2019/01/31

2019年1月の雑記

  2019年1月の雑記。(→2019年2月2018年12月


  01/26(Sat)

  カルヴァドスチョコを金曜日の晩に1箱半を食べた。さらに土曜日の午前中に1箱半を食べた。しかしこれは、考えてみれば24時間以内に3箱を平らげているんだよな……。しかも3箱の総カロリーは1000kcalに達する。CPDなどとアホなことを言うのはやめて、真面目に行動を改めよう。


  キューポッシュならば、ドールではなくフィギュアの範疇だから、まだドールに溺れたことにはならないから、大丈夫だから、買ってもいいから、心配ないから。


HobbyBoss「ナグマホン ドッグハウスII」(1/35)。本体を組み立てて塗装したところ。ここから21枚の柵(スラットアーマー)を取り付ける最大の難所に入るので、直前の状態でひとまず撮影しておく。それにしても、やっぱり架空のSF悪役メカにしか見えない。


  最大HPが低下しているので、なにかと仕事が捗らない。余暇には上記のような手作業をしつつ、耳では「胃~之煮」を聴き返して概要記述を書き増ししている。現在、#パン38まで来た。
  最初期の「胃~之煮」記事は昔のサイトに置いたままだけど、あれもこちらのブログに移設しつつ書き足そうかな。


  ここ数日、室内に黒いハエトリグモがうろうろしていて、目の前のカーテンを這っていたりすると気になる。暖房の利いた部屋は快適であろうから戸外に放り出すのも忍びないが、しかしこの部屋にはたぶん食べ物は無いので、いずれにせよ可哀想だ。……などと考えていたら、机の上のフィギュアの頭に飛び乗ってきた。可愛いので撮影(※写真:クモ注意)。ちょうど真横を向いたポーズが格好良い。やっぱり多脚メカは魅力的だよ。(そうじゃない)
  ちなみに、遊び机の上にある美少女キャラ立体物は、フィギュア19体、プラモ9体……えっ、30体近くも置いているのか。基本的にプライズ系の立像フィギュアや、仁王立ちポーズの可動プラモばかりだから、スペースはあまり取らないとはいえ……。しかも、大型艦船模型やロボットプラモも置いてあったりする。我ながら、ひどい素晴らしい幸福に満ちた環境だ。


  思い出したかのように『うえはぁす』(支援報酬のDL版)を起動。イベントフラグが見えないのと、UIの古さ(※スキップ機能が無いし、音量コントロールもできない)は辛いが、ゲームパートは歯応えがあって楽しいし、テキストも洒落が利いている。最近の内藤テキストは、こういうあっけらかんとしたユーモアが抑えめになっているのがもったいないと思うが、しかしこの『うえはぁす』はクリエイターの若さの賜物だったのかもしれない。


  今月はいろいろ楽しんだつもりだが、活動記録を振り返ってみるとなんだか成果が少なかったような……。とりわけ中旬の10日間が、体調不良で丸2日間休んだのと、「胃」の聴き返しに時間を掛けたのとで、いまいち非生産的だった。2月は模型制作を完全に休止して、ゲームに余暇の時間を投じたい。


  かどわきさんの声だと識別するのに60フレーム以上掛かってしまった。未熟なり。


  『東方』キャラのフィギュアは、見た目以上にずっしりと重いのが面白い。スカートのボリュームが大きいし、総じて厚着なので(※水着のような薄着になることは稀)、中身の詰まったフィギュアになることが多い。


  「プララジ」の次のゲストは鈴谷氏か。チーム++作品の常連で、パーソナリティと面識のある桃組系ということで、まあ順当なところだろう。キャリアは10年に達しているし、桃組十把一絡げを超えて独力で役を取れているし、出演作にもいろいろ接してきたが……役者としての実力や魅力は、どうもよく分からない。


  アニメのエンドカード公募なんていう慣行があったのか。そういう企画を行っている作品にほとんど出会っていなかったので、知って驚いた。どこの誰とも知らない人物の絵をそのままぶっ通しで作中に取り込んでしまうとは、おそろしくリスキーな行為だ。たかがエンドカードを「作品の一部」と見做すべきかどうかは微妙だが、それでもあくまで製作者の名前および責任の下でそれを公開(発信)するわけだから、問題が起きた時に被害者を気取るばかりでは済まされまい。今回事件になった(らしい)不正応募をきちんと排除できるようなスクリーニング――例えば「きちんとした裏付けのあるクリエイターに限定する」――を確立した上でなければ、やるべきでない代物だろう。そういった対処をあらかじめ考えておかずに、安易な公募企画を打ってしまったのだとしたら、製作サイドは脇が甘すぎる。どこの馬の骨が持ってきたとも知れぬ素材を平気で混ぜ込んでユーザーに提供してしまったのであれば、製作者が明らかに注意を怠ったと非難されても仕方ない。今回の件は業界全体への注意喚起にもなるだろうから、今後は愚かな事態は生じないだろうけれど……。

  そもそもエンドカード一枚を大きく取り上げすぎていないかという疑念は、以前から持っている。例えばwkpdでも、クリエイターの業績としてアニメのエンドカード実績を一々書いている編集子たちがいるようだが、個人的には、そこまで書くほど重要な仕事だと思えない。

  ユーザーフレンドリーな企画を考えてくれることそれ自体は良いのだけど、しかし、公募で採用されて喜ぶユーザーは一クールにつき、ほんの12人または13人しか出ないわけで、ファンサービス企画としても非常にしょぼい(※間接的には、「あのクリエイターさんが採用されて、私も嬉しい」という場合もあり得るけれど、それは製作者指定のクリエイターであっても公募当選者であっても同様に発生することだから、特有のメリットではない)。つまり、ユーザー向けのサービスとしても効果がきわめて小さいし、それでありながら何かあった時に責任を取りきれないというのであれば、やはり「そもそも企画をやるべきではなかった」と言うしかない。
  応募規約には、もちろん「ワーナーおよびその他全ての本アニメ権利者は、法令の許容する最大限度の範囲内で、いかなる態様によっても(共同または単独かを問いません。)、オリジナル作品に関して一切の責任を負わないものとします」とあるけれど、それはアニメ製作者と応募者の間の契約にすぎず、第三者を道徳的に納得させるものではない。この「応募規約」はいかにも英文翻訳調だけど、日本のファンアート文化はたぶん英語圏のそれとはかなり異なるから、そのままでうまく運用できるとは限らないし。

  アダルトゲームでも、「○○してくれたユーザーをエンドロールに全員載せる」という愚行が数件あって、エンドロールが長たらしくなるとか、作品内容とは無関係などうでもいい情報がエンドクレジットに出てくるとかいった問題もあり、さらには珍妙な名前が載るせいでエンドロールの余韻がぶち壊されるという悲惨な事態を招くこともある。
  洒落っ気のあるネタとしては、『CANNONBALL ねこねこマシン猛レース』の「オフィシャルスポンサー募集」企画なるものがあった。要するに、ユーザーが自サイトに『CANNONBALL』のバナーを貼れば、その見返りとしてそのユーザーのバナー画像を本編中に表示するという互酬的サービス。F1などのレーススポンサー制度のパロディと言えるものであり、そういうパロディネタとしての外枠が認識できるおかげで、プレイヤーを興醒めさせないように解毒されていた。こういう仕掛けをちゃんと利かせているのであれば、ぎりぎりアリだと思う。


