2026/08/05

漫画雑話(2026年7月)

 2026年8月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

●続刊等。
 mmk『となりの席のヤツがそういう目で見てくる』第6巻(86-102話)。花火祭からビーチ遊びへ。おおまかに言えば、「からかい」系の眼鏡女子と犬系な美形男子の恋愛未満なライトフェティッシュシチュエーションコメディなのだが、頭身高めのキャラクター造形なので色っぽいムードがあるし、二人それぞれの視点を使い分ける(対比させる)ことでトリッキーなドラマを作り出しているのも良い。

2026/08/04

アニメ雑記(2026年8月)

 2026年8月の新作アニメ感想(第5話~)。
 『キャラメリゼ』(現時点での評価は80点)、『クレバテスII』(70点)、『グロウアップショウ』(70点)、『さよならララ』(80点)、『対あり』(70点)、『ジャードゥーガル』(85点)、『透明な夜』(65点)、『BLACK TORCH』(70点)の8本を視聴継続している。『ダンシング』(65点)と『手札が多め』(70点)は、精読はせずに流し見程度に付き合っていく。


●『乙女怪獣キャラメリゼ』
 第5話。進級した春と、新しい友人。怪獣化ノルマは序盤であっさりとこなしつつ、メイクによる自己承認を語る。主人公が抱えている問題を、外面に症状が現れる身体的コンプレックスだと明言するのはたいへん悲しくつらい。
 今回の新キャラ(ギャル)を演じているのは、白石氏。彼女をゴリラキャラとして戯画的に描きすぎているのは、本作のコンセプトに照らしていささか問題無しとはしないが、まあぎりぎり許容範囲内か。


●『クレバテスII』


●『グロウアップショウ』
 第5話。調子が上がってきた。雨のしっとりした情緒と、木造家屋のノスタルジックな雰囲気、双子キャラのバックグラウンドを掘り下げる優しい物語、そして洒落っ気のあるユーモラスな演出。今回の絵コンテも、亀井幹太監督自身による。
 今回の悪役キャラを演じているのは生天目氏。

 昭和30年代のサーカス団というのは、確かに上手いシチュエーションだと腑に落ちてきた。つまり、
 1) 美少女ものを、ノスタルジー世界とレトロ原色デザインと取り合わせる新奇性。00年代風の256色ヴィヴィッドカラーでもなく、20年代風の暗い中間色でもない。セピア色寄りの統一感を持ちつつ、色彩的な賑やかさも確保している。上手いチョイスだと思う。
 2) 戦後復興期の、ひたすら自由で、無邪気にポジティヴでいられる雰囲気(※もちろんこれは昭和を後から美化したイメージなのだが、フィクションとしてはこのくらいのアレンジは十分あり)。
 3) サーカスは、キャラクターの全身運動の魅力を前面に押し出せる。現代のステージアイドルものと、相通じるところもありつつ、パフォーマンスのスタイルはまったく異なっているので独自性を打ち出せるし、「サーカス」それ自体としても、広くイメージが共有されているので受け入れられやすい。ただし、これまでのところ、そういうパフォーマンス動画としての面白味は、あまり作り出せていないが。ブランコ芸も単純な動きだし、マジックも突飛な超自然的現象になってしまっている(※これはアニメ媒体ならではの問題でもある。アニメは「何でも描ける」というのが当然の前提であるため、どんなにアクロバティックなサーカス芸を披露しても、それをリアルな凄味として感じ取るのが難しい)。


●『さよならララ』
 第5話。ケーキ店「アンデケン」で働き始める。密度感のある屋内俯瞰レイアウトは、今回も効果的に使われている。実在のお店(近江八幡市)を使っているためもあり、スタッフの名字は市内または近隣の地名から取られているようだ。キャストは、さすがに滋賀出身オンリーとはいかず、京都出身者や大阪出身者もいる(※実際、滋賀県内には京都や大阪の出身者も多数生活している筈だし、このくらいの混在はむしろリアルだろう)。
 アルバイトを通じて、人間の集団生活に触れる主人公。その風景が、写真現像のシーンでじんわりと形を成していくところがたいへん印象的。写真だけでなく、自家用車のルームミラーに主人公の姿が映り込んでいるというテクニカルなカットもあり、バイト先のスタッフたちが彼女をそっと見守っている視線もそっと描写されており、今回はとりわけ視界(視線)の存在が強調されている。
 一見素朴なようでいて、作りはかなりしたたかで、しかもテーマそのものは(今のところ)ストレートというバランスも興味深い。
 ララの履歴書の書体もやたら凝っている。前衛書か何かのような幾何学的な面白さがある。


