2025年7月の雑記。
リツカヘッドなんかに負けない! → リツカヘッドの汎用性には勝てなかったよ……。どうしてこのヘッドは、こんなに強いのか……(写真左下)。
しかし、「ウルフさん」デフォルトも良いバランスだし(右向きの柔らかめの表情がとても良い)、写真右上のルピナスもなかなか似合っているし、もう一つの便利ヘッド、右下の「ブレイブガール(ガオガイガー)」も2019年のキットなのにさすがのクオリティ。
ちなみに、開いた両足で大地を踏みしめる仁王立ちが大好きなので、しばしばこういうポーズで展示している。カトキ立ちとか言わない。
しかし、「ウルフさん」デフォルトも良いバランスだし(右向きの柔らかめの表情がとても良い)、写真右上のルピナスもなかなか似合っているし、もう一つの便利ヘッド、右下の「ブレイブガール(ガオガイガー)」も2019年のキットなのにさすがのクオリティ。
ちなみに、開いた両足で大地を踏みしめる仁王立ちが大好きなので、しばしばこういうポーズで展示している。
07/27(Sun)
なんと、金田まひる氏が8/7にゲスト出演とは。
とはいえ、木村氏との共演やトークはそんなに多くもなかったような……。芝居の方向性も出演メーカーの傾向もけっこう違っているし。メイン級同士での共演は、『はにはに』『新体操(真)』『とっぱら』あたり?
『神楽漫遊記:紫とちはや』もプレイ。マンネリなようでいて、新マップや新ボスも登場させている。いや、言い換えれば、新要素はそのくらいしかないのだけど。
イベント分岐は、ラスボス戦と最後の3択でバッドエンドが変化するというシンプルな形。イベントCGは、今回は高めの水準でまとまっていたが、塗りの演出(妖気の表現など)は控えめ。
みの字の政党については、やらかしもすでにあるし、危なっかしいところが見え隠れするのは確かだし、私自身もべつに支持はしていないのだけど、「早いうちからそんなに叩かなくてもなあ」という思いもある。ひとまず話が通じる可能性があって、意図的な邪悪集団ではないという若手世代の政党には一定の意義があるので、さしあたっては見守りつつ育てていくターンでいいんじゃないかなあ。もちろん、具体的な問題点は指摘すべきだけど。
一つには、既存政党が高齢化、硬直化している退潮しつつある中で、それなりに健全な国民政党をこの十年のうちに作っておかなければ、本当に危険な状況になるという危惧がある。みの字の党がその役割を担えるかどうかは分からないにしても、その芽を潰して回るのはけっして得策ではない。
また、利権に絡め取られておらず(たぶん)、市民の意見を比較的率直に反映できそうな新政党には、それだけでも大きな意義がある。
というわけで、もうしばらくは「将来に期待する」段階として、優しめの目で見てもいいんじゃないかなあ。あまり悲観的-否定的な評価をぶつけまくるのは、ちょっと可哀想だし、それならむしろ、れの字や国の字についてももっと厳しく言うべきことはある筈だ。かなりbadだけど、他の新興政党よりはせめてless bad(相対的にそれほど邪悪ではない)……だったらいいなあ。
とはいえ、かれらの行動や提言がいかにも不安定なのは確かだ。また、かれらの主張は現場実装寄り、つまり政策実行のレベルであって、政策立案のレベルが弱い。そうしたルール実施は「行政」の領分であって、国政選挙=「国会」=ルール制定の活動ではない。政策方針の定まらないテクノクラート志望者をそのまま国会にお出しするのは筋違いと言わねばならない。もっとも、既成政党や既存の議員たちも、政策立案のプロフェッショナルと言えるほど優秀なわけではないし、十分な定見があるとも言えず、大差ないというのが実情かもしれないが。
というわけで、意欲のある新興世代については、既成政党に悪い形で食われてしまわないようにしつつ、間違いは正しつつ、ましな政党として成長してくれるようにするくらいでもよいと思う。
言い換えれば、みの字が単なる失敗事例で終わってしまうとしたら、それに続く新しい動きが本当に消えてしまうかもしれない。「私たち全員のための、それなりにまともな政党を、私たち市民自身が育てる」というのを、どこかでやっておかなければいけない。みの字がそれになり得るかどうかはともかく、少なくとも重要な試金石の一つにはなってくれるだろうし、それを攻撃しすぎるのはいささか躊躇する。といった感じ。歯切れが悪いけど、政治とはこのくらい歯切れの悪いものだろう。
悪く言うと、現在の若年世代の政治意識や政治的指向では、あのくらいがせいぜいなので、「あそこからちょっとでもマシな方向に傾けていく」というのが、おそらくベターな戦略なんじゃないかなあというのが、大学生たちを相手にしている私なりの感触。
みの字は、現代の若年層の中で見ると、あれでも「比較的ましな部分を反映している」と言わざるを得ないのよね……。つまり、強い対立を嫌いつつ、合理的に問題解決をしていこうとする路線で、極端で露骨な差別からは距離を取る。ただし、議論の余地のある問題や、価値観レベルの断絶と向き合わなければいけないような問題、両立しない世界観を持った他者と粘り強く交渉しなければならない議題に対しては、ノータッチを決め込む。つまり、熟考された強固な哲学的基盤を持っているわけではないから、ポリシーがふらつくし、争点によっては腰が引けてしまい、わりとすぐに妥協する。その意味で、エスタブリッシュメントに都合良く絡め取られかねないちょろさがあるのは否めない。
もちろん、年齢だけで判断してはいけないけれど。特に近年の40代~50代前半くらいの自治体首長たちが、見た目だけはクリーンで誠実そうなのに氷河期サバイバーの全能感とパワハラ気質でやらかしまくっているのを見るにつけ……。
とにかく、「まともな政党を早く作れ」というのが私の関心事。棚ボタで良い政党が出てくるのをただ口を開けて待つのではなく、私たちみんなの問題として受け止めて、大掛かりに人を集めてきちんとした組織を作ることを真剣にやらないとまずいという危機感がある。
もちろん、そう簡単にできることではないが、今世紀の動きを見ていると、案外やれる余地はあるのではないかなあ。例えば、地域政党から出発して堅実に勢力を伸ばすとか(関西のアレがやっちゃっちけど)、特定のワンイシューを打ち出して国政を大きく動かすとか(あの邪悪な人物がその看板を詐欺的に使っちゃったけど)、新世代向きの選挙運動を根本から考え直すとか(あのカルトはまさにそれだったけど)……って、どれも邪悪な連中が先鞭を付けてしまったけど。
しかし自分たちの意見を反映させていくには、大きな包摂的運動のスタイルがどこかで必要になってくるし、それを――公平さを維持しつつ――なんとか効果的にやれないものだろうか。
