2026/06/30

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第2話

 第2話「岡部絵美と小野田幸恵/伊吹桂子と田畑若菜」。
 原作漫画の順序どおり、第1巻の第3話から第4話の途中(第1巻109頁)まで。
 脚本は中西やすひろ、絵コンテ&演出は渡邉こと乃。中西氏は、シリーズ構成を務めつつ大部分の話数を担当しており、それを補うように4話、7話、9話の比較的脇筋寄りのエピソードを綾奈ゆにこが担当している。綾奈氏は、同じく志村氏原作のアニメ化『青い花』(2009)でも、いくつかの話数を担当している。
 渡邉氏は12話のうち計5話について、絵コンテ(時には演出も)担当している。

2026/06/29

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第1話

 【 はじめに 】
 本稿の目的は、アニメ版『淡島百景』を原作漫画と対照してその異同を確認し、それを通じてアニメ版がいかに独自の試みを加えているかを明らかにすることである。あらかじめ先取りして概要を説明しておくと、このアニメ版は、シナリオ構成や台詞、さらには画面レイアウトに関しては、ほぼそのまま原作の表現を流用している。しかし、アニメ版による新たなカットや、色彩的な表現、そして音声演出による意味づけといったディテールを通じて、アニメ版独自の解釈と豊かさが生み出されていることも確かである。本稿は、第一義的には、そうしたアニメ版スタッフによる創造性がどのようなものであるかを、少しでも明らかにすることを目指している。またさらにこの比較作業を通じて、原作とアニメ版の両方の媒体的な特質についても一定の示唆を見出すことを試みたい。 

2026/06/06

2026年6月の雑記

 2026年6月の雑記。

 06/22(Mon)

 【 現代エンタメにおける悲劇の欠落 】
 現代日本のエンタメ(とりわけサブカル系)が、強迫的なまでにハッピーエンドを志向(要求)しがちなのは、もったいないと感じている。歴史的に見ても、フィクションにおける悲劇のカタルシスの意義は、古典古代からずっと高く評価されてきたし、受け手もそれを虚構の中の出来事として享受してきたのだが……。
 例えば、すれ違いによってカップルが結ばれずにそれぞれ自死してしまう『ロミオとジュリエット』が20年代のエンタメ作品として作られる(翻案リメイクされる)ことは、うーん、残念ながら、ほとんど想像できない。史実ベースの歴史物だけは例外だけど、それ以外のオリジナル創作で、悲劇を志向するものはいよいよ少なくなっているように思う。例えば『Uボート』のような歴史もの(史実戦争もの)では、結末は無常観と親和的なビターエンド/バッドエンドになりがちなのだが、これは特殊事情と言うべきかもしれない。

 1) 私見では、これはおそらく皮相的で迎合的な商業主義の産物であり、結果的に創作と感性の振れ幅を狭くしてしまっている。しかし、それだけでもないかもしれない。

 2) 00年代初頭の、いわゆる「泣きゲー」(という誤ったジャンル認識)が大きな禍根を残した。それらは、一方では、障害者などの社会的困難を戯画的に誇張した感動ポルノという邪悪な側面があった。keyの脚本家が闘病ノンフィクションを読み漁って参考にしたというのは、その酷薄かつ無責任な欲望の所在をよく示している。またその一方で、影の濃いメランコリーの雰囲気にリードされる、いわゆる「鬱ゲー」アプローチも、90年代末の世紀末的ムードの延長上にあってそのパラダイムに絡めて取られており、そのポテンシャルを活かしきれないまま、ジャンルを沈滞させてしまった。これももったいない。

 3) コンテンツの長さも、おそらく影響している。2~3時間の舞台演劇であれば、悲劇の結末にしばし浸ってからスッキリと切り替えて劇場を後にすることができただろう。しかし、長大なゲームを何十時間もプレイした結末が、主人公の死などの不幸な形になるというのは、心理的なインパクトが大きく異なる。
 ただし、ゲームでもデニム皇帝の暗殺EDのような例はあったし、連載漫画『デビルマン』や『ザ・ムーン』が人類全滅エンドだったり、通年アニメ『Vガンダム』で味方側キャラクターがほぼ全滅していたりと、悲劇寄りのタイトルも昔は一定数存在した。世紀の替わる頃に、なにか決定的に雰囲気が変わってしまったように感じる。
 また、メディアミックスを含めて物語世界を大きく展開していく際に、人の死を描いてしまうとそのキャラはもう登場できなくなるし、悲劇的な事件があるとその後の展開に大きな影響を及ぼしてしまうので、そうした要素は扱いづらいというのも、まあ、分からないではない……ただの商業主義的都合に過ぎない、とも思うけど。