●『対ありでした』


●『手札が多めのビクトリア』
 第5話は、投獄された青年を救出するだけの話……なのだが、やけに映像の出来が良くて、じっくり見入ってしまう(絵コンテはヤマサキオサム氏、演出は渡辺正彦氏)。冒頭の立橋の影のシーンから、屋内灯火の光源表現(ライティング)、効果的なロングショット構図、そして作画に関しても乗馬のアニメーションや背景美術など、きれいに出来ている。主演の安済氏も、変装時の雰囲気の変化や繊細なモノローグなど、台本上のシチュエーションやニュアンスを巧みに反映させている。
 さらに、魔女のコスチュームを楽しむノンナや、お姫様コスプレで恥じらう主人公、さらに独自言語での演劇と、風変わりなうえに興味深いシーンもある(※言語設定にも独自のスタッフが付いている:造語制作=三井秀樹氏)。


●『天幕のジャードゥーガル』
 第6話は、小清水氏のモノローグ(ナレーション)でリードされる、ドレゲネの長大な回想。前回にも増して凄みのある、名匠小清水氏の芝居。心情のデリケートな移ろいと、その底にわだかまる暗いパッションを、あくまで芸術的な品位と緊張感を持って演じている。映像表現としても、神託の踊りのプリミティヴな迫力とミステリアスな陶酔の演出は息をのむ出来映えだ……って、老族長の役は石田彰氏だ!!! 後半の悲劇的なシーンも、駆け回る馬たちのアニメーションが切迫感とを煽る。妖しいカーマイン色のオーロラも、流血の過去と復讐の密約を効果的に演出しつつ、双方を結びつけている(※このオーロラは、実際にモンゴルで発生することがあるらしい)。原画/動画も潤沢に投入されているようで、中盤のクライマックスに相応しい密度と劇的な動きを表現しきっている。
 少女「クラン」役は水瀬氏。ちょうど『ダンシング』第5話でも少女役として出演していたが、なるほど、こういう芝居が得意な方なのかな。


●『透明な夜に~』


●『BLACK TORCH』


●『ワールド イズ ダンシング』
 第5話。欠点が露わになってきた。たしかに動画はダイナミックに動かしまくっているのだが、それが効果に結びついておらず、ただ落ち着きのないサーカス芸で終わってしまっている。視聴覚演出としては、シーンごとの重要度やニュアンスの意味づけができていないし、肝心の舞のシーン(Bパート)も面白味や新奇性が見て取れない。うーん。要するに、「作画班は頑張っているのに、脚本構成と演出が致命的に的外れなせいで、チグハグで筋の通らない凡作になってしまっている」という認識。前シーズンの『春夏秋冬』や昨年の『LAZARUS』と同じ轍を踏んでいる。
 構成と演出が失敗しているのは、AパートとBパートの対比にも表れている。Aパートでは、大胆なデフォルメを多用しつつ、超人的な躍動感のある全身運動をこれでもかと見せつけている。そこは素晴らしい。しかし、Bパートの舞台上では、写実志向の――現実的な人体機能の限界に縛られた――舞を描いており、その姿はいかにも精彩を欠く。シナリオ上では、未熟ながらも舞踊の新たな世界を垣間見させるものである筈なのに、それが見えてこないのは、そういった演出の失敗のせいもある。
 うーん……もう切ろうかなあ。濃密な動画表現は素晴らしいのだが、それらが物語とちっとも連動していないので、ナンセンスな空転で終わってしまっているので。絵は面白いだけに、実にもったいない。これは監督(と脚本)が悪い。黒柳監督は、00年代からのキャリアのあるアニメーターで、監督としてもこれが6作目のようだが、うーん。川滿氏は、これまで9本ほどのタイトルに脚本参加しており、シリーズ構成としてはこれが初仕事のようだ。

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2026/07/12

2026年7月の雑記

 2026年7月の雑記。

 07/18(Sat)

 ソフトハウスキャラ由来の「Team++」による新作にして最終作とのこと(7/31発売)。
 長く続けてこられたものだなあ……。
 しかし、まことに遺憾ながら、8月は時間を取れるかどうかは分からない。うーん。


 [ https://www.youtube.com/watch?v=pW6iJnLibtQ ](※『マジルミエ』第2期ラジオ)
 声優ファイルーズあい氏の、役ではなくご本人としての喋りを初めて聞いたが、声の圧力が物凄い……。
 もちろん全体のパワーだけでなく、異様なまでに明晰な語り口や、言葉の端々の精密なコントロール、会話への反応の鋭敏さと饒舌さ、表情変化の鮮やかさ、そしてユーモア感覚まで含めて、この40分間について行くだけでへとへとになる。
 裏を返せば、アニメなどでの芝居は、あれでも全体のバランスを考えつつパワーを適切に絞り込んだ成果なんだなあ。そして『悪役令嬢レベル99』では、抑えても抑えきれない迫力が漏れ出てくる旨味が存分に発揮されていたし、『ネガポジアングラー』では我が道を行くキャラクター(そして主人公にとっての目標にもなる)の魅力として結実していた。


 今期のアニメは、派手な流血描写が多いなあ……しかも、わりとリアリスティックに、色の赤さや粘度や、噴出の勢いまではっきり示すように描いている。
 偶然の偏りだと思うけど、いや、もしかしたら私が普段手を出していないジャンルでは、これまでも血飛沫が飛びまくっていたのだろうか?


