2022/11/08

2022年11月の雑記

  2022年11月の雑記。




 11/30(Fri)

 『虚構推理』は小説版と漫画版を読み比べているが、漫画版の片瀬茶柴氏がすごい。小説のテキストから、話の進行がなめらかになるように巧みにアレンジしていたり、小説では軽く流されているくだり(※進行上は重要なところ)をしっかり視覚的に掘り下げていたり、独自のユーモラスな表現をいろいろ追加していたり。最新刊(18巻)では、本格的な剣戟シーンも見事に描いていて、アクションもここまで描けるのかと驚いた。もちろん、推理ものはロジックの正確さが重要なので、大筋の変更は無い。それでも、状況提示が崩れてしまわない範囲で、台詞回しのアレンジなどはかなり細やかに行われている。
 一例を挙げると、17巻の最後(179-181頁)。「白倉半兵衛による雪女退治は」――「まるきりの嘘です」と言い放つくだり。見開き紙面の右端(縦長のコマ)で、彼女は右を向いて「嘘です」という言葉を堂々と口にしているが、その背後(紙面の左側)には、雪女と反兵衛が対峙している大ゴマが置かれている。この強烈な対比。このレイアウトは、彼女自身の言葉がまさに嘘であることを、事実によって突きつけている構図のようにも見えるし、あるいは彼女が事実から目を背けているようにも見えるかもしれないが、事態はけっして単純ではない。作品全体の設定からして、むしろ彼女は雪女が存在するという事実の側に立っている。つまり、彼女が「雪女がいる」という事実を背にしているのは、彼女がその事実から「目を背けている」のではなく、その事実を「背負いつつ語っている(しかも、それにもかかわらず、立場上、雪女の存在を否定してみせねばならない)」という構図なのだ。そういったアンビヴァレントな状況を、言葉ではなく画面構成によって鮮やかに示している。これこそが漫画表現の妙味というものだろう。
 その直前、178-179頁のレイアウトも上手い。ふてぶてしい正面仰角の構図、左右から睨み合う対決のコマ割、「雪女vs反兵衛の決闘」と「琴子vs静也の対決」を二重写しにする視覚的演出、そして刀を鞘から抜き出そうとする瞬間の(つまり、対決がまさに今から開始するのだという)緊張感。
 こういったところ、つまり、筋書きを絵にするだけではなく、状況を掘り下げつつ、視覚媒体ならではの迫真性や、キャラクター表情の繊細な情緒を作り上げていく手腕。抜群に上手い漫画家さんだと思う。本作が商業デビュー作だというのが信じられないほどだ(※本作は2015年開始だから、すでに7年のキャリアがあるとはいえ……)。

 小説と漫画という媒体の違いは大きい。小説(家)は、「台詞(会話)」「モノローグ(心情表現)」「設定語り」はスムーズに行えるが、バトル描写はかなりのテクニックを要する。それに対して漫画は、台詞過剰だと紙面が渋滞してしまいかねないが、腕の良い漫画家であれば具体的な身体運動を効果的に表現することができる。多人数の会話も、それぞれ話者の顔が描かれるので、読者にも状況が把握しやすい(※ミステリでも、緊張感のある多人数会話シーンで、視覚媒体ならではのアドヴァンテージが生きる)。
 漫画版でのアレンジが大規模に行われている典型例が、『第七王子』だ。原作は天然な超人主人公が、強敵をあっさり撃破していくシンプルな爽快感に重きを置いているが、漫画版は強敵とのバトル進行を大掛かりに展開している。それ以外のシークエンスも、原作のシチュエーションを大きく膨らませて、台詞もほぼゼロからの作り直しになっている。そういうアプローチによって、「原作はシンプルな描写できれいにまとまっている」、「漫画版は彩り豊かでドラマティックに展開される」という対比を楽しむことができる。ストーリー面でも、原作の全体像をあらためて統合し直すような入念な設計がある。例えば、現在連載中のゴーレム編でも、それ以前の「教会編」「ギザルム編」とのつながりを増やして、ストーリーがしっかり噛み合うように組み直している。作品に対して誠実な翻案とは、まさにこういうものだろう。
 それに対して『のんびり農家』は、原作も淡々とした日記のような作風だが、漫画版もそれを忠実になぞっている。台詞も大部分が原作のままだし、バトルシーンも普段どおりのペースでどんどん進行していく。こういうアプローチもありだろう。
 『剣でした』は、そういう視点で言えば、中間的なアプローチになっている。原作をただなぞるだけではなく、また原作から逸脱することも無い。原作小説を尊重しつつ、その描写を丁寧に充実させていき、その都度の状況の手触りをしっかり感じさせるような密度の高い漫画として再構築している。原作のポテンシャルを誠実に引き出すという意味では、こうした漫画もたいへん読み応えがある。上記『虚構推理』も、原作に正面から取り組みつつも深く演出を掘り下げるアプローチと言える。


