2026年6月の雑記。
06/08(Mon)
本日購入した漫画は……26冊。よし、30冊未満だから大丈夫だね!(何が?)
漫画(商業単行本)、ゲーム、プラモデルだけは、購入数を家計簿に入れてカウントしている。ただし同人誌は管理しきれないので除外。新書や専門書はあるがまま、買うがままになっている――本来は仕事にも関わる書籍こそは、蔵書管理しなければいけないのだけど。
【 キャラクターと多国籍性 】
日本のゲーム発でおそらく最も有名なキャラクターは、イタリア人の配管工だからね……。こんなふうにして実際の国と、人気キャラの国籍(または文化的紐付け)が異なるのは、わりとあることだし、もちろんあってよい。漫画だと孫悟空くんも、元ネタからして中国系に擬せられる立場ではある。
まあ、ダルシムやブランカを出してしまった廉では、CAPCOMはインド人やブラジル人に詫びるべきだと思うけど……。
米国を代表する架空キャラクターといったら……スーパーマン?(外国どころか異星人じゃねえか) クラーク・ケントとしては米国人。トム・ソーヤーも自国人。ロッキーにしてもガンプにしても、一応実在国家の国籍が想定できるキャラクターは大抵アメリカ人になっているだろう。ただし、コルレオーネ一家はもちろんイタリア人だし、レクターはリトアニア生まれらしい。なお、ミッキーやトム&ジェリーは人間ではないので除外。
英国だと、シェイクスピアのロミオ&ジュリエットはイタリア人だし、ハムレットもデンマーク人。ただしこれらは、元になっている伝承があるので、彼のオリジナルキャラではない。ポップカルチャー寄りとしては、シャーロック・ホームズが一番有名かな(もちろん英国人)。ジェームズ・ボンドも自国人。
ドイツだと、ゲーテのファウスト博士、ヴィルヘルム・マイスター、ウェルテルあたりは全てドイツ人。
その他。イタリアのピノキオも自国人。フランスの「星の王子様」には国籍描写無し。カナダの「赤毛のアン」も自国設定。中国だと……ブルース・リーは役者自身であってキャラクターではないが、ほぼ同一視されているだろう。中国は史実と伝承が分厚すぎるし、その一方で権力的規制もあるので、フィクションのキャラクターはなかなか出てこない。韓国とかインドネシアとかブラジルとかロシアとかは、国際的に知られた超有名キャラクターがちょっと思い浮かばない。
児童文学(童話)のキャラクターは、基本的に自国ものになっていると思う。フォークロア(おとぎ話)由来のキャラクターも、その性質上、当然そうなる。
[ tw: nonbiri_nouka/status/2063990201597538562 ]
こういう愚行はやめてほしいなあ……。歌手は、歌唱に関しては素晴らしくても、役を演じることについては基本的にただの素人なので。視聴していても、異様におかしな芝居がいきなり出てきて、クレジットを見るまでもなく即座に気づくのよ……。
他の作品でも、主題歌の歌手がサブキャラの2-3個だけの台詞を演じる例はいくつか現れているが、唐突にそこだけヌメッと変な芝居が出てきて、ものすごーく浮いて聞こえる。そしてエンドロールで確認すると、歌手が演じていたと判明する。要するに、台詞に意味が伝わっておらず、そこだけ唐突にピントがぼやけた喋りになる。制作サイドとしては「ちょっとしたお遊び、サーヴィス」のつもりかもしれないけど、真剣に音声と映像に集中している視聴者としては、いきなり冷や水を浴びせられたようで、一気にしらけるし、がっかりする。
しかしそれでも、こういうゲスト出演を喜んでしまうファンが少なからず存在するし、下手な演技に気づいても我慢する視聴者がほとんどだろう――ほんの数個の台詞についてはSNSなどでわざわざリプライで直接文句を言うような人はまず皆無だろう――から、たぶんこの悪習は今後もいろいろなところで出てくるんだろうなあ……。
