2026/03/09

2026年3月の雑記

 2026年3月の雑記。

 03/08(Sun)

 「○○な作品9つ」について。書影に関しては、現在の著作権に関する慣行に鑑みてひとまずOKだとしても、「自分にとって印象深い作品」、「自分の芸術観や美意識や社会性に対して大きな影響のあった作品」、「客観的評価として最高だと思う作品」はそれぞれ違うし、漫画では前世紀の大家の名前を挙げていくだけでも10も20も埋まってしまう。手塚、藤子、萩尾、永井といった巨人時代の傑作群はひとまず措くとして、そして00年代半ば以降の大量の新人たちの爆発的なデビュー以降はもう数え切れないとして、世紀末をまたぐ頃(90年代から00年代初頭)に大きな仕事をしたクリエイターたちから挙げると、個人的にはアフタヌーン系の作家に集中してしまう。冬目景のレトロ趣味、岩明均の倫理的な厳しさと苦々しさ、岩永亮太郎の「技術と社会と個人の価値」に関する思弁、植芝理一のユニークな幻想性、曽田正人の陶酔的な熱狂の精密な表現あたりは、特に思い出深い。
 ……あっ、宇河弘樹氏の新作が発売されるのか。『朝霧の巫女』を思い出しながら検索していたら、ちょうど良いタイミングになった。

 アニメだとどうなるかな……。素人なりに、円盤を持っている中から、シリーズものタイトルで(つまり単発の劇場版を除外して)年代別に5本くらいずつ挙げていくと:

90年代以前:
- 『宇宙船サジタリウス』(1986-87):労働問題から絶滅動物まで含蓄のあるエピソード多数。
- 『機動戦士ガンダム0083』(1990-91):ガンダムシリーズからはこの一本。2D作画によるロボットアニメーションの洗練の極地。『0080』『08小隊』もそれぞれわりと好き。本編シリーズは、どれもあまり好きではない。
- 『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-96)、『少女革命ウテナ』(1997)、『serial experiments lain』(1998):この三者はベタだけど逸しがたい。
※単発の劇場版アニメだと、『ナウシカ』(1984)や『アイアン・ジャイアント』(1999)などもある。

 00年代はちょっとしかアニメを観ていないが、
- 『スクラップド・プリンセス』(2003):異世界風ポストアポカリプスから魔法の科学的アプローチまで、この時期以降の様々な流れを決定づけた歴史的な先触れ。
- 『錬金3級 まじかる?ぽか~ん』(2006):のんびりした雰囲気と、余裕のあるユーモアに満ちたオリジナルアニメ。
- 『シムーン』(2006):ジェンダーSFオリジナルアニメとしてユニークな魅力がある。
- 『ストライクウィッチーズ』(第1作は2008年で、ぎりぎり00年代)。今世紀風のミリタリーネタのアニメとして先駆的。これも一応オリジナル作品。
※この他にも『NieA_7』(2000)とか『エルフェンリート』(2004)とか『蒼穹のファフナー』(第1作は2004年)とかいろいろ。GAINAXが元気だった時代でもある。
 
 10年代初頭から半ばくらいまではちょっとだけアニメを観ていたが、10年代後半はほとんど観ていない。
- 『ヨスガノソラ』(2010):視聴覚演出が絶品。ヒロインごとの分岐展開も面白かったけど。
- 『ソラノヲト』(2010):架空スペインでのポストアポカリプスミリタリーオリジナルアニメby神戸守監督の傑作。個人的にリピート率が高めで、金元寿子氏主演も良い。
- 『キルミーベイベー』(2012):ネタアニメだが、高いクオリティで絶妙にまとまっている。アニメーションの動きも良いし、型に嵌まらないユニークな演出もある。
- 『輪るピングドラム』(2011):この社会の陰惨さをシンボリックに表現する手つきと、それを突き抜ける幻想性の取り合わせが面白かった。
- 『放課後のプレアデス』(2015):10年代の魔法少女ものからはこれを。佐伯昭志監督とGAINAX末期の若手クリエイターたちが描いた天文SFジュブナイルとして深い味わいがある。声優陣も、主演の高森氏から大橋歩夕氏、藤田咲氏など、実に良いキャスティング。
- 『終末のイゼッタ』(2016)。第二次大戦の小国に強力な魔女を投入したという架空戦記ものだが、一クールで突っ走ったドラマティックな展開は、オリジナルアニメらしい緊張感と魅力に溢れている。終盤の早見沙織氏の演説シーンの迫力が素晴らしい。
※『TIGER&BUNNY』とか『ダンタリアンの書架』とか『たまこまーけっと』とか『少女終末旅行』とかも良い作品だし、美少女ゲーム発アニメの流れの最後に来た『星空へ架かる橋』『蒼の彼方のフォーリズム』も上手くまとまっていたし、『蒼き鋼のアルペジオ』あたりで本格的な3Dベースのアニメが進出してきた時期でもある。

 20年代は、完全に配信の時代。10年代は新人声優のクオリティが沈滞気味だったように思うが、2022年頃から優れた才能が頭角を現してくる。また、オリジナルアニメが激減し、原作模倣的なアニメ化や、人気タイトルのシリーズ化(複数クール化)が一般化した。
- 『望まぬ不死の冒険者』(2024):地味な作品だが、細やかな演出や、地に足のついた動画表現など、見応えがある。原作をきちんと咀嚼して再構成している点も良い。
- 『悪役令嬢レベル99』:こちらも、原作を大きく組み替えて、一クールでストーリーの最後まできちんと語りきってきれいにまとめ上げた秀作。ファイルーズあい氏の主演も抜群に良い。
- 『小市民シリーズ』(2024/2025):神戸守監督の映像演出にリードされて、メインキャラ羊宮妃那氏の濃密な芝居が存分に披露される。ミステリとしてはツッコミどころが多いが、映像としては傑出した美しさ。
- 『負けヒロインが多すぎる!』(2024):メジャー(?)タイトルからはこれを。風変わりなキャスト陣も上手くドライヴしつつ、情感豊かな映像演出を堪能できる。
- 『ネガポジアングラー』(2024):この時期のオリジナルアニメとしてはこれが一番。港湾や河畔の風景は開放的でありながら物寂しさもあり、そうした中で人生に悩む若者たちのデリカシーが巧みに描かれている。
※上記以外にも、オリジナルアニメ『全修。』も良かった。『九龍ジェネリックロマンス』は原作漫画を力業で再構成して結末まで語りきってみせたが、『ある魔女が死ぬまで』『鬼人幻燈抄』などは原作の途中で終わってしまったのがもったいない。動画表現の面白さでは、『クレバテス』が印象に残っている。

