2026/07/11

漫画雑話(2026年7月)

 2026年7月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

●新規作品。
 文川和海『道端葉のいる世界』第1巻(祥伝社、原作者=ストーリー担当あり、1-5話)。ジェンダーアイデンティティを男/女どちらにも置かないノンバイナリーの大学生主人公の物語。テーマ設定からして、説明やモノローグが不可避的に多くなるし、動きの乏しい会話劇になりがちだが、主人公造形は説得力があるし、個性的なシーンもある。
 綾野綾乃『香穂ちゃんは顔がわからない』第1巻(講談社、原作者あり、1-5話)。こちらもマイノリティ主人公をフィーチャーしている。相貌失認状況の顔が、コミカルさと不気味さをぎりぎり両立しつつ、場面ごとの演出に役立っている。ストーリーそれ自体は、この症状を正面から取り上げるヒューマンドラマ路線であり、視覚的演出も良い。


●カジュアル買い、買い足し、積んでいた本など。


●続刊等。

 1)現代世界が舞台。
 丸井まお『となりのフィギュア原型師』第8巻(77-87話)。相変わらず絶好調の切れ味。パーツ分割の話も、キャラぬいぐるみも、『Warhammer』風のボードゲームも、いずれもディテールの的確さからネタの掘り下げ、そしてそれらをコメディにつなげる手腕まで、びっくりするくらい洗練されている。
 松元こみかん『玉川さん 出てました?』(21-26話)。毎回の見開き演出など、見せ方の上手いところは確かにあるが、メインヒロインよりもサブキャラの妄想ばかりで話を回すようになっており、ネタは少々マンネリになりかけている。悪くはないけれど、そろそろ潮時かな……。
 雨水汐(うすい・しお)『僕らのアイは気持ち悪い』第3巻(12-18話、完結)。旧友への恋愛感情をフィギュア作りにぶつけている主人公と、出来たフィギュアに興奮してしまうキャラクター、そしてその少女に執着する同級生という、ドロドロした物語は、最終的にベターな着地点に辿り着いた。台詞回しや筋運びも個性的だし、開放感のある結着シーンなども良い。この作者の他の作品も探してみよう。

 2) ファンタジー世界など。
 kakao『辺境の薬師~』第13巻(102-109話)。今回も、繊細かつ精密な超絶作画の上に、エキセントリックなおねショタえろシーンと温かな人情話がまぜこぜに展開されていく。
 宵野コタロー『滅国の宦官』第3巻(13-24話、完結)。分厚めの最終巻で、物語の結着まで描ききった。ビザンツ帝国風の架空世界の宮廷での殺人と陰謀のドラマは、キャラクターたちの情念と野心と情愛を劇的に絡み合わせている。後半は政治ドラマが主眼となった分、宵野氏らしい華やかな運動描写は減ったが、それでも印象深いコマは多い。
 イツカぬくもり『推しの妹に転生してしまったので~』第3巻(11-17話)。謀略ストーリーとしては浅いが、紙面の余裕をたっぷり取ったテンポは個性的。一ページにわずか2-3コマの大ゴマ基調で、台詞も(原作小説付きの現代漫画としては異例なほどに)じっくり溜めつつスローペースで語られていく。悪役としての表情も、乱用はせずに要所に絞って投入している。
 水辺チカ『悪食令嬢と狂血公爵』第13巻(61-65話)。昨年秋のアニメ化の頃から、かなり荒れている。絵も繊細さが欠けているし、コマ組みもだらだら続けているだけで抑揚が無いし、デフォルメ絵を多用するのも成功していないし、作品の勘所である筈の恋愛描写と美食描写がどちらも不完全燃焼のまま続いている。第10巻(?)あたりの、庭での封印儀式の頃がピークだったか……うーん。
 フカヤマますく『エクソシストを堕とせない』第15巻(110-117話)。バーバヤーガの過去エピソードから、世界崩壊へ。女性のアイデンティティ獲得への問題意識を下敷きにしてはいるが、作中キャラクターのパーソナルな事情をかなり強調しているので、背景的な広がりにはあまり繋がっていない。

