し合ってきた。たいへん楽しゅうございました。
  [ cin-stage.com ]
  イベント自体は、特定タイトルに関する非公式のオンリーイベントのわりにかなり大規模のもので(800サークル)、それでいて、4時間+αの時間が過不足ないくらいに充実していた。元作品はよく知らない(プレイしていない)が、面白そうな同人誌もいろいろ買えたし、キャラクターカード交換会もオンリーイベントならではの秀逸なアイデアだった。
  入場するなり、五十嵐氏(だと思う)のキャラの音声が出迎えてくれたのも、良い思い出。


  [ www.kotobukiya.co.jp/product/product-0000002892/ ]
  やっぱり対魔忍カラーに見える。


  三代氏というとボブカット(おかっぱ)キャラのイメージが浮かぶのは、『キミトユメミシ』の影響だろうか。ただし、出演作をざっと浚ってみたかぎりでは、実際にはロングの方が圧倒的に多いようだ。ヒロイン級では、ボブキャラは『フォーリズム』くらい。役者としては、一筋縄ではいかない複雑かつ濃密な芝居をされており、たいへん聴き応えがある。


  【 同人文化の拡大についての覚書 】
  オタク系同人誌即売会の現代につらなる隆盛の歴史的転換点を置くとしたら、いつ頃になるだろうか。女性向け(コミックシティ)や創作系(コミティア)は80年代からの歴史を持つが、特に男性オタクまたは男性向けと見做されるジャンルにまで二次創作同人が普及していったのは、どのあたりの時期だろうか。
  コミックマーケットの参加者数(cf. [ www.comiket.co.jp/archives/Chronology.html ])を見てみよう。1996年に会場をビッグサイトに移したのは会場側の都合(※晴海閉鎖)だが、翌97年夏には3日間開催が始まっている。参加者数も、晴海時代は一日あたり10万人のところ、ビッグサイトでは一日あたり15万人に増えている。入場人数を制限しているわけではないから、これは会場キャパ増大だけでは説明しきれないだろう。企業のコミケ出店も90年代末から00年代初頭に掛けて拡大し、元々は同人誌に興味のなかった層にも、即売会来場の動機付けとなっていった。
  また、1998年9月には「比較的大型で」「定期開催される」「男性向けの比率が比較的高い」「オールジャンルの」同人誌即売会として、サンクリが始まっている。折しも90年代末はインターネット上での趣味交流の機会が爆発的に増加しており、そうした社会的環境の変化もこの状況を後押ししたと思われる。さらに、同人誌の店舗販売や通販サービスを扱う企業として、とらのあな(1996年創業)やMelon Books(1998年創業)もこの時期に現れている。こうしたインフラ整備によって、同人文化は「関東中心の夏冬数日間だけのイベント」ではなく、「全国的にアクセスできる日常的な文化活動」になった。
  こうした事情から、現在のような活発な同人誌即売会開催、認知度の高い同人市場、規模の大きな同人流通、裾野の広い同人文化が定着したのは、おおまかにえば90年代後半以降のことだと述べてよいかと思われる。
  もちろん、この時期以外にも、漫画同人文化にはいくつかの歴史転換点は見出されると思うが、同人文化の現代的形態――つまり上記のような、全国どこでも楽しめる日常的なオタク分野の一つ――を基礎づけたのはこの90年代末頃だと述べてよいだろう。

  この時期は、
- 商業漫画界の再編成(新興雑誌の出現:とりわけメディアワークス系)、
- 四コマ漫画の拡大(とりわけ『あずまんが大王』以降の萌え系四コマ)、
- 深夜アニメ枠の出現、増加、一般化(1997年以降)、
- ライトノヴェルの再興(龍皇杯が1998年から。ポストあかほりさとる時代?)、
- アダルトPCゲームの興隆(『ToHeart』が1997年。ビッグセールの『臭作』が翌1998年)、
- 男性向け同人の飛躍的な規模拡大(上記)、
- コスプレの普及(90年代のメイド喫茶あたりも影響しているだろうか)、
のように、男性寄りのオタク文化各領域が同時多発的に盛り上がり、メジャータイトル以外のものにまで裾野が広がり、流入する人材が増加し、そして個々のクリエイターが注目されるようになっていった。一口に言えば「萌え」の文化が花開いたと言ってよいだろう。このようなオタク界隈における大掛かりな転換期は、例えば日本経済の沈滞なども逆説的に影響していると思われるが、いずれにせよ90年代後半のこの時期を一つの目安として捉えてよいのではないかと思うし、そして、この時期に形成されたパラダイムは2018年現在にも直結している。80年代以前にもオタクあるいはマニア的な趣味の広がりはあったが、現在のオタク文化のありようとは断絶していたり、かなり変質していたりするように思われる。もちろん、ごく大雑把にこのような目処を付けたとしても、個別の議論を展開するには、各論的な実態分析を深めていく必要がある。



  03/09(Fri)

  「小波(こなみ)」名前の声優さんが複数人いらっしゃるので、新作チェックをする度にドキドキするし、混乱もしそうになる。認識をきちんと整理するためにメモしておくと:
- 大波こなみ氏:言わずと知れた、えr…もとい、「仏の大波」さん。
- 小波渡 陸(こばと・りく)氏:2010年デビュー。アトリエさくら作品が多い模様。
- 小波(さざなみ)すず氏:2015年デビュー。メイン級の作品はまだプレイしたことが無い。
- こなみ由梨氏:2016年デビュー、桃組。来月の『その大樹』が初遭遇になりそう。
  でもって、ちょうどこの3月は小波渡氏=『~変態すぎる』、小波氏=『雲上の~』『イマドキ女子』、こなみ氏=『なつえっち2』と、それぞれに出演作があって揃い踏み状態(※しかし大波氏の新作が……泣)。今この文面を見ても、ああ、これは混乱するのも仕方ない。もちろん、個々の声優さんには何一つ非のない話なのだけど。