 現在の冬クールだと、『透明男と人間女』が面白い。視覚障害者女性と、「見えない」男性のロマンスものというシチュエーションだが、獣人族なども含めた多種族社会で、それぞれの身体的-社会的環境の掘り下げっぷりがすさまじい。いわゆる「解像度が高い」……高すぎる。原作者も凄いが、アニメ版でもそれを丁寧に再解釈、再構成しつつディテールを追加しているという秀逸な翻案。


 人格形成への(悪)影響、というか、「新たな価値観に触れる体験をした」という意味では、やはりPC美少女ゲームが決定的だった。それまでの小説やハイアートや全年齢コンシューマゲームや少年/少女漫画とは大きく異なり、なおかつ、TVのような大衆エンタメでもなく、露悪的なサブカルともまた違った空気を、初めて体験した。
 そしてその中で、SLG系(データ攻略系)ゲーマーという形で、私はようやくオタク(当時)として自立することができた。また、一タイトルあたり20時間前後の長丁場をひたすら、声優のキャラクター芝居を聴き続ける中で、役者の優れた演技を聴くことの意義も理解していった(※一色ヒカル氏を初めとする、当時の一流声優たちのおかげでもある)。
 ただし、美少女ゲーム文化≒「キャラ萌え文化」の隆盛は、「心地良い世界に耽溺する放恣かつ独善的な享楽的オタク」たちの本格的な始まりでもあって、それは2020年代の現在の目で見ると大きな問題含みではあったのだが。

2026/03/04

アニメ雑記(2026年3月)

 2026年3月の新作アニメ感想(※タイトル五十音順)。
 『アルネ』『違国』『透明男』『29歳』『ヘルモード』の5作を視聴中。

●『アルネの事件簿』
 第9話。まさかの透明人間ネタ被りで、貫井氏が驚き役なのも『透明男』と同じ。ついでに、OPパートが上下に黒帯(レターボックス)を入れている趣向も(※もちろん、演出上の機能は異なるが)。
 軋みに満ちた音響とともに、今回はサイコホラーのテイストが強めで、角度のついた外連味のある絵コンテが不安定感と緊張感を煽る(絵コンテは岩畑剛一氏)。その一方で、室内の背景小物の描写が充実していたり、ヒロインたちがチャイナ服を着ていたりと、余裕と洒落っ気のある作画も楽しめる。
 三男キャラを演じているのは八代拓氏。


●『透明男と人間女』
 第9話は、旅館での臨時探偵イベント(原作単行本第4巻の後半部分)。OPを飛ばしてぎっしり内容を詰め込んでいる。集中して視聴していたら24分があっとという間に終わってしまった。カニの女将は、新井里美氏お得意の怪演。ロングヘアの人魚キャラが男性ヴォイス(多田啓太氏による兼ね役)なのも、ちょっと意外で面白い。暗転を繰り返す緊張感に満ちた演出から、接触を通じて透乃眼の顔立ちが次第に見えてくる有様が絶妙。ただし、絵コンテはシンプルなスライド(ドリー)カメラや浮遊感のある回転カメラなどで、間を保たせるのにちょっと無理をしている感じもある。
 原作では、前の彼女の姿は一切描かれていなかったが、このアニメ版で犬系の異種族として描写された。足の形状もしっかりケモキャラ造形の本格派。その他、半魚人の仲居が前半から登場していたり、部屋付きの露天風呂が手摺のあるユニヴァーサルデザインだったり、無人のロビーで女将と相談したり、さらには旅館の全景(カニのマーク付き)や仲居たちの回想シーンも、アニメ版オリジナルの追加ディテール。
 脚本は瀬田監督。絵コンテは横屋健太氏、演出は西村大樹氏。
 貫井氏のオーバーアクションな驚き芝居が、ちょっと過剰気味になってきた。『アルネ』でも騒がしいキャラを演じていて、(収録そのものは同時期とは限らないが)そちらでも回が進むとともにどんどん大袈裟で芝居がかった喋りになっている。その方向に進みすぎるのはちょっときつい。


●『29歳独身中堅冒険者の日常』
 第9話。左手の治療問題はマイルドに描き、そして冒険者としての師匠(相棒)意識を改めて確立していく。伸びやかに広がる草原の背景が心地良く、また、シーンの切り替えも実にきれい。巨軀のドワーフリーダーのように、サイズ感や遠近感をユーモラスかつ説得的にレイアウトしているのも面白い。絵コンテは、1970年代からのキャリアのある大ベテランの辻初樹氏。
 本筋以外でも、オリーヴによる殴打から、リルイの盆踊り、走る大根、多脚戦車(?)と工房爆発など、やけに細かなネタが充実している。その一方で、左腕は失われたままだし、冒険者をリソースとして管理するなどのシビアな側面も示唆されている。

2026/02/10

2026年2月の雑記

 2026年2月の雑記。

2026/02/09

漫画雑話(2026年2月)

 2026年2月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。
 こちらも試しに、評価点をつけてみる。

●新規作品。
 二宮ひかる『うさぎも夢見るクリームソーダ』第1巻(少年画報社、1-7話)。人類の繁殖のために作られた兎型デミヒューマンの主人公が、友の喪失や、新たな隣人との出会いなどを通じて、その実存的な苦しみを強く意識していく。00年代前半にこの漫画家が手がけた『犬姫様』のモティーフを拡大して尊厳破壊的な社会構造と直面する個人のドラマとして鋳直したもののように見受けられる。この作者らしく、内圧の高さを窺わせる感情の不穏さ、精神の危機に陥った瞬間の怖ろしさ、そして爆発的な激怒の表情などが、主人公一人の心の推移としてまっすぐに描かれていく。90点。
 たかはしツツジ『声の降るへや』第1巻(小学館、1-9話)。イラストレーター主人公と、その部屋に転がり込んできた旧友(癒やしヴォイス配信者)、そしてその隣人や会社の同僚たちの関係を次第に構築していく。作画に関しては、基本的には上品に整った男女美形キャラたちだが、困惑や怒りなどの表情では適度に崩してとっつきやすくしている。テーマ性は今のところあまり感じず、基本的には温和な恋愛コメディとして展開していくようだ。70点。


