2014/03/03

シリーズものを順番にプレイする?

  シリーズものは、そのナンバリングの順序どおりにプレイした方がよいのだろうか?


  シリーズものや連作作品を、最初(第一作)から順番にプレイしたいという考えは、私はあまり持っていない。しかし、そうした考えは、何を目指すときに出てくるものだろうか。ごく単純に考えて、1)作品の内容的順序に沿って進めたいという意図がある場合、2)その作者の時間的変化に添っていきたいという場合、3)作品が制作され公表された時代(歴史)の流れを追っていきたいという場合、この三つくらいに分けて考えることができるだろうか。

  1)複数の作品の内容的連関乃至順序を、その順序どおりに追っていきたいというのは、ストーリー要素のあるゲーム作品では、主としてストーリー面や設定面の順序についての考えになるだろう。ゲームも人間が作るものなので、実際に制作された順序に合わせてプレイしていくのが、最も自然で無理のない順序であるし、また基本的にその順序でプレイされることを想定して全ての表現が最適化されているのが通例だろう。この考えには一理ある。
  しかし他方で、最後(最新)の作品は過去の作品群全ての存在を踏まえたうえで制作されているのだから、最後(最新)の作品から遡っていくというアプローチも、実は理に適っている。とりわけストーリー性のある作品群の場合に、かつ、外部情報の助け(例えばこのキャラは過去の作品でこんなことをしていたといった知識)が得られる場合には、後者の順序にも十分なアドヴァンテージがあると言える。
  さらに言えば、作品のリリースされた順序は、必ずしも作中の時間軸上の順序と一致しているとは限らない――典型的には「ゼロ番」が後から制作される場合――が、実際上、作中の時間的先後関係を基準としてもあまり面白くはなさそうである。

  2)物語的順序に対して、様式的変化や技術的変化(ゲーム作品であればゲームシステムの変化など)といった要素は、どちらかといえば制作主体に対する注目のレヴェルと親和的な発想だろう。それが個人であれ、あるいは制作チームであれ、その設計意図や表現意図(及び効果)を追体験的に受け止めていくためには、制作された順序のとおりにプレイしていくというのは、当然ながら、最も妥当な順序だろう。これは、シリーズものに限らず、一般的に作者に連続性のあるタイトル群について当てはまり得る発想だと言える。ただし、それは作品に対する誠実や作者に対する誠実とは無関係のものであるが。

  3)のレヴェルについては、一応想定してみることは出来るが、それがどのようなものであるのかが私にはよく分からないので、コメントできることはほとんど無い。技術史的変遷を追いたい場合には、有効かもしれない。またも個々の作品をとりまく「雰囲気」(の違い)というものは確かにあるので、できるだけ強くそれを感じ取りたいという場合にも、やはりこのアプローチに期待を寄せることは意味があるだろう。

  このように少しばかり考えを巡らせてみても、結局のところ、「先の作品から順番にプレイする」という意欲乃至方針設定は、私には縁遠いもののように思われる。最も狭い意味での(つまり緊密な連続性が想定されるところの)連作ものについては、「それこそが作り手側によって想定(期待)された正統な順序である」という理由からして、ある程度尊重すべきだろうとは考えるが、しかし、明確に意図されたシリーズものの中であれ、それよりも緩いつながりが認識され得る複数作品の間であれ、「最初から」というアプローチに対しては、そうすべき積極的意味を見出しにくい。後からプレイする場合には尚更だ。PCゲームでも、例えばninetailの『VB』シリーズやLiar-softの『what a』シリーズを第一作からプレイすることに、どれほどの意味があるのだろうか? ひとによっては、作品の制作(公表)順序に従うことに心理的納得感を持つこともあるかもしれないが、私の中にはそういう意識はおそらく無い。

  なお、商業ゲーム作品の場合は、制作順序に従わなくてもよいようになっているのが通例だと思う。『終ノ館』のオムニバス群であれ、『さかここ』連作であれ、『Piaキャロ』シリーズであれ、『what a』シリーズであれ、『ソレイユ』シリーズであれ、『神楽』シリーズであれ、基本的にどのような順序でも――単独であっても――構わないようになっている筈だ。ただし、『魔法戦士』シリーズは『エリクシルナイツ』(2007)から『レムティアナイツ』(2008)に向けて次回予告めいた「引き」の演出をしていたので、プレイ順序を違えるとオチを先に読んでしまったような気分になるかもしれない。また、サーガ的にストーリー上の明確な前後関係がある『戦女神』シリーズや『Rance』シリーズなども、できれば作品順(=物語の進行順)にプレイした方が素直に楽しめるのかもしれない。当然ながらFDも、本編をプレイしたユーザーに向けて制作されているものだから、FDを先にプレイするということは内容上も意味が無いだろう。