2020/03/31

2020年3月の雑記

  2020年3月の雑記。(→4月2月

今月の一枚はフリュー「ラム」(狼)。フィギュアをいろいろ買っていると、この姉妹は「よく分からないが、ものすごくコスプレ好きなキャラなんだろう」という認識になってしまう。一応、原作(小説)は3巻まで読んでいるし、物語の概略はweb上の情報で把握している。


  03/28(Sat)

  [ https://ci-en.dlsite.com/creator/5648 ]
  ひそかにJORI氏がこちらのページを公開されている。期待して見守ろう。

  [ https://ci-en.dlsite.com/creator/1736/article/228732 ]
  ちなみに「プララジ」の方は、いきなりクリエイター退会してしまうのではなく、しばらくの間はアカウント維持される見込みのようだ。とはいえ、いずれは閉じられてしまうのだろうけど。権利承継先がラジオCDとして販売してくれたら嬉しいのだが。

  権利譲渡してしまったということは、SHCスタッフによる公式(?)同人誌も、今後は難しくなるだろう。少なくとも、ゲーム製品版の原画などを勝手に使うこと(あるいはそれを許諾すること)は出来なくなると思われる。


  アニメ『BNA』には長縄氏が主要キャラとして出演。真率さとデリカシーのある芝居で、若手の中では特に深く信頼している役者さんの一人なので、期待して視聴したい。


  [ https://wikiwiki.jp/kancolle/%E5%B9%B3%E6%88%B8 ]
  商業ゲームのCGで眼鏡の度入り表現(レンズ屈折表現)をしているのは、初めて見たかも。アダルトゲームには、「レンズの透過度変更コンフィグ」や「眼鏡on/off選択肢」などはあるが、度入り表現をしているものは記憶に無い。


  新記事:「『聴いてくれたら胃~之煮駄宴』各回の概要」(第14シーズン)。
  第13シーズンの「8%~」の記事が完成したので、最新シーズンもページを作っておく。


  [ https://www.youtube.com/watch?v=4dHAOG9K3Uo ](※5時間22分)
  [ https://www.youtube.com/watch?v=XWn2FHgHm8g ](※4時間36分)
  あさみ氏に倣って「RG アストレイ 天ミナ」を作ってみた。非対称デザイン、ツヤツヤの黒パーツ、ハイヒールなど、なかなか面白かった。アストレイシリーズの中での違いも見て取れたし、凝ったパーツ分割や各部のストッパー構造なども楽しめた。

  私はランナーを水平にして、横からニッパーの刃を入れていく。刃を入れるところが見やすいし、ランナーの位置が低いので落下事故も起こしにくい。切断したパーツも、ほんの5cmくらい真下に落ちるだけなので紛失リスクはきわめて低い。ただし、刃を入れる向きに応じて、ランナーをクルクル回転させなければならないのが面倒。
  上の動画を見ていると、ランナーを片手に持って正面に立てて、そこにニッパーの刃を垂直に(つまり体の前方へ)差し込んで切断していくというスタイルで作業しておられる。こうすると、手許でニッパーの角度を変えるだけで様々な向きに対応できるのが分かる。こうする方が作業効率が良いし、工具の扱いに慣れていればトラブルの可能性も低いだろう。感心したポイントの一つ。


  「実は幼時に出会っていた(と判明する)」ネタは、00年代末頃から10年代の全体を通じてずいぶん多用されてきたように思う。どのあたりの作品がきっかけなのか。どうしてこんなに多用されるようになったのか。
  90年代の『恋姫』『ToHeart』の頃にもその種のシチュエーションはあったが、当時のそれらは「幼馴染」設定を追加する効果のためであったように思われる。それに対して近年のストーリーでは、子供の頃に大きな影響を与えていたという側面が強調されがちだ。それはたしかにロマンティックでドラマティックなものだが、個人的にはあまり好きではない。恣意的な結びつけだし、作中の人間関係を狭く閉じてしまうし、幼時の体験に人生の目標や価値を還元してしまう姿勢はいかにも退嬰的だと感じる。2010年代のこのような作為的で内向きな辻褄合わせ志向には、どうしても馴染めなかった。


  木村氏(MAIKO名義)が出演されているので『創神のアルスマグナ』を購入。攻略冊子が付いてくるのが嬉しい。ボウガン持ちユニットのようなので、さっそくバンバン射ちまくらせたいが、すぐにプレイする時間が取れるかどうか。
  別のお店では、中古コーナーに『帝都のユリ』を見つけた。「二・二六事件」をモティーフにした百合軍隊もの。原画は相川氏(のちに『クライミライ』シリーズなどを担当する)。Win98時代のタイトルだが、はたして最新OSで動作するのだろうか?


  EGScapeにも、各タイトルのSteam版へのリンクが貼られるようになった。時代に合わせた対応はありがたいかぎり。


  ベッドシーンでの流血on/offコンフィグを付けて下さらないものだろうか。どうしても痛々しく見えてしまうので。
  現実には、むしろ正反対に、それが破れた瞬間に赤いフラッシュ演出をするというひどいタイトルすら存在する。しかも、女性視点というわけでもなく、明確な男性主人公視点のテキストなのに。さすがにそういうのは要りませぬ……。


  [ https://www.wani.com/product/486269697x/ ](※リンク先は18禁注意)
  紅村氏の単行本も(遅まきながら)買ってきた。
  ソフトハウスキャラに関わった方々が幸せになりますように。

  動画撮影しながらのシーンで、各コマの輪郭が丸くなって動画撮影中の画面のようになり、漫画のコマの縦横比もスマートフォンのアスペクト比っぽい縦長になるという……しかも、素人動画らしく各コマが微妙に斜めに傾いたりしている。ギャグなんだか離れ業なんだか分からないが、初めて見た新機軸の演出でたいへん面白い。

  86ページの1コマ目は、男性のそれの全体像が漫画に描かれたサイズとして最大級の一つではなかろうか(※単行本の縦幅全体を使っており、約17cmに及ぶ)。

  無駄ゴマが無くて非常に洗練された漫画作りになっているのも、相変わらずの腕前。特にコマの縦長/横長のコントロールがきれいなので、スルスルと読める。

  女性キャラクターの内面造形も、商業アダルトコミックとしては非常にしっかりしている。つまり、「導入部での行動原理」と「濡れ場での言動」の間できちんと筋が通っており、キャラクターの性格設定が一貫している。その意味で、「(ちょっと奇抜な思考の)キャラクターを楽しむ短編漫画」としても読むに堪えるものになっている。

  作中の時間継起が、堅固に安定したテンポで描かれているのも良い。つまり、コマやページの切り替わりで作中状況がポンポン飛んでしまうことが無く、強固なつながりのあるコマ組み進行が形作られている。濡れ場でも、二人のポージングがきちんと連続性のあるかたちで描写されている。脚本(ネーム)の筋道をきちんと設計して制作されているのだろう。
  今回の新刊には9本(+おまけ)の短編が収録されているが、そのうち4本が完全な単一シーン構成になっている。つまり、別の場面に飛ぶことが無く、作品全体が一つのきれいな流れになっている。それ以外の5本も、全体が一両日中に収まるストレートな構成だったり、時間的に離れているのは最初の導入(ほんの半ページ)やオチの一コマだけだったりする。これは前回の単行本にも見出された傾向であり、紅村氏の明確な特徴の一つと呼んでよいだろう。
  他の成人漫画のベッドシーンでは、二人の絡み合う姿勢がどんどん切り替わっていくものも多い。それはたしかに、限られた紙幅の中で様々なポージングを効率的に提供するための手法だと言えるが、しかし読みづらいし、漫画の作りとしては褒められたものでもないと思う(――そのようなアプローチは、究極的には漫画ではなく「(セクシャルな)イラスト集」になってしまうだろう)。

  「ポージング」と述べているのは、つまり、行為の最中のそれのこと。だって、「たいい」とあからさまに書くのは恥ずかしいし……(カマトト)。「ラーゲ」と書くのはさすがに古すぎるか。


  冬場は吹きつけ塗装がつらいので、最近は水性塗料を買ってきて机でちまちま筆塗りしている。修正も容易だし、わりと楽しい。ただし、全塗装までは大変なので、部分塗装だけで済ませたり、全体をエアブラシ塗装してから一部筆塗りで手を入れたりしている。さすがに戦車の迷彩塗装までは手が出ないけど。


  ガチャポンを回す時は:
- 無駄遣いをしないように自制する。これが大前提。
- どれが出ても良いと覚悟した場合にのみお金を投入する。
- 運には頼らない。確率も過信しない(例えば成功率80%でも2割は失敗する)。
- ただし、ほんのお遊びや、いわゆるお布施のつもりで、割り切って回すことはある。
- 心の中で「がちゃがちゃきゅーっとふぃぎゅあっと♪」と唱える。
だいたいこのくらいの心積もりでいれば、ほどほどに楽しめる。