 4) 社会的要因? 不況下のリアルな経済的-社会的困難が続く中では、「物語の中でまで不幸を見たくない」と感じる人が増えるのは、十分あり得ることだろう。しかし、そうした悲劇嫌悪のネガティヴな声がSNS空間では過剰に増幅されやすいという状況が、問題をさらにややこしく解決困難なものする。

 今世紀の有名なタイトルにも、露悪的な残虐イベントを含む作品はある。しかしそれらも、SNS空間では「未読/未見の人にショックを体験させたい」という陰湿なDV的欲望のネタとして消費されるばかりで、苦味のある劇的感興をじっくり味わおうという精神的姿勢が存在する余地がきわめて小さい。悲劇の醍醐味というは、そんなびっくり箱の衝撃ではないのに……。
 また、NTRもののように、不幸描写が――あるいは、不幸描写までもが――しばしば性的な要素と結びつけられるようになったのも、それらを表立って扱おうとする際の妨げになっているかもしれない。
 むしろ、腰を据えて丁寧に描かれる長編コンテンツの方が、人間性の機微に触れるビターな物語を効果的に描き出せる力があるのだが、「ハッピーエンドにしました」「ハッピーエンドになりますから大丈夫です」といった言説ばかりが広まっているのを、いささか悲しい思いで見ている。
 もちろん、昔でも悲劇寄りの作品がマジョリティだったというわけではない。しかし、近年の動向は「ハッピーエンドでなければいけない(そうでなければ売れない、そうでなければ読まない)」というところまで極端に偏ってしまっていることに問題がある。

 見方を変えれば、80年代から90年代くらい(?)までは、終盤には悲惨なカタストロフが発生して、それをなんとか生き延びてちょっとだけ未来の希望を見て終わる……といったようなスタイルがそれなりに多かったと思う。それはそれでちょっと特殊なスタイルの作劇だったかもしれないが、近年のタイトルでもこういう展開があると、「おお、来た来た、懐かしいなあ!」と嬉しくなってしまったりする。
 アニメ映画『ナウシカ』(1984)から『もののけ姫』(1997)の影響も大きかっただろうけど、ゲームのFFシリーズも頻繁にこの演出を取り入れてきた。最近の漫画などでもたまにそういう気分を感じさせる作品はある。アニメだと、2025年の『ある魔女が死ぬまで』(大津波)や『九龍ジェネリックロマンス』(街全体が崩壊)、『全修。』(虚構世界の危機)などは一応これに当てはまる。主人公が瀕死になって精神世界をさまよい始めたりするのはちょっとシラけるけど、まあ、そういう展開になるのも仕方ない。


