2019/02/28

2019年2月の雑記

  2019年2月の雑記。(→3月1月

今月中はずっと、雑記欄のトップに木村アーサーさんの写真を掲げておこう。


  02/27(Wed)

  [ www.parasol-soft.com/product/renran/character.html ](※アダルトゲームサイト注意)
  さすがのParasol、今回もありがたいキャスティング。杏子氏は前作からの連続起用(※ただし今回はサブキャラのようだ)。小鳥居氏は、えーと、『QS』以来の4連続起用なのか。山奈氏は初めて聞くお名前だが、Parasolの見識に期待しよう。
  世界設定はよく分からないが、どうやら魔力を込めるとバストサイズが大きくなる(言い換えれば通常時は美しいスリムサイズ)ということのようだ。公式サイトのサンプルCGも、胸部の膨らみが差分変化している。
  しかも男性主人公は眼鏡着用。よし、私よ、この作品を買え。

  みけおう絵は相変わらず大股開きが頻出しますのぅ。


  置き場のない艦船模型を近所の通学路に置いておいたら、心あるボーイズorガールズが拾っていってミリタリーやモデリングの趣味に目覚めてくれないものかと妄想する。いや、不法投棄だし、そもそも面倒だからやらないけど。


  自宅探検大掃除しつつ、学生時代によく聴いていたCDをいろいろ取り出してきている。ものによっては10年ぶり、あるいはそれ以上のものもある。当時はよく分からなかった演奏が今聴くとずいぶん面白かったり、あるいは逆に、大学生当時の私がどうしてこれを気に入っていたのかが分からなくなっているディスクもある。ただし、全体としては当時よりもはるかに細かく丁寧に聴けるようになっていると思う。再生環境(ヘッドフォン)が改善されたおかげもあると思うが、音楽の意味や聴き方についての理解も深まって…いたらいいな。

元はまっしろなプラだった筈なのに、表面がここまで黄ばむとは。日焼けさせたわけではないし、もちろん汚れや煙草ヤニでもない。製品としては94年発売(つまり25年前)だが、ディスクは問題なく再生できる。



  02/26(Tue)

  アニメ『サークレット・プリンセス』は、主演の長妻氏はお得意の元気(慌て)系後輩キャラだし、中島氏は切れ味の良い芝居が気っぷの良いキャラにマッチしているし、生天目氏の安定感や水橋氏の控えめなユーモア、そして後藤氏はちょっと意外な役柄ながら後藤氏らしさを発揮している。要するに、(ある意味で)当代最高の顔触れと言ってよく、たいへん聴き応えのあるアニメになっている。主題歌が橋本氏なのも嬉しい。


  Q. 置き場が無いのにプラモデルを作るとどうなるか?
  A. どうにもならない。もとい、もうどうにもならない。

  Q. 置き場が無いのにゲームを通販購入するとどうなるか?
  A. もうどうしようもない、いや、大掃除をするしかない。箱は潰したくないのだが……。

  Q. 置き場が無いのにオタクショップに入ってしまうとどうなるか?
  A. 自動的に買い物をするので、自宅をなんとかしましょう。

  Q. 置き場が無いのに書店に(以下略)
  Q. 置き場が無いのにCDショップに(以下略)

  A. そうだ、自宅に置き場が無いなら、コンサートや美術館に行けばいいじゃない。それなら物は増えない(※美術館などでも、いろいろなグッズを売っているけど)。

  ここに引越してくるときに、一人暮らしとしてはわりと広めの物件を選んだのだけどなあ。古くもなく、そんなに高額でもなく(※ハイシーズンを外して契約したおかげもある)、それでいて最上階角部屋で、デメリットは交通機関のアクセスがそんなに便利ではないというくらい。総合的に見て、条件は満足しているのだが……。



  02/23(Sat)

  せっかくの休日だから、家に籠もってゲームにうち興じる。

  暖かくなってきたからそろそろ模型制作も再開したい。しかし、あれを先日作ったばかりだから、模型趣味を休止してまだ半月も経っていないのだが……。


  「御津(みつ)」という地名は各地に実在するのか。
  あの声優さんのお名前は、「ミンツ」をもじったものだと思うけど。


  SHCファンクラブは現在959人。そろそろ大台が見えてきた。月3回というハイペースで商業レベルの充実したコンテンツを出しているわけだし、SHCユーザーでなくてもわりと楽しめる内容になっているから、内容に見合った妥当なものだろう。もっとも、IRODORIは早々に1000人超えしていたし、mielは1700人、Loseは3000人以上も支援者がいる。


  暖かくなってきたから、財布の紐も緩むよね。……だめだ、ダメ人間度合いが増している。今日もいろいろオタ関連の物品を購入して幸せになってしまった。


  Q. 置き場が無いのにフィギュアを買うとどうなるか?
  A. 置き場が無いことに変わりはない。つまりフィギュアを買っても状況が悪化するわけではない。だからフィギュアを買ってもなんら問題は無い。(いつものおバカ詭弁)

  フィギュアや模型は大きくスペースを食うし、扱いにも気を遣うし(破損や塵埃)、そもそも物理的に目立つので、置き場の問題を意識しやすいが、PCゲームのパッケージや書籍やCDやその他諸々だってやはり場所を食うのだ。毎月の通販段ボール箱、毎週のCDボックス、毎日の書籍購入も、自宅を空間的に圧迫するという点では同じだ。でもでもしかし、買って摂取せずにはいられないのだ。生きるための、私の心が生きるための、必須栄養素なのだから。自らの人生をして生きる価値あらしめている理由の少なからぬ部分を占めるものだから。

  ただし、もしも仮に今後そうした文化的な物品を一切買わないとしても、現在所持している数千枚のCD、数百本のゲーム、数十個の未制作プラモデル、そして最早数えてもいない書籍、等々、それらをじっくり咀嚼し消化し吸収していくだけで、おそらく平均寿命に達するまでの時間は十分過ごせてしまう、あるいはもしかしたら足りないくらいかもしれないだ。だが、しかし、そうではないのだ。それだけではないのだ。時代についていくこと、自分の知性と感性を常に新たなものに晒していくこと、そしてそのために自らのセンスを賭けて真剣に買うものを選ぶこと、さらには自分がコミットする分野の文化に対して少しでも経済的な寄与をしていくこと、それが必要なのだ。20歳の私がたまたま選んで買ったものの範囲内から出られなかったり、あるいは30歳の私がたまたま気に入っていたもののみにに今後の体験が限定されてしまったりするとしたら、それは精神の死に等しい状況ではなかろうか。


  入力窓の四隅の角を丸めてしまうとは。またもやgglがバカなことをしている……。角を丸めてしまうと、どの位置から入力開始するのかが分かりづらくなるので、使い勝手が悪くなる。四隅が直角になっている四角形ならば、最初の一文字がどの位置から始まるか、あるいはマウスカーソルをどのあたりまでクリックしてもよいかが比較的明快だったし、四隅のカーブという余計な情報を気にしなくても良かった。デザインとしても、ゴシックフォント風にきれいなエッジの立った「goole」ロゴの下に、ぬるっとした長円が広がるのは、まとまりのない感じで気持ち悪い。具体的に言うと、直角主体のロゴが過度に刺々しく見えてしまうし、その一方で入力欄がだらしなく見える。
  ついでに言うと、入力欄の枠色が薄すぎるのも、認識を阻害する。機能性重視で、もっとくっきりと枠を表示すべきだと思う。gglはユーザーに検索機能を使ってほしくないのだろうか?