●カジュアル買いなど。
 窓口基『東京入星管理局』第5巻(28-33話、完結)。溢れんばかりのアイデアと掘り下げのある窓口氏による、SFベースの組織ドラマ。存在は知っていたが、既刊を買えずにいた。今巻では、地球に入星していた(様々な認識阻害で見えなくされていたらしい)異星人たちの存在が暴かれて、超現実的な風景が一気に噴出し、ほとんどサイケデリックなまでの情景がふんだんに展開される。ただし、漫画進行としては、少々錯綜していて状況が把握しづらい。75点。
 ゆりかわ『はじめてのセフレ』第2巻(小学館、8-14話)。さらに第1巻も買って読んだ。スポーティな褐色肌ヒロインと、大学生主人公が、たまたまそういう関係になってしまったが、どちらもシャイで誠実な性格で、それゆえにこそ、身体だけで始まった関係から踏み出せずに悶々としているという状況。褐色肌キャラに惹かれて表紙買いをしたが、なかなかの当たり。もちろん性的な行為の描写もあるのだが、その一方で、「ホテルに入ったが、お互いの好きな映画を一緒に見ているうちに一晩を過ごしてしまった」といったような微笑ましいエピソードも多い。作者はこれまで、アダルトコミックを含めていくつもの作品歴があるようだ。75点。


●続刊等。

 1) 現代ものやシリアス系。
 みいみつき『楠木さんは高校デビューに失敗している』第7巻(43-48話)。絵柄こそキャッチーだが、ストーリー面では、過去のトラウマ体験から自らの社会性を取り戻そうとする苦しみや、相手に受け入れられない関係の苦みなどを率直に描いており、基本的にはシリアスな思春期ものと言える。登下校時の路上など、背景作画もしっかり描かれているので、その世界の中をキャラクターたちが動いて、生きているという臨場感がある。80点。
 こだまはつみ『この世は戦う価値がある』第5巻(42-53話)。友人一家の交通事故問題と関わっていく中で、主人公は改めて自分の両親から抑圧されてきた過去を自力で振り払い、そして自分が自分であることの価値を取り戻す。東京の港湾風景――どうやら江戸川あたりらしい――の、物寂しくも開放的で、厳しくも突き放した情緒のある情景が、本作の荒々しくも痛切な物語によく似合っている。90点。
 mmk『となりの席のヤツがそういう目で見てくる』第5巻(69-85話)。お色気要素込みのラブコメだが、キャラクターの心情が丁寧に描かれているので、真面目な恋愛ドラマとしても読みご多恵がある。つまり、メイン2人の一対一の関係にひたすら集中して、お色気に踏み込むか踏み込まないかのぎりぎりの躊躇と羞じらいで手綱を握りつつ、そのうえで描くべきシーンは堂々とストレートに描いている。色っぽいシーンも、ラッキース○ベのようなイージー展開ではなく、あくまでキャラクターの意志と判断と対話の中から積み重ねていくところに凄みがある。潤いのある表情、角度をつけたレイアウトと、そしてコマ組み演出の心地良さが相俟って、説得力のある漫画になっている。そして今巻では、プールイベントから夏祭のクライマックスへと話をじっくり進めている。85点。
 まめ猫『純情エッチング』第3巻(12-17話)。アダルトコミックを作ろうとする話なのだが、情熱的なクリエイターものとして素晴らしい。技術的なディテールから、アイデアの掘り下げ、そして絵そのものによる説得力など、創作行為の真摯な追求のドラマとしてその出来映えに唸らされる。ただし、ほとんどバトルもののようなノリだし、主役ヒロインの動きが鈍い(行動の主体性がやや乏しい)のだが、このまま続いていってくれたらと願うばかり。80点。
 阿久井真『青のオーケストラ』。第14巻(86-92話)。国際大会の終わりから新年度へ。米国の高校オーケストラの全員が金髪白人キャラというのは、さすがに偏りすぎでは……。アフリカ系やヒスパニック、そしてアジア系も当然いるし、むしろ金髪は少数派なくらいだと思うけど。こういう浅いステレオタイプがほとんど純血主義か何かの表現のように見えてしまうところまで行っているのは、この作品の大きな瑕疵だろう。「自信家なアメリカ人」、「謹厳なドイツ人」のような前世紀的な偏見を無邪気に出してくるのは、さすがに、ちょっと……。とはいえ、「自信たっぷりな金髪白人米国人チームがアメコミシャツでアメコミ志向の曲を超絶技巧で演奏して、優勝をかっ攫っていく」という描写があまりにも非現実的なせいで、読者の側も、狐につままれたような一種の幻想性の中でその勝敗結果をなんとなく納得して受け入れてしまったというのも確かだ。


 2) ファンタジー世界やエンタメ寄り。
 あきま『人喰いダンジョンと大家のメゾン』第3巻(15-22話)。巨大構造物のエネルギー循環システムに目を向けつつ、襲撃者「マンションマン」たちの謎にも接近していく。弐瓶勉フォロワーのような位置づけになりそうだが、本作はSFめいたメカニカルなくすぐりはあるものの、本格的な(システマティックな整合的説明を前提とした)SFという感じではない。グロテスクなクリーチャーとの戦いも、今一つ解決感のないまま進んでいく。75点。
 恵広史『ゴールデンマン』第8巻(57-66話)。謎のヒーローの物語は、一種の平行世界設定から主人公の悲惨な生育背景を辿り返して、そしてアイデンティティを取り戻すところまで到達した。超能力開発のための少年人体実験というのはベタではあるが、作劇の巧さと作画の迫力が相俟って、スピード感と重量感のあるドラマになっている。80点。
 飛鳥あると『マスケットガールズ!』第5巻(25-30話)。今巻は戦場ではなく政治に焦点を当てて、帝国内部の分裂危機を描いていく。悪役サイドも万能ではなく、各勢力がそれぞれに苦しい状況下でサバイバルのための暗闘を続けていく。こうした描写は小説媒体でもよいのだが、各アクターの人間的な意思や感情を鮮やかに伝え、そしてドラマティックな「溜め」を作るうえで、この漫画版は成功している。80点。
 石沢庸介『第七王子』第22巻(182-187話)。堕天使ボスとの総力戦。空間的なスペクタクル、連携行動の巧みさ、激しい感情の噴出、パワフルな見せゴマ、テクニカルな魔術バトル、そしてショタ寄りのお色気と、贅沢に詰め込んでいる。90点。
 kakao『辺境の薬師』第11巻(86-93話)。今巻も、絵と演出のクオリティがすさまじい。衣類の質感から調度品の模様まで繊細に描き込まれた豊かな紙面。どんな角度でも背景を融通無碍に描きつつ、うるさくならない範囲で空間的な開放感を表出する作画。そしてそれらを通じて表現される、キャラクターたちの率直でデリケートな心情と、リッチで幸せな日常の雰囲気。ただしストーリーは、やはり根本的にはしよーもないのだが。85点。