 異世界系コンテンツで、学園編が使われやすいのも、理解はできるのだけどね……。
 様々なバックグラウンドのキャラクターを大量投入できる。意欲と能力さえあればよい。
 一般的な封建社会ならば会話も許されないような階級間格差も、学内ではほぼ無効化できる。
 学生たちはあくまで一時的で、しかも基本的に対等の関係として自由に描ける。
 学習上の目標設定を明確化させやすい。
 必要に応じて、学校側からどのようにでも行動を規制できる。
 移動範囲がキャンパス内に留まるので、手間が掛からない。
 現実の学校システムを、ある程度参照できるので、制度のディテールを把握して書きやすい。
 学校ごとの特徴を自由に設定できる(魔法学科、貴族学校、等々)。

 ただ、これらはあくまで著者サイドでの長所であって、読者サイドでは往々にしてデメリットへと反転する。例えば、「雑多な新キャラが大量投入される」、「主人公のこれまでの活躍が無にされて、ただの一学生になってしまう」、「学校の恣意的なルール設定のせいで、出来ないことが多い」、「キャンパス内に閉じ込められるので閉塞感が強い」、「既存の学園ものに接近するのでマンネリ感が強い」、等々。


 アニメ制作のプロセスについて、私なりの理解は以下のような感じ。様々な情報を総合しているので、だいたい合っていると思うけど……。アニメ系の専門学校などでは、初歩の知識として教えられている筈。

企画成立。出版社、TV会社、アニメ制作会社などが持ちかけて、製作委員会を作れたら成立。実際には、社内の個人レベルで動き出すこともわりと多いようだ(馴染みのTVプロデューサーとアニメ監督が、「次はあの作品をやりましょうよ」「良さそうですね」といった感じで)。この時点で、企画の予算規模もほぼ決まっているだろう。基本的には、OPムービーにクレジットされているのが中核スタッフと見做してよいだろう。
組織化。現場レベルでは、アニメ制作会社、プロデューサー、ディレクターを中心に、作画監督、脚本家、そして原画/動画スタッフ、作曲家、歌手などを集める(広報、放映、海外交渉なども別途動く)。ただし、監督レベルでも、企画の大枠が固まった後で、雇われディレクターとして投入される場合はあるようだ。放映時期(〆切)なども決めていく。
内容の大枠。監督、脚本家(シリーズ構成)、プロデューサー、原作者などが協議して、まずは全体的な方向性を決める。シナリオについても(どこまで進めるかなど)、これらの協議の中で決める。オリジナル作品の場合は、監督などのコアメンバーの間で方向性を決めていく(※ものによっては、当初のアイデアから大きく変更される場合もある)。必ずしも脚本家がリードするわけではない。キャラデザや衣装ディテールなども、この段階で確定される、各種設定や背景ロケハンなども同様。
各話の制作。各話のコンテ/演出/脚本/作監などが割り振られ、それぞれ作業を進めていく。個々の話数でどのような内容を扱うかも、事前に定められている。各話の内容をコントロールするのが、監督の仕事(シナリオの整合性を確保したりする)。
 脚本:まずは脚本家がシナリオを提出する。ただし、それが確定稿になるわけではなく、それに沿って絵コンテを構成していく中で、台詞を取捨選択したり、脚本家と相談して変更したり、かなり柔軟に処理されるようだ。
 絵コンテ:これは映像の青写真のようなもの。全体進行や画面レイアウトを、24分の尺に収めるように作る(OP/EDを別とすれば21分程度)。絵コンテをベースにして(あるいは絵コンテそのものを精密に作って)、厳密なタイムシートにする。この段階では、手書きのコンテ用紙であることが多いようだ(※よく知らない)。絵コンテで台本が確定した時点で、他言語版への翻訳も進められる筈。
 コンテに沿って、まずは静止画としての原画を、カットごとに作成する。作画監督が全てチェック(必要に応じて修正)して、統一感とクオリティを確保する。この段階では、色のガイドの付いた線画の状態。ものによっては、3Dモデルを利用する場合もある。
 原画をベースにして、それを動画にしていく。つまり、絵の動きをつけるように、枚数を増やしていく。原画は、カットの始めと終わりの絵であることが通例なので、その間の動きを埋める枚数という意味で、動画パートは「中割」とも呼ばれる。動画の滑らかな変化を表現するために、紙の手書きを使うこともまだある……のか? フルデジタル化している制作会社も多いと思うけど。
 線画レベルで映像がひとまず完成したら、それに着彩していく。この段階では、完全にデジタル化されている筈。色彩設計の担当者があらかじめ細かく色を指定して、それに沿って彩色していく。
 背景作画。建物の内装や風景シーンなどは、専門の美術設計が付いたうえで、動画とは分業制作されることが多いようだ。背景専門または背景特化のスタジオもある。
 撮影処理。全体の映像がひとまず出来たところで、最後にCGでエフェクトを付けたり、ぼかしを入れたり、ライティング(光の明暗などの演出)を施したりする。これは、セル撮影に倣って「撮影処理」と呼ばれているようだ。ここまでで映像としてはほぼ完成。現代のデジタル環境では、この撮影処理パートの表現上/演出上のウェイトが増していると思われる。
 映像制作と平行して、BGM(劇伴)や声優の音声芝居も入れる。声優のアフレコ(映像に声を当てて芝居をする)は、早ければタイムシートや線画の段階で行われることもある。声優ラジオの発言でも、多くの場合は原画段階(口パクが判別できるくらいの線画状態)だが、完全に彩色済みの映像にアフレコすることも稀にある、というくらいのようだ。声優の芝居については、基本的には音響監督がコントロールしつつ、監督も収録現場に同席するのが通例のようだ。脚本家は、いたりいなかったり。居合わせていれば、台詞のニュアンスなどについて説明したりフォローしたりすることが可能だが、実際には脚本家無しで音声収録する方が普通のようだ(?)。他言語版の収録も、同様に行われる。
 ダビング。劇伴(BGM)は、作曲家に別途発注されている。「夕方のシーン」「バトルシーン」「ロマンティックなシーン」のような感じの指定だろう。基本的には音響監督が、映像に合わせてBGMや効果音を付ける。音量バランスなども調整する。
 その他、細々した編集を経て、最終的に視聴覚データが完成する。指定された形で放映/配信される。

