2020/02/29

2020年2月の雑記

  2020年2月の雑記。(→3月1月

2体目の「FAG:グライフェン」を制作。完成写真は別記事(リンク先)にて。もう月末も近いが、この写真をページトップに掲載しておこう。


  02/29(Fri)

  [ https://pompo-the-cinephile.com/ ]
  「映画」とあるが、劇場版アニメのことだろう。できるだけ良いキャスティングにして下さい。
  原作(漫画版)の杉谷氏については、『ポンポさん』以外の単行本も全て読んでいるが、清々しい勢いの良さとぎこちないキッチュさの混ざり合いがなんとなく面白かった記憶がある。


  精神力が落ちて、自制心も低下しているようだ。買うつもりの無かったプラモデルまで購入してしまった。まあ、ユニークな試みをしているキットなので、買って構造を体験するだけの価値は確かにあるのだが、財布へのダメージが生じていることに変わりはない。


  新作ゲームもいろいろ買ってきた。
  「雑多なグッズを同梱するくらいなら、そのコストで大根声優をまともなのに替えてくれよ……」と思うタイトルもあったが、まあ、仕方ない。ブランド前作をプレイして、絵とテキストと音響と演出は大いに期待できるブランドなので。

  最近では、聴くに堪えないと思ったキャラは、ばっさり個別OFFにしている。以前は、音声OFFは失礼だと考えていたし、プロの声優の芝居なのだから何かしら聴くべき内実はある筈だという立場だった。しかし、それでも、やっぱり、まあ、残念ながら、ひどいものはあるのだ。役を造形することが出来ていなくて、ただ単に「声色を調整して読み上げるだけ」のような、砂を噛むように味気ない演技をする声優は一定数存在するし、それらを聴くのは苦痛だし、時間の無駄だし、テキストを読むのを妨げすらする。


  大判の本は、重い。
  重い本は、安定しやすい。
  安定しやすい本は、たくさん積める。
  たくさん積める本は、たくさん買っても大丈夫。
  たくさん買っても大丈夫な本は、見境無しにたくさん買いまくろう。(あれ?)


  『猫が西向きゃ』2巻の表紙を目にした瞬間、「ああ、この漫画家ならば眼鏡レンズの屈折表現をしそうだ」と確信できた。1巻ともども購入して自宅で読んでみたら、確かに屈折の描き込みがあった。どうやら私は、「絵を一瞥しただけでそのクリエイターが屈折表現をするかどうかを識別できる」という異能の力を手に入れたようだ。
  ……異能バトルものに登場しても何の役にも立ちゃしねえ。

  ちなみに、事情は分からないが、アフタヌーン系は屈折表現をする作家が多いよね。

  屈折表現を識別できる超常能力者は、どんな場面で活躍できるか。
  例えば漫画家の間で殺人事件が起きた時に、「おや、AさんとBさんは屈折表現をしそうな顔をしていますねえ。それに対して、あらあら、Cさんは屈折表現を知らない作家の顔じゃないですか。さて、Aさんの原稿のこのコマを見て下さい。せっかくの大ゴマなのに屈折表現がありませんねえ。ということは、Aさんがこの原稿を描いた筈が無い。この原稿はおそらくCさんがAさんの絵に似せて描いたフェイクでしょう。つまり、原稿作業をしていたというAさんのアリバイは崩れてしまう。それでは、AさんとCさんが共犯であるという可能性を考えて、あらためて当日のお二人の行動を伺ってみましょうか」。うわあ、こんなミステリ読みたくねえ……。

  「このキャラは蒼依ヴォイスになる筈だ!」と予測できる異能スキルも持っているかも。


  声優が「私、人見知りなんで」と言うとき、それは「(声優や役者は基本的に社交性がものすごく高く、総じて超外向的なのだが、そういう集団の中で見れば比較的)人見知り」という意味にすぎないと思っている。実際、声優はほぼ毎回クライアントが変わる仕事であり、現場毎に初めて会う大人がたくさん現れるようだし、そんな状況で「(世間的な意味での)人見知り」のままでいたら、仕事をやっていられないし、仕事を続けていくことも困難だろう。
  まあ、そういう一般論をひっくり返すような、「芝居の実力は飛び抜けているが、日常では本当に話し下手」という声優も、ごく稀にいたりするようだが。ほら、あの、ね。
  また、根がシャイな人もいるだろう。例えば、「演じる仕事をしたいが、声優ならば人前に出ずに済むから」という判断で声優の道を選んだ人もいる(※ラジオでそう言っていた声優さんがいる)。十年以上前は、声優のアイドル化はそれほど一般化していなかったし、イベント出演も前景化していなかった。おそらく、現在30代以上の世代には、そういうスタンスの声優もいると思う。言い換えれば、20代以下の世代では、そもそも上記のような発想は出てこないだろう。現在では、「声優は人前に出る(客やカメラの前に生身で出る)ことも多い仕事だ」というのが、おそらくデフォルトの思考になってしまっている。


  先日のアイデアで、シナイグレーをホワイトと半々で割ってレッドを少量混ぜたら、確かにアニメ版GP-02らしいカラーになった。やはり わたしの がくせつは ただしかった。


  パッケージ表側にも載せているキービジュアルを、作中の要所で使うというのは、なかなか面白い見せ方だ。プレイヤーにとっては、すでに何度も目にした馴染みのイラストでありながら、それが単なるイメージ画像を超えて物語の中で具体的な状況と意味づけを伴って(再度)現れるというのは、たいへん刺激的だ。過去の類例は……ちょっと思い浮かばない。パッケージアートにも使えるようなシチュエーションの一枚絵というのは考えにくいし、ましてやフルプライスだと複数ヒロインの問題もある。


  SHCファンクラブ。3000円コースに入っていたのが解除されると、無料コースでのフォローに転換される。なので、今後もラジオのバックナンバーを聴けるようにするには、ユーザーが自分から500円コースに加入し直す必要がある。従前の支払方法を引き継げばよいのでたいした手間ではないが、手続をし忘れる(or気づいていない)ユーザーがかなり出そうで、ちょっと心配。


  Mig Jimenezの「AMMO」エナメル塗料を使ってみた(「Africa Korps Wash」)。
- ウォッシング用にあらかじめ希釈してあるようで、瓶からそのまま使える。
- 細かな粉が入っているようで、塗装面はカサカサする。乾燥は早く、ベタつかない。
- 砂泥まみれのリアリスティックな雰囲気は本当に素晴らしい。
- 乾いた綿棒で拭うだけで、粉が大量に拭き取れる。というか、拭いきれない。
- ウォッシング後のトップコートは必須だろう。
- 1/35縮尺のAFVには適しているが、質感が出すぎて1/100ロボット模型には使えない。
- 溶剤が強い? 久しぶりにプラを割ってしまった。

  AFV上級者向けのマテリアルだと思う。使い方はちょっと難しい。


  【 アダルトシーン趣向の多様性創出:分野と歴史 】
  要旨:「00年代のアダルトゲームは、オタク界隈の性表現を強力に牽引し、マニアックな性的嗜好も積極的に取り込んで、それらの普及に大きな役割を果たしていた」。

  00年代初頭以来のアダルトゲームは、性表現の様々な趣向を貪欲に試み、(少なくともオタクたちの間では)受け入れられる性的嗜好のキャパシティを爆発的に拡大させ、強力に普及させたと思う。それは、歴史的に大きな功績だと言える(※「功績」かどうかは分からないが)。
  それ以前には、実写のあれこれと並んでアダルトアニメやアダルトコミックがあった。しかしアニメは当時から小規模かつ高額な市場だったと思われ、影響力も小さかっただろう。また、一本あたりせいぜい30分程度の短編&単発なので、エキセントリックな(マイナーな)趣向に挑戦するのは難しかっただろう。漫画媒体は、90年代頃には市場が拡大しつつあったようだが、こちらも基本的に20ページ程度の短編ばかりなので、特定の趣向をフィーチャーするのは難しかっただろう。

