2026/08/18

2026年8月の雑記

 2026年8月の雑記。

 08/15(Sat)

 この夏アニメはずいぶん凸凹が大きくて、荒れ模様な感じなのかな。中堅クラスのタイトルに意欲作がたくさんあって多士済々なのだが、その一方で予想外の大ハズレも大量に出ているようだ。
 前者は、正統派少女漫画+特撮怪獣の『キャラメリゼ』を筆頭に、滋味豊かなオリジナルアニメ『さよならララ』、ユニークな絵柄で中世モンゴルの風土文物を情感豊かに描いている政治的復讐ものの『ジャードゥーガル』など、アニメ史全体の中でも珍しいであろう突出した個性を備えた作品がいくつも表れている。さらに、中国風世界をフィーチャーした近年の代表作の一つ『ふつつかな悪女』や、『攻殻』リメイク、映像を丁寧に作り込んでいる現代異能バトル『BLACK TORCH』、昭和30年代の美少女サーカス団という題材の選び方が非常に面白い『グロウアップショウ』もある。
 後者は、原作やコンセプト(素材)は良いのに、アニメ版演出が大失敗しているパターンが多い。こういうのは悲しい。ありがちな、「凡庸な原作を低予算でイージーに仕上げた」のならば諦めもつくのだが、ポテンシャルを活かせなかったケースはあまりにももったいない。


 ちょっと驚いた話。動詞「まぐわう」の未然形は、「まぐわわない」になるんだな……。「味わう」「賑わう」と同じ活用類型なので、文法上は確かにこうなるのだが、とある本で目にして、「……え? 『わわ』になるんだっけ? いや、合ってる。そうか、そうなんだな……」と。


 さて、せっかくだから今期も、『ジャードゥーガル』について原作との比較精読をやってみる。とはいえ、心情のドラマというよりは政治劇としての側面が強いので、あっさり軽めに書くつもり。そして、たぶん途中までで止める(※最終話まで律儀にやる必要は無いだろう)。
 第1話のコメンタリーは4700字、第2話は2500字と、幸いにも『淡島』のときの半分くらいの文字数でコンパクトに収まっている。第3話は1600字(累計8800字)。第4話は2000字、第5話も1600字、そして中盤のクライマックスの第6話も2100文字、第7話はわずか1300字、第8話は2500字(累計17700字)。このくらいなら手間も軽いなあ。

 とはいえ、この作品はそんなに好きではないんだよね……。例えば、知(科学)の位置づけがぶれているように見えるし、明らかに余計なシーンも散見される(※今後のための布石かもしれないけど……)。人々の出会い方もかなり恣意的で、露骨にご都合主義的だ。この漫画家の他の作品も、史実に追われてグダグダになっていたりレイアウトがあんまりきれいではなかったりする。特に『スムバト』は、第1巻を買って読んだら物凄くがっかりした。だから、そこまで評価されるほどのクリエイターではないと思っているのだが、しかしそれでもこういう意欲的なモティーフに取り組んでくれているのはありがたいし、ネタの着目の仕方も面白いのは確かだ。


 本職声優の価値は、台詞の解釈を掘り下げて、それを最善の形で伝わるように喋ってくれるスキルに存する。その意味で、素人(有名人など)がただ声を出すのとは別次元の――そもそも比較の俎上に乗せられないほどの――創造的な活動だ。
 もちろん、素人でも、音響監督から手取り足取りあやされて、台詞の意味づけを発声に乗るようにすることは可能だ。あるいは、私たち一般人が、アニメなどの物真似をしてそれっぽく喋ることも、ある程度はできるだろう。しかし本職声優たちは、そうした解釈の深みをゼロから自力で作り出すことができるし、監督たちが事前に想像/想定した以上の優れたアウトプットを作り出すこともできる。決定的に違うのはその点だ。
 そしてこれは、素人(有名人)がしゃしゃり出てきてアニメに声を当てることを強く非難しなければいけない理由でもある。「きれいな声」とか「存在感がある」とか「キャラに合っている」とか「リアルっぽい」といった的外れな正当化が図られる場合もあるが、視聴覚媒体としてのアニメ作品において、作品の形姿をもっと――最も――優れたものにするうえで重要なのは、台詞の解釈とその効果的な具体化(表現力)だ。この点を無視して「声優の価値」や「素人の声優挑戦の当否」を論じるのは、私見ではすべてナンセンスだ。
 (現実には、残念ながらプロの人気声優の中にも、言葉のニュアンスを掘り下げられない大根役者は少なからず存在するのだが、それはまた別の問題。)

