2014/05/31

2014年5月の雑記

  2014年5月の雑記。(→6月4月


  05/31(Sat)
  気付いてみれば購入予定タイトルが軒並み延期していて、今月は買うものがほとんど無かった。『魔女こい~』は好評らしいので、私も早くプレイしたいが……。

  それだけでは我慢できなかったので、難波周辺を歩き回っていろいろ買い込んできた。これでまた一ヶ月ほどは(精神が)生き長らえることができそうだ。……こう書くとなにやらジャンキーめいて聞こえるが、おそらく間違ってはいない。創作物中毒者、芸術中毒者、人間の想像力によって造形された数多のものの中毒者。
  こんな私も、仕事場では「スイーツ(名字)」と呼ばれるくらい見事に擬態して、マニア的気配は微塵も匂わせずにいるのだが。

  家計簿をつけてみたら、今月は何故か誤差が+12901に……つまり計算上の残金よりも現金の方が多いという不可解なことに。支払っていないものを支払ったつもりになってどこかで計上してしまったのだろうけど、こんなおばかな結果は初めてかも。

  ゲームとクラシックだけは、購入した日のうちに手許のリストに記入するようにしている。そのおかげで、CDについては(録音年も記録するようにしているので)購入時にほぼ必ず開封することができているが、美少女ゲームの方はラッピングを取ることもなく棚にまっしぐらということも……。美少女ゲームは、EGScapeへの反映もわりと適当で、かなり遺漏が多い筈。

  今日買ってきたフェルドマン3枚のおかげで、今日はぐったりして熟睡できそう(おばか)。というか、フェルドマンですら、まだ一度に3枚も買えてしまうほど、これまでろくに聴けていないということなのだが。

  最近は集中して何かを頭に入れる(丸呑みに暗記する)ということが無くなってしまった。元から記憶力はそんなに良くはないが。モーツァルトの主要な作品くらいは、ケッヘル番号を見て瞬時にどの曲のことか分かるようになりたい。さすがにベートーヴェンのはだいたい分かるが。

  元F&Cの宮村優氏がどうして小説版『スペランカー』を書くことになったんだ!? いや、もちろんこういうことがあってもいいのだけど、同姓同名の別人かとちょっぴり疑ってしまった。

  「炎情の猫三味線」は――幸いにも雑誌初出時点で購入し読んでいたのだが――単行本収録は困難かと危惧していたのだが、無事発売されて良かった良かった。しかし、ビーボくん……。

  朱門優氏が信用ならないのは、あるいは油断ならないのは、あれだけ星座ネタを使っていながら、もしかしたらいきなり小杉十郎太ヴォイスで「本当のことを言おうか。実は星なんか全然興味ないんだ」などと言い出すんじゃないかと思わせるところ。そういうのもまた作家たる資質の一つではあるが。


  「祝桜ラジオ」CD特別版のゲストに五行さん……「こいそらじお」と同じ趣向じゃないですかー!


  「PJADV And ExtraGames」でggっても1件しかヒットしない、というか、ゲームエンジン名で検索してちゃんとヒットするNaisy0氏のサイトがすごいのか。



  05/29(Thu)
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  嬉しい。嬉しい。


  一番好きな声優さんも、一番すごいと思う声優さんも、一番その芝居が私の感性に合うように感じられる声優さんも、一番気持ちよく聴ける声優さんも、一番愛着のある――というのは僭越ではあるが――声優さんも、一番信頼している声優さんも、ラジオトークが一番楽しい声優さんもそれぞれ別にいるが、今の私にとって一番の理想的なPCゲーム声優はたぶん美月氏。一つ一つの台詞を見通しよくしっかり把握しているところも、瑞々しく活力に満ちた芝居ぶりも、情感をたっぷりと乗せつつ「芝居」としての品位をけっして手放さないコントロールも、超絶的な滑舌の気持ち良さも、その声色までも。個人的に、一色氏にすら匹敵する技量だと思っている。もっと聴きたい。