  三越って、広告に実在兵器を大きく描いてもOKなのか。懐が広いなあ。
  武器、兵器、銃器等はNGにしているところが多いと思うので、結構驚いた。

  ただし、個人的には、武器兵器を広告に使わないという姿勢を取ってくれる方が嬉しい。企業が自己のために自らが主体として選択するものだから表現の制約という問題には当たらないし、広告とはイメージを伝えるものだから、兵器という破壊的攻撃的な存在の表象を用いた広告が社会に普及するのは望ましいことではない。もちろん、そうしたものが禁圧されるべきだと主張するものではないが、人々がそういうものを好まない、そういうものを必要としないことによってそうした表現が消滅してくれたらとは思う。


  シューマンの室内楽全集も買った。弦楽四重奏曲は別の演奏で聴いて好きになったが、ピアノを含む室内楽作品は未聴だったのでこちらも期待している……のだが、今日は聴く余裕が無い。焦らずゆっくり一枚ずつ聴いていこう。


  『フランケン・ふらん』目当てで「チャンピオンRED」も買ったけど、相変わらずオカルトやホラーものの作品が多い雑誌だ……。それと、やけに古い作品の関連漫画も多い(『星矢』『999』など)。


  「プララジ」はアレな投稿者が増えてきたなあ……。その投稿ネームは他人に聞かせる名前としてどうなんだというのとか、そういう立ち入った質問をぶつけるのはどうなんだとか……。かなり耐えがたくなってきたから、下品な内容やパーソナリティに対して失礼な内容の投稿は、読むのを控えていただけるよう、メッセージを出しておこう。



  02/19(Tue)

  まさか私が、まさかゲーム徹夜だなんて、まさかそんなまさか。(ねむい……)


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  先日のイベントで購入した中では、これが出色の出来だった。鮮やかな蛍光色をまばらに乗せていく美しい多色印刷で、フキダシのない寡黙な絵面と、二人きりの穏やかな世界という突き詰められたシチュエーションが、絶妙の仕方で結びついている。途中には、これまた繊細な作りのイラストが何枚か挿入されている。
  上のサンプル写真では分かりにくいのが残念だが、私は現物を熟読したので満足です。


  『私が好きなら「好き」って言って!』の発売は2015年10月。もう3年半も前のタイトルか。長いような、短いような……。


  webラジオをぼんやり聴いていたら、「猫が人間に変われるようになったのは」というフレーズが耳に入ってきて、どんな理想世界かと思ったら、「猫が人間にわれるようになった」だった。
  『わんことくらそう』式にネコ耳人間が増えるならば幸せだが、 世界中の猫がただの人間に変化してしまうとしたら、理想どころか悪夢かもしれない。

  「変われる(能動、可能)」と「飼われる(受け身)」とでは、アクセントは違うのだろうか。私の言語感覚だと、音高は「変わるようになる」と「飼われるようになる」で異なるかなと思うが、1)それが正しいかどうか分からないし、2)正しいとしても本動詞「変わる」「飼う」の違いに由来するのか助動詞の意味の違いに由来するのかも分からない。「取られる(尊敬)」と「取られる(受け身)」とでは、おそらく発音(アクセント)は同じだろうし……。ともあれ、おそらくパーソナリティの声優さんは適切な発音をされていた筈だから、聞き違えた私の側に原因があると思われる。
  ちなみに、「取らる」「取れた」「取られよう」でそれぞれアクセントの位置が変わるのも、不思議といえば不思議だ。国語学的に筋の通った説明はあるのだろうか。


  「胃」改稿は、ようやく「御中」の半ばまで来た。長いが楽しい。


  世紀の変わり目頃には、『ToHeart』のマルチから『マシンメイデン』シリーズ、そして『しすたぁエンジェル』『エスカレイヤー』『ラブリー・ラブドール』のあたりまで、ロボ娘(アンドロイドヒロイン)がそれなりの存在感を発揮していたと思うのだが、それ以降はなかなか続かず、メカヒロインものは縮小衰微してしまったようだ。『ToHeart2』シリーズには、ロボットヒロインブーム再興を当てにしていた様子が見られたが、実際にはメイドロボヒロインたちはあまり人気が出なかったようだ。
  一つには、00年代に入ると古典的なロボットヒロインよりも仮想世界上の人工存在(『BALDR』シリーズや『こころナビ』『バイナリィ・ポット』など)というアイデアが大きく注目されるようになり、それに取って代わられたという側面があるかもしれない。
  また、00年代後半に入ると、もはや「ロボットと心」といったような古めかしい主題を維持することは出来なくなった。さらに、アダルトゲームに限らず、オタク界隈の創作物では、作中世界設定が詳細複雑重厚になることが求められていき、そうした中で迂闊にロボットキャラクターを出すことが難しくなってきたという側面もあるかもしれない。高橋留美子的な混沌の楽園は、00年代後半には、すでにきわめて難しいものになっていたと思う。
  10年代になると、オタクフィクション全般にリアリスティックな真理要求がさらに高まり、カジュアルなロボットキャラクターはいよいよ困難になっていった。非生物の擬人化という潮流や、虚構的な武装少女という隣接分野の興隆も、古典的なロボット少女のアドヴァンテージを突き崩したのではないかと思う。そうした中でも、『イモウトノカタチ』『木洩れ陽のノスタルジーカ』、あるいはSLG作品『その古城に勇者砲あり!』のような作品がリリースされてきたのは、ありがたい限りだ。

  00年代中の本格派というと、全年齢の『ガジェットトライアル』が好きだった。キャラデザはEin氏で、兵器ヒロインたちをいろいろ換装させて楽しめるし、幕間のAVGパートも洒落が効いていたし、キャスティングも絶妙だったのだが、残念ながら肝心の『大戦略』型SLGパートがダルかった。マップが大きすぎ、UIが不親切すぎ、動作が重たすぎて、たいへん辛かった。全ユニットが一律に1ターン1回行動ではなく、ユニット毎に行動間隔が異なるウェイトターン制を採用したのは、なかなか面白かったのだが……。