  それに対してアダルトPCゲームでは、多様な性表現の趣向を取り込むことが強く後押しされてきた。いくつもの要因が考えられる。
  1)調教SLG分野。複数の調教メニューを使い分けることがゲームシステムの眼目であり、そのためオーソドックスなもの以外の様々なスタイルを導入することになる。緊縛、後衛攻め、道具使用などのいささか特殊な趣向も、積極的に表現された。調教SLGそれ自体は00年代前半のうちにほぼ消滅したが(現在ではEscu:deくらい)、その後の黒箱系(ダーク系)の過激趣味が、性表現のヴァラエティを拡大することに寄与した。とりわけ、触手趣味が退潮して以降は、人対人のアブノーマルな性行為の領域が拡大された。
  2)シーン数の確保。90年代のアダルトゲームでは、ベッドシーンは比較的短く、数も非常に少なかった。F&C作品が典型的だが、物語のクライマックスで告白してベッドシーンを一つこなして、すぐにエンディングというタイトルもわりとあった。しかし00年代に入ると、ヒロイン一人につき複数のベッドシーンを提供するアプローチが支配的になった。シーン数も、一人あたり3つから4つ、6つと増えていった。だが、似たようなシークエンスの行為ばかりを繰り返しても面白味は無い。また、一枚絵のポージングや構図のネタが尽きるという原画サイドの事情もあっただろう。だから、学園恋愛系タイトルでも、初々しいヒロインと付き合い始めて2度目、3度目の行為でも、いきなり道具を使用したり、さっそく*やバストや口を使用したり、無節操に戸外で行為に及んだりといったヴァリエーションが堂々と導入された。それは一見作為的ではあるが、構成上の合理性があり、ユーザーもそうした事情を好意的に受け入れていただろう。
  3)高額商品。定価8800円のフルプライスゲームは、けっして安いものではない。それゆえ、メーカー側はできるだけ多くのユーザーを掴めるような戦略を採るだろう。そして、性表現が重視される「アダルト」ゲーム分野では、多様な性表現を盛り込むことによって、より多くのユーザーに関心を持たせるというのは、有効な戦略だと考えられる。実際、例えば「このキャラには*使用がある」「放尿シーンが、ほんの一つだけだが存在する」「男の娘ヒロインがいる」というだけで購入決断するユーザーは、それなりにいたのだ。それらは、当初はニッチ嗜好だったかもしれないが、上記の事情と併せて多くのメーカーが採用するうちに当たり前のものとして定着し、さらには明確にそれを欲求するユーザーも増えていったのだろう。折しも、ネット上での情報交換、情報共有が飛躍的に拡大しつつあり、性表現上の趣向も整理され拡散されていった。各メーカーは何枚ものサンプルCGを公開することによって、潜在的なユーザーに興味を持ってもらえるようにした。

  このような事情から、00年代以来のアダルトPCゲームは、様々な性表現の趣向を積極的に導入し、そしてそれらは、web上のオタクたちの間に急速に浸透していった。

  00年代後半以降になると、状況は変化する。1)アダルトコミック市場が拡大し、内容的にも成熟する。特化型の雑誌も増えていく。2)様々なwebサービスによって、ニッチな性表現をシェアする機会が増えた(※例えばpixivの設立は2007年とのこと)。3)同人市場がいよいよ大きくなっていく。多様な性表現の追求は、これらの領域を主戦場とするようになった。また、性表現の趣向に関しては、「舐める」「挟む」あたりはごく普通の行為として、どの表現領域でも完全に定着した。
  アダルトPCゲーム分野では、上述のように、この媒体で利用できる性表現は、00年代のうちにすでにひととおり開拓しきっていた。10年代のアダルトゲームも、挑戦的な趣向やニッチな嗜好を展開するタイトルはいくつも現れているが、00年代のようにトップランナーとして独走するわけではなく、隣接諸分野との相互作用の中からその都度の流行を作り出し、あるいは他分野から摂取していくというスタンスになっている。
  例えば10年代前半で言えば、――えーと、あまり具体的に書くのは気が引けるのだが――「男性を仰臥させ、女性はバストを吸わせつつ、レバーを握る」という新たなシチュエーションが大いに流行したが、アダルトゲーム発というわけではなかっただろう。
  また、男性が全身でのしかかる、いわゆる「○○けプレス」は、漫画のシークエンスの一部としては使用できるが、ゲームの一枚絵としては非常に導入しづらい。ヒロインの身体、とりわけ顔面が完全に隠れてしまうし、差分変化も施しにくいからだ。また、男性側の身体を描き込まないという流儀が優勢であったという事情もある。男性の臀部を大写しにする一枚絵は、ユーザーにはあまり好まれないだろう。



  02/26(Wed)

  「プララジ」第54回([ https://ci-en.dlsite.com/creator/1736/article/208326 ])
  ソフトハウスキャラ創設話。5人というのは、はまP氏(社長?)、JORI氏(プログラム)、内藤氏(脚本)、佐々木氏(原画)、龍田氏(着彩)だろうか。
  支援者は1999人になっている(26日現時点)。大台到達は間違いないだろう。喜ばしい。


  キャラクター台詞で「○○君」「○○君は」としつこく連呼するテキストは苦手。というか、端的に下手だと思う。そのシーンで誰に向けて話しかけているのかは自明なのだから、呼びかけは適宜省略する方が会話テキストとしてスムーズなのだが。


  [tw: 1232835437732872193 ]
  うーん、どのあたりを見てその意見になったのだろうか。UIが駄目なのはEushullyだけで、他のメーカーはきちんとしていると思うけど。同時代の隣接諸分野(家庭用ゲームなど)と比べても、それほど落差があるようには思えない。
  Escu:deはUIの美的デザインと機能的デザインの両方を十分考慮している。例えば『英雄×魔王』のゲームパートは、マウスホイールで自キャラ選択をして攻撃決定のクリックをするだけで済むというお手本のような洗練されたUIだった。『Re;Lord』では、マウスカーソルを動かして攻撃対象をつなぐことでコンボ攻撃が成立する。つまり、マウスを操作する楽しみが味わえる作品だった。AVG寄りの近作『サクリファイス』でも、常に全情報が一画面で見られるように(つまりスクロールしなくてもよいように)設計されている。
  alicesoftや10年代のソフトハウスキャラも、ゲーム内で使うパラメータやコマンドを切り詰めてゲームシステムを整理するアプローチが明確に見て取れる。要素の切り詰めは、当然ながら操作性の整理と緊密に結びついている。例えば『南国ドミニオン』から『DAISOUNAN』へのシステム再設計が典型的だろう。
  ninetail/dualtailは最近プレイしていないからよく分からないが、けっしてひどくはなかったと記憶するし、システム全体の複雑さからしてUIを簡素化するにも限度があるので、悪しざまに言うものではあるまい。
  EushullyのUIのひどさについては、私も以前からずっと批判してきたので一々繰り返さないが、このブランドに対する批判としては同意できる。
  でぼの巣製作所は、そもそもシステムが質素すぎてこの文脈で論評する意義が乏しいが、初期の『道中記』と最近の『黎明期』を比べると、ちょっとずつの進歩は見て取れる。アイテム欄で、自動再配列ができるようになったとか(コンフィグで選べる)、アイテム欄のマウスホイールで上端から下端へジャンプできる(つまりループできる)ようになったといった程度だけど。
  Digital Cuteは、STGからカードバトルまで一作ごとに新規システムを導入しているのでなんとも言えないが、過度に煩瑣だという印象は無い。
  それ以外のSLG系メーカーは、LWやLeafは去ってしまったし、xuseもLiar-softも復帰の見込みは低そうだけどね……。CYCやtriangleもゲームパートを手放してしまった。あと、ロープラや外注任せや新規ブランドは勘弁してあげて下さい。そういうポジションのメーカーがいろいろ至らない出来具合なのは、他分野でも同じなのだし。