  05/27(Tue)
  最近、意識の中でゲーム側の思考があまり展開されない。来月末くらいまで休眠しようか。こういうのは以前から何度もあった、というか、意識を向けられる分野が推移しているということなのだが、心配したことは無い。


  こぶいちイラストとむりりんイラストの判別の仕方を得意顔で語るようなフジタレージは嫌だ。
  みつみイラストと○○イラストの格の違いを語るならまだしも。


  『ハピメア』は、Purple softwareがようやくその表現「技術」の高さに見合った高さの表現「趣向」を手に入れたと言ってよいかもしれない。前作『未来ノスタルジア』では余計な外部機能でしかなかった「現BGMの曲名表示機能」すら、ここではそのアーティフィシャルな美意識の特有の手触りを感じさせるかのようになっていた。それは、Escu:deもまたすでに辿り着いている高みであり、そしてLWがLWのままだったらきっと行き着いていたであろう地点でもあり、キャラメルBOXが実現への道筋を示していた境地であり、Cabbitが到達しかけている世界であり、そしてCRAFTWORKが十年以上前にすでに堂々と踏みしめていた次元だが、このブランドがここに登り詰めてこようとは(申し訳ないことに)想像していなかった。これは、形式的にいえばかくのごとく趣味の「高み」であり、それと同時に実質的には――そして比喩に頼るならば――「AVGが見る夢」の世界でもある。数多のAVGが実現を夢見てきたであろう、夢幻の世界。




  05/25(Sun)

  【 昔懐かしのフォントいじりで遊んでみました 】
  Heのタイトルロゴが虹の七色になったのはPS版からだっけ? PC版のタイトル画面では青一色、というか正確には、雲の流れる青空を切り取ったデザインだった筈。
  15年前も、そして今も、そしてもちろんPCゲームに限らず、タイトルロゴはたいてい1色か2色、それもグラデーションでつなぐのが普通で、派手な多色デザインは用いられない。ユーザーに一目で、かつひとまとまりとして理解させることが大事だし、そしてしばしば作品の基調イメージを視覚的に伝えることも意識されるためだろう。あまり強すぎるコントラストは、好まれない。
  カラフルなものというと、手近なところでは、
  『
  『るい呼ぶ
  『
  『航路
  『!!
  『マキアート
  『
などがある。FDもカラフルなものが多いように思う。私見では、最も極端でそして最も効果的なのは、 だろう。パレットマークに導かれつつ、雑多な個性が混じりきらないまま併存して、それでいて全体としてきれいな模様が出来ているというのは、正確に作品内容と対応している。上記『TH PSE』のような極彩色グラデーションはなかなか無い。ぱっと思い出せるところでは、『リトルウィッチファンディスク』(の背表紙部分)や『カルマルカ*サークル』くらいだろうか。


  なんでもない文章の中で、「~しにくいのはちょっと~」といった箇所に声優名字を見出した時、声優オタクとしての、あるいは『ヨスガ』好きとしてのステージを一つ上ったような気がした。


  『あの晴れわたる空より高く』の公式サイトを見ているところ。以前も書いたことだが、どうして公式サイトで発売日情報を大書して強調してくれないんだろうか。ユーザーにとっては、いつ発売されるか(=いつ購入資金を確保しておくべきか、いつ買いに行くべきか、いつプレイできるか)はきわめて大きな関心事なのに、ページ最下部の概要欄にこっそり書いてあるだけ、というのはあまりにも不親切だ。DL作品の場合や、外部の通販サイトへの依存度の大きいタイトルの場合であれば、その重要度は多少低下するが、それでも優先度の高い情報であることに変わりは無いし、規模の大きなフルプライス作品であれば尚更必要な筈だ。
  発売日を気にしないユーザーというのは、「毎月かならずなんらかのタイトルを購入している(店舗であれ通販であれ)」&「購入資金を調整する必要がまったく無い(少なくともフルプライス数本=数万円程度変動しても気にしない)」&「買ってすぐにプレイするとは限らない、あるいはゲームのための余暇がいつも十分にとってある」という場合だけだろうし、そんな条件に当てはまるのは少数だろうし、そしてそれ以外のユーザーの都合に配慮しなくていいということは無い。私自身は、上記の条件に該当する、発売日をあまり気にしないタイプのユーザーだが、それでも苛立たしさを覚える。発売日情報と、それからキャスト情報は、早めに、かつ目に入りやすいように、アピールしておいてほしい、あ、最後で論旨がずれた。
  とりあえずこのタイトルは買ってみようかという気分なのだけど。