  00年代前半のうちには、ガチャポンフィギュアは比較的まともな造形水準――2020年現在の目で見直してても鑑賞に堪えるレベル――に達していたと記憶する。ヒーローものやロボットもの、さらには女性キャラのガチャポンもすでに存在し、日本橋でも、ガチャポンのバラ売りやセット売りをしている中古ショップがいくつも出来ていた。美少女ゲーム関連でも、『ToHeart』のカプセルフィギュアもこの頃に出ていたと思う。そんなふうに回顧してみると、2006年発売の『ふぃぎゅ@メイト』はアンテナ感度が良かったのだということに気づかされる。
  その後、00年代末から10年代前半に掛けては、アクリルキーホルダーや缶バッジ、携帯ストラップなど、ミニチュアフィギュア以外の様々な形態のアイテムが一気に拡大していった。高額フィギュア市場の拡充期でもあったし、「ねんどろいど ぷち」のような中価格帯のアイテム(500円程度のトレーディングフィギュア)も現れた。そうした中で、200~300円のガチャポンフィギュアのプレゼンスは低下していた。
  さらに10年代半ば以降は、多色造形ラバーストラップのような凝ったものが増えたり、ミニチュアフィギュアが改めて飛躍的にクオリティアップしたり、非常にマニアックなネタのガチャポンが多数登場したりして、ガチャポン分野の風景はさらに変化した。2020年現在は、ガチャポン市場はかなり活況で、オタクショップはもちろんのこと、Yodobashiのような量販店にも大きなガチャポンコーナーが設けられるようになっている。
  ……というのが、私なりの歴史理解なのだけど、これはどのくらい妥当なのだろうか。正しいかどうかはよく分からない。


  事実上すべての人に「発病→急死」の可能性があるわけだから、遺言を書いておくべきなのかもしれない。自分のためではなく、家族のためでもなく、この自宅のオタク文化財を正しく残していくために。(そこかよ)
  親族にオタクはたぶんいないので、売却乃至処分の方法を説明する必要がある。フォーマットは、「種別(書籍、ゲームなど)」、「売却先(中古ショップなど)」、「おおまかな価格見積もり」、「売却の必要性」あたりだろうか。例えば:
●漫画類は、[中古ショップ]などの店にまとめて売るとよい。ただし、一冊せいぜいxx円程度。web検索すれば、連絡方法や売却手続も分かる筈。面倒ならば廃棄もやむを得ない。
●フィギュアは、ばらつきが激しい。簡素なフィギュアは[中古ショップ]が引き取ってくれるが、一体あたりせいぜいxx円。箱付きの大きなフィギュアは1万円程度で売れる可能性があるので、余裕があればネットオークションなどに出してもよいが、、あまり期待しないように。
●パソコンには重大な個人情報が入っているので、HDDだけは[処分方法]の仕方で処分すること。それ以外は特殊ゴミとして廃棄してよい。モバイルやデジカメのデータも、[処分方法]の仕方で中身を破棄しておくこと。
   こんな感じだろうか。専門書は、同業の知人に譲渡してほしいところ。
  いずれにせよ、遺言は、冷静な時に書いておくべきだろう。


  先日のコンテスト。オーソドックスに評価されやすいのは、桜弓兵だろう。コンセプトは素直だが、受け入れやすいということでもある。頭髪のグラデーションや桜模様のディテールなど、細やかな塗装のクオリティが模範的な出来映えだった。おそらくこれが大賞になると予想した。
  個人的には、和服弓兵も良かったと思う。作者コメントによれば、ボディ部分をかなり改修しているようだし、布素材利用も大きな効果を挙げている。ただし、「プラモデルの」コンテストとしては評価しにくいかもしれない。
  もう一つは、カマキリ型シルフィー。元キットをアレンジした想像力の大きな跳躍が素晴らしいし、塗装もかなり精密にコントロールされている。一見するとコンパクトにまとまった小品のようだが、非常に優れた作品だと思う。今回のトップ3はおそらくこの3作品になるだろう。
  義足フレズブェルクは、かなりピーキーなコンセプトで、義足パーツは完全な自作だし、塗装も良く、レイアウトを含めた全体の見せ方も秀逸だった。上記3作品に匹敵する出来映え。バーゼラルドも端正にまとまっていたし、大蜘蛛メガミはたいへん派手な大作で、複眼表現も面白かった。

  現在のガールプラモ分野の水準からすると、私の作品は「コンセプトは程々」「改修はベタ」「塗装は月並」といったあたりの位置づけだろう。配色やシルエット構成に気を遣っているし、異素材利用などの試みも提示できたと思うが、ちょっと素朴すぎる。まあ、グライフェンくんの眼鏡姿とおおらかな笑顔を見せられただけで良しとしよう。

  エントリーは全部で10作はあったと思う。数は控えめだが、ハイレベルな作品が多く、なかなか見応えのある陳列になっていた。


  [ https://tamashii.jp/item/13068/ ]
  BANDAIの「魂ガール」は店頭でも安売りしていたので、S.H.Figuartsシリーズのサンプル(資料)のつもりで購入した。可動は良好だし、真顔ギョロ目キャラは気にならない(むしろ萌える)派なので、私にとってはなかなか良い買い物だった。
  ただし、フェイスパーツやハンドパーツが1種類だけだったり、腰部がオムツ構造だったりするのは、もったいないと思う。web上でも、「フェイスパーツがもっと良かったら、あるいはせめて2種類付属していたら、シリーズの今後を牽引していけるだけのポテンシャルがあった」という趣旨の評価がある。



  03/23(Mon)

  [ http://shchara.co.jp/ ]
  [ https://twitter.com/shchara_tw/status/1241957396865363968 ]
  ソフトハウスキャラが解散か……。最近はセールス面の苦境が見えていたし、やむを得ないところだと思うが、残念だ。こういう事態に対して一ユーザーに出来ることは何も無いので、数千時間を楽しませてもらったことに感謝するとともに、スタッフ諸氏が今後の良い活動機会に恵まれることを祈るしかない。スタッフの実力は確かなものだし、舵取りと広報と市場の風向き次第ではまだまだやれる実力があるので、どこかで……ちょうど直近にご縁があったことだし、NEXTON傘下の「チームSHキャラ」として再出発したりできないものだろうか。
  内藤氏はさしあたり『農家』ノヴェルでやっていけそうだし、JORI氏はPCゲームのプログラミングで十分な実績があるし、笠懸氏らのCG班は汎用性の高いスキルだし、TOM氏と藤山氏のチップ制作スキルも使い勝手が良い。新作ごとに全員協議で企画立案をしてきたとのことだから、プロジェクト運用のノウハウも全員が持ち合わせている。優れた人材揃いだと思うので、関連業界がうまく引き立てていってくれたらと願うばかりだ。

  今後は紅村氏原画のPCゲーム新作は期待しにくいだろうし、大波氏や青山氏や萌花ちょこ氏の出演機会も減ってしまうことになる。もちろん、PC美少女ゲーム分野のSLG新作供給が減ってしまうということでもある。悲しいかぎりだ。

  細かい話をすると、旧作のパッチはその都度の新作DVD-ROMに同梱されているので、ひとまずのサポート機会は保障される。公式サイトの各ページは適宜ローカル保存しておくとよいだろう。体験版やサンプルヴォイスといった様々なファイルがある。
  Ci-enのコンテンツは、クリエイターが退会した場合の処理として、翌月末(おそらく4月末)をもって全削除されるようだ(cf. [ https://ci-en.dlsite.com/about/faq#plan-06 ])。実際には、クリエイター側が退会した時点で各支援者に対して、コンテンツの消滅期日等を知らせる通知が来ると思われる。
  各種webサービス(Youtubeやtwitter)のアカウントが保持されるか削除されるかは分からない。twitterでのみ公開されていた佐々木氏のイラストなどは、今のうちに保存しておくのがよいだろう。最近のタイトル(具体的には『魔剣』以降)は、デモムービーをYTストリーミングでのみ提供していたので要注意。

  Ci-enのファンクラブは順調で、最終的に支援者は2000人の大台に乗っていた。ラジオ趣味者や声優ファンもいただろうが、作品とブランドを応援するファンは確かにいたのだ。

  ゲームメーカーが40年も50年も存続するのは困難だし、いつかはこういう時が来るだろうと考えていたので、個人的には驚きは小さい。しかし、ショックと悲しみは大きい。
  でも、まあ、ダメージを抑えつつ撤退するには、このあたりが潮時だったのかもしれない(というか、スタッフにとってダメージの小さい軟着陸的解散であってほしい)。近作の『悪魔聖女』は小ぶりなAVGタイトルだったし、コラボタイトルの『カリンちゃん』は制作期間が掛かったわりに利益はNEXTONと折半だったろうし……。
  [ https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/611609/blogkey/2528242/ ]
  内藤氏のコメントによれば、「借金苦とか経営難ではありません。話し合った結果の円満解散です。心配はありません」とのこと。スタッフ諸氏にとって納得のいく結論であったと考えたい。ただし、裏を返せば、チーム再結成の見込みは低いということでもある。

  版権はDMMに全部売り払ったということなのだろうか?