アニメ雑記(2026年8月)

 2026年8月の新作アニメ感想(第5話~)。
 『キャラメリゼ』(現時点での評価は80点)、『クレバテスII』(70点)、『グロウアップショウ』(70点)、『さよならララ』(80点)、『対あり』(70点)、『ジャードゥーガル』(85点)、『透明な夜』(75点)、『BLACK TORCH』(70点)の8本を視聴継続している。『手札が多め』(70点)は、精読はせずに流し見程度に付き合っていく。『ふつつかな悪女』(70点)は後追いで視聴したが、継続するかどうかは迷っている。『ダンシング』は、演出(構成)が下手すぎるのでおしまい。


●『乙女怪獣キャラメリゼ』
 第5話。進級した春と、新しい友人。怪獣化ノルマは序盤であっさりとこなしつつ、メイクによる自己承認を語る。主人公が抱えている問題を、外面に症状が現れる身体的コンプレックスだと明言するのはたいへん悲しくつらい。
 今回の新キャラ(ギャル)を演じているのは、白石氏。彼女をゴリラキャラとして戯画的に描きすぎているのは、本作のコンセプトに照らしていささか問題無しとはしないが、まあぎりぎり許容範囲内か。

 第6話。正統派な少女漫画テーマを真正面から描いている。前半パートのSD主人公も、動きの勢いを表現するうえで上手く作用しているし、キスを巡る演出もこの作品らしく個性的なシーンに作り上げている。作品コンセプトと、それを形にする演出と、それらを下支えする安定感のある作画の三者がきちんと噛み合っている。

 第7話。今回は花火大会。ユニークな設定を投入することで、ベタなネタにも新たな面白味を作り出していて、なかなか上手い。真に迫った情緒と、コメディらしい堂々とした開き直りのバランスも面白いし、映像作りとしてもロマンティックなシーンを非常に効果的なレイアウトで見せている。
 そして最後に、まさかのメトロン星人ネタ。というか、サブタイトルからして「狙われた街」→「狙われた新汰」と、パロディになっている。
 それにしても、黒セーラー服が普通の夏服になってしまった点だけは惜しまれる……。


●『クレバテスII』
 第5話。学園が二重世界であることが明示されたが、物語としてはアリシアの脱出行くらいしか進展が無い。しかしその割に、黒幕に関しては察しが良すぎる(話を急ぎすぎている)し、説明的なモノローグ過多も相変わらず。映像面では、力感のある激しいバトル表現や個性的なグロテスク描写が目を引く。

 第6話。バトルシーンの連続は、絵としての迫力はあるし樹木の伸張などのアニメーションも手が込んでいるが、ストーリーとしては歯切れが悪いまま。


●『グロウアップショウ』
 第5話。調子が上がってきた。雨のしっとりした情緒と、木造家屋のノスタルジックな雰囲気、双子キャラのバックグラウンドを掘り下げる優しい物語、そして洒落っ気のあるユーモラスな演出。今回の絵コンテも、亀井幹太監督自身による。
 今回の悪役キャラを演じているのは生天目氏。