  05/24(Sat)
  Parasolは、『でりばらっ!』のトップヒロインを含めて4タイトル中3タイトルで木村氏を起用されるという恵まれたブランドなのに、残念ながらこれまではけっして忠実なユーザーというわけではなかったし、最新作には出演されないようだが、しかし久しぶりに――FDや続編やごった煮を除外して完全新規タイトルとしては2013年9月以来の――鈴田氏が出ておられるようなので、せっかくだから買っておこうという気分になりつつある。

  『でりばらっ!』のヒロインは、外見からして『Strawberry Nauts』を連想させるが、そういえば発売も同年(『でりばらっ!』が5月、『SN』が11月)なのだった。


  「フジヤマ級」「モンブラン級」「南アルプス級」「キリマンジャロ級」って……つまり要するに、まどそふとは今回も相変わらずのセンスなんだな! (そちらはそちらでかまわないけれど、キャスト情報も早く公開して下さい……。)


  たいていのゲームは楽しんでプレイできるが、やはりテキストがあまりにも味気ないと、プレイ意欲が萎んでしまう。私がプレイ断念する原因として最も多いのはこれ。
  それに対して、絵の不味さならばわりと耐えられる。BGMが(楽曲面であれ音響面であれ)チープであれば、音量を下げてやり過ごすことができる(――というか、BGMはおそらく普通の人よりも小さめにしている)。ごく稀なことだが、不幸にして自分の好みに合わない声優が出演している場合は、個別on/offコンフィグを使わせてもらうこともあった。演出センスが絶望的に私の趣味に合わなくて途中放棄したタイトルもあった。UIも、かなり致命的になる場合がある。テキストが極端に読みづらいとか、既読スキップがあまりにも遅いとか。


  『フラテルニテ』OPを見た。(予約するのは)もう怖くない。
  (『螺旋回廊』の「赤鼻のトナカイ」に続くアレになるか? あるいは『MOON.』か?)



  05/21(Wed)
  『ゆめみがちーく!』の予約引き換え冊子か。一応入手可能な地域ではあるけれど、金曜日の晩に行ってもまだ残っているのかなあ……。

  木村氏と五行氏の共演タイトルを回顧しているところ。残念ながら、キャスト非公開の『恋色空模様』を含めてもそんなに多くはないし、とりわけ北見名義では『英雄*戦姫』のみの筈。共演タイトルでも、関わりの深いキャラクター同士としてたくさん会話するといったようなものはほとんど無い。ヒロイン同士の『Signal Heart』(智沙&瑛)も『ヨスガノソラ』(一葉&奈緒)も、直接の関係は薄かったし……。登場人物総数が少なめ(?)な今回の作品でそういうおしゃべりシーンをたっぷり聴けたら嬉しいのだけど……ピンク系タイトルのようなので、そういう期待はあまりできないかもしれない。このお二人(のキャラ)の会話だったら、ものすごくサバサバした、痛快なほど威勢の良い風通しのよい雰囲気になりそうだし、ぜひ一度そういう会話演技を聴いてみたいものだが……(※イメージサンプルは『まじの』の真路乃と『ましろ色』の愛理)。