「ウルフさん」について。運動性重視のスポーティなキャラがルーズソックスにするのは整合性が取れないので、普通の引き締まった靴下にしたい。ということで、余っていた小鳥遊さんのパーツを持ってきたが、かなり体格が違うんだね……。股下で約5mm(10倍して5cm相当)の格差があるし、太腿のボリュームもまるで別物。さらに、素肌/靴下の分割位置も違うので部分組み替えもできない。
ちなみに、公式サイトのキャラ紹介には身長設定は載っていないが、キットサイズはそれぞれ公称153mmと160mm。「ウルフさん」は、「一条星羅」のカラバリに頭部だけを「アレンジウィッグ:ウルフレイヤーカット」に入れ替えた派生キットなので、一条さんと事実上同一のプロポーション(※ただし、ネクタイの印刷などをカットした簡略版キットになっている。そのわりにキット価格は8100円から7600円と、ほとんど変わっていないけど)。
左が「小鳥遊暦」、右が「ウルフさん」。スカートの干渉無しに下半身交換が可能だが、プロポーションが大きく崩れるので上手く行かない(※ちょっとマニアックな体型になる。いや、これはこれであり?)。どうしたものか。ちなみに、リツカ脚部と比べてもさらにむっちり。すごい。余談ながら。膝関節を曲げてもきれいなシルエットが維持できるように改良されている。あくまでマイナーチェンジにすぎないが。
キャラ設定を検索したら、一条さんは両親離婚しているらしい。ずいぶん珍しい設定だが、現実的に言えば、そういうキャラがいてもおかしくないくらいのパーセンテージではある。
「創彩」シリーズの商品展開が多すぎて分からなくなってきたので、私製リストを記事にした。
(……ということは、今後も定期更新していくの? めんどいなあ……)
pvx百科やwkpdにも「創彩」の記事はあるけれど、どちらも雑多な情報をだらだら並べているだけで、「情報が整理されていない」+「取捨選択が利いていない」ため、調べものの役に立たないし、全体の展望も得られない。
もちろん、ああいった路線も、「情報を溜め込んでアーカイヴにする」という意義はある。しかし、その割には欠落が大きいし(とりわけ、肝心の商品の詳細情報と結びつけられていない)、体系的に整えられていないので読みづらいし、知識を取り出しにくいし、情報を加工しにくい。
というわけで、ろくな記事が出てこないのに腹を立てて、2時間足らずで私なりのリストを作成した。趣味人の格率「無いものは自分で作れ」に対して忠実であり続けたい。
ただし、これはメーカー側の問題でもある。公式サイトでも、商品を適当な(発売日順などの)配列で並べているだけで、系統立った情報提示が為されていない(※一応、おおまかなカテゴリー別の製品リストは抽出できるが、雑多なまま)。個別商品の説明にしても、型どおりの記述をコピペのように載せているだけで、構造上の大きな特徴や分野的な個性を打ち出すことがろくに出来ていない。おそらく手が足りていない(お金も足りていない)のだろうけど、「もうちょっときれいに整理すれば、ユーザーの利便性が大きく向上して、集客+買い足しを促進できるのになあ」と思う。
これはKOTOBUKIYAに限らず、例えばBANDAIですら似たり寄ったりの有様だし、模型以外の非常に多くの企業サイトがこうした状況に陥っている。出版社のオンライン漫画サイトでも、単行本情報(既刊リストを含む)に紐付けられておらず、ただ時折新刊情報が挟まってくるだけで終わってしまっている(※もっとも、既刊も買い揃える読者はかなり少ないから、最新刊以外の部分にコストを掛けてもリターンが無いのかもしれないけど……)。
少なくとも「創彩」のように、エンドユーザーたちが様々なパーツを買っていろいろ組み合わせて楽しむ企画の場合は、公式サイトも使いやすく整備して、「こんな商品があって、こんなことも出来ますよ」というのをもっと積極的にアピールしていくのは、プロジェクトを長期的に展開存続させていくうえで重要だと思うのだけどなあ……。
「薬師寺久遠(篝火真里亞)」について。以下、キャラデザ再現に関する細かい話。キャラ再現には多少手間が掛かりそう。
相違点 | 改修アイデアや雑感。 |
頭髪。 | 比良坂初音(姉様)は、人間に変化している最中はシンプルな黒髪(+ツヤのハイライト)。キットそのものは紫寄りの成形色なので、グロスブラックで塗装した方が良さそう。 ただし、蜘蛛寄りの状態を再現するならば、上記画像のとおり、黒-紫のグラデーション塗装にする。どちらにしようかな……。 |
セーラー服のスカーフも白。 | 塗装。 |
足元は | 制服版「薬師寺久遠」の下半身(素足+ローファー靴)を移植するだけでよい。それ以外だと、体格や造形の点でなかなか合わないだろう。安上がりにするなら、「ドレスアップボディ(L)」を靴下塗装でもよい。 |
スカートの丈も、膝下まで。 | 薬師寺久遠のスカートは膝上までかなり出ている……って、膝の位置が低すぎない? 言い換えれば、太腿部分が長すぎる。この問題点は、創彩シリーズの通弊なのだが、今回は特に極端になっているように見える。可動重視のせいだろうか? それとも、ロングブーツと合わせたうえでのバランス考慮なのだろうか。 対処法としては、「諦めてそのまま」、「ドール用布服」、「自作(プラ板なり端布なり)」、「他のキットから流用(しかし良い候補が思い浮かばない)」。 Azone International布服の黒(紺)セーラー服も持っているが、「スカーフ(リボン)がちゃちい」、「白ラインが2本ではなく1本(サイズの都合上やむを得ないが)」、「スカートも短め」なので、今回は使えない。 |
全体のシルエット。可動確保のための隙間が多すぎる。 | シルエットの美しさを重視するなら、次の制服版「薬師寺久遠」を黒塗装した方が良さそうだが、ただし、そちらの制服版は後ろで髪をまとめたヘアスタイルしか入っていないようなので、そちらだけでは再現できない。結局、両方のキットを組み合わせて……いや、そこまでするほどでは……しかし、胸部-腹部の分割だけでも消してきれいにおきたいところだが……。 ちなみに、同じ制服の「結城まどか」ボディ(150mm)は、薬師寺(160mm)とは体格が異なるので、流用には適さない。襟や袖の白線を塗り直すのも面倒だし。 |
へそ? | へそ出しはこのキャラには似合わない(※こういうキャラでやると下品すぎる)ので、買ったら腹部はホワイトで塗装してシャツっぽく誤魔化しておきたい。あるいは、極力目立たないように、いっそ黒塗装でもいい。蜘蛛の黒黄だんだら模様をこっそり仕込むのもありかも。 |