  ちなみに、萌え系の『大戦略』『ファミコンウォーズ』型の戦争SLGだと、『戦略娘』シリーズや『戦場デ』シリーズもあった。『王賊』はファンタジー世界ものだが。全年齢の『萌え萌え2次大戦(略)』シリーズは、かなり後発……と思いきや、第一作が2007年だから、『戦場デ』シリーズとほぼ同時期なのか。


  百合!言語ネタ!長妻さん!な『アムリラート』の続編(後日談FD?)の発売が、もう来月なのか。続編が出せるというのは、本編のセールスが良かったということだから、これらの路線(百合もの、言語もの、長妻氏)の将来展望は明るいということだし、製品版を買うことで私もそれにわずかながら寄与できていたならば嬉しい。


  SHC作品の名場面は、と振り返ってみたら、まず思い浮かんだのは「ルネリア殺害END」、「連隊長のワッフル講座」、「姫と二人で遭難生活」の三つだった。それでいいのか?
  発売順にざっと見返しても、『うえはぁす』の一人ピットクルーごっこから、『LJ』の葉月の抵抗台詞から、「両国ドミニオン」とか、久留滝家の桜姫の決意から、さらにはマイケル呼ばわりや、『BB』シリーズのいくつもの激戦、『門』のサブキャラの情趣あるエピソード、ルシアベリルの一連のやんちゃ行動、そして近作では『その大樹』のカーケルの陰鬱なエピソードまで、一作品ずつ思い出していくだけでもきりがない。


  キャラが声を発する前に、その顔を見ただけで、門脇氏の演じている役だと確信できた。もちろん、何かしらの役でその作品に出演されているということは知ったうえでの話だが。わたしのかんせいも、まだまだすてたもんじゃないな。


  これまでは一部声優さんのお名前を平仮名で書いてきた。微妙な恥じらいの気持ちと、微妙な検索避けのつもりだった。が、しかし、やましい内容のことを書いているわけではないのだし、まったく不必要な配慮なので、今後はきちんと書くようにする。誤魔化しなく正面から、そして内容に責任を持てる発言であるように自己規律しつつ、声優諸氏への讃仰の言葉を紡いでいきたい。

  でも、褒めない時は、平仮名で済ませる方がいいかも。

  例えば、最近たくさん出演しているねこむらさんは、あまり良いとは思えないのよな……。台詞のリズム感も乏しいし、表情づけも鈍いし、中途半端な鼻声だし、やけに素人くさく声がうわずることもあるし、アクセントも余計なところに力が入っていてクドいし……役に入る以前の段階で、どうもモヤモヤする引っかかりが多くて、好きになれない。それでいて白箱系ブランドによく出てくるものだから、苦手意識が強まりつつある。昨年からの出演ブランドを見ても、ensemble、戯画、FAVORITE、SAGA Planets、ういんどみる、HOOKSOFTと、出演歴はたいへんゴージャスなのだけど、芝居を聴くと砂を噛むように味気なくて退屈なのよ……。
  それとも、私の聴き方が悪いのだろうか? 制作スタッフは良い作品作りを目指しており、良いと信じる声優を選んでいる筈だ。とりわけ収録に立ち会う脚本家たちは、自分のテキストを声優がきちんと咀嚼し解釈してそれを音声芝居として作り上げてくれているかを、きちんと判断している筈だ。ギャラが安いとか愛想が良いといった程度で、それを曲げるわけが無い。実際に、猫村氏はAUGUSTやういんどみるで連続起用されているわけだから、制作サイドからその出来映えを評価されているに違いない…のだが……。

  90年代末以来のアダルトゲームの魅力は、声優に負うところも大きかったと思う。18禁ゲームという難しい分野にもかかわらず、様々な業界的・社会的な情勢もあって、一色氏、北都氏、青山氏、深井氏、かわしま氏、白井氏、井村屋氏といった一級の実力派声優たちが毎年何十本ものタイトルでメインを張って、ユーザーの耳と心を惹きつけてきた。しかも、ハードな黒箱系にも差別なく取り組んで最高の芝居を披露し続けていた。また、それとともに金田氏、籐野氏、まき氏、桜川氏、松永氏、木葉氏、青葉氏のような強烈な個性を発揮する声優が何十人もいて、いろとりどりのキャスティングで作品を彩ってきた。アダルトゲーム興隆には、そういう声優たちの魅力と、そのクオリティに対する感動が、少なからず貢献していた。

  安かろう悪かろうでは、ユーザーはついて来なくなる。ついていけなくなる。つまらない芝居に何十時間も付き合うのはユーザーにとっては苦痛の体験に他ならないし、それではゲームに取り組む意味が失われてしまうのだ。趣味の選択肢が豊かな現代にあって、誰があえて二級品を選ぼうとするだろうか。典型的には桃組十把一絡げキャストや同人声優やヒマリ氏とかのことだが、それ以外でも、声優たちがつまらない芝居をする作品は、それだけでいかにも色褪せて見える。本来、声優とは、作品の豊かな色合いと生き生きとした進行を、ユーザーに最も近いところで作り上げてくれる存在だからだ。

  (クオリティが高ければ必ずユーザーがついてくるとは限らないのが、難しいところだが。)


  先日の即売会で購入した同人誌を、ようやくすべて読了した。原作を知らないこともあってわりと適当につまみ食いしただけだったが、良いバランスと良いクオリティのものを買えていた。コメディ、恋愛、シリアス、短編集、フルカラー漫画、ポストカード、イラスト集、小説本、フィギュア写真、新刊に総集編と、なかなかのヴァラエティだし、内容面でも個人的にハズレ無し。ちなみに18禁は一冊も買わなかったが、会場ではそういう本もかなり出ていた。特定カップル+SFネタ+小説メイン+合同誌のイベント新刊([tw: 1090244736424656896 ])などという珍しいものもあった(買った)。

  とはいえ、例えばシリアスな内容なのに「P」字の頭というのは、さすがにいかがなものかと思わぬではない(かなりの抵抗感がある)が、このジャンルはそういう表現を受け入れている文化のようだから、言っても詮無きことかもしれない。



  02/18(Mon)

