2026/05/11

2026年5月の雑記

 2026年5月の雑記。

 05/18(Mon)

 最近、アニメ系のwebラジオをいくつか聴いてみたけど、出演声優たちが各回の内容について具体的に掘り下げた話をしていたり、お互いの役についての演技論を語ったりしているのが、わりと新鮮
に感じる。それどころか、オーディションに関する内幕話も――例えば、どのキャラでオーディションを受けたかなどを――堂々と話題にしているのに、びっくりさせられる。

 昔の世代(80年代生まれ以前?)は、「未熟な役者が偉そうに芝居論を語るべきではない」とか、「芝居そのもので聞き手を納得させるべきであって、後からの説明でフォローするのは逃げだ」といった気風が強かったようで、フリートークやwebラジオでも、作品のディテールや自身の芝居やについては禁欲的であるというのが普通だった(※それでも沢城氏とかは「キャラクターが歩くときのテンポと呼吸まで想像しながら役を作っています」などと、芝居のデリカシーに触れる話もしていた)。あるいは、webラジオで演技論になるときも、「こういうことを聞いちゃっていいのか分からないんですけど……」と控えめに断ってから、芝居のアプローチの話に入っていくくらいだった。……いや、私が聴いてきたのはごく一部だから、それに当てはまらない例も少なくないだろうけど(※「胃~之煮」のように親密な役者同士のプライヴェートラジオでは、時折そういう話題に踏み込んだりしていた)。

 最近では、例えば『上伊那ぼたん』のアフタートークでも、「この場面があのシーンにつながるんだよね」とか、「この状況での、このキャラの心情は~」といったようなことを、衒いもなく躊躇もなく、どんどん語っている。時代が変わった、世代が変わった、ということなのだろうけど、また同時に、本気で芝居のことを考えている役者たちが正当にも頭角を現してきているということでもある(※10年代あたりは、通り一遍で薄っぺらいコメントをするだけのアイドル声優が多かったので……)。

 (※ちなみに「音泉」サイトは絶対に開かない。リスナーからのセクハラメールや出演声優を馬鹿にするメールをぶっ通しでラジオ採用しているようなところなので。)


 現代の商業主義的な「消費するのが良いオタクだ」というイデオロギーや、「グッズを買い集めることでファンとしての自己表現をする」(※とりわけ女性向けに顕著)のような風潮にはうんざりしている。しかしその一方で、大昔(80年代以前?)のマニアたちの間に存在した、「ただ消費するしか能のない奴らには何の価値もない、優れたものを創作し発信していなければ趣味人に値しない」というマッチョなエリート主義思考も(※現在でも明らかにそういう発想に立脚している有名クリエイターはいる)、それはそれで私はまったく受け付けなかった。
 その中間の、程良いところにいたかったのだが、それは歴史的に見ても90年代後半から00年代前半、つまりM事件のトラウマをようやく脱した時期から、アイドルグループが進出してきた時期までの、ごく短い端境期にすぎなかった。

2026/05/09

漫画雑話(2026年5月)

 2026年5月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。
 まだ先月分の新刊も読み切っていないけど、まあ仕方ない。

●新規作品。
 やぶら『ロブレイブ』第1巻(講談社、1-4話)。第1話で、大ネタのどんでん返しと主人公の最終目的をきれいに提示し、2-3話で最初のエピソードを知略バトルで乗り切って、そして第4話ではミドルレベルの目標に挑ませつつ、改めて主人公のバックグラウンドに絡めた衝撃展開を出すといった具合に、いかにも教科書的にきれいな模範的ストーリー運びをしている……少々あからさまなくらいに。とはいえ、小柄(ショタ外見)主人公と、大柄なオーガヒロインという対比はいかにも今風で魅力的だし、虐げられる少数民族(オーガやドワーフなど、人類以外の種族)を解放するというストレートさも好ましい。作画と演出も、きちんと造形されている。ひとまず作者の力量に期待して、付いていこう(これが初の商業連載のようだ。優れた新人がどんどん現れてくるなあ)。
 月結草(つゆくさ)『暗殺者は不死の魔女を殺したい』第1巻(OVERLAP/ガルド、原作あり、1-5話)。森の中に隠れ棲む不死の女性と、それを(救済するために)殺してあげようとする青年の物語になるようだが、この第1巻のうちは、最初のおねショタ時代をじっくり描き続けている。やったね! 言い換えれば、孤児の少年を拾って育てるという、ちょっと風変わりな二人の日常生活の同居風景をのんびり描いている。ドラマティックな悲劇性を前面に出すわけではなく、かといってお色気コメディになるわけでもなく、スローライフ路線というほどでもないようだ。どういう方向性になるのかはまだ分からないが、温和で整った絵柄は親しみやすいし、しばらく付き合っていこう。漫画家は、女性向けの商業アンソロコミックにいくつか参加しており、単著としてはこれが3冊目(?)のようだ。
 夏野なえ『魔王さまに教えてあげる』第1巻(一迅社、1-5話)。主人公の女性は、幼時に迫害を受けて魔王の森に入り込み、そこで心優しく温和な魔族王子とスローライフ的に同居しているが、彼女自身はいまだに迫害者への復讐を考えているというシチュエーション。角の生えた褐色肌オリエンタル王子様との田舎同居生活ドリームに、格差カップルのロマンス、しかしその一方で女性主人公の方が主体的に振舞おうとしつつ自身の境遇に悩むアイデンティティ物語、さらに人間族と魔族の対立状況の中で政治的に利用されそうになるサスペンスと、かなり多面的な要素がどっさり投入されている。芯のある主人公の表情表現を初めとして、絵はなかなか良いし、次巻が出たら買おう。作者はこれまで、オンラインベースで3本の連載をしてきたようだ(※いずれも女性向け)。