 個別の問題はともかくとして、あくまで一般論として思うことなのだけど、最近の日本人はパロディ表現に対して厳しすぎるんじゃないかなあ。侵害性の高いコピー商品でもないかぎり、パロディとか、物真似シーンとか、ちょっとしたギャグ演出とか、風刺的な言及とかは、もっと広く、もっと自由に表現できる方が、創作世界の豊かさにとって好ましいと思うんだけど……。
 00年代くらいからだろうか、いわゆる「大人の事情」と称して企業側の利害を忖度しなければならないという意識がぼんやりと強まっていったのが、転換期だったのかもしれない。そこからは一貫して、利益や権利の囲い込みが進んでいった。メディアミックスビジネスの伸張もそれを後押しした……というか、まさにそれのためにパロディの自由は失われていったのかもしれない(※その一方で、二次創作同人だけは許容されて、今では即売会という場所的限定すら取り払ってオンライン販売が行われるようになっている)。
 例えば、ゲーム『巫女みこナース』のOPムービーにガンダムキャラもどきのような絵がチラッと出てくるくらいは、ネタとして笑って済む話であって、それが咎められるような社会は抑圧的にすぎると思う。また、『全修。』のように、既存アニメの有名シーンをパロディ的に描いた作品も、まさにそうしたパスティーシュを通じて、アニメ史の広がりと重み――それはアニメーター主人公に掛かる重みでもある――を視聴者の目に強烈に印象づけた。そうした絶大な効果を持つ場合もある。パロディ元の作者たちに一々許諾を取らなくても、そういった自由な表現の余地がある方が、文化的発展にとっても、我々受け手の楽しみにとっても、良い状況になるだろう(※あの作品はたぶん内々に連絡して、業界的な義理を通してはいただろうけど)。しかし、『僕らのいきなり同棲計画!』のように、綾波&惣流そのままのキャラクターをただ拝借してベッドシーンを描いているだけの作品では、非難の度合いが高まるのは妥当だろう。明確な線引きは難しいけれど、できるだけ緩く、寛容側に傾けておく方が良いのではないかなあ。
 ちなみに、海外では著作権の保護形態(保護範囲)そのものが異なるので、また別問題になるのだけど、それでもアニメのスクショそのものを切り出してグッズにして販売したりするのは、個人的には、ファン活動の範囲を超えた海賊版行為だと思う。
 もちろん、パロディはパロディで、「面白いか」「作品としてどのように組み込んでいるか」といった視点でそのクオリティが厳しい吟味に晒されるのは当然だ。むしろパロディは、そうした評価のハードルが上がりがちなのが、その安易な導入を抑止する防壁として作用しているとも考えられる。拙劣なパロディは、その拙劣さによって当の自作の出来を落とすし、またパロディ元のファンをも憤激させるだろう。言い換えれば、「パロディを使うなら、上手くやれ、面白くやれ」というのは、結果的にパロディ元作品の価値を守ることにもつながるだろう。受け手としても、「パロディだから駄目」という大上段の論法ではなく、「下手だから駄目」(パロディとして面白くないから駄目)というアプローチをする方が、はるかに健全だし、作品受容(作品のディテールをきちんと見てそれを解釈する姿勢)としても望ましい。


 観光地などの風景写真に、キャラクターがそこにいるかのようにイラストを描き込むのはかなり好き。ファンタジーキャラの現パロだとなお良し。


 ガールプラモの発売年表の更新は、もう止めてしまってもいいかなあ。理由はいくつかある。
 1) ガールプラモ分野の出現と初期の発展過程の20年史については、私の力の及ぶかぎり、ひとまずは記録することができた。完璧ではないにせよ、アウトラインを把握するための資料としては、それなりに役立つ筈だ。
 2) 現状ではもはや、極端に新しいムーヴメントが現れてくることは無さそうだから、ジャンル的発展史の観察&記録をこれ以上続ける意義は見出しにくくなっている。
 3) ブランド間のコラボや周辺的なミキシング用パーツなど、商品形態が複雑化してきたので、それらの見通しを提示するのは、単純な時系列リストの形では困難になってきた。
 4) 新作キットの数が増えすぎて、もはや一つのリストだけでは見通しが利かなくなってきた。ブランドごと、時期ごとの各論も、個別の記事としていろいろ書いてきたし。
 5) プレバンや布服販売、あるいは半-公式のレジンパーツのように、限定販売品や予約商品が激増したため、リリース情報の記録を残す意義が薄れてきた。……いや、むしろ情報を残すべき価値が高まってきたとも言えるのだけど、一般には買えない商品までトレースしていくのは不毛感がある。

 こういった同時代の記録は、後世のために誰かがやっておくべき作業であり、そして、一研究者兼趣味人としては、ひとまず歴史に対する義理は果たしたと言ってよいだろう。日本の「オタク」たちはどんどん刹那的で消費志向になっており、こうしたアーカイヴ化の営為が誰かによって引き継がれることはもう期待できないが、それはもう仕方ない。まあ、当面は私の労力を割けるかぎり、新作情報の更新を続けるけどね……。もうちっとだけ続くんじゃ(フラグ)。


 さて、『淡島』の私的なコメンタリーに着手してみた。……長い。長すぎた(第1話だけで17600字)。資料が揃っていて、書くべき方向性も決まっていれば、トップスピードで一日3万字くらいは行けるが、いや、それでもさすがに疲れた……。まあ、web検索やページ内検索などで、面白そうなところだけ適当につまんでいってくれたら十分、というつもりでいる。
 第2話以降はどうしようかな……。ざっと見たところ、原作漫画のレイアウトから多少離れた自由なコンテの回もあって、それはそれでとても良いことなのだけど記事としては書きにくい。それに、ひとまず解釈のアプローチと注目できるポイントは提示しきったので、これ以上は同じような話を繰り返すマンネリになってしまいかねない。うーん。
 
 というわけで、第2話の途中まで概要執筆してみた。時速2400文字(おばか)。
 これはこれで面白い知的営為ではあるのだけど、やはり時間を取りすぎる。このペースだと、ざっと70時間は掛かる計算になる。それはまずい……。
 最終的に、第2話のコメンタリーは9300字でまとまった。第1話の半分だね!