  昨晩の出来事。
  近所のコンビニに行ったら、アダルト雑誌コーナーで、ある表紙にふと目が止まった。普段はアダルトコーナーには目もくれないので、我ながら珍しいなと思いつつ一歩近寄ってみたら、「快楽天BEAST」だった。紅村氏の漫画が何度か掲載されていた雑誌だというのは憶えていたので、念のためにとってみたら、まさに紅村氏の作品が掲載されていた。しばし迷ったが、「これを逃したら、単行本化されるまで数年は読めないかも」と思い、他の買い物と一緒にレジに持って行った。自宅に戻り、せっかくだからと全体を一読して、巻末まで来て……表紙はAnmi氏だったのか!
  「たまたま手に取れて、とても運が良かった」と言うべきか、あるいはそれとも無意識下でもAnmi氏の絵を見逃さず捉えていた自分の眼力を褒めるべきか、むしろ巻末でお名前を見るまで気づかなかった己の愚かさを恥じるべきか、それとも「コンビニにAnmi絵があったら、当然目を引くよね」と言うべきか、はたまたAnmi絵の人を惹き付ける魅力にあらためて驚嘆すべきところか。

  ざっと調べてみると、今号は2/14発売の2019年3月号で、
  [ www.wani.com/product/13835/ ]
  [tw: wanimagazine/status/1095885739206852608 ]
  [ pbs.twimg.com/media/DzVeRYZX4AEZ64F.jpg:orig ]
  昨年の9/14発売号(2018年10月号)に続いて二度目のAnmi氏起用のようだ。
  [ www.wani.com/product/13835_201810/ ]
  [tw: wanimagazine/status/1039166834803654656 ]
  [ pbs.twimg.com/media/DmvcunOWwAEfmTp.jpg:orig ]

  紅村氏は、最近でも数号に一回くらい、この雑誌に掲載したりしなかったりされているようだ。こちらもわりとラッキー。このペースなら、2冊目の単行本も2~3年後くらいには刊行されるのではなかろうか。今回の作品はよく分からない感じだが、男性キャラはなかなかの美形だった。

  商業アダルト漫画誌については全然詳しくないので、「BEAST」がどのような傾向なのか、分野内でどのような位置づけになっているのかは知らない。基本的に単発の16ページ作品が中心だが、連続ものも数本ある(※ちょっと珍しいのかも)。掲載作家は常連傾向が強いようだ(※他の雑誌も同じようなものかもしれないが)。作品のクオリティは、絵に関してはどれもまっとうな水準(※最近はどこもハイレベルのようだが)。シチュエーション等については、日常ものや学生ものが中心だが、和風伝奇ものも数本ある。やや年上女性傾向――「隣のお姉さん」のタイプ――で、低年齢低身長は皆無(※たまたまかもしれないが)。ムチムチしすぎるものや、エキセントリックな画風のもの、激しい蹂躙もの、ファンタジー世界ものも無い。オーソドックス(?)で取っつきやすいスタイルのように見受けられる。Anmi氏が起用されるだけあって、可愛らしくて明るめの路線のようだ。


  アニメ化なら、『高木さん』よりも『キョーコちゃん』の方が良かったかも。キャラクターも多いし、アニメ向きのダイナミックなアクションシーンも多いし、大きなリボンはカラフルさとアニメーションの双方の長所があるし、原作は7巻で完結しているので適当に取捨選択して1クールできちんとした物語上の決着を付けられるし。ヒロインの白髪(?)も、アニメならば背景をしっかり描き込むから問題にならない筈だ。……まあ、原作が完結しているというのは、出版社にとっては旨味が少ないのかもしれないけど(※掲載誌や次の単行本にユーザーを引き込めないから)。
  白髪おでこ三白眼ギザ歯リボンポニテセーラー服スリムキョンシー吸血怪力ツンデレブラコン少女は、2019年現在でも十分ウケると思うのだけど。もちろん、それでいてちゃんと一人のキャラクター(人格)としてまとまっている。

そういえばこれも写真に撮っていたのだった。先日閉店してしまった喜久屋書店(「漫画館」京都店)の色紙『ふだつきのキョーコちゃん』。色紙コーナーは撮影OKでした。右に怖そうなキャラ(兄)がいるけど、不良漫画ではないので大丈夫。

  山本氏はコマ組みもきれいだし絵も上手いのだけど、犬や子猪のような動物の絵が下手なのが不思議だ。下手というか、デフォルメの仕方がうまく嵌まっていないというか……。

  「不良」ってすごい言葉だよねと思う。元々は「不良学生」、つまり「素行の良くない学生」ということなのだろうけど、2019年現在の感性だと「不良品」、つまり一人の個人そのものを何か質的に劣っていると見做しているように聞こえる。
  日常的には「不良」という二文字だけの言葉を使う機会は他に無い――クオリティが低いことを指す場合は「不良品」とか「不可」「不適」「不出来」「低品質」などを使うだろう――から、「不良」というと「素行のよろしくない学生」のことを指す言葉だと明確に識別することができ、特に気にもされずに使われているが、あらためて字面を見るとひどく侮蔑的な言葉に思える。実在の個人を指して「あいつは不良だ」とか「おまえは不良だ」とかいうのは、語義を意識してしまうと非常な抵抗感があり、口に出すのが躊躇われるだろう。いや、そんなことを口にする機会は無いけど。

  「特別な腕力がある」ことを指す形容詞は無いものだろうか。「強腕な」だと、どちらかといえば「スキルが高い」ことを意味する。「強力な」だと、「効果が高い」や「掛かっている力が強い」ことを指す。現実的に言えば、人間の腕力(主に上半身の物理的な力の発露)は筋肉や体格に比例するわけだから、「筋骨隆々な」「逞しい」「強健な」「屈強な」「ムキムキな」「パワフルな」といった言葉と事実上同義になってしまう――そのように認識される――が、フィクションにおける超人的なパワーのあるキョンシー少女を指すにはミスマッチになってしまう。体格や筋肉を示唆しない、ファンタジー的な腕力……奇怪な力、あっ、「怪力」か! ということで上の文章を書き換えた。

  アンドロイドやメカ少女は機械的な理由からして超人的なパワーを持っていることが多いが、ウェアウルフキャラや鬼キャラやゴーレムキャラや(何故か)吸血鬼キャラなども、しばしば怪力キャラになる。ドラゴンなどが人間形態になった時も、たいていは超怪力を維持している。また、何の理由づけも無しに巨大な剣を振り回す少女キャラというのも、わりとありふれている。自身のパワーを制御できない不器用キャラといったら、ポンコツロボットが典型だろうか。