2026/07/06

2026年7月の雑記

 2026年7月の雑記。

 07/11(Sat)

 アニメ版『BLACK TORCH』はわりと面白かったが、導入部のプロットは昔ながらのパターンそのままだった。この種の、「現代日本の学生が、妖怪や怪物のバトルにいきなり巻き込まれて、いったんは命を落とすが超自然的存在と融合して、異能のスキルを身につけて戦に身を投じる」というのは、いつ頃から始まったのだろうか。
 さしあたり頭に浮かんだのは『3×3EYES』(1987年開始)と『幽遊白書』(1990)。『デビルマン』(1972)はかなり古い。命を落として生まれ変わるのは、必須ではない(当てはまらない作品も多い)が、特撮『ウルトラマン』(1966)や『仮面ライダー』(1971)の影響があるかもしれない。

 90年代までの週刊少年ジャンプ連載作品だと、『ウイングマン』(1983)、上記『幽遊白書』、『遊☆戯☆王』(1996)などがおおまかに該当すると思われる(※上記の定式化は、全部の要素が当てはまる必要は無く、いわば理念型的なモデルとして捉えている。だから、高校生ではなかったり、死ななかったりする)。導入部が類似の特徴を持つタイトルは、『コブラ』(1978)、『バオー来訪者』(1984)、『ゴッドサイダー』(1987)など。この雑誌には、該当作は案外少ない。『ヒカルの碁』(1999)や『DEATH NOTE』(2004)にも、このパターンの影響は見て取れる。21世紀では、『武装錬金』(2003)や『武装錬金』(2016)のような、かなり典型的なパターンを踏襲するタイトルが現れるが、全体としては少数事例にとどまっている。
 サンデー誌も、2000年以前だと『うしおととら』(1990)と『ARMS』(1997)くらいしかないが、どちらも文化的影響は比較的大きかったようだ。今世紀には『月光条例』(2008)や『境界のRINNE』(2009)など、このジャンルの長期連載を持っている。
 マガジン誌は、前世紀はバンカラやスポーツものが主流だったようだ。このジャンルに当てはまりそうなのは永井豪の『デビルマン』と『凄ノ王』(1979)くらいだろうか?
 チャンピオン誌は、意外なことに、20世紀中は皆無? 今世紀に入ると『幻仔譚じゃのめ』(2008)や『ケルベロス』(2011)、『兄妹(少女探偵と幽霊警官)』(2014)など、和風怪奇系アプローチでこれに類するタイトルがいくつか現れている。

 漫画よりもジュヴナイル小説(ライトノヴェル)の方が、このジャンルの大きな産地であった可能性がある。というのは、「少年」漫画よりも年齢層がやや高く、異能ものに心引かれる中学生以上の読者層と親和的だろうから。また、少年漫画の悪弊として、血統主義を前面に出すことも多く、それが「突然の異能との出会い」とは違った見せ方を志向させているのかもしれない。


 フィクションの中では、「他人のために自己犠牲的に死ぬキャラ(またはシチュエーション)」が大好きなんだけど、さすがにこれは現実社会とわずかでも触れさせたらやばい代物なので、徹底的にフィクションの中だけの趣向として楽しんでいる。いや、「楽しんで」いると言ってよいのかどうかも分からないけど。生命と信念の輝きという意味でも、他者との関わり方という観点でも、究極の形なのだよね……。
 メジャーどころのキャラだと、DQ4のシンシアは、おねショタテイストの身代わりシチュエーションが素晴らしいし、FF5のパロム&ポロムも、「やんちゃで元気&おしとやかでしたたか」という双子のギャップからのさらなる落差が涙を誘う。
 ガンダムシリーズでは、恋愛感情が入ったものは別枠として認識してしまうし、そうでない場合も「大義のための戦場の捨て石」という最も危険なものを美化(消費)することになるので、なかなか扱いが難しい。