2026/06/05

漫画雑話(2026年6月)

 2026年6月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

●新規作品。
 檸羽(ねう)『悪役令嬢ってのはこうやるのよ』第1巻(双葉社、原作あり、1-5話)。いまいち。カオミン氏デザインをベースにしていることもあってキャラデザはなかなか魅力的だが、疫病解決など、アイデアがどれもありきたり。仇役がどれも愚かなのが退屈させる。
 男性向けだと敵対者は「倒し甲斐(乗り越え甲斐)のある、立派な強大な存在」として描かれることが多いのに対して、女性向けだと「心ゆくまで叩き潰せる、醜くて愚かで無価値な小物のゴミ」として描かれる。前者は前者で問題がある(例えば悪いことをしているキャラクターも格好良くなりすぎる)けれど、後者も、美醜と好悪だけを基準にした格差主義と、異物(というか自分よりも「下」の存在)に対する攻撃性の発露を全肯定している気持ち悪さがある。この作品でも、主人公と対立する「ヒロイン」側の人物たちが愚かな社会的粗相によってどんどん自滅していくので、なんともカタルシスが無い。
 いわゆる「私のためにキモい奴らを殴ってくれるヤ○ザ様or公爵様」のアプローチも、反転させると「俺のために醜いあの女どもをいじめてくれる元気ギャルちゃんor高嶺の花お嬢様」になるのだが、たぶん大多数の男性はそういうキャラクター(関係)を悍ましく感じるだろう。うーん。いや、もしかして、ありなのか? 「モテない僕を愚かなギャルたちから護りつつ尽くしてくれる強気な幼馴染」のようなものも、うーん、それほど露骨ではないにせよ、あったかもしれない。まあ、どちらも私は嫌だけど。
 鯨川リョウ『教生カンケイ』第1巻(秋田書店、1-6話)。鯨川氏の新連載。両親から愛されていないと感じている一人暮らしの男子高校生のところに、だらしない女性教師が転がり込んでくるコメディ。主人公の心情描写にはシリアス要素もあるが、ヒロインの方はひたすら滅茶苦茶な生活をしている。この漫画家さんらしいキャラクター造形の尖った切れ味や、闊達自在で「お行儀良くしない」コミカル演出は健在。
 あきときたいき『オヤサイリベリオン』第1巻(小学館、1-6話)。野菜擬人化(?)キャラクターたちの物語。ナス族を虐殺する根菜たちと、それに対するナス主人公の復讐のドラマ。作画はレイアウトも良いし、力感のある動きもよく描けていて素晴らしいし、目玉が飛び出る(物理)くらいのグロ描写もあるのだが、シナリオとキャラデザが陳腐なのがもったいない。また、シリアスなようでいて中途半端にメタジョークを挟んでくるのも、個人的に好みから外れる(※焼死したナスキャラを「焼き茄子」と呼んだり)。野山を進むシーンの細やかな所作など、良いところも多いのだが……。擬人化キャラたちの凄惨なバトルという観点では『どく・どく・もり・もり』の後追いのようなアプローチだが、現時点ではとても比較にならない。作者はこれまでいくつもの連載経験があり、絵作りそれ自体はかなり高い水準なのだが……つくづくもったいない。
 成田芋虫『ヴァージン・キラー忍法帖』第1巻(マッグガーデン、1-8話)。鈍感な男性忍者と、ツンデレな女性忍者の間のラブコメ。予想以上に、かなり面白かった。ヒロイン「紫(むらさき)」が慌てたりドキドキしたり頑張ったりする表情がやたら生き生きしていて、これだけで読みごたえがあるし、二人を見守る首領キャラがいることで、「状況をかき回す」「ツッコミをする」「いわゆる『カップル見守り』役として読者の反応を代弁をする」といった刺激をもたらしている。ラブコメなので、ベタなネタもあるのだが、ネタの密度が高いし、オチの前の溜めも上手く利かせているし、台詞回しや周辺の小ネタなども洒落っ気があって良い。この漫画家さんの作品を読んだのは初めてだが、2010年デビューでこれが3つめの連載(本書で16冊目)という、中堅クラスの十分な実績のあるクリエイターのようだ。