  くすはら(楠原)ゆい氏と榊原ゆい氏のことも、一度名乗られたお名前を変えることになったのは可哀相ではあるけれど、ユーザーサイドとしては、芸名を付けられるならば既存の同業者のお名前と混同しないようにしていただけるとありがたいというのは確かでして……。
  いまだに「木葉楓」氏と「本渡楓」氏を読み間違いそうになるのは、私がおかしいだけかも。


  桃組は聴いていて辛い。ちゃんと舌が回っていない率が高すぎるし、いかにも「腹から声が出ていない」発声だし、芝居それ自体も皮相的で上滑りしまくっていて……。ここまで来ると、個々の声優が才能があったかどうかの問題ではなく、おそらく教育訓練体制と収録ディレクションの側に致命的な問題があるとしか思えない。ここの収録だと、口先のピチャピチャ音(リップノイズ)も取れていなくて非常に汚いし。リップノイズは、人間の口の構造からして、声優自身が努力しても完全に無くすことはできないらしいから、それをちゃんと消すのは音響監督の仕事だろう。
  昔は良かったというわけでもないが、00年代前半頃までの桃組は玉石混淆の「玉」の側もわりといたし、黄組やAG組にも未熟すぎるのがたまに出てくることはあるけれど、それでも上限の低さ、平均の低さ、下限の低さ、いずれも近年の桃組は悪い意味で突出しすぎている。新作チェックでも、あからさまな桃組十把一絡げキャスト(ということは、おそらく桃組収録)のタイトルは、よほど魅力的な要素が無いかぎり、手が出せなくなっている。創作の世界で頑張っているクリエイターさんたちには敬意を持っているし、若手のクリエイターさんはできるだけ寛容に見守っていきたいけれど、さすがに限度というものがある。いったいどうしてこんなことに……。


  別媒体での再検討的思考を数時間ほど試してみたが、意味が無い(成果が得られない)と判った。後に残さない書き捨てのつもりで自由な思考が出来ればと思ったが、実際には書き捨て並のことしか書けない、不自由な条件を自らに課しただけだった。一人反省会などというものは、他人の目に晒して面白いものでもなかろうし。それに、100個以上の投稿を後で一つ一つ消していく面倒さにも今更気づいた。元々は「ログを流すついで」くらいのつもりだったのだが……。というわけで、向こうは早めに店仕舞いしてこよう。反省会それ自体は、する意味があるので、早いうちにどこか別の機会に実行する。
  私が日頃作品に接しているクリエイターさんたちにも、この機会に感謝のリプライを出せるかなあ、などと考えていたが、残念ながらそんな余裕は無さそうだ。

  いわゆる引用リツイートは、他の任意の投稿をURL指定して構成することができる筈であり、個々の投稿は実際には末尾の数字列部分で特定可能になっている(ユーザーネーム部分は自動的にリダイレクト処理される)ので、「投稿時点ではまだ存在していない、将来の(何者であるかも分からない)特定投稿のアドレスを指定して、それを向けてメッセージを送るような投稿をする」という投瓶通信ごっこをすることができる(と思われる、たぶん)し、あるいは、「自らの当該投稿が割り当てられる数列部分をあらかじめ自ら指定して投稿する」という自己言及リツイート(再帰的ツイート)をすることも理論上は考えられる。個々の投稿にどのような数列が割り当てられるかをあらかじめ予測することは少なくとも素人レベルでは不可能だが、もし可能ならばやってみたかった。
  ※追記:[ d.hatena.ne.jp/ku-ma-me/20160920 ]:同じ発想を実際に遂行された方がいる。


  アイチョ#178。ある人の血液型を当てようとする場合、二人が交互に解答するならば、先攻と後攻は確率的にイーブンなのか。AとBの二人が答えるとして、最初のAが正解するのは1/4、つまり25%。次のBで正解するパターンは、「Aが外したのち、残り3択から正解する確率」だから、(1-0.25)*1/3=0.25。同様に計算すると、その次のAで正解を当てるのも0.25になり、最後のBでようやく正解に当たるのも、差引きしてもちろん0.25。だからAとBは完全に五分五分。もっと簡単に考えてもいいけど(例:当たりが4本中1本だけ存在する籤引き)。選択肢が偶数の場合はすべて平等だが、選択肢が奇数の場合は、解答機会が平等ではないので先攻有利。


  [ www65.atwiki.jp/4yiedprldk9qp5ayt3x1/ ]
  ドラマCDを収集整理するのはさぞや大変だろう。特にアダルトゲーム分野のものだと、
- 店舗別特典の形式が多い(製品版本体ごと買う必要があるし、店毎に内容が異なる)。
- 同梱特典なので、キャスト情報などの詳細が事前公開されていないことも間々ある。
- それほど市場が大きくないので、品数が比較的少なく、後から入手するのが難しい。
- そのわりに、種類それ自体はかなり大量に存在するので、網羅するのは難しい。
- 中古入手しようとしても、透明プラケースに入っているだけなので、店頭では探すのが大変。
- プラケースにCDが入っているだけなので、それのみでは発売情報などを確認できない。
- 例えば書籍のようにパラ見することができず、内容のチェックに時間が掛かる。
といった悪条件がある。特定の一人の声優さんをカバーするだけでも大変なのに、それらをまとめて整理していくというのは、尋常ではないハードワークだと思う。
  趣味として本気で取り組むつもりがあって、それなりの資力を持っており、多数のゲーム製品版を複数買いする覚悟があり、毎月の新作公式サイトから中古通販までまめにチェックしていける勤勉な人であれば、出来ないことではないと思う。
  私自身は、残念ながらめったに聴かないのだけど、聴いていて楽しいというのは理解できる。製品版をプレイする前に聴いても仕方ないので、製品版パッケージの中に特典CDを突っ込んでおくのだけど、そうするとコンプリート後でわざわざ取り出して聴くのも面倒になってしまうという、扱いの難しいアイテムだ。VFBに入っているCD/DVDであれば、ちょうど良いタイミングで聴ける。


  ブランド名の「ONE-SHOT」って、そのままone(おね)-shot(しょた)なのか……駄洒落かよ。
  作品の趣向は面白そうなので、うまく完成させて発売していただければと思う。