蜘蛛脚。 | 蜘蛛脚については、以前に買った「ピーコックスパイダー」のカプセルトイがあるけれど、それよりむしろ、適当なドラゴンウィングパーツのゴツゴツした骨組みだけを使う方がフィットしそう。本格的に蜘蛛化した状態では、おそらく燐のように背中から8本の蜘蛛脚を生やすことになる。股間に蜘蛛棒を生やすこともできるが、さすがにそれは止めておく。 |
蜘蛛腕。 | 原作の描写に従うなら、右腕は袖口を破りつつ細い蜘蛛ハンドに差し替えられるようにする。 また、終盤の状況では、上腕まで衣服が切り裂かれた状態で、太い蜘蛛脚(?)が露出しているシーンがある。 |
小物:机。 | 1/12スケールの学校の机をいくつか用意すると、OPのイメージシーンを再現できる。ティーセットを用意すると、深夜のお茶会シーンを再現できる(奏子は?)。 |
アレンジ版。 | 白い着物姿。ドール布服でも無さそう。刺さる矢は……さすがに止めておこう。 |
奏子。 | ちょうど良いキット/フィギュア/ドールが思い浮かばない。適当なfigmaキャラをアレンジするくらい? |
もう一つの候補は、『黄昏乙女×アムネジア』の庚夕子。こちらは赤スカーフにストッキングまで同じなので、ほぼ無加工でこのキャラだと言い張れるレベル。ただし、スカーフの白ライン(2本線→1本)、スカート丈、靴だけは調整する必要がある。
KOTOBUKIYAのFAG用ガレキ改造パーツのエロネタはかなり露骨に下品でヒくのだけど、しかしまあ、「フィギュアメーカーのやることだから……」、「フィギュアと同等だと思えば……」と捉えれば、ぎりぎり許容できるかなあ。
映画はせいぜい数百本(たぶん1000本未満)しか観ていないけど、『ショーシャンク』『ダークナイト』はどちらも個人的にガッカリ(not for me)だった。いや、この2本を好きな人たちがいるのも理解できるけれど。
前者は、気の利いた中編小説であれば十分楽しめるストーリーだと思うが、2時間半の感動大作として作られると、どうしてもモヤモヤ部分が目立つ。悪事に深く荷担しつつ、最終的にはその不正で得たお金を持ち逃げしているわけで、結果的に無辜の市民や他の囚人たちから搾取したお金を一人でせしめて気持ち良く引退したことになる(※しかもその事実からは目を逸らして、再会の美談の体裁で終わらせてしまっている)。たまにスノッブに格好を付けたシーン(無断音楽放送)や、思わせぶりな悲劇(老齢退所者)を唐突に入れているのも上手くないと感じた。映像としてはユニークなところもあるのだけど、作品全体としては冗長さとツギハギっぽさのせいで、私の好みからは程遠いし、上記のような事情でとても不誠実な物語に見えるのもきつい。
後者は、暗がりの中で巨漢主人公がモソモソ殴り合っているあたりで嫌気が差したのを覚えているし、これまた2時間半超の長尺でダラダラしていた。終盤の大型船シーンのジレンマ状況も、一般市民の良識問題がいきなりクローズアップされたのが作為的だった。この監督のスタイルは自分に合わないと見切りを付けたので、それ以降の作品群も一切観ていない。
「世間的評価は総じて高いが、個人的にどうしても受け付けない映画」というと、この2本が頭に浮かぶ。グロ映画とか、いわゆる胸糞作品とか、チープな映像とかは、あらあらうふふで大抵は耐えられたり、あるいは積極的に楽しめたりするのだけど。
ホラー/サスペンス映画で、おどかしの効果音をしつこく多用してくる作品も大嫌いで、こういうのは即座に視聴をやめて円盤をゴミ箱に叩き込んだこともある。演出として平板でチープだし、重要な部分に入る前に不必要に苛立たせるという意味でも失敗している。そういう作品に付き合う義理は無い。
最近は、好みに合わないコンテンツからの護身ができるようになってきた……と言いたいところだが、実際には漫画のカジュアル買いで失敗しまくっているし、「避けたものが本当に駄目だったか」は証明できないわけで、私はずっとこんな感じなんだろうなあ。
(※漫画雑記ページに書いているのも、買った単行本の3割~7割程度。言い換えれば、それ以外は感想の書きようもないハズレだったり、趣味に合わなかったりの死屍累々。)
「ライガーテイル」は、BANDAIにしてはパーツ分割が洗練されないし、可動幅/可動方向もかなり限定的で動かしにくい。しかしそれでも、パーツ精度はさすがだし、密度感のある精緻なモールドも満足のいくクオリティ。
注意点としては、肩パーツが折れそうなところ。それから、何かの言い訳のように2箇所ほど、色再現シールが用意されている。頭部の8つのセンサー(目)は、きちんと塗装して光らせてやるとこのようにたいへんグロくなるのが良い、実に良い。
カラーリングについて。グリーン部分(暗緑色)は、成形色からややブルーに寄せつつ彩度を上げた。ブルー部分は、逆に彩度を落としつつ明度を上げた。これで2色の違いをはっきりさせつつ、色彩的な統一感を高めたつもり。
金属色は、例によってクロムシルバー+ツヤ消しブラック。はっきりした金属感と、ギラつかないシックな色合い、そして造形をきれいに把握できるくらいの明るさがたいへん好都合。
その他、ヒンジ、シャフト、シリンダー、ボルト、排気孔メッシュなどのディテールをちまちまと水性メタリックカラーで塗りまくっているのだが、写真ではほとんど見て取れない。まあ、私の模型塗装はそんなのばかりだけど(※「色調の微調整」「ウェルドライン消し」「ツヤのコントロール」「ディテールの塗り分け」が主なので、一見すると無塗装状態と区別できない。きちんと見れば全然違うのだけど、写真には反映されない)。
スミ入れ(ウェザリング)は施していない。どうしようかな……。
多脚メカは、HEXAGEAR「アビスクローラー」や、Rocket models「ヴォータン」、橘猫工業「ガードスパイダー・フェーディ」などを作っている。イージスガンダムも多脚メカに数えてよいだろう。そういえば、無脚キャラの「邪神ちゃん」プラモは、買っただけでまだ作っていなかった。
07/25(Thu)
フィクションのロボットプラモを組んでいるときに、カラーリングの解釈に悩んで手が止まることがしばしば起きる。
これは迷彩なのか? それとも、パーツごとの構造的-機能的な性質の違い(例えば装甲とフレームの違いのように)を反映した色分けなのか? もしかしたらパイロットのパーソナルな趣味表現(ノーズアートに類する自由な塗装)なのか? あるいは、所属識別などの組織的な合理性なのか? または、構成素材やメンテナンス性などに起因する即物的な事情(例えば防錆塗布)なのか? はたまた、純粋に審美的な(つまり作中世界ではなく現実の私たちにとっての)効果を目指したものなのか?