  00年代末頃から次第に広がっていった分割販売、というか、一種の連載形式のロープラシリーズ化について。当初はかなり懐疑的だったが、10年代半ば頃(cf. 別掲記事「連作、シリーズもの」)にはそういうアプローチにもメリットがあると考えるようになり、しかし最近ではあらためて非効率だと考えるようになっている。途中で撤退できるといっても、長期構想を含めた企画立案のコストが回収できるわけではないし、市場でのプレゼンスを維持できるというのもメリットとしては薄すぎる。その一方で、シリーズを続けていくにつれてセールスは下がっていくし、その都度の広告費や製造費も生じるので非効率だ。ユーザーとしても、フルプラ作品を一気にコンプリートすることに慣れているのに、ロープラ規模の物語を不完全なまま何ヶ月も待たされるのは、苛立たしく思うだろう。
  結局のところ、『万華鏡』シリーズや『ウソ』シリーズのように、制作者側も柔軟に進退を判断でき、ユーザー側も適当なつまみ食いが出来るような柔構造のシリーズにするか、あるいは『恋姫†無双』シリーズや『対魔忍』シリーズのように多数の固定客を掴んだタイトルで連作していくか、どちらかのアプローチが無難だということになりそうだ。『Re;Lord』のような単線的な続き物は、途中からの新規層はほとんど見込めないし、続編ではセールスが落ちていく一方だろうから、かなり無茶だったのかもしれない。

  冬に入ってから、このブログ上でネガティヴな発言や黒い発言に傾いてしまっている。大きなストレスが掛かっているというわけではないし、精神的にはそこそこ安定している筈なので、ただ単に「寒さのせい」なのかもしれない。いずれにせよ、ネガティヴな発言はけっして良いものではないが、しかしこのブログはそうしたものを吐き出しておくための場でもあるから、完全に禁止してしまうのは意味が無い。「あまり過剰にならないように、攻撃的にはならないように、そしてモラルの限度を超えない程度には抑える」というくらいの、マイルドな自制にとどめている。わたしがじゃあくなこころをかいほうしたら、もっとひどいことになるからね。


  比較的狭いコミュニティを形成してその中でマニア同士が密度の高い交流をしていれば、たしかにクオリティは高く保たれる。それに対して、カジュアルな新規参入者が増えてくると、知識やモラルの平均値は――仮にそのようなものが測定可能だとして――引き下げられる。だから、既存のユーザーにとっては、議論の水準が下がり望ましくない振舞いが増えていく状況が、苦々しく感じられるだろう。しかし、問題はそこではない。重要なのは、平均値ではない。言論の総量が増えることはその分野のポテンシャルが拡充されることであり、ユーザーの裾野が広がることはその分野の頂点の高みを伸ばすことにも寄与するのであり、新たなユーザーが参入してくることはその分野の寿命を延ばしてくれるのだ。差し引きして言えば、ほとんどの場合、それは分野全体にとって大きな利得になる。
  とはいえ、カジュアルな参加者の登場が、少なくとも短期的には不利になるという場合も、あるだろう。例えば、十分に高度な議論をしている中にたった一人の完全な素人が入ってきた場合に、その者に一から教え込んで育て上げるには、相当な労力が掛かる(――ただし、その者がその分野の良き同志になれば、長期的には十分見返りがあると言えるだろう)。
  あるいは逆に、現代のネット社会でありがちなパターンとして、素人たちが圧倒的多数を占めており、議論のフォーラムがその水準に固定化されてしまう――あまりにも多いので「前提知識を共有してその先へ進む」というプロセスが成立しない――という場合がある。ただし、そうした場合でも、表面上は議論が機能停止してしまっているように見えても、玄人たちがきちんとした言論を提起できていれば、確かに種は蒔かれている筈だ。ライト層は、「たまたま現時点では知識が乏しい」というだけであって、べつに本質的に邪悪なわけでもないし、決定的に愚かであるというわけでもない。だから、先達たちが十分に説得力のある議論を提起できていれば、傾聴に値する指摘が出来ていれば、質の高い言論を展開していられれば、まともな判断力のあるライト層たちは、それを足がかりにして成長してくれる筈だ。それが実現できなかったならば、先達たちも依然として未熟だった、つまり分野全体がまだまだ未熟だったということにすぎない。言い換えれば、ライト層の参入に際しては、既存のユーザーの側も力量や見識が試されるのだ。そもそも先達や玄人の判断が正しいとは限らないのであって、万人が常に知に対して謙虚であらねばならない。実際、素人に対して知的に優越している者が誤っていたり善良ではなかったりした場合にどうなるかは、たとえばニセ医学やニセ科学の被害を想起すれば十分だろう。趣味の領域ではそれほど致命的な被害は生じにくいだろうが、それでも大きなダメージが発生する可能性はある。



  01/25(Fri)

  同人市場がこれほどの規模でやっていけているのは何故なのか、不思議でならない。
  特に代表的な分野の一つとして、男性向け18禁二次創作漫画の分野を考えても、一般的な全年齢商業漫画単行本が200ページ700円、あるいは18禁商業単行本でも200ページ1000円なのに対して、20ページ前後で500円だったり同人ショップでは1000円だったりするほどで、ほぼ10倍と言ってよいほどの超高価格市場だし、クオリティの面でもハズレ(やっつけ仕事のラフ本など)を引く確率がわりとある。それなのに、それでも大量の顧客が存在する。商業漫画(アダルトを含む)の刊行点数が少ないというわけでもないし、それらが視界に入らないわけでもない――18禁同人ショップには18禁商業単行本コーナーもしばしば併設されている――から、合理的に考えれば商業漫画の中で好みに合うものを買っているだけでも十二分に満足できるし、家計の面でもそれだけでも買いきれないほどだろう。ましてや、長期の不況で、とりわけ若年層の購買力は低下している。
  市場形態としても、販路は極端に限定されており、アクセスしにくい。新刊はあっという間に無くなるし、旧作を後から買える可能性も低い。データベースもそれほど整備されているわけではない。それでいて、毎月大量の新作がどんどん出てくるから、すぐに追い切れなくなる。近年ではオンライン販売(通販やDL販売)が拡充されているものの、それほど普及しているわけではない(※依然として印刷物オンリーの同人作家の方がはるかに多いだろう)。だから、欲しくなっても買えないということが頻繁に発生するし、また、そうした落胆体験は同人界そのものから離れていくきっかけにもなり得る。商品のレアリティは、たしかにその場で財布からお金を出させる作用を持つのだが、しかし特に二次創作エロ同人はいかに希少であっても他人に自慢しにくいものだし、長期的に市場全体を保持できるようなものでもない。
  しかし実際には、同人誌を定期的に購入するユーザーは、むしろ今世紀に入ってからも増加してきている。何故だろう。もちろん、それを後押しする原因はいくつも考えられる――「二次創作という人気上乗せ」、「コミュニティ形成と即売会コミュニケーションの楽しみ」、「SNS時代ならではの宣伝機会の多さ」、「レアリティと期待感」、「反応速度の早さによるアドヴァンテージ」など――のだが、それだけでは、なかなか納得しづらい。
  また、それはクオリティのおかげではないだろう。実際、商業漫画と比べても、平均的に見れば明らかにクオリティは劣る。00年代末以降の商業PCアダルトゲーム分野がクオリティ上昇にもかかわらず縮小したように、オタク市場はクオリティによって売れるとは限らないのだ。