  [tw: 1097334867652575232 ]
  えっ、あれっ、この台詞はどちらの発言?としばし迷ってしまった。最初は「不思議な旅ガラス先生が体験したエピソードの語り――もしかしたら架空の作り噺かもしれない――を、少年が聞き書きで小説にまとめようとしている」のかと思ったが、画面上に描かれている金色のイメージはカラスの体験ではなさそうだから、実際には「ショタ先生のイマジネーションによる物語を、カラスがお茶を片手に楽しませてもらう」という状況だろう。わざわざ「噺」と言っているのだから体験談ではないという趣旨が明確だし、画面下に丸めた失敗原稿があることからも単純な聞き書きではないことが見て取れる。
  ……とはいえ、金色の粒子群がカラスの翼とつながっている(少年の頭部は避けている)から、カラスが展開する物語と取れる余地もある。おそらく少年のものであろう本棚を見ても、少年は物語を読んで楽しむ側の存在であると示唆されているように取れる。うーん、どっちだろう。二人の位置関係(高さ)からしても、カラス先生のお噺なのだろうか。

  机の上のクッキーは、どことなくユーハイムっぽい。

  「ショタ先生」とはひどいな、おまえ(わたし)……ごめんなさい。

  ※追記:カラスは編集者で、少年が童話作家とのこと([tw: 1097492721307009029 ])。



  02/17(Sun)

Gift「『英雄*戦姫』:アーサー」。1/8スケール。探し出して購入しました。フィギュアを声優買いしたのは初めてだった。公式サンプルではクリア台座だが、購入したものは薄いアイボリーになっている。
斜めから。流し目のような表情になる。この写真にはフレームインさせていないが、ほっそりした両足を大きく開いているのが大胆で美しい。角度によっては、絶対領域がぎりぎり見える。
仰角気味に撮影。上を見上げているような角度になる。広がった長髪はゴージャスだし、衣服もくっきりした皺表現に迫真性がある。三重のスカートも見事に造形されており、塗装もきれい。その一方で、上半身や脚部には引き締まった魅力がある。
視線をほぼ正面から捉える。付属物はマイクのみ(※王冠や熊人形は固定)だが、長髪や衣服には十分な密度感があるし、全体のバランスも洗練されている。


  アダルトゲーム、しかもその中でも白箱系AVGは、楽しい空間をゆったり描くのに適している。それはこの10年代末の時代にあって、大きなアドヴァンテージだと思う。アニメのように時間の尺が制限されているということも無いし、連載漫画のようにネタやストーリーを大量に並べなければいけないというわけでもない。一つのパッケージ作品を買えば、20時間なり30時間なりといった余裕のある時間を、ヒロインたちとの享楽的な交流に丸々費やすことができる。AVG作品であれば、区々たる作業に煩わされる必要も無い。ましてや、ソシャゲーのように目当てのヒロインに会おうとするだけでも多額のコストが掛かるなどといったことは一切無い。
  このような楽園的な幸福は、むしろこの2010年代にあってこそ、きわめて貴重なものだと思う。できるだけ長く広く豊かに、この分野が持続発展していってくれればと願う。もちろん、その構成は時代によって変化し、その媒体も技術的環境によって変化していくであろうが、上記のような幸福の条件が維持されてくれればと思う。


  説明的なタイトルというと、たしかに『恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうの』が名高いが、Nornの一連のロープラ作品もしばしば「誰が+どうする」(ヒロインの属性提示+シチュエーション提示)式の文で出来ている。デビュー作は2007年だから、かなりのキャリアになっている。ただし、昨年頃から新作がなかなか出なくなっているが。『松島枇杷子は改造人間である。』や、『処女はお姉さまに恋してる』なども、主語述語のある文のかたちでシチュエーションを説明しているタイトルだと言ってよいだろう。
  ただし、全体としてはは、説明的なタイトルは避けられてきた。フルプライス一本で8800円もする商品だから、カジュアルに購入するというには高額すぎるし、また、それだけの費用を支払いつつ数十時間を掛けてゆっくりプレイする作品だから、安っぽいタイトルは逆効果だろう。また、CGサンプルや体験版も公開されるので、内容を吟味したうえで購入検討することができる。それに対して、大量に存在する無料のweb小説や、一冊600円から1200円程度で買えるLN文庫本は、ライト層やカジュアルな購入者を捕まえるために、一目で分かるタイトルを付けることにメリットがある。小説本は、タイトルや表紙以外には簡便なアイキャッチを持てないし、店頭での試し読みもできないのが通例になっている。そういった分野的、媒体的、市場的な特性が作用している。


  体調が優れない。病気ではないし、疲労しているというわけでもないのだが、体力30%くらいでずっと推移している感じ。もうしばらくすると花粉のダメージが出てきてしまうし、年度末と年度初めはいろいろ大変になるから、今のうちに出来ることをこなしておかなければいけないのに……。


  ついに、自宅がオタグッズ(と仕事の文献等)に埋め尽くされて、置き場が完全に無くなった。押入に詰め込むこともできるけれど、そうしたら取り出せなくなるし。流しの下などは空いているとはいえ、さすがに保管場所としてはまずい(湿度などの問題がある)。どうしたものか……。ひとまず、春休みのうちに大掃除をして、少しでもスペースを空けたいが、すでに林立しまくっている各種タワーが崩壊しないかが心配。


  「木々津克久先生を怖がらせる怪談レターを」云々という件で、自分の恐怖体験を振り返ってみたが、さすがにオカルト体験は無かった。学生時代にほんの数回、就寝中に金縛り状態――つまり意識は半ば目覚めているが身体が動かせない――になったくらいか。あるいは、就寝中に足を触られたような体験があったような気がするが、ありがちな夢または錯覚だろう。以前の夢と同じ場所を再訪する夢を見たこともあった。しかしこれは、ただ単に、ある時に見た夢の記憶を、別の日の睡眠中に脳がたまたま参照してしまっただけだと思う。というか、怪談ですらない。
  もう一つ挙げると:学生アパートの上階がすべて空室になっていて、気紛れでその階に上ってみたら、住居なのに人の気配がまったく無くて、その雰囲気にゾッとして早々に逃げ帰ったことがあった。オカルト的な何かというよりは、人のいない空気が怖かったんだと思う。いずれにせよ、俗に言う「霊感」のようなものとは、まったく無縁のままだった。
  超自然的なあれこれは、科学的にはまず無いだろうと考えられるが、絶対に存在し得ないという保障や確信があるわけでもないので、基本的に危なっかしいものには近づかないようにしている。身辺の日用品やフィギュアも、下手なことをしてカースアイテムになられても困るので程々の扱いにしているし、中古品もわりと敬遠しがち。もっとも、そんなことを言ったら、このPCは何年にも亘って使用者のよこしまでみだらでまがまがしい妄念を蓄積しているわけだから、そろそろ青山ヴォイスや杏子ヴォイスのなにかしらがディスプレイから実体化して来てくれてもおかしくないのだが。