 それとはまた別の問題として、「フィクションで(すら)弄んでよいのか」という作品もある。要するに、社会的困難を抱えた人々(経済的、身体的、病理的、精神的、性差別的etc.)をコミカルに漫画にして娯楽のネタにするという、アレとかアレとかアレとかアレとかのこと。
 現在、現実に、数多く存在するそうした人々の生活を、エキゾティシズム的-傍観者的に見て楽しむのは、さすがに倫理的な問題が大きすぎるし、たぶん歴史上ほとんど存在してこなかったのだが、近年の日本の漫画でそうしたコンテンツが人気を博しているのはかなり怖い。どうしてこうなった?
 そういう路線は、昔もあっただろうか? ちょっと思い浮かばない。例えば、謀略で苦難に遭ったモンテ・クリスト伯ならば、明らかに虚構的な個人のドラマとして楽しめる。美大生の風変わりな生活風景を(元)当事者が漫画にするのも、自伝的(自虐的)な貧困生活漫画も、迫害を受けてきたマイノリティ当事者が抵抗の物語として描くのも、ありだろう。
 しかし、近年の「それら」には、そうしたコミットメントが無いままに、フィクションの中に閉じ込めて消費してしまっているように見える。そういう作品は買わないし、観ないようにしている(※まあ、実際に中身を読むか、あるいは少なくとも内容のある正確な紹介を読まなければ、本当に十分な判断はできないけれど。怪しそうなものは避けるようにしている)。
 いつ頃から、何故、こんなジャンルが出てきたのかは分からない。検索したくもないし……。依存症や○○障害や、ネグレクトストリートキッズものは、エンタメのネタとして扱ってよい話ではないよなあ……。

アニメ雑記(2026年7月)

 2026年7月の新作アニメ感想。
 さしあたり『キャラメリゼ』『クレバテスII』『グロウアップショウ』『さよならララ』『捨てられ聖女』『対あり』『ジャードゥーガル』『ブチ切れ令嬢』『BLACK TORCH』『ダンシング』あたりを視聴してみる予定。とりあえずおおまかに点数も付けてみる。
 『岩元先輩』『手札が多め』『透明な夜』『メビウス・ダスト』は、第1話のクオリティが期待に届かなかったので、残念ながら退却。


『岩元先輩ノ推薦』
 第1話。原作の耽美的オカルトの雰囲気は、あまり再現できていない。低予算ゆえか、アニメーションとしての表現がまるで不足している。つまり、作画枚数も少ないし、演出も全然出来ておらず、美形男性たちの静止画と声優の力演で、ぎりぎり繋いでいる。とはいえ、この幻想的なオカルト路線の作品はきわめて貴重だし、この路線が好きならば楽しめると思う(※原作の方が桁違いに出来が良いのだが……)。60点。もう一話くらいは付き合ってみるが、たぶんすぐに止めることになる。
 主演の坂泰斗氏はとても良い芝居をされているし、教師役には、なんと、石田彰氏がいる。青沼老人を演じている鈴木琢磨氏も、ものすごく丁寧に造形された、精密な芝居をされている。しかし、青沼青年役の永塚氏は、ちょっとミスマッチかも。


●『乙女怪獣キャラメリゼ』
 第1話。恋愛感情で怪獣になってしまうシャイな少女の物語。特に後半のドラマティックな状況変転の演出は、ダッチアングル(水平から傾けたカメラ角度)を多用しつつ、スピード感と迫力があってなかなか良い。作画もまずまずで、枚数もかなり多い。ただし、前半のコメディ演出の見せ方はいささか陳腐。70点。ここから、出オチで終わらずにどこまで行けるかな。
 主演の千賀氏については、第1話の忙しいコメディでは芝居の掘り下げのポテンシャルはまだ分からないが、声色はツヤがあって耳に残る。昨年デビューしたばかりの方のようだが、この演技ならばひとまず安心してついて行けそう。