  実のところ、同人市場は(少なくとも日本国内では)そろそろ飽和していると思うし、遠からず縮小に転じてしまうだろう。同人界隈のような超高価格市場は、それほど長くは続かないだろう。同人誌を大量に購入している現代のコア世代が引退していくようになったら、市場は一気にしぼむ可能性がある。そしてそれは、オタク文化全体の沈滞にも結びつく。同人市場が活力を持っているおかげで、数多くのクリエイターがそこにプールされ、そして00年代以来(?)の日本のオタクカルチャーの創造性を下支えしてきた――90年代から00年代に掛けてのアダルトゲームも同じ役割を果たしてきたが。とりわけよく目立つ男性向け18禁二次創作は、最も縮小幅の大きな分野になるかもしれないし、むしろ逆に、最もしぶとく活力を保ち続ける分野であるかもしれない。また、より純粋な創作漫画の分野は、当事者たちの熱意によって息の長い分野であり続けるかもしれないし、逆に経済的に維持できる下限を超えて霧散していってしまうかもしれない。

  ……といったようなことを、同人ショップで1万円以上買い込みながら、いろいろ考えていたのでした。1万円あっても、10冊も買えないんだよ? 1万円もあったら、あれも買えたし、それも買えたくらいなんだよ? なのに、このお金を正体不明の同人誌に投入するのは、――それなりの期待があるとはいえ――合理性があるとは言いがたい。私自身は、たまに気が向いた時にほんの少し買うだけだが、そんなカジュアルな購買層だけで、これらのショップや即売会の活力が維持できるとは考えられない。それでは、何故……という驚きがある。例えば、ネット上でイラストを公開されているイラストレーターさんの本を目にしたら、「日々楽しませてくれてありがとう」という気持ちで同人誌を買うことがたまにあるけれど、そんな善意は頼りないものだし、善意頼みで市場が長く続けられるとは考えにくい。だが、しかし、願わくば、上記の悲観的な予想が外れて、できるだけ長く豊かに同人市場が――そしてさらには、オタク界隈の創造性が――展開されんことを。

  ただし、どんなに魅力的な絵を公開しているイラストレーターでも、twなどで他人の漫画の面白台詞のコマや映像作品の面白カットを無断転載している人物だと、好意など微塵も持てないし、それどころか「こんな奴に金を落としてやるものか」という気分になる。


  18禁書籍コーナーで「ゲソ彼女」という文字列が目に入り、「えっ、イカ娘か何かか?」と二度見したら、「ゴキゲン」の頭の2文字が隠れていただけだった。なんというおバカ誤読……。ちなみに、どういう漫画家さんなのかはまったく存じ上げないが、バカ話のネタにしてしまって申し訳ない。


  CPDが1.0を超えました。(2箱目を開封してしまった)
  ただし、2箱目は途中までで我慢した。ワタシ、テツノイシ、スゴイ、エライ。
  ちなみに、同シリーズの「Bacchus」と「Rummy」は、そんなに好きではない。


  パーソナリティのお名前を卑猥にもじったり、個人の身体的特徴(身長)に言及したり……ずいぶんひどい投稿者が出てきたな。モラルの観念が中学生以下じゃないか。こういう輩は、概要記事に名前は載せない。
  18禁ゲームブランドのラジオとはいえ、エロ台詞の投稿が増えたりしてトーク全体が下品になりすぎるのは嫌だなあ。


  kimirito氏は、書籍の出来があまり良くなかったのもあるけど、雑学系同人誌のページを撮影してtwに上げた際に、どの作家が書いたどの作品なのかを言わずに済ませていたのを見て、私の中で信用度がかぎりなく低下した(※少なくともその投稿のツリーの範囲では、転載者による出典指示が一切提供されていなかった)。
  研究対象分野の当事者の仕事に対して、適切な尊重の振舞いを取れないのは、研究倫理の観点で非常に問題がある。同人作家の仕事は匿名の書き捨てではないし、彼等の仕事を引用する際には原著者として名前をきちんと明示すべきだ。そうでなくとも、他人の著作物に対してそのような粗漏な扱いをするという時点で、資質はきわめて疑わしい。


  HOOKSOFT新作。相変わらずシステム上のいろいろな新機軸に挑戦しているが、時として車輪の再発明めいた雰囲気もある。ただし、アイデアの使いどころが上手く行けば「古い革袋に新しい酒」となる可能性もあって、今回で言えば「脱がせ方」の選択というのは、まだまだポテンシャルのある仕掛けだろうと期待できる。90年代のタイトルやクラシカルな調教SLGでは、脱がせ方の選択変化は時折見られた。やりすぎると、abogadopowersの『MxS』のように、ヒロインの快楽ゲージをコントロールするようにちまちまとコマンド選択を続けるベッドシーンSLGになってしまったりもするが。

  「河多和歌」さん……かわたわか……回文ネームか。



  01/23(Wed)

  CPDとは幸福の単位である。Calvados chocolates box Per Dayを意味し、私の冬季の精神衛生を保つうえで摂取量が1.0を上回るのが望ましい。(……などと言いつつ、今月に入ってから、おなか周りがちょっと心配になってきた。多少は節制せねば。)


  こみトレで、雑学本(東独料理もの)を見かけたので買ってみた。
→表紙絵や漫画パートがわりと好みの可愛らしい絵だった。河内和泉氏というのか。
→河内氏は、自前のサークルでも参加しておられたらしい。くっ、買いたかった。
→ふと同人誌の山を見やる……あ、えっ、これ、その河内氏の同人誌では!?
  たまたま表紙買いしていたのに気づかなかった。幸運と言うべきか、上手く表紙買いできていた自分の眼を褒めるべきか、それとも会場で見境なく散財しておいて良かったというべきか。まあ、同人界隈ではわりとありがちな現象かもしれない。ちなみに、その同人誌は18禁だが、絵柄どおり終始明るく享楽的な雰囲気でストーリーが進み、楽しんで読めた。


  [ www.youtube.com/watch?v=8-xmpg5JzB8 ]
  なんだろう、後ろを向けない縛りプレイ? レッドアリーマーにも会えないくらいなのに、妙に笑えてしまう。なるほど、ゲーム実況の面白さってこういうことなのね。もっとも、「発声とトークが鍛えられた本職声優が」、しかも「多人数で賑やかに喋っている」というアドヴァンテージもあるだろう。



  01/20(Sun)

  こみトレに行ってきた。目当てのところは、壁の1サークルを除いて全部買えた。
  11:30に会場到着、12:30に予定のサークルを巡回、そして14:30までで全体を一巡した。ただし、壁サークルや企業出展、コスプレエリアまでは保たなかった――主に体力と、そしてバッグのキャパの限界が生じた。支出総額は25000円(※盲導犬募金を含む)。購入した同人誌は37冊で、その他卓上カレンダーなどの小物も数点。平均すると一冊あたり21500/37=581円……あれ、意外と安い。1000円以上の同人誌もわりとバンバン買っていた感じなのに。
  時間でいえば、3時間で37冊だから、ざっと5分に1冊買うペースだった。実際には、一つのサークルで2冊以上買うことが多かったから、「10分に1サークルの買い物をする」と述べる方が実態に即している。
  今回は、ドールをサークルスペースに置いているところが4つほど、そしてガチャガチャ「だんごむし」を置いているサークルが2つあった。何故だ。
 帰宅してひととおり目を通した。購入した同人誌の中にはかなり雑な出来のものもあったが、全体としては費用分以上の満足は得られたので良しとする。

