2025/10/07

2025年10月の雑記

 2025年10月の雑記。


 10/18(Sat)

 えっ、もう18日……? まさか、そんな、まさか。

  模型ショップのコンテスト( #YS杯2025 )は、クリエイティヴで完成度の高い作品がどんどん出てきている。うーん、賑やかしのつもりで参加するつもりだけど、あんまりみっともない作品を混ぜても申し訳ないなあ。自然選択号を無策に突っ込むだけではまずそうなので、ちょっと考え直そう。いや、そのくいでも良いかもしれないけど……。

 今期視聴しているアニメは、いずれもクオリティは高いのだけど「気持ち良いエンタメ系」ばかりに偏りすぎていて、ちょっと飽きてきた。いや、個々の作品は洗練された演出と充実した作画で立派な出来映えなのだが、なんか、こう、もっと、じめじめじっとり陰々滅々どんよりモヤモヤなアニメも欲しかった……。『私を喰べたい~』がもうちょっとマシな主演だったら救われていたのだが……。
 これまでは『鬼人』『小市民』をそれぞれ2クールに、『九龍』『全修』『アングラー』『義妹』『負けヒロ』『望まぬ不死』と、暗めの作品を定期摂取できていたのだが……。『ユウグレ』も、オリジナルアニメなので好意的に見ているが、それでも随所のイージーさが目について、あまりノれずにいる。
 繰り返すが、演出のクオリティは高い。『最後にひとつだけ』も『野生のラスボス』も『ツーリング』も、コンセプトを明確にしつつ、それぞれ独自の映像美を打ち出すことに成功しているし、コンテレベルでの見せ方も的確だし、細部の作画も丁寧だし、中割り動画も気持ち良く動いているし、音響演出も巧みに連動させているし、声優陣も聴きごたえがある。腕利きのスタッフが上手くコントロールしているのが見て取れ、たいへんありがたいのだけど……。


 海外SNSで、どうしてもネタ投稿に走ってしまう。いや、ネタというか、写真や漫画感想といったコンテンツの情報を出すばかりで、私個人のナマの日常生活が無いというか……まあ、これは「観光地に行っても自分(たち)の写真を全然撮らない」という二次元系趣味人の典型行動なので、そういうものと思って見てもらえたらと思うのだけど。


 例えば、ハーレムものなどでヒロインキャラが薄っぺらくお色気重視の描き方をされていても、
私は気にしない。何故なら、それらはいわば、ただの記号のようなものだからだ。
 しかし、ヒロインキャラの生き方や尊厳に何かストーリー上の重大な意味があるような振りをしていながら、お色気なコマ絵やエロハプニングを絡めてくるのは、不快感を覚えることがあるし、もっと言えば、不誠実さを感じてしまう。創作上のコンセプトと表現形態の間のあからさまな矛盾がただ温存されているからだ。そういうタイプの作品――表面上の女性主人公作品など――は、nor for meになりやすい。

 積みがいよいよ溜まってきた……例えば毎週16冊の新刊を買って、14冊ずつ読んでいっても、毎月8冊の積みが発生するし、そのペースが半年続けば約50冊の積みになる。もちろん読むのは漫画だけではないし、書籍以外の諸々も……ウボァー
 表紙買いをしてみても、自宅でペラッと捲ってみたら面倒そうだったり好みに合わなそうだったりすると、読む意欲が失われるし、かといって捨ててしまうのも躊躇われて、結局は未読扱いで積むことになる。


 あっ……自分もEx-S(青白の迷彩塗装)で参加しようかなと考えていたところに、先を越されてしまった。さすがにネタ被りをするのは申し訳ないので、この案は引っ込めておこう。上の作品はたぶんHGUC版で、それでも箱にギチギチに入っているので、MG版を収納するのは困難だろうし。しかし、何にしようか、いよいよ困ったな……。