  現実的な意味での恐怖体験は、やはり〆切直前のPC不調だろう。知人はまさに修論提出直前にPCトラブルに見舞われ、Word文書の註番号が全て14だか15だかになってしまった。まさに「14へ行け」だね、HAHAHA、というネタを口にするのも憚られた。(というか、たしか当時の私はそのネタを知らなかったと思う。)

  ポジティヴな神秘体験も皆無。かみのおんちょうのあらわれをそのみでかんじとるような奇蹟の体験は、まあ、今後ともしないであろう。ダイスの目も、とりたてて良くも悪くもない。



  02/13(Wed)

  「胃~之煮」の参加率を計算してみたら、第12シーズン(計617回)までで、中國氏は98.7%(※欠席したのは8回だけ)、笹島氏は79.9%、西垣氏は71.2%だった。ただし西垣氏は、当初は収録エンジニア担当であって出演はしていなかった。レギュラー化した「ドリル」以降で見ると85.3%になる。第7シーズン「御中」(2013年)の頃から出席率が下がっているが、そんな多忙の中でも週刊ペースでずっと続けて下さっているのはありがたいかぎりだ。
  STPのお三方は、ほんの一言喋った程度のものも含めると14~19%程度。花見や新年会などの全員参加収録が定期的に行われることもあって、わりと高い数字が出ている。櫻井氏も計13回出演していた。
  ゲストは、吉岡氏が21回(比率にすると3.4%)、こやま氏が18回(2.9%)、あおき氏が12回(1.9%)、相本氏が4回、儀武氏が3回、安達氏が2回といった感じ。


  2010年代はまだ10ヶ月以上残っているけど、その中で一番好きなキャラクターは『春風センセーション!』の藤ノ宮伊織さんかもしれない。ごく薄いブルーラベンダーの頭髪は柔らかそうな癖毛ショートで、服装も柔和なペールトーン基調、性格は超低血圧でマイペース、そして夏野ヴォイス。ちなみにヒロイン4人の中では一番の高身長(163cm)。うん、素晴らしい。
  おまえ(わたし)はここ二十年来ずっとそんなんばかりだな、とか言わない。『雫』の瑠璃子さんとか、『SW』のサーニャとか、『片恋い』の三笠先輩とか、『シュガーコートフリークス』のレンとか、『恋神』のイワナ様とか、『カルマルカ』の夏目暦さんとか、この路線のキャラクターにはたいてい親しみが湧く。

  とはいえ、2010年代で括ると『恋色空模様』『BUNNYBLACK』『あまつみそらに!』『まじのコンプレックス』『桜花センゴク』(いずれも2010年発売)あたりも入ってくるので、選びきれないのだけど。
  時代感覚としては、2014年までと、それ以降とで分かれているという印象がある。つまり、大槍氏や伊藤ヒロ氏やCARNELIAN氏や大野哲也氏がまだこの分野で活躍しており、ぱれっとがフルプライスで制作したり、Innocent Greyがアダルトゲームに留まっていたり、softhouse-sealがおばかな作品を連発したりしていて、要するに00年代の延長上に捉えることのできたのが、だいたい2014年頃までだったと思う。2015年頃からは、販売形態も作風もクリエイターもかなり様変わりしてきた。

  私個人の体験としては、2010年代のアダルトゲーム分野の基本的なトーンは萌花ちょこ氏と波奈束風景氏と秋野花氏によって形成されていた、と言ってよいかもしれない。そう言いたくなるくらい、この3人の声優のプレゼンスはきわめて大きかった。


  [ www.youtube.com/watch?v=OWVlsBGlNWI ]
  「ドーラク」#31。なんともひどいオーディションだ……。(褒め言葉)


  「声優さんが掛ける眼鏡になりたい」というフレーズが頭に浮かんだが、真面目に再考してみるに、べつに私はそういうことを望んでいるわけではない。良いものと良いものを組み合わせて観念しても、必ずしも良いものになるとは限らない。



  02/10(Sun)

新記事:「HobbyBoss『ナグマホン(ドッグハウスII)』」。

  [ cin-stage.com/ ]に行ってきた。原作は知らないのだけど、関西圏の比較的大きな即売会イベントなので、せっかくだからと今年も足を運んでみた。特定の作品の即売会は、オールジャンルイベントに比べてファン活動らしさがはっきり見て取れるのが面白い。ただし、別の仕事があったので、やむなく早々に会場を離れたが。


  そういえばそんな時期だったか。気にせずにチョコを買いまくっていた。

  実のところ、声優や芸能人は、ファンからのプレゼントはあまり欲しくないんじゃないかな。例えば、何者とも知れぬファンからチョコをもらっても、確かにそのお気持ちは嬉しいとしても、食べたいかどうかは別問題だ。口に合わないとか、カロリーの問題があるとか、保管が面倒とか、場合によっては多すぎて食べられないとか……。それ以外でも、「えっ、そんな物をもらっても困るんじゃ」という代物がわりとあるようだ。
  同様に、卑近な例でいえば即売会の差し入れも、SNSの写真を見るに、かなり珍妙なものがあったりするし、webラジオを聴いていても、声優さんに変なものを送りつけようとする(あるいはいきなり実行してしまう)リスナーはいるようだ。TV番組の録画テープをいきなり送りつけるとか、コスプレ衣装を送りつけるとかは、かなりやばめの行為だと思う。望んでもいないものを送りつけられても困るだろう。それは単なる送り手の自己満足だ。
  だから、お手紙以外の贈り物はおことわりしているという声優さんの対応は、謙遜だけではなく、実際的な本音でもあるんじゃなかろうか。
  即売会などのイベントでも、コンビニに売っているようなお菓子を大量に差し入れされても困るだろう。イベントのために遠方から来ている人もいるわけだから、荷物が増えるのは迷惑になってしまう可能性がある。人気サークルになればなるほど、そういう対応の手間が増えてしまうだろう。例えば、離席しにくい一人サークルに温かいドリンクを差し入れするくらいならば、ありかもしれないが、それとてもお手洗いが近くなってしまうから、善し悪しだろう。

  プレゼントのOK/NGは、だいたい以下のような感じで捉えている。
- 相手が明確に欲しがっているもの以外は、基本的にすべてNG。
- 一般的な慣行またはその場の状況で、プレゼントが明確に認められている場合はOK。
- ごくカジュアルなプレゼントならば、OKになることが多い(例:お菓子の差し入れ)。
- 過剰な贈り物は、受け取る側に気を遣わせる(心労の原因になっては本末転倒)。
- 明確に意味のあるもの(他では買えない、イベント現地の名産など)は、プラス要素。
- ファンレターは最高。遠慮する必要は無い。ただし、長たらしい文章は避けるように。