  珠手箱にも行ってきて、内藤氏と『悪魔聖女』や『うえはぁす』の話をしてきた。……が、いろいろなことを言い忘れてしまった。サインをねだるのもすっかり失念していたし、「プララジ」の話もしそびれてしまった。羽賀氏をゲストに呼ばれたことへの多大な感謝とか、そして「大波氏をゲストに、いや、是非ともレギュラーパーソナリティに」という要望を伝えることも完全に頭から抜け落ちていた。

  佐々木氏のスケブリストがチラッと目に入った際に、目に止まってしまった言葉:「のんびり」。そうか、佐々木氏に『のんびり農家』のキャラを描いてもらうとは……その発想は無かった。いや、実は『領地貴族』本の中にも、佐々木氏による『農家』イラストが掲載されているのだけど。

  『領地貴族』のイーグル男爵、やっぱり立ち絵は用意されていたんだね……。本編では、それなりに存在感のあるキャラクターだったのに、立ち絵が出てこなくて訝ったものだが。というか、立ち絵を準備してたのなら、ちゃんと製品版で使ってくれたら良かったのに。

  時間があったので、本町の模型店「ホビーランド」にも行ってきた。店頭に足を運んだのは初めてだったが、レジンキットやマニアックなアフターパーツが大量に並んでいて圧倒された。本気で買ったら、百万円あっても足りないだろう。店内には1/350ティルピッツ(洋上ジオラマ風)の作品も置いてあって、しばし眺めて頭と心の栄養にした。
  ホビーランドは、陸海空のミリタリープラモが中心。鉄道模型やバイク模型やカーモデルは置いてないし(※列車砲や軍用バイクは別にして)、キャラクターモデルも皆無。民間船の模型などは多少あったが、基本的には軍用の乗り物に特化している。コモンな市販プラモデルの店頭在庫は、模型専門店としては十分多いが、大型家電量販店よりは少ないかもしれないくらい。むしろレジンキットやエッチングパーツの在庫量が物凄くて、いかにも玄人向けの雰囲気があった。航空機模型の座席レジンパーツなどというマニアックなものは、私のような素人はそうそう目にする機会は無い。その他、塗料や工具、そして情景模型用の様々なマテリアルもあるし、雑誌のバックナンバーやミリタリー関係の資料的な洋書も置いてあった。

  ついでに梅田Ydbsに行ったら、ちょうど先日も言及したナグマホンのキット(HobbyBoss)が割安で置いてあって、しかもレジに行ったら税込6380円が何故か5380円になった(※何かのポイントを使ったという話ではない)。以前も、15000円の値札の艦船キットをレジに持って行ったら何故か10000円くらいになったことがあったが、店員さんに「ありがとうございます」と言うのも変だし、まあ、なんとなくにこやかな顔をするにとどめておいた。
  追記:同社の通販サイトを見てみたら、そちらでは5430円だった。おそらく通販サイトも合わせて機動的に価格を管理していて、レジでも値札ではなくそちらのデータを参照して計算しているのだろう。ただし、5380円と5430円の間の50円分の違いは分からないが。
  ちなみに、タイガーモデル版のキットではドッグハウスの上に近未来的なグロさのスコープ(ドロイドATMD)が突き出ていて、さらにサイコな不気味さが増すのだった。


  こみトレでは、途中でカバンがいっぱいになり、片手に同人誌の束を抱えて困っていたところ、たまたま通りがかった[tw: ruchisyougun/status/1086901519474057217 ]のサークルが肩掛けのトートバッグを売っておられたので、これ幸いと購入し、事なきを得た。どんなサークルさんか存じ上げなかったが、帰宅後に確認してみたら、奈良の吉祥草寺の公認キャラだそうで……えっ、吉祥草寺? あの「ついなちゃん」の!? あああ、ありがとうございます、かどわきさん!
  冗談はともかく、バッグとしての出来は良い。肩掛けとして使いやすいし、A4まで入るサイズだし、単色のロゴなどが入っているだけであざとくないので普段使いも可能だし、深みのあるグリーンも気に入ったし、価格2000円のわりに生地も縫製もちゃんとしている。こんな偶然のご縁から、幸いにもなかなか良い買い物ができた。スタッフさん、ありがとう、そして、かどわきさん、ありがとう。



  01/19(Fri)

EXQ「SAO.MD. シノン」。この角度で撮ると、ツリ目で睨み付けてくるような表情に見える。ただし、実際のアイプリントはもっとマイルド。


  こみトレに佐々木氏のサークルが参加されるのか。明日の関西は雨模様らしいので自宅でグータラするつもりだったが、これは行かねば……。ここ数回、関西のイベントには出ておられなかったし、書店卸もされていなかったので、既刊も何冊か買えずにいた。えーと、『領地貴族』本までは買ってあったのだっけ……。

  ざっとサークルチェックをした。島中メイン&漫画メイン(イラスト本はあまり買わない)で、めぼしいところをピックアップしておいて、後は全体を適当に見て回るつもり。差し入れは準備していなかったので、今回は……いや、開始時間には遅れても何か見繕っていこうかな。
  『農家』単行本を持って行ったら内藤氏にサインしていただけるだろうか。サインは好まれない方のようだが、しつこくない程度に、失礼にならない限度で、お願いしてみようかしらん。
  時間と体力が余ったら、日本橋にも足を延ばしてみたいが、今回は難しいかも。

  こみトレは、まだ10回も参加していないかも。しかし、10回近くも行っていれば印象も強いし、記憶に残っていることもいろいろあり、なんのかんので愛着のあるイベントになっている。
  ただし、1月開催の際にあの全国的な試験と日程が被りがちなのは、いかにももったいない。受験する側だけではなく、スタッフ側も参加できない。



  01/16(Wed)

というわけで、新たに可愛い眼鏡写真を掲載して日付更新。タイトルはあまり言及したくない作品だが、フィギュアは眼鏡がよく似合う(※PLUMのプラ眼鏡を掛けさせている)。

  人体なんてのは、眼鏡をきれいに見せるための台座にすぎねぇのよ、うぇへへへ。

  掲載してから気づいたが、こうやって毎回新しい写真をアップロードしていくとしたら、毎月十数枚ずつ用意しなければいけないのか。さすがにそこまではやってられないので、無理をせず、できる範囲で試みていこう。


  ふと思い出したこと。私がtwで使っていたアカウントが、円城氏のアカウントとともに2人だけでリストを作られていたことがあった。リストを作成された方が、どういう意図だったのかは存じ上げないが、「もしかして私のアカウントが、円城氏に比肩するほどの有名作家の隠れアカウントと誤認されたのではないか」という懸念で、内心戦々恐々としていた。最も極端な想定としては、まさに円城氏の裏アカウントと思い込まれた可能性すら考えた。
  あるいは、(アダルト)ゲームのことばかり喋っていたから、もしかして、誰かしら有名ゲームクリエイターの隠れアカウントと誤認されていたら困るし、そう誤解してしまった方に対しても申し訳ないという危惧があった。
  私は対象を分析してそれを明晰な論証の言葉にすることにかけては一応はプロと言うべき立場なので、いかにも文章を書き慣れている人物に見えるだろうし、何かしらの業界人のように見えてしまうかもしれないから、ああやって匿名的に発言した場合に、何かの文筆分野のプロの誰かしらと思い込まれてしまう可能性は、平均人よりはいくらか高い。だから、念のために、「一般人のユーザーとしては」とか「私のような普通のゲーマーには」といったような感じの、無くもがなの補足をたまに入れていた。まあ、心配しすぎだと思ったけれど、おまじないのような気分で定期的にそうしていた。
  ちなみに、そのリストがまだ存在するのかは知らない。ログイン利用していないので、そうした情報にはアクセスできない。

  今も昔も、オレっちはふつうのおんなのこ男の娘です!