こうした解釈問題は、塗装のテイストやディテールに深く関わる。つまり、「どのような色調を選ぶか」、「どのような質感を目指したらよいのか」、「細部をどのように塗り分けるか(どこを同じ色にして、どこを別色にするか)」、「塗り分けをどこまでで割り切るか」、「シリーズ全体としてどのような展望の下に置くか」、等々。
ヒロイックなロボットであればあまり気にしなくてもいいのだけど、ディテールが緻密でリアリスティックな造形になればなるほど、カラーリングに関しても水準を合わせる必要が出てくる。例えば、ただ無思慮にガンダムを戦車風に迷彩塗装してもナンセンスで、説得力が無いだろう。逆に、戦車プラモをトリコロール塗装したら、何が何だか分からないものになってしまい、ちっとも格好良くはならないだろう。
ただし、ガールプラモの場合は、これまでに培われてきた「擬人化」の発想が、比較的自由な組み合わせの余地を確保してくれているので、様々なネタ塗装でも受け止められる(と思う)。
『チートスレイヤー』の件はなあ……。あれは表現の自由云々の問題以前に、出版社相互で忖度しすぎたのが問題だと思っている。私自身は、あのくらいのパロディは許容されてしかるべきだという立場。オタクたちの間でも、わりと意見は割れていて、肯定派+容認派もかなり多かった(過半数?)くらいだったと思う。
要はKADOKAWAが悪い。
ネットでバトりそうになった時の、私なりの方針。
・できるだけ礼節をもって冷静に応対する。喧嘩腰にはならない。冷静さに努めるのは、自分自身が失言(失点)を犯さないためでもある。
・「1: 妥協するところ」「2: 守るべきところ」「3: 無視すべきところ」を適切に分ける。
1: 最大の目的は、相手との間で合意を得ること(上手く妥協して話を円満に終わらせること)。丁寧な姿勢で相手の話を聞き、その考えや事情を引き出して、公平に吟味しあう。第三者にとっても、判断材料を提供する。議論の収束(終息)点が見えてきた段階になったら、どんどん相手を立てて譲ってよい。話がまとまりそうにない場合はさっさと諦めるが、その場合でも最後まで礼節は維持する(※喧嘩別れだけは避けたい。お互いを敵として終わらせるのは、禍根を残す最悪の結着なので)。
2: ただし、固守すべきところは譲らない。原理原則のレベルでゆらぐと、説得力も信頼も失うので。少なくとも、「私としてはこの点で筋を通すことが重要だと考えています」のところは言葉で明確化しておく。ただし、あくまで攻撃的にならないように、また、個人的な意見で終わらせないように、相手が納得して受け入れられる程度のごく一般的な論拠(例えば平等とか経済的損失とか)にとどめておく。
3: 攻撃的な煽りに対しては、一度は正論で応答してもいいが、それ以降は付き合わない(無視してよい)。失言や暴言をした方が負けだと考え、正否の判断はオーディエンスに委ねる。罵倒バトルの泥沼に入ってしまうと、周囲の信頼を失い、双方負けで終わってしまう。
だいたいこんなところかなあ。「原理原則のレベルでは、こういう方向性が正しいですよね、ただし、あなたの事情ではそうなったのも分かりますし、仕方ないですよね」といった具合にになだめられるのが、まあ、最善ではなかろうか。それ以上を望むのは、ほぼ不可能だろう(※よほど相手が知的で公平ならば、もっと先へ議論を進めることも可能だが、通常はそこまで期待はできない。逆に、話の通じない相手や、極端に勢力格差が不利そうな場合であれば、「私としてはやはり○○の点が重要だと思います、以上です」だけでやり取りを打ち切ってしまう方が安全だろう)。
もちろんこれは、政治的議論だけでなく、趣味の議論にも当てはまる。
1: 「妥協」の要素は、価値観を述べ合い、そして聞き合って、お互いの世界を豊かに拡げ合うことを意味する。「ほほう、そういうフェティシズムもあるのですか」といったように。
2: 「原則」の次元も、上記要素と関連する。他人とは違った考え、つまり新たな知見を提供することは、積極的な意義を持つ。
3: 「無視」の側面は、妥協の利かないところをさらりとやり過ごして戦わない、という姿勢になるだろう。ひとしきりお互いの見解や価値観を開陳しあったうえで、「あなたにとっては伊達眼鏡キャラは不誠実に思えるのですか、私は伊達眼鏡も面白いと思うんですけどね(だって伊達眼鏡キャラは、視力が低いわけではない、つまり眼鏡をかけなくてもいいのにファッション目的であえて自発的に眼鏡をかけてくれているんですよ、これが眼鏡に対するリスペクトでなくて何ですか、むしろ眼鏡キャラまたは眼鏡シチュの最上位に置かれてもいいくらいの素晴らしさではないですか!)」で話を終わらせてよい。
創作物が現実認識や価値観や具体的行動に影響を及ぼすか否かは、一概に言えないだろう。「全部が無し」ではないし、「全部あり」でもない。
例えばスポーツ漫画に影響されて実際にスポーツをやるようになるのは、「作中でもポジティヴに描かれているし、現実でもその行動が肯定され、日常の会話の中でも推奨されることがある」という状況だ。
逆にダーク系アダルトゲームは「作中でも反社会的な行為として描かれ(だからこそ擬似体験として昇華の作用を持ちうる)、そして現実社会の中では明確に悪事として周知徹底されている」のだから、現実のレ○プ行為に結びつくことはきわめて稀になるだろう。
私はいわゆるAVをちゃんと視聴したことは一度も無いけれど、「AVの振舞いをすべて標準的な形態だと認識して真似してしまう」のは、「正否の参照項が他に少なく、実社会でも話題にされることが稀であるため、一定頻度でそうした思い込みをする人は出てきてしまうのはむしろ当然の帰結だ」と言える。
ヒーロー特撮のファンは、現実に英雄的な行為をしようとするか。そもそもそんなヒロイックな機会は無いし、特撮ヒーローものは描写の仕方からしてきわめて虚構性の強いもので直接真似するという考えは生まれにくいだろう。ただし、ヒーローものは、善良な人間でありたいという思いを後押ししているだろうし(とりわけ子供に対しても)、そして日常のどこかでちょっとでも良い振舞いをするようになっていくだろう。社会調査では掬い取れないくらいの些細な行為だとしても、また、必ずしも一貫しないとしても(つまり、悪意に流れてしまう時もあるとしても)、倫理観に対して良い影響は生じているはずだ。
それぞれまったく別種の問題なので、それらを一括りに「創作物の影響有りや無しや」で結論を出そうとすること自体が粗雑であり誤謬だろう。
各論として、例えばフィクションの表現が性犯罪や性差別に結びつくかどうかというと、これまた内部で様々なグラデーションがあるだろう。
例えば、レ○プをもたらすことはほぼ無いだろう……だって、ほら、男性はしばしば自宅で昇華してしまうだろうし、現実に実行するには入念な計画や身体的能力や機会などのもろもろのハードルがあって、実行しようとする前に冷静になれるだろうし。創作物がそういった自宅での昇華を促すことができるというのは十分大きな現実的影響と言うべきだが、自宅の範囲を越えるものではない。