  近作でも、『悪魔聖女』ではメカニカルなゲームバランス制御を敢行していたし、『呪いの魔剣と闇憑き乙女』のような深みのある秀作もリリースしているし、『BUNNYBLACK』シリーズや『悪魔娘の看板料理』はBGMともども心地良い雰囲気の作品だったし、さらに遡れば『Wizard's Climber』『王賊』のような力作もあり、華やかなファンディスク『Dancing Crazies』もあり、挑戦的な『南国ドミニオン』や、全てが絶妙に噛み合った傑作『巣作りドラゴン』もあり、最初期の『海賊王冠』や『うえはぁす』も力強い冒険心に満ち溢れていた。どれも楽しい作品だ。

  もはや「ソフトハウスキャラの新作」に出会うことは無いのかと考えると寂しい。

  「プララジ」も、聴けるうちに聴き返しておきたい。ディスク発売されないかぎり、完全に聴けなくなってしまうので。あれこれの手段で私的に保存(録音)しておくことも一応可能だけど。概要記事も書いていくつもり。何が行われていたか、どんなことがあったかを書き残していかなければ、本当に消えてしまうから。

  昔のタイトルはさすがにUIが弱かったりするので、2020年現在の視点でプレイするなら『呪いの魔剣』かなあ。ゲームパートが上手く整理されていて、キャラを動かす手応えの楽しさがあったし、イベントフラグもストーリーと対応していてなかなか面白かった。グラフィクスも、紅村氏原画で非常に完成度が高い。
  個人的な好みとしては、『海賊王冠』の荒くれた前向きな雰囲気、『ブラウン通り三番目』の情熱的な恋愛描写、『Dancing Crazies』の華やかさ、『忍流』のドラマティックな展開、『アウトベジタブルズ』のスコアアタックあたりが特に思い出深い。『LEVEL JUSTICE』のヴァルキルも懐かしいし、『領地貴族』も良いところがたくさんあった。主題歌も、良いものが多かった。『プラネットドラゴン』も、いわば「ソフトハウスキャラによる『宇宙船サジタリウス』」の趣があった。

  18禁という自由な表現の場で美少女ゲームを制作してくれるSLG系メーカーとしては、今後はいよいよもってEscu:deに期待するしかない。上手く生き延びていってほしい。

  致命的な状況に陥る前にスタッフの間で話し合ってブランドを畳むことを決断したのは、潔いし、誠実だし、賢明だと思う(※実態は分からないが、少なくとも対外的には、経営難云々のような泣き言は出していない)。彼等の自発的自律的主体的な決定だということは、ユーザーとしては何も出来ない、何も言えないということでもあるが。彼等が――これまでとは違った場所で――新たな生き方、新たな幸せ、新たな充実を見出してくれたらと願うしかない。

  私は『ブラウン通り』(2003年発売)の頃からのユーザーだから、ほぼ17年になる。人生のうちで本当に長い間、付き合ってきたことになる。ほんとうに長いよね……。20年の長きに亘って29本ものゲームを作り続け、走り続けてこられたことに敬服するし、その恩恵に与った一人としてはありがたい17年間だった。

  主人公一人の視点や物語上の要請に縛られず、大量のキャラクターたちが自由気ままに行動する、開放的な架空世界の「シミュレーション」の味わいを作り出していた。PBM(メールゲーム)の気風を引き継ぐかのようなスタイルをPCゲーム上で実現していたという点で、日本のゲーム分野の中でも突出した個性と独自の魅力を持っていた。『グリンスヴァールの森の中』の学園風景や、『王賊』の各地のアクターたちの利害関心、『門を守るお仕事』『領地貴族』の政治的駆け引き、『その古城に勇者砲あり!』の魔物たち、そしてとりわけ『南国ドミニオン』と『DAISOUNAN』における漂流者たちの関係形成は、「システムが物語(イベント)を作り出していく」というアプローチを見事に体現していた。

  紅村かる氏の新刊(商業アダルトコミックの単行本)が出ているとのこと。買ってこよう。メーカーはなくなっても、関わった人々のそれぞれの人生は続いていくのだ。

  やはりショックが大きい。心が弱ってしまう可能性があるので、おかしな言動に走らぬように自制しよう。悲しみは悲しみであり、やり場もないのだが、それで不用意に激発したり八つ当たりしたり逃避行動に走ったりしても何の得にもならない。私が不幸になっても、その分が誰かの幸福に転換されるわけではないのだし。もはやどうにもならないし、どうしようもない話だからねえ……。

  「プララジ」は、期せずしてソフトハウスキャラの活動軌跡を振り返る総決算のような役割を果たしたことになるのか。不幸中の幸いのようなものだが、スタッフとユーザーの双方にとって貴重な機会になったと言ってよいだろう。JORI氏のラジオトークで、ゲーム制作中の雰囲気について「超絶楽しかったです!」と仰っていたのが、特に印象に残っている。

  各タイトルのOP/デモムービーを流しながら、いろいろ思い返していた。出来具合の波はあったけれど、どの作品にも興味深いコンセプトと意欲的な試みがあるし、プレイヤーとしてもしっかりした手応えのある充実した体験だった。

  いろいろな思いが去来して、明け方まで眠れなかった。失恋よりきついかも。17年間のファンというのは、言ってみれば17年来のお付き合い、あるいは17年ものの懸想相手みたいなものだからね。もっとも、会社を畳んで新作が出なくなるだけ……ではあるのだけど。

  そういえば、ファンクラブ用にCi-enへ払い込んであるポイント(=DLポイント)が余ってしまうのか。放っておくと一年で消えてしまうらしいし、適当に何か購入して済ませよう。

  [ https://ci-en.dlsite.com/creator/1736/article/221199 ]
  「プララジ」第57回。羽賀さんと青山さんからのメールが個別にあって、最後に大笑いしてしまった。それにしても、周囲の人々から愛されるラジオだったんだなあ……。

  風花氏はラジオMCとしての有能さを知らしめたし(民安氏に匹敵する水準)、綾音氏はおそらく業界有数の爆弾娘として名を馳せたであろうから、このラジオはお二人にとっても今後の活躍の機会を拡げるきっかけになったと思う。
  ラジオ開始以前からの友達同士として気の合ったコンビで、終始良い雰囲気だったし、ソフトハウスキャラ作品との関わり(出演)が大きいため内容面でも充実しており、本当に良いラジオが作り上げられていた。羽賀氏や青山氏がゲスト登場するという、とんでもない事件もあったし。



  03/19(Thu)

  資料収集の用があって、また日本橋で買い物をしてきた。
  気に入ったタイトルやクリエイターは、第一作やデビュー作から順番に読んだりプレイしたりしていきたいという欲求がある。ただし、網羅したいという蒐集欲ではなくて、「順番通りにしたい」という一種の秩序観に由るものだ。さらに言えば、「べつに順番通りである必要など無い」という認識も持っているし、そんなに厳格に順番を守っているわけでもない(※むしろ最新作から逆順に遡っていく方が、見逃しも減るし効率的でもある)。要するに「その作家なりシリーズなりの全体を通観展望したい」という意欲であり、これもまた研究欲の一種なのだろう。
  というわけで、買ってきたゲームをさっそくプレイしている。SLGなので時間が掛かること掛かること……。楽しいから文句は無いのだけど、予定がいろいろずれ込んでしまう。


  8800円を出して購入したPCゲーム一本のDVD-ROMは、結局、自分の人生の中でほんの10秒かそこらしか触らない物体だ。パッケージから取り出してドライブに入れるのに5秒。インストール完了してドライブからケースに仕舞い込むのに5秒。たったそれだけ。しかし、そのディスクの中には、こんなにも面白いものがたくさん詰まっており、それを何十時間も享受することができる。もちろん、「物理メディアとの外形的身体的な接触の時間」などというものには何の意味も無いのだが、なんだか不思議なものだ。


  [ https://hibiki-radio.jp/description/gfonpu/detail ](ガルフレラジオ#184)
  「パジャマパーティー、略してPPが」(34:30)。
  「玄関ですか?」(36:40) ※[tw: girlfriend_kari/status/1240261674726240257 ]
  「あー、携帯が落ちた」(41:20)。
  ……天然の度合いが増しておられる……。


  メーカー解散(公式サイト消滅)してしまったタイトルは、修正パッチが入手できないのが辛い。対処法としては、配布サイトに残っている場合があるし、専門誌の付属ディスクにパッチファイルが収録されている場合もあるが、特に後者はあまり期待できないし、あるかどうかを探すのも困難だし……。ものによっては、DL版として復活した際に最新ヴァージョンで販売されていることがあるが、それはそれで二度買いになってしまう(※とはいえ、「買ってすぐにプレイせず、ずっと積んでいたのが悪いのだ」と言われたら、ぐうの音も出ない)。
 00年代半ば以降のタイトルでは、そんなに致命的なバグはめったに無く、ほとんどは円滑にプレイできるのだが。問題になりやすいのは、
  1) 一部の実験的な作品。
  2) 新規メーカーが複雑なSLGシステムに挑戦したタイトル。
  3) 3Dタイトル。
  4) 相性問題が発生している場合。
  5) (バグではないが)追加コンテンツ。
せいぜいこのくらいだろう。テキストの誤字や局所的なスクリプトミスや、特定のCGが回想登録されないくらいであれば甘受できる。