●『グロウアップショウ』
 第1話は、コミカルで躍動感に満ちた出会いの物語。ロングショットも効果的に使われているし、木造建築を初めとした昭和中期のレトロ感とのコントラストも良い。キャラの赤い睫毛が特徴的だが、暖色ベースの賑やかな色彩が作品のムードに似合っている。もしかしたら、「サーカス団を舞台にした美少女キャラもの(+スポ根?)」だけで終わるかもしれないが、映像作りは気持ちよいし、堅実に楽しめそう。ただし、キャストはよく分からない(新人~若手が中心のようだ)。75点
 昭和30年代で、主要キャラたち(ローティーン?)が孤児というのは、明らかに第二次大戦の影響だが、シリアスな物語になるかどうかは分からない。監督のキャリアからしても、明るい萌えコメディのまま行きそうだが……。制作にはGood Smile Companyが入っていたが、もしかしてボンネットバスのプラモデルキットを発売するのだろうか。(そっちじゃないだろ)
 エンタメだと想定するなら、コンセプト作りは上手いと思える。つまり、「30年代=レトロな人懐っこさ、賑やかさ、美術的個性、大人のいない孤児たちの世界」、「サーカス=運動表現の魅力、ロードムービー(?)、多人数がいつも同居している場、演目に応じたキャラ個性」、「大会(?)=目標設定、ドラマ、集団の中での主人公の役割」と、各要素がポジティヴな機能を持ちつつ全体がまとまっている。換言すれば、美少女スポーツものの流れに位置づけられそうだということでもある。


●『さよならララ』
 第1話は名作劇場テイストを入れた童話仕立てで、幻想的な美術と劇的な展開、そして動画表現もダイナミックに動かしている。ただ、第2話以降で雰囲気を変えてくる(コメディ要素を入れてきそう)ので、どうなるかはまだ分からない。話を引っ張っていく魔女キャラの言動がご都合主義的万能なのは気になるが、おそらくこの1話だけだろうから許容範囲内。流れてきた魚をモグモグ食べてしまうあたりなどの、のんびりしたユーモアはわりと好み。ただ、声優の芝居はまだよく分からない。実況モノローグのしつこさもマイナス。オリジナル作品としての期待も込めて80点
 人魚主人公として、ここから『むろみさん』路線に行くのか、それとも『人でなし』か、あるいは『邪神ちゃん』か、はたまた『ごめんねごはん』か……。
 第1話で提示された範囲から考えると、「人魚族と人間族の違いや優劣如何」、「主人公の目標設定(愛の獲得と、人魚族の復活)」、「ボクサー少女との関わり」、そして「滋賀県という舞台設定の意味」といった要素が見て取れるが、それらがうまく噛み合っていくかどうかはまだ分からない。ボクサー少女との百合関係になって琵琶湖に入水というのがシンプルな解決になりそうだが、さすがにそうは行かないだろう。人魚の設定についても、アンデルセン風の泡少女のまま行くのか、和風の八百比丘尼ネタ(不死化)を取り入れるかどうかは不明。
 最後で出てきたキャラクター「大津茉里」を演じているのは、新人声優の川石氏。所属事務所のプロフィールによれば、まさに滋賀県のしゅっしんのようだ。もっとも、今の20代だと、地元方言がどのくらい身についているかは分からないが。同様に、大津家の他のキャラクターたちも、関西圏(大阪や兵庫)の出身のようだ。これもおそらく意図的にネイティヴのキャストで揃えたのだろう。滋賀と兵庫ではいろいろ異なるが、イントネーションなど、共通しているところも多い。滋賀県出身というと小林眞紀氏もいらっしゃるのだが、残念ながらここでは起用されなかったようだ。