chikanのようにもしかしたらハードルが低いのかもしれない行為は、chikan漫画や18禁ゲームなどがいくらか助長してしまっている側面はあるかもしれない(※まあ、物理的には手を数cm動かすだけなんだろうし)。しかし、現実のchikan者と、そういうアダルトコミックなどの読者は、あまり重ならないんじゃないかと思う。ああいうのは、「フィクションを試したくなった」のではなく、「ストレスでついやってしまった」という告白が多いようだし。
しかし、判断力の未熟な児童によるスカートめくりの真似などは、現実の行為として広まってしまう場合がある。
もっと深刻なのは、漫画の中の女子マネージャー描写とか、ドラマの中の旧弊的シンデレラストーリーとか、あるいは女性に対する抑圧が男性の社会的権力行使と絡めて肯定的に描かれてしまう場合(成り上がり漫画とかね)とかだろう。アイドルコンテンツも、対象を崇めつつもその実、相手の人生そのものを賭けさせている(※恋愛や結婚を非難するってひどすぎない?)という怖ろしい社会的抑圧を集団的に行使している。つまり、社会意識における差別性を助長したり、他者の人格軽視の実践になってしまっていたりするという点が、最も深刻であり、そしてしかしただし、立法技術的には最も規制しにくいデリケートな部分だろう。
というわけで、大きくまとめるなら、「影響はけっしてゼロではないが、総じて微弱であり、それを制約する社会規範や集団的掣肘が一定程度存在するならば、犯罪行為のトリガーには至らない。しかし、性差別的な意識を助長する側面は否定しにくいのだが、それも法的な規制のステージに上げるのはかなり大きな副次的問題を生んでしまう」というくらいだろうか。ネットで見かけるような全否定も全肯定も、どちらも言葉足らずの極論であり、けっして乗るべきではない。
これと同じような意味で、ヤ○ザキャラを肯定的に描いていたり、ヤ○ザをコメディとして軽く描いたりする作品は、個人的には一切手を出さない(=市場的に儲けさせない)ようにしている。ホ○トものの作品も、基本的に買わない。
女性向けでは、シンデレラストーリー型の「権力者男性大好き!」な分野は、基本的に無視している。騎士団長に依存されるとかサディスト公爵様から拘束的に溺愛されるとかいった漫画は、店頭で目にする度にいつもモヤッとする。もちろん、その一方で、読者サイドとしての私は、「フィクションだからこそ割り切って、非現実的な空想を楽しめる」と言いたいのだけど……。
創作物に限らない。むしろ商品宣伝ポスターの性役割固定化は、きわめて深刻な影響を社会に及ぼしているのではなかろうか。ちょうど某所で、「シリアルフードのマスコットは元気な男性キャラばかりで、女性キャラがほぼ皆無というジェンダーバイアスが凄まじいよね」という話があり、そういうミクロな次元からも、不当なジェンダー偏見は萌芽させられているのだろう。
07/19(Sat)
漫画の未読単行本がかなり増えてきた……(※現時点で30冊くらい)。買ってきた新刊はできるかぎり最速で読むようにしているのだが、毎日2冊(週14冊)のペースで読んでいても毎週20冊買っていたら積みは溜まるよね……。
このブログでは月別メモの体裁を取っているので、その月に発売された作品はその月のうちに読んでコメントをしておきたいのだが、なかなか難しい。
夏アニメも、視聴が遅滞気味。特に『雨と~』は完全に出遅れたので、後でまとめ視聴しよう。『傷だらけ聖女』も、一度も観ないまま落としてしまいそう。
今のところは、『第七王子』(コンテがひどいが最後まで付き合う)、『クレバテス』(岩原氏らしい風変わりなノリだがひとまずついていく)、『陰陽』(不満もあるがオリジナルアニメとして上手く行ってほしい)、『鬼人』(今期も安定)、『nine』(映像としては退屈だが声目当てで)、『インヒューマンズ』(期待を下回る出来で、途中脱落の可能性が高い)。
顧みるに、春クールは粒揃いだったなあ……。切れ味の良いオリジナルSF『ホテル』。完成度が高くドラマティックな見せ場のたっぷりある現代魔法ファンタジー『ある魔女』。堅実で情緒豊かな和風伝奇『鬼人(1期)』。強烈な幻想性に満ちた中華スラムロマンス『九龍』。映像美の突出した現代日常サスペンス『小市民シリーズ』。そしてアクションがひたすらきらびやかなだけの『LAZARUS』。
うーん……「尊厳重視、社会的公正重視の社会運動について、その広報戦術の巧拙を問い、もっとましなやり方を求める」(つまり価値観は肯定しているが、手段の問う)ことが、いよいよ困難になりつつあるのがきつい。そういう批判を、「敵対党派たちが問題をこちらのせいにしてくる責任転嫁」と混同してしまって区別できなくなっている。
つまり、前者の忠言をしてきた人々を、後者の攻撃だと思い込んでただ強硬に反発して議論を終わらせてしまったり、あるいは「敵対者からの責任のなすりつけの一種だ」という決めつけに引き籠もって自省をしないままにやり過ごしてしまうのは、本当にまずいのだが……。そうした姿勢は結局のところ、状況を改良していく手掛かりを内発的にも公共的にも失って、袋小路へ突き進んでいくことになる。
もちろん、「野党が不甲斐ないせいだ」といった類の歪曲的ななすりつけは確かに存在するし、それに対してはきちんと反駁すべきだ。しかし、「(結果責任や価値観に関する)責任転嫁」と、「(言論や広報のありようを巡る)戦術的忠言」を区別することは難しくない筈だ。なのに、後者に対しても――それどころか、具体的な指摘が現れていない場ですら――紋切り型の「あんなのは責任転嫁の、為にする主張だ。聞く耳を持つ必要は無い」というお題目ばかりを繰り返しているは、実に不幸な状況だ。
私自身、個人の尊厳や社会的公正を非常に重視している立場なのだが、そういう私の目から見ても、「何か忠告しても、ただ敵認定されて終わるだけで、話にならないのではないか」という危惧を持ってしまう。そのくらい、「あいつらは何でも左派のせいにしているだけだから、我々に対する批判は無視してよい」という硬直的な論法が浸透しすぎたのは非常にまずい。
まあ、そういう強硬姿勢はSNSの攻撃的な鉄砲玉アカウントたちが主にしていることであって、社会運動全体としては、開かれた言論を受け入れる誠実な方が大半だろうとは思うけれど、それでも、上記のような拒絶的論法(議論を拒絶せんがための詭弁的混同の手法)が蔓延していくのはけっして良いことではないし、個人的にも、もううんざりしている。