  円城氏と私の共通点は……特には無いかも。例えば現代日本に居住して、日本語を話して、大学院経歴があって、SFにも興味があり、世代もそれなりに近い(10歳も離れていない)、という程度の概括的な要素くらいだろう。文体や発想は、まあ、人類全体の中では、あるいはせいぜい現代日本人全体の中では、多少は近いところにあるだろうけれど、この程度の類似度の個人は他に何千人もいるだろう。
  ちなみに、00年代に京都大に在籍していたことがあるそうだから、おそらく同時期に同じキャンパスにいたと思われるが、もちろん面識など無い。もしかしたら、知らぬ間に中央食堂で隣り合って食事していたということがあったかもしれない。

  結局のところ、私と円城氏の2人だけを並べたリストの意味は、皆目見当が付かない。例えば、「リスト作成者にとって、たまたま別個に面識のある2人のアカウントを、知人リストとして作成した」といったような状況であれば、私と円城氏の間には直接の関係が無くても、そのようなリストが存在することはあり得る。ただし、私自身は、そのリスト作成者との面識は無い筈だが(※もしかしてその方が、実は私の知人の誰かしらのアカウントだったならばともかく)。私の論文と円城氏の著作だけを熱愛している読者、などといったこともあり得ないだろうし。

  いずれにせよ、すべては、かこのことで、ございます。


  市販のタロットカードは、まともなもの――しっかりデザインされたもの――は4000~5000円くらいするようだ。大小併せた78枚セットだからというせいもあるが。以前に軽い気持ちで買いに行ったら、予想以上に高くて驚いた。図像のディテールには様々な意味が込められるものだそうだから、カードの絵を描くだけでも大変だろう(※カードそれ自体は小さいのだが、作成される元絵はけっして小さくない)。また、単発の一枚だけではなく、22枚も描かせる(=長期間拘束する)という量的ハードルの問題もあるし、22枚全体に統一感を持たせるのもハードだし、さらにしっかりした紙に印刷するのもコストが掛かる。けっして気軽に作れるものではない。
  とはいえ、私だったら、プロではない人に依頼して、しかも参考資料を添えておけば、1枚1万円くらいで発注すれば十分ではないか(つまり50万円は対価として十分だ)と感じる。しかし、1枚10万円だと主張しているイラストレーターもいて、そんなに高いかなあという疑問を持った。1枚10万円というのは、単行本カバー絵やポスター並の大サイズ&高解像度&高クオリティの仕事の価格か、あるいはそれなりにお高いクリエイターの価格ではなかろうか。
  そもそも、素人のお絵かきのようなちゃちいタロットカードを使って、ちゃんとした占いができるのか、そして客が信用してくれると思えるのだろうか。いや、そもそも「占い」という行為が信じられるかどうかはともかくとして。


  新屋敷君、石川君、有籐(うとう)君ときたら、次は「え」「お」「か」でしょうね。
  というか、あらやしき(荒屋敷=阿頼耶識)かよ!

  アダルトゲームのキャラ名字も、90年代から00年代には駅名シリーズや戦国武将シリーズのようなネーミングが散見されたが、10年代ではそういうものはほぼ絶滅してくれて、ほっとしている。ゆずソフトも、たしか『のーぶる☆わーくす』(2010)の刀工ネームが最後で、『DRACU-RIOT!』(2012)以降は特別な引っかかりのない名前にしているようだ。ただし、最新作の『RIDDLE JOKER』は「在原」「壬生」「二条院」「伊勢」など、おそらく古典歌人風(?)の名字だった。


  『オッドマン11』を読んでいたら、何故か、いつの間にか、ゲラゲラと――いや、声は出さずに――大笑いしていた。えっ、私はいったい、どこをどう面白がって笑ったの? 謎体験。


  以前も書いたことだが。「オタクの共通言語が、(00年代頃までは存在したが)今では成立しなくなっている」などというのは、間違いだと言ってよいだろう。
  最近のアニメでも、非常に多くのオタクが視聴して内容を知っているし、広告も延々打たれているし、続編を含めて関連商品が大量に供給されているというタイトルはいくつも思い浮かぶだろう。そういったタイトルは、ディスクの売り上げだけを見れば『ハルヒ』よりも少ないかもしれないが、それは競合タイトルの数や視聴形態の多様化を考慮すれば、遜色ないセールスだし、オタク内外での知名度という点ではむしろ上回ってすらいるだろう。逆に『ハルヒ』だって、当時のオタクがみんな観ていたというわけではないし、内容を全然知らないという人も多いだろう。
  ゲーム分野や漫画分野も同じだ。2019年現在、あのソーシャルゲームやそのソーシャルゲームを何百万人がプレイしているのは、00年代の「共通言語」に擬せられたあの作品よりもはるかに多いだろう。あるいは、大規模にメディアミックスされている最近のあの漫画やその漫画に一切触れたことのないオタクが、どのくらいいるだろうかと考えてみよう。また、00年代の共通言語的存在の代表としてkeyを挙げるのは、00年代から2019年現在まで生きてきたオタクが振り返ってみるに、あまりにもマイナー(盛り上がりにしても局所的)で、説得力を欠く。当時のkeyが提供した「言語」が、はたして現在どれだけ残っているか、どれだけ生きていると言えるだろうか?
  要するに、「00年代以前にはオタクたちの共通言語となる作品が存在した」、「しかし現在はそのような作品は存在しない」という意見は、どちらも実態に反している。おそらくは空想的なノスタルジーの産物にすぎないだろうし、そういう虚妄のロマンティシズムに寄り掛かったままでは、まともな分析は出来ない。
  そしてまた、2010年代も終わろうとしているこの現代こそは、新たな言語が大量に生まれ、急速かつ広汎に定着していく時代だ。情報インフラが歴史上最も優れた形で整備されており、PRノウハウが歴史上最も進展しており、オタクの人口規模が(日本国内でも、世界的にも)最も大きいのが現代なのだから、当然のことだろう。それを否定して、00年代以前の方が豊かであったと主張するのは、かなり難しいのではなかろうか?

  補足しておくと、そうしたビッグセールスの作品が出現することが望ましいかどうかは別問題だ。ギャンブル性の高いソシャゲーにユーザーが集中している現状が肯定されるべきかどうか、また、SNS時代にあってむしろ極端な一人勝ちが発生しやすくなっているアニメ文化は良い状況だと言えるのか、メディアミックスの有無によって個々の漫画作品の知名度や売り上げに大きな格差が生まれることは漫画文化にとって好ましいと言えるのか、それらは慎重に考えていく必要がある。

  ついでに書いておくと、若い人にも90年代以前のネタの方がウケるというのは、相当疑わしいと思う。適切な比較をしているとは思えない。
  また、ビッグセールスにならないからロングテールを目指すべきだという主張も、首肯できない。前提条件も単純には同意できないし、結論部分もおかしい。新たな競争相手がどんどん現れてくる新作大量供給の時代にロングテール志向とは、悠長すぎるのではなかろうか。

  あー、ただし、愚かなネタバレ禁止文化のせいで、作品のディテールに関する語りが拡散されにくくなっているという側面はあるかもしれない。そうした状況下では、名場面や名台詞への言及が極端に制約されてしまい、結果的に作品の寿命も射程も短くなってしまう。