 だいたいこういったプロセスだと思う。
 ありがちな誤解として、脚本が絶対だとか、監督の意見が絶対だとか、声優が自由なテンポで芝居しているといった捉え方をするオタクを見かけることがあるけれど、さすがにそんなことは無い。 実際には、コアメンバーの間でかなり綿密なやりとりをして調整することが多いようだ。
 制作期間はかなり長い。企画が成立した時点から放映日まで、3~5年は掛かるのが通例のようだ。ものによっては、企画の練り直しなどでさらに延びるし、「あの作品をやりましょうよ」というユルい話から数年間塩漬けになっている場合もあるとのこと。言い換えれば、アニメは他の分野から数年遅れで流行を追っているとも言える。

 私のアニメ感想でも「作画」に言及することがあるが、基本的には、「絵そのものにきちんとコストを掛けている」くらいの意味合いで使っている。つまり、線画の精密度、動画のリッチさ、色彩設計の良さあたりを大まかに指している。それに対して、レイアウトの良否、映像的テンポのコントロール、音響表現などは「演出」の次元で捉えている。作画班の頑張りそれ自体は正当に評価されるべきだが、それを映像表現の最終的なアウトプットとしての完成度やインパクトにつなげられるかどうかは、絵コンテや演出の領分になる。


 ……なん……だと……!? アニメ版『カムイさん』で、友永氏と青山氏が共演(?)しているとは……(第3話)。配信サイトでEDクレジットを確認してみたが、他の回でも、桃井氏、かわしま氏、柚木氏、遠野氏とベテラン美少女PCゲーム声優が立て続けに出演されている。まさかこんな機会が得られるとは……。

2026/07/11

漫画雑話(2026年7月)

 2026年7月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

2026/07/06

アニメ雑記(2026年7月)

 2026年7月の新作アニメ感想(※第4話あたりまで)。
 さしあたり『キャラメリゼ』(80点)、『クレバテスII』、『さよならララ』(80点)、『対あり』(70点)、『ジャードゥーガル』(85点)、『透明な夜』(65点)、『BLACK TORCH』(70点)、『ダンシング』(80点)の8本を視聴継続している。とりあえずおおまかに点数も付けてみる。60点台はひとまず合格、70点台は独自の個性があり、80点台は非常に充実した視聴覚表現とコンセプチュアルな特異性がある作品。
 『グロウアップショウ』と『手札が多め』は、精読はせずに流し見程度に付き合っていく。『岩元先輩』『捨てられ聖女』『ブチ切れ』『メビウス・ダスト』は、第1話のクオリティが期待に届かなかったので、残念ながら退却。