【 えろちかこめでい 】
エロコメ漫画もたまに読むけど、本当に玉石混淆だなあ……。
一方では、箸にも棒にも掛からないような、下着を描いているという一点にしか意味が見出せないようなヘボ漫画も非常に多い。キャラクター造形はありがちで浅薄だし、コメディ描写も手垢についた強引なラッキース○ベ展開だけで、絵や構図やコマ組みも陳腐……というタイトルもある。そうした作品は、物語も停滞して、ただヒロインキャラを増やしていくだけのマンネリになりやすい。
その一方で、コメディ漫画のノウハウの蓄積を最大限活かしつつ、アイデアの抜群の切れ味となまめかしい裸体表現の官能性を両立させた傑作も多い。そうした作品では、キャラクターの心情の機微をドラマの梃子にしつつ、そこから密度の高いネタをリズミカルに配置して、説得力のある展開を引き出してくる。お色気表現それ自体にも巧拙があって、漫画演出として「そうなる(お色気状況になる)ことの面白味」を引き出すような流れをきちんと作り、そのうえでレイアウトも抜群に美しく見せる。さらに、けっしてお色気だけに寄りかからず、例えばヒロインたちのファッションも凝っていたり、あるいはお色気ネタだけに限らず、日常描写でも洗練されたユーモア感覚を披露したり、全身の動きをきれいに見せるためのポージングも高いレベルで描かれていたりする。バトル漫画ではいわゆる「インフレ」にも限度があるが、お色気表現の場合は事実上青天井に、どれだけ魅力的に描いてもよいので、表現力の高い漫画家にとってはその実力を存分に叩き込める好適な題材になるのだろう。
要するに、「下手でもエロネタのキャッチーな魅力で売り出せる余地がある」という側面と、「優れたクリエイターがノウハウの蓄積を活かして高みを極める」というパターンの2種類が併存できてしまう。だから、まあ、ハズレ率が非常に高い危険ジャンルでもあるのだが、時間を掛けてじっくり鑑賞するに堪える秀作もたくさんある。絵のレイアウトの巧みさや、曲線美(肉体美)の存在感。物語展開の自由度の高さから来る、意外性のあるドラマ。そしてエロ「コメディ」の要素でも、ウィットのある艶笑的な台詞回しを楽しませてくれる。他のジャンルでは扱いにくいような、ピーキーなキャラクターも出せる。漫画一般の表現技巧として見ても、本当にびっくりするくらい上手い方もいる。というわけで、読む数は少ないけれど、エロコメ漫画も良いよね!
「お色気コメディ」というのは、あくまで作品の見せ方の一要素にすぎないので、様々なジャンルと結びついて自由に拡張されうる。『ToLoveる』のような高校+ハーレム+ドタバタがイメージされがちだが(※実際、1970年代くらいからの長い伝統がある)、それ以外にも大学生日常もの(例えば『惰性67%』『ふぉとくら』)、ミニマル日常もの(『玉川さん』『じゅーくぼっくす』)、『○○さんは××する』型のシチュエーションコメディ(多数)、男の娘ものやBL/GLや女性向け(『スカートを脱ぎたい』『彩純ちゃん』『アンドロイドは経験人数に』など多数)、クリエイターもの(『ももいろモンタージュ』『純情エッチング』『早乙女姉妹』)、テクニカルに捻りを利かせた下ネタ(『うしろの正面カムイさん』『魔法少女×敗北裁判』)、現代/和風ファンタジー(『鷹峰さん』『クノイチイノチ』)、西洋風ファンタジー世界(『魔法医レクス』『昨夜もお楽しみ』など多数)、等々。18禁コミックの中にも、コメディ色の強い作家がそれなりにいる。
お色気要素それ自体も、下着露出が多少(?)頻出するというライト(?)なものから、下ネタトーク中心の作風、さらにはストレートに性行為を示唆するドぎついものまで幅が広く、好みに応じて選べる余地が大きい。