  私の場合。
  小野氏&櫻井氏の学祭イベントは、やや大規模な会場で、お渡しボックスに京都の和菓子セットとファンレターを入れた。「明確にお渡しOKの状況」、「関西来訪の記念になる」、「比較的少量のきえもの」、「通販をしていないので希少性がある」、「箱も上品で可愛い」。和菓子に舌が慣れていない可能性を考慮して、とっつきやすいタイプのものを選んだが、たしかお二人とも和菓子OKの筈なので、たぶん大丈夫だと思う。
  大橋氏が出演したライヴイベントも、基本的に同じ。京都のお菓子とファンレター。「関西来訪の記念」、「ちょっと珍しい物で(※通販をしていないお店)、そこそこ上品な味だが、高額すぎもしない」、「量も控えめ」、「出演作にゆかりのあるネタがある」、「ライヴ後にゆったり時間を取ったCD販売の時間で、CDにサインをしてもらいながら個別にお話しできる時間なので、リアクションを見てフォローできる状況だった)」。雰囲気を見て、問題がありそうだったら差し入れはしないつもりだったが、喜んでもらえたと思う。
  伊藤氏のSFイベントには、マネークリップとファンレター。多少値が張るが、「京都来訪の記念になる物(京都のアクセサリー店)」、「汎用性のある小道具」、「ごく小さい物品なので邪魔にならない筈」、「(間接的に)クトゥルーネタ」、「作風からして洒落の分かる方だと判断した」。ただ、相手に気を遣わせてしまっていないかという懸念も多少あった。
  佐々木氏のサークルへの差し入れ。SHCの皆さんへという趣旨なのでちょっと多めに、お菓子を毎回差し入れしている。「きえもの」、「普段は食べておられないであろうもの」、「相手は(たぶん)男性ばかりで、顔出しをする芸能人ではないから、カロリー等の問題もたぶん神経質にならなくてよい」、「相手が多人数なので、社内で柔軟に処理してもらえる筈」、「高額すぎはしない」、「近隣(大阪府内)のイベントだから、荷物の心配もたぶん問題にならない」。ただし、ゲームメーカーという組織を代表されているようなものだから、ファンレターをお渡しするのは気が引ける状況。
  やなせ氏と脚本家の藤崎氏が即売会に来られていた時は、当日の会場カタログで知ったので、何も準備ができなかった。会場内の物産コーナーでドライフルーツを調達して差し入れしたのだったか。狼狽してろくな会話もできなかったし、ましてやファンレターを書くどころではなかった。

  ひととおりふりかえってみて、うん、た、たぶん、だいたいは大丈夫だと思う……。

  そういえば、たまたま今日も即売会のサークルに差し入れをしてきたが、「昔からの知人」、「合同サークルで分けてもらえる」、「できるだけ小さめの物(クオリティはちゃんとしている)」、「開催地(神戸)のメーカー」という条件の下での行為だ。長旅の中、荷物を増やしてしまうのは申し訳なかったが、以前からこういう贈答を互酬的に行なっている相手だから、大丈夫だと思う。相手の好みからして洋菓子(チョコ)よりも和菓子の方が良かったかもしれないが、神戸イベントの記念としてはやはり洋菓子の方がオーソドックスだろう。

  ファンレターは、ここぞとばかりに、上品でおしゃれなものを使う。相手が女性である場合は尚更。封筒や便箋は多少高価なものでも高が知れているから、ここで自分のセンスを全力で発揮してもよい。手紙は、物理的にも嵩張らないし、それでいて完全なワンオフの心のこもった贈り物になる。webラジオでも、「いまどき肉筆(手紙)のラジオ投稿やファンレターをもらうと本当に嬉しいよね」という言葉をよく耳にする。
  自分なりにできるだけ読みやすい文字、読みやすい文章を心掛けて、行間をゆったり空けて、最低限の礼節を守って書けば、喜んでもらえるだろう。文面は、ファンになったきっかけの作品を挙げるとか、「○○の作品での△△な感じのお芝居が好きです」くらいの感じで、具体性があるように、しかし手短にまとめたい。

  声優やクリエイターの「ファン」にも、本当に危ない輩が一定数存在する。幸か不幸か、SNS時代はそれをごまかしようもなく露呈させてしまった。しかし、だから、まともなファンは、相手が安心できるように、自らの言動にはくれぐれも気をつけるべきだ。良識ある個人として、礼節と距離感を保つことは必要なのだ。


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  下手くそな喩えを維持するために、説得力に欠ける反論を積み重ねる姿は、いかにも見苦しい。大学には学部講義以外の豊かなリソースが(今のところは)存在するというのは確かだが、それを主張するのにわざわざ不正確な喩え――しかも他人が言い出した、議論の余地のある言葉――という迂回路を辿るのは拙劣と言うほかないし、ましてや「少しばかり」「数千万」といった過度に具体性のある言葉を迂闊に使ってツッコミを受けているのは、端的に当人の言語表現に慎重さが欠けているということだ。
  所属学生でも、大学の機材を「触り放題」ということはそうそう無い。ものによるので等し並みには言えないが、研究室所属だったり利用申請が必要だったりする。この点でも、かなり語弊のある表現だ。こういう余計な誇張を入れてくるという語りの不誠実さが、不信感を抱かせるのだ。



  02/08(Fri)

京都寺町の喜久屋書店に行ってきた。三日後の2月11日をもって閉店されるというから、私がこのお店に行くのは、おそらくこれが最後になる。写真は午前10時の開店直前の様子。
入り口に掲示してあった閉店挨拶の告知文。
レジ横。店内の至るところに、漫画家たちの色紙がたくさん飾られているのが、この書店自らの長く充実した活動を窺わせる。ちなみに、色紙のところは撮影OKとなっている。
店舗を正面から。どうしてこの京都店を閉店されるのか、今後どうなるのかなどは存じ上げないが、このお店でたくさん良い漫画を買ってきたので、思い入れもあるし感謝の気持ちもある。

  というわけで、感謝と哀惜と記念とその他いろいろな気持ちを忍ばせつつ、2万円ほど購入してきた。店舗面積(≒品揃えの物量)の点では大型書店に一歩譲っていたが、店内のレイアウト(棚の配列)もきれいで探しやすかったし、おすすめ漫画のピックアップも正統派のチョイスだったし、店内の雰囲気も良く、京都市内の漫画(専門)店としては一番いい店だった。三条~四条に遊びに行く時は、たいていこのお店にも足を運んでいた。今日、あらためて訪問してゆっくり店内を回ってきたが、やはり喪失感が強い。学生時代以来の文化的青春と文化的幸福の少なからぬ部分をこのお店に負っていたわけだから。
  2階のディスクコーナーは半額セールをしていたから、店舗移転ではなく、本当に畳んでしまうようだ。もっとも、この京都店を閉じるだけであって、会社自体は(そして他地域の系列店舗は)もちろん存続する。
  上の写真は開店直後(10:00)に訪れた時点のもので、客が少ないのはそのせい(それと、できるだけ人が写り込まないようにしている)。午後になるとボーイズやガールズがたくさん来る。



