2026年5月の雑記。
05/18(Mon)
最近、アニメ系のwebラジオをいくつか聴いてみたけど、出演声優たちが各回の内容について具体的に掘り下げた話をしていたり、お互いの役についての演技論を語ったりしているのが、わりと新鮮
に感じる。それどころか、オーディションに関する内幕話も――例えば、どのキャラでオーディションを受けたかなどを――堂々と話題にしているのに、びっくりさせられる。
昔の世代(80年代生まれ以前?)は、「未熟な役者が偉そうに芝居論を語るべきではない」とか、「芝居そのもので聞き手を納得させるべきであって、後からの説明でフォローするのは逃げだ」といった気風が強かったようで、フリートークやwebラジオでも、作品のディテールや自身の芝居やについては禁欲的であるというのが普通だった(※それでも沢城氏とかは「キャラクターが歩くときのテンポと呼吸まで想像しながら役を作っています」などと、芝居のデリカシーに触れる話もしていた)。あるいは、webラジオで演技論になるときも、「こういうことを聞いちゃっていいのか分からないんですけど……」と控えめに断ってから、芝居のアプローチの話に入っていくくらいだった。……いや、私が聴いてきたのはごく一部だから、それに当てはまらない例も少なくないだろうけど(※「胃~之煮」のように親密な役者同士のプライヴェートラジオでは、時折そういう話題に踏み込んだりしていた)。
最近では、例えば『上伊那ぼたん』のアフタートークでも、「この場面があのシーンにつながるんだよね」とか、「この状況での、このキャラの心情は~」といったようなことを、衒いもなく躊躇もなく、どんどん語っている。時代が変わった、世代が変わった、ということなのだろうけど、また同時に、本気で芝居のことを考えている役者たちが正当にも頭角を現してきているということでもある(※10年代あたりは、通り一遍で薄っぺらいコメントをするだけのアイドル声優が多かったので……)。
(※ちなみに「音泉」サイトは絶対に開かない。リスナーからのセクハラメールや出演声優を馬鹿にするメールをぶっ通しでラジオ採用しているようなところなので。)
現代の商業主義的な「消費するのが良いオタクだ」というイデオロギーや、「グッズを買い集めることでファンとしての自己表現をする」(※とりわけ女性向けに顕著)のような風潮にはうんざりしている。しかしその一方で、大昔(80年代以前?)のマニアたちの間に存在した、「ただ消費するしか能のない奴らには何の価値もない、優れたものを創作し発信していなければ趣味人に値しない」というマッチョなエリート主義思考も(※現在でも明らかにそういう発想に立脚している有名クリエイターはいる)、それはそれで私はまったく受け付けなかった。
その中間の、程良いところにいたかったのだが、それは歴史的に見ても90年代後半から00年代前半、つまりM事件のトラウマをようやく脱した時期から、アイドルグループが進出してきた時期までの、ごく短い端境期にすぎなかった。
既存キャラをプラモデル化することの長所と短所。
近年、漫画やアニメのキャラクターを可動ガールプラモとして商品化する傾向が、いよいよ強まっている。しかし根本的には、キャラクター性を押し出すグッズとしても、ファンアイテムとしても、プラモデル化には大きなミスマッチがあるように思える。具体的には:
1) 物理的に。15cm級の小さなサイズで、魅力に欠ける(※大スケールのキットも存在するが、かなりの少数派で、しかも固定ポーズ)。競合グッズとして、迫力のある完成品フィギュアや、手軽なバッジ/アクスタが溢れている。
2) キャラクター性について。プラモデルとして立体化したキットは、元デザインにあまり似ていない(※とりわけKotobukiyaは、どんなキャラもKotobukiya顔になってしまう。まあ、ブラックマジシャンガールなどの例外もあるけど)。また、可動確保のためにジョイントが剥き出しになっているのが通例で、キャラクターのシルエットの美しさを素直に享受するのがやや難しい。さらに、パーツ成形の都合上、ディテール再現も不十分なことがある。
3) 市場的に。製造までに時間が掛かりすぎるため、旬を逃す。言い換えれば、よほど人気を読まなければセールスが失敗に終わるリスクが高い。さらに、販路も大きく限定され、価格も比較的高い。プライズフィギュアや小物グッズであれば、アニメ放映や大型イベントなどに合わせた機動的な製造販売ができる。
というわけで、キャラクターグッズとしては不利な要因が多すぎる。模型メーカー視点では、「既存キャラの方が売れる」という判断になるのも分かるけど、消費者(ファン)側の視点で言うと、「中途半端な造形だし、高額だし、なかなか買えないし、組み立ても大変」という扱いにくい代物になる。
しかしそれでも、ユーザー各自が、机の上で好きなキャラクターに自由なポーズを取らせることが出来るという実在感の手応えは、やはり絶大だろう。また、造形に関しても、昨年末あたりから(?)、元キャラの雰囲気にそれぞれ上手く合わせたキットが出てくるようになってきたと思う。ディテールの再現性と購入価格は、どうしてもトレードオフになりがちなので、グッスマやKotobukiyaのように8000円台や9000円台の高額キット傾向になるのも、まあ、やむを得ないけれど。
販路や価格や購入機会の問題は、一時期のコロナ品薄苦境を経た現在では、家電量販店やオンラインショッピングがかなりカヴァーして、買いやすくなってきたとは思う。しかし、BANDAIのfigure-riseシリーズですら、既存キャラクターのプラモデル化でビッグセールスを生み出すことには苦労しているように見受けられる(※まあ、『DRAGON BALL』キットとか『仮面ライダー』キットとかは、良く売れているのかもしれないけど……店頭在庫がずっと残っているし、ちゃんと売れているのかどうかは素人目には分からない)。
模型趣味それ自体も、10年代以降のSNS社会では、目を瞠るような完成写真やキャッチーな一枚がどんどんアップロードされていくので、モデラー以外の一般人への露出機会が激増した。こうした環境も、模型分野にとっては、まあ、どちらかと言えば追い風になっている筈なので、まだまだガールプラモの市場拡大の余地はあると思う(※2024年頃には、ガールプラモ市場はもうピークに達して飽和したかと思っていたけど、2026年現在の目で見ると、まだもう少しは伸ばせそうなんだよね……)。
個人的には、FAGのような「元キャラ(元ネタ)の造形に縛られない、自由なアレンジ(つまり女体化アプローチ)」+「メカガールなので、機械的な関節部が露出していても構わない」というのが、最もスマートな解決だと、いまだに思っている。AoshimaのVFGシリーズも、その点では上手いバランスの企画だと言える。
とはいえ、2010年代風の女体化路線はさすがに飽きられてきているだろう。それ以外の様々な道を模索しているのが、ファンタジー路線の「アルカナディア」だったり、現実寄り(?)の学生キャラシリーズ「創彩少女庭園」だったり、動かして遊ぶことに特化させた「メガロマリア」だったりするわけで、大きな目で見れば、Kotobukiyaの一連の試みは理解できる。
定価9800円で買った「ボルチモア」も、箱絵(原作イラスト)の凜々しさを、プラモの顔は全然表現できていなかったからなあ……。いや、物理的に「猿真似で似せろ」という話ではなくて、そのキャラらしさの雰囲気をキープしてほしいという話であり、また、ガールプラモの顔立ちはややもすると画一的になりがちだよねという話でもある。