周辺ジャンルも、例えばコメディ要素が薄くて完全にエロ中心になっている作品や(『カレシがいるのに』『聖なる乙女と』)、ハーレム系異世界冒険者ストーリー(『辺境の薬師』とか。大量にある筈)、素肌露出の多いシリアスバトルもの(『異世界バトルロイヤル』『マダラランブル』)など、充実した広がりがある。
……こうして見ると、最近(ここ十年以内)の作品から思い出せるものを挙げただけでも、そこそこの数を読んではいるんだなあ。上で挙げたのはどれも、平均以上の堅実なクオリティとコンセプチュアルなユニークな個性を併せ持った秀作で、この方向性が好きならばどれでもだいたい楽しめる筈。その背後に死屍累々の駄作群も存在するけれど、まあ、それは仕方ない。
【 加害性のあるキャラクター造形を扱うこと 】
ガールプラモでは、メガミデバイスのキットでも、キット告知段階で「メ○○キ顔」というフレーズを出していて、「うわあ、まずいなあ」と思ったけど、最終的には引っ込めて別の表現に変えたようだ(※たしか「わるいこ顔」に変えた筈)。まあ、家電量販店などの全年齢エリアの商品パッケージに書いていい表現ではないよね。あのメガミチームのああいう悪ノリ体質にはずっと警戒感を持っているが、この件はぎりぎりでブレーキを利かせてくれて一安堵した。
同様に地上波放映のアニメでも、「メ○○キ」という侮蔑的スラングは絶対に出してはいけないと考えている。障害者を指す「ガ○○」「池○」などと同じく、特定の社会的/身体的属性を貶めるための差別そのもののジャーゴンなので。現実の他者に対して使ってはならないのはもちろんのこと、フィクションのキャラクターに関する表現としてすら、おおっぴらにそうした観念を用いるべきではないと考えている。
残念ながらそういう最低限の線引きのできないアニメが現れてしまったが、これはもう駄目だよね……。個人的には、のれんで仕切られたメロブの奥地とか、シュリンクで封緘された漫画単行本の中で使うならば、ギリギリ許容するけれど、しかし地上波放映のように、ゾーニングや事前警告の一切無い場面でぶっ通しに使うのは、さすがに倫理観が壊れすぎていると思う。
この単語それ自体が、児童を性的+侮辱的に表現するという意味で、今世紀のオタク界隈が生み出した最悪のジャーゴンの一つなのだが……。せめて18禁のゾーニングの中だけに留めておこうよと言いたいが、SNSは――というかtwitterという特定のサーヴィスは――基本的に、何の制限も障壁も無しに全世界に向けてオープンにしてしまう空間であり、まあ、そこで性欲トークを(二次元であれ三次元であれ)しまくっていると、限度が分からなくなっていくんだろうなあ……その挙げ句に、あのスタッフは上記のような言葉を公共の電波に平気で流してしまうようになった。
キャラクター属性の創出という観点では、例えば90年代~00年代初頭の「ツンデレ」や「ダウナー」は、ひとまず後ろ暗いところの無いキャラクター造形だった。
しかし、00年代半ば以降に発生した「ヤンデレ」になると、雲行きが怪しくなっていく。10年代の「サー○ラ」も、人間関係の破綻を女性の側に一方的に帰責するもので、明らかに男性視点の女性嫌悪的気分から生まれている(※だからこれを軽率にネタにしたスパイ家族漫画は、一発で嫌いになった)。さらに10年代末の「メ○○キ」は、QMAシリーズの「グリム・アロエ」と『ボンバーガール』が出発点(または初期の起爆剤)であったようだが、上述のような問題を露呈されているにもかかわらず、SNSなどで無節操に広まってしまった。