  ……と、共演検索マシーンに掛けてチェックしてみたら、ちょっと待て、共演検索の履歴が表示されるのか! 直前の履歴にはアニメ声優や男性声優の名前ばかりが並んでいるところにPCゲーム声優お二人の名前が燦然と輝いている(←私の目にはそう見える)有様は、なんとなく場違い感にいささか気まずい思いもさせられる。こうなった事情としては、1)アニメ声優の方が注目されやすい(関心を持つ母集団はおそらく多いであろう)こと、2)男性声優のカップリングに興味を持つ層がいること、3)美少女ゲームにはEGScapeのような代替的かつ集約的なwebサービスが存在すること、などが考えられるが、それにしても、してやったり(ニヤリ)少々気まずいですね。

  そういえば、今までほとんど意識していなかったけど、木村氏はwebラジオに出演されたことが一度も無いんだね……。Triangleとかのフリートークを聴いたりしてなんとなくお人柄に触れた気になっていたけど、実際には他の方とのおしゃべりを耳にしたことは一度も無いのだった。「覇王プロジェクト(董卓軍合唱の陣)」のフリートークでも、木村氏だけフリートークを録りそびれて一人寂しい別収録になっていたし……。

  青山氏のフリートークは、上記「覇王プロジェクト」CDで拝聴したが、その場の会話を積極的にリードしながら、他のお二人(井村屋氏と芹園氏)が喋りやすいように気を使いつつ、さらに(リスナーのことをきちんと意識して)トークを楽しくするための手掛かりもふんだんに提供していくという、やたら達者な話芸を披露されていた。本編中の台詞や収録中の状況からも抜かりなく話題を掬い上げてこられているし、語り口が控えめでありながら気持ち良いコントロールが利いているこの美質はフリートークでも存分に生かされている。この方のラジオトークも聴いてみたいなあ……。

  ブランド公式サイトのサンプルヴォイスで、個別収録した複数の科白を一ファイルにつなげたものとおぼしき音声を耳にすることがあるが、たいていは台詞の抑揚や息継ぎのタイミングに不自然さが目立ってしまい、それを聴くのが声優さんに対して申し訳ないとすら感じてしまうことがある。声優の芝居とはそれほど精妙繊細なものだということの裏面でもあろうが。ただししかし、アダルトシーンの台詞の場合は、そうした瞬間々々の急激な(唐突な)切り替わりが行為の激しさのように錯覚され、あるいは一瞬の空白がヒロインが息を呑む緊張の表現のような(予想外の)効果を持ち、あるいは途切れることのない陶酔であるかのように、不思議な切迫感を伴っているかのように聞こえる場合がある。この『ゆめみがちーく!』のもまさにこれ。声優本人がコントロールしたのとは違う次元で、想定外であろう奇妙な効果が現れてしまっている。


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  美少女ゲームの男性キャラとしては、『LEVEL JUSTICE』(2003)の主人公「Dr. ヘルナイト」が代表的だろうか。『MinDeaD BlooD』(2004)の主人公「七瀬しずる」も、同年発売のFD『輸血箱』で丸眼鏡を着用して一気にそちら側の趣味へシフトしてしまった。『D+VINE[LUV]』(2000)の飄々としたサブキャラ「ギュラン」も、こんなファッションだった。『こみパ』(1999)の悪友「九品仏大志」も、髪型が違うが丸眼鏡はおそらくそれに沿った美意識だろう。『pianissimo』(2006)の主人公も、この系統だろう。昭和11年とは思えない、赤髪+赤いサングラス+白の襟立てという奇抜なファッションのキャラクターだが、あれでも主人公だったのだ。『花散峪山人考』(2011)の主人公は、ツンツン頭ではなくボサボサ頭だし、別の方向性だろうか。こうしてみると、美少女ゲーム分野でも、90年代末から00年代前半までは、このような男性キャラが時折現れていたと言ってよさそうだ。
  今後このタイプの男性キャラ(主人公)を出してくるブランドがあるとしたら、softhouse-seal、つるみく、TechArts系列くらいではなかろうか(――実際、sealの『大発明!!』はそれにちょっと近い雰囲気だったが)。案外LiLiTHあたりもやらかしてくれるかもしれない。