 毎度のマンネリで『黎明記:涼香の章』もプレイしているが、システムがまた微妙に変更されていて、なんとなく使いにくい。ショートカットキーの確認ダイアログなどを追加したり、アイテムウィンドウの右上に「×」(閉じる)ボタンを付けたりするくらいなら、スクロールバーを太くして操作性を改善してくれたらいいのに……。
 同種のアイテムが、まとめて鑑定済みになるのは、ありがたい。例えば、ある槍を鑑定して眠眠槍(A)だと判明したら、所持している眠眠槍Bも鑑定済みになる。

 ぬらりひょんの吹っ飛ばし攻撃の確率が上がっているような……。「ぶっ飛ばし」→飛ばされた先にもぬらりひょんが2体いて、またすぐに「ぶっ飛ばし」→その先にもぬらりひょんがいて、さらに「ふっ飛ばし」……で、10回以上連続でお手玉されて、さすがに私も嫌気が差した。倉庫から最強武器を取り出してきて、ばっさばっさと斬りまくって溜飲を下げたが。

 今回のボス「龍神」は、かなりの強敵。雷撃はダメージを抑えにくいし、体力が減るとスピードアップして連続攻撃をしかけてくるし、召喚する配下妖怪も「水母」(ボスを大回復してしまう)、「ぬらりひょん」(ぶっ飛ばしでこちらの位置取りを攪乱したり、強化持続時間を徒過させたり、メイン武器を奪ってこちらを致命的に弱体化させたりする)、「疫病神」(麻痺などのバッドステータスでこちらが身動きとれなくなる)、「畳叩き」(乱戦の中の叩きつけで大ダメージ)など、対処に困る難敵揃い。「蝦蟇」「枕返し」がいるので、睡眠対策も必須になるし、「鵺」から混乱を喰らう可能性もあり、楽な相手がいない(隙がない)という意味でかなり厄介な顔触れ。初回プレイで勝てなかったのは久しぶり。

 今作の序盤~中盤は、睡眠対策が最重要。これが出来ていないと、何もできずに「睡眠→ダメージ→即睡眠→ダメージ→死」になる危険がある。終盤は、武器を盗まれると窮地に陥るので、盗み対策(+混乱対策)が最優先かな。
 追加マップの最強防具も含めれば、最大で3種の耐性を持つことができる。なので、混乱/睡眠/麻痺の耐性のある「神御衣」に、「盗み守り」を装備するのが、理想的に安定する筈。そんな都合の良い防具を見つけるのも大変だが。状況によっては、あえて呪いを付けておいて武器盗みを防ぐという対処もあり得る。
 追加武器「天沼矛」は、体力吸収スキルが付いているので、装備するとかなり安定する。ただし、全周攻撃などの特別な能力は備わっていないので、必ずしも絶対的な最強武器とは言えない。追加効果が2種類付けられるのであれば最有力候補になるかもしれなが、まだ確認できていない。一撃必殺や岩破壊能力のある「鬼斬」の方が便利かも。

 言霊のドロップ確率も上がっているような気がする(※きちんと検証したわけではないが)。
 「妖怪の巣」のBGMも、従来とは別の曲になっている。
 敵の特殊攻撃が無効だった時の「無駄だっ」など、一部の音声が妙にエコーが掛かったようにおかしな音質になっているのも気になる。声優のせいではなく、音響制作サイドのミスのように思われるが、「この台詞は声に出していないんだ……心の声だからエコーが掛かっているんだ」と思い込むことで不快感を押さえつけておくことにした。

 『神楽漫遊記』も、『黎明記』互換で引き継ぎできるのね……。
 こちらは2人ペアだが、ターン経過せずにキャラを切り替えられるので、かなり融通が利く。例えば、2人にそれぞれ別の状態異常耐性を割り振っておけば、敵に合わせて即座に耐性を切り替えられる。まあ、実際にはそこまで細かくコントロールする必要は無いくらいの低難易度だが。



 11/21(Mon)

