2019/08/03

アダルトゲームのデモムービー文化

  アダルトゲームで、デモムービー(主題歌)をオンライン配布するようになったのは、いつ頃からだっただろうか。


  作中で主題歌やOPムービーを使用する慣行は90年代のうちから存在した(とりわけ1997年の『ToHeart』)が、00年代に入ると、店頭デモ映像を流すスタイルが普及していくのと平行して、ムービーデータをユーザー向けにweb配布するというアプローチが現れてきた。
  ただし、2001年頃まではオンライン配布のシステムは未整備であったため、当初は体験版やデモムービーの配布も店頭でディスク配布するという形式だった(※有名な『君が望む永遠』[2001年]の体験版も、たしかCD配布だったと思う)。また、00年代初頭までは、動画ファイルそのものではなく、プログラム制御で静止画素材群を組み合わせることによって動画化するアプローチも存在した(※たしか『さよならを教えて』[2001年]や『らくえん』[2004年]がそうだったと思う)。公式サイト上でFlash動画の形式で動画公開するものも一部に存在した。
  ちなみに、楽曲制作では、「I've」は90年代から活動開始していたが、2000年頃からアダルトゲーム界隈での知名度を上げていったと思う。動画制作に関しても、神月社がアダルトゲームにムービー提供するようになったのは2001年から。アダルトゲームの映像制作はMADムービー文化との関係が指摘されることがあり、その影響はソフトハウスキャラの一連のおまけムービー(「両国ドミニオン」「改造人間フラッシュ」など)にも色濃く見出される。

  2002~2003年頃には、白箱系フルプライス作品が主題歌とOPムービーを使用する様式が定着した。それとともに、MPEGやAVIのファイル形式でOPムービー(≒デモムービー)を配布する流れも広汎に普及していった。「holyseal」「まるちいんさいど。」「mirror.fuzzy2.com」「こころんにあるみらー」といった配布支援サイトがこの時期に一気に出揃い、各メーカーと協力して体験版やムービーのオンライン配布を行うようになった。
  2002年の時点ですでに『白詰草話』『WIND』『風ノ唄』などが話題になっていたし、翌2003年には『巫女みこナース』が注目を集めるという出来事も起きている(※いわゆる電波ソングの典型)。2004年になると、『シンシア』『ときどきパクっちゃお!』『巣作りドラゴン』のような意欲的なムービーも現れて、業界全体がクオリティを大きく底上げしてきた。歌手に関しても、霜月はるか、真理絵、片霧烈火、Ducaなど、多くの優れた才能が00年代初頭のうちから頭角を現していた。
  ただし、2004年頃までは、「ファイルサイズ」「通信速度の問題」「ユーザーのディスプレイ環境」などの事情もあって、比較的小さなサイズの動画データにとどまっていた。音質を保ちつつ容量を切り詰めるために、主題歌の音声ファイル(MP3データ)だけを配布するという手法もわりと頻繁に採用されていた。

  2005年頃になると、ゲーム本編の解像度もSVGA(800*600)が標準になり、動画素材の画質およびサイズも大きく上昇した。『THE GOD OF DEATH』『いただきじゃんがりあんR』などの名作ムービーも現れて、OPムービー(デモムービー)は完全に現代化された。ただし、ユーザーのPC環境はまだ十分なものではなく、例えば私自身も『ウィズ アニバーサリィー』(2006年)の約100MBのデモムービーをHDDに残しておくのにかなり苦労した憶えがある。『School Days』(2005)のいわゆる「ギガパッチ」が話題になったのもこの頃だが、この時代には一個100MBの動画ファイルは、ユーザーのHDD容量にとってはまだまだ非常に重い存在だった。
  00年代当時は本格的な動画配信サービス――つまりユーザーがファイルをDLせずにストリーミング視聴できるwebサービス――が確立されていなかったため、ほとんどの場合、デモムービーのMPEGファイルそのものをDLするという形態だった。現在の感覚からすると、ファイルを一々DLして視聴するのは面倒に見えるかもしれない。しかし、アダルトゲーム分野には体験版配布の文化があったため、それと平行してデモムービー配布も自然に受け入れられており、ムービーDL方式はオーソドックスなデモムービー公開形態として定着した。youtubeは00年代のうちに始まっていたが、当初は違法性の強いアップロードサイトという認識が強かったし、精緻なデモムービーをスムーズに再生するのはまだ難しかった。また、Flash動画は画質の問題が大きかった。

  「製品版OPムービーと店頭プロモーションムービーを兼ねたデモムービーを、有志の配布サイトからDLして鑑賞する」というスタイルが、00年代の間、ずっと続いていた。
  10年代に入ると世間的にも動画ストリーミング再生が定着したが、アダルトゲーム分野は10年代前半まではファイルDLのスタイルがまだ優勢であり、youtubeなどを介したストリーミングが主流になるのは比較的最近(10年代後半)のことだと言える。
  もちろん、2019年現在でもムービーファイルをweb配布しているタイトルは少なくないし、配布支援サイトもいくつも存在する。とりわけ黒箱系は、外部の動画サービスに依存すると、過激なアダルト要素を理由として動画削除される危険があるため、自前のサーバーや配布支援サイト経由でムービーを公開することが多い。


  ……だいたいこんな感じだったかなあ。
  いずれにせよ、華やかな主題歌ときらびやかなデモムービー(OPムービー)は、アダルトゲーマーたちに「我々の固有の文化」を意識させたし、その魅力はアダルトゲームの普及と話題性にも大きな役割を果たしていたと思う。アダルトPCゲーム市場および文化とその歴史を考えるうえで、けっして見過ごせない重要な一側面だろう。
  文化と技術の関わりは、とりわけ現代のPC環境、オンライン環境において際立ったかたちで現れる。そして、まさにパソコンゲームであるアダルトゲーム分野の動向も、その都度のPC環境やネット環境(デジタルインフラ)の影響を強く受けている。本記事で述べたデモムービー公開の推移に際しても、それははっきりと見出される。


  EGScapeによれば橋本みゆき氏は2003年デビュー、茶太氏は2004年だから、先駆者というほどではない。逆に、桃井はるこ氏はかなり早くて1998年。KOTOKO氏とは巡り合わせが乏しくて、主題歌を歌っているタイトルをほとんどプレイしておらず、歌のイメージもはっきりしない。
  「メイドさんロックンロール」(1998年)にも言及したかったが……。