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2026/02/06

アニメ雑記(2026年2月)

 2026年2月の新作アニメ感想(※タイトル五十音順)。
 『アルネ』『違国』『透明男』『29歳』『ヘルモード』の5作を視聴中。『シャンピニオン』はやめた。


●『アルネの事件簿』
 第5話。ここまで事件パートは長引いたが、最後は超自然的要素のある特殊設定ミステリとしてオチを付けたうえで、派手なバトル展開を披露して締め括った。これはこれであり。外連味のある絵コンテに、手書きエフェクトをリズミカルに盛り付けたアニメーション作画も好ましい。異能ミステリという独自性に、美術的な趣向の面白味、そして充実した映像表現に、流血まみれの派手なスプラッタと、なかなか隙のないクオリティで楽しめる。80点
 ただし、ミステリをアニメ媒体+複数話編成でやるのは難しい。読み返しが困難だし、読者の理解度(熟読)に応じた進行速度ができないし、一部のトリックが使えなくなるなど、いくつもの問題点がある(※もっとも、それ以前にこのエピソードの謎解きは、ミステリとしては破綻していると思う)。

 第6話は、一話完結の人魚エピソード。やや台詞のテンポが急ぎ気味で、声優たちの芝居も上滑りしがちだったのは残念だが、安楽椅子探偵+モンスター(特殊設定)の謎解きとしてはなかなか面白かった。光源演出や、人魚胴体の動画表現、そしてトリックとなる二重写しの再叙など、映像として見せる意義のある内容だった。80点
 ……人魚役は茅野愛衣氏だった! 気づかなかったなあ。
 途中までは、「再会したい人魚が別に存在したのか?」という可能性も考えていたが(※海図を見るシーンなど)、外れだった。

 第7話。絵はよく動いているし、レイアウトも面白味があるし、ストーリー面でも特殊設定ミステリーとしての個性はあるのだけど、ちょっと飽きてきたのも確か。切れ切れの週刊進行でミステリについていくのは、一週間ずつ待たされるのがもどかしい。

 第8話。なんだか洋風『鬼太郎』のようなノリだった。つまり、ミステリというよりは怪奇サスペンスのテイスト。アバンパートの楽屋落ち(OPと同じ冒険家服をしている)など、洒落っ気のある演出はこの回でも健在。そして、悲劇性のあるロマンティックで幻想的なストーリーは、この作品ならではの個性を発揮している。しかし、個々のシーンは印象的だけど、ストーリー面ではもたつく、というかバランスが良くない、というのも相変わらず(※今回のメデューサ追いかけっこの長尺は、サスペンスシーンとしては良いのだけど、物語としては脇筋にすぎるし)。
 メデューサ役は、内山夕実氏。『アルペジオ』のキリシマ役などを演じている方で、今回も印象に残る芝居だったが、個人的にはなかなか聴く機会が無かった。
 それにしても、アンデッド(エイミー)でもメデューサに石化されるのかとか、メデューサ自身も自分の目を見たら石化してしまうのかとか、よく分からない世界設定なのも相変わらず。



●『違国日記』
 第5話。今回は母-娘関係のありようを、回想やフラッシュバックを多用しつつ二重写しに描いていく。未成年時代の槙生が黒のショートヘア(つまり現在の朝と似ている)なのも、明確にその類似性と相違を示唆している。具体的には、「反抗期を持つ機会を失った朝、母親からの呪いを振り払いきれずにいる朝」と、「母親との溝(母親からの心ない言葉もあった)をなんとか解決して対等に話し合える関係を形成している槙生」の比較だ。脚本構成も、ライティングやタイミングコントロールなどの映像表現も、良く出来ている。朝の中学校時代からの親友えみりとの関係も、次第に距離が離れていくことが執拗に示唆されている。
 しかし後半は、やけにキモい。男性弁護士がいきなり異性(槙生)に握手を求めてきたり、笠町が槙生の肩を抱いたまま未成年者を部屋に呼び入れたり。原作未読なので、これが意図的な仕掛けなのかどうかは分からないが、この回単体で見るととりたてて屈折も無しにナチュラルに描いていそうでもあるのが不気味。弁護士来訪時のシーンで、わざわざ椅子の移動を描いていることと照らし合わせると、笠町が槙生の隣に座って肩を抱き寄せているのは「特に問題のない友愛の関係なのだ」という意味づけを目指していると思われる(あるいは、弁護士に対する笠町の嫉妬と勘繰ることも一応出来るし、人間関係に関する槙生たちの鈍感さの表現かもしれない)のだが、視覚的には未成年者の存在に対するデリカシーゼロのやばい振舞いで、視聴していて鳥肌が立ちそうなくらいキモかった(ほとんどグロいほどだった)。まともな成人なら、親戚の未成年者の前で異性と肩組みはしないよね……。男性向けコンテンツのセクハラ描写――それらは作中でも基本的には「社会的にいけない行為」として扱われる――とはまた違った種類の生理的不快表現が放置されているのが、かなり気になる。というわけで、全体評価85点から、個人的にキモさを感じた分で-20点。
 さらに細かい話だが、作中でやれに「ウケるー」が連呼されているのも、ちょっと引っかかる。2026年現在だと、若者の日常会話ではほぼ使われないんじゃないかなあ。20年前の言語感覚に聞こえるが、まあこれは仕方ない。