 中国メーカーのガールプラモについて。日本の肉感的なkawaii路線とはちょっと違って、スレンダー志向のプロポーションが優勢だったり、フェイス(両目)プリントがちょっと洗練されないところがあったりするが、新興メーカーが多いこともあって、この数年で量/質ともに劇的な成長を遂げてきた。いろいろ作ってみたところ、私見では以下のキットが面白かった。
 総合的な完成度の観点では、Eastern Modelの「錦衣衛(弓兵)」(2021?)。ただし、嵌め込み等のパーツ精度はやや低め。同じメーカーの「四聖獣:青龍」(2021?)も、緻密さと華やかさを両立させつつ、きれいにまとまったデザイン。
 個性的という点では、Nuke Matrixの「Lirly Bell」(2021?)が出色。なにしろ胴体がメカ剥き出しのスケルトン仕様で、脚部関節にもシリンダー可動構造を仕込んでいる。その一方で、ピンク髪ツインテールがキャッチーで可愛い。両目プリントも、日本メーカーのものと遜色ないチャーミングな出来映え。ただしパーツ精度(関節部など)は少々きつめなので、組み立てには注意。
 MS GENERALの「楊戩&哮天犬」(2022?)もなかなか良い。軟質素材をうまく活用しているのが面白いし、キャラクターデザインも中国文化的な美意識の下にオタク文化らしいアレンジを盛り込んでいて、上手くまとまっている。
 ボリュームと迫力という見地では、SUYATAの「ARTEMIS」が圧巻の出来。巨大なメカユニットを背負った形だが、腕部も大ぶりなメカ腕に差し替えるし、羽根やファンネルを大きく広げる様子は格好良い。ただしこちらも、ジョイントや嵌め込みが非常に固い。
 総じて、近年のものほど良くなっている。パーツ構成も、ほぼ毎回ワンオフで作り上げているのが凄い。ただし、素体の四肢などはずっと使い回しのところが多く、そこだけはクオリティを損なっているのがもったいない。パーツ精度については、Eastern Modelがちょっと落ちるかなという程度で、それ以外はどこもスムーズに組める高水準。ただし、アンダーゲートが多いのは、好き嫌いがあるだろう。

 総数としては、まだまだ日本メーカーのガールプラモ(特にKOTOBUKIYA)が圧倒しているが、近年ではクオリティ面はほぼ互角、新規キットの数でも肉薄されている。
 日本メーカーだと、どれも基本的なクオリティはだいたい斉っている。だから、「模型店や家電量販店に行って、気に入ったキャラクターのキットを買えばよい」で済む。言い換えれば、どれも似たようなスタイルでまとまっていて、造形上の突出した個性があるとかパーツ構成に大きな特徴があるというものが少ない。一定のクオリティがきちんと保たれているから、どれでも安心して作れるということでもあるが。
 拡張性を含めたポテンシャルの大きさという点では、KOTOBUKIYAの「グライフェン」「赤ずきん」が目を瞠る。シンプルながら「ガール」プラモとしての美しさを追求した「創彩少女」シリーズも、制服姿のプラモという明確なコンセプトがあって面白い。ハイエンドの大物としては、BANDAIの「Figure-rise LABO」シリーズがあり、技術面での実験性はあるが、総合的な出来映えとしてはそれほどでもない。個人的には、AOSHIMAのVFGシリーズが「構造面の整理」「プロポーションの追求」「キャラクター個性」を両立させていてかなり好み。


 今年の漫画(単行本)購入数は、現時点で530冊……年内に600冊に届いてしまうかどうか、ぎりぎりのところ。ここ数年は漫画をかなり買うようになっているが、特に今年は飛び抜けて多い。優れた漫画にたくさん出会えているのは嬉しいが、しかし自宅のキャパが……。読了済みの単行本を大学に持っていって、欲しい学生が自由に取っていけるという置き捨てコーナーを作りたいなあ……いや、実行はしないけど。
 ただし、漫画はやはりリーズナブルな趣味で、10冊買ってもせいぜい7000~8000円。プラモデルだとAFVキット一個で9000円かそこらになってしまうし、PCゲームもフルプライス作品は9000円から1万円になりつつある。実際、これほど買っていても、今年のオタク支出は大台に届かずに済みそうな様子だ(※クラシックCDは「オタク支出」なのかどうか、といった疑問はあるが)。


 戯画のあれは、セールスの不振などではなく、なんらかの外的事情によるものじゃないかな。サポートも放棄し、DL販売までいきなり終了というのは、通常の経営では考えにくいので。チーム++の新作『GFF』に関しては、おそらく単発の外注契約と思われるので、いずれにしても大きな影響は無いだろう。会社本体は維持されるようだから、報酬面も大丈夫だろうし。せいぜい、「サポート不安からの買い控え(※まず無いだろう)」、「SHC時代のようなアップデートパッチは出ない(※JORI氏らが非公式で公開される可能性があるけど、そういうのは契約上やりにくいだろう)」、「次回作や続編制作(の出資や広報)を戯画に頼る可能性が消えた」といったくらいか。もちろん、けっして嬉しいニュースではないが、「チーム++」側から見ればダメージは最小限と推測される。