  プラットフォームの問題やユーザー意識の事情もある。例えばカーソルを当ててコマンドツリーがポップアップしてくるようなUIは、マルチウィンドウOSではトラブルが生じやすいし、高速にプレイするユーザーはポップアップ待ちの時間に苛立つため、導入しづらいだろう。言い換えれば、「クリック操作に対してレスポンスする」という設計は避けがたい。
  また、PC媒体であるということは、家庭用ゲームやモバイル用アプリとは異なって、複雑な操作体系のゲームに挑戦することが可能であるという長所も持っている。UIの簡略化には一定の限界が存在する。あるゲームシステムを構想した時に、「スマートフォンゲームとしては操作が煩雑になりすぎるので実装不可能だが、デスクトップ機でマウスとキーボードを併用させるならば比較的快適なUIとして実現可能である」という場合がある。そういった長所が存在することも確かだ。
  さらに、PC環境は一様ではなく、ユーザー毎に異なっている。高速な環境だけでなく、比較的性能の低い環境のユーザーも考慮しなければならないので、UIのレスポンス速度なども調整が難しい。また、画面サイズの小さいユーザーでもプレイできるように(個々の文字やアイコンを判別できるように)しなければならず、そうするとスクロールや画面分割を避けるのは難しい。UIの評価に際しては、そういった制約があることも考慮しなければ公平ではないだろう。
  その一方で、10年代半ば以降は、伝統的な(デスクトップorノート)PC媒体だけでなく、様々なプレイ環境を想定する必要が出てきている。そのことがPCゲームのUI設計を制約しているという側面も考慮すべきだろう。

  純AVGのタイトルでも、各種ダイアログでy/nの確認メッセージを出すかどうかを、コンフィグであらかじめ個別に決めておけるものが多い。10年代初頭頃から急速に普及しており、現在のフルプライス作品ではおそらく過半数のタイトルが実装している。これもストローク数を削減することに寄与している。

『カサブランカの蕾』
(c)2017 DOLCE
実行確認有無コンフィグの一例。ゲームエンジンはYU-RIS。このようなコンフィグを導入したのは、WILL系列が比較的早かったと思う。

  何度も述べてきたことだが、Escu:deこそは最高のSLG系メーカーだと思う。ゲームシステムの新規性においても、UIの(機能的/美的な)洗練においても、突出したクオリティを持っている素晴らしいブランドだ。
  (なのに、言及されるのはalicesoft、Eushully、SHC、tailばかりで、何故かEscu:deは「ゲーム性重視ブランド」としては頻繁に無視されてしまうのよ……。いや、ほんとに、何故だろう?)


  あっ、すごい、飛散する液体の影が服や素肌に落ちるところまで塗り分けられている。こんな影まで律儀に塗るのはかなり珍しい。
  (まあ、べつにきれいなものでもないし、そこまでしなくてもと思うけど。)


  [ https://ci-en.dlsite.com/creator/1736/article/218463 ]
  タイトルを見てびっくりしたが、要するに「500円コースと無料フォローのみになる」のか。ラジオを含めてCi-en上でのサービスそれ自体は続けていくようだ。2000人到達の節目で運営方針を切り替えたということなのかな。消極的な見方をするなら、「ラジオ以外のサービス(コンテンツ提供)には期待しないでね」というスタンスなのだろう。
  2月28日付でプラン変更ということは、今月末決済の2020年2月分も、支払額は3000円ではなくさっそく500円になるのだろうか。
  いやらしい話だけど、登録者のうち、仮に3割が有料プランだとすれば月額27万円になる。毎月1回収録で、出演者とスタジオの支払をしてなんとかトントンになるくらいか。もっとも、広報活動の一環であろうから、ここだけで収支を合わせる必要も無いのだけど。
  正直に言えば、多額の支援をできるコースも維持してくれて良かったのにと思う。毎月1000円なり3000円なりは、けっして出せない額ではないし、そういう金銭的支援が多わずかなりともメーカー自体の活動資金になってくれるならば――そしてその余裕の分だけ新作のクオリティが上がってくれるならば――、十分嬉しいのだから。


  人間の認識はきわめて誤りやすいものだ。話を聞いていても、逆の意味に捉えてしまう。あるいは、「○○というのは間違いである」「××というのはデマである」と聞いても、「○○」の部分だけが記憶に残ってしまったりする。特にyes/noを転倒して覚えられるのは非常にまずい。だから私は、このブログの文章や講義での説明に際しても、否定形の表現はできるかぎり避けるようにしている。あるいは、二重否定表現「しないわけではない」や、否定形に見えるような表現「ではないか」も極力控えている。誤読の危険は、可能なかぎり減らしたい。多重複文などの込み入った構文を避けるのも、同じ考慮に基づいている。本当に、人間の認識は(もちろん私自身も含め)、当てにならないものだからね……。
  さすがに、「ない」を完全排除することは不可能だし、無理に排除するとかえって論述の流れが歪んでしまう危険もあるので、それほど厳密に拘るわけではない。特に、慣用表現として馴染んでいる言い回し(例えば上の「当てにならない」など)は、誤解の可能性は低いだろう。


  この月別雑記ページのトップにお気に入りの画像(写真)を掲示しておくのも、昨年2月に開始して以来、丸一年が経った。懸念したような邪魔にはならず、ブログに彩りを増してくれて、上手くいっていると思う。私以外の閲覧者が(なかんずく定期的訪問者が)どう感じるかは分からないが、まあ、うちは趣味のブログであり、そしてこれらの写真はまさに私の趣味嗜好の発露なのだから、そういうものとして受け止めていただきたい。視覚的な不快さを生じそうなものは避けているつもりだし、プラモ作品のクオリティも、ひとまず見るに堪える水準はクリアしているつもりだ。


  明日は新作発売日。おかねは、えーと、うん、ぎりぎり、ある。
  (今月はかなり出費が嵩んでしまった。)


  書籍は、読み終わると、読み終わりになってしまう。おかしな言い方だが、最後まで読みきってしまうと、その本は「読み終わった本」になってしまうのがちょっと寂しい。少なくとも字面レベルでは、もはやこれ以上新たな情報や新たな物語は出て来ない(※もちろん、再読すれば新たな読解ができて、新たな意味を発見することもあるが)。いわゆる活字中毒の気質の人々は、読了の寂しさをもっと強く感じるのかもしれない。
  「プラモデルは作ると無くなってしまう」という言葉も、似たような事情を指している。キットをひとたび完成させてしまえば、それ以上は「作る楽しみ」も得られないし、「新たな形姿を作り出す」ことも出来なくなる。追加工作も可能ではあるが、それはもはや、まっさらなキットランナー状態からの制作ではない。
  ただし、音楽CDやゲームやアニメの場合は、そういうことをあまり意識しない。たまたま私がそう感じるだけなのか、それとも同じような捉え方をする人が多いのかは分からないが。



  02/22(Sat)

  催眠ものは、ほとんどの作品がストレートに「催眠」という単語がタイトルに入っているという印象がある(※そうでない催眠ものを私が大規模に見落としているという可能性もあるが)。仮にこの認識が正しいとして、何故そうなっているのだろうか。
  1) 催眠という言葉は、漢字2文字の短い単語なのでタイトルに入れやすい。
  2) 状況を絵で示すことが難しいので、言葉でストレートに説明するしかない。
  3) コンセプトの明確な一点突破型の作品なので、キーワードとしてタイトルに含めたい。
  4) 主人公の行動そのものを説明する言葉なので、内容が明確になる。
  5) マイナージャンルなので、タイトル間の食い合いの心配が無く、安心して名乗れる。
  6) 消極的理由として、「催眠」を適切に言い換えられるような代替的表現が無い。
考えられる理由は、このあたりだろうか。おそらく「孕ませ」も同じような事情で、作品タイトルに入れやすいと思われる(※実際、多用されている)。「置換」もそうだろうか。

  それに対して「恋愛」や「ゴア」などの単語だと曖昧すぎてセールスポイントにならないし、「SLG」や「調教」も内容が幅広いのでタイトルに入れてもコンセプトがはっきりしない。「妹」や「巫女」のようなヒロインの属性を示す言葉は、それだけでは作品内容を表しきれない。00年代前半くらいまでは、作品規模が小さかったため、『妹○○』のような一点突破で押し切ることもできたが、現在ではなかなかそうはいかないだろう(※ただし低価格帯は、ストレートにヒロイン属性を宣言することができるし、実際にもそういうタイトルは多い)。

  「『催眠』という単語が入っていない」、「あくまで催眠メインの」、「黒箱系フルプライス」も、もちろん存在する。『操心術』シリーズや『瞳の烙淫』シリーズが典型的だし、「洗脳」という言葉を冠しているタイトルもそれなりに多い。


  読点「、」で区切ってページを送る(クリック改行する)のは格好良いよね!