  女性向けは、中近東もの(アラビアン)作品が出てくれる――ユーザーが好意的に受け入れており、市場的に成立している――のがありがたい。男性向けアダルトゲームでも『Palmyra』や『朱』のような作品が存在するとはいえ、比率はきわめて小さい。原因は何だろう。ヒジャブでヒロインの頭部を隠してしまうせいばかりではないと思うけど。


  LOTTEのカルヴァドスチョコが近所のスーパーで売っていたので、迷うことなく複数箱買い込んだ。お酒は飲まないけど、こういう甘辛さはわりと好き。いっそカートンで買いたいくらいだが、ぼくはおとななのでなんとか自重した。アニメ『ソラノヲト』で密造していたのも、たしかカルヴァドス(のようなリンゴ酒)だった筈。瓶の中にリンゴを丸々1個漬け込んだ「ポム・ド・イヴ」というのもあって、こちらは倉上氏の漫画家漫画『イヴの林檎』のタイトルもこれに掛けている(※もちろんネーミングのさらなる元ネタは禁断の果実エピソードだが)。
  というわけで、さっそく一箱空けたが、大丈夫、まだ二箱残っている。
  ちなみに、29kcal×12個=349kcal、脂質1.5g×12個=18gですってよ、お姉様。


  現代のソシャゲーの多くは、スタッフやキャストの情報が公開されないようだ。クリエイターたちの仕事が公式の書籍等にも出ず、web上の記録にも残らず、ましてや作品の実物も残されない(再現することができない)。将来世代からふりかえって見たら、この時代のゲームの大きな部分が、断片的な言及しか伝えられていないという、情報暗黒時代になってしまうのだろうか。


  tmのVバスターが頻繁にバージョンアップ誘導のポップアップを出してきてたいへん鬱陶しく、今後このメーカーの製品を一切使うまいという意志が100%から200%に上がった。100%ならば(きわめて強い不信感はあるものの)何かましになる要素が生じれば利用しないでもなかったが、200%というのは少々の改善程度では意志は変わらないという意味。現在使用しているものはまだ有効期限が残っているが、あまりポップアップがしつこいようなら、とっととアンインストールしてしまおうかと考え始めているくらい。



  01/11(Fri)

  [tw: 1083412755103633408 ]
  このあたりの話。AVGの画面は主人公主観のパースペクティヴではなく、写実的な空間表現でもないという見解は、まさに私も以前から述べていたことで、同意できる。背景画像は、立ち絵との組み合わせだけでなく、単体で表示されることも多いため、鑑賞に堪えるだけのクオリティが求められるのだが、身長170cm相当にまでアイレベルを高くすると下側(地面周辺)が切れて、絵それ自体としてはいびつになってしまう。だから、そのロケーション全体を――ランドスケープを――くまなく見せるために、戸外であればアイレベルを低くし、あるいは屋内(例えば自室CG)であれば逆に俯瞰の角度をつけている。そして、そのようなアプローチを下支えしている(暗黙の)理念は、背景画像はあくまで場所を示す記号的象徴的なマテリアルだという認識だろう。少なくとも私は、そう捉えている。アニメの背景などとはまったく異なった原理に立脚した、一種のコラージュ(合成画面)的性質を所与とする構成なのだと把握する方が、実態に即しているし、射程の長いものになると思う。LittlewitchのFFD表現やproject-μのカットイン構成は、まさにその典型だ。
  だから、例えば、すたじお緑茶が固定背景画面の中で派手な立ち絵アクションを展開しても、そのぎこちなさはけっして失敗ではなく、あくまで観念的な意味作用としてのスクリプト表現の延長上に――つまりAVGに特有の表現文法の下で――理解されるべきだということになる。あるいは、ageのゲームエンジンがいささか強引に背景画像の擬似アングル変化を表現していることを、見当違いな無駄な努力だと考えるし、そのアングル変化表現が背景画像それ自体の表見上のパースとの齟齬を生じさせているとき、それは表現手法それ自体の失敗が露呈したものだと考えた。ねこねこソフトのあまりにも素朴な「映像志向」表現も、欺瞞的だと思う。
  もっと刺激的な例でいえば、『漆黒のシャルノス』の多重背景画像は、明らかにアイコン的な抽象的場所表示機能のみを担っている好例だし、『LEVEL JUSTICE』の極端にアングルのついた背景画像は、AVGが備えている自由さを存分に活用した傑作だと評価できる。いずれも、このブログや以前のテキストなどで何度も述べてきたことだが。

  結局、アダルトゲームの美術的特徴やその美学論、演出論、表現論を、きちんとした方法論的裏付けをもって展開する人は、ついぞ現れなかった。(もしもいらっしゃったらごめんなさい。) 私も、その水準で論じることは出来ずにいる。デジタルゲーム一般の美学については、去年にも一冊、和書の研究書が出ていたけど、中身はちょっとタルかった。


  「胃~之煮」は各回概要の記述が浅すぎて、読み返しても何が何だか分からないので、できれば記述を厚めにアップデートしたいのだが、全部聴き返すとなるとざっと300時間は掛かる。


  「プララジ」第14回(1/15)は公録分として、第15回(1/25)、16回(2/5)、17回(2/15)は結城氏ゲスト。『その大樹』はすでに紹介されているから除外して、『魔剣』紹介(結城氏はサラ役)が入ってくるだろう。ラジオ3回のうち、『魔剣』で2回取って、残り1回をフリートークにするのか、それとも『勇者砲』を入れるのか。主演タイトルを外すのはもったいないし、++チームの最新作なのだから、『その大樹』もあらためてフィーチャーするかもしれない。
  ちなみに、その次の第18回(2/25)で、ラジオ開始からちょうど半年になる。


  否定の接頭辞。
  「不合理」というと、合理性に反することを意味する。つまり、明確に合理的判断と衝突する。例えば、論理的な矛盾を含む思考や、実現不可能なことを目指す行動は、不合理である。
  「非合理(的)」というと、合理性がただ単に存在しないこと、あるいは合理的な根拠を伴っていないことを指す。その判断は、結果的になんらかの合理的判断にたまたま合致したり、あるいは背反したりするかもしれないが、どちらの場合でも、合理的思考が参照されていないかぎり、非合理的なままである。例えば、宗教的信念はしばしば、合理的判断(とりわけ自然科学的検証)に依拠していないという点で、非合理的なものである。ただし、内的な一貫性がある場合もあるし、もしかしたらその信仰内容が事実である――例えば神の実在が証明される――ということがあるかもしれず、その意味では合理性が見出される可能性がある。
  「反合理」という言葉は、通常は用いられない。例えば「反-合理主義」のような使い方だけだろう。あえて分類するならば、上記「不合理」と同じ側、つまり明確に合理性に反するというニュアンスになるだろう。
  「無合理」という言葉も、通常の日本語ではまず用いられないが、おそらく「非合理」と同じ意味合い、つまり合理的判断の裏付けが存在しない(結果的には合理的であるかもしれないし、合理的でないと判明するかもしれない)という状況を指すだろう。

  ただし、あらゆる単語に対してこの接頭辞の意味の使い分けが同じであるとは限らない。


  ほえー、『霞外籠逗留記』への言及って、なるほど、そういうのがあったのか……。


  さてもオタクとは、情報を食わねば生きていけぬ存在よ……。少なくとも私はそうだ。買って、読んで、常に新しい作品を摂取し続けていなければ、心の健康が保てない。(それはそれで、すでに不健康なのでは、とか言わない。) そして今日も、紙とインクによる美味なる栄養食品をたっぷり調達してくるのだった。 