もちろん、こうしたエキセントリックなキャラクター像の創出は、古典的なサディズムやマゾヒズムと同様に、人間精神の限界を突き詰めるというクリエイティヴで実験主義的な文化的側面を伴っていることは確かだ。しかし同時に、そこに性差別や未成年者搾取のような現実的加害性があるならば、やはりそれは一定の範囲で批判に服すべきだし、少なくともTPOの問題にならざるを得ない(※それはロリータ・コンプレックスにも当てはまる)。
また、全てが悪くなったわけではない。例えば、上記「ダウナー」造形は、10年代末に「ダウナーお姉さん」という形で、新しい革袋に入れられて見事に再興した。これはこれで、キャラクター造形というよりは読者へのフックに近いものだが、漫画やイラストでも様々な作品が作られるきっかけになった。
【 中国風デザインのキャラクター 】
豪華な中華系ドレス+したたかな商売人+ねっとりした関西弁(京都~船場)というキャラクター類型は、どのあたりから出てきたんだろうか。もちろん個別要素としては、昔から存在していたものだけど、マイルストーン的存在は『サクラ大戦』の李紅蘭かなあ(※チャイナドレス+元気系関西弁+したたかな発明家)。「中国人+商売人」も昔ながらの華僑イメージに連なるものだろうし、「関西人の商売人」というのもありがちなステレオタイプだ。さらに九尾狐の妖しいイメージも付与されつつ、そのあたりがミックスされて、上記のようなキャラクター像に収斂していった感じなのかな。おそらく10年代後半以降の比較的新しいモデルで、『のんびり農家』の同種キャラもたしかその頃に登場した。
衣装デザインについても時代ごとの変化がある。上記「オルネラ」のように、伝統的な中華服をベースにしつつ、袂部分をまるで振袖のように長く垂らしたミックスデザインは、たぶん近年の男性向けに特有のものだろう。胸元をくつろげているのも含めて、花魁のイメージが混じっているようにも見える。
ちなみに「オルネラ」では、腕と袂の接続が盛り上がっていて不格好なのが残念。可動を捨てて、周囲を削り落としてシルエットを馴染ませるか、それとも着脱を捨てて、腕部分を抉り込んで袂を埋め込むように処理するか……。首周りのファーは、百均ショップで適当な素材を買ってきて取り替えた方が良いかなあ。
中華趣味(sinocism)それ自体も、80年代の『Dragon Ball』(1984-)、『らんま1/2』(1987-)、『3×3 EYES』(1987-)から、90年代の『ふしぎ遊戯』(1992-)、『十二国記』(1992-)、『封神演義』(1996-)などを通じて強力に展開されていた。
00年代以降はやや沈滞したが(『彩雲国』2003-などは存在した)、10年代半ば以降、女性向け漫画の後宮ものや中国メーカーのオンラインゲームなどを通じて再び注目を集めるようになっている(『暁のヨナ』2009-、『薬屋』2011-、『烏に単は~』2012-など)。
ただし、緩くトレンドとして広がってはいるものの、『薬屋』以降は知名度の高いビッグタイトルがなかなか現れてこないまま、十年来ずっと燻っているジャンルでもある。『ふつつかな悪女』(2020-)がようやく世間的に脚光を浴びつつあるくらい? それ以外だと、『後宮茶妃伝』(2022-)や『暗殺後宮』(2023-)あたりが現役の中堅上位クラスだろうか。中国発のオリジナルアニメがいろいろ進出してきており(『羅小黒』『百妖譜』など)、それらがインパクトを与えてさらに状況が変化していくかもしれない。
『神楽新風記』シリーズは、方向性がよく分からない……。シリーズとしての統一性や連続性は目指さず、紫に桂香と、人気キャラ(または舞歌のように人気を掘り起こせそうなキャラ)をピックアップするための場なのだろうか?