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 個人的には、タイトルそのものがひどすぎるので同情できないなあ……。
 いかにフィクションとはいえ、「○隷を○教して○ーレムを作る」(しかもキャラはローティーンに見える)なんていうのは、さすがに攻撃性が強すぎて一線を越えており、これまで一般書店に置かれていたのが不思議なくらいの代物だと思うのだが……。ただし本編の内容は抑圧的なものではなく、少女たちを優しく保護するものらしいが、タイトルそれ自体がまずすぎるし、裸などのお色気描写もしっかり出ているようだ。

 1) 大原則として、表現物は相当程度まで自由であるべきだ。
 2) しかし公共の場に出す(商業商品として出す)には、倫理やコンプラの限度がある。本作のタイトルはその一線を大きく越えたところにある(※現代の全年齢オタク系コンテンツの中で見ても、突出してきつい)。とりわけタイトルの文字列は、そのまま店頭等に露出するので、問題になりやすい。ただの一発ネタではなく、継続的に刊行する商業作品としてやるのに、作者が自分からこんな火遊びをしておいて、後から困った顔をするのは、それ自体が無責任だと思う。
 3) 「このタイトルでやるなら18禁コーナーに行け」、あるいは「同人でやれ」というべきタイトルでは? 全年齢の中でやりたいなら、相応の限界はある筈だ。商業アダルトコミックですら、これほどストレートにNGなタイトルは今時少ないくらいだと思うが……どうして全年齢で出しているんだ。このままで通したKDKWにも大きな責任と問題がある。
 4) ちなみに、18禁の警告とアクセス制限が設けられている場であれば、全年齢よりも大きな自由が認められてよい。○隷という単語が、getchuですら伏せ字にされてしまっているのは規制しすぎだ。18禁カテゴリーまで過度に制約すると、「18禁でも全年齢でもどっちでも変わらないじゃん」と、結果的に全年齢の枠が荒らされていく危険が生じる。
 5) やっぱりKDKWは駄目だよね。

 個人的に、「○隷」や「ヤ○ザ」「ホ○ト」などを看板に掲げている作品は、買わないことにしている。「拷○」「○教」「ハー○ム」あたりは微妙かな……。似たような趣向の『拷○の時間です』も、かなりギリギリだと思うが、イラストの雰囲気などで明らかにコメディだと判断できるような体裁だった。しかし上記の作品は、表紙も曖昧だし、特典イラストなどでもアウト側に足を突っ込んでいるので、さすがに擁護のしようが無い。「○隷」という一単語だけの問題ではないし、欧米のせい云々なども関係なくて、「現代日本の一般書店に置くのにNG」と言うべきだし、まっとうな漫画読者は「さすがに悪ノリの火遊びが過ぎる」とツッコむべきでは?




 10/09(Thu)

 私たちは何人のキャラクターと出会っているか。
 漫画では、例えば年間150タイトル読んでいるとして、それぞれ主要な登場人物が平均10人いるとすれば、それだけで1500キャラ。アニメでは、仮に各期5本×10人×4シーズンだとして、200人。ゲームでは、大小合わせて月5本×10キャラ×12ヵ月=600人。
 ざっと計算して、年間2300人くらいの物語キャラクターを知っていくことになる。ネット漫画をペラペラ読んでいくだけでも1000キャラにはすぐ到達するだろうし、逆に、多読していても5000を超えることは難しいだろう、という感じ。
 長期連載などもあるから、年とともに多少目減りする可能性はあるが、その一方で、昔のキャラは忘れていくから、結局のところ負担の度合いは大差ない。例えば、二次元系の趣味人を10年やっていれば2万キャラ、30年だと6万キャラにも達する。
 某SNSで、「好きなキャラを2人挙げる」バトンリレーが盛り上がっているが、いや、好きなキャラをたった2人に絞るのは無理でしょ……と思った次第。