●カジュアル買い、買い足しなど。
 和サン(かのう・さん)『復讐は合法的に』(原作あり、一迅社)は、第2巻が新刊で、表紙の丸眼鏡少女に惹かれて第1巻ともども購入してみた(1-6話/7-12話)。私的な復讐を請け負う弁護士の話で、1冊につき1エピソードくらいでオムニバス的に進むようだ。復讐代行ものとしては、幸いにもそれほど下品ではなく(※露悪的な「スカッと」系はさすがに嫌だ)、また作画と演出も水準は高いのだが、相手を陥れる手段がみみっちいし、それでいてリアルに実行できてしまいそうなネタもあるのがかなりモヤッとする。ちなみに、作者はこれが初の商業連載のようだ。
 ますやまある『白鳥運子(しらとり・かずこ)は31画』(原作あり、講談社)。これも第2巻表紙の眼鏡キャラに興味を持って、第1巻と一緒に購入した(1-5話/6-14話)。画数判断で自分はラッキーだと信じて全力で生きようとしている不幸な女性が、犯罪に巻き込まれる(手を下してしまった)クライムサスペンス。主人公の立ち回りがまずくて状況をしばしば悪化させてしまうスリルも、キャラクター設定によってあらかじめ正当化されている。登場人物たちの激しい表情も、手描き感の強いパワフルな作画も、たいへん魅力的。ただし、次巻で完結するようだ。作者は、くらげバンチなどでいくつかの読み切りを公表しており、これが初連載……って、あっ、あのモデラー女性を描いた「熱帯夜」の作者さんだったのか。
 藤村あゆみ『森の端っこのちび魔女さん』第2巻(TOブックス、原作あり、5-10話)。森の民の高度な医術-衛生知識を持った主人公たち(母娘)が、父親公爵の城に呼ばれるが、そこで政争に巻き込まれて大変なことになっているようだ。シリアス寄りの展開と、健気で頑張り屋な主人公少女のコントラストが趣深い。第1巻も、店頭で探して買っておこう。漫画家は、00年代初頭から通算4作の連載を手がけてきたベテランで、本作が5つめになる。


●続刊等。

 石沢庸介『第七王子』第23巻(189-195話)。ボスキャラのベイダー戦と、主人公キャラの復活、さらに兄キャラのグレードアップを描いている。パワフルなバトル描写と、それを支える心情表現の鮮やかさは相変わらず素晴らしい。
 星野真『竜送りのイサギ』第7巻(41-48話)。身を寄せた州都で、文字通りの壊滅的な自然災害が発生する。災害救助描写の生々しい悲惨さは、ほとんど現代的な切実さがある。また、それに関わって一国全土に広がった政治的-軍事的抗争が露わになった。これまではミクロなエピソードが多くて大状況が把握しづらかったが、綱渡りの緊張状態がまさかここまで深刻だったとは。さらに終盤には主人公の剣戟バトルシーンがあるが、これも本作のここまでの描写の蓄積の上に、主人公が置かれてきた境遇上の困難と、それに伴う異様な切迫感、そしてそれを引き受ける覚悟の勁烈さが印象的に描かれる。
 巖本英利『異世界バトルロイヤル』第6巻(29-33話)。今巻も、ポロリどころではなく堂々と放り出しまくっているが、作風が迫力重視のスーパーバトルもので、コマ絵もザクザク描いているので、ちっともエr…こほん。ストーリー面では、黒幕がはっきりしてきたところだが、まだ先は長そう。

2026/05/03

アニメ雑記(2026年5月)