●カジュアル買い、買い足しなど。
 新島なるい『白銀のキュイジーヌ』第1-2巻(講談社、1-4話/5-11話)。明治時代の外交官邸で西洋料理を作ることになった少女の物語。傲慢毒舌な上司(美形若年男性)の下で働くことになる主人公の「かわいそ可愛い」雰囲気はコミカルで楽しいし、料理描写などもきちんと下調べをして作劇されている。主人公の少女も、どこか妙に色っぽく(えろすではなく、なまめかしい)、濃厚な雰囲気を漂わせている……のだが、えっ、第2巻(新刊)で完結してる! もったいないなあ……。シチュエーションも明確で、目標もはっきりしており、人間関係も見通しが良く、そしてキャラクター造形や台詞のセンスにも独自性があり、漫画的演出もこなれていて充実した内容なのに……。なお、作者はこれが3つめの連載のようだ。次なる連載の機会に期待する。
 俵京平『金のなる森』第2巻(集英社、5-16話、5月刊)。表紙でカジュアル買い。人類が火薬などの近代的技術を発達させて、旧弊的なエルフ族から搾取しはじめている世界(財宝、奴隷化)で、両者の合間を縫って活躍する商売人(?)主人公の物語。オリエンタリズム的な財宝探しロマンの物語類型でもあり、また、近年(再)形成されてきたエルフイメージを梃子として巧みに用いている点でも興味深い。ただし、シナリオ展開はややぎこちなく、トリックもありきたりだが、ドラマティックな展開は楽しめる。ほどほどに肉付きの良い人体描写と、意外に派手なグロシーン、さらに異能フレーバーのある魔法表現と、それらを活用した戦術的側面が混じり合っている贅沢な内容。せっかくなので第1巻も買って読んでおこう。作者は『恋獄の都市』(全5巻)に続く2つめの連載のようだ。
 ささきさ『蒼きバルカナリア』第1巻(秋田書店、4月刊、1-5話)。これまで2作の連載経験のある漫画家による、16世紀ブルガリアを舞台にした物語。衣装、風景、建物、料理などのディテールが濃密に描き込まれており、読みごたえがある。シナリオは少女漫画なりに見通しをシンプルにしているが、ポジティヴな主人公の意志的で活発な行動が、見ていて心地良い。なお、「バルカナリア(balkanaria)」は、「バルカン半島の事物(バルカン文化)」といったような意味のようだ。


●続刊等。
 1) 現代舞台の作品。
 雁木万里『妹は知っている』第7巻(55-63話)。人間関係がいったん確立されたところで、さらにそれを先へ進めていこうとしているようだ。メール投稿職人の兄というキャッチーな部分と、芸能人(妹手)の裏側の何気ない日常という受けの良さそうな側面が、さほど連動しているわけではないのに、上手く両輪としてバランスが取れているのが面白い。
 三都慎司『ミナミザスーパーエボリューション』第3巻(9-12話)。超常能力そのものの開拓はいったん区切りを付けて、同じ能力を持つ他者の出現、そしてそれらと対比的に描かれる青春の日常の輝きが美しい。
 仲邑エンジツ『同居人がこの世界のモンじゃない』第2巻(11-20話+web掲載版いろいろ)。うーん、常識外れの突拍子もないキャラクターをほのぼのと描くのは、この作者の得意分野なのだが、この作品では、生々しい性欲表現がちょっと気持ち悪いし、それに引っ張られてネタの幅も狭まっている。倫理観の枠を外してみせる性的なネタも、道満晴明氏だったら突き放したユーモアで流していけただろうに、この作品では押しつけがましい雰囲気になってしまっている。うーん、もったいない。同じ作者の同月刊行『ムジナとミサキ』第2巻(8-14話、完結)も、歯切れの悪いまま終わってしまった。『おぼこい魔女』のようにキャラが上手く当たれば魅力的になるが、そこを外すと構成の弱さと中途半端なお色気が目立ってどんどん崩れていってしまうようだ。もったいない。
 天井フィナンシェ『白紙の上でさようなら』第2巻(6-11話)。漫画家として(再)デビューを目指す女性の物語。第1巻の展開はスムーズで、今巻も良いには良いのだが、図式的にきれいに整理しすぎていて、状況の迫真性や内面の葛藤を感じ取りにくくなっている。この最新刊でも、「分かりやすい抑圧者が出てくる→主人公が黒ベタモノローグで動揺する→ヒーローにきれいに慰められて前向きになる」のパターンを連発しているのは、ちょっと飽きる。うーん、もったいない。画面作りに関しても、やけにカメラの近い構図を連続させていて息苦しい(つまり、コマの8割をキャラクターのアップで埋め尽くしまくっていて、空間的な広がりや風通しの良さが乏しい)。絵そのものは良いのだが、画面構成や視覚的演出が平板(単調)になりがちなのが惜しい。
 イズミダフユキ『夜鷹ふたたび』第2巻(8-16話)。自堕落な元暗殺者の命を狙うコミカル闇社会サスペンス。若者から中高年まで、イズミダ氏はそれぞれに個性的な外見のキャラデザを披露されていてそれだけで面白いし、テクニカルなバトル描写や、キャラクターの表情を思いきり崩してみせる大胆さも含めて、エンタメとして充実した味わいがある。前作の『マダラランブル』も悪くはなかったが、キャラが多すぎたうえに、バトルシーンに傾斜しすぎたため、少々付き合いづらい作品になっていたが、今作はメインキャラを絞り込みつつコメディの比率を高めているおかげで、見通しの良い物語をベースにしてその都度のシーンを楽しんでいける。