  【 ゲームと作中の時間継起コントロール 】
  ゲーム作品には、プレイヤーによる参加的性質が明示的黙示的に含意されており、それゆえ、プレイヤーの判断が正当なものとして尊重されるような諸条件が暗黙裡に求められる。すなわち、前提条件として作中世界の(ひとまずの)整合性が期待され、それを所与としたプレイヤーの行動が一応合理的な相互作用を持ちうることが期待される。つまり、ゲーム作品は――SLG作品だけでなくAVG作品においてすら――、作者が一方的に提示する物語ではなく、架空世界をシステムとプレイヤーが協働的に生成展開するという、(きわめて広い意味での)シミュレータ的性質を伴うことになる。
  それはそれでよい。ただし、そのことはおそらくゲーム作品の進行の順序を制約しがちである。具体的には、物語は原則として主人公の「現在」の時間においてのみ展開される。時系列的進行を攪乱することは、敬遠されがちである。過去に関しては、記憶喪失主人公設定のような特別なエキスキューズを与えたり、あるいはフラッシュバックのような特殊な位置づけで表現したりすることはできるが、とりわけ未来(の先取り)は難しい。また、マルチエンド形式ゆえに未来の事態を特定させるのが難しいとか、マルチライター体制の下では時系列的攪乱を適切に処理するのが難しいといった事情もあるかもしれない。
  とはいえ、アダルトゲームでも、そうした制約を乗り越えてドラマティックなフラッシュフォワード演出を盛り込もうとする挑戦はさまざまに試みられている。例えば、1)拡充された共通パートの範囲内で序盤のクライマックスを先んじて提示する劇的フラッシュフォワードを敢行したり(『ツナガル★バングル』)、2)慎重に設計されたループもののゲームの中で眩暈のするような過去現在未来の二重写しや三重写しを展開したり(『夢幻廻廊』シリーズ)、3)分岐の乏しい一本道の中で遂行したり(『マブラヴ』シリーズ)、4)グランドフィナーレで発生する出来事を前半のうちから匂わせておいたり(『カルマルカ*サークル』)、5)本編の時系列進行が正式に始まる前にゲーム本編の一番最初の部分で行う、といったように、読み物AVGとしての展開の自由さをできるかぎり拡張していこうとする試みはアダルトゲーム分野でも不断に続けられている。

  AVG作品で複雑な時間的継起を扱うのは難しい。それをまざまざと見せつけてくれた一例が、『りんかねーしょん☆新撰組っ!』――の失敗――だった。頻繁なフラッシュバックや視点移動は、状況進行を理解しづらくしているし、とりわけAVG作品では視点人物が画面に現れないこともあって、個々のシーン乃至カットを時間的-空間的に位置づけて把握するのが困難になっていた。

  アニメや映画の場合は、フラッシュフォワード演出や時系列攪乱構成はもっと頻繁に行われている。漫画やLNも、個人制作的性格が強いので、コントロールしやすいだろう。ゲームの場合は「多人数制作」+「プレイヤーの参加的要素」+「マルチエンド」という特有の難しさがある。



  03/06(Tue)

  そんなこんなで、予想外の止むを得ない事情から昔の某アカウントにログインすることに。どうしようか、せっかくの春休み(仮)だし、このまましばらく滞在してみようかな……と思ったら、さすがに平日の午前中は投稿も少なくてずいぶん閑散としていた。
  ひとまず一週間くらいを目処に、しばらくあちらで過ごしてみる。そして、「このブログを一ヶ月(またはそれ以上)休眠する」というのも以前からずっと考えていたので、当面休止させておこう。沈黙したままでいられるかどうか分からないが。
  それにしても、あんなきっかけとそんな偶然でこんなことになるとは……。


  追加の引用スクリーンショットを撮るために『ソラノヲト』を再視聴。のどかな民族音楽風の劇伴を基調としつつ、演奏者の呼吸のリズムをくっきりと反映するラッパの音色から、繊細な触覚的イメージを伝える効果音表現に至るまで、音響面では非常に豊かでデリケートな演出が施されている。それと歩調を合わせるかのように、脚本それ自体はむしろ寡黙で、喋りすぎない節制が利いている(――無言シークエンスの長さという物理的な意味でも、台詞で説明しすぎないという修辞的な意味でも)。そして、台詞と台詞の間の沈黙の時間にも、確かな情緒が埋め込まれている。背景美術の充実と、上品なユーモアのある脚本と並んで、この情趣豊かな沈黙の時間は、本作の中でも特にすぐれた価値のある一側面だろう。

  劈頭の第1話が力の入った内容になっているのは当然としても、つづく第2話もたいへん面白い。第2話Bパートの廃屋探索のシークエンスは、画面全体が水平を失ってしばしば斜めに傾斜しており、ダイナミックな奥行きのある構図も頻出する。その一方で二人の幼い少女たちを映す際にはしばしば顔を大写しのクローズアップにしており、彼女等の心理のこまやかなディテールを視聴者に訴えようとしているかのようだ。さらに、二人の会話の音声進行のテンポと画面上の映像進行のリズムとが絶妙の仕方でずらされており、その二重進行が迷路探索のような浮遊感と不思議な迫真性を生んでいる。脚本面では、音楽(≒人の心)は時間と地域を超えて通じるというモティーフがはっきり提示されており、さらに多脚戦車から電信設備、遠未来設定に至るまでの情報も如才なく織り込まれている。第7話のことを思い出しておくと、「幽霊」を巡るフィリシアの言動も趣深い。「初陣・椅子ノ話」という、控えめにウィットを利かせたサブタイトルに至るまで、神経が行き届いている。作品全体の中では、ただの導入的なクレハ回の筈なのに、どうしてここまで力が入っているんだ……。この第2話の絵コンテは神戸監督自身が担当している(※神戸氏の絵コンテは第1、12、13話も)。