  ノーマルカップリングという表現は、私も使っていない。「ノーマルカップリング」と言われると、直感的には、「男女のカップリング」というよりは、「作中で実際に描かれているカップリング」をイメージしてしまう。その対義語は、えーと、何だろう、「非公式カップリング」とか「妄想カップリング」とか「二次創作カップリング」になるだろうか。
  いずれにせよ、「ノーマル○○」という単語を使ったからといって、それに対置される言葉が「アブノーマル(異常な)○○」になるとは限らないので、それを理由に「ノーマル」という単語の使用それ自体を忌避するのは行きすぎだと思う。論拠として説得力が無いという意味で。現代の日本語話者が「ノーマル」と言うときは、たいていは「スタンダード」や「コモン」、あるいはせいぜい「ごく一般的に見出されるので、暫定的に認識上のデフォルトとされたもの」くらいの意味合いであって、規範的な「正常」のニュアンスはほとんど無いだろう。そうした中で、殊更に「正常(normal)」と「異常(abnormal)」を対比させるのは、辞書的な語義の中から恣意的に抽出しているにすぎないと言うべきではなかろうか。
  そもそも、例えば「男の娘」キャラがここまで一般化しているくらいなのだし、わざわさせカップリングの性別を基準に語る必要の生じる場面は、そうそう無いと思う。


  書籍の帯は基本的に捨てている。作品本体ではない別物だし、全集に付いてくる月報のように特有の内容があるわけでもないので。広告の一部と見做して、買うなりどんどん捨てている。帯を付けたままだと、読むときにかなり邪魔だし。
  特に漫画単行本では、どんどん掛け替えられてしまうし、資料的価値がある場合もほとんど無い。ただし、本編に存在しないカラー版の絵がプリントされている場合があったりするし、推薦文として著名人がコメントを寄せている場合もあるので、適当に折って本の中に挟んでおくことはある。例えば『キルミーベイベー』の単行本では里見英樹氏によるキャッチコピーが秀逸だし、『カガクチョップ』には声優の赤﨑氏がコメントを寄せている。


  ゲームのサンプルヴォイスで、複数の台詞(ワード)を一つにまとめて連続再生させるのは、どうか、どうかお止め下さいまし。台詞の間(ま)が滅茶苦茶になって、ものすごく下手な芝居をしているように聞こえてしまうから……。複数の台詞をつないでいるのだと頭では理解しても、聴覚上の印象はすごく悪くなってしまう。
  声優事務所のサンプルヴォイスだと、個々の台詞の間が十分長く取られているし、それぞれがまったく別路線の芝居に変わっていく(例えば元気キャラ→ミステリアス台詞→激怒芝居のように)から、一ファイルで続けていても、台詞の切り替えがちゃんと耳で理解できる。


  [※註:後日、画像等を模型ページに移したので、以下の文章は意味を失っている。]
  トップページに可愛い画像を残しておきたくて、日付更新をずるずると先延ばしにしている。しかしさすがに、テキスト量が増えてトップページからの表示が長たらしくなってきた。とりわけモバイルアクセスだと、長いページをスクロールするのは面倒だろう。また、広告などを極力排して軽量化に努めてはいるものの、blggrはそれなりにデータサイズが大きくて重いページだから、せめてテキスト量だけでもコンパクトにしておきたい。
  私自身は、ほぼPCアクセスだけなので、ページアクセスはきわめて軽快だし、スクロールバーをマウスで引っ張ればよいのでページの長さも基本的に問題にならないし、のだけど、最近ではやはり、モバイルの閲覧環境を考慮してレイアウトを考える方がユーザーフレンドリーかと思う。いや、でもでも、トップページにアクセスする度に可愛いキャラの画像(写真)が目に入る方がきっと良いよね! ね! うんうん、そうだよ。(おバカ)
  目安としては、80行を超えたら日付を更新したい。しかし現時点で、その2倍以上の行数を、1/11付のまま継続してしまっている。……あっ、そうか、新たな可愛い画像を持ち出してくれば更新できるんだ!(おバカ)



  01/07(Mon)

というわけで、全身タイツ姿のプラモデルを作っていた。ラインモールドへのスミ入れ作業が、たいへん楽しゅうございました。左記写真のようにすると、X字に広がるシルエットが美しい。


  先月の家計簿が13000円以上ズレてまって落ち込んでいたが、DLsite(Ci-enのSHCファンクラブ用)に1万円支払っていた分を思い出したので、誤差は3000円程度に収まった(※大判の領収書なので、別のところに仕舞い込んでいた)。
  領収書の出ない支出もあるから、3000円くらいの食い違いはやむを得ないものと諦めている。そしてその3000円も、べつに空に帰したわけではなく、どこかで使った(そしてその効用を得た)筈なので、損をしたわけではない。


  『桜Trick』は、一部の声優に期待して視聴したのだけど、1話が致命的に私の感性に合わず、2話以降は視聴できないまま途絶してしまった。画面演出が陳腐でだらしなく感じたし、脚本面でも個々のキャラクターの位置づけと切り分けもあまり整理されておらず、エピソードのつなぎもバラバラ、全体として見るに堪えないものだった――というのが、視聴当時の印象だった。主要キャストは、半数はとても素晴らしかったと思う。あらためて視聴しかえせば評価が変わるかもしれないが、さすがにそこまで暇ではない。
  原因は分からない。第1話のみの特殊事情なのか、それとも全話に亘って同じような出来なのかは分からないが、第1話の絵コンテは監督(石倉氏)自身が担当しているので、作品全体の演出が同じレベルである可能性が高い。この石倉氏は数多くのアニメ作品で監督や演出を担当しているが、幸か不幸か、全然視聴していないので、この方の実力や個性は知らない。脚本面の問題は、原作に由来するものだったのかもしれないが、そちらも未読なので判断できない。第1話の脚本担当(武田氏)は、これ以外の業績がほとんど無い。演出担当の村田氏も、個別回の単発での演出業績が見つかるだけで、まとまった実績が見当たらないし、私はそれらの作品にほとんど出会っていないので、判断できない。音楽の中西氏についても、ほとんど知らないし、楽曲の記憶も残っていない。
  いずれにせよ、視聴してから数年間、びっくりするほど私の口に合わない(その意味ではきわめて珍しい)アニメ作品として、ずっと私の記憶に残り続けている。
  上記のようなショッキングな経験から、私は「『桜Trick』を高く評価する人のアニメ眼(さらには審美眼全体)は信用できない」というところまで行ってしまっている(※実際には、身近にそういう人がいたという憶えはないけど)。しかし、はたしてこれは妥当な評価基準なのか、それとも適切さを欠いているのか。


  ネットイラストなどで、女性キャラクターが品のないかたちで脚を開いている有様を見るとドキドキするのだが、これはただ単に「見るべきではないもの」を見てしまってその居たたまれなさに当惑しているだけであって、性的に興奮しているわけではないのだよな……。
  これがいささか保守的な感性であるということは、自分でも理解している。知的判断の次元では、むしろ平均以上にリベラルであり、最終的な判断および行動としても明確にそちらが優位にあるのだが、素朴な感性的受容の段階では、ややもすればそういった「はしたなさ」の基準を参照してしまいがちになる。