 昭和30年代のサーカス団というのは、確かに上手いシチュエーションだと腑に落ちてきた。つまり、
 1) 美少女ものを、ノスタルジー世界とレトロ原色デザインと取り合わせる新奇性。00年代風の256色ヴィヴィッドカラーでもなく、20年代風の暗い中間色でもない。セピア色寄りの統一感を持ちつつ、色彩的な賑やかさも確保している。上手いチョイスだと思う。
 2) 戦後復興期の、ひたすら自由で、無邪気にポジティヴでいられる雰囲気(※もちろんこれは昭和を後から美化したイメージなのだが、フィクションとしてはこのくらいのアレンジは十分あり)。
 3) サーカスは、キャラクターの全身運動の魅力を前面に押し出せる。現代のステージアイドルものと、相通じるところもありつつ、パフォーマンスのスタイルはまったく異なっているので独自性を打ち出せるし、「サーカス」それ自体としても、広くイメージが共有されているので受け入れられやすい。
 ただし、これまでのところ、そういうパフォーマンス動画としての面白味は、あまり作り出せていない。ブランコ芸も単純な動きだし、マジックも突飛な超自然的現象になってしまっている(※これはアニメ媒体ならではの問題でもある。アニメは「何でも描ける」というのが当然の前提であるため、どんなにアクロバティックなサーカス芸を披露しても、それをリアルな凄味として感じ取るのが難しい)。

 第6話は、主人公の以前の知り合いが訪問し、それぞれの過去が次第に掘り下げられていく。ひまわりサーカスの成り立ちについても、怪しげな布石の描写がいくつも出てきている。しかし映像それ自体としては、止め絵で長尺を保たせるなど、省力作画になっている。ところどころにユーモラスな演出もあるのだが、それだけで興味を持続させるのは難しい。絵コンテは今回も亀井監督自身による。

 第7話。この作品も、過去回想で主人公の動機付けを掘り下げる(※他の作品もしばしばこの手法を使っている)。話の道筋が明確になったおかげもあって、映像の流れも非常にきれいになっている。演技を見守る人々の間に漂うその場の空気も、しっとりと伝わってくる。


●『さよならララ』
 第5話。ケーキ店「アンデケン」で働き始める。密度感のある屋内俯瞰レイアウトは、今回も効果的に使われている。実在のお店(近江八幡市)を使っているためもあり、スタッフの名字は市内または近隣の地名から取られているようだ。キャストは、さすがに滋賀出身オンリーとはいかず、京都出身者や大阪出身者もいる(※実際、滋賀県内には京都や大阪の出身者も多数生活している筈だし、このくらいの混在はむしろリアルだろう)。
 アルバイトを通じて、人間の集団生活に触れる主人公。その風景が、写真現像のシーンでじんわりと形を成していくところがたいへん印象的。写真だけでなく、自家用車のルームミラーに主人公の姿が映り込んでいるというテクニカルなカットもあり、バイト先のスタッフたちが彼女をそっと見守っている視線もそっと描写されており、今回はとりわけ視界(視線)の存在が強調されている。一見素朴なようでいて、作りはかなりしたたかで、しかもテーマそのものは(今のところ)ストレートというバランスも興味深い。
 ララの履歴書の書体もやたら凝っている。前衛書か何かのような幾何学的な面白さがある。

 第6話は、姉リサの視点からの回想、そしてCパートでは王子(?)が登場。蛍光グリーンの妖しい色合いや、夕暮れの鮮やかなグラデーションなど、色彩的な豊かさが素晴らしい。灯火に羽虫が集まっている様子なども、雰囲気が良く出ている。

 第7話。茉里の思いきりのよい突き飛ばしに笑ってしまったが、そこからジェットコースター的にどんどん状況が変化していく。過去との二重写しに、ルカの意外な不器用さと真摯さ、ちょっと肩透かしな観光地利用、そして滋賀の街中を歩く手触りの実感に至るまで。最後のカットは、靴に付いた泡かな?
 細かい話だけど、SNSメッセージの画面上での見せ方も面白かった。こういうレイアウトは、いかにもありそうな発想ではあるけれど、類例はどのくらいあるのだろうか。
 今回の突き落としシーンは、湖畔の街を舞台にしたことが作劇上機能した初めての機会……か?