  おお、良い声優さんだ……。以前にアニメで聴いた時は癖の強いキャラを演じておられたのでよく分からなかったが、AVG作品でその芝居を聴くと実力の程がはっきり見て取れる。きちんとしたテンポを保ちつつ、言葉の意味が明晰に伝わるようにデリケートな芝居をされている。台詞の一つ一つに活きたニュアンスがあるし、状況に応じた雰囲気の変化も巧みに表現されている。折り目正しい、立派な芝居だ。良い役者さんだなあ。覚えておこう。

  ああ……良いなあ。きびきびと引き締まった快速調のテンポで、しかも潤いのあるツヤツヤのきれいな声。台詞の端々まできちんと神経が通っている。ああ、これは私が大好きなタイプの声優さんだ……。

  小声の部分でも、ただ声量を変えるだけでなく、台詞の意味づけを完璧にコントロールし続けている。想像以上、期待以上の精密な演技。この方、めっちゃくちゃ巧いのでは……。


  欧文フォントについて。CenturyやTNRは、細すぎるし字間が詰まりがちで、読み手が誤読しやすいので、あまりお勧めできない。英文を読み慣れない学生に向けて配布する資料では、視認性(判読性)の高いconsolasを常用している。Windows標準で入っている筈だし。
  いずれにしても、[tw: 1231537133707333632 ]:フォント指定はお節介が過ぎるように思う。よほど珍妙なフォントでもないかぎり大抵はOKだし、ほとんどの場合はまともな(デフォルトの)フォントで出してくる。むしろ、「添削者が読み慣れているから」という個人的な事情を前面に出して特定のフォントを強いるのは傲慢だろう。教員(権威者)の好みに合わせろというのは、あまりにも反-教育的な抑圧であり、そのような姿勢を私はけっして肯定しない。たとえば「書籍や新聞のような主要な媒体で多用されており、可読性も十分高いので、○○フォントを使用することを推奨する」というアドバイスであれば、合理的だしフェアだし教育的なのだが。

3つのフォントのサンプル。品位の求められる正規出版書籍ならばいざ知らず、配付資料や提出書類であれば視認性最優先でよいと思う。ただし、ネイティヴまたはそれに相当する受け手であれば、Centuryなどの方が高速円滑に読める。


  [ http://ho2ch.vs.land.to/ayaka.html ]
  あれ、Parasolブランドでは『まじからっと』(志田かな名義のサブキャラ)と『でりばらっ!』(メインヒロイン役)にも出演していたけど……と思ったら、今回の選択候補に入っていないのか。いずれにせよ、10年代を通じて最高のキャスティングをし続けてくれたブランドの一つとして、深く信頼している。なかでも最高だったのは『QUINTUPLE☆SPLASH』。
  ヒロインのキャスティングでいうと、『ヒットミー』も素晴らしかった。


  京都大の立て看。浪人とか絶望とか、こんなに露骨&下品に入試受験生をバカにするようなものばっかりだっけ? ガッカリだなあ。毎年ちゃんと見ていたわけではないけれど、昨年まではネタを仕込みつつ受験生たちを応援するくらいのスタンスだったと思う。例えば、昨年の入試当日は、[ https://sites.google.com/site/freedomorita/h311obchi ]:こんなにまともに、自由なネタ精神を発揮していたのにねえ……。『鬼滅』を使って受験生を勇気づける激励の文章なんて、実に格好良いじゃないか。
  すでにインサイダーの地位を確保している学生たちの側が、試験当日のデリケートで不安定な状況下にある受験生たちを侮蔑的に笑いものにするのは、おそろしくゲスい行為だと思う。まるで笑えない。立て看文化それ自体は素晴らしいものだが、あのような侮蔑的な内容の看板は肯定できない。



  02/19(Wed)

  「胃~」宴#16、名言連発で大笑い。


  「くしゃみを肘で覆う」って、そんなに良いかなあ? 掌で覆うよりも面積が広いし隙間も無いので飛散しにくいというメリットはあるだろう。しかし、掌で止めたならばキッチンやトイレで即座に洗い流せるが、肘(しかも衣服)で受けてしまうとすぐには洗えず、その後一日中、ウイルス交じりの唾が付着&露出したままになってしまう。そちらの方がよほど不衛生だし、拡散の危険性も大きいように思う。ものによっては、クリーニングに出しにくいものもあるし。「掌でくしゃみを受ける(そしてそのまま手を洗わずにいろいろなものを触る)」のが最悪なのは確かだし、それに比べれば肘の方がいくらかマシではあるが、けっして肯定的に評価できる対処ではないと思う。「せめて肘にしましょう」くらいの認識でいる。
  最善はティッシュで受けてすぐに捨てることだが、くしゃみが出そうな時にすぐに準備できるとは限らない。次善はハンカチで、くしゃみを止めたらすぐに仕舞い込めばよい。
  あと、言うまでもないが、「口の前を塞がずにくしゃみや咳を全開に噴出する」のは、最悪中の最悪。いや、電車内や教室でもたまにそういうのがいるし、私も自宅に一人でいる時はそんなに気を遣わないけれど。


2体目のFAG「グライフェン」がほぼ完成した。もう少し、スミ入れなどの追加工作をする予定。


  眼鏡キャラは好きだけど、ベッドシーンでは眼鏡を外してほしい派。そのように描く方が、眼鏡に対して誠実だと思うので。私は眼鏡っ娘や眼鏡男子が好きなんじゃない。眼鏡そのものが好きな…ん、だ?……あれ? ともあれ、そういうシーンで眼鏡を外す仕草は色っぽいと思うけれど、えろどーじんでもそのような描写は一度も見たことが無い。
  それに対して、観念的な眼鏡キャラ主義の立場も、それはそれで理解できる。すなわち、眼鏡はあくまでキャラ造形(記号)の一部である。「ベッドシーンでは眼鏡を外す」という現実ベースの考慮に縛られる必要は無い。あるいは、極度に非妥協的な立場、例えば「ひとたび眼鏡を掛けたキャラは絶対に眼鏡を外してはならない」という主義のクリエイターがいたとしても、それはそれで尊重するし、一定の敬意を払うことができると思う。
  眼鏡をつけたままにする場合は、例えば「だって、眼鏡を外すとあなたの顔がよく見えないから」という筋運びならば、パーフェクトな脚本だと言える。

  アダルトシーンで、眼鏡の有無を選択できるというタイトルもある。さしあたり思い出せるところでは、たしか『キャッスルファンタジア エレンシア戦記』がそうだった筈。
  [ http://shisnap.iza-yoi.net/game/pc/Castle3/Castle3_k.html ]
そうそう、たしかこんな選択肢があったのだった。チャイ・カとのベッドシーンに入るところで、「仕方ないな・・・・外してもいいよ」 or 「だめだよ・・・・しっかり見て」を選べる。