  「やわらかうす皮タイプ」のパッケージ……こんな下ネタで笑ってしまうとは、不覚。


  講義一つあたり、受講者は30~60人くらいいる。特に必修講義などでは登録者が100人を超えることもあるし、逆にゼミでは10人台に収められるのが通例だが、平均を取れば50人程度に落ち着きそうだ。受講者のダブりが存在しないと仮定すると、例えば講義6コマ×前後期×10年教えている教員であれば、ざっと5000人の個人に顔を知られていることになる。20年も続ければ、1万人だ。そんな大量の人々と、「20時間以上、顔を突き合わせた経験がある」ということになる。しかも、半数以上は大学所在地の近隣府県に住んでいる。だから、街を歩くのがめんどくさいし、なにかと気を遣うことも増える。飲食店に入ったら店員がバイトの学生だったということもあるし、商店街を歩いていたら卒業生から呼び止められたこともある(※こちらは学生一人一人の顔と名前を記憶しているわけではないし、さらに何年も経ったり服装が変わったりすれば尚更、識別できなくなるというのに)。そういうこともあって、ふだん外出する時はマスクをしている。風邪予防だけではなく、隠れていたいという気持ちから。もっと言えば、変装していたい。
  ただし、スポーツのトレーナーや芸術活動の指導者であれば、人数の規模はかなり変わってくると思われる。講義形式だけで済ませるわけにはいかないだろうし、ものによっては付きっきりの一対一トレーニングになることもあるだろう。だから、そういった活動で「教えた生徒さんが1000人」というのは、相当な実績だと考えてよさそうだ。例えば10年のキャリアであるならば、年間100人。20年間ならば50人。短期間のレクチャーなどを算入するとしても、例えばボイトレ指導者が一年で100人を教えるというのは、かなりの激務だろうし、また、それだけ多くの人から求められている有能な指導者だということになるだろう。


  自分自身のblggrアクセスが、ページ閲覧数にカウントされなくなっているようだ。
  アクセス統計欄では「自分のページビューをカウントしない」ように設定していて、前のブログはそれで設定通りになっていたのだが、現ブログは私自身がページビューをする度にアクセスカウントが増えてしまっていた(※設定通りに動作しない、一種のバグ状態)。アクセスカウンタそれ自体は、ロボットアクセスも多いのだろうし、多かろうが少なかろうが構わないのだが、自分がページアクセスして戻ってくる度にカウンタが一々変化しているのが、わりと鬱陶しかったので、動作が設定どおりになってくれて、ほっとしている。ちなみに、正常化されたのがいつ頃だったのかは分からない(気づいていなかった)ので、実は全然たいした問題ではなかったと言うべきかもしれない。


  『Sugar*Style』のデモムービーを観たら、あっ、路面電車が! 買おうかな。

  『絆きらめく恋いろは』は、卯衣氏がメインヒロイン(トップヒロイン)なのか。昨年は、2月発売の『おとボク3』と『I×SHE Tell』以来、新作出演がほとんど無くて寂しい思いをしていたが、今年はまたたくさん出演されることを期待したい。CRYSTALiAは、ソフパル系列のブランドのようだ(※つまり、UNiSONSHIFTやHeartsと同じメーカー)。

  1月新作の予約は、今週末には注文確定しておきたい。


  そんなことをしているうちに、1/20にはこみトレが。
  今回は佐々木氏のサークルはいらっしゃるのだろうか。



  01/05(Sat)

  2018年の「胃~之煮限界突破」シリーズは、あらためて聴き通してみると、なかなか良いシーズンだった。特に中國氏のトークが充実していたし、西垣氏もトークに深く絡むようになっている。笹島氏も先年よりは時間の余裕が取れるようになっていたようだ。中國氏のスマートフォントラブルの話や音声ノイズなど、聴き苦しいところが無いわけではないけれど。


  「プララジ」の八尋氏は、あまりにも存在感が薄かった。
  次のゲストは結城氏とのこと。『魔剣』の鍛冶屋サラと、『大樹』のプリムティーネ(主演)、それから『勇者砲』『領地貴族』『悪魔聖女』でもモブキャラを演じていた。こちらも、これといった個性を認識できず、モヤモヤする。

  「プララジ」は、第10回で感動の放心を通り越した何かになってしまって、そこから概要記事を書けずにいた。そろそろなんとかしたい。


  「……そう、グライフェンの太腿をネービーブルーに塗り込めた時、オレはすでに全身タイツ萌えに目覚め始めていたのだった……」(邪悪な小杉ヴォイスで)。


  さすがに1/12ドールでは、造形やディテールに限界があるし、衣服などのオプションアイテムも選択肢に制約がある。なによりエッチング眼鏡が品切れで困っている。1/6にサイズを上げた方が、いろいろと捗りそうだ。デフォルメ体型のものでも、わりと見るに堪えるものになっている。もっとも、1/6でも、商品のヴァリエーションや数量はそんなに潤沢というわけでもないが、新たに取り組む世界は当人にとっては全てが新しく、そしてそれゆえ豊かなものだ。本格的にドール分野に踏み込むのは危険だが、まあ、一つくらいなら大丈夫だろう。


  騒音迷惑な灯油販売カー、早く滅んでくれないかな。土日に音楽やゲームに興じているときに、それなりに防音を利かせた部屋にも突き刺さってくるし、断続的にかなり長くうろついている。幸か不幸か、近距離までは来ないので苦情や通報も出しにくい。



  01/01(Tue)

  『GA 芸術科アートデザインクラス』のアニメ版は、第1話があまり楽しめなかったのでそのまま視聴途絶してしまっていた。原作が漫画表現として完成されていて、べつにこの絵を動かしても(アニメーションさせても)面白味が加わるようにも思えない。
  とはいえ、やはり一度見ておこうかなという思いもある。監督の桜井氏は、評価の高い方だし。桜井氏の作品はこれまでほとんど見ていなかったが、そういえば『猫神やおよろず』(2011)は良い感じだったから、同時期の『GA』(2009)もあらためてきちんと視聴すれば再評価できるように……なったらいいな。

  web上の公式1話を視聴してみたが……あー、やっぱり私の趣味には合わない。
  全体状況が見えにくく、個別のネタがバラバラに並べられているという印象。BGMのボリュームが大きすぎること(※曲それ自体は良いと思うが)。アニメーションさせていることが面白味につながっていないこと。一部キャストがあまり好みではないこと。美術関係の説明部分が、どうしても説明過多(冗長)でアニメの進行を止めてしまうこと。このあたりが不満の原因だと思う。

  このメディアミックス文化の現代では、ある作品を好きになったら、その関連コンテンツをすべて好きになることが期待される、あるいは、そうなる方が得になるようなメカニズムになっている。しかし、実際には、全てを好きになるわけではないし、個別的に好き嫌いの判断や美的評価の判断をしてよいのだ。私はその自由を行使する。


  「胃」MAXは、概要作成していないのが30回分ほど。一回30分として全体で15時間ほど掛かるが、年始のうちに書き上げられればというつもりで適当に取り組む。
  追記:模型やゲームと平行作業していたら、案外あっさりと完成した。


  [ www.volks.co.jp/jp/vlockers/fiore02.html/ ]
  既視感ネタ。なんとなく木村ヴォイスのスイートパッションさんっぽい。具体的な造形は全然違うのだけど、「赤基調」「ツインテール」「へそ出し」「ほどよい褐色肌」「黒の超ミニの上端に黄色のライン」「ふてぶてしい表情」といったあたりの記号が、連想を誘っているようだ。頭髪をボルドー色のロングにして、ヘッドドレスなどをブラックにしたら、かなり近づくのではなかろうか。


  (→2019年2月2018年12月