  キューベルワーゲンは主に第4話で出てくると思うので、そこまでは観ておこう
  第4話も雨アニメとしてたいへん趣のある回だが、夏服に替わった第5話も、背嚢姿のとぼけた雰囲気を初めとして、寛ぎのあるユーモアに満ちていて楽しい。第9話も雨アニメ。筋立ては古典的なネタの組み合わせだが、端正にまとまっていて気持ちの良い回だった。ラストシーンで写真の胸部に潔く×印が付けられているところまで、よく行き届いている。
  というわけで、最終話まで視聴してしまった。満足。ディスク版なので、もちろん12+2話編成で観たのだが、第7.5話と第13話は無くてもいいかなと思う。前者は作りが月並だし、情趣の乏しいギャグ回だから。せっかくの「私のあなたたち」をここで出してしまっているのもマズい。ナンバリングのうえでは、よりにもよって第7話の直後だ。後者の第13話はけっして悪くはないのだけど、やはりこの作品としては言葉で語らせすぎていて、いや、けっしてちっとも悪くはないのだけど、ユミナさんが趣味の悪い巾着袋をブンブン振り回すシーンのアニメーションとかも含めてすごく楽しかったのだけど、しかし第12話まででバッサリ終わらせてしまった方が潔いかもしれないと思わないではない。

  「ありがとう」「ごめんなさい」をちゃんと口にするキャラクターは、やっぱり好感が持てる。フィクションの中のコミュニケーションでも、相手の言葉をきちんと受け止めている様子が視聴者にはっきり伝わってくるからだ。

  この作品といい、『少女終末旅行』といい、海に魚(生命)がいなくなったというのを自然の致命的破壊の象徴として描くのは、日本人らしい(あるいは島国文化らしい)感性と言えるのかな。たしか『エヴァ』(TV版の南極や劇場版の赤い海)もそうだった筈。
  その一方で、海面上昇は、(現実的にいえば島嶼国にとってはとりわけ致命的なのだが)オタク系フィクションではしばしばロマンティックな風景のために用いられている。アダルトゲーム分野でも、『しすたぁエンジェル』しかり、『はるかぜどりに、とまりぎを。』しかり。そしてふたたび上記『エヴァ』も。

  寝室での下着姿や風呂場のシーンにもいやらしさが無いし、グロテスクな描写もほぼ無いので、子供にも見せられる作品だと思う…のだが、ああ、11話でフィリシアさんがアーイシャへの鎌掛けで余計なエロ台詞を発していなければ……。


  『放課後のプレアデス』のことをすっかり失念していた。実際、作中では実在の自動車そのものが登場することはほとんど無いのだが、むしろ自動車メーカーが出資参加しているという成立経緯が興味深いので、なんとかして加筆言及しておく。
  全話再視聴は大変なので、レガシィが映っている第3話をつまみ食いで……あっ、藤田ヴォイスの明晰な切れ味が素晴らしくてついつい聴きほれてしまう。
  『プレアデス』もお色気要素が慎まれており、その観点では安全な作品と言える。すばるのヒップアタックとか水着回とか「キャーッチ(できない)」とかはあったし、また、作品のモティーフそれ自体はけっして人畜無害というわけでもないけれど、全体としては品のある作風を維持している。しよーもない配慮ではあるが、オタク以外の知人(とりわけ文化的バックグラウンドが大きく異なる外国人の友人)に薦める際には、そういう要素の少ない作品の方が無難だというのは確かだ。


  ついでに『アルペジオ』も再視聴して、ちゃんとしたSSを撮って引用掲載しておこう。TV版全編をフォローするのは大変なので、例によって劇場版に絞る。そちらの方が、絵そのものの品質は高くなりがちだし。

  フル3Dアニメーションを静止画にして見ると、意外な発見があって面白い。例えば海面の波打ちも、実際の動画ではごく自然な流体の動きに見えるのだが、静止画として見ると色数そのものはほんの3~4色程度しか使用していないのが見て取れる。動き(アニメーション処理)の妙だろう。

  掲載するSSの選別は難しい。今回の『アルペジオ』の場合、考慮すべき条件は、
  1)3Dモデルとしての精密さが見て取れること。爆発などのエフェクトが掛かっていない、きれいな画面の方がよい。複数の艦が映っていればさらにお得。
  2)艦船としてのシルエットが(艦船に詳しくない読者にも)把握できること。自分自身の過去の経験に照らしてみても、艦船に興味のない人には、写真を見ても何が何だか分からない(船なのだということがそもそも認識できない)という可能性が高い。一部のみを拡大しているショットだと分かりにくいし、正面からの映像も普通の人には分かりにくい。できれば横からの全体像が望ましい。しかし、ロングショット志向になるため、上記1)と相反しがちな要請だ。
  3)可能ならば、作品固有の特徴が見て取れること。本作の場合は、超兵器バトルとしての側面は重要だろう。例えば船体の発光模様や、アーム伸張状態、必殺兵器を展開した状態など。ただし、やりすぎると細部が見えづらくなりかねない。これも上記1)と相反しがちだ。
  4)可能なかぎり魅力ある画面であること。バトルシーンあたりはその要求を満たしやすい。しかし、動きのあるシーンだと、細部が見て取りづらくなる虞がある。
  5)おまけ。個人的な好みも入れたい。
  ……というわけで、最終候補として「序盤ムサシの超重射撃」、「アシガラとナチの併走」、「緒戦敗戦後のアシガラ&ナチ」、「タカオとハグロの交戦」、「ミョウコウの左舷側長距離砲展開」、「最後のヤマト&ムサシの交錯」が残ったが、いろいろ考えてこれにした(下記画像)。ディテールがよく見て取れる貴重なショットだし、敵艦との交錯というなかなかドラマティックな瞬間でもある。タカオは準主役級でもあり、ハグロはCV:五十嵐氏だから(ここ重要)、個人的な好みとしても嬉しい。ただし、艦影が把握しにくいという欠点は残るし、分かりやすくビームなどを発射しているわけでもないのだが、全体としてはなんとか満足できるチョイスになった。
  ちなみに、「緒戦敗戦後のアシガラ&ナチ」のカットも、単体として見るとなかなか魅力的だったのだが、今回の引用資料目的としては使いにくかったので、外さざるを得なかった。満月の下、アシガラ(人体)が海面に浮かんでバシャバシャやっているシーンで、前景には水浸しのナチ(船体)の主砲が大写しになり、後景にはアシガラ(船体)が斜めに突き出ているという、なかなか超現実的な情景。傾いた艦橋にナチ(人体)が佇んでいるのも可愛らしい。