●『捨てられ聖女の異世界ごはん旅』
 第1話。濁川監督は、昨年春の『ある魔女が~』がとても良かった。今作はいささか予算の限界を感じさせるものの、世界の楽しさを感じさせつつスムーズに物語展開していくように、上手くコントロールしている。ただし、予算の問題かそれとも原作の問題か、棒立ち会話が多くて動画表現の妙味が出てこないのは残念だが、まあ仕方ない(※ズーミングを多用して間を保たせている場面が多い)。ただし、主演徳井氏の声が上擦りがちなのは、個人的にはあまり好みではない。65点
 ストーリーはおそらく、「美形男性をグルメで餌付け」という俗っぽい路線になっていくので、視聴を続けるのは少々きつい。第1話の時点では、それ以外の仕掛けがほとんど見えてこない。例によってモノローグ過多だが、ただの内省ではなく、視聴者に語りかけてくるような口調なのはちょっと新鮮。料理作画はそれほどリッチではないが、できるかぎり美味しそうに演出されてあり、とりわけ串焼きを食べるシーンは入念な動画表現をつけている。
 キャストに関しては、立花氏は『恋愛暴君』『暗黒破壊神』で、千葉氏は『ビーストテイマー』で、それぞれ濁川監督の作品に出演したことがある。徳井氏も、『ある魔女』のモブキャラとして出演あり。


『手札が多めのビクトリア』
 第1話がこれでは、ちょっとつらいかな……。映像は、静止画としては整っているが動きが乏しく、演出的な面白味も無い。台本も、説明台詞が多すぎるし、台詞回しにもセンスが無いし、事態の推移もかなり強引。
 映像に関しては、画面分割を多用するのは作為的に見えるし、カットが飛びすぎる(人物の動きにつながりが無い)のも問題。脚本に関しても、彼女の元工作員としての活動やスキルがまるで見えてこない(※作中の描写は、身分証(?)を偽造したり、馬車の客を酒で酔わせたり、ひったくりに足を引っかけて転倒させたり、外出中の侵入者を警戒して髪の毛を挟んでいたりするだけで、やたら安っぽいし、「手札が多」いようにはとても見えない)。安済氏の主演は、倍音が乗ったような深みのある声色と安定感のある芝居だが、台本そのものが退屈なせいで、台詞のディテールの面白味が全然味わえない。原作小説も未読だが、ここまでつまらないとは予想していなかった。上手い下手以前の問題として、「味気ない」としか言いようが無い。50点
 冒頭で、暗く陰鬱な曇天を「良い天気」だと語られていた点は気になる。凝った背景設定がありそうにも見えないが、何かしらの仕掛けがあるかもしれない。
 ちなみに、美術監督を初めとして、制作スタッフに中国系(?)とおぼしき方々が多数参加しているようで、国際的なアニメ制作の観点で興味深い。作画の枚数それ自体はそこそこあるのだけど、やはりコンテと原作(テキスト)が悪い。「謎を秘めた女性が、故郷を離れて独力で生き抜きながら、虐待されていた可哀想な少女を助け出して保護し、同時に見栄えの良い男性から好意を持たれている」というのは、とてもワクワクする魅力的なシチュエーションになり得るはずなのに、それをダルダルな筆でただなぞっただけの代物が出てくるとはさすがに予想できなかった。うーん。
 第2話も念のため視聴してみるけど、冒頭で駄目そうだったら、諦めてさっさと退却するつもり。