  派手なバグで有名になった最後の事例というと……『Always』(2006年)や『まじかる☆プリンス』(2008年)くらいかなあ。『大帝国』(2011年)も、かなり言い訳がましいアップデータで、SLGパートの運用上致命的な問題になっていた部分を修正した。

  90年代末から00年代初頭までは、特定ヒロインを攻略できないという本物の進行バグも、たまに発生していた。近年でも「(サブキャラ)が攻略できないバグ」という冗談めかしたフレーズが使われるが、当時はそういう事態が本当に文字通りの意味で発生していたのだ。
  00年代前半は、みりす、Overflow、Liar-soft、CLOCKUPがやらかしまくっていたのが大きいが、それ以降は非常にまともになっている。

  『なないろ』、『よりしろ』、hyperspaceあたりも、当時しばしば話題に上がっていたと思う。


  次にプレイするつもりでいたタイトルが、あまり好みではないキャスティングであることが判明してガッカリしている。うーん、どうしようかな。


  「まだ暖房無しでは夜は冷える」(まだ寒い季節であることを述べている)
  「まだ夜は暖房無しでは冷える」(夜間についての話題であることを強調している)
  「暖房無しではまだ夜は冷える」(夜間に焦点を当てている)
  「暖房無しでは夜はまだ冷える」(冷え込みが続いていることを強調している)
  「夜はまだ暖房無しでは冷える」(やや据わりの悪い表現。暖房の必要性を示唆)
  「夜は暖房無しではまだ冷える」(夜間の気温動向に焦点を当てている)
  ……どう書こうか迷った深夜3時。


  先日のコンテストに作品を出したことが、なんだか物凄く気恥ずかしくなってきた。なんだろう、この感情の動きは……。自分の趣味嗜好を他人の前に晒してしまうことへの恥じらいなのだろうか。制作時点では「眼鏡かわいー!」「シナイグレーかっこいー!」「黒髪きれいー!」という気持ちだけで満ち足りていたのだが、他人はそれとは違った様々な視点で作品を見るわけで、素朴な思い入れが相対化されてしまうのは避けられないのだろう。ちなみに、技術的な未熟さに関しては、自分の中で割り切っているので今更恥ずかしいという気持ちは無い。


  今でも私は、「なんでもかんでも萌え絵」「なんでもかんでも美少女化」はけっして好きではない。例えば「なんでもかんでも水墨画」や「なんでもかんでも印象派」では大量のミスマッチが生じるのと同じだ。無節操な萌え化や美少女化を支持するつもりは無い。
  ただし、現在では萌え絵はキャッチーで受け入れられやすいポピュラーな画風の一つとしての地位を確立している。例えば『プリキュア』を視聴する時代の児童には、萌え絵による絵本の方が親しみやすいだろう。また、マスコットキャラやイラストとしては「見栄えの良い若年女性」の姿は総じてポジティヴな印象を与えやすい。例えば中高年男性の絵に比べると、権威的圧迫的に見えてしまう可能性は低い。その意味で、美少女キャラ使用がPRアプローチの有力な一つになっているのは事実だろう。だから、そうした傾向は一面では理解できる(※とはいえ、「女性=サービスに向いている」というステレオタイプの反復および再生産という観点では、依然として問題がある)。
  00年代の「萌える○○辞典」のような本は、萌え絵が様々な領域に進出する先駆的モデルの一つだったと思われる。それらのイージーさ、出来の悪さはちっとも好きではなかったが、観察者として述べるならば、萌えイラストの普及に寄与したという側面はあったと思う。さらに00年代後半には、「萌え○○」や「痛○○」が一気に広まっていった(※一例として、秋田の「萌え米」パッケージは2008年発売とのこと。比較的早い時期の実例だろう)。
  そういう文脈で捉えると、10年代に本格化した「美少女化」(擬人化や女体化)の流れは、「00年代には『萌え○○』イラストという形で他の領域に寄生していたのが、自前でコンテンツを作るようになった(自分の力で金を生むようになった)」と見ることができるかもしれない。ただし、ここでは自立することと内輪化することがコインの表裏になっているが。
  このあたりは現代史、というか、まさに我々自身の話になる。けっして他人事ではない。例えば、こうした萌え進出がすでに顕在化していた2000年の時点でひとまず自分の価値観を確立した15歳以上であった者は、2020年現在では35歳以上の世代に当たるわけだから。


  20年前の作品のことは、みんな忘れてしまうのね……。当時は多くのファンが熱狂していたアニメであっても……。


  あー……いわゆるお笑い芸人のやり方って、本当に「他人を引き下げて笑う」「他人の欠点を指摘して笑いものにする」スタイルなんだ……。それは笑いの最底辺じゃないのか。コミュニケーションの最底辺ではないのか。普段からそういうコンテンツに接するのは避けてきたが、たまたまその種のエンターテイナーが司会を務める映像を見て、心底ガッカリした。

  そういう行態になってしまうのは、部分的には、まあ、理解できなくもない。
  1) 一種の親密感表現。赤の他人に対しては言わないことでも、友人に対してはあえて直言することはある。相手の属性に対する立ち入った言及をも受け入れられる間柄であることを証立てるという趣旨で、つまりフレンドリーさの表現として、相手の欠点を軽く揶揄するという姿勢は、まあ、あり得なくはない。ただし、それは相互の人格的信頼関係という明確な基盤があってこそ成立するものであり、それをTV番組や何やらで模倣しても、ただ上っ面を真似た形骸にすぎない。
  2) 彼等はあくまで「お笑い」の役割を自ら引き受けている。言い換えれば、あらゆる発言は「笑い」に結びつけねばならない。そこには、「笑い」以外の感情――とりわけ「悲しみ」や「落胆」などのネガティヴな感情――を入れる余裕が無い。だから、通常であれば「悲しみ」や「落胆」の情緒をもって反応されるべき場面でも、「笑い」のムードに染めて言及することしかできない。だから、「悲しいですね」という共感ではなく、「おやおや、あなたには○○が無いんですね(笑)」という嘲弄の姿勢になってしまう。……おそらくこうした事情が(全面的にではないとしても、少なくとも一定程度の傾向として)存在するだろう。

  しかし、自分自身を引き下げてみせて笑いを取る――つまり「道化」――ならば、まだしもマシなのだが、彼等がその矛先を他人に振り向けるようになってしまったのは何故だろうか。仮説:受動的な「笑われる側」になる場合は、自分を笑ってくれる存在(観客)を必要とするが、媒体によってはそれは必ずしも成立しない。だから、確実性や速度を求めるとともに、能動的に「笑う側」 を演じるようになっていったのかもしれない。ただし、その転換は深刻な副作用を伴っていたが。
  あるいは、自らを道化にする場合でも、明らかにネガティヴに捉えられがちな属性を装うことによって笑いを取るのであれば、それは特定の属性(とりわけ外見上の不利な特徴)に対する蔑視を助長することになっている。その危険性を、我々は認識できているだろうか。

  コメディエンターテイナーの全員が、他人を貶めて笑いものにしているわけではないだろう。また、その種のコンテンツを楽しむ人々を否定するつもりはない。しかし、私は今後ともその種のコンテンツには触れずに済ませたいし、もしも機会があれば「ああいう笑いは良くないよね」と広言することを躊躇わないだろう。



  03/15(Sun)

今日は即売会イベントに顔を出してきた。ただし、この作品はろくに知らないので、しおり交換の際に「○○を下さい」という自分の主張を持つことができなくて難儀した。

  上記のようなしおりをトレードして楽しむというのは、時節柄いささか危なっかしい行為ではあるのだが、会場内各所にアルコール消毒ボトルを配置したり換気に努めたりして、この種のイベントとして最善は尽くされていた。

  知人と会って歓談してきたが、うーん、何故か声優の話ばかりしてしまったような……疲れていたのかな。最後にまたプラモを買って帰ってきた。


  『復活の日』は掘り出せそうにないので、代わりに『トリフィド時代』でも。人工衛星に仕込まれた細菌兵器が散布されて人類のほとんどが失明するという終末もの。『28日後…』もこれのオマージュなのだそうで。


  [ https://twitter.com/volks_hobbydept/status/1238419537369890816 ]
  [ https://twitter.com/Hotori_Asami/status/1238732208057151489 ]
  4/26に大阪に! ぜひ行きたい。