●『対ありでした』
 第5話。関東旅行の中で、友人たちとしっとりとした情緒と情熱を共有するという、一種の思春期日常ものとしての側面を出したエピソード。たまにはこういう雰囲気も良い。

 第6話。なぜか井畑監督が脚本+絵コンテ+演出を担当し、そのうえ王雀孫氏が脚本協力しているという不思議な編成。システム談義から、格ゲーに向き合うスタンス、新キャラ、イベントの雰囲気と盛りだくさん。久野氏の小癪キャラもなかなかの味わい。映像面でも、流れる髪のアニメーションや、引き締まったレイアウトなど、なかなか良い感じ。
 登壇者「フランベルジュ」は、現実にe-Sports実況で活躍している人物がここで声当てをしているらしい。作中の音声それ自体は、まあ、あれでよいと思うけれど、こういうのはあまり嬉しい話ではない。


●『手札が多めのビクトリア』
 第5話は、投獄された青年を救出するだけの話……なのだが、やけに映像の出来が良くて、じっくり見入ってしまう(絵コンテはヤマサキオサム氏、演出は渡辺正彦氏)。冒頭の立橋の影のシーンから、屋内灯火の光源表現(ライティング)、効果的なロングショット構図、そして作画に関しても乗馬のアニメーションや背景美術など、きれいに出来ている。主演の安済氏も、変装時の雰囲気の変化や繊細なモノローグなど、台本上のシチュエーションやニュアンスを巧みに反映させている。
 さらに、魔女のコスチュームを楽しむノンナや、お姫様コスプレで恥じらう主人公、さらに独自言語での演劇と、風変わりなうえに興味深いシーンもある(※言語設定にも独自のスタッフが付いている:造語制作=三井秀樹氏)。

 第6話は、思わせぶりだが非常に雑な内容に見える。コンテはおかしなカットつなぎで空回りしているし、黒ベタ演出(レターボックス)も上手くいっていない。ただし、乗馬の作画だけはやけに出来が良いし、印象的な絵もあるのだけど……。今回の絵コンテの松園氏は、80年代以来のベテランのようだが、キャリアの如何にかかわらず、良くないものは良くない。後輩が護衛に追われているシーンとか、主人公が一人で馬車を見送っている場面とか、映像としての状況把握そのものが破綻している。ひどい。
 シナリオも散漫で、一応は「少女の保護者であることが、主人公自身の日常の支えになっている」というラインに沿っているのだが、短くて余計なシーンを入れまくるせいで非常に雑然とした印象を受ける。それ以外もいろいろとイージーな展開が多い。とりわけケーキ店と男爵夫妻のあたりは、説明不足でつながりが成り立っていない。バーの店長が変装のことまで知っていたのもおかしい。原作小説では適切な経緯説明があったのかもしれないが、このアニメ版で視聴するかぎりでは、あまりにも筋の通らない箇所が多すぎる。これはおそらくアニメ版の脚本家が悪い。
 暗い過去を持つ主人公が、ミニマルな日常生活を希求して、そしてそれが故にこそ隙を作ってしまうという作劇は、気分としてはよく分かるのだけど……。そして、捨てられた少女に、自分自身の過去を投影して、「工作員として育てられて、幸せな思春期を得られなかった自分の代わりに、この子に日常の幸福を保障してあげよう」という心情の動きも、苦みのある情趣があるのだけど……。他人に頼らず自立して(≒孤独に)生きようとしているのに、周囲の善良な人間関係に絡め取られてしまうというも、面白くはあるのだけど……。だけどねえ……。


●『天幕のジャードゥーガル』
 第6話は、小清水氏のモノローグ(ナレーション)でリードされる、ドレゲネの長大な回想。前回にも増して凄みのある、名匠小清水氏の芝居。心情のデリケートな移ろいと、その底にわだかまる暗いパッションを、あくまで芸術的な品位と緊張感を持って演じている。映像表現としても、神託の踊りのプリミティヴな迫力とミステリアスな陶酔の演出は息をのむ出来映えだ……って、老族長の役は石田彰氏だ!!! 後半の悲劇的なシーンも、駆け回る馬たちのアニメーションが切迫感とを煽る。妖しいカーマイン色のオーロラも、流血の過去と復讐の密約を効果的に演出しつつ、双方を結びつけている(※このオーロラは、実際にモンゴルで発生することがあるらしい)。原画/動画も潤沢に投入されているようで、中盤のクライマックスに相応しい密度と劇的な動きを表現しきっている。
 少女「クラン」役は水瀬氏。ちょうど『ダンシング』第5話でも少女役として出演していたが、なるほど、こういう芝居が得意な方なのかな。
 関根氏は、ラジオトークを聴くかぎりでは声の細いしゃべり方のようだ。だから役柄の適性としては、静かなモノローグに感情を乗せていく方が合っているのだろう(※本作しかり、『クレバテスII』の姫しかり)。それに対し、パワフルなキャラクターを演じるときは、「悪くはないけれどちょっと薄い」という印象になりがちになる(※『第七王子』の中華系元気キャラや、『キャラメリゼ』の怪獣マニアキャラなど)。