●『天幕のジャードゥーガル』
 第1-2話。原作のタッチをリスペクトして、デフォルメ体格に、輪郭線の無い衣装表現、記号化された背景、そしてそれらをカラフルに彩っている。建物迷路を駆ける動画や、遠景と近景をダイナミックに行き来するコンテなど、映像としても魅力がある。作画枚数もかなりのものだし、滲むようなグラデーション塗りは、通常のアニメ塗りよりも手間が掛かっているだろう。キャストについては、少々もっさりした芝居もあるが、桑島氏の短調の声色が引き締めているし、そして主演の関根氏がかなり良い(※これまでは浅い芝居の役者だと思っていたが、今回で見直した)。80点……だが、原作もすでに読んでいるし、軽く流すくらいの付き合いにするつもり。
 モンゴル人兵士の会話は、この時点の主人公にとっては理解できない言語なので、モンゴル語音声+日本語字幕という形になっている。クレジット等を見るに、どうやら実際にモンゴル出身のモデルさんや力士に演じてもらっているようだ。もちろんプロの声優ではないが、さすがにこの場合は文句を言う気になれない。ネイティヴに発音してもらうことの重要性でもあるし、モンゴル文化を尊重することをも意味するからだ。同様に、ペルシア人の役は、イラン出身のニケライ・ファラナーゼ氏が演じている。さすがに全キャラクターを、日本語で者部蹴れるイラン系の声優で揃えることは不可能だろうけれど、実際にイランルーツの声優さんがいるならば、その方にペルシャ人キャラクターを演じてもらうのは、まあ、ひとまずはありだと思う。同様に、「関西弁キャラは、関西ネイティヴの声優でないとなかなかきれいな発音にならない」という限界もあるし。
 ムハンマド君の芝居が、言葉に全然意味が乗っていなくて、滑舌もモッサリでひどいので何事かと思ったら、声優ではなく若手俳優とのこと。どうしてこんな……。オーラがあるわけでもないし、耳障りにすぎる。上記の力士声優の方が、声がちゃんと出ているだけはるかにマシなくらい。


●『透明な夜に駆ける君と』
 第1話。悪くはない。周囲のモブキャラたちもしっかり動かしているし、背景(路上や大学構内)も緻密に描かれている。キャストも良い。しかし、視覚障害の描写がいささか教条的でぎこちなく、台詞回しも総じて陳腐であり、そのうえ状況を止めたままモノローグを延々続ける悪癖が見られる(例えば白杖を落とした女性が床を探し回っているのに、主人公はそれを見たままモノローグで勝手な悩みを吐露する)。というわけで、悪くはないのだけど、粗も多く、テーマの扱いにもたまに疑問が生じる。65点
 どうも、力の配分に問題があるように思える。どうでもいいモブの動きはしっかり動画にしているのに、外を歩いている最中に前を歩いている友人2人の状況がいきなり消えたりするし。背景の緻密さも、あまりにもアンバランスなので一部は実写取り込みではないかという疑念がある。


●『BLACK TORCH』
 第1話。予想以上に良い出来。ストーリーは、80年代頃からのありがちな「若者が異能の力を得て、政府の秘密組織で働く現代超常バトルもの」そのもののスタイルなのだけど、演出が洗練されていてとても美しいし、しめやかな情緒もある。さらにバトルシーンもスピード感と迫力をたっぷり味わえる絶妙の見せ方だし、キャラクター作画についても様々な年齢層の登場人物を巧みに描いている。キャストについても、黒猫役の上田燿司氏はもちろんのこと、それ以外の声優たちも良い芝居をされているるピアノ劇伴のムードもかなり良い感じ。そして、やけに目立つムチムチ太腿の描写……。「怪異バトル」ジャンルとしては、完成度の高い正統派と思われる。80点。当初は視聴しないつもりだったけど、このクオリティの作品を外すのは惜しいな……。原作漫画は全5巻で完結しているので、アニメ版でも物語の結末までちゃんと描ききってくれる見込みが高い。
 ちなみに、どうやら海外での人気が高いようだ。比較的短命で終わった作品なのに、こういう現象が起きるのは興味深い。