 2) ファンタジー寄り。
 きただりょうま『魁の花巫女』第8巻(67-78話、完結)。結局、方向性のよく分からない作品だった。伝奇ものとしても中途半端だし、異能バトルというにも食い足りず、お色気ハーレムとしてもエンジンが掛からず、視覚的演出についても(かなり良い出来ではあるのだけど)驚きに乏しかった。この漫画家さんは、『μ&i』からずっと読み続けていて、たぶんファンと自称してもよいくらいだけど(※ただし『エグゼロス』は読んでいない)……うーん。
 井山くらげ『後宮茶妃伝』第9巻(47-51話)。お茶関係のネタがヴァラエティ豊かで、読んでいて飽きない(※架空世界の架空茶だが、十分にあり得る話として受け止めることができる)。ストーリーは、後宮の人間関係が安定してきて、政治よりもお茶そのものを楽しむエピソードに集中している。作画に関しても、細く精妙なペンタッチと、くっきりした黒ベタのコントラストを活用しつつ、時にはユーモラスな表情も交えて物語を朗らかに展開している。
 目玉焼き『悪役令嬢の矜持』第4巻(17-21話)。作画を引き継いで新たな漫画家が制作されているが、画風は比較的似ている(寄せている)ので、続けて読んでも大丈夫。第2巻までのクライマックスから、第3巻はスイートな後日談でややダレたが、今巻は新章に入って新たな物語が展開されている。紙面全体の描き込みがべったりと重たいせいで、やや読みづらいが、美術面でもストーリー面でも十分な面白味があるので、引き続き買っていくつもり。
 眼亀『ミズダコちゃん~』第5巻(29-35話)。プールにお祭と、夏のイベントが続く。異種族キャラクターの造形のユニークさと、そのディテールの掘り下げ、そして空間的なレイアウトを意欲的に使ったレイアウトなど、見どころは多いが、同時にサブキャラなどには、チープで品のないところもある。pixivのイラストを見ても、本格派のクリーチャー系趣味で奇想豊かな作品をいくつも描いておられ、創作的な根っこはそちら側にある方なのだろう。
 上田悟司『現実主義勇者の王国再建記』第15巻(73-77話)。ドラゴン編を終えて、雪国編へ。政治的交渉の中で人間性の輝きや技術的卓越を見出していく軍師的な楽しみの作品だが、縦進行を大胆に取り入れた独創的なコマ割は健在だし、ディテールをハンドライトでザクザク描き込んでいく気持ちよさも、洋書で描かれる顔アップの魅力的なニュアンスも素晴らしい。
 恵広史『ゴールデンマン』第9巻(67-74話)。向こうの世界の悪徳企業との大決戦。それぞれにキャラ立てが上手いうえに、ここまでの描写の蓄積もあり、そのうえで各キャラの志操信念に関わる決意やテクニカルな対処の旨味もたっぷり味わえる。なお、9月頃に最終巻(10+11巻)が発売されるとのこと。

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2026/06/04

アニメ雑記(2026年6月)

 2026年6月の新作アニメ感想。第8~9話あたりから、最終話まで。