 第7話は、一転して世界史的な大きな動きに目を向ける。対外的には中国(金国)への侵攻、対内的には産業(交易)振興と、オゴタイたちの支配-統治構想が展開される。劇伴の付け方(映像と音響のマッチング)が上手いのは、いったいどうやっているのだろうか。

 第8話。皇后ボラクチンを相手取って、いよいよ本格的な謀略劇が展開されていく。プロットそのものはご都合的要素もあるのだが、冷え冷えとした緊張感の演出が素晴らしい。ボラクチン役の「くじら」氏も、なかなか心の底を見せないしたたかなキャラクターの分厚さを巧みに表現している。色彩的にも、老皇后ボラクチンのシーンは彩度をかなり低く着彩されており、それが彼女の落ち着きぶりと捉えがたいミステリアスさを視聴者に感じさせる。絵柄そのものは記号的なのに、キャラクターの人格造形はけっして記号的ではなく、それぞれにバックグラウンド(人生経験)の厚みや、自立的で強靱な意志に基づいた言動の手応えがあるのも良い。
 皇后に付き添ってる女性(モゲ)は、袂や長髪を元気よく振り回しながら賑やかに動き回っている。このアニメーション表現も、含みに満ちた会話劇の緊張感を一時的に緩和して映像的な抑揚を与えることに寄与している。このキャラクターに限らず、動画媒体ならではの繊細な振り付けが、キャラクターの内面の動きや物語上のニュアンスを巧みに表現している。このあたりも上手い。今回の絵コンテ&演出は、若手(たぶん)クリエイターの村越麻海氏。本作への参加はこれが初めて(?)だが、これまでに2本の監督作品がある。
 その一方で、主人公側のドレゲネは早々におまけ扱いになってしまっているようだ。主人公の策謀の踏み台だということでもあり、また、その気弱な姿はファーティマ陣営の脆弱さ、政治的駆け引きの未熟さ、視野の狭さ、知識の乏しさ、経験の浅さを示唆するようでもある。ボラクチンたちの気宇壮大な世界構想や鋭敏きわまりない理解力を見せつけられたにもかかわらず、ファーティマが彼女を与しやすしと見くびってしまっている迂闊さにも、それが表れている。
 原作漫画を掘り出してきたが、この時点で単行本第3巻の中程あたりまで来ている。漫画では比較的小さなコマにキャラクターの全身を詰め込んでいたが、アニメ版では草原の広大さや、テント内の明暗、そして衣装の色彩感など、背景を含めた画面全体のバランスよい広がりがあって、作品の雰囲気を開放的なものにしている。盥の水を地面に流したところに星空が映り、そしてその星空が別の場面へとつながる幻想的なカットつなぎも、アニメ版独自の演出。


●『透明な夜に~』
 第5話。とても良い回。前半はヒロイン側から、彼女の白い視界をアニメーションとして描写している。見た目の説得力もあるし、それでいて観葉植物や食事がぼんやりとイメージで描かれるデリケートさもあるし、男性主人公との距離感やもどかしさも視聴者によく伝わる。もちろん、恋愛関係についての、「霧のような先の見えなさ」の演出でもあるだろう。アニメ(作画映像)媒体ならではの表現力を、テーマに即して活用している素晴らしい成功例。
 後半パートでは、恋愛を意識した二人の間の、躊躇逡巡しつつ迂遠ながら気持ちを伝えようとする会話のレトリックも上手くハマっている。いつものテラスでのレイアウトも、奥行きの立体感をほどよく強調しつつ、まるで開放的な小部屋で上演される舞台演劇のような、引き締まった緊張感と静かなテンポがある。ひらけた場所でもあるのだが、同時にコンクリ壁やフェンスに囲まれたひそやかな親密空間でもあり(しかも同時に、檻としての側面もある)、さらに周囲のオブジェクトが状況の複雑さをも示唆している。非常に興味深いロケーション設定。フェンスの影が、曇り空(日没)とともに静かに消えていくグラデーションもなかなか暗示的。
 さらに、OP/EDが新規制作されている。OPは完全新規だし、EDもキャラクターの動きが追加されている。今回の絵コンテは海野なまこ氏、演出は木村権祐氏。