一つだけ具体的な話をすると、「○○党(極右)を支持するのはバカだ」という類の発言をシェアしたり拡散したりするのは、悪手そのものなので、やめた方がよいし、お互いの間で諫めあうべきだと思う。何度でも書いていることだが、そういう一方的な見下しと罵倒は、敵(というか騙された当人)を硬化させるし、中立のマスには倦厭されるし、味方側のブレーキを失って先鋭化していくばかりなので、百害あって一利もない。そうではなくて、必要なのは、冷静で公平な言論によって丁寧に説得して、デマから人々を引き剥がしていくことだろう。そういうことをしないで、攻撃的な罵倒投稿ばかりを拡散させつつ、「これで中立の人々もあいつらの危険性に気づくだろう」という思考停止に胡座をかいている。かえって逆効果になってしまわないかなあ……と常々懸念している。
攻撃性に振り切れた鉄砲玉アカウントって、わりといくつも思いつくでしょ……? ああいうのとは手を切って、もっと誠実な言論をする人々の意見を掬い上げていくのが、戦術的にも良いし、また、あらゆる人の尊厳と自由意志を相互尊重しようという理念とも整合的な姿勢である筈だ。
排外主義を批判する中で、また別種の差別を自分から持ち込んでいる人たちも見かける。
曰く、「生活が上手く行っていない人が、自分よりも下を切り捨てて助かろうと、外国人排除を叫んでいる」という想定を呑み込んでしまっている人たちがいる。しかし、それはおそらく事実に反する。今回の参の字の支持層を見ても分かるように、むしろ生活の安定している保守層こそが、自分たちの生活の品位を守るために、あるいは(イメージ上の)ナショナルアイデンティティのために、「下品で不埒な外国人」を排除したがっているという方が、要因としては大きく影響しているだろう。実際、「外国人に仕事が奪われる危機」よりも、「街の雰囲気が悪くなる」という曖昧な社会イメージを梃子にした差別的主張の方が、圧倒的に多い筈だ。
上記のような想定が含んでいる問題は、外国人差別を語ろうとする一方で、みずから経済的差別を表明してしまっている点にある。その無根拠な想定は、「経済的に貧しい=知性やモラルも低い=愚かな排外主義に走っている」という蔑視と強く結びついている。
排外主義や階級的差別は、むしろ医師や大学教員や大企業社員や公務員といった保守層を大きな母体としているというのは、オウム事件の頃から、あるいは大阪の維の字が進出してきた中でも、はたまた懲戒請求事件に際しても、ずっと言われたきたことではないか。「極右の伸張は、愚かな大衆のせいだ」、「バカだけが(バカだから)カルトに騙される」という思い込みは、それ自体、きわめて差別的で有害な偏見であり、私たちはその誤りをきちんと批判していかなければならない。
……まあ、「どうしてこんな滅茶苦茶な奴等に投票するのか、ちゃんと考えればすぐに分かる筈なのに、どうして分かってくれないのか」と言いたくなる気分は分かるし、それをあまり強く問い詰めるのはそれはそれで無用の分断を生じかねないのだけど、でも、それでも、もっと慎重に行きたいよね……。
ここ十年ほど、ウナギは一切食べていない(※今後とも食べるつもりは無い)が、しかし、「たれ飯で十分」という意見にも賛同しがたい。あの魚のジワッとくる油の甘さがあってこそのあの味わいだったと思うので。スーパーのウナギもどき(※要はカマボコみたいなもの)を食べたこともあるが、やはり本物の柔らかな食感やジューシーな豊かさや特有の風味には到底及ばなかった。いや、もはや味覚の記憶もおぼろげになりつつあるが。
うちの選挙区は、うーん……あり得そうな結果の振れ幅の中では、比較的マシだったかなあ。維参国はギリギリの接戦ながら落とせたし、公>自の得票数も、裏金屋に対する厳しい判断と言えなくもない。いや、それでも、うーん、もろにA派の裏金屋を通らせてしまったことに忸怩たるものはあるし、全国の選挙結果を見ても、とても喜べない状況だが。
近所のイエサブにEastern Model「嶺王醒獅」が並んでいたので買ってみた。小柄コンビの「黒白无常仙」(2023)以来だから、このメーカーのキットを作るのは久しぶり。開封してみた感じでは、目に付くのはダブル素体を標準採用しているくらいで、武装も手甲と棍棒くらいしか特徴が無いし、関節構造やパーツ一体化にもかなり遅れているけれど(※肘関節は昔のBANDAIのような二重関節で、むしろ先祖返りしてしまっている)、まあ、可愛いから良しとしよう。ちなみに棍棒にはLEDを内蔵できて、先端部がピカピカ発光するらしい……何その面白機能、楽しそう。
このメーカーは、キャラデザやキット構成についてはあんまりセンスが良くないし、造形的にもあっさりしたディテールなので、2025年の水準で見るとちょっとつらいかも。「玄武」のように思いきり外連味のある変形武装をオモチャ的に盛り込むか、あるいは「Black Widow」のように既存キャラのプラモデル化を手掛けた方が、長所を伸ばせるんじゃないかなあ。
Nuke Matrixだと、kawaiiデザインとメカニカルなギミックを大きな武器にしているし、Mecha Pig(将魂姫)だとキットのボリューム感と実験性、そしてネタのチョイスも売りになる。そうした中で、Eastern Modelがどうやって市場的な地歩を確保できるのか……。中国ガールプラモも、「出ては消え」ですぐに撤退してしまうメーカーが多いので、できれば長く存続してほしい。
頭髪パーツの干渉が激しいと言えば、(樹脂製ヘアのドールですが)カスタムリリィのこれが強烈でした。左右のドリルと、背面から両側面に広がったウェーブでがっちり頭部を固定しているという代物で、いや、ファッショナブルで可愛いのですが……。その左の青髪のように、頭髪に可動ジョイントを設けている製品もありますし、主流は柔軟な植毛ドールですが。
とはいえ、頭髪パーツをジョイント分割して見栄えを損なってしまう場合もある。個人的には、頭髪干渉は割り切って諦めようというスタンス(※上下左右に各15度でも動けば、まあいいかなと……)。
なので、例えば佐伯リツカのロングヘアがそのまま(分割せずに)造形されているのは良い判断だと思う。FIORE「ドラセナ」くらいになると、頭髪を可動分割しなければ困るというのも分かるけれど。
あるいは、武装デザイナーの側が上手くスペースを取るように設計するのが望ましいと思う。ヘアスタイルは、キャラクターの個性やイラストレーターの美意識を強く反映するので、可動確保のために変にいじってしまうとキャラ造形が崩れてしまいかねないし、その一方で、武装パーツの側はわりと柔軟に設計変更できるし、ジョイントを増やして隙間を逃がしてやるのも比較的容易だろうから。
例えば30MS「シアナ=アマルシア」は、頭髪パーツを両肩を覆ってしまい、首の可動を著しく阻害してしまうのだが、柔らかく広がった後ろ髪には得も言われぬ魅力と大きな個性がある。こういう意欲的な挑戦は、ヘアスタイルの側ではどんどんやってほしい。
上半期が終わったところで、ガールプラモ分野のおおまかな回顧をすると、トピックは:
- KOTOBUKIYAの復調?(一時期の迷走を超えて、なんとなく成果が出つつある?)
- 30MF/30MPやメガロマリア、男の娘、古いアニメキャラなど、人物プラモ全体の裾野が拡大?