  05/20(Tue)
  モノクル(片眼鏡)キャラが眼鏡っ娘と呼ばれうるか否かは、一見重要な問題に見えるが、しかし『グリンスヴァール』のヴィヴィさんが可愛かったのでそんなことはもうどうでもいいのだった。非常にレアだが、『ウィッチズガーデン』のサブキャラや今度のTriangle新作などにモノクルヒロインはいる。もちろん執事役などの男性キャラにもいる(例:『乙女恋心プリスター』『鋼炎のソレイユ』)。珍しいタイプとして、『蒼天のセレナリア』には片目を機械義眼にしたキャラがいる(――外見はモノクルのようになっている)。



  05/19(Mon)
  SLG作品をプレイしていると、書くことが無くなる。むしろ普段よりも細かく計画的にプレイしているのだが、途中経過や一喜一憂をいちいちメモする性格ではないので。プレイ計画についても、オフラインのファイルで管理し整理しているので、こちらに書くことは無い。
  ブラウザゲームやオンラインゲームの進捗状況をtwに書いている人たちがいるが、twはそうしたデータの管理のためのメディアとしてはほとんど役に立たない、というか、端的にそういう目的とは無関係である。だから彼等は、複雑なフラグ関係の理解や現状の正確な把握やこれまでのデータの蓄積及び検証や今後の目標設定などをすべて自分の頭の中だけで処理しているということではない。そうではなくて、そもそもユーザー間のコミュニケーションを促進しようとするタイトルの場合、個々のユーザーの現在状況を左右する全体の進行フラグはできるだけフラットに(できればゼロに、あるいは全ユーザー共通に)されていたり、あるいは関心対象となるフラグをアイテムやユニットの形で可能なかぎり可視化してあったりするということだろう。




  05/16(Fri)
  ふと見てみたら、『花嫁と魔王』氏が出演されるとな!? 脇役ではあるが、ケモキャラなので十分報われた。報われるのだよ。

  衆人環視、いいよね……。

  この「クパ」という妖精キャラ、『はっぴぃ☆マーガレット!』のあのキャラを思い出すなあ。


  『こみっくパーティー』(1999)の大庭詠美イベントはルミナリエだったかなあ、とVFBを見てみたら、全然違っていた。一面電飾された洋館(城)のような建物という程度の共通性はあり、もしかするとおおまかなイメージの源泉であったという可能性は否定できない――イベントは震災の当年(ということは『こみパ』発売の4年前)に始まっており、当時のスタッフにもよく知られていた筈である――が、ゲームの一枚絵はまったく別物になっている。
  ちなみに、最近では12月前半中のイベントになっているので、もしも「現実に忠実に」描くならば、もはやクリスマスシーンには当てはまらない。
  『キラ☆キラ』(2007)でも、神戸訪問の際にルミナリエの話題が出ていた。


  「ヤー・チャイカ」。美少女ゲームでは、『R.U.R.U.R』で緊張感に満ちたヴォーカルBGMの曲目として使われていた。本編中では、戦闘シーンで使われていたかと思う。『キャッスルファンタジア エレンシア戦記』にもそんなような名前のキャラが……と確認してみたら「チャイ・カ」だった。SLGパートで治療ユニットとして活躍するメイドキャラで、ベッドシーンなどでは直前の選択肢で眼鏡着脱可能だった。『群青の空を越えて』の劇中劇でチェーホフをやっていた場面でも出てきていたような……(例によって記憶は不確か)。他にもまだありそう。



  05/15(Thu)
  『妹ぱら』は、tw連動機能の確認のために第一作だけは買っていた。最新作にもtw連動機能はあるのだろうか?