 ソファの描写を巡って、もう少し考える。今回の前半パートの描写が典型的なように、本作は徹底的に男性家族(父親や祖父)をフレームアウトさせている。しかるに、ここでソファの描写をポジティヴなものとして解釈しようとするならば、笠町は擬似父親のような立場に準えざるを得ないが、それはあまりに説得力を欠く。「父親」の存在は、これまでまったく必要とされてこなかったのだから。ましてや彼は、高代+田汲の二人の家に訪れるのは(昔の恋人時代を別として)まだ2度目にすぎない。そういう点でも、今回のソファ描写は、ストーリー上も演出上も、明らかに筋が通らない。未成年者に与えうるダメージを(=個人としての尊厳を)大切にしていない描写になってしまっているからだ。ましてや朝は、両親を失ったばかりで極度に不安定な状態にある。そこで彼女の精神面への配慮を欠いた笠町の振舞いには、大きな問題がある。
 おそらく、「両親と子供の擬似家族っぽい風景が成立した、ほのぼのとした状況」にしたかったのかと推測されるが、いささか唐突すぎるし、それに、心情のデリカシーを主題化している筈の本作の中に、こうした性的にだらしない鈍感さが投入されるのは個人的にかなりきつい。
 あるいは、より慎重に捉えるなら、幸せな少女時代の槙生と姉が横並びで遊んでいた融和的な関係が反復再現されていて、それと同時に朝にとっては以前に楽しんでいたのと同じ音楽がそこで反復されていることによって、この場は槙生と朝のそれぞれにとって心安らげる場が再現されている……という演出なのだと言えるが、いや、それにしても、そこに家族でもない男性(笠町)が入ってきて叔母の肩を抱き寄せているのはやっぱりおかしい、おかしすぎる、異常すぎる。これは作劇として失敗だと思う。
 まあ、パートナーでもない異性の家に、しかも女性の未成年者まで同居しているのに、よっぽど重大な事情というわけでもないのに来訪するのは明らかに無神経なので(※衣類や私物があるのに)、笠町はそういうところがズレた人間だ、あるいは笠町と槙生はたまたまそういう風変わり(婉曲)な距離感に慣れてしまっていた、と解するのがひとまず妥当なのだろうけど……。視覚的には、『ウテナ』の鳳暁生のようなマッチョ侵害ビヘイビアに見えてしまう。
 視覚表現としても問題がある。前のエピソードで槙生が朝を抱き寄せたのと同じなのは分かる。ただし、その類似性には、少なくとも今のところまったく意味が無いか、あるいは、公平性を欠いた解釈にしかならない。その解釈というのは、「強い者が弱い者を保護する」という家父長制的構造の反復再現というものだ。身体をまっすぐ立てている槙生が、弱っている朝の身体を傾ける。同様に笠町の腕は、自立している筈の槙生の身体を自分の側へ傾けさせる。これは相互に身体を預け合う対等の関係ではなく、相手を自分に依存させるポーズに見えるが、それはこの作品でやってはいけない振舞いの筈だ。その意味でも、何のための二重写し演出なのかという強い疑念がある。

 これ以外でも、例えば、朝に対して「自分の母親を好きでいなさい」(大意)と命令文で告げていたり、どうにもおかしな不整合や、コンセプトとの齟齬が散見される(※槙生の不器用さや、首尾一貫しきれない側面というエクスキューズも一応可能ではあるが、そうした描写のフォローも見当たらない)。これらは原作由来だろうとは思うが、全体としては「頑張っているのは分かるし、映像としても秀逸だが、粗も多い」と言わざるを得ない。
 個人としての独立と尊厳を大事にするというコンセプトの筈なのに、サブキャラには不摂生でだらしない外見(猫背でボサ毛で眉の手入れも出来ておらず両目も小さい)で他人の悪口を言う同級生、といったような偏見丸出しの悪者用のステレオタイプ的造形を持ってきたりするし……(※今時のアニメでも、ここまで露骨かつ酷薄にネガティヴイメージを盛り付けるキャラデザは稀だと思う)。主要キャラの尊厳だけを称揚しながら同時にそれ以外の人間については平気で蔑視的表現を持ち込んでくるダブスタは、けっして褒められたものではない。

その観点で言うと、『透明男』も、男性上司が女性部下をいきなり食事に誘うという少々モヤッとするシーンがある(※そこに引っかかりを覚えたというSNS投稿も目にした)。しかも、おそらく採用されてまだ一年も経っていないくらいだろう。そちらの場合は、成人同士であるという前提が大きいし、周囲に第三者もおり(※しかも、もしもパワハラ的要素が感じられればツッコミを入れるであろう人物だ)、それ以前からも同僚同士で一緒に行動することはある(※探偵社なので共同見張りなどもしている)といった事情があるので、大きな問題にはならない状況になっている。
 それに対して本作の場合は、「未成年者が居合わせている」、「まだほとんど馴染みのない関係である」、「性的にも見えるスキンシップである」、「依存関係を強く示唆している」といった致命的要素が並んでおり、とても同列には論じられない。
 『29歳』の場合は、たしかに男性主人公がセクハラ発言を繰り返しているが、スラム育ちなので他者との愛情のある関係を理解できない(そのことに苦しんでもいる)という事情が明確だし、セクハラは非難されるべき行動であるという意味づけも示唆されており、けっして肯定的な振舞いとして描かれてはいない。

 作品が良いか悪いかは、「悪い」場合も含めて、できるかぎり客観的な言葉にして、何がどのように問題があるかを納得できるように言語化して批判したい。ここまで述べてきた、「自立(孤立)のテーマと依存的描写のあいだのギャップ」、「父性を排除してきた経緯と、唐突な代理父親のあいだの不整合」といった論点は、内容に即した客観性のある議論たりうるだろう。

 朝の母親が、蔵書から見て経済学をわりと真面目に勉強していた様子なのに、おそらく20代半ばで朝を出産して、しかも父親とは入籍もしないまま、そして料理本やニット本がその上に置かれるようになったというのは、なんともやるせない。何かしらの仕事を続けていたのか、それとも専業主婦になっていたのかは、現時点では分からない(たしか描写されていない)けど。書棚の描写は、そういった彼女の複雑さも少しずつ示唆している。
 ……ん? 今期の大原氏は、本作では抑圧的な母親を、そして『ヘルモード』では優しい母親役を演じておられるのか。

