2014/05/06

夏野氏について

  夏野氏の演技やトークについての感想いろいろ。


  2014/04/27

  「Galgeラジオ」での涼宮氏のあの奇抜なキャラクターは、「PULLTOP×PULLTOP」での芝原氏との共演を踏まえたものなのかもしれない、と思った。「PULLTOP×PULLTOP」は2007年12月から翌年4月まで配信されていたものだし、鷹月(涼宮)氏がゲスト出演されたGalgeラジオ第62回は2008年3月頃の筈だから、時期もちょうど隣接していたわけだ。芝原氏の、あのスローペースの面妖な発声と、相手を煙に巻くような突飛な発言――もちろん共演者のトークスキルを信頼していなければ出来ないことだが――を、涼宮流にアレンジしたのがGalgeラジオだったのだと考えれば、わりと腑に落ちる。ただし、それは「涼宮琉那」というラジオ向けキャラのルーツの一つであったかもしれないとしても、しかしやはりあれはまぎれもなく「涼宮琉那」というオリジナルな個性のあるキャラクターの芸(art)になっていたし、そしてあの控えめな素振りから突飛な発言を繰り返しながらもラジオの流れを途切れさせないようにその都度正確なフォローを出されているのだが。

  いずれにせよ、芝原氏も涼宮氏もわりととんでもないので、ぜひとも繰り返し聴き返すべき。



  2014/05/03

  十数年のキャリアを持つ夏野氏が、如何にして、そして如何様なものとして、今の夏野氏になったのか、よく分からない。十年前は、数少ないながらいろいなジャンルに満遍なく出演されて、ただしいくつかの作品(『真・瑠璃色の雪』『エスカレイヤー』『マブラヴ』『巫女さん細腕繁盛記』『はるのあしおと』等)でトップヒロインを演じられてユーザーに強い印象を残していたが、レビューサイト界隈などでは木葉楓氏と似たような評価――それほど器用ではないが渋いキャラクター表現をされる、どちらかといえば低年齢キャラに向いた役者さんの一人という認識――を受けていたと記憶する。それがどうして、いつ頃から、現在のような個性と深みと存在感を、造形の完璧さと耳をそばだてさせる緊張感を、発揮するようになったのか。分からない。あるいは、昔からそうだったのか。2007年頃以降、白箱系ヒロイン役のエキスパートになっていった――そしてその頃から「夏野こおり」が第一名義になっていった――が、それ以前の『巫女繁』(2004)や『オルタ』(2006)の頃にはすでに十分な水準にいらした筈だが、今ほどではなかったように思う。私の中で印象が変化したのは、2008年の『ヨスガ』のメインヒロイン役と、翌2009年の『死神の接吻は別離の味』の抑制の利いた芝居だろうか。しかし、そうだとして、それではどこがどう変わったのかというと、やはり分からない。白箱系作品でも、華やかに大騒ぎするキャラクターをあまり演じず、いたずらに台詞を急かさず、大声をあげることもしないのに、そのクリアな発声のうちにキャラクターの感情の方向性を明瞭に伝える手腕とユーザーの注意を惹き付け続ける力を持ったあの芝居が、いったいどのようにして成立しているのか。つくづく分からない。

  鮎川氏との共演も、『天使のいない12月』(2003)以来、十年以上になっているのか。このコンビの出演タイトルはたいてい当たりなので、緑茶新作もその幸運に恵まれていることを期待しよう。

  ちなみに『しにきす』は、五行氏と夏野氏の二人がダウナー(あるいは感情希薄な)キャラを演じているという怪作。表面的には穏やかでありながら、相手(主人公)との距離感を鋭敏に探りつつ、感情の激しさと屈折ぶりを薄く忍ばせているのが、五行流のダウナーキャラ。他方で、語り口は叙事詩的な超然性のうちに淡々としていながら、その背後の切迫した神経質な真情への予兆と可憐さの香りとを感じさせるのが、夏野流のダウナーキャラ。ただし、お二人はユーモアに対する敏感さも備えており、しかもその呼吸が分かっていながらご自身の芝居をギャグめかして崩すことはしないので、結果的におるごぅるテキストの下品な冗談が適度に中和されて程良いウィットの範囲に収まることになる。



  2014/05/06

  口元で例のちゅるちゅるの水音を出すのは、自分で試してみると非常に難しいことが分かるが、それでも何をどうやったらそうなるのかは一応理解できる。しかし、「1. 水音を出しながら」同時に「2. 吐息も音として表現する」というのは、吸気と呼気の双方を行うわけだから、呼吸全体のコントロール(瞬間的な切り替え)が完璧に出来ていなければ、実行できない。これも試してみると分かることだが、水音表現のために口全体を複雑に動かしながら、その間にいきなり吐息を――しかも吐息としての自然さがありながら熱気と色気をも籠めた、芝居としての吐息表現を――交えるのは、素人にはほぼ不可能だ。

  さらに「3. (意味のある言葉になった)台詞も喋っていく」というところまで一クリックの台詞の中で同時並行でやられると、もはや人体の構造上の限界を超えているのではないかと怖ろしくなってくる。例えば「ちゅるちゅる、んんっ、ちゅるるる、はぁっ、ぢゅるるっ、○○くんっ、ちゅるるるる、くふっ、ああっ、ちゅるるるっ、これっ、ちゅるっ、おっきい、ちゅるるるるっ」のような台詞を、どうやって音声として成り立たせているのか、皆目見当も付かない。なんという超人的特殊技能。

  そしてさらに、それどころでなく怖ろしいのは、「4. こういう台詞の前後にまで長いアドリブを付け加えてくる」声優さんがいらっしゃることだ。おそらく、一つの台詞の流れを構築するために、テキストの表面上の指示よりも長く、前や後ろに水音表現や嚥下音や吐息を入れておられるのだと思うし、実際に聴いていると確かに台詞の意味と状況をより的確に表現するものになっている。

  要するに、複雑な水音技術の卓越だけでなく、きちんとしたブレスコントロール、一つ一つの台詞の状況に対する精度の高い想像力と台詞全体の理知的解釈及び構成力、そして吐息一つに至るまでの繊細な表現力があって初めて、これほどの迫真性に満ちた台詞が完成しているのだ。おそるべし。「勢いよくお蕎麦を啜っているみたいで食欲が刺激される」などとおばかなことを書いていた私は反省せねばならない。

  テキスト上では単純に「あっ、あっ、あっ、あっ!」と書かれているだけなのに、そこから明瞭な輪郭を持ったひとまとまりの有意味な芝居を生み出してくる。これはまぎれもなく創造と創作の業だ。声優おそるべし。夏野こおりおそるべし。