 『GFF』の戦闘パートのサンプル動画も公開されているが、うーん、ずいぶんクラシカルで、あんまり捻りの無い感じかなあ。快適なオート戦闘でもなく、多人数の賑やかな集団戦という感じでもない。このままだと、ちょっと退屈しそうなのが心配。


 アニメ版『剣でした』は、第9話の小清水氏の芝居がとにかく凄かった。台詞一つ一つに込められた彩り豊かな雰囲気、命の籠もったリズム感、語りのなめらかさ、そして強キャラらしい迫力に、真率な慈しみの言葉、ユーモラスな一言の絶妙さまで……。昔から天衣無縫の天才的な芝居を披露されている方だったが、近年いよいよ充実した芝居をされているのを聴けて嬉しい。こんなふうに、生きのある豊かな芝居を聴くと、本当に涙が出そうになる。
 バトルシーンの絵作りは、高速移動で「土煙を残してシュッと姿を消す」のが、アニメらしいアクションで楽しい。個人的には、細かなモーションをべったり描いていく(いわゆるヌルヌル)のは、あまり好きではない。それよりも、思いきった演出で躍動感や力感を表す方が、見ていて気持ち良い。アダルトゲームのムービーだと『聖剣のフェアリース』のような感じに。アニメーションをただアニメーション(動きの描写)として使うのではなく、映像進行全体の中での演出効果のために動かしていくというアプローチ。
 演出面では、今回はSEも良かった。例えばアマンダが鞭を出したときの「ドサリ」という重そうな音や、フランが剣を鞘から抜くときの「シャリン……」という金属音は、物質的な感触を音響で丁寧に表現している。こういうところは良い。


 「セル(完全体)」のプラモデルを気まぐれに作ってみたら、「斑点模がなんだか両生類みたいだな……」と思ったので、粘膜的なヌメりを表現しようとパール(アメジストパープル)を上塗りしてみたら、見事に全身ツヤツヤのおバカっぽいキャラに仕上がってしまった。これでいいのか?という疑問はあるが、全身テカテカのまま自信満々の表情をしているムキムキ両生類キャラの有様は、何度見ても笑ってしまう。
 パール塗料による生物感の表現は、ガールプラモ「ラーニア(※イカのキャラ)」でも試していたので、表現効果それ自体はおおむね予想通りのものになった。その意味では、満足しているとも言えるが、同じことを反復しただけのマンネリとも言える。ガールプラモでは、ボディから武装まで、パールコーティングはいろいろ活用できるようなので、折を見て試行錯誤してみたい。
 パール塗料は、下地ブラックに塗るとかなり大きく色調に影響する。例えばパープル系のパール塗料だと、ブラックパーツが完全にグロスパープルの色になってしまう。それに対してホワイトパーツに塗ると、光を反射した時の鈍いツヤが増えるくらいで、色調それ自体はほとんど変わらない(※わずかに色合いが沈むが、気にならないレベル)。シルバー塗装も、下地色によって大きな違いが出るし、こういうところは知識や経験が無いと適切なコントロールが難しい。


 12月分は、チーム++の『GFF』とEscu:deの『廃村少女』はもちろん予約済みだが、それ以外はどうしようかな。あのガールズソフトウェアが(19年ぶりに!)復活していたり、わるきゅ~れが新作を出したりして、なかなか良さそうな感じ。



 11/15(Tue)
 
 twがあんなことになっているが、「実際の不具合(実体面)」と「強権的な独裁(形式面)」、「差別拡大の懸念(社会的影響)」のいずれの観点でも、きわめてまずい状況になりつつある。
 強権的なリーダーをもてはやすメンタリティは、私の中にはほぼ存在しないようだ。これは、知的に形成してきた価値観だが、同時にほとんど気質的なところまで浸透した判断姿勢でもある。フィクションでも、そういうキャラクターが出てくるときつい。最近のガンダムでも、試しに適当な一話を視聴してみたら、ちょうど某「ダブスタ」、つまり自己中心的に判断基準を左右しつつ、娘の意見も聞かない父親というアレなキャラが出てきて、がっかりして視聴を止めた。たしか『ガンダムX』でも、冒頭の1話から「月は出ているかと聞いているんだ!」とパワハラ的&駄々っ子的な振舞いをする(悪役?)男性キャラが出てきて、「こんな醜悪なキャラが出てくるのを今後何話も見続けるのは嫌だなあ」と視聴放棄した。作劇上の要請で不快な振舞いをするのは、まあ、やむを得ないのではあるけれど、視聴者サイドとしてはそういうのに一々付き合う義理は無いわけで。