 第6話。ピアノ中心の劇伴の繊細さが素晴らしい。連続的なフラッシュバックや、回想シーンとの場の共有など、映像演出も面白い。しかしストーリー面では、短期的には前回の内容に対する嫌疑を和らげてくれたが、中長期的にはいよいよ不安と不満が強まった。前者は、男性が女性を「俺は君を頼らせたいんだ。弱い君を求めているとかじゃなくてさ」と明言したところ(※後段の留保を付けているのが重要)。後者は、男女間の恋愛関係に開き直りつつあるところや、笠町が「君の好みではないな」とか「考えなくていいよ」と彼女自身の判断やアイデンティティに口を挟んでくるところ。

 これまでの内容で、本作のコンセプトは基本的に以下のようなものだろう。感情の固有性は、各自じぶんだけのものだ(※台詞でも繰り返し明示されている)。しかし、他者との関わりは、面倒だったりしても、互いの人生を豊かにしてくれたり、それぞれの価値を認め合えたり、さらには救いになったりすることがあるので、大事にした方がよい(※学生時代からの友人たち)。しかしそれは、良くも悪くも、個人のアイデンティティ形成に深く突き刺さってくることがある(※槙生にとっての亡姉、朝にとっての亡母)。
 では、「男」は、どのように位置づけられるのだろうか。朝の友人の彼氏は、交友関係に罅を入れてきそうな描写だ。また、男性親族たちは徹底的に不可視化されてきた。さらに弁護士男性は、フレンドリーだが無理解な、ただの他人だ(※小説を必要としない彼は、「君の好みではないな」)。そして槙生にとっての元彼は何になるのか。この回がAパートからシンボリックにくりかえし強調してきた「匿ってくれる場所」のモティーフを引きずるならば、笠町との関係再燃が、槙生にとっての新たな「匿ってくれる場所」になることを示唆しているようにも見える。この異性愛ロマンスの要素は、上記のようなコンセプトの中に回収することが一応可能ではある。いささか都合の良い焼けぼっくりめいてはいるが、「槙生-笠町」が、「朝-えみり」と並んでそれらの交友の推移が2つの軸になっていきそうだ(※もちろんその上には、逝去した姉/母である実里との関係がいずれ主題化されるだろう)。個人的には、この作品に恋愛要素は求めていなかったので、がっかりしているが、まあ仕方ない。かれらの関係は、姪との同居状況を考えればかなり迂闊で、倫理的にも疑念が提起されかねないものだが、本作は通念的な「普通」を唯々諾々を受け入れ(られ)ないエキセントリックな人々の物語でもあるので、そこは作劇として咎めるべきではあるまい。
 首の皮一枚つながった感じで視聴は続けるが、映像+物語の精妙な構築っぷりは現代アニメとしては傑出したクオリティではある。80点

 それにしても、夏休みとは……同居を始めてもう4ヶ月も経っているのか。朝の精神状態が落ち着いてきている(ように見える)のも、時間経過のおかげなのかな。4ヶ月も経っているのに、槙生がいきなり室内を散らかして朝に驚かれたのは、数ヶ月ぶりの(朝が来てから初めての)修羅場集中状態だったのかもしれない。

 第7話。亡姉(亡母)の内面の懊悩をストレートに焦点化したこの回は、これまでに増してすさまじい緊張感と深刻な情動が描かれている。前半では軋みのあるBGMとともに沢城氏と園崎氏の会話が続き、そして後半では微妙に耳障りなピアノとともに様々なシーンが行き来する。大原氏の演じるキャラクターの、こわばった横顔や、自制の内から漏れ出る落涙の表情などが、繊細極まりない映像で流れていく。過去と現在のオーバーラップ表現などの演出もたいへん効果的に用いられている。
 逝去した実里の視点(と内心)を直接描くのは最後まで避けるのかと思いきや、一クールの折り返しを越えたこの第7話でついに十分な時間を取って掘り下げられたのは、いささか意外ではあるが、物語に新たなダイナミズムの方向性を与えたように見受けられる。85+5点
 音響制作は、Ai Addictionの稲葉順一氏と松長龍平氏。最近だと『第七王子』や『悪食令嬢』でも楽曲制作をされている。絵コンテ&演出は川面真也氏で、こちらは何本もの監督経験があるクリエイター。

 第8話。頻繁な暗転演出から始まり、途中の歩き話は妙なノリを入れるものの、いずれ来る筈だった決壊に至る。少女が激発しつつそれが叔母からストレートには受け止めてもらえず、それでもその実在の手応えを――彼女が著した小説を通じてという、一見迂遠だがその表現のパワーを通じて――感じ取る。主演二人の芝居もいよいよ真に迫ったものになっている。
 話の主眼があまりにも明確であるだけに、今回は演出も脚本も比較的率直だが、重要な場面ではキャラクターの所作の動画表現が丁寧に造形されているし、フレームイン/アウトのコントロールも気が利いている。ずっと気になっていたサボテンも、今回大きく取り上げられている。その刺々しさ、異形ぶり、成長の遅さ、分厚い外皮の下が、外部からは変化が見えないこと(そして内部は瑞々しいこと)、不毛の砂漠に生きる生態、等々の含意とともにシンボリックに強調されている。



●『シャンピニオンの魔女』
 第5話。ここに来てそろそろ、アニメ版の問題点が露呈してきた。ベースにある悲劇的なシチュエーションや童話的なイマジネーションは良いのだが、それを言葉で説明しすぎたり、品のないデフォルメ顔を乱用したり、かと思えば唐突に水没のシンボリックな映像を長時間流したりと、とにかく表現スタイルの美意識に一貫性が見られない。この直前の長尺会議のダルさも相俟って、70点に急落。ちなみに、まばたきのアニメーションが妙に多いのも、観ていて落ち着かない。ただし、作画そのものは、かなり枚数を節約しているのだが、映像としてはそれをあまり感じさせない。この点はおそらくスタッフが上手いのだろう。
 猫魔女「ドロシー」は、ちょっと藤田咲氏のような声色だと思ったら、一文字違いの藤田茜氏だった。 ネズミの魔法使いが小市氏、そしてリゼルの母が園崎氏(※ただし、どちらも登場は今回だけかも)。
 ストーリー上の要素ごとに見れば、「社会からの迫害」「純朴な少女」「友の喪失」「過酷な試練」「同じ性質を持つ者同士の共感(または庇護の責任感)」と、いかにもドラマティックなのだが、解説や会議や回想などで皮相的に説明しまくるせいで作為的に感じてしらけてしまうし、映像面でもそれを支える美意識が無くて、全体として空転してしまっている。アイデアが良くても実装(表現物)が駄目だと、創作物としては味気ない。うーん、もったいない。