『劇場版 蒼き鋼のアルペジオ -ARS NOVA- Cadenza』(2015年公開)。人物に至るまでフル3Dで制作されている。左記引用画像は、巡洋艦タカオ(手前)とハグロの交戦シーン。

  これらのスクリーンショット掲載を、当該記事では正当な引用の範疇として行っているつもりだが、ただし、そのまったく同一の画像――しかも同一のアドレスに存在するファイルを指定しているだけ――を同一のブログ内の別の箇所(つまりこのページ)で再掲するのは、認められる行為なのだろうか。権利者の利益は何も失われていない筈ではあるが、こうした再掲が100%正当化されるならば、一つでもエクスキューズの効く使用がありさえすればどこにでも無限に、しかも不必要にベタベタと貼り付けてしまえることになってしまうので、やはりおかしい。一度掲載した同一の画像ファイルであっても、みだりに再掲するのは憚るべきだろう。一応、このページでも引用画像選別に関する実例としての意味を持っているので、こちらはこちらで引用として正当化される要件を別途満たしている筈。

  それにしても、技術的には当時の日本の3Dアニメとして最先端を行っているのに、演出は力任せでストーリーの味付けはオールドファッションと、奇妙にアンバランスな作品だ。ただし、後二者の要素は、原作漫画ではなくアニメ制作者側によってもたらされたものだが。(※漫画版の方が良いという話でもない。)

  ちなみに、この作品に限らず、TVアニメ版の後の劇場版や単発OVAはあまり好きではないものが多い。各キャラクターにいちいち見せ場を作ろうとして筋立てが散漫になったり、本編の落ち穂拾いのように細かい裏設定ネタをクローズアップして鬱陶しくなっていたり、劇場版仕様で画面演出がクドくなりすぎていたり。それどころか、後日談仕様の場合は、TV版でいったん結末を迎えたものを再開させているわけだから、無理のある状況設定になったりする。

そんなわけで、ちょっと珍しくアニメ三昧の一日になった。


  ブログ休眠しようと言ったのに休眠しそうにないとか休眠してないとか言わない。


声優の自衛隊訪問DVDというのはこれとこれ。うーん、控えめに言って、ちょっぴり刺激が強いかなあ。同様の企画はこの他にも多数存在する(cf. [ apg.blog3.fc2.com/blog-entry-2970.html ])。



  03/04(Sun)

  ふと鏡を見ると、そこには1/1スケールのフル可動の有機ドール素体が……。保存状態もそれなりに良いし、生体AI処理でオート着脱機能まで付いている。何か着せ替えしてみようかな。
  (人それをコスプレという。)


  「キャラクターになりたくて声優になった」というのは、うーむ、私にはよく分からないが、自分自身のアイデンティティを「キャラクターになること」、「キャラクターそのものになること」、「キャラクターを演じること」、そういったものに賭けきることのできる人が声優(役者)になるのだろうなあ。演じることをみずからの人生の仕事とすることが出来る声優さんたちは、とても特殊でそして強靱な精神構造の持ち主なのだと思う。


  fengの新作『ずっと前から女子でした』は、えーと、鶴崎氏原画としては実に5年ぶりなのか。エロティックというよりはなんだか変態的なフェティシズムが滲み出ているのがすごい。例えば、
  [ www.feng.jp/zutto/images/10thcg02.jpg ](※アダルトCG注意
ヒロインの前髪が男性のそれに絡まっているあたりなど、いったいどういう発想でこんな表現ができるのかと恐れ戦いてしまう。そもそも、男性のそれを顔にベタリと乗せるって……怖い。振り返ってみれば、原画担当の前作『小さな彼女の夜想曲』でも、顔乗せ+前髪絡まりプラスアルファな、かなりエキセントリックな一枚絵を描いておられたのだった。
  [ www.getchu.com/brandnew/750616/c750616sample5.jpg ](※アダルトCG注意
  こんなふうに、ただ単に性的というよりは、背徳感の混じった猥褻感が強烈に香り立つイベントCGが出てくるので、見逃せない原画家の一人であり続けている。画集のコメントによれば、これでもまだ趣味嗜好の発露を抑えておられるらしいが……。

  まだキャスト情報の出ていないタイトルもあるが、今週中には新作チェックをする。今月は『恋フラグ』と上記『女子でした』に注目するとして……『研修日誌』はピンク系ロープライスなのに五行氏が主演されているのがかなり意外だった。


  うう……目の痛み(たぶん花粉)と頭痛(たぶん低気圧)で、何も出来ない……。洟はほとんど出ていないから、もしかしたら花粉症ではなくて単なる風邪か何かの可能性もあるが、症状の出方は個人差があるから、やはり花粉アレルギーなのかもしれない。去年の3月は自宅に籠もって1/350艦船模型を作りまくっていたが、今年はこんな状態で、はたして生産的に過ごせるだろうか。


  ◆◆◆美味しい、美味しいよう……◆◆◆サルミアッキを口に含んでいると嬉しくなってくる。そして、じんわり嘗めていると気分が落ち着いてくる。色物お菓子のように言われることもあるが、甘物(スイーツ)だと思わなければよいのであって、要はハーブを煮詰めたような硬めのグミなのだと考えれば、たいへん面白い味わいを楽しめる。

  目と頭の痛みがつらいので、今日はもうサルミアッキを嘗めながらBDでも観て過ごそう。


  【 こんなげーむにまじになっちゃってどうするの 】
  [tw: 969407233699139584 ]
  いやいや、これはフィクションの描写、しかも明らかにストレートには作っていないネタ作品(プロパガンダアイテムなどではない)、それどころかメーカーはあの蛇ノ道ハ蛇ソフト(※パロディやブラックジョークの大好きなブランド)なんだぞ……。もちろんこの作品に含まれている政治観はけっして深みのあるものではなく、それどころかもしも現実の政治的議論として見るならば滅茶苦茶なのだが、それはフィクションの領域であればこそ許される(あるいは楽しむことのできる)奇怪な戯画的表現として受け止めるべきものではないか。
  この投稿に素朴に乗っかって、この作品が表現している政治的偏見を嘲笑している人たちは、ブラックジョーク的創作世界とベタなプロパガンダを区別できないのか。アダルトゲーム、つまり成人並のタフな理解力を前提とした野放図で猥雑でパワフルな創作分野のことを、あなたたちはもう忘れてしまったのか。しかも、4年も前のタイトルを今頃引っ張り出してきて何を驚いているのだか。