  科学の問題や政治の問題のように、真偽に関する根拠づけられた議論を行うべき領域において、ある発言に対して「この人物は○○をしている悪人だから」と言い返すことは、単なる人格攻撃であり、反論としては最低の主張だ。元発言者の急所を上手く批判しているように見えても、それはただの詭弁であり、理性的議論の対極に位置する誤った言論姿勢だ。そういうすり替えに引っかからないようにね……。


  「胃~之煮」(第13期)概要記事に着手。ひとまず10回分ほど聴きかえしつつ書きまとめた。知性や技術はあまり要求されないが、手間の掛かる作業ではある。音を出さなくてよいゲームと平行しながら(※例えばSLG作品の実験的な再プレイ)、適当に進めていこう。



  03/13(Fri)

2作目のグライフェンくんを、このコンテストに出してきました。現在すでに展示されており、4月中旬までは店頭で見られる筈です。このブログに写真掲載しているのと同じものですが、お暇な方は、よろしければどうぞ。

  今日の時点で、すでに5体ほど展示されていた。独自カラーリングの丁寧な全塗装作品や、蜘蛛モティーフの大型オリキャラ作品などがあった。
  私の作品は、ケーブルやエッチンググリルの異素材使用、スケールモデル風の意匠、大型ドリルの迫力、HASEGAWA「フィニッシュ」シールの活用、髪筋彫り込み表現、そして眼鏡など、見せどころはそれなりにあると思う。いずれもテクニックとしては非常に簡単なものだし、 新規性のある技法というわけでもないが、1)この分野ではあまり試みられていない手法であり、2)それなりにポテンシャルが見込めるアプローチであり、3)それらを適用したサンプル(実物)を提示することには、いくらかは意味があるだろう。

  このブログのタイトルを、ハンドルネーム(モデラーとしてのペンネーム)に使うようになってしまった。良いのか悪いのか。

  あっ……自宅の机の上で毎日眺めていたあの黒髪グライフェンくんに、これから一ヶ月の間、会えないままなのか。そう考えるとちょっと寂しい。(もちろん、お店に行けば見られるけど)


  MENG MODEL社のFT-17は、鋳造砲塔版キットはフルインテリアだが、リベット砲塔版のキットは簡易的な内部再現のみに留まっているとのこと。大きなところではエンジンやトランスミッションなどのパーツが入っていないし、弾薬ラックなどのディテールも再現されていない。ただし、前部の操縦室はどちらも再現している。単なるマイナーチェンジではなく、双方共通のランナーは半分程度で、かなり別物のキットになっているようだ。
  とはいえ、リベット版にはジオラマ用の大きな地面パーツ(展示ベース)が同梱されており、パーツ数(ランナー規模)それ自体としては遜色ないボリュームになっている。しかしそれでいて約2倍の価格差がある(※リベット版の方が安い)のだから、よく分からない。
  [ http://www.meng-model.com/en/contents/65/73.html ]
  私が買ったのはリベット版。パッケージアートがほっこりする可愛らしさで気に入った。
  [ http://www.meng-model.com/en/contents/65/70.html ]
  製品としては、鋳造砲塔版の方が先発のようだ。

  ちなみにFT-17は、Revell社の1/76キット(B1-bisとセット)もジオラマパーツが入っている。その他に1/72や1/16のキットもあるし、模型化にはわりと恵まれているようだ。
  さらに余談ながら、TVアニメ『終末のイゼッタ』にも登場しており、そして予想通り滅多打ちにやられていた。可愛いのに……。


  今日は、書店でいろいろ面白そうな本があったのだけど、買う気分になれなかった。というか、本をレジに持って行くのが億劫だったのだろう。しばらく家に籠もっていて書店に足を運んでいなかったせいだと思われる。「本を買う」「文化にお金を出す」という行動は習慣の賜物なのだということを、逆説的に実感させられた。
  とはいえ、最終的には漫画5冊ほど購入したのだが。
  (※5冊のうち3冊は、表紙に眼鏡キャラが描かれている。うむうむ、良い感じ。)


  [tw: 1238357800146759680 ]
  駅名が「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」(17文字)、ねえ……。長たらしい駅名への改称で近隣住民をうんざりさせつつ、細かく圧縮した駅名表示で旅行者(海外含む)を苦しませるのが「地域社会の発展」で、学生たちに対しては書類にその都度たくさん文字を書くように強制しつつセンスのない名称を使い慣れるようにするのが「人材育成」なんですねわかります……くらいの嫌味は言いたいよね。ついでに、「駅名の長さを誇るという見当違いなセンスの学校法人」という可哀想な栄誉も引き受けて下さい。
  大学の広報部にとっては「短期的に一ネタ出来て嬉しい」だろうけど、それ以外のアクターにとっては迷惑そのものだろう。定期券関係などの書類でもいちいち17文字記入しなければいけないし、インカレ活動やコンパで「うちのキャンパスの最寄り駅って、日本一長い駅名なんすよー」と話したら……うわあ、場が凍るわ。
  ランドマークの「等持院」が名前に含まれるのだから地名の「衣笠」は省略してよいだろうし、大学への来訪者がどのキャンパスかで間違えることも無いだろうから、「等持院・立命館前」(8文字)まで切り詰めても実用上の問題はまず生じないと思われる。


  民安氏の代表作を挙げるとしたら、どのあたりになるだろうか。
  直近だと『姫と穢欲』がSLG作品の堂々たるワントップヒロインで、聴きごたえがある。ワード数も相当なものだろう(※ちなみに、この2019年夏以降の新作出演が途切れてしまっている)。ダーク系だと『クラインハーゼ』もツートップヒロインの片方を演じていた。そちらは後輩系(やや低年齢寄り)の芝居。
  白箱系では、Laplacianの2作品『キミトユメミシ』『ニュートン』でヒロイン級を演じているが、知名度の高いのは『グリザイア』シリーズだろうか。
  小柄キャラは例えば『紅神楽』、ケモキャラだと『ちょこっと☆ばんぱいあ!』、男性キャラは『皇涼子』、男の娘キャラは『女装山脈』など、役の分類に応じた選出も面白い。
  声優職と並んで、歌手やラジオMCとしての業績も多い。STG『ぶるにゃんマン』シリーズでは、本編中に歌って踊りながら攻撃してくるボスキャラだった(※実際に歌がBGMとして流れ、それに合わせてアクションする)。ラジオは非常に多くて絞れないが、まき氏と組んだ「ぷらてぃあ放送局」や、ゲーム制作者とディープな会話を繰り広げた「モンキーパーク」が個人的に印象深い。


  [tw: 1218100376575938561 ]
  雪結晶収集の話。誰が撮ったか分からないものをそのまま採用するとしたら、データとして信用できないものになってしまうが、大丈夫だろうか? 要するに、他地域や別の時に撮影したフェイクを排除できない。仮にフェイク情報が提供されても「なんらかの手法で排除できる」か、または「その影響は無視できるほど小さいので大丈夫」なのか。専門家なのだから適切な調査手法を確立されていると考えたいけれど……。あるいは、もしも「雪の結晶はどの地域でも本質的な違いは無く、とにかく大量のデータを収集したい」のであれば、地域情報が重要であるかのような言い方で募集するのは不誠実だろう。
  また、情報提供者に対して「個人情報にお気をつけください」と注記しているが、どうにも対処しようが無いだろう。SNSに公開投稿したら万人に知られうる状態になるし、市町村が特定されるだけでも危険が増す場合がある。


  「園○○未」というキャラクターの名前を「園○未○」氏かと読み違えるとは……不覚。



  03/09(Mon)

  ベルトスクロールACTというと、ミルフィーユの『極煌戦姫ミストルティア』『変幻装姫シャインミラージュ』と、studio e.go!の『ひとがたルイン』くらいだろうか。縦(画面上下移動)の奥行き要素が無いシンプルな横スクロールACTだと、『巫女さんファイター涼子ちゃん』『デデンデン!』、それからsofthouse-sealの『くノ一』シリーズなどもある。『マジカライド』もACTだが、横長に進んでいくマップではなく、縦横のある立体的なデザイン(※つまりX軸とY軸を切り替えられる)。『空を仰ぎて雲たかく』はRPGとACTの折衷システム。一見すると多そうだが非常に数が少ないのは、様々な理由があるだろう。考えられるのは:
  1) ゲームパートの制作コストが案外大きい。しかも、AVG制作ノウハウとは異なった種類のゲーム開発技術が要求される。
  2) それでいて、ゲームパートは単純、単調になってしまいがち。フルプライス規模のテキストを受け止めきれない。
  3) そもそもAVGパートとの組み合わせが難しい。テキスト規模とゲームパート規模のバランスが取りにくいとか、ヒロイン人数の問題がある(プレイヤーキャラは男性?女性?)とか、ゲームパート上で分岐構成を仕込むのが難しいとか……。
  需要それ自体は、あると思うのだが。作品規模とヒロイン人数のバランスに難があるように思われる。ちなみに、見下ろし型のアクションゲームだと、『D+VINE[LUV]』、『セイクリッド・プルーム』、『Apocalypse』、それから『BALDR』シリーズがある。