  02/05(Wed)
  SHCファンクラブから『海賊王冠』DL版が届いた。

  今後の支援プレゼントは、どうなるのだろうか。さしあたりはひきつづき旧作のDL権でいいと思う。私は全作持っているので要らないのだが、あればあったで便利だ。ただし、DLsiteで販売しているタイトルに限定されるだろうから、出せるタイトル数には限りがある。全力支援プラン限定のコンテンツをCi-en上で出せばよいが……スタッフや声優のサインとか、あるいは声優のスペシャルボイスやフリートークがあったら、それで十分かも。もちろん、支援額に対してコストが高くなってしまうとファンクラブ運営自体が割に合わなくなってしまうので、スタッフ諸氏の負担にならない範囲で、あくまで程々にしてもらえれば十分だ。



  02/03(Sun)

  ショート眼鏡スリム三白眼おでこキャラとなると、どうしても委員長属性に流れがちになってしまうが、そうじゃない、委員長キャラを目指しているわけではないんだ。ちなみに、髪や肌の色はどうでもいい(日焼け肌もあり)。身長は、相方キャラ(がいる場合には)と同じくらいだと良い。年格好や性格や服装は、その都度いろとりどりにヴァリエーション豊かに。


  【 声優さんとフィギュア 】
  ごちゃ混ぜにして書くけど、あの方が演じているキャラのフィギュアだと、神城凜(『まぶらほ』)とかタバサ(『ゼロの使い魔』)とか、野乃原結先生(『月は東に』)、アーサー(『英雄*戦姫』シリーズ:2種類ある)、近衛素奈緒(『つよきす』)、藤倉優(『プリラバ』)、新山葵(『秋色』)、スイートパッション(『魔法戦士』シリーズ)、ヒヨリ・ピクシー(『Chu×Chuアイドる』)、周防院奏(『おとぼく』)、バニラ(『ネコぱら』)、さらにお安めのコレクションフィギュアシリーズや私家版(イベント限定販売のレジンキット)も含めて、かなり多いようだ。
  アーサーやヒヨリさんあたりは、2019年現在の目で見ても鑑賞に堪える出来のようだし、いくつか買ってみようかな。ただし、さすがに昔の(旧作)フィギュアは、中古購入するくらいしか入手手段が無さそうだが、やむを得ない。
  どのフィギュアにしても、買ったら一生涯大切にします。


  【 ggl+とblggr 】
  ggl+終了は、blggrに対しては大きな悪影響は無さそうだ。私のアカウントは、ggl+とは連携させないままにしていた筈だし。ggl+を介したコメントは削除されるようだが、うちには影響が無い。また、ggl+と紐付けたプロフィールにしていた場合はそれが削除されることになる(blggr固有のプロフィールに戻される?)が、これもうちには関係ないだろう。アップロードした画像も、大丈夫な筈。まさかとは思うけど、まかり間違って画像が全て消えてしまうなんてことは無いでしょうね……。

  邦文のブログ記事としては、
[ idmlab.eidentity.jp/2019/02/googleblogger.html ]
[ ticklernote.blogspot.com/2019/02/google-plus-blogger.html ]
このあたりが参考になる。

  blggrは放っておいても当分大丈夫だろうと思っていたが、ggl+くらいの規模のサービスでもデータが全消去されてしまうのであれば、blggrのデータ長期保存もそれほど安心できるものではないのだろう。いや、当然といえば当然のことだし、なんなら他のサービスに移行(エクスポート)すればひとまずは生き長らえることができる。

  現在まで、blggrにアップロードしてきた画像ファイルは2GB以上(3000枚弱)。blggr全体のデータ利用容量は15GBとのことだから、当面は大丈夫。ただし、平均すると一年に約400MBずつ使っているわけだから、あと32年もすればこのアカウントでの容量がパンクする計算になる(※実際にはテキストなども含まれるから、さらに早まる)。……いや、32年後って何歳だよ、という話だが。

  blggrのメリットの一つは、外部広告が表示されないという点だろう。広告が出しゃばらないという見栄えのうえでの清潔さも大きなメリットだし、詐欺的なリダイレクト広告が急増している昨今では実際的な観点でもアドヴァンテージがある。
  ちなみに、ggl社のサービスだからといって、gglのweb検索で有利になるということは無い(と思われる)。おれはくわしいんだ。検索結果にうちのブログがちっとも出てこないからな!

  追記: blggr編集画面にも告知が出た。ggl+関連のウィジェットは使えなくなり、ページ最上部のナビゲーションバーもggl+関連のものが消える。ggl+関連のテンプレートをカスタマイズしてブログに使っていた場合は、自分でテンプレートを修正する必要があるかもしれない。ggl+コメントも削除されるので、ブログコメント欄にggl+経由でコメントされたものも消滅する。詳しくは:
[ blogger.googleblog.com/2019/01/an-update-on-google-and-blogger.html ]に。


  最近なにかと緩んできていたので、おいしいお菓子セットを買ってきて、これを「一日一個まで」と決め、己の自制心を堅固ならしめる実験に着手したが、開始数時間にして「このお菓子は制限しているけれど、別のお菓子ならばOK」とか、「食事のつもりで食べれば別枠になるからOK」とか、「心を豊かにするためにスイーツを買ったのに、自らの心を苦しめているようでは本末転倒ではないか」とか、「放っておいたら味が落ちるんじゃないかな」とか(※常温保存可能な製品)、「心を無にして開封すれば、私のエゴによって開封したのではないから禁は破っていないことになる」とか、「6日で6個の総計が合っていればいいのだから、初日に6個食べても残り5日を0個で過ごせばOK」とか、「1日我慢して自分の自制心は大丈夫だということが判明したから実験は終わり」とか、「箱が邪魔だから、箱の中身ともども迅速かつ適切に始末してしまおう」とか、「私は日々刻々成長している、今の私はさっきのまでの私とはもはや別人だ」とか、「今日は良いことがあったから特別なお祝いとして食べよう」とか、「一日が12時間であると考えてみよう」とか、「このような制限は人道に反する虐待行為である」とか、ありとあらゆる自己欺瞞の理屈が生まれてきた。
  実のところ、スイーツのことを考えなければ済むので我慢も何もなく、ただ単に退屈な時間経過に終始している。むしろこれだけのおかしな欺瞞的発想を生み出す実験になっていると考えた方が面白いかもしれないくらい。


  (→3月1月