 「胃~之煮」の未記載が丸2年分(=100回=約25時間分)も溜まってしまった。
 以前は模型制作やPCゲームの周回プレイと並行していたので時間を効率的に使えていたが、現在の状況では「長時間の模型キット」と「周回プレイをするゲーム」がどちらも、めぼしいものが無い。どうしたものか……。


 うーん……アニメ版『剣でした』は、演出も脚本も不味いなあ。各話の終わりが中途半端なところで切れているし、アニメオリジナルの部分もしっくり来ない。最初のうちは、職業決定の特別室がおどろおどろしいのも屋台のディテールが凝っているのも「頑張っているな」と好意的に見ていたのだが、空中跳躍がフワフワ上っていくだけでスピード感が無かったり、カレーの前にハンバーグを作らせて尺稼ぎをしたり、フラン成長後の珍妙なイメージ画像を出したり、ギルドマスターの部屋がやけに暗かったりと、不可解な演出が多すぎる。悪役(ギュラン)に対していきなり怯えだすのも、流れがおかしい。三木氏の芝居も、「人を殺す時は『俺を使って』殺せ!」という「俺を」を強調しなければいけないところなのに、そこをちゃんと立てずにサラッと流してしまった。


 月末〆切の仕事が、早めに完成した。よし、これでしばらくは気兼ねなく遊べるな!


 "Every memory I've ever had from I was born like a slideshow ..."(私が生まれてから経験してきた記憶の一つ一つが、スライドショーみたいに……)って、走馬灯かよ! 英語圏にもそういう発想があるのか、それとも日本ネタをさらりと入れたのか、どちらなのかは分からないけど。「死ぬ間際や生命の危機に遭った瞬間に、人生のフラッシュバックが脳裏を過ぎる」というのは、人種や文化の如何を問わず誰にでもあり得そうなことなので、日本的な「走馬灯」に引き寄せて捉える必要は無いのかもしれない。


 『新しいきみへ』や『エクソシストを堕とせない』を読んでいて、「鼻血を出しながら頑張っているキャラって、ものすごく可愛いのでは?」という認識が生まれた。現実ではそういう状況は痛ましく可哀想なのだけど、フィクションの描写としては「鼻血」は結構アリかも……。今のところ、現代の漫画等でも鼻血は滅多に描かれていないが、大きなポテンシャルが見出せそうだ。
 (性的な)興奮の記号としての鼻血は昔から扱われてきたが、それとは別の話として。


 あらすじ説明的なタイトルは、アマチュアネット小説がきっかけのように言われているけれど、実際にはそれ以前から、同人誌やPCゲームでよく知られた手法だったと言うべきだろう。
 同人誌(特に男性向けえろ)では、「○○が××するだけの本」のようなイージーかつ明快なタイトルは、00年代前半のうちには現れていたと思う。鬼月あるちゅ氏のあれが2007年開始とのことだが、それ以前からあったとは思う。
 PCゲームでも『恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうの』(2003)の頃にはすでにそういった手法のタイトルが存在したし、とりわけサブタイトルで作品コンセプトを説明するのは00年代半ば以降、とりわけロープライス作品でよく見かける(例えばNorn、フルプライスだとマリンなど)。
 それに対して、ネット小説で説明的なタイトルが広まったのは、おそらく00年代後半以降かと思われる(※詳しくは分からないが)。アダルト同人誌やPCゲームよりも、一世代遅れていたと思う(※というか、おそらく直接の影響関係は無く、並行的に現れてきたと見るべきだが)。
 商業オリジナルでは、10年代に入る頃――LNが実験小説に傾斜した時期――には、説明的タイトルがいくらか使われるようになっていたが、まだまだ少数派だったと思う。当時のメジャータイトルだと、『勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。』(2012年~)が最初というくらいで、それから10年代後半になってようやく、『可愛ければ変態でも好きになってくれますか?』(2017-)や『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』(2017-)のようなタイトルが増えてきた、という感じだったと思う。10年代後半以降(つまりこの5年内外)になると、ネット小説の商業出版が激増して、LNでも長大な説明的タイトルが一般化したが。