京都四条のジュンク堂に行ってきた。今月末まで営業しているとのことだが、訪れるのはこれが最後になるだろうと思い、写真を撮ってきた。河原町通の丸善(系列店)の方は存続するのだが、やはり寂しい。記念と感謝とお別れと諸々の気持ちとともに、いろいろ購入した。
入り口付近を道向かいから。特に院生時代は定期的に足を運んでいた。自転車で行って、店舗のすぐ横に止めていたりした(※あんまり良くない)。
正面。しゃがんで閉店告知を読んでいる方がおられた。
店内を窺う感じで。
庇の店舗掲示。これも見納めか。ちなみに今日の四条通の人通りは、十分多いけれど混雑というほどではなく、適度な感じ。昨今の事情からして、観光客がかなり減っている。
閉店告知が、店外から見えるところにも張り出されている。


  懸念していたことだが、シタデルのシェード塗装は、ロボットの装甲のような広い平面を塗るには不向きなようだ。繊細な凹凸のあるキャラクターミニチュアであれば窪みに塗料が溜まって適度な陰影を作るのだが、平面にサラサラの塗料を広げてもムラになるばかりで、上手くいかない。素直にエナメル塗料でスミ入れ+ウォッシングをする方が良さそうだ。
  ただし、エナメル系溶剤は水性アクリルを溶かしてしまうので、1)アクリル系で塗った上には使わないか、2)軽くトップコートを掛けてからエナメル塗料を使用するか、どちらかの対処が必要になる筈。せっかく塗ったアクリル塗料の塗膜がボロボロになっては元も子もないので、慎重に取り組もう。

  試してみたら、アクリル塗装の上からでも、スミ入れ程度ならばエナメル塗料を乗せても上手くいくようだ。ただし、エナメル系溶剤で強く擦ると、おそらくアクリル塗料が溶け出てしまう(ということは、エナメル系のウォッシングは基本的に不可と思われる)。


  「ドーラク」#83。うわあ……3サイズからキャラ当てとは……よくもこんな気持ち悪い企画を出したなあ。そんなセクハラゲームを声優にやらせるなよ。編集部の中で、自分たちだけでやっていればいいのに。HJ編集部に対する信頼と好意が大きく低下した。



  02/16(Sun)

  見えたっ! 眼鏡のレンズ屈折を描いているイラストレーターさんだ!
  ……などと一人歓喜する休日。
  (なんだか学園エロコメの悪友キャラになったような。)
  もちろん、輪郭の段差それ自体に対するフェティシズムではない。そこまできちんと描いてくれるという、眼鏡に対するデリカシーが嬉しいのだ。


  『神楽』シリーズの水妖、この青いプルプルの姿は会長(プレアデス星人)なのでは?


頭部差し替えの実験。「ねんどろいど ぷち」「にいてんごでらっくす」は2.5頭身、「AQUA SHOOTERS」は約4頭身。双方を組み替えてみたところ、どちらもしっくり来る。
今日の自作名言:「眼鏡は画竜点睛」。そう、90%ほど出来上がったところで、何かが足りないと感じていたが、こういうことだった。これでキャラが引き締まる。/もう少しディテールを追加したり色調を整えたりして、この2人目のFAGグライフェンは今週中に完成させる予定。


  ウェットティッシュも無くなっているのか……。普段から使っていたので買い足そうとしたら、どこも品切れで、入荷の目処も立たない(おそらく当分の間入ってこない)とのこと。破れにくく、いろいろなものをきれいに拭えるので、常用していたのだが。


  近場のお店で、試しにPCゲームを予約してきた。
1) 予約の手続がちょっと煩雑だった。めんどい。
2) 引き取りの期間が短い。まあ、発売日(金曜)に確実に取りに行ければよい。
3) レジで店員さんとじかに顔を合わせて、このアダルトゲームを予約するんだという状況が、なんとも落ち着かない。はなしかけられるのがこわいです。
4) 価格は、getchuと比べて安いものと高いものが半々くらい。リーズナブルではある。

  うーむ、どうしよう。一つの案としては、「getchu通販の方が安いタイトルは通販で。店頭の方が安いものは、予約無しで発売日当日に店頭買い」という手法が考えられる。売り切れなどで店頭購入できなければ、翌月のgetchuで併せて注文すればいい。ただし、getchuも品切れになっている可能性があるし、購入したかどうかのチェックが二度手間になり、買い漏らしの可能性も高まる。それだけ手間を掛けて得をするのは、せいぜいgetchu価格との差額分だけ。月に1000~2000円程度浮かせられるので、たしかに意味はあるのだが、余計な手間(=ストレス)を掛けたくないという側面も大きい。
  どうにもやりにくいなあ。例えばSfMpのように、印刷済みの予約券を交付されて持っておくだけで済ませられればよいのだけど。非-大手のショップだと予約システムを整備するのも大変なのは分かるし、できれば各地域の専門店がうまく存続してくれたらと思うので、なんとかお金を落としていけるようにしたい。


  インストール中の進行メッセージを見ていると、「BGMはWAVファイル直置きなのか」とか、「このメーカーも○○エンジンなのか」といった面白さがある。


  このままゲームで徹夜することもできる。体力も集中力も熱意も楽しさも十分保つ。しかし、徹夜してしまうと翌日のパフォーマンスが最低になるし睡眠のサイクルも崩れるので、やむなく寝る。学生時代も頻繁に徹夜していたし、4時就寝&7時半起床で1限講義に行くこともあったが、やはりパフォーマンスは低下していたのだ。
  ちなみに24時間×7日を28時間×6周で過ごしていた時期もあったが、あれはあれで案外うまくいっていた……ような気がする。

  7:30起床、シャワーと朝のみだしなみで30分、自転車通学で十数分、学食開店が8:20、そして8:45に1限講義開始。楽しい時間だった。


  やりたいことと、やらねばならないことが、それぞれたくさんあって大変。


  プレイ済みゲームが大台に乗った。
  (※さすがに1000本ではない。ほんの何百タイトル目かというだけ。)



  02/12(Wed)

  日本橋へ十字軍的略だtsu…もとい、買い出しに行ってきた。CD店からゲームショップから模型店から電機店から同人書店までじっくり回ってたっぷり買い込んできた。滞在時間は12時から18時まで、ほぼ丸一日。ただし、途中から小雨に降られて、さらに帰路の電車は帰宅ラッシュに巻き込まれて難儀したが、そのくらいは仕方ない。
  欲しかったものの多くが店頭在庫に見つけられたので、喜び勇んで購入した。さすがはポンバ、品揃えが充実している。財布は軽くなったけど、泣かない。むしろ喜べ。喜びに咽び泣け。

  AZONEの新しいエッチング眼鏡(オーバル)が1000円に値上がりしていた……。さすがにこれは、手を出しにくい価格だ。幸いにもジーストアには、旧版が以前の価格&割引(800円→640円)で売っていたので、そちらを2枚(4個分)購入した。これでまた自宅に眼鏡っ娘フィギュアを増やしちゃるけんね。
  (※イタズラを宣言する時にエセ広島弁[?]を使ってしまうのは『FF6』のせい。)

  さて、読まねば。作らねば。聴かねば。観なければ。プレイしなければ。鑑賞しなければ。
  そして、所持リストにも記録しておかなければいけない。

  店内でどれを買おうかと検討している最中に、ふっと自制心が失われて一気に買い込んでしまいそうな気配がしたので、急いで意識を引き締めた。危ない危ない。おかげで今回は財布が底をつくことなく、無事に帰れた。(無事か?)

  今日一日の出費は悲惨な額になったが、あらかじめ予想していた程度の金額だった。つまりこれはあくまで予想の範囲内の支出にすぎないのでなんら問題ないのだ。
  (※詭弁。「予想していた(=単なる事実の記述)」と「予想の範囲内(=予想し得た程度のマイルドな事態だという評価)」の間で言葉の意味をずらしており、さらに「予想の範囲内」だから「問題ない」という飛躍を行なっている。)

とあるお店のレシート。「萌え系玩具」という登録名に笑ってしまった。買ったのは、たしか「ねんどろいど」のジャンクパーツ。

  エマール(P.-L. Aimard)の演奏は、今聴いている最中だが、かなり気に入った。ピアノらしいリズムが面白いし、「あれっ、こんなところに装飾が入るんだ」という楽しさもある。この曲のピアノでの演奏は、Sokolovのディスクを聴いたことがあるが、そちらはよく憶えていない。

  クラシック界隈には「ソコロフ(Sokolov)」と「ソロコフ(Sorokow)」がいるので紛らわしい。日本で言えば、「高橋(たかはし)」さんと「片橋(かたはし)」さんみたいな感じだろうか?