個人的には、40本も付き合ってきてさすがに飽きたので、全作購入は昨年でやめたけど、『桂香の章』だけは買っておこう。……妹の初花ちゃんに出番が回ってくるかどうかはあやしいけど。
というわけで『神楽新風記:桂香の章』を買ってきた。
セーブデータ周りの仕様がちょっとだけ変更されている。具体的には、作品間で使えないアイテム(武器種類やステータス強化アイテム、特に「賢精」アイテム)が、自動的に削除されるようになった。
面倒なのは、HDD交換して旧作をインストールしていない場合。例えば、武器Aを使う作品に、武器Bを使う作品にデータ継承しようとすると、武器AとBがズレているので、武器データは一切継承されない(※おそらくトップダウンで、ズレを判定する仕様になっている)。なので、武器Aを使うタイトルだけをインストールしておいて、そこに武器Bのsvdtをコピーで差し込んでおいて、新作に武器Bを継承する……ということは出来ない。まあ、実際にはなんとでもなるけど。
ゲーム内部の新システムとしては、「探索手帖」欄がある。要するに、これまでに入手したアイテムの図鑑のようなもの。敵ユニットに関しては、撃破数も記録されている。
また、敵キャラやお供ユニットも、罠に掛かるようになった。お供はPCの後ろから付き添うので、プレイヤーが罠を踏むと自動的にお供も罠に掛かるという、ちょっと鬱陶しい仕様になっている。
「妖術」を使うと、まだ仲間にしていない妖怪もお供として出現する。……以前からこの仕様だっけ? 設定上はおかしな現象だが、プレイヤーの損にはならないので、まあ良しとしよう。
今回もマップ中は3Dキャラ。人魚を撃破すると、尾びれをピタンと振って倒れるのがちょっと可愛い(?)。
新規アイテムとして、「(敵キャラ)の守り」シリーズがある。対応する守りを所持していると、その敵からのダメージを1%軽減するというものらしい。効果が小さすぎて、中ボスの場合ですらほとんど無意味に思えるし、敵の種類が多いのでとてもカヴァーしきれない。
敵のラインアップに関しては、今作はいやらしい状態異常を使う敵が多く、行動がかなり阻害される。幸いにも、ダメージはあまり大きくないし、全体としてはかなり低い難易度のタイトルだが、レベルが足りていない場合は危険かも。優先しておきたい耐性は、中盤以降は眠り、後半は混乱。裏を返せば、耐性をきちんと確保しておけば、敵が無駄行動を連発してくれるので、難易度はかなり下がる。
ボス敵については、最初の枕返しはかなり弱いが、2番目の一つ目入道はそこそこパワフルに攻撃してくるので、装備品や混乱耐性がしっかりしていないと落ちるかも。ラスボスの人面樹も、本体は弱めの部類だが、周囲にボムを撒いてダメージをじわじわ蓄積してくるので、早めに撃破しないと押し負ける可能性がある。最強クラスの必殺技「朝の一撃」を習得していれば、それを2発当てるだけでボスHPの5割を抉り取れるので、そうそう負けはしないだろう。
クリア後のエクストラダンジョンも、今回は無いようだ(もしかして登録者限定になった?)。
ストーリー面では、余所の神社との関係を示唆するテキストがある。『新風記』全体として大きな物語を作っていくのだろうか?(過去作の記述はあまり覚えていない)
イベントは、ボス(中ボス)に連敗して選択肢を間違えるとバッドエンドという、いつものパターン。
イベントCGに関しては、かなり肉感的な裸体描写で、ポージングも凝っており、近年の同シリーズでも非常に完成度が高い。しかし、まるでAI絵のように目元のツヤが濃くて、妙に彩度の高い塗りなのが、桂香さんらしからぬ雰囲気になっている。ただし基本的には、絵柄の現代化として肯定されるべき変化だと思う。
【 趣味活動ものの漫画/アニメについて 】
A) 「バイクや釣りのように、現実には男性ユーザーがほとんど(9割またはそれ以上)を占めている趣味を、可愛い若年女性にやらせる創作物は、女性の外見だけ都合良く消費するための男性中心的コンテンツである」……分かる。