 第6話。うーん、映像作品として致命的に退屈。キャラの両目アップを乱用するかと思えば、キャラクター棒立ちの横向きショットで延々会話を続けたりする。レイアウトによる演出的な意味づけも無いし、背景美術もずっと浅いままで飽きるし、色彩的な個性も無いし、キャラの表情も平板(※嘴マスクのせいで動きが無くなっているのは致命的)、そして時間芸術としてのタイミングコントロールや劇伴演出もほぼ無策のまま。せっかくミステリアスな不幸に陥ったショタキャラのドラマを作れそうなのに……。ここまでひどくてだらしない絵コンテを作れるのかと驚いたくらいで、まさに文字通り「見るに堪えない」。ここまで味気ないと、映像で見る意味がまるで無い(※これなら台本や小説形態で読む方がはるかにまし)。もうやめた。
 一応、影絵っぽいシーンだけは、その手触りにユニークな個性があったのだが……。OP/EDのような幻想味とか、悲劇的な状況設定を映像表現につなげる技術があったらよかったのに……。



●『透明男と人間女』
 第5回は、ストーリー面では、やや散漫な出来。脚本はキャンプ後のしずか、通り雨、そしてダークエルフ君の来訪を挟みつつ、バーデート、母親紹介(デート)、そしてバラ園デートを続けていく。原作漫画だと単行本3巻の前半3割くらい。
 絵コンテは、横の移動(一緒に歩くシーン)や、ズーム演出による動きの表現に特徴があるものの、やや月並。しかしそれでも、柔らかなパープル基調の色彩感や、背景モブの豊かさ、そして状況の整理(空間的にも時間的にも)、そして顔の触りあいシーンでは両手の動きを入念にアニメーションしている。なかでも、しずかのコミカルな動作(慌てたジェスチャーなど)は、昔のアニメか漫画のように大きくデフォルメされて、躍動感を存分に表現している。OP/EDの曲調ともども、作品に漂う穏やかなレトロ趣味に沿った演出と言える。作画労力そのものとしても、一見シンプルなようでいて、かなりの枚数を使っている。80点

 第6話。原作単行本の第3巻から第5巻の内容を断続的に取り上げているが、細かなエピソードを丁寧に組み替えて再構成したり、シチュエーションごとの情景描写を拡充したりしている。
 今回登場したトカゲ系キャラクター(ヒョウモントカゲモドキ)の大きく膨らんだ尻尾がしっかり画面にフレームインしているのも、アニメ版独自の追加要素。
 また、ライトとカルマの電話で、戸外の満月がまるで祝福するようにずっと照らしているのも、アニメ版のアレンジ。
 包丁を使いながら横を向くシーンは、このアニメ版でもかなりギョッとする。視覚に頼らない人は、包丁でキャベツを刻みながら横を向くことができるというのは、晴眼者からはなかなか思い至らない点だ(※横を向くのは、視線を合わせるためではないが、相手の声を聞くためや、あるいは会話していることのサインとして顔を向けるようにしているのだろう)。
 驚いたのは、「しずかは無地でいいよね」(6:10-)という台詞。ここで無地というのは、おそらく素肌に毛並み模様などの柄(がら)がないという意味で、原作でも他の(模様のない獣人については使われている。しかし、その発走の延長上で人間の肌も「無地」と呼ぶその相対的な視点の取り方が凄いし、しかもこの台詞はアニメ版独自の言葉だ(※原作漫画には存在しない)。こういう台詞をさらりと――しかし大胆にも――投入できる脚本家(瀬田監督)の思いきりの良さと、それを支えている作中世界に対する読み込みの深さを例証する素晴らしい一事例だろう。原作者も、アニメ版スタッフも、異種族キャラクターのリアリティに対して、いわゆる「解像度」がやたら高くてきれいにピントが合っているのが、読んでいて心地良い理由の大きな一つなのだと思う。
 獣人キャラの写螺子(じゃらし)さんの服装も、アニメ版で色が付いたおかげで「似合っている/いない」の説得力が大きく高まった。こうした点は、アニメ媒体ならではアドヴァンテージだ。似合っていないとされるファッションは、確かにミスマッチだと視聴者にも感じられるし、巧みなコーディネートだとされる服装は、確かにバランスが取れていて魅力的に見える。基本的なデザインは原作漫画そのままだが、カラーアニメとして再設計したうえでもきれいにハマっている。上手い。
 ただし、キャラクターの絵の表情(感情少なめ)と、音声芝居のトーン(感情豊か)がややズレているように感じた箇所がある。ちょっともったいない。というか、写螺子役の杉山氏の芝居が、あまりにも活力に富んでいるためかもしれない。
 というわけで今回は、主役カップルがお互いに隣り合って穏やかに歩き続け、エルフ夫婦はお互いを改めて大切な存在として受け止め合い、そして獣人と蜥蜴人キャラがお互いの美質を認め合える間柄になっていく……つまり、サブタイトルどおりの「居場所」の物語になっている。今回も瀬田監督自身が脚本&絵コンテを担当している。80点

  第7話は、フラワーショップの鬼の子たちが登場。この作品としては珍しく、殺陣のシーンもある。アクションパートは絵コンテ&演出は竹内雅人氏がクレジットされており、他のシーンよりもやや味付けが濃いが、高速移動の影でスピード感を表現するクラシカルな技法は他のパートとも共通している。鉄材がカラーンと落ちる音を背景で聞かせるあたり、音響演出も上手い。
 鬼の子供「ゆう」君は小市氏が演じており、その母親(ゆず)は、なんと、ゆかな氏だ!