 現代の(オタク系)メディアミックス展開の中で、ゲーム媒体は特殊な位置にあるのかな。出発点になることはわりと多い(IP供給元として、アニメ化されたりする)が、受け皿側になる(つまり原作付きのゲームが制作される)ことは稀なように見える。
 一方で漫画(コミカライズ)やアニメは、受け皿側になることがかなり多い。コミカライズは、「着手しやすい(比較的低いコストで、制作者も調達しやすい)」、「受け手側もハードルが低い」、「途中で見切りを付けやすい(嫌な話だが)」といったメリットがある。アニメ化は、制作規模が大きく、制作期間も鈍重だが、宣伝効果が大きい(とされるが、本当かどうかは分からない)。すでに人気を博しているタイトルの、メディアミックス展開の総仕上げのように使われている。
 ノヴェライズは、前世紀には多かった(アニメ作品の小説版とか)が、00年代以降はかなり減ったように思える。書店でのLN置き場を見ても、LN市場はそれほど大きくないのかもしれない。それとも、ネット小説などで供給過多(競争が激しい)からだろうか? むしろ外伝小説のような補充的アプローチが多いように見える。
 原作ありきのキャラものゲームは、「前世紀には多かったが、今世紀は激減している」という印象だが、統計的実態は分からない。ゲーム制作はコストと時間が掛かるので、旬を逃しやすいと考えられがちなのかもしれない。しかし、アニメ化に比べればゲーム化の方が、制作期間も費用も軽くて済みそうに思える。ものによるだろうけど、アニメ制作だと2-3年の期間と億単位のコストが掛かるが、例えば(アダルトPCゲームと同じくらいの規模の)AVGであれば1年程度、そして数千万円で制作しきれるだろう。人気キャラをゲーム上で動かせるのは楽しそうなので、カジュアルで小規模なゲームでもいいから、もっと増えてくれてもいいのにとは思う。
 
 ※追記 : 上のようなことを書いていたら、どうやら『シャングリラ~』というネット小説発のコンテンツが、ゲーム化されるらしい。詳細は分からないが、良い試みだと思う。



 11/08(Tue)
 
 実は、毎月の新しいページを作成する作業がちょっと億劫だったりする。


 PC用(アダルト)アドヴェンチャーゲームの形成を用意したものについて考えていた。歴史的には:
1: 探索AVG(『ポートピア連続殺人事件』など)
2: 恋愛SLG(『同級生』『ときメモ』)
3: 読み物AVG(『かまいたちの夜』)
の三つの流れに整理できるだろうか。

 1)は、『YU-NO』(1996)や『脅迫』(1996)以来の分岐探索から『とらいあんぐるハート』(1998)や『days innocent』(1999)などの場所移動ゲームにわずかな痕跡を残しつつ、ミステリものの『クロウカシス』(2009)あたりで命脈を閉じた(――少なくともPC商業の美少女ゲーム分野では)。
 2)は、『Piaキャロットへようこそ!!』シリーズ、特に第3作(2001)あたりが限界だったと思われる。スケジューリングSLGは消滅して、Escu:de、ソフトハウスキャラ、alicesoftといったSLG系メーカーによる本格SLGや調教SLG/AVGという形で展開されていった。
 3)は、大昔のテキストアドヴェンチャーから存在するものだが、美少女ゲームの枠組では、『雫』『痕』(1996)が、純然たる読み物AVGの基本構成を確立し、そして普及させたと述べてよいだろう。
 
 ひとまずの大雑把な概観としては、こんな感じに分類整理できるだろうか。90年代後半から00年代初頭のうちに、大枠のレベルでは試行錯誤があらかた済んでいて、NScripterや吉里吉里のようなツール(ゲームエンジン)のサポートもあり、そこからは「読み物AVG/本格的SLG」に二分されていった。00年代初頭までは、折衷的な「日めくり」スタイルのAVGもごくわずか残っていたが、それも消えていき、日付進行に囚われない柔軟なストーリーテリングが主流になった。