B) その一方で、「上記の批判は、実際には女性ユーザーが存在するにもかかわらず、それらを『男性の趣味』と定義してしまうことは、そうした女性ユーザーの存在を無視し、現実においても周縁化させるのを後押ししてしまう(言い換えれば、そこでは男性がマジョリティであるという認識を強化してしまう)」……これも、まあ、分かる。
では、双方の主張は両立しないのか? それらのジャンルについては賛否どちらか択一しかないのか? それらの意見についてどのような根拠を提起することができるか?両論併記でお茶を濁す論者もいるが、それではまだ不十分だろう。
私見では、Aの側面を問題視する場合に、その焦点は「女性キャラの描かれ方」に存するのであって、扱われている趣味そのものにはあまり関係が無い。趣味活動系のアニメでも、肉感的な描写や煽情的なレイアウトを採用しているタイトルもあれば、そうではないタイトルもある。
もちろん、性的表現如何とは別に、「女性」表象を利用している場合にも問題はあり得るし、逆に、ただ単に商業主義や技術的事情による場合もあるだろう(※kawaii女性キャラを描くノウハウは確立されているが、ジェンダーレスに受ける魅力的な男性キャラを造形する知見はまだ蓄積が浅いし、それを上手く作画できないクリエイターも多い)。
しかし、いずれにせよ、現実に男女比が偏っている趣味活動では、その作為性がグロテスクに目立ってしまう。つまり、趣味活動ものの創作物が批判を浴びやすいのは、いわば外的事情に過ぎないと述べることも一応可能だ。「男性の趣味を、女性キャラにやらせて、それを男性視聴者が楽しむのはキモい」というのは、うん、まあ、分かる。とてもよく分かるし、心情的には賛同するけれど、現状では「異世界でチートハーレム」とか「若くて美形な公爵様から溺愛される」といった都合の良い妄想ジャンルと同レベルの事柄にすぎない。妄想に耽るってのは、そういうものでしょ、という……。
Bについてはどうか。これは、よほど極端でないかぎり、問題にはならないだろう。つまり、例えば「こんな女性が現実にいる筈が無い」といったような主張を提起するならば、現実にその趣味を楽しんでいる女性を排除する作用を生んでしまう。その点には注意が必要だが、そこまでの主張に至らなければ、Bの方にはあまり問題は無い。だから、Aに対する批判的視座としてBを提起する分には、それなりの妥当性があると言ってよいだろう。女性漫画家や女性アニメ監督による作品であれば尚更だ。
結局のところ、Aの問題は、倫理的な「問題」とすべきものではないし、Bの反批判についても、ほとんどは杞憂に留まるだろう。
ちなみに現実では、ソロキャンプは9割以上が男性だが、複数人(家族キャンプを含む)では半々に近づくらしい。そういう状況では、「男性の趣味」と断じるのは適切ではないだろう。麻雀も(※オンライン麻雀を含む)、どうやら2:1くらいの男女比になるようだ。模型趣味は……展示会の参加者を見ても、9割以上が男性だろうなあ。バイクとか釣りとか鉱石採掘とかサバゲーとかミリタリーとかTCGとかは、言うまでもないよねと。
アルコール趣味やグルメについては、「女性は飲食を楽しむな」という昭和的抑圧があったので、現代ではむしろ女性がそれらを堂々と楽しめるのが良いことだという認識が広まっている。実社会では男女比(またはジェンダー要素)が問題にならない活動、例えば観光旅行や登山(ハイキング)や写真撮影やガーデニングや料理や音楽についても同様。
こういう趣味活動ものは、海外では「CGDCT(Cute Girls Doing Cute Things)」とも呼称されているが、00年代初頭以来の美少女ゲームが早期の、そして大きな震源地だった。当時は天文部や演劇部がやたら多かったが、男性主人公(とその悪友)を入れる都合上、男女混合で描かれるのが通例だった。
一般漫画やアニメでは、00年代のいわゆる「日常系」ジャンルが下地を作ったところに、趣味活動ものが出来てきた感じなのかな。『ゆるキャン△』でも2015年の連載開始だから、比較的新しい流行かもしれない。もっとも、『けいおん!』(2007年連載開始)あたりまで遡って捉えることもできるだろうけど、「きらら」系列で見てもあまり連続性を感じない。