  もう少し細かいことを言うと、このタイトルで取り上げられている護憲/改憲は、主に9条に焦点を当てており、人権規定には触れていない。だから、全体主義/個人主義の対立軸がズレて見えるとしても、それはべつに論理的には矛盾していない。作品のテキストから外れた、現実の政治的議論の特定の文脈を恣意的に読み込んで作品を批判するのは、政治的議論として洗練されていない以前に、テキスト読解としてナイーヴすぎないか。さらに言えば、論理的な矛盾の有無を検証するにしても、これが意識的な皮肉でないかどうか、実際に作品をきちんと確かめてからでなければ結論は出せないだろう。
  実際にアダルトゲームを嗜んでいる知的な人たちは、バカゲーはバカゲーとして楽しんでいるのだ。こんなゲームをバカ正直に捉えて吹き上がったりなどはしない。遊びの領域と現実政治の領域が別物であることは、言われるまでもなく重々承知のうえだ。それどころか、現実政治上の表現規制等のうんざりさせられる問題のせいで、深い理解を持つことを強いられすらしてきたのだ。君たちは今更それを外部から――しかもあろうことか人権派の顔をして――踏み躙るつもりか。こんなにも愚劣で質の低いブラックジョーク的創作こそは、自由な表現の領域にあることをまず認めるべきではないか。
  上記投稿者のプロティールテキストを見たら、「『現実と空想の区別がつく』が実践できてなかった業界の内部告発」云々と書いているけれど、そのお題目は何のためにあるのか。この作品をきちんと空想の世界のお遊びの側に置いて、みずからの政治的立場の如何にかかわらず大笑いしながらプレイすることこそが、現実と空想の区別をつける姿勢ではないのか。たかがポルノゲームの味付けとしての政治的表現を掴まえて一々しかつめらしくその誤りを非難することが、剥き出しの現実政治によるフィクションに対する侵略行為でなくて何だというのか。アダルトゲームだからといってバカにしてはいけない(見くびったり異物扱いしたりして安易に攻撃してはいけない)が、しかし同時に、アダルトゲームは基本的にはバカにすべき(現実的主張そのものと同一視せず、趣味の領域に置いて笑って楽しむべき)ものなのだ。そして、ゲームやアニメや漫画や娯楽小説で描かれているような、経済バトルの浅薄さや、法的争いの無数の誤りや、兵器描写の無知や、医学的な誤解や、あまりにも拙劣なイラストや、非現実的な必殺技表現およびSF的武器や、哲学者の言葉の引用が専門家からは失笑されるような使い方であることや、 あるいは生物学上の、歴史学上、天文学上、物理学上のあらゆる非-現実的な描写が基本的には微笑しつつ見過ごすべきであるのと同様に、フィクションの中で政治の領域に触れている部分も、そうした寛容の下で受け止められるべきだろう。人々は自分がよく知っている(と信じる)事柄に関して、その真理要求を虚構世界にまで突きつけようとしてしまいがちだが、それは厳に戒められるべき錯誤だ。

  90年代からのあのアダルトゲームの自由さ、大人向けのブラックジョーク、滅茶苦茶な闇鍋ぶり、そしてそれらをしたたかに楽しむゲーマー精神。それが忘れられてしまっていることにがっかりしたし、それが2018年現在のこのあまりにも余裕のない政治的対立構図によって塗りつぶされてしまうのがいかにも今風で物悲しい。現代社会は政治抜きには存在し得ないが、しかし人々の関心事が政治だけになってしまってはいけないのに。そして、アダルトゲームこそは、現代のオタク諸分野の中でも、男の娘の尊厳を破壊し尽くす『家畜人ヤプー』並の描写から、禁裏に踏み込んでの主上弑逆のシーンに至るまで、あるいは見境のない乱婚的ハーレムの帰結としての流血沙汰から勇者の露悪的パロディたる鬼畜王に至るまで、最も先鋭的な「大人向け(アダルト)」の表現を存分に享受してきた重要な一領域であったというのに……。

  ただし、これは政治だけの問題ではないと思う。自由な非現実的空想に満ちた創作世界に対して、現実世界準拠のベタな真理基準をそのまま適用して、その良さや正しさを判定しようとする素朴な姿勢は、政治問題に関わる時だけでなく、脚本のリアリティ要請や兵器表現のリアリティ要請、あるいは現実の生物学的知識をそのまま架空世界の生態系表現に適用して断罪しようとしたり、現実の弓道の作法を架空キャラクターにまで強制しようとしたりする愚かさと通底しているだろう。現実はまさに我々の実在する唯一のリアリティであるが、それはあらゆる創作世界をも常に支配しうるような正しさではない。現実を再現しようとする際の正確性と、イマジネーションの創造的な価値とは、混同されてはならない。創作世界に対する現実性要求の息苦しさは、現代のオタク世界にも蔓延している。
  もちろん、先日の「実在兵器」記事も、現実準拠の兵器表現をけっして評価してはいない。そのような正確さが、創作の面白さを退屈な知識の答え合わせ遊戯に還元してしまう姿勢や、あるいはもっと端的に言えば創造性の欠如と結びついていく――もしくは、すでに結びついている――のではないかと危惧している。