  えっ? 上の写真に? またドールを買ったのかって? んー、知らんなあー。(悪辣な笑み)
  [ https://www.azone-int.co.jp/?sid=cct203&jcd=4560120209784 ]


アクセス統計を見たら、このブログへのアクセスはこんなふうになっていた。ごめんよ、うちはそういうのは置いてないんだ。
  ちなみに、検索ワード「こーりゃく」で来る人が少ないのは、おそらく総合wikiや余所のサイトに行っていることも原因だが、うちのブログで「こーりゃく」の言葉を意図的に避けているからでもある。まさに今ここで「こーりゃく」と書いているのも、検索避けのため。そもそも難易度の低いタイトルだし、総合wikiを一通り読めば十分対応できるだろう。


  ゲームをプレイしていると「ゲームこそが最も素晴らしい」と思うし、読書をしていると言語芸術の奥深い世界に感動するし、漫画は漫画で目も眩むような圧倒的な表現世界だし、音楽を聴いていると「音楽が一番好きだ」と思うし、演劇に接すると「これこそが芸術の究極の姿だ」と思うし、自力で大型プラモデルを完成させた時の手応えと満足感は他ではなかなか得られないものだし、フィギュアやドールを眺めていると心から嬉しくなるし、絵画もいつまでも見飽きず眺め続けていられるし、優れた映像作品(映画からアニメまで)はほとんど魔術的な桁違いの魅惑をもって心地良さや劇的体験を与えてくれるし……。もちろん、「最高」をどれか一つに絞り込む必要など無いのだが。人間世界はこんなにも豊かだ。
  ただし、建築や食文化はよく分からないし、写真もろくに知らないし、ペット(飼育)には結局近づけなかったし、スポーツには興味が無いし、ボードゲームもほぼ無経験だ。


  ところで……ねえ、あなた(わたし)はベッドの上に盛大に散らかしている大量のオタクグッズを、今晩どこに仕舞うおつもりなのかしら? あなた(わたし)には寝床が必要なのだということを、かしら・かしら・ご存じかしら~♪


  三白眼キャラは良い……心が洗われるようだ……。


  藤咲氏の方も同じ2/12誕生日設定なのか……。こういうふてぶてしさは好き。


  お互いに「3倍返し」を続けたら支出はどうなるか。1年目は二人合わせて1+1*3=4。2年目は9+27、3年目は81+273…という単純な計算なので、5年間続けると総額は最初の金額の29524倍になる。10年だと17億4339万2200倍。


  [ https://www.youtube.com/watch?v=jTWaIBZ3tMQ ]
  47:50頃からのリアクションが面白くて、聴き返してしまう(※話題自体は45:40頃から)。まあ、18禁もの(ゲームや同人誌)などのデリケートな物品は透けない黒袋に入れられることがあるので、分からないではない。
  それはそうと、村串氏はオタク系webラジオパーソナリティとしてもおそろしく優秀な方だと思う。Laplacianはいったいどうやってこんな人材を見つけ出して来られたのか……。



  02/09(Sun)

  時間が足りない。やりたいことはいくらでもあるのに。すべきことがたくさんあるのに。出来るかぎりいろいろこなしているつもりなのに。楽しいことはこんなにも多いのに。時間が足りない。

  昨日は久しぶりに塗装作業をしていた。良くない姿勢で座っていたせいか、今日は臀部の筋肉が痛い。また、塗装したパーツ群を組み立ててみたら、予想以上に派手なカラーリングになってしまった。エナメル塗料で軽くコーティングして色調を整えよう。


  岐阜県出身キャラなんて珍しいと思ったら、どうやら刀ネタの作品→美濃鍛冶→岐阜県人キャラという趣旨で設定されているようだ(※たぶんこの理解で合っている)。


  他の条件が同じならば、職場に近いところに住む方がよいと思う。唯一最大の理由は、通勤時間のロスがバカにならないこと。言い換えれば、人生の時間が削られてしまうこと。
  [tw: 1225981167473545216 ]:こういう異論もあるが、説得力に欠ける。
  1) 遅刻の時に、電車が遅延したと言い訳できない。→そんな誤魔化しをする必要は無い。言い訳としても不味い。そもそも遅刻はしないものだし、通勤時間を減らして生活の余裕を作れば遅刻しにくくなる。
  2) 残業で、終電を理由に帰ることができない。→そもそも終電を超えるような異常な残業を想定することがおかしい。あるいは、もしもそれほど過酷残業が常態化しているならばなおさら、せめて通勤時間を短くして人生の時間を確保すべきだ。
  3) 緊急事態の時に呼び出される。→たいていの仕事では、ごく稀な事例だろう。仮にあるとしても、毎日の通勤時間短縮と差し引きすれば莫大なプラスになることに変わりはない。そもそも、休日ならばコールに応じないとか、出掛けていると嘘をつくとか、なんでもいい。むしろ逆に、交通機関のトラブルが生じても自力通勤できるというメリットもある。
  4) 定期券を有効利用できる。→そのような状況はそれほど多くないだろう。例えば自宅最寄り駅から中心街経由で通勤している人の場合は、中心街への定期券を使えるかもしれないが、節約できる金額はせいぜい月1000円かそこらだろうし、日々の通勤時間短縮のメリットと比べれば微々たるものだ。

  通勤の時間を楽しめる人(鉄オタだとか自動車運転が好きだとか)や、通勤時間を有効利用できる人乃至条件(例えば読書)ならば、長時間通勤でも良いけれど、そうでない場合は通勤時間を圧縮することには大きなメリットがある。
  ただし実際には、職場近辺は家賃相場が高いとか、街中ではなく静かな住宅地に住みたいとか、転勤や転職等の可能性があるので立地に拘る意味が薄いとか、帰宅時に好きなショップに立ち寄れるところに住みたいとか、さまざまな事情が生じるので、なかなか職場の近くに住むことは難しいと思う。
  私の場合は、大学のごく近場に部屋を探したのだが、なかなか良い条件のものが無かった。近隣府県の研究会に行くことも多いので、交通アクセスの利便を重視して選んだ。

  大学生の場合も同じことが言える。キャンパスの近くに住めば、1)通学費が安い(「会社からの補助」なんてものは無いわけだから、ストレートに家計負担に関わる)。2)朝もギリギリまで寝ていられる。3)講義以外でも気軽に大学に行ける(図書館利用やサークル参加もあるし、ドロップアウトの可能性も低くなる)。等々。デメリットはせいぜい学内ストーカーの危険が多少増すというくらい。ただし、アルバイトに関しては、大学から多少離れたところに住んでいると、「大学」と「自宅」の2つを拠点にしてそれぞれの近隣でバイト探しができるというメリットはあるかもしれない。
  下宿が近い学生は生活が不規則になりやすいという側面はある。それに対して自宅通いの学生は、早めの時間に帰宅する習慣が出来ていて、たいそう真面目に見えたものだった。しかしこれは通学距離の問題ではなく、親の目があるかどうかという要因が大きいだろう。

  学生時代は、最初は一乗寺(通学は自転車で15分弱)、次も一乗寺(15分強)、それから浄土寺(10分強)に住んでいた。特に浄土寺では、自転車で大通りを回り込んでいくよりも徒歩で吉田山を突っ切っていく(直進する)方が早かった。
  修学院に住んでいた知人は、「冬は寒くて大学に行きたくない」とこぼしていた。これは自転車で20分という距離の問題だけでなく、やはり「修学院は寒い」という事情だろう。