 第6話。あっ……『めぞん一刻』以来の古典的なキスシーンだ……。ウブな大学生らしい、初々しいラブストーリーが微笑ましい(※大学生らしい迂闊さも垣間見えるが、それはそれで仕方ない)。作画のレベルでも、喋りに合わせたキャラクターの表情変化を豊かに描いている。今回のサブタイトルは、事前表示では前回とまったく同じ「打ち上げ花火」だったので何かのエラーか、「前編/後編」の脱落か何かを疑ったが、本編の末尾では「空白のテラス席」という正式なサブタイトルが表示された。うん、確かにこれは、ドラマの大きな転回を予示してしまうので、視聴前には出しにくいタイトルだ。
 「善良だがしたたかな早見沙織キャラの、掌の上で転がされる」のは、楽しいよね……。


●『ふつつかな悪女』
 思い立って第1話から視聴してみたら、かなり面白かった。継続していこう。
 山崎みつえ監督は、昨年の『全修。』もディレクションされていたのでクオリティ面では十分信用できる。主要キャストは今一つ薄味だが、けっして悪くはない。菱川氏の不機嫌女官キャラも、良い味を出している(特に第3話の芝居は、抜群の迫力がある)。映像面でも、振り返りなどの際に見せる瞬間的な表情などに、キャラクターの魅力が発揮されている。
 ただし、根本的にはエンタメドラマの域を出ない。キャラクターの心情表現も、真に迫った深みは感じられない。「何事も根性だぞ」という台詞に代表されるようなイージーさもある。
 うーん、どうしようかな……。楽しいエンタメ作品として非常に堅実に作られているし、シリアス要素の塩梅も程良いバランスだし、菱川氏の芝居をじっくり聴き込める機会でもある。しかしその一方で、徹頭徹尾エンタメであって、心情的なドラマの深みがあるわけではなさそうだし、絵作りも整ってはいるがそれほど凄いわけでもない。原作からして評価の高い作品で、アニメ版の配信サイトの視聴数を見ても高い人気で安定しているようだから、私が手を出さなくても正当に歴史に残るだろう。うーん……。

 第5話は祭事の踊り。それぞれの振り付けのアニメーションがきちんと個性を造形しており、なおかつ舞踊としての魅力も十分に表現している(※柄物+長袖でクルクル旋回する胡旋舞を、よくもまあ見事に作画したものだ)。絵コンテ&演出は、副監督の野呂純恵氏(※山崎監督の前作『全修。』でも、いくつかの話数で演出を担当していたクリエイター)。

 第6話。相変わらず、ちょっと強引な展開もあるのだが、音響面まで含めたドラマティックな見せ方の気持ちよさも非常に良く出来ている。ストーリー面では、朱姫のバックグラウンドが掘り下げられており、また呪具(?)による策謀も示唆されつつある。


●『BLACK TORCH』
 第5話。正統派のきちんとした作画で、バトルシーンも空間的な奥行きやスピード感、そして打撃の迫力を巧みに表現している。歯列まで丁寧に描き込んでいるのも、野性的な荒々しさと整った美しさを奇妙に両立させていて面白い。
 黒猫キャラの扱いも上手い。リアリスティックに動物のしなやかな体つきを描きつつ、あざとくもならず、それでいて適切に存在感を発揮している。
 ただし、シナリオに関しては、ベタで掘り下げが浅く、今のところ面白味は乏しい。