 2026年5月の新作アニメ感想。今のところ、『淡島百景』『上伊那ぼたん』『カナン様』『自称悪役令嬢』を視聴中。『鑑定士』『姫騎士』『楠木邸』は飽きたのでおしまい。最終的に、普段通りの4本にまで絞れてきたのは、良いのか悪いのか……。
 きちんと観ると決めた作品は、各話を複数回視聴して、映像演出と音声のデリカシーをそれぞれ集中して追っていき、スクショも撮りまくるので、多数のタイトルに手を出している余裕は無くなる(※さらに言うと、今期は繰り返し視聴のきつい作品も多いのだけど。キャストが今一つだったり、ストーリーが重苦しすぎたり……)。


●『淡島百景』
 第4話。今回は、外部からの視点かな(辞職したパートナー、学生の両親、そして男性ファン)。前話の厳しさから一転して温かなエピソードが続き、落差が大きいが、こういうのもありか。作画に関しては、イメージシーンの背景には、なまじのアニメーションよりも大変そうな動画装飾があって驚かされる。

 第5話は、新興宗教一家の少女と、憧れの先達に対する思いが辿っていく道筋の素描の2本立て。どちらもモノローグ主体で進むエピソードで、前者は長縄まりあ氏が主人公を演じており(気づかなかった……)、後者の短い話は花澤氏がリードして、屈折の多い物語の中へ見事に引き込んでくれた。

 第6話は、普段以上の枚数を使っているようで、これまでのエピソードからの再登場も含めて、中盤のクライマックスに相応しく重層的な――そして重苦しい苦味のある――物語になった。芸道を目指す学校にまつわる夢と悔恨と執着と憧れと妬心とその他諸々を、抑制の利いたデリケートな芝居とともにじっくり聴かせてくれる。ただし、とりわけ序盤進行はザッピングが激しすぎるし、24分の尺に詰め込みすぎのきらいもある。
 演出面では、年代やキャラクターが入れ替わっていきつつも、特定の学校というロケーションをずっと維持しているので、場所そのもののインパクトが強まるだけでなく、二重写しの重みも増していくし、変化や相違のコントラストも際立つ。ただし、「階段」で「怪談」というのは、意図されているのかどうか……。
 今回登場の「押上」を演じているのは、福圓美里氏。


●『上伊那ぼたん』
 第5話。構図遊びがたいへん楽しい。遠近を強調したレイアウト、角度の付いたアングル、そして明暗のコントラスト、等々。今回の絵コンテ&演出は戸澤俊太郎氏。前話(第4話)でも絵コンテを務めていた(前話の演出は牧野秀則氏)。

 第6話。河瀬氏演じる台湾出身の新キャラが登場。前半はカメラの動きが物珍しく、やけに広いパンニングや、広がりのあるズーミングを連続させている。ちょっと古い映像センス(10年代以前?)をあえて使っているようにも感じる。
 しかしストーリー面では、相変わらず雑な百合もどきのままで、台詞回しも総じて凡庸で浅い。心情の襞を繊細精密に掘り下げて描くのと、ただ匂わせシーンを並べるのは、全然違うのよ……(※ただし、前回の「酒は共有しないが、タバコの間接キスだけはしてやる」というのは、小道具を上手く使っていた)。洞窟内の風景は、さすがにロケハンの成果できれいだが、ストーリー上の意味づけが弱すぎる。後半の民宿パートも、室内のディテールが単なる現実模倣のように見えて、ディテールの面白味が乏しい。
 ED映像が、まるでCパートのような位置づけになっている……。


●『カナン様はあくまでチョロい』
 第5話は、聖女キャラの登場。今どき珍しいほどの勢い任せのスラップスティックのスピード感は、これはこれで楽しい。程良くデフォルメの利いた瞬間的な動画表現や、路上を暴走するシークエンスの大胆なアニメーションなど、見どころも多い。キャラクターの頭のネジの外し方も面白く、カップルの手つなぎを「ファーストホールド」と呼称するなど、台詞回しにも意外性がある。
 聖女「ジャンヌ」役は鈴代氏。視聴中は気づかなかったが、奇抜なキャラクターをクリアカットに造形する手腕はさすが。なお、OP映像を見るに、これからさらに何人も奇人キャラが出てくるようだ。保健室の喫煙者キャラは小林ゆう氏。
 このしよーもないドタバタを釣瓶打ちにする感触は、『キルミーベイベー』をちょっと思い出す。

 第6話。冒頭はちょっと絵が生硬に見えたが、そこからカップル二人のウブな内心の駆け引きにひたすら集中し、ロマンティックな一日の物語に拡大してみせた(※その一方で、電柱に登るメイドという、やたら尖った珍風景も挿入している)。今回の絵コンテ&演出は鈴木真彦氏。