- 躍進した新人はPLAMATEA。ただしクオリティにはばらつきがある。
- 海外キットは、新興メーカーも現れたが、全体としては新規キットが減って沈滞気味。
こんなところかなあ。発売予定を見ても、下半期も同じような感じで推移しそう。
ここ数年で、いわゆる「ネタバレ」過剰忌避がずいぶん和らいできたようで、個人的にかなりホッとしている。その理念的な根拠についてはすでに何度も書いてきたから繰り返さないけど、「作品についてはできるかぎり自由に語られるべきだ。それこそが作品受容を最も豊かにし、作品の寿命をより長く延ばす」という立場はずっと変わっていない。
とはいえ、ほんの4年前の『エヴァ』映画(2021)でも、公式や某声優がSNSでの内容的言及を禁止するという暴虐行為をしていたくらいだから、まだ人々の価値観は揺らいでいる状況なのだろう。
今月末は『廃村少女[弐]』の発売。美少女PCゲームも、もうあまり買わなくなっているけれど、SLG系メーカーのEscu:de(と、でぼの巣)が元気でいてくれるのはありがたいし、今後ともできるだけ買って(プレイして)いきたい。今回はADV作品だけど、UI設計はさすがSLG系らしく、いつも洗練されている。
立候補した声優さんについては、あんまり悪く言いたくないけれど、しかし「どうしてあの風変わりな(婉曲)政党から……」という困惑が拭えなかった。インボイスの問題は声優に限らずフリーランスのクリエイターたち全般に影響のある事柄で、それを積極的に主張なさっていたことは敬服するのだが、それに関しては共・国などの他政党も同じ立場だった筈だし……。
もちろん声優でも、定見と意欲があれば選挙等の政治活動を堂々とやれる社会であってほしいとは思う。つまり、立候補することによって声優業へのダメージを生じさせてはならないと思う。ただし、あのお仲間のアニメコスに関しては、立場上、隣から止めるべきだったけど……。
また、特定の政治的議題をアピールしたい人が選挙の場に出ようとするときに、組織利害や内部調整に絡め取られた既成政党よりも、小規模新興政党の方がそうした政治家志望者を掬い上げやすいということもあるかもしれない。そういった少数政党が果たしている役割は、形式的に言えば、民主的政治過程の健全性にとっても重要なものだ。もちろん、最終的には、個別の意見や結論が実質的にどれほど妥当か、どれほど説得力を持つか、どれほど公正であるかに掛かってくるが。
漫画版『第七王子』は、これまで基本的に仲間キャラは一人も死んでいない。敵キャラですら、しばしば救済して仲間に取り込んでいる。この優しさは、『超人学園』以来の石沢氏らしさだと思う。
ただし、さすがに主人公に会う前の過去のギザルムは落命したまま。そして、今のところほぼ唯一の死亡者はイクシオン。不遇可憐な少女キャラが即落ち絶命させられたのは、いまだに腑に落ちない。一応、ストーリー上の意味はあるのだが、だとしても扱いが異例にすぎる。復活させようにも、主人公たちとの関わりが無いので、いまさら物語に組み込めない(だから復活してもらえそうにない)。うーん。
07/12(Sat)
アニメ版『レベル99』を再視聴していた。主演のファイルーズあい氏は、普段とはうって変わってぎりぎりまで抑制された芝居をしているのだが、その中から抑えようもなく滲み出てくるパワフルな迫力が、レベル99キャラの底知れぬ凄味として結実している。こうした無表情系キャラにこの役者さんを起用したのは一見ミスマッチのようでいて、このキャラクターの厚みを音声で表現するには最高のキャスティングだった。とりわけ、最上級魔法「ブラックホール」を発動させる台詞(2、6、8話)では、淡々とした声色にもかかわらず、その一声だけで特別な威力の魔法であることを十二分に伝えている。それ以外も、例えば内心のツッコミ台詞でも、控えめながらユーモアの情緒を湛えた芝居を楽しめるし、天然キャラらしいとぼけたシーンでも「本人は真剣なのだが周囲の認識とズレている」ことを明瞭に感じ取らせるバランス感覚で演じられている。珍しく他人を内心で罵る「このバカ王子~」(3話)という一言も、このキャラの基本トーンの枠内で絶妙のコントロールをされている。この作品を視聴していると、「ファイルーズ氏は、一色ヒカル氏の境地にまで到達できるのでは?」という期待すら頭をもたげてくる。
それ以外のキャストも良い対抗ヒロインの和氣あず未氏も、キャーキャー台詞を嫌味にならないように演じているし、王妃役の中原麻衣氏も要所を引き締めている。第二王子役の八代拓氏も、「浅薄なようでいて複雑な背景がある」というキャラを上手く演じている。
作画についても、華やかで軽みがありつつ、乙女ゲームらしい濃いめのキッチュさも残しているという難しいアプローチを成功させており、最後まで崩れることなく端正で清らかな映像を維持している(※ただし、モンスターなどの3Dパーツは浮いていて今一つな出来だが、許容範囲内だろう)。
ただし、ファイルーズ氏の歌唱だけは、個人的にあまりピンと来ないのだよね……メロディの美しさやリズムの跳ね具合が感じ取りにくくて、「歌」というよりも喋っているだけのように聞こえてしまう。歌詞に対して真面目すぎて、歌としてノっていないというか……。惜しいところだし、不思議な点でもある。
うちの区は、どうやらあのパワハラ屋がかなり優勢のようで、立の字の政党が推薦しているのだが、彼一人が大勝ちしても嬉しくないし、しかも近時やばい連中に接近している人物なのでかなり不安。そしてLDPの裏金屋に、その衛星政党の公の字、そして参カルト、国の字、維の字あたりが続いているらしい。うーん、うーん、うーーーーん。Nの字の悪党もこの区から出ており、当人は通りそうにない(?)雰囲気だが、また今回も彼自身の当選を目的にしていない可能性があるので、なんとも鬱陶しい。その他はの見込みの薄そうな候補者は、共、れ、社、み、等々。社会的公正を訴える勢力が票を取れない社会はきついなあ……。
それでも、重要なのは、「どのような主張をしている候補者が、どのくらい得票しているか、どのくらい支持されているか」を示すことにあると言うべきだ。なので、あくまで政策的主張ベースで、そして社会的公正に関する私なりの信念に基づいて、投票先を決めたい。
もちろん当選するのが最善ではあるのだが、しかし選挙とは、けっして「当選しそうな人に乗っかること」ではないし、「当選しそうなところに自分の一票の効果を出したいゲーム」でもないので。
人情としては、当選しそうな人に入れたくなったり、あるいは、当選見込みの薄い人に投票するのを無駄と感じてしまったりするのは分かる。いわゆる「死票」になることが忌避されてしまう心情も分かる。しかし、そのような投票行動は、以下のような問題がある。
1) ある程度の勢力のある候補者ばかりに、投票先が選ばれてしまい、選択肢が不当に狭まる。マクロレベルで言えば、マイノリティの意見が反映されない選挙になってしまう。
2) メディアの事前予測などに影響されやすくなる。もっと言えば、アジテーションで煽る候補者ほど、票を集めやすくなってしまう。
3) 民主主義の意義との兼ね合い。「当選すればOK」「当選することだけが大事」という認識が強化されると、「当選イコール全権委任的な信任だ。落選者が主張していた政策主張は、落選したのだから無視してよい」といったような誤解をもたらしてしまう。
4) 長期的視点。例えば、「今回はこのくらいの票を得た」という事実は、次につながる筈だ。また、「当選したけれどぎりぎりだった」という当選者に対しても緊張感を与えるし、また、落選者の政策主張も考慮しなければならないという意識を持たせなければならない。政治とは、オールオアナッシング(ウィナー・テイクス・オール)ではなく、あくまで様々な集団や立場や意見の間の調整でなければならないからだ。もしもそうした調整を放棄してしまったならば、政治(選挙)とは勝利者による放恣な権力行使だけになってしまうだろう。
こうした意味で、――少なくとも理念上の民主的な選挙においては――投票行動とは、「望ましいと思った政策(候補者)に対して、それぞれ支持を可視化し合うこと」に存するのであって、勝ち負けに絡むことを目指すものであってはならない。
07/07(Mon)
「ウルフさん」の頭髪をオレンジにしたら『ストライクウィッチーズ』のシャーリーっぽくなるかなあと思っていたが、どうやらあまり似ないようだ。これでは小清水ヴォイスは聞こえてきそうにない。
cf. [twitter: dennisiter/status/1941846716459921415 ](※左記は検索していてたまたま見かけただけのアカウントです。個人的なご縁はありません)
最近は、金曜日に帰宅したら入浴と軽い夕食を済ませてすぐに仮眠することにしている。疲労のせいもあるが、一度寝ておく方が土日をじっくり楽しめるというメリットもある。
早い時間に寝ると、必ず2時間ほどで目が覚めてしまう。例えば、午後9時に寝ると11~0時前に、午後10時に寝た場合でも0時前後に起きてしまう。これは学生時代からの体質で、どうやら変えようが無い。言い換えればかなりの夜型体質ということで、朝も早い(というか眠りが浅いので目覚ましで瞬時に頭が覚醒する)、午前2時就寝からの翌朝6時起床でも苦にならない。
「ぜ、全滅ぅ? 12人の栄一が全滅!? 半月も経たずにか?」
(節制していたつもりだが、今月分の趣味予算が払底しそう……。)
漫画『江戸前エルフ』を読んでみたら、なんと、TAMIYAエプロンでエアブラシ塗装をしてロボットプラモを作っているという珍しい描写が……ただし、神社の本殿で吹き付け塗装をしているのだが(※ご神体扱いされているオタクエルフキャラという設定だし、その直後にきちんと叱られてはいる)。
しかも、アニメ版ではこのエルフキャラは小清水氏が演じていたのか!