  [ https://www.youtube.com/watch?v=_HodnE2vMjE ]
  (1:35-)「カレーみたいな色してますね。キーマカレーかな」。……その発想は無かった。
  (9:30)「死霊はホイミ唱えて死なんのかい」。……言われてみれば確かに。


  キャスト情報を事前に確認したうえでプレイすべきかどうか。
  A) YES。そうすれば、個々の芝居がどの声優に帰属するかを正確に把握することができる。本編終了後にスタッフロールで確認するのでは、個々の役者の功績を、プレイ後の曖昧な印象に基づいて判断することになってしまう。
  B) NO。まずもって個々の芝居を虚心に聴くべきである。予断や贔屓目に惑わされることなく本編をプレイして、実際に為された表現から個々の役について評価を下すのが公平である。個々の役を演じたのが誰であるかを確認するのは、その後でも遅くはない。
  新たなタイトルを開始する度にいつも迷う問題だ。たいていの場合、公式サイトや通販サイトで配役情報が明記されているので、事前に知ってしまうことになる。注目している声優の出演作を見逃さず購入できるようにするためにも、事前のキャスティング情報を無視することはできないし。


  ううっ……人類は2020年の新作でも「薄目の呪い」からは逃れられないのか……。
  全体としてはとても良い作品なので、文句を言うつもりは無いのだが。


  「片目隠れキャラ苦手」を自分は完全に克服したのだなあ、という喜びをしみじみと噛み締めている。特に好きというわけではないが、キャラ造形の一つの個性として素直に受け入れることができるようになった。趣味人はこうして自らの人生を豊かにしていくものなのだ。

  単眼キャラ(※ひとによってはきついので検索注意)は、分かるようで分からない。はたしてこの扉は開いてよいものだろうかと手を拱いている段階だが、なんとかして単眼キャラを率直に可愛がれるようになれば、それはそれできっと楽しい世界が広がっているのだろう。和装との組み合わせが突破口になりそうなのだが……。
  青肌の魅力は、まだ分からない。オッドアイ(左右で眼の色が違う)は、以前は苦手だったが現在では好きでも嫌いでもなく、私にとってはどうでもいい要素になった。四本腕は、漫画『フランケン・ふらん』のおかげでOKになった。四本足(例えばケンタウロス)もいけると思うが、めったに遭遇しない。アダルトゲームでは『プリンセスX』(人馬キャラ)や『魔王のくせに生イキだっ!』(蜘蛛キャラ)がいる。いわゆる「巨女」は、いつの間にか好物になっていたが、お目に掛かる機会がなかなか無いのが悲しい。できれば20メートル以上で、山やビル街と並べて映えるのが良い。


  暖房を利かせていても手先足先が冷えるので、寝床に潜り込んで趣味の読書に勤しむのが一番楽。というか、読書が捗ること捗ること。(ただし購入数も増えたため、積みは減らない。)


  [ https://www.msmodelswebshop.jp/product/26146 ]
  あの有名なGUNDAMコスプレボーイが立体化しておる……。


  [ www.getchu.com/brandnew/1032484/c1032484sample4.jpg ]
  翼尖端部の航行灯が左右逆なのは、作中で何か意味があるのだろうか。
  (現実では、右がグリーンで左がレッドと、ユニヴァーサルに決まっている。)


  「越飛花梨」さんは、どうやら「エピカ」という車種があるようだ。

  [ http://casket-soft.com/product/ayakashi02/top.html ](※18禁サイト注意)
  『あやかし遊郭』公式サイトには、「収録プレイ一覧」なる情報がある。こういう情報提示は、分野によっては有効だろう。中身の魅力が損なわれるわけではないし。


  焼く前の肉皿写真って、ぐろ画像だよね。


  自分がすでに知っており(=無知を咎められる心配が無く)、なおかつ自らにとって党派的に有利な知識のことを恣意的にピックアップして「教養」と呼ぶのは、いわゆる教養主義的抑圧の最悪の現れだろう。教養とはそのような結論決め打ちの権威化ではなくて、様々な問題に対して適切に取り組めるための土台を――利用可能な道具立てや参照可能な知識体系を――習得していることであり、その「適切性」の内実として公平性、誠実性、多様性、広汎性、等々を内在させている(べき)性質だと思うのだが。


  日曜日の即売会に知人がサークル参加するようだが……どうしようかな。開催することは確定しているし(※ただし時短開催)、関西での開催だから足を運びやすいが、時節柄、人混みに顔を出すのは躊躇してしまう。


  [tw: 1237707206709014528 ]
  エレベーターを「開」を押して譲っていると、老若男女問わず、それなりに高い比率で会釈や「どうも」の一言を受けるので、上の発言には驚いた。そういう礼節が発揮されるか否かは、地域差や時間帯による違いが非常に大きいんじゃないかなあ。
  あるいは、行為者の属性によっても相手の対応は変わるだろう。例えば、女性がそうしている場合には、周囲の男性乗客からは声を掛けにくくなると思われる。逆に、例えば強面の男性がそうしていた場合には、女性の同乗者はリアクションを示しにくくなりそうだ。学術的な社会調査でも、観察者のパーソナリティが調査対象者に影響を及ぼしてしまう(回答を歪めてしまう)危険性は強く意識されている。
  いずれにせよ、この発言者自身の経験範囲だけで「男性は~」とか「日本社会は~」などと一般化してほしくない。問題意識それ自体は分かるのだけど、それを不確かな想定に乗せて展開するのは非常に危なっかしい。

  傾向としては、30代~40代女性くらいが最も丁寧だ(かなり高い頻度で、頭を下げたり「ありがとうございます」と言ったりしてくれる)というのは確かだ。また、高齢者は総じて反応が乏しいが、それはべつに彼等が傲慢だからではなく、加齢とともに心身の能力(周囲に対する注意力や、他人に向けて行動を起こす気力)が落ちているのだから仕方ないと思う。
  ちなみに、これは関西での話。京阪神の都市部であれば、だいたい同じような雰囲気だと思う。上の発言者は関東(東京)なので、「やっぱり関東地方(の男性)って荒んでる……」という印象を持ってしまうが、これはこれで地域的偏見なのかもしれない。

  個人的には、善意や何かの問題ではなくて、社会慣習として「たまたま操作盤の近くに立った人は誰でもそうする」くらいの意識で良いと思う。私自身、その程度のつもりでいる。自分が譲られる側になった時は、会釈くらいはしている。ただし、それはあくまで機械的儀礼的なリアクションなので、ほとんど意識していない。「ありがとうございます」とかいちいち声を出すのは恥ずかしいし……(おばか)。
  そもそも、ドア付近に立っている一人が(出そうなのに)その場に留まったままというのはカゴの出入りを戸惑わせるので、そうする必要があるのは「全員がカゴを出ることが明らかであり」、なおかつ「全員が出るには時間が掛かり、扉が自動的に閉まってしまうと予想される」という状況だけだろう。具体的には、混雑したエレベーターが上端or下端の階で止まる場合くらいだろう。

  エスカレーターでは、片側に寄らず、常にもう一方を塞ぐように立っている。「特に視覚障害者は、狭いエスカレーターの横を歩かれるのは危険だ」という意見に接してから、努めてそうするようにしている。最近は両側立ちキャンペーンが広まっており、ほっとしている。
  実際、片側詰めに並んでいるせいで、エスカレーター前に人が渋滞してしまっていることは多い。また、エスカレーター上を歩いてほんの十秒かそこら短縮しても、たいていの場合、何の意味も無いのだし、ほんの十秒を急ぐような人たち(がいるとして)のために普段から全員が片側を空けてあげるというのも不合理だ。
  平均的な日本人の対人距離感からすると、エスカレーターの狭い横幅で横並びになるのを苦痛に感じる人は多いだろう(※一段ごとに互い違いに立てば済む話だが)。これは横幅を狭く設定してしまったエスカレーター設計者たち(あるいは各施設の設計者たち)の失敗でもある。

  電車でも、扉付近に人がぎっしり詰まっているが中の方は空いているという状況をよく見かけるし、まあ、「人間の認識能力なんてそんなものだ」「不合理な行動慣習に気づいたりそれを改めたりするのは難しいものだ」と思っている。でも、まあ、ちょっとずつでも、良い方向にしていきたいよね。乗客が奥の方まで乗車すれば、全員のストレスが減るのだし。

  慣習は、かならずしも合理性に合致する必要は無い(人間の文化は、効率性に支配されてはならない)。また、慣習に身を任せることによって判断のストレスを減らすという実践には、それ自体、一定の合理性がある。しかし、人々に無用の負担やダメージを与えがちな慣習は、可能ならば改めていく方が、長期的に見て人々の幸福を増す(不幸を減らす)だろう。



  03/07(Fri)