  あらためて述べるが、90年代からのPCアダルトゲーム分野が、ハイアート領域ではなくあくまでオタク文化の広がりの中で、きわめて過激で突き詰めた表現を展開してきたことは、高く高く評価されるべきだと思うし、オタクに限らず現代文化全体にとって幸せなことだったと思う。これほど不道徳な表現が、公然と大規模に開拓され、そして多くの人々――しかも、早くから自前のPCを持ってそれを使いこなしていた先進的な意識の持ち主たち――の間で、あくまで趣味としての枠の中で豊かに享受されていたというのは、本当に素晴らしいことだ。それは、人々の世界の認識や思考可能なものの限界を広げる営みであり、世界の多様性に対する人々のキャパシティを広げてくれるものだった。それは、既存の世界認識から退屈に反復されたリアリティなどではなく、現実にはあり得ないような滅茶苦茶な性格設定の(それでいて確かに萌えるような)キャラクターや、歴史上試みられてきたエキセントリックな性表現(例えばサドマゾヒズム)を引き継いだ現代的な視聴覚メディアとしての鮮烈な表現を、大量に提供してきた。復讐心から十代少女たちを監禁してひたすら執拗に性的蹂躙を加え続けるようなタイトルが、100枚以上のフルカラーCGと声優たちによる真に迫った芝居をもって表現され、しかもアングラではなく家電量販店の一コーナーで堂々と販売されているなどという自由さは、――もちろんそれが「18未満購入禁止」という制約の下、フィクションとしての枠内に留められ得ているかぎり――この世界の自由さの現れとして、そして人々の健全な弁別能力の現れとして、言祝ぐべきではないのか。
  ただし、結局のところ、オタクの中からも、あるいは現代アートシーン全体の中でも、そうした視点からの巨視的な位置づけおよび評価をきちんと論じきった人物はいないように見受けられる。もったいない話だ。

  アダルトゲームに付き合ってきた者として、さすがに今回の件は憤懣を抑えられない。ゲームの表現は、あるいはバカゲーの馬鹿馬鹿しさは、そんなに安直な仕方でバカにしてよいものではなかった筈だろうに……。

  そういえば、私の見聞していた範囲では、特に『まおゆう』(2013年アニメ化)のあたりから、SNSのオタク界隈でも、フィクションの表現に対してもベタな政治的主張を投影する傾向が強まっていたように思う。あれでも、もう5年前か……。しかもそうした傾向は、不道徳表現を包括的に抑圧しようとする側だけでなく、フィクションの中のキャラクターに対して人権侵害を行う表現を(おそらくはいわゆる「左派」寄りのサークルに属する人たちが)ベタに非難するという捻れた状況としても現れるようになっていた。寒々しい話だ。

  上で言及したタイトルは、たしか護憲パッケと改憲パッケの2種類で発売されていたと記憶する。わざわざ両サイドを平等に作ってみせていることからも、そしてこんな無駄にコストの掛かるかたちで発売したことからも、政治的論点を取り上げる本作のコンセプトはあくまでネタであり、しかも本気のネタであることが察せられるだろう。

  ちなみに、似たような例として、Liar-softはとあるタイトルを「男の子向け」と「女の子向け」の2種類で発売した。これは一見すると人畜無害であり、あるいは女性ユーザーに対して配慮を利かせたもののように見えるが、むしろこれこそは邪悪な振舞いだと思う。発売当時も、私ははっきりと批判の言葉を出していた筈だ。
  これはフィクションの中の(ジェンダー)表現ではなく、虚構のテキストを超えて、まさに現実に存在する人々(つまりユーザーたち)のジェンダーを名指ししようとするものだ。しかも、アダルトゲーム分野は、性差に囚われずに自由な虚構の性表現(を含む様々な表現世界)を楽しむことのできる分野であるのに、ユーザー個々人に己のジェンダーアイデンティティの踏み絵を強いる行為であり、匿名なユーザーたちの間に「ジェンダー」という壁を置いてしまうという意味で、アダルトゲーム分野の自由さを損なう振舞いだったと考えている。あの件でLiar-softに失望したものだった。



  03/02(Fri)

  今月はどういう趣味活動を重視していこうか。購入済みの旧作ゲームが溜まっていて、それを消化していくだけでもかなり掛かるので、そちらに時間を取られるかも。「朱羅」2体も、部分塗装程度でも完成させておきたい。最近は映画視聴に身体が慣れてきた感じがするので、未視聴のディスクも消化していきたい。机上の眼鏡っ娘フィギュアたちに見守られながら、今月もできるだけ楽しく過ごしていければと思う。

  ……webラジオをあまり聴かなくなると、出来ることが増えるなあ。ラジオトークに聴覚と意識が占有されると、当然ながら映画も音楽もゲームも読書も何も出来なくなるので。やはりonsenサイトと手を切ったのは正解だったようだ。現在定期的に聴いているwebラジオは、隔週のものなども含めて週4~5本程度だから、可処分時間をあまり圧迫せず、程々の気分転換になってくれている。


  すばらしく気持ちの良い作品の、ゆりかごのように心地良いBGMのリズムと、穏やかで繊細なユーモアに満ちた脚本の流れに包まれて、一区切りついたところで止めて陶然とした気分になっている。なんという幸せ……。


  アニメ化やノヴェライズ、コミカライズが広汎に行われているメディアミックス文化の中で、アダルトゲーム分野は難しい位置に置かれている。原作ものに依存しないゼロからのストーリーを独自に作り上げることができるというのは、この分野が享受してきた大きなアドヴァンテージであり、プラットフォーム(Windows OS)および販路に関する参入障壁の低さも相俟って、おそらくは人材流入と分野的隆盛をもたらした一因でもある。しかしその一方で、アニメ化や漫画化といったアウトプットを出す起点の側ではあっても、ゲーム化の受け皿の側になることはほとんど無かった。つまり、メディアミックスに参加することがほとんど無く、他分野からの金銭的流入やユーザーの流入を受ける機会に乏しかった。これはもったいない点だと思う。ただし、アダルトゲームに限った話ではなく、別媒体のタイトルがゲーム化されることは、コンピュータゲーム全般においてそれほど多くはない。制作規模の大きさや、技術的ハードル、販路の特殊性などが障害になりやすいと思われる。
  アダルトゲームが別媒体からのゲーム化を引き受けた例は、無いわけではない。例えば『花と蛇』(元は小説)、『オリオンハート』(二次ドリ小説→ロープライスPCゲーム)、『JINKI EXTEND』(元は漫画)のような例がある。また、全年齢旧作タイトルが続編等でアダルトゲーム化した例も、いくつかある(『ヴァリスX』『久遠の絆 THE ORIGIN』)。元作品の脚本に沿った翻案ものもあれば、シリーズ展開として外伝的なストーリーになっている場合もある。