 第7話。前半は、脚本もコンテも退屈。キャラの表情の切り返しカットをベタベタつなぐだけで平板にだし、益荒男(※苗字)の変態化も、キャラ変化の面白味を引き出せていない。メイドキャラのモノローグ説明台詞も、見せ方として上手くない。
 しかし後半はいくらか個性が出てくる。999ならぬ666鉄道のユーモラスな造形から、尿意を我慢するキャクラターたちの多彩な表情まで、ユニークな魅力が感じられた。それでも、けっして上手いとは言いがたいけれど。
 聖女キャラは、前回はただの埋め草シーンのサブキャラ扱い、そして今回は単なる取り巻き同行者と、あっという間につまらない存在になった。突出したおばかキャラは言動が目立ちすぎるので、原作者にとっても扱いづらかったのだろうか。


『鑑定士(仮)』
 第5話。心底つまらない内容になってきた。間(ま)の取り方がおかしくて、声だけでは保たないレベルで映像進行がダレている。半ズボン姿のショタ主人公をたくさん拝めたのは良いんだけど、良いんだけど……そこは良かったんだけど、ね……。


●『自称悪役令嬢な婚約者の観察記録。』
 第5話。男性主人公サイドの心情にフォーカスしつつ、水平から傾斜したカメラや奥行きを強調したレイアウトで、静かな緊張感とひそかな困惑を巧みに視覚化して、二人の運命的な悲恋状況とすれ違いの深刻さを表現している。絵コンテは大宅光子氏、演出は上野謙矢氏。どちらも本作では初の起用。脚本は、これまで全ての話数を井上亜樹子氏が担当されている。最後まで完全単独脚本でやり通すのかな。

 第6話は、中ボス的な悪人を吊し上げるエピソード。映像的にも美しいカットが多数現れる。絵コンテは、ロマのフ比嘉氏という、ちょっと珍しい起用。どうしてこの作品に?
 男性向け(一般)と女性向けの大きな違いとして、悪人の造形や位置づけが決定的に異なるように見受けられる。前者では、悪役も強くてしばしば格好良い。言うなれば、打ち倒して主人公の価値を証明できるくらいの存在感が求められるのだろう。それに対して後者はしばしば、悪役を徹底的に反価値的なものと見做す。つまり、醜悪な外見を持ち、卑しい本性を露呈させ、そして叩きのめされて追い出されるのが当然の愚物として描かれる。前者のような少年漫画的マチズモが良いとは言わないが、後者のナルシシズムと差別主義的スタンスの混じり合った雰囲気は、個人的に非常にきつい。今回のようなリンチ的断罪シーンには、素直に乗ってそれをカタルシスとして楽しんでしまうことを躊躇せざるを得ない。
 ともあれ本作の基軸には、ヒロインがひたすら純朴で健気で、それでいて自ら不幸に突き進んでいく哀しさもあり、それに対して男性主人公の側がそれを十分には理解できず(※ゲーム世界の都合というメタレベルの理屈は、ゲーム内存在にすぎない彼にとっては、本質的に不可解な観念だ)、傍観者にならざるを得ないもどかしさと、それを突破するドラマティックな転換がたいへん魅力的なシチュエーションになっている。コンセプト設計がとても上手い。
 今回の悪人キャラを演じているのは、茜屋日海夏氏……えーと、あっ、『終末のイゼッタ』(2016)の主人公か! アニメ畑では近年出演が少ないが、舞台化作品などで精力的に活躍しておられるようだ。

 第7話。一足飛びにポンポンと時間経過するのがちょっと面白いが、次回が(ゲームシナリオとして予定された)クライマックスになるようだ……早すぎないのか? 演出面では、悲壮感のあるクラシック寄りの劇伴に、止め絵主体でじっくりと心情を描き出すモノローグ、さらに今回はギスギス展開まで持ち込んできた。
 こうしたモノローグ基軸の物語は、音声芝居が付くことによって、表面上の台詞とは異なる真情を明確に示唆することができるし、表情アニメーションの微細な変化や、レイアウトによる意味づけもそれを下支えする。今回は、ドレスの色を巡る会話で、二人の距離感を表現するという場面もあった。映像媒体にする意義のある作品だと思う。さらに、物語の進行とともにキャラクターたちが年単位で成長していくのだが、これまでは天真爛漫な少女の暴走的な悩みだったものが、今回は悲痛で大人びた苦悩の表情へと変化してきた。こうした成長の変化とデリカシーをコントロールしているキャラデザ&作画スタッフも、なかなか優秀だと思う。

2026/04/24

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2026/04/23

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