  モンブランケーキうまうま。一人でホールサイズを食べきることもおそらく可能だが、今日は2カット分だけに節制したので、わたしはつつしみぶかい良い子です。
  実のところ、ホールで一気に食べてしまうと、1)後半はおいしさが減じるので非効率、2)食べ飽きる危険がある、3)カロリー過多の問題、4)体調(おなか)を崩す可能性が高い、といった事情があるので、そんなことに挑戦しても得にならないのだが。


  [ https://www.youtube.com/watch?v=FQ26ljXeeJg ]
  「ドーラク」#85、今回は日野聡氏もゲストに来ておられる。


  艦船などのプラモデルを買う時に、ただ単に造形が面白そうだからそのキットを選んでいるのだが、「レジに持って行ったら、今時の擬人化好きな二次元オタクと思われちゃうかも」という余計な考慮が脳裏をよぎってしまい、いたたまれなくなって結局買わずに済ませてしまったことはある。それは気の回し過ぎだし、そんなつまらない思い込みに自ら惑わされて自分が本当にしたいことを放棄するのはあまりにも愚かなのだが。
  以前に言及した、某webラジオの「ゴムをレジに出したら、セックスするんだと思われちゃうかも」という微笑ましい自意識過剰の投稿者も、これと相通ずる意識作用なのかもしれない。



  03/04(Wed)

  メモ:「何やらかすかに」。
  「なにやら、微かに」、「何を、やらかすかに」。……使いどころは無さそう。


  [tw: 1234736939263152129 ]
  「マガジン編集部内に」、「漫画に関する誤った認識で」、「社外(しかも潜在的な取引相手)を侮辱する」者がいるわけだから、部内で本人を特定したうえで事実関係次第では被害者に直接謝罪させるくらいまで約束すべきじゃないかな。
  講談社としても、自社にとって有害な行動を取っている者(自社の名前を出しつつ対外的に信用を落とす言動をする人物)が部内にいることが発覚したわけで、それをただ放置していてはダメージが増えるばかりであり、当人に認識を改めさせる――あるいは解雇乃至配置転換する――ように対処することは必要だろう。
  ちなみに、今現在の「少年マガジン」にも、頬の照れ線を使っている連載作家はいる。つまり、その編集者はまさに自社の連載作家をも愚弄したことになる。……やばい行為だよね。勘違い編集者氏が頭を下げに行くべき相手は、かなり多いと思うよ。

  今のところは、本当にそういう発言があったかどうか分からないので私は判断を保留するが、講談社と「少年マガジン」に対する信用は急落するよね。漫画に関する専門的判断力の観点でも、クリエイターに対する非礼行為という点でも、一般的なモラルの点でも。


  AVG作品のこーりゃく記事で、全分岐を網羅したいと思うことはある。それを記事として作成する意義があるのは、選択肢4~5つくらいの場合だろう。選択肢4つであれば2^4=16通り。5つであれば2^5=32通り。そのくらいであれば、樹形図式に全ての選択パターンを試して整理することは十分可能だ。3つ以下(2^3=8パターン)ではわざわざ記事にする意義が乏しいし、6つ以上の選択肢だと分岐パターンが多すぎてまとまりがつかない。
  しかも、わざわざ調べて記事にする必要があるのは、フルプライス作品の場合だろう。ロープライスにも選択肢4~5つ程度の作品は多いが、プレイヤー個々人の試行錯誤で容易に網羅できるだろうから。
  もちろん、調査者(つまり私自身)のモティベーションの問題として、取り組むだけの価値のある面白い脚本、または興味深い分岐の仕方でなければならない。

  なお、全分岐を示すだけでは、こーりゃく記事(プレイヤーへの手引き)にはならない。それだけでは、どの経路とどの経路を踏破すればCGやシーンを制覇できるのかが判断できないからだ。したがって、分岐の樹形図(または網目)の中に一枚絵やシーンの発生箇所を全て書き込まなければ、十分な情報を提供したことにはならない。それはそれで作業が大変だが。


  あっ……「薄目の呪い」を発揮するイベントCGが……。しかも、白いハイライトの位置が不味くて、まるで「まぶたは薄目の状態で、眼球は上を向いて白目を剥いている」ように見える。久々に強烈なものに遭遇してしまった。


  読了前後の認識の変化は面白い。書籍にせよゲームにせよ、「未読段階で、宣伝文句や他の論文での言及や周囲の評判や通販サイトの情報などで暫定的に形成した印象」と、「きちんと読了して、作品コンセプトを把握し、作品全体の雰囲気(文体、論調、画風など)や、各部のディテールを実際に味わった感触」とは、当然ながら大きく異なる。
  「実際に読む前に、自分が思い描いていたイメージ」を、読後にあらためて想起してみると、なんとも不思議な気持ちになる。それは、私の中にしか存在しなかった、あるいは私が作り上げた、そしてもはやどこにも実在しない、架空の作品のイメージなのだ。
  単なる聞きかじりや他人の評価だけでは、作品を本当に読んだことにはならない、ということでもある。当然ながら、そこには絶対的な懸隔がある。そして、実際に読む(あるいはプレイし、鑑賞する)ことによって得られた体験および知識は、それほど大きく豊かなものなのだ。「読む前の認識」を思い返してみれば、その意義を強く実感することができる。


  演出の時代の終わり(?)について。
  00年代のアダルトゲームは、各社が無数の演出技巧を試みる巨大な実験場だった。しかし10年代半ば以降、その姿勢は鳴りを潜めている。何故か。
  「ひととおりの技術開拓が済んでしまった」というのは、一つの説明になるだろう。PC上で動作する2Dグラフィクスという条件下で実行できそうな演出技巧は、たいていのものがすでに試みられ、評価され、そして普及している。その時点で到達可能なフロンティアの最深部まで踏破されきっていたと思う。
  それは、00年代アダルトゲーム分野の豊かさを証立てるものだが、言い換えれば、他分野ではあまり扱われない領域だったということでもある。例えば、同時代のコンシューマゲームやアーケードゲームは、物量重視のRPGやスピード重視の格ゲーが優勢だった。テキスト表示はごく簡素なままであり、バックログや音声リピート機能なども長い間実装されないままの未熟な段階が続いた。全年齢のAVG(例えば「ギャルゲー」分野)は沈滞しており、そうした実験に手を出せる余裕も無ければ、新機軸を拡散させるほどの影響力も持っていなかった。さらに、PlayStation(プレステ1)以降の世代は3Dの空間表現に注力し、個別的局所的な演出技巧の観点は閑却されがちだった。デリカシーの乏しい力任せの表現が多く、かなり大味な時代だったと思う。
  アダルトゲームの大半は固定的なレイアウトのAVG作品であった。このことも、様々な演出を発想し実行することを手助けしていただろう。汎用的なフレームワークが確立されているため、1)新技術の多くは次作以降でも効率的に再利用できるし、2)「立ち絵+背景+テキスト+音響」という明快な構造であるため、新たな表現技法を案出する手掛かりが多かったし、3)他のメーカーの表現を参考にすること(他社研究)も捗っただろう。
  構造的要因もあるだろう。例えば、制作進行の事情。アダルトゲームメーカーの大半はごく小規模の企業であり、全スタッフ総掛かりで一本ずつ新作を制作していくのが通例だ。しかし、制作工程には順序があり、先に仕事を終えたスタッフは手が空いてしまう。例えばプログラマーは、企画どおりにゲームシステムの枠組を作り上げれば、個別素材が出来上がってくるまでは、大きな仕事が無い(と、仮に想定しよう)。そうした時に、ゲームエンジンを改良して、様々な機能を追加したり、スクリプトで簡単に実行できる表現を拡張したりすることも行われただろう。また、脚本家が企画主導することも多いため、効果的な物語演出のアイデアを提案したり要求したりする機会も多かったと思われる。00年代は、新作の魅力や個性をwebや雑誌上でアピールするうえで、そうした演出上の新機軸が広報上のセールスポイントになる時代でもあった。

  しかし、10年代に入ると、情勢は大きく変化する。1)家庭用ゲームも、演出やUIの細部に行き届いた配慮を利かせるようになった。2)パソコンゲームだけでなく、ブラウザゲームやスマートフォンゲームなどにもAVG形式が拡散していった。3)国内外のインディーズゲーム領域が飛躍的に拡大し、それらが様々な新規表現を試みるようになった。4)その一方でアダルトゲームは市場的困難に直面した。5)3D表現や2D擬似アニメーションなど、高コストな表現領域の比重が増した。こうした諸事情から、2D表現技術の追求はアダルトゲームだけのものではなくなっている。
  現在のアダルトゲーム分野では、新たな表現技術を披露するというよりは、この20年間以上に亘って蓄積してきた大量のノウハウを活用して、より洗練された作品が制作されるようになっている。剥き出しの技術ではなく、作品コンセプトに内在した演出効果が追求されるようになっている。また、目に見える表現効果だけでなく、UIの機能充実やマルチプラットフォーム対応などの周辺技術の底上げが重視された。10年代にはAVGの足回りが長足の進歩を遂げたと言えるだろう。
  いずれにせよ、演出の時代は終わったわけではなく、長い蓄積の上に今なお歩みを進みつつあるし、ゲーム表現のフロンティアは(パソコン用AVGでも、それ以外の領域でも)まだまだ大きく広がっているだろう。