  知人の教員には、神戸から滋賀の大学に行っていたという人もいる。週一日だけの非常勤だったらしいし、JR新快速なら片道1時間半程度で……うーん、時間の無駄だ。しかし、分野によっては「この講座を教えられるのは、この地域ではこの先生1人しかいない」という場合もあり、やむを得ない時もある。


  今月の新作チェック。最近のアパタイトは祖母もの(高齢女性もの)を立て続けに制作しているが、この超ニッチな趣向で、売れているのだろうか……? 世の中は広い。


  欲しいものリストが溜まってきたことだし、そろそろ日本橋へ買い出しに行きたい。前回(昨年12月)は模型展示会に参加しただけで、周囲はほとんど回らなかったし、その前は昨年8月になるのでかなり間が空いている。とはいえ、この寒い時期に出歩きたくはないのだけど。

  長らくgetchu通販を使っているけれど、近所のPCゲームショップで予約してもいいかなという考えもある。店内の雰囲気は楽しそうだし、定期的に足を運んでいるから「できればちゃんとお金を落としていきたい」という気持ちもあるし、大手通販以外のショップが存続してくれることには大きな意義があるので。
  とはいえ、店員さんから話しかけられたら怖いので、二の足を踏んでいる。

  販売価格を比べてみると、かなり上下が激しい。特典のつけ方によるところもあろうが、getchuの方が1000円以上安かったり、逆に近場のショップの方がかなり安かったりする。getchuの場合は通販手続の費用が加算されるが、ほんの数百円なので気にしなくてよいだろう。
  真面目に節約するならば、getchuとショップを比較して、タイトル個別に安い方で予約するというのが合理的だが、さて、そこまですべきかどうか。今月の発売タイトルを見比べてみた感じだと、ショップと使い分ければ1割程度は安くできそうだ。ショップ(のサイト)の販売価格と見比べるのに掛かる時間は30分足らず。その程度の手間でお金が浮いて、それでロープラをもう一本買えるなら、悪い話ではない。(※節約になってない。)
  とりあえず来月発売分から、店頭予約と通販予約を平行してやってみよう。



  02/05(Wed)

  『アビス』。今回は総集編ではなく完全新作の劇場版だし、背景美術と井澤氏のために、数年ぶりの映画館に行こうかなあ。あの環境はけっして好きではないのだけど、ディスク発売まで待つのも長く掛かるし、やむを得ない。
  以前にも書いたけど、大型映画館の問題点は、1)上映前のCM連打が嫌。2)それでいて開始時間は不規則にずれ込むので、本編開始にぴったり合わせて入ることが困難。3)隣席に変な人が来たり、前の席でモゾモゾ動く人がいたり、上映中にスマホの発光や着信音などのノイズを出す人がいたりする。4)なんでもかんでも大音量大画面で、デリケートなシーンも台無し。5)実際の視野におけるサイズは、むしろ自宅の(PCやTVの)ディスプレイより小さい場合もある。
  自宅で視聴する分には、そういう不快さを避けて作品に集中できる。

  以前に行った時は、すぐ隣の席に画面をスマホ撮影している輩が来やがったからね……。私はそういうのを看過しないので、当人にやめなさいと言ったし、上映後に受付にも通知したが、そういうのに関わること自体が映画体験を大きく損なうし、逆恨みなどのリスクもある。

  演劇やコンサートであれば、上記のような問題は非常に少ない。クラシックコンサートでCMを流したりする筈が無いし、舞台からも生身の人間が見ているわけだから撮影者も出にくい。舞台の高さやホール角度のおかげで、他の観客が視界を妨げにくい。映画館の場合は、下手なところだと急角度の見下ろし座席になっていて、前の観客の動きがかなり目障りになる。
  ※ただし、舞台用劇場でも、例えば宝塚歌劇の2階ホールはかなり急角度で、「座席に深く座って下さい。身を乗り出さないで下さい」とスタッフが注意して回っている。身を乗り出すと、後ろの座席の視界を大きく遮ってしまうからだ。


  左右の方角が分からないということは無いけれど、プラモの両手パーツを見て瞬時に左右が判断できず、「えっと、これは左右どちらの手だっけ」と向きを変えて確かめることはよくある。これは具体的形状の把握の問題であって左右の認識とは違うのだろうし、私以外の多くのモデラーもこのややこしさには日々直面しているだろう。


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  まったく違うと思う。アダルトゲームのタイトルロゴは総じてシンプルだし、安易なパステルカラーはそれほど使われていないし、配色もきちんと整理されているし、文字間隔などもコントロールされていて読みやすい。要するに、アダルトゲーム(少なくともフルプライス)のロゴはまっとうなハイクオリティのものであって、まるで比較にならない。アダルトゲームっぽいというのは、完全に見当違いだと言うべきだ。
  似ているとしたらパチンコかなあとweb検索したが、そちらはそちらでずいぶん違っているようだ。パチンコのタイトルロゴは、「文字間をぎっしり詰めている」、「文字の一部を図像化している(上の例でいえば「冬」の中に雪だるまデザインが入っているような)」、「無節操にカラフル」、といった特徴は、上のサンプルと共通している。しかし、そういう過剰装飾に加えて、「どぎつい原色(特に金色=イエロー)」や「トゲトゲに尖ったフォント」という要素も盛り込んでいるようだ。


  きまぐれにガチャポンを回してみたら、5種類のうち、一番要らないものが2連続で出た(※確率4%の、最悪な結果)。さらに2回続けたら、「ハズレではないがあまり嬉しくないもの(=限りなくハズレに近い)」と「一番要らないもの(3個目)」が出た。うーむ、なんという歴史的大敗。
  4回チャレンジして、2/5の当たり(欲しかったもの)を一つも引けない確率は、約13%になる。おおまかに言えば、同じことを実行したら7人に1人はこういう結果になるくらいの確率であり、つまり、それなりにあり得る現象なのだ。しかし、人間は、「そんなにひどいことにはなるまい」と無根拠に楽観して失敗することがあるのだ。
  実のところ、4回分の費用は、ばらし売りの当たり2つを購入するのに十分な額だし、その方が確実だ(※正規入荷店舗のばらし売りであれば、基本的にはメーカー側も損にならない)。
  長期的に見れば(大量に反復すれば)もっとベターな結果に収束していくのだが、そもそもガチャポンは大量にやるものではない(大量にやる意味が無い)。また、「お金を掛けたのにその日は成果ゼロだった」というのは心理的ダメージも大きい。つまり、短期的なリスクは明確に存在し、しかもそれは避けられない。
  結論:額が大きかろうが小さかろうが、ギャンブルはやるものではない

  しかも本物のギャンブルや籤は、さらに条件が悪い。つまり、平均的にみれば間違いなく大幅なマイナスで終わる。1)まず胴元がごっそり取っていくし、2)籤の場合は確率どおりに損をするだけだし、3)技量が影響するゲームの場合でも中級者以下はただのカモで終わるし、4)上級者になれるほど時間を掛けるならばその分を他の生産的な活動に費やす方がリターンが大きい。

  そもそも、普段はガチャポンは一切やらないスタンスだった。お金を入れるのは、「ラインアップのどれが出ても満足である」と確信できた時だけだった。今日は、魔が差したというべきイレギュラーであり、そして、不幸にして最悪の結果になってしまった。まあ、要するに、ギャンブルに関しては、「手を出さない」のが正しい選択であり、ギャンブルを実行してしまう時点で、すでに間違った選択をしているのであり、すでに失敗しているのだ。

  ダブり3個のうち2個は、そのままガチャポンエリアに置いてきた。不要物放置ではあるが、ランダムで出てきたものを交換し合うのがガチャポンだし、私には要らなかったが欲しい人はそれなりに多い筈のアイテムだし、おそらく誰かが持って行ってくれるだろうと期待することが十分出来るので。私自身はただ損をしたことになるが、まあ仕方ない(※中古に持って行って換金することもできるが、100円以下の端金だろうし、売却[査定待ち]の時間も惜しい)。