  先週末頃から、自宅に籠もっていても目の奥が微妙に痛むように……。私の花粉症は、症状は軽いものの、反応それ自体はわりと敏感に現れるようだ。痛みよりも、集中力が削がれて活動効率が低下するのが辛い。



  03/01(Thu)

  【 SNS時代におけるユーザーのボランティア的宣伝についてのモヤモヤ 】
  現代日本の趣味分野では、「趣味の多様化と供給過剰」、「情報伝達手段の多様化」、「市場規模の限界と経済的沈滞に起因する、事業継続の困難」といった諸条件を所与として、 メーカーサイドの宣伝活動のみでは知名度や収益を賄いきることは難しく、それゆえユーザーサイドにおけるネットワーク的な評判の拡大が重要な役割を果たしているということは否定できない。
  マクロレベルでそのように認識される以上、なにか一つの趣味分野にコミットする個人は、その分野がより多くの人に知られ、より大きな人気を博し、市場規模がよりいっそう拡大していくことを望む。分野やジャンルだけでなく、特定のメーカー(ゲームブランド)、特定の作品(例えばアニメ)、特定の作家(例えば漫画家)についても、同じことが言える。
  そうすると、個々のユーザーとしては、自分が好きなものがより広く知られていくように、好きなものについて広く語り、知人に薦めていくのが、合理的な行動ということになる (※ただし、参加者が増えすぎて財の取り合いになり、自分自身がその対象を享受できなくなるかもしれないという場合はあり得る。例:席数の限られたコンサートチケット)。だから、SNS時代のファンたちは、みずからが自発的な販促担当者のように振舞うことになる。ブログを書き、SNSで情報を広め、二次創作同人誌を販売し、大学のサークルなどの仲間内で話題にし、機会があればキャラコスプレを披露し、交流ノートや画像投稿サイトでイラストを描き……。
  そうした草の根の活動は、一見するとうるわしいボランティア的貢献である。しかし、そうした言論姿勢に習熟していくにつれて、人々は自分の言葉を失ってしまいはしないだろうか。作品を語ろうとするあらゆる言葉が、TVCM風の空疎な宣伝口調、新聞風の決まり文句、雑誌ライター風の思わせぶりの語り口、ネットニュース風のお行儀良いネタバレ自制、SNSで流行中のクリシェ、購入ガイド本のような勧誘的表現、そういったものに置き換えられてしまっていないだろうか。耳当たりは良いが陳腐化しきった広告風のフレーズばかりが反復される中で、作品についての語りは深められないまま、流されてしまっていないだろうか。そういった通り一遍の宣伝文句風の認識に染まってしまって、自分なりの作品理解を掴み出そうとする姿勢が忘れられてしまってはいないだろうか。他人にも買ってもらえそうな取りすました言葉ばかりを無意識のうちに選んでいくようには、私はなりたくない。 ユーザーサイドにおける自発的宣伝姿勢の内面化に対して、私はずっと警戒心を抱いている。

  もちろん、自分が好きになった対象が、マイナーな作家や若いブランドであればあるほど、知名度の問題はクリティカルであり、それらを人々にもっと知ってもらいたい(そして、ともに買い支えてもらいたい)と思うことは、経済に関する最低限常識的な理解を持っている人であれば、まったく自然なことだろう。私だって、「このブランドがもっと知られて(売れて)いけば、もっと良い作品を作れるようになるのに」という願望を抱いたり、「この作家さんの単行本がもっと売れていたなら、こんな打ち切りの憂き目に遭うことは無かったかもしれないのに」という後悔の念を抱いたりすることはいくらでもあるし、それらを私が(ブログなりSNSなりで)積極的に情報発信していたならば状況は多少なりとも良くなっていたかもしれないと思うことはある。そのような無償奉仕的広告塔化は、現代オタク市場においてファンとして担うべき行為になっている……のだろうか?
  現在のところこのブログでは、自分一人の感興と感動をただひたすら書き綴ることに専心している。取り繕った笑顔を撒き散らす広告屋になるつもりは無いし、押しつけがましい購入ガイドを書くつもりも無い。また、素晴らしい作品のことを知人に語る際にも、あくまでその知人にその素晴らしい作品を楽しんでもらうために薦めることはあっても、その知人の財布を目当てにした宣伝の言葉を発したいとは思わない。だが、それは現代のオタク諸分野の激しい市場的淘汰の中で、有利か不利かと言えば明らかに不利である。自分が好きなクリエイターやブランドや分野に対して、自分一人の財布の分しか貢献していない。そのことに私は疚しさを覚えるべきなのか。
  もっとも、このブログの記事群も、アダルトゲーム分野やその他のオタク系諸分野の諸作品に関して、記憶されるべき、想起されるべき、知られるべき、残されるべき、伝えられるべき、卓越した成果(または精華)の記録を書き留めておくために公開している。「知られるべき」であるという意識とともに、「知られてほしい」という下心が無いわけではない。だが、それらは閲覧者に向けて語りかける宣伝文句ではなく、訪問者に対して情報提供するための極力客観的な記述の体裁を採っている。ただそれだけの違いだが、その文体(スタイル)の違いは大きいと考えている。この雑記欄はともかく、個別記事においては、私はできるかぎり事実を正確に記しておきたい。それらの情報をどのように利用するかは――違法転載などは別として――可能なかぎり読者各自の自由意志に委ねたい。そして私自身が作品に向き合う思考と言語化の時間は、そして私なりの作品解釈は、ひとまずは下心に引っ張られずに誠実に展開していきたい。

  余計なことを書いていると我ながら思うが、私は本職が哲学研究者みたいなものなので(詳しい身分は濁すけど)、こうして立ち止まって考えようとするのが、仕事であり第二の天性なのだ。


  (→4月2月