  03/01(Sun)

  先月は充実した趣味生活を過ごせた。良い漫画にたくさん出会えたし、2月中にクリアしておきたかったゲーム群もなんとか消化できた。模型関連でも新たな経験ができた。今月はどうしようかな。時間を有効利用していきたい。


  新しい分野に手を出すのは、苦にしていない。最新のものについていくよりもむしろ、昔のアニメを視聴する方が多大な苦痛を伴う。演出が古いし、声優の芝居も捉えどころが無いし、BGMも時代を感じるし、脚本進行ももどかしいし、背景作画も味気ないし、キャラクターたちの言動にも馴染みにくい。20年前の私はろくにアニメを視聴していなかったため、当時の空気、当時の流儀、当時の美意識、当時なりの評価基準を身につけていなかったのが原因だろう。
  また、PCゲームについては、機能面で苛立つことが多い。細やかな調整の利かない音量コンフィグ。20個しかないセーブスロット。一ページずつ巻き戻すしかできないバックログ。下手をするとクイックセーブすら存在しない。20年前はそんな時代だったのだ。まあ、それでも絵や脚本やコンセプトに優れたものは多く、2020年現在でもプレイする価値のあるタイトルは無数にある。というか、未プレイのまま大量に積んでいる。
  ただし、技術の次元では、私はわりと保守的で、初期に身につけた手法に縛られがちかもしれない。例えばゲーム攻略のアプローチは、昔からあまり変わっていない。模型制作に関しても、様々な手法を試してはいるが、基盤となる工程プランや、造形上の美意識、色彩設計の趣向などは、以前のままのものが多い。例えばロボットプラモのキット選択にしても、いまだに『0083』のものばかり作っているし。手抜きの仕方もずっと同じで、中途半端さをなかなか克服できない。

  「年とともに新しいコンテンツについていくのが難しくなる」という話は、実際には年齢だけの問題ではないだろう。知的好奇心を持ち続けられるような習慣を身につけているか。生活全体に精神的余裕があるか(さらには金銭的、時間的な余裕も)。周囲がうまく導いてくれるような環境や機会に巡り会えるか。一般的に、そういった諸条件に大きく左右されるものであって、加齢は要因のごく一部にすぎないと思う。20代でも苦しい生活を送っていれば趣味の領域を拡張するための精神的余裕を持つことは難しいし、60代でも新たな物事に挑戦していけるだけのパワーを持つことは十分可能だろう。

  「そのジャンルで最初に出会ったものに、自分の価値観が決定づけられる」というのは、部分的には正しいが、全体としてはあまり正しくないだろう。
  1) 人がその趣味領域に嵌まり込むきっかけを作るような作品は、優れた魅力を備えた傑作である可能性が高い。そして、最初の名作は、その受け手にとって、「このジャンルはこういうものだ」という枠組そのものになる。つまり、その作品は、その人の趣味活動を続けていくうえでの重要な指針であり続けるだろう。それを乗り越えてフレームワークを改訂していくには、知的探求心や知的柔軟性といった特別な足掛かりが必要になる。
  2) 人は保守的なものだ。一度なんらかの価値観を形成したならば、「それと似たようなもの」や「あの時と同じような感動を与えてくれるもの」を求めがちだろう。その意味で、最初の作品が提示した路線は、強力にその受け手を方向づける。
  3) 一つの趣味領域において、比較的初期の作品には、素朴だが明快な、初発的魅力を備えたものが多数存在する。それらのシンプルにしてとっつきやすい魅力は、ジャンル全体がどれだけ拡張深化されても色褪せることは無いだろう。
  4) 例えば、ある分野について一人の個人が体験した最初の3作品は、他との比較抜きに素直に享受することができるだろう。しかし、101本目のタイトルは、その個人が体験してきた100本のタイトルで評価の席が埋まっているところに入っていかなければならない。「前の2本を押しのけるほどの魅力を、3本目の作品に見出す」のと、「これまでの100本を押しのけるほどの魅力を、101本目の作品に見出す」のでは、明らかに後の方がハードルが高い。しかし、優れた作品を享受する感動が薄れるわけではないし、その分野に関する見識が深まるにつれて、個々の作品に対して、より深い理解ができるようになっていくし、それに応じて感動もより深く確かなものになるだろう。

  そもそも、たいていの分野では、「傑作」と呼びうる作品は無数に存在する。例えば漫画分野は、それなりに長い歴史と、非常に広大な多様性を湛えている。それらを日々摂取しながら「最初の傑作」のみに縛られ続けるというのは、まったくもってあり得ない。アダルトゲームでは、最初に大きなインパクトを与えてくれたヒロインは、「初めての恋人」としてそのユーザーの心にずっと残り続けるだろう。しかしそれでも、最新モードのCGワーク、最先端のキャラ造形、新たな声優は、どんどん現れてくる。新作をプレイし続けているかぎり――そして精神的にだらけてしまわないかぎり――、旧作に匹敵する魅力を持ったヒロインは、常に現れ続けるだろう。それ以外のゲーム分野でも、ゲームシステムは試行錯誤や理論的技術的蓄積によって、年々進化している。
  結局のところ、「その分野の趣味を、少しだけ楽しんですぐに離れてしまった人にとっては、当然ながら、最初のものが絶対的な存在であり続ける。しかし、その分野に対して、知的好奇心を持って長く楽しみ続けていけば、『最高のもの』はどんどん更新されていくのが普通だろう」。

  私だって、あの短い作品でぎこちなく描かれた柏木楓さんのことは今でも好きだけど、その後、大槍氏が描くヒロインや、紅村氏が描くヒロイン、たまひよ氏が描くヒロイン、等々がたくさん現れてきた。また、90年代当時には、藤咲氏が演じるキャラクターや秋野氏によって造形されたヒロインは、残念ながらまだ存在していなかった。それらもまた、それぞれかけがえのないゲーム体験の一つとして、私の心の中に確かな根を下ろしている。


  『ラストキャバリエ』のメッセージウィンドウは、両端で歯車が回転し続けているという……アニメーションするテキストボックスは、他にちょっと思い浮かばない。一時的な演出のためにテキストボックスが動く(振動したり伸縮したりする)のは、Littlewitchや緑茶の作品にも存在したけど。
  本作中の「鬼瘴石」は、どこぞのカートリッジよりもはるかにおぞましい設定だったりする。


  ああ、良い声優の揃ったゲームは、良いゲームだ……。テキストの深みが、旨味が、ニュアンスが、彩りが、意味が、桁違いのクオリティになる。台詞の一つ一つが、見事に粒立ったすさまじいまでの精度と、驚くほど大胆な表情と、底の見えないほど懐の深い余裕と、聴き惚れずにはいられない魅惑と、有無を言わさぬ完璧な説得力を持っている。


  K-BOOKSは、関西にいるとほとんど縁が無い(※難波の1店だけ)。というか、秋葉原&池袋だけのローカルなお店と言うべきだろう。関東に行く度にレア同人誌を求めて訪れていたものだが、最近はあまり行っていない。


  画面に眼鏡が出てくるだけで、もとい、眼鏡キャラの立ち絵が出てくるだけで、頬が緩む。かわいいよ、にあってるよ、きれいだよ。


  うーん……フィクションの表現とはいえ、ローティーンや一桁年齢のキャラクターがアイドル活動をするというのは、私の中では心理的抵抗感がものすごく強い。これまではネットイラストやフィギュアや同人誌をカジュアルに楽しんでいたけど、年齢設定を知ってしまうと(意識してしまうと)、これはかなりきついかも。魔法少女アニメのような明確な虚構性に保護されているわけではなく、「アイドル」という現実的な活動なので、誤魔化しが利かないし。
  二次創作同人誌でも、キャラクターの家族(親)が登場するものは見た憶えがないが、そういった社会的バックグラウンドを真面目に考えてしまったら、特に低年齢キャラクターの場合は非常にまずいものになるよね……。


  関西某所のスーパーにて。あっ、本当にトイレットペーパーが無くなってる……つまり、大量買いをした人たちが本当に実在するんだ!と、妙に感動してしまった。こんなにもナイーヴで不合理な行動をとる人々が、自分の身近にも、こんなにもたくさん存在するのだという経験は、人間観や社会観を大きく揺さぶる。怖ろしくもあるが、興味深くもある。


  記事「美少女プラモデルの年表的メモ」に、各製品の価格帯リストを追加。
  大半のシリーズで、一貫した高額化傾向が見て取れるのが怖ろしい。
  こうして一覧化すると、「4000円台のキットは安い」と錯覚してしまいそうだが、いやいや、4000円ってそれなりの額だよねと考え直す。ただし、4000円ならば4000円なりの、6000円ならば6000円相応の充実した中身があることは確かであり、その意味ではやはり適正な価格なのだが。


  (→-/2月