  今日は良い感じのフィギュアや面白そうな漫画も買ったので、十分にプラスになっている。


  映画を観てきたが、今一つだった。バトルシーン表現はこなれていないし(※カメラが寄りすぎで画面の立体感が乏しい)、脚本面も行ったり来たりであまり整理されていない。特にナナチの行動のブレが2時間映画だと説得力を欠くし、階段上昇も漫画の中では一つのエピソードとして溶け込んでいたが、2時間映画に切り出すとその作為性が露骨に目立ちすぎる。劇伴のつけ方も大袈裟で好みに合わない。例えばボンドルド初登場シーンも仰々しくしすぎだし、ボーカル入りBGMを多用するのも本作全体の趣向に合っていたのかどうか疑わしい。背景美術も、施設内の金属的な質感表現や処置室の薄暗い雰囲気は良かったが、TV版のような戸外の豊かさは味わえなかった。見所は……R-15のヘソ刺しシーンとグロい魚の解体シーン?
  ボンドルドも、今回の映画版では、「『愛』という言葉で糊塗しているだけのただの残虐冷酷な悪人」にしか見えなかった。原作(漫画版)から、テキストもストーリーもほとんど変えていない筈なのに、この印象の違いは何だろう。今回の映画の範囲外(その前後での描写)が抜け落ちたせいだろうか。振り向きの動きがせかせかしていたのも気になった。個人的には、もっと冷え冷えとした超然的な不気味さを期待していたのだが、そういう見せ方ではなかった。
  プルシュカ役の芝居も、無難すぎて魅力に欠け、周囲の激しいドラマの中で埋もれてしまっていた。あんなにぼんやり演じられたのでは、夜明けへの憧れもリコたちへの友愛も何も、視聴者に迫ってこない。もったいない……。
  全体として、けっして悪くはないが、どうにも掘り下げが足りない。


  『黎明記』記事は、ひとまず完成とする。まだいくつかのアイテムの価格調査が済んでいないが、だいたいの金額は推測できるだろうし、システムの大枠は把握できる筈だ。



  02/02(Sun)

  興が乗ったので、新記事:「『神楽黎明記』各種データ」。

  私にとっては攻略の醍醐味は、攻略プロセスの構築にある。効率性と確実性を両立させるような調査手法を構想するのが面白いのだ。どのような項目を調査対象とするか。それらに対してどのような順序で取り組んでいくか。個々の調査はどのようなアプローチにするか。等々。それらを考えていくのが最も刺激的だ。もちろん、考えるだけではなく、現実にそれを実行していくし、その途中でやり方を修正したりもする。
  例えば成長パターン調査であれば:各ユニットをどのレベルまで上げていくか、どのユニットを実際に調べるか、ゲーム中のどの段階で実行するか、どの敵を倒せば効率的に経験値取得出来るか、成長パターンの仮説はどのように設定するか。等々。

  今回の調査でも、例えば以下のような考慮がある。
- 武器防具の基本売却価格を調べるかどうか。意味があると判断した。
→ 精錬値に応じた売却価格上昇を先に調べておけば、各武器の売却価格が確定できる。
→ それを調べるには、精錬値上昇のないプレーンな武器1本と十分な資金が必要になる。
→ 精錬値ゼロの武器を探しながら、ついでに妖怪出現データを取っておくと効率的。
→ 何種類の武器を調べるか。3種類くらい調べて、同じだったら全て同一と見做す。

- 防具は自由に精錬できないので、各精錬値のものを一々記録or保管しておく必要がある。
→ 防具は後回しにして、武器から調べていく。
→ 一々メモするよりも、倉庫を大きく拡張して何種類かの防具を大量に収集するのが楽。
→ 売却価格上昇量の変化を記録し、比較し、規則性の有無などを調べる。

- 精錬時の費用を調査するかどうか。意味があると判断した。
→ 種類によるパターンの違いがある可能性がある。
→ 同一の武器で、精錬値ゼロや「曇りなき」「状態異常」付きなど複数のタイプを保持。

- 武器防具の特殊効果を調べたい。
→ どの要素を調べるか。貫通、岩破壊、範囲攻撃を対象とする。それ以外は省略。
→ まとめて調べる方が楽なので、全種類の武器を揃えてから実行する。
→ 売却価格調査の際に、できるだけプレーンな状態の武器を一本ずつ保管しておく。
- 調査しやすいマップを選んで実行する(岩出現、雑魚敵の種類など)。

  例えばこんな感じに、効率性(手順の無駄がないこと)と情報確度(隙がないこと)の間で、バランスを取りつつ調査手順を構想し、そして実行している。


  1月分の家計簿をつけたら……ひぐっ、こんなに……。やはり新しい趣味領域を開拓するとお金が掛かるが、これは幸福と充実の代価なのだ。自分で良いものを選び取って良い人間的創造の成果を受け取っているのだから、けっして泣くまい、後悔すまい。


  うーん、そんなのを肯定的にRTしてしまってよいのか?
1) 「年増」という言葉は、女性のみを対象として、
2) 年齢(加齢)をあげつらうものであり、
3) おそらくほとんどの場合、それ(加齢の事実)を見下すことを含意し、
4) 知識や体力の問題ではなく、男性に対する女性の性的魅力の文脈で使われがちであり、
5) 限りなくホモソーシャルな、男性どうしでの笑いであり、
6) さらに、それを性的サービス業と結びつけるイメージとして述べ(「○○園」)、
7) それをSNSという公然の場で広言する、
というのは、2020年のまっとうな良識に照らしていえば、もはや何重にもアウトな真っ黒発言でしょうに……。仮に冗談でも絶対に口に出来ないし、もしも仮に事務室でそんな発言が出たら周囲は凍り付くだろう。そして、オフラインの場だけでなく、それがSNSでの発言であっても、あるいはそのような発言を冗談として肯定的にRTする(つまり第三者にまで見せる)のであっても、顰蹙行為になることに変わりは無い。同じことなのだ。献血イラストの件にいろいろコメントするのもいいけれど、その前後にそんな投稿をRTしていたら説得力を失いかねない。ご自身の信用に関わることなので、もう少し認識を改めていただけぬものかのう……。お色気っぽく見えるかもしれないポスター(をたまたま引き合いに出してしまって申し訳ないが)と比べても、同じ理路の批判に服すべきものであり、なおかつあまりにもストレートで露骨で、言い訳の余地のないものだ。それを意識できるどうかは、良識の問題であり、モラルの問題であり、デリカシーの問題であり、慎重さの問題であり、想像力の問題であり、そしてなによりも知性の問題なのだ。
  まあ、「男性である」というのは、同時代の性差別の問題に対して胡座をかいていられる――つまり鈍感なまま過ごしてしまえる余地の大きい――境遇なのだし、そしてまた、一個人があらゆる(性)差別の問題に対して完全に無謬である(100%正しく振る舞う)ことはきわめて困難なのだが、しかし、それでも、まあ、あの、えーと、その、さすがに、もうちょっと、ね……。それはもはや、冗談としてもまるで笑えないし、ブラックジョークとしての刺激すら持たない、ただの剥き出しの女性蔑視的振舞いであり、まともな大人であれば(仮に思いついたとしても)絶対に口にしてはいけない代物だろう。どうかくれぐれも気をつけていただきたいものだ。(※当人はおそらくこのブログを読んでおられないと思うけど。)


  複数対複数(多対多)のことを「n対n」と書く人は初めて見た。nは自然数を指すので、n=1(つまり一対一)も含んでしまうのだが、その人物は明らかに「一対一ではなく、それぞれ2人以上」のつもりで「n対n」と書いている。もちろん、双方のアクターがそれぞれ一人だったり多数だったりする任意の状況を総称して「n対n」と書く場合はあるが、それとは違うよなあ。


  (→3月1月