●『メビウス・ダスト』
 第1話。異能の力を持った孤独な少年少女が寄り集まって、東京の夜の街中でアングラなパルクールレースを楽しんでおり、そこに大人たちの思惑が入ってくるが、子供たちはその怪しさに気づかぬまま乗せられていく……というもの。閉塞的な競争社会とネグレクト問題をそのまま反映しているかのような浅さが気に入らない。
 動画表現それ自体は、「ローラースケートを作り出して超高速で走れる」「頭髪を自由に伸ばして動かせる」「氷壁を作る」といった様々な超常能力をサーカス的に披露しており、今風のスピード感を上手く表現している。こういうシチュエーションが好きならば80点を付けられるだろうけれど、個人的には未成年の社会的苦難(たぶん)をエンタメ搾取するような路線には食傷している。おそらく第2話は観ないだろう。SF災害を入れた架空世界とはいえ、「現代東京のストリートキッズ」というのは、現実が深刻すぎてもう洒落にならないのよ……。
 河瀬氏の演じるマッドサイエンティストは良かったんだけどね……。湯田(=ユダ)という名前からしても、なにかしらやらかすのだろうけど……。旅客機のカットが度々入るのは、封鎖区域を越えて出て行く比喩だろうか?
 作劇の観点でも、キャラクターの視点や動機付けが不明瞭だし、今回は悪い大人に煽られてレースを2度やっているだけだし、次回以降に向けてのヒキも無い。主要キャラの顔見せというにも弱い。オリジナルアニメだから、できるだけ好意的に見てはいるのだが、やはりつらい。


●『ワールド イズ ダンシング』
 第1話。けっして悪くはない。終盤の小屋の中での激しい踊りは、墨と筆で描いたかのようなタッチで、中割のない静止画の乱舞として表現されているが、それでいて明確なつながりとスピード感があって、現代アニメとして非常に優れた表現だと思う。また、時代設定を感じさせる衣装や背景のディテールも良い。ただ、それ以外の映像の流れ全体は、あまり良くない。例によって漫画のコマを貼り付けたかのように、映像的な自然さが無いし、顔アップでの会話が多いし、コミカルなデフォルメ表情も面白くない。荷車を運ぶ場面など、状況説明も拙劣。
 主演はかなり良いし(花守ゆみり氏)、ショタBLになりそうな気配もあるので、もうしばらく視聴を続けるつもり。シチュエーション設定の意欲込みで75点
 原作(漫画)の序盤部分も読んでみたが、そちらの方がはるかに良い。このアニメ版は、余計なシーンや不必要なアニメーションばかり増やしていて(※動かさなくてよい部分を無駄に動かしていて気が散る)、その一方で村人たちの祭の熱狂は描かずにスルーしてしまうというズレっぷり。「金はあってもセンスが無い」というのは困るなあ……。

 第2話は、ぐっと良くなってきた。Aパートではチープなデフォルメ絵が頻出するが、後半の劇的なシーンの連続に向けてコストを温存したと考えれば十分受け入れられる。幻想的な演出や外連味のあるレイアウトも、上手く決まっている。シナリオに関しても、芸道の苦みと高みを印象的に描き出している。


※その他のタイトル(第1話だけを流し見)。
 『カムイさん』は12分アニメ。ヒロインの作画だけは良かったが、それ以外は凡庸。原作を読むだけで十分。杉田氏は芝居を抑えすぎて地味になりがちなところが、ここでも出ている。
 『天河』は、色彩設計から視覚演出までずいぶん古い。キャストももっさりしていて、主演の橘氏も内田氏の芝居もきつい。

2026/07/05

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第12話

 第12話「淡島百景」

 原作の最終話(第31話)に相当。ただし、原作の章題は「岡部絵美と伊吹桂子3」だったところを、アニメ版では上記のとおりメインタイトル=サブタイトルにしている。 脚本は中西やすひろ。絵コンテ&演出は、渡邉こと乃。時間は23:50と、ほんの10秒だけ通常よりも長い(おそらくエンドカードの分)。

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第11話

 第11話「岡部絵美と伊吹桂子」

 原作は第29話の終わりから、第30話まで。ED後のワンシーンのみ、第31話(最終話)の冒頭を先取りしている。
 脚本は中西やすひろ。絵コンテ&演出は、山村日向。フリーの演出家とのことで、本作への参加はこの話数のみ。例によって、大筋はレイアウトや表情づけまで原作漫画に沿っているが、イメージカットなどをかなり増やしている。とはいえ、アニメーションとしての動き(キャラクターのモーション)などは、あまり付いていない。会話とモノローグを主体とする作品なので、そうした動画演出の重要度は他よりも低いタイトルではあるのだが。