 海外SNSでいろいろ投稿しているうちに、近々観光で来日するフォロワーさんと会うことになりそう(しかも、複数回=複数人と)。「せっかく日本文化好きで訪日してくれるというのだから、立場上、会うことができるのに無下にするわけにも行かないよね」と、腹を括って話を進めているのだけど、私は知らない人と会うのが苦手なスーパーシャイキッドだし、英語も依然として上手くないのよ……。最低限は喋れるけれど、リスニングが特にきついし、もちろん相手の喋り方によって聞き取れる度合いが全然違ってくるのでどうなるか見当が付かない。ましてや、観光案内ができるほどの知識や経験があるわけでもない。というわけで、下手を打ったら申し訳ないなあと頭を抱えている最中。


 BANDAIが文字通りのケー・ユー・エス・オーを小売店に押しつけまくったあの惨状を見て、BANDAIから決定的に心が離れたモデラーもわりといるんじゃないかなあ。さすがにあれは一線を越えたよね……。数年前にもガールガンとかがあったし、特に店頭ではそれがまざまざと可視化されるのが、あまりにもきつい。


 現代では、オンラインでも複数のコミュニケーション媒体、複数のプラットフォームを使い分けるのが普通になっているが、あまりきれいに分離しすぎると、「このアカウントでは世の中のことを無視して趣味の話題だけ書いている無責任なお子様」に見えたり、あるいは逆に「いつも真面目な政治の話ばかりしていて堅苦しいユーザー」になってしまったりする。そういう極端に一面的な存在として他人の前に現れることになってしまう。それは、ミクロレベルで個人(個々のアカウント)のありようとしても偏っているし、大きく見てそれぞれのコミュニティ単位でも広がりの乏しいものにしてしまう。
 だから、ある程度は複数の話題をいくらかは混ぜ合わせて、「趣味のブログでも、時事的な話題に言及する」、「本業寄りの真面目なアカウントでも、たまにカジュアルな投稿をする」くらいに風通しを良くしておく方が良いと考えている。


 「アルカナディア」シリーズ(のデザイナーさん)は、そんなにゴールドが好きなのかなあ。そんなに金色を使いたいなら、いっそ塗装済みランナーにしてくれたらいいのに……。もとより、単体での見栄えを重視する高額寄りのシリーズなので(※言い換えれば可動や拡張性は明らかに後回しにされている)、キラキラ塗装済みの方がブランドとしての価値を高められそうなのだが……。

 ちなみに、デフォルトキャラだけで金色パーツの有無を見ると:
- 多め(装甲など):ルミティア、メルティーナ、エルメダ、シャルメド、アルアリル
- 少し(武器やワンポイントなど):ヴェルルッタ、ユクモ、ソフィエラ、エレーナ、ギィ
- 無し:(いない)
……あっ、全キャラがゴールドを使ってた……。カラバリ版は別色になっているし、日常衣服ヴァージョンの「ルミティア ReACT-iF」だけは不使用だけど、さすがにこれは別枠で。
 もちろん、例のリングを持たせる都合上、全てのキャラが金色ランナーを必要とするわけで、そうなるとリング以外のところにもゴールドを入れたくなるのは分からないではない。


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 学生からの提出物の内容を、SNSで大っぴらに、しかもそれなりに具体的かつ詳細に書いてしまう人って……。学生のプライヴァシーと尊厳を守るためにも、そういうことは書かないものなんだけど、クリエイター系で先生になった人も、研究者プロパーの人でも、たまにやらかしているのがつらい。当人の名前を出していなくても、受講者は担当教員のSNSくらいは見ている可能性があるし、そこで自分の提出物のことが勝手に書かれているのを見たら、どれだけ傷つくことか。相手を誉める内容であっても、提出物の中身を無断で第三者にバラすのは、信頼関係を一発で破壊しかねないのだけどなあ……。



 10/04(Sun)