 第6話。前回からの続きで、三者三様の回想が展開される。前半のバトルシーンは、冷え冷えとした緊張感や跳ねるような躍動感を上手く表現しているし、後半の真相解示も悲劇的なドラマで描かれ、中盤のクライマックスに相応しいクオリティ。
 そして今回も、上田燿司氏の芝居が良い……実に良い。通常の黒猫状態と、過去時点と、そしてモンスター化の3種類をそれぞれ、深い説得力で演じている。
 しかし、残り6話(たぶん)で、OPに出てくるキャラクターたちが全員ちゃんと登場できるのだろうか? 原作が全5巻で完結しているので、1クールで収められそうなのだが……。もしかして、原作者が元々構想していたシナリオどおりに、アニメオリ込みの2クールで物語をじっくり描ききってくれたら面白いかもしれない。


『ワールド イズ ダンシング』
 第5話。欠点が露わになってきた。たしかに動画はダイナミックに動かしまくっているのだが、それが効果に結びついておらず、ただ落ち着きのないサーカス芸で終わってしまっている。視聴覚演出としては、シーンごとの重要度やニュアンスの意味づけができていないし、肝心の舞のシーン(Bパート)も面白味や新奇性が見て取れない。うーん。要するに、「作画班は頑張っているのに、脚本構成と演出が致命的に的外れなせいで、チグハグで筋の通らない凡作になってしまっている」という認識。前シーズンの『春夏秋冬』や昨年の『LAZARUS』と同じ轍を踏んでいる。
 構成と演出が失敗しているのは、AパートとBパートの対比にも表れている。Aパートでは、大胆なデフォルメを多用しつつ、超人的な躍動感のある全身運動をこれでもかと見せつけている。そこは素晴らしい。しかし、Bパートの舞台上では、写実志向の――現実的な人体機能の限界に縛られた――舞を描いており、その姿はいかにも精彩を欠く。シナリオ上では、未熟ながらも舞踊の新たな世界を垣間見させるものである筈なのに、それが見えてこないのは、そういった演出の失敗のせいもある。
 うーん……もう切ろうかなあ。濃密な動画表現は素晴らしいのだが、それらが物語とちっとも連動していないので、ナンセンスな空転で終わってしまっているので。絵は面白いだけに、実にもったいない。これは監督(と脚本)が悪い。黒柳監督は、00年代からのキャリアのあるアニメーターで、監督としてもこれが6作目のようだが、うーん。川滿氏は、これまで9本ほどのタイトルに脚本参加しており、シリーズ構成としてはこれが初仕事のようだ。

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2026/08/17

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第8話

 第8話「大カトゥン ボラクチン」

 原作漫画の第15話の続き(3巻22頁)から17話の終わりまで。時代はひきつづき1230年から、翌1231年に金国侵攻が開始された頃まで。
 サブタイトルは、今回の実質的なメインキャラクターを指している。
 脚本は佐藤寿昭(担当話数はこれで3つ目)。絵コンテ&演出は村越麻海。本作の制作会社サイエンスSARUの社内クリエイターで、キャリアは比較的若いものの、いくつかの作品で作画監督も務めている。

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第7話

 第7話「兄弟」

 原作漫画の第13話の途中(2巻131頁以下)から、第15話の途中(3巻22頁)まで。時代はひきつづき1229年から、翌1230年まで。
 サブタイトルは、今回描かれるチャガタイ-オゴタイ-トルイたちの状況をストレートに示唆している。
 脚本は井上美緒(第4話も担当した)。絵コンテは安部祐二郎とNicholas McKergowの連名。安部氏は第3話も担当している。McKergow氏は若手のアニメーターで、ネットにはオーストラリア出身との情報もある。演出も安部氏。
 

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第6話

 第6話「メルゲンの民」

 原作漫画の第11話から、第13話の途中(2巻133頁)までを描いている。時代設定は1229年だが、後述のように1204年頃の出来事を回顧している。
 サブタイトルは、メルキト族の異名(あるいは名前の由来)の「メルゲン(=弓の名手)の民」から取っている。
 脚本は佐藤寿昭(3話、8話も担当)。絵コンテは安藤雅司。複数のジブリ作品で作画監督を務めた実力派で、主に劇場アニメ制作で活躍しており、クール制TVアニメでの仕事はかなり珍しいようだ。しかしその力量は、この話数でもシャーマンの踊りで発揮されている。演出の松永浩太郎は、他の作品でも演出家としての仕事が中心のようだ。