 90年代のループものは、主にPCゲームで展開された。それは主人公=プレイヤーの試行錯誤という形で、ゲーム性とドラマ性を結びつけるのに好都合だった。しかし、『マブラヴ(オルタ)』の時点では、もはやそうしたシステマティックな進行制御を構築するスキルは失われていた。つまり、選択肢も何も無く、ただ言葉(テキスト)の上でだけ、ループが扱われるものになっていた。そして、システマティックなループもの表現が出来たのは、AVGではなくSLG系のメーカーだけだった(※例えば、Escu:deの『ワンダリング・リペア!』『あかときっ!』は、ループもの、あるいはループに近い複雑な進行制御を行っている)。
 00年代に入ると、小説(LN)でループものが描かれる。とりわけネット小説では、紙幅の余裕があるため、何回ものループを丹念に描くことが出来るようになったという事情もあるだろう。そして10年代には、アニメ媒体で目覚ましい成果が現れた。12話制のアニメフォーマットの中での洗練や、アニメファンの眼力向上などもあって、複雑かつ高速な物語展開が可能になったと言ってよいだろうか。ただし、アニメ媒体は三人称的であり、実際、主人公自身がループするとは限らないという特徴が現れる。
 そして20年代に入る頃には、漫画分野でもループものがあらためて試みられている。とりわけ『君が獣になる前に』(単行本2022年1月~)と、『新しいきみへ』(単行本2022年2月~)が、本格派のループもの連載漫画に挙げられるだろう。興味深いのは、前者では二重ループであり(主人公と、もう一人の仲間の人が、それぞれループする)、後者はどうやらメインヒロインがループしている(男性主人公はループしていない)という点。先述のように、主人公以外のループという点は、漫画媒体らしくもあり、また、10年代以降の新たなスタイルと見ることもできるかもしれない。
 ループの原因、あるいはループによって克服すべき問題についても、興味深い特徴がある。00年代までは、ループ状況そのもののSF的克服が問題だったり、死のループを脱出するものだったり、ループの原因が超自然的事態であったりした。それに対して『君が獣になる前に』と『新しいきみへ』は、どちらもBCテロ(毒ガスや病原菌による剥き出しのテロ行為)のようだ。どちらも完結していないので、全体構造がどうなるかは分からないが、いかにも20年代ふう――コロナ以後のフィクション――ではある。
 これまた大雑把な展望だが、だいたいこんな流れがあったように思う。


 『エクソシストを堕とせない』(既刊3巻)が興味深い。日本の商業エンタメ漫画としては珍しいほど律儀に、現代日本のマイノリティや(ジェンダー)抑圧の問題関心を反映している。第1話からして、児童虐待と性的トラウマ(になる体験)を描いているし、その後もマチズモと差別意識の結託、ルッキズムによる抑圧、マイノリティ食文化(ヴィーガン)へのデリカシー、母性への拘束、男性の同性愛(※現時点の描写では暗示されているだけだが)、そしてそれらの自己肯定といった深刻なテーマにあらかた触れている。保守的なカトリック教会組織の神父が主人公というアンビヴァレンツも、意図的なものだろう。ところによってはいささか教条的なくだりも存在するが、少年漫画の枠――JC PLUSなのだ――で刊行されていることに鑑みれば、型通りの説明になっていることはなんら瑕疵ではあるまい。こういった現代的なテーマを誠実に扱いつつ、エンタメ漫画の中で消化しているという技術的な側面も含めて、たいへん面白い。カジュアルに買ってみた単行本だが、予想外にも強固な倫理的な重厚感のある作品で、驚きつつじっくり読んだ。
 漫画表現それ自体として見ると、コマ組みがやや生硬で、状況進行が把握しづらいところもあるが、明晰なペンタッチをベースにしつつ、決めゴマの迫力もあるし、キャラクターたちも柔軟に描かれており、十分に読ませるクオリティになっている。異能バトルとしては、漫画登場人物たちの行動が容赦ないのも良い。フィクションらしい手加減が無く、文字通り手段を選ばず相手の撃破に全力を尽くす過激さが、読者としては爽快だ。例えば、水属性キャラは相手の体内水分を操作して内部破壊するし、貴重なアイテムは敵前で見せびらかさず、即座にボスのところへ届けるといった具合に。
 
 ただし、あるキャラクターが肉を食べ(られ)なくなった理由をあのように描いてしまうと(配信25-26話)、ヴィーガニズムをスティグマタイズしてしまいかねないという皮肉な一面も発生してしまう。現実の社会的問題をフィクションに取り込む際には、こうした難しさも出てくる。フィクションにはフィクションなりの一種の内的都合があって、例えば、ストーリー上、世界設定上、他と絡まない要素(描写)は導入しにくい(いわゆる「チェーホフの銃」)。それゆえ、なんらかのマイノリティ的属性をフィクションの中で取り上げる際には、通常とは異なる特殊な要素として、ストーリー上の根拠が期待されがちになる。あるいは、当該キャラクター固有のバックグラウンドとつながったストーリー上、設定上の具体的理由を与える方が、作品として面白く、物語として説得力を発揮しがちになってしまう。つまり、菜食主義者のキャラクターを描く際に、何か特別な理由――できればトラウマ的に深刻な――が用意されている方が、そのキャラクターのアイデンティティ描写として深みが出て、キャラクターの中で「生きている」設定になる。そうなってしまう。マイノリティの描写とマジョリティの描写の間で、そうした傾斜が発生してしまいやすく、そしてそれは、(エンタメ的な筋道の通った)フィクションにおいて避けがたい問題になる。マイノリティのアイデンティティ問題を真面目に捉えれば捉えるほど、作者はそうしたジレンマ(あるいは陥穽)に直面することになる。
 ちなみに、マザーローザが非白人(ヒスパニック系っぽい)+中年女性+義足(たぶん)という珍しい属性で描かれているのもおそらく著者による意図的な選択だが、こちらは特別な作中進行上の理由無しにサラリと描かれている。個人的には、こちらの方が肩が凝らなくてよいのだが、はたしてそれで良いのかどうかは難しい。
 