ガールとメカの組み合わせ方について、何か良い新機軸はないものかなあ。これまでだと:
1) 四肢を交換して武装モードにする。FAG式(※特に「白虎」は肩の付け根までメカ化している本格派で、かなり好み)。
2) 装甲として着込む形にする。30MSがこのアプローチと言えるか。武装盛り付けはメガミ「スサノヲ」やNuke Matrixのハーピー、Animaster「ガラハド」でおそらく極限に達した。あれら以上に盛り付けると、華奢なガールの関節では支えきれなくて崩壊するだろう。実際、VOLKS「ローズ/リリィ」あたりはゴテゴテしすぎて破綻寸前まで行ってしまった(※あれはあれで好きだけど、あまり一般受けはしないだろうなあ……)。
3) 背面からアームで武器類を浮かせる。メガミ(アリスギア系)に多いが、イージーに見えるので個人的には好みから遠い。
4) 騎乗する。マクロスガールや将魂姫「馬超」など。単純明快だし、バイクのような身体的な動きをリアルに連想させるので、面白味を伝えやすいが、しかしアレンジの幅が狭いので単調だとも言える。
5) お供ロボにする(VOLKSコスモス、Nukeウサギ、そして最近の日中ゾイドガールズも)。これはこれで良いものだが、ただのセット売りという感じになってしまうきらいもある。実際、PLAMTEA「アンジェラ」のように完全に別売りにした実例もある。
6) メカガールとして一つになる。橘猫工業「フェーディ」や、Nukeの人魚と人馬など。「フェイ・イェン」や「アーシー」も全身がメカ化している。マニアックだが、ここまで徹底してくれると、個人的にはとても楽しい。
個人的には、Eastern Model「青龍」やVOLKS「ドラセナ」くらいが好み。つまり、武装とガールの一体感があり、さらに、武装を着込んだときのシルエット全体としてもコンセプトをはっきり表現しているので。
SUYATA「アルテミス」も、両肩からメカパーツと接続してしまうので、一体感は非常に高い。α-アジールあたりを連想させるような巨大ユニットも迫力があるし、コストさえ許せばこの路線がもっと広まってくれるとありがたい。
FAG「グライフェン」やMD「タンク」のように、大きな装甲が全身を覆っているタイプも好き。要はパワーローダーっぽいということだが。いっそ『サクラ大戦』の光武くらいに大型メカの中に乗り込んでしまう(※つまり、コアパーツとして組み込まれてしまう)のがあったら嬉しいのだけど……そういえばKOTOBUKIYAのギガンティックアームズがそれに近かったけれど、造形センスが今一つだったので手を出さずじまいだった。
以前の食玩「ペーネロペー」を解体してガールに着せよう(被らせよう)と構想したことがあった。造形上の特徴もはっきりしているし、アイキャッチになるパーツもあるし、着込む形もほどよく再現できそうなので。ただし、キットを1個しか持っていないので、もったいなくていまだに実行していない。
FAGシリーズがたまたまメカガール路線だっただけで、ガールプラモ全体としては、実はメカガールはけっして主流ではないし、とりわけ近年は既存キャラを再現するための商品が増えてきているので、こういう論点もあまり意味のないものになっていくかもしれない。
行政が特定のコンテンツ(アニメとか)と結びつくことについて(※沼津の件からいろいろ)。
大前提として、地元産業振興に直結している場合であれば意義があるし、自治体の活動として正当化されるだろう。
しかし、アニメのように地元産業というわけではない場合には、議論の余地がある。例えばアニメ制作会社や漫画家個人は当該地域に在住しているとは限らない。しかしロケ地として大きく取り上げられて、間接的に地元への好影響があるという場合には、ひとまず肯定されてよいかと思う。
そういったつながりも無い場合はどうか。リアルアイドルにせよ、アニメコンテンツにせよ、特定のコンテンツに対して公的機関が選択的に出資したり、様々な機会にその宣伝に協力したりするのはどうか。広い意味での文化振興として許容される場合はある(※美術展なども同様で、それは当然あってよいことだ)。
だが、ここで最後に個人的な引っかかりを述べるが、すでに有名で人気のあるメジャーコンテンツばかりを取り上げることになっていることに、どうにもモヤモヤする。つまり、コンテンツ産業の側から見ると、「すでに有名で儲かっているコンテンツが公的宣伝によってさらにブーストされ、その一方でマイナーなコンテンツはそうした機会が与えられず、格差が増大する」という状況になっているからだ。
だから、「なんでこんなマイナーな作品が?」と驚かれるような作品でも、――とりわけ地元との関わりが深い作品の場合には――積極的に起用していく方が、公平なんじゃないかなあと思っている。いや、もちろん現実問題として、そういうマイナーな作品は企画を通すのが相対的に難しいというのは分かるのだけど……。
補足的に。公的機関ではなく、赤十字(献血ポスター)のような私企業や社団法人の活動であれば、もちろん自由にやってよい。しかし、郵便局は?国立大学は?と考えていくと、やはり微妙な問題になっていく場面はある。
おねえちゃんたすけて! うちの選挙区にまともな候補者がいないの!
(いや、皆無というわけではないけれど、埋没してとても当選しそうにないのよな……)
問の立て方は重要だ。
「どうして海外はケモナーが多いのか」ではなく、
「どうして日本人はしばしばライトケモナーにとどまっているのか」を考えるべきかもしれない。
そう、問の立て方は重要だ(?)。
ホテルものの作品について。洋式ホテルは、短期滞在生活の場であるとともに、「品質」や「雰囲気」のために高度に様式化された儀式的な側面もある。そういう二重性が、人間のナマの日常的な要素と非-日常的(あるいは文化的)な部分をその舞台上で交錯させる。そしてさらに、定住者ではない新たな存在が、頻繁に外部から訪れる場でもある。そう考えると、ホテルものにしばしば感じる特有の魅力が腑に落ちる。つまりキューブリックの『シャイニング』だな!(飛躍するな)
「○○××だというのはデマ」といったような記事や投稿は、それ自体、危なっかしく見える。もちろん内容は誠実に作られていたりするのだが、こういうヘッドラインが多くの人の目に入ることで、半ば無意識のうちに「○○は××」なんだなとデマ情報を刷り込まれてしまいかねないので。
だから、デマチェック記事などは、タイトルの最初に「【デマ修正】」と大書しておくか、あるいはデマ文面をそのまま書くのではなく「○○に関するデマについて」のように濁して書くくらいの配慮をした方がよいのではないかなあ。そのくらい、人の認識能力は低く、記憶能力は当てにならないのよ……。だから、誤情報が公に露出する機会そのものを減らすことも重視しなければいけないと思う。誤情報の修正をしているつもりでも、実践上はかえってその誤情報の拡散を後押ししてしまっているかもしれないのだから。