 第8話。季節は秋になっている。今回も、原作から融通無碍にエピソードを再編している。最初のソファシーンは第1巻のシーンから描写を拡充している(※ただしこの追加台詞にはちょっと微妙な問題がある)。互いの家へのお泊まりは第4巻の前半だが、背景美術がしっかり加えられているおかげで空間的な説得力やロケーションごとの雰囲気が表現深化している。とりわけ、室内の配置を夜香に案内していく描写も、アニメーションならではの説得力がある。全体の進行テンポも、とりわけヒロインの心情表現に十分な時間を――間(ま)を――取っている。
 透乃眼が鍵を握りしめる印象的な所作や、過去の透明忍者イメージはいずれもアニメ版独自。序盤の折り畳み白杖も、原作漫画には存在しなかった、アニメ版でのデリケートな描写。ス○ダ○のイメージシーンもアニメ版で追加された絵だが、ここは個人的には要らなかった。「一緒にお泊まりしましょう」というユーモラスな一言も、寝室案内時の一連の会話なども、アニメ版独自。透明モデルの話は、第5巻の内容を多少先取りしつつ、独自の脚本にしている。脚本と絵コンテは今回も瀬田監督自身による。
 映像面では、夜香のアニメーションがかなり豊かになって、映像的な楽しさを増やしている。主演の貫井氏は、言葉の一つ一つの掘り下げはまだ浅いが、勢いの良い芝居でその都度の表情を味付けしているのが、このオーバーアクションなキャラクターに似合っている。
 ストーリー面では、同棲開始へ向けた関係の進展を描きつつ、透乃眼の隠された悩みへと次第に焦点を当てていく。メインキャラの一人(写螺子)すら登場しないという、登場人物の少ないミニマルな回だが、デリケートな映像でたいへん見応えがある。静かな不安を表現するゆるやかなカメラ回転や、清らかな台詞とともに画面が上へティルトしていく瞬間など、コンテ演出が美しくも説得力がある。



●『29歳独身中堅冒険者の日常』
 第5話も、屋内の空間表現がとてもきれい。今回は低速ズームアップで間を保たせるカットがやや多かったが、気にならないレベル。絵コンテは三浦唯氏。
 ストーリー面でも、孵化した新キャラの存在を軸にしつつ、周囲のキャラクター個性を適度に掘り下げて、マイルドに納める(大袈裟にも、美談にもしすぎない)という流れは、作品の方向性をはっきり見据えて適切に構成されている。75点のまま、最後まで行けるだろうか。
 夜間はいつもリルイが大人モードになっている律儀さが微笑ましい。そういえば、アニャンゴはいきなり出番ゼロになっているが……。ただし、登場人物に関しては、一話ごとに一人ずつ新規キャラが出てきている(※第1話はメイン二人、2話は古代種の旧友、3話は少女、4話はもう一人の古代種、そして第5話はペットの鳥)。
 それにしても、「ドラゴン」「ドラゴン」と、この一話だけで何十回連呼しているのだろうか……(※再視聴のついでにカウントしたら、30回以上だった)。

 第6話。かなり感心させられるレベルで、動画表現を誠実に付けている。例えば画面斜め下に向けてキャラが走っていくという難しめのカットもスムーズに動かしているし、シャチホコモンスターを水流で押し流すあたりも非常に心地良いアニメーションになっている。リルイの新衣装披露シーンは言わずもがな。BGMとタイミングを組み合わせた演出もあり、神経の通った映像作りになっている。空間的なレイアウトや、しっとりした情緒のあるシーンなども秀逸。絵コンテは田中穣氏、演出はいわたかずや氏と粟井重紀氏、さらにアクション作画監督として尾鼻亮太氏がクレジットされている。75点か80点にするかで迷うところ。
 今回の舞台となっている都市ヤーナゴ(?)は、何故か名古屋モティーフ。味噌味だったり、上記シャチホコだったり。

 BGMの抑揚や流れをきちんと映像のリズムと合わせたり、BGMの終止部分をシーンの終わりにぴったり合わせたりするのは、音響制作の貢献だろうか。『通販』や『透明男』、そしてこの『29歳』など、BGMをただの背景にせず、劇伴のメロディにも明確な存在感を与えつつ、視聴覚的な進行の手応えを感じさせるスタイルはたいへん好み。

 第7話は、ニワトリ族の父娘が来訪。映像のクオリティとしては、ここぞという見どころが乏しく、簡略化されたデフォルメの口元がやけに目立つ。ただし主題(ストーリー)面では、ヒロインが鳥類学者たちの生き方に触発されて、人生の目標を見出そうとする瞬間が描かれており、地味ながら重要な回になっている。

 第8話は、激闘と激変の回。動画表現にも力が入っているが、ただし惜しいところもある。とりわけ前半は尺調整のような中途半端なテンポだし、終盤戦の進行もいささか唐突。音響面では、新しい(?)劇伴を導入したりして、切羽詰まった雰囲気をうまく盛り上げているのだが、たまに空転気味の瞬間があるのがもったいない。回転しながら突進してくるモンスターと、空中でガリガリ削り合うのは、いくらアニメのデフォルメ表現とはいえ、説得力に欠ける。
 OPムービーでずっと気になっていた大型ハンマーや主人公の背中の紋様(古代種か何かか?)も、この回で出てきた。



●『ヘルモード』
 第5話。作画はまだ頑張っている。大型イノシシを倒すシーンでは、さすがに少々無理があったが、ここは仕方ない。ストーリー面では、レベルアップを重ねてようやく召喚師の本領が見えてきたところ。モノローグによる説明過多なのは相変わらずだが、おっとりした進行ペースで心地良く視聴できる。ただし、虫の音らしき「ジー」SEが余計なシーン(会話などに集中すべきシーン)でも鳴ったままなのは理解に苦しむ。クオリティがちょっと落ちてきたので65点

 第6話。映像面では、これまでどおりのクオリティなので、とりたてて書くことは無い。田村氏の適切な芝居のおかげで、説明モノローグも慌てたシーンもポジティヴな雰囲気も、素直に受け止められる。ストーリー面では、次回から屋敷での従僕生活になるようだ。

 第7話。低空飛行気味ながら、3Dモンスターを的確に使いつつ、自然の中での生き生きした冒険風景を描いている。モノローグ過多も、田村氏のおかげで説得力をもたらしている。

 第8話。かなり退屈になってきた。映像面でも、狩ってきた巨大シカを引きずってくるなど、強引な描写が増えてきた。僧侶キャラの声はEDの歌手で、まったくの素人演技。歌は良いのだけど……。
 田村氏の芝居は、主人公が多少成長してきたことを巧みに表現している。