 今期のアニメ。
 最後まで視聴するだろう:『終末ツーリング』『野生のラスボス』。
 視聴するが、途中でやめる可能性あり:『悪食令嬢』『最後にひとつだけ』『千歳くん』。
 途中でやめそう:『私を喰べたい』『グノーシア』『ユウグレ』。
 1話をチェックしてやめた:『東島』『ポーション』。
 最終的に、5本に収まりそう。


 美少女ゲーム(アダルトゲーム)の歴史展望は、うちの記事でもある程度は書いているのだけどね……少なくとも白箱系(学園系)については、10年代後半までの論点整理をしている。学園系そのものは、10年代初頭にAugustがそこから離脱しはじめたところから、メジャーブランドの解散や撤退が相次ぎ、20年代に入ってPurple softwareが本格的に非-学園系に進出したところで歴史的には一段落ついたと思う。
 それ以外のジャンルだと、ピンク系は基本的にアトリエかぐやの一強のようだが、10年代前半にMoonstone、あざらしそふと、PULLTOPなどが白箱系のノウハウを持ってピンク系に進出していた。今でも元気なのはMoonstone系列かな。いちゃらぶものは堅実に売れていそうだが、シリアス系にもMORE/MELLOW系列やぱちぱちそふとなど、注目すべき流れが続いていた(※契約セックスや邪悪ヒロインなど、ピュアラブでもなくイチャラブでもなく蹂躙系でもないビターな路線)。
 ダーク系は00年代後半~10年代には沈滞したが、20年代現在でもGuiltyとBISHOPが依然として精力的に新作を出しているし、ロープライス系もCHAOS R/L、わるきゅ~れ、Miel、アパタイト/アンモライトなどがある。00年代からロープラ怪作を連発していたsofthouse-sealは、いつの間にか新作が出なくなっていった。下記のEscu:de、でぼの巣、DUALTAILのように、SLG系との結びつきも強い。
 SLG系は、alicesoftが活動縮小(というかオンラインゲーム化?)とソフトハウスキャラの活動終了があり、それ以降はEscu:deが、量/質ともに業界をリードしている。DUALTAILの『VenusBlood』シリーズや、でぼの巣製作所のローグ系シリーズも健在。3D系メーカーはほとんどチェックしていないので全然知らないけれど。

 ただ、私はあくまで外部の素人なので、産業構造、市場構造、人的構造などはほとんど分からない。
 また、10年代半ば頃から声優の質が真っ逆さまに落ちていったのがつらい。90年代からの名匠たちがほとんど出演しなくなり(※現在でもオンラインゲームには出演されているようだが)、それに代わって桃組や同人声優が大挙流入して、本当につまらない芝居ばかりになってしまった。これが無ければ、もっと買い続け、プレイし続けていられたのだが……大根キャストは購入意欲を失わせること甚だしいので、キャスト情報を見るたびに悲しい思いをしていた。
 同人ゲームやオンラインゲーム方面は、ほとんど知らない。

 どこぞのスクショだけを目にしたけど、「LeafとKeyは『葉鍵』と呼ばれ、泣きゲーブームを興した」というのは、ほぼ間違いだと思う。よくある誤解の典型ではあるけれど。
 少なくともLeafは、「泣き」にはあまりコミットしていない。例えば『雫』には悲劇のカタルシスもあるけれど、それと同時に、不条理系のエンディングや少年漫画的な勝利のドラマも含んでいる。『To Heart』のマルチも、ハッピーエンドにしている。
 また、「泣きゲーブーム」などというものはそもそも存在しなかった。これは少数説ながら、このブログでも繰り返し述べてきたけど、「基本的にはKeyだけの例外的事象で、一般化はできない」、「それ以外はごく少数のタイトルがあっただけで、ブームとは言いがたい」、「あえて言うなら、大泣きのカタルシスではなく、雨模様のメランコリー(いわゆる「鬱ゲー」)の方が主流だった」。
 それ以外も、疑問符のつくものが散見されるので、たぶんあれは鵜呑みにしちゃ駄目なやつ。