 ところで、3巻20-21頁の見開きが「最後の晩餐」パロディなのが微笑ましい。背景の窓(ドア)や天井のデザインまで同じ。これまでの展開からして裏切りということは無いだろうけど。キリスト教(カトリック教会)モティーフの作品であるだけに、ヴィジュアル演出でもキリスト教美術を取り入れているということだろう。

 いずれにせよ、漫画としては少々読みづらいところはあるものの、現代の漫画分野でこの作品がどのように進行していくか、どのような位置を占めるかを把握しておくうえでも、ついていく(買い続ける)価値はあるだろう。陰惨なショタグロ漫画という点でも個性的だし。


 漫画版『第七王子』第9巻も良い。クライマックスのバトル連戦でありながら、単なる物理的な勝ち負けの問題に終わらせず、むしろそれぞれのキャラクターの心の問題、すなわち価値観や美意識、情愛や執着や誇りや倫理観といった側面を掘り下げて描ききっているのが素晴らしい(※ぽっと出のキャラとは信じられないほど、キャラクター造形が確立されている)。もちろんバトル表現それ自体も、迫力と情趣があって読み応えがある。


 BLを含め、女性向け漫画も好きなのだけど、それらの分野は「相手(ヒロイン)をひたすら支配しようとする、傲慢で権力欲旺盛な美形男性」とか、「乱暴な不良だけど自分にだけは忠実なキャラ(男女問わず)」とか、とにかく私が徹底的に受け付けない完全NGキャラクターが非常に多いので、どうにも手を出しにくい。そういう攻撃的なキャラとか、ヤンキー的な内輪囲い込みの人間関係は、フィクションの中でも目にしたくないのだが、かなり多いんだよなあ……。女性向けは優しい物語というのは間違いで、むしろ女性向けの方が人間関係の権力的側面が剥き出しに描かれている傾向すらある。個人的に、そういうのはとっても苦手。とりわけ、相手に対して独占欲を発揮してくるキャラは、老若男女問わずものすごーく嫌なのだけど、「お前は俺だけの物」みたいなコピーは現在でもわりと目にするのよね……大嫌いなんだけど。
 全体として見ると、女性向けは男性向けよりも、モティーフが多様性に富んでいて好ましいのだが(例えば作中舞台の歴史や地域)、その一方で上記のようなキャラクター傾向や、恋愛至上主義的ストーリーテリングの強さといった、かなり苦手な要素もある。


 現代のオンライン配信漫画でも、左右見開きページのレイアウトが基本であることに変わりはない。だが、見開きを意識していないように見える作品も、わりとある(※オンライン漫画でも、紙媒体の漫画でも)。要するに、一ページ単位でのコマ割がデザインされているだけで、見開きの左右でのレイアウトに連続性や統一感が無いというもの。例えば、「右側のページにはきれいな大ゴマがあるが、左側はごく普通のコマ組みで、せっかくの大ゴマのインパクトが浮いてしまう」とか、「右側のページは縦割りのコマ組みだが、左側は横割りの強いコマ組みで、不必要な落差が生まれてしまっている」といったような場合。実にもったいない。もちろん、左右見開きでのテンポをきちんと意識して画面設計している漫画も多く、そうした作品はやはりコマ組みのリズムが良いし、見開きの中で映える演出もきれいに実行している。こういったところまで含めての漫画技術なのだと思う。
 
 
 先月中の未読漫画もだいたい消化できたし、模型関係も9月までにめぼしいものを作りきれたし、ゲームはずっと継続できているので、最近はかなり満足のいく状態。しかし、今後どのような方向性で趣味活動を進めていくかで、ちょっと迷っている。
 実写映画のディスクが溜まっているので、折を見てまとめて視聴したい。
 そういえば『神楽』シリーズは新作2本が未プレイのまま。SRPGスタイルは苦手なので。