  私の場合、windowsのブルースクリーンは、『プリミティブ リンク』(2007)から『春色逢瀬』(2008)にかけてのPurple software作品の体験版で発生していた。製品版では全然落ちなかったのだが。当時の使用機はXPで、重い処理についていけなかったのだろう。それ以降は、『アマネカ』(2008)で発生したのが、今のところ最後かなあ。
  ……と思ったら、2011年にやらかしていた([tw: 41437425695850496 ])。何の時だっけ?



  05/14(Wed)
  『魔女こいにっき』に私の中の時計塔萌えが再燃させられそう。
  『Forest』はタイトル画面ののっけから古びた時計塔CGが出てきて歓喜した。
  『アルフレッド学園魔物大隊』にも、時計塔とともに「時計塔の女王」というキャラが登場した。
  『あかときっ!』には、空飛ぶ時計塔「クリックフラップ」というドリームが。
  『ツナガル★バングル』にも、神秘的な力のある時計塔が登場する。
  『シャルノス』にもビッグベン(の変わり果てた姿)が。
  変わり種としては『片恋いの月』の時計集積体、その名も「時」(まんま)が。
  とはいえ、実は学園恋愛ものにも時計塔は滅多に出てこないんだけどね……。UNiSONSHIFTの『時計仕掛けのレイライン』にももちろん時計塔はあるが、QooBrandもUSの系列ブランドなので、元々私の感性がそのあたりに合っているということなのかもしれない。ゲームで時計塔といったら、一般的にはおそらく『悪魔城ドラキュラ』だと思うが。個人的には、おそらく乱歩の『幽霊塔』(『時計塔の秘密』)が出発点。
  「塔」ではなく懐中時計だと、『3days』(神秘的な力を持つ「カイロスの時計」)、『ワンダリング・リペア!』(時計ヒロイン)、『恋神』(ツクヨミの時計世界、「夜の食國」)がある。いずれも傑作。

  「きゅあらじDVD」のタイトルロゴの「DVD」の部分が何故か「ちくわ」に見えてしまうという妙な錯覚が頻繁に……なにゆえこんなことが。


  レアチーズケーキが身体に浸み渡る……くうっ。(現在時刻は訊くな!)


  「新しいこと」を無理して言わなくてもいい。学術論文のようなごく限られた特殊な場面では、今まで言われていない新規性のある内容を含んでいなければならないが、一般的な言論の場はそういうものではない。以前にtw上で、ある事柄についての感想的内容を投稿したら「そんなことは幾度となく言われていることですよ」という(私にとって意味不明な)リプライをいただいたことがあったが、今にして思えばおそらくその方はtw上での言論行為を「常に何か(批評的に)新しいことを言わねばならない場だ」と考えていたのだろうが、もちろん、そんなことは無い。このブログでも私は、誰も論じていないような新しいことを言おうなどとは考えていない。他人が過去に同じようなことを言ったかどうかなどは、どうでもいいことだ(――言い換えれば、ここで私は、いうなれば単なるディレッタントなのであって、美少女ゲームに関して上で言及したようなアカデミズムの水準を目指してはいないということだ)。素人には、奇を衒うより前にすべきことが無数にある。
  また、必ず正しいことだけを言わねばならないということも無い。もちろん、正しい(正確である)ことはきわめて重要なことだが、基本的には、多少は間違っていてもいいと思う。結果的に誤りであることが判明するとしても、それは発言者の尊厳を大きく傷つけることにはならない。それが発言者の価値を損なうことになるのは、それが意図的な虚言であった場合、あまりにも粗漏な事実軽視であった場合、指摘されたのに誤りを認めない場合、そして専門家が当該専門分野についてその平均的水準を下回るような誤謬を犯した場合くらいだろう。私自身、ここで述べていることは、個別的知識も穴だらけだろうし、前提となる理解の水準においてもまったく未熟であり、知識不足や事実誤認や認識の浅さはいくらでも指摘されるだろう。だが、最低限の――本当にごく低い水準としてだが――慎重さは備えているつもりだし、もしもそのような指摘をいただけるならばたいへんありがたいことだと思う。もっとも、残念ながらそのための回路(つまり私に対して直接的にコミュニケーションを取れる手段)は設けていないが。あえて言うなら、前のブログのコメント欄に書き込まれれば反応することはできるが。


  舞台芸術全般に関する理解はいまだに素人も同然だが、しかしそれでも演劇への感受性をほんの少しでも持てるようになったのは――PCゲームやアニメの理解に際しても――幸いなことだったと思う。舞台上に作られた表現世界が、いかに現実とは異なる原理で(言うなれば「自律的に」)動いているか、いかにそれ独自の原理に縛られることになっているか(どのような壁と対決し続けなければいけないか)、そしていかに(現実から/創造のために)自由であることができるか。それから、舞台俳優と声優とを問わず、とにかく「役者」というものがどのようなものであるかを。もちろん、「演出」の次元に独自の価値を見出すことができるようになったのも、この感性の上にある。


  [ erogamescapekeijiban.dyndns.org/keijibanc.php ]
  おお、ありがとうございます! これで内藤騎之介氏と羽賀ゆい氏のプレイ率がちゃんと100%として表示されr…あ、あれ? 未発売新作の情報がカウントされているせいで、またしても(一時的ながら)100%になりそこねた!
  ちなみに、総タイトル数がよほど少ない(1~2本程度の)クリエイターを除けば、全作品をプレイしているのはSHCの内藤氏、佐々木氏、紅村氏、それから近年のEscu:deのBGMを手掛けておられるTOY氏だけだと思う。上の羽賀氏(=青山氏)は、もちろん全作品プレイなどということは出来ていない。コンシューマ移植版を除外してよいなら、「ん。」氏と飯田氏もコンプリートしている筈。亜方氏については、『たいせつなうた』が未プレイ(それどころか未購入)。一条(光)氏も、コンプリートを逃している。珈琲貴族氏は、キャラデザのみの『都市伝説』を除外していいなら全作品購入済みだが、未プレイがある。くすくす氏も『Choir』が未購入。月城氏は『ヨスガ』FD以外はプレイしているのだが、残念ながらそういう問題ではない。大槻氏の作品は全部プレイしておきたいのだが、『蠅声の王II』にもまだ手をつけていなかった。ここのか氏についても、初期作品が未着手。ゲーマー道不覚悟切腹よ♪(懐かしの『行殺新選組』ネタ)

  松永雪希氏の出演作をひたすらプレイし続けるような幸福なゲーマーでありたかった……。


  ある声優さんのtwアカウントを見てみたら、クールな方なのかなあとぼんやり思っていたのが予想外にオタクっぽい口調の楽しげなトークがたくさん並んでいていささか虚を突かれる思いがしたが、しかしそれはとても良いことなのだ。


  美少女ゲームとはまったく関係の無い筈の文脈でも、「小さな突起がビッシリ」みたいなフレーズを見ると条件反射的に『突撃天使かのん』の巨大ナメクジ(型触手)を思い出してしまう。うぐぅ。



  05/13(Tue)
  新記事:「美少女ゲームにおけるSD使用の特徴的な傾向?
  壁に叩きつけるアクション、というか、壁に叩きつけるギャグ表現は、漫画でも80年代風といってよい十分にレトロなもの――『CITY HUNTER』(漫画版1985-1991)のハンマーあたりが普及の契機か?――だが、美少女ゲームではついぞ目にしたことが無い。たまにはああいうのがあっても楽しいんじゃないかなあと思う。ペットの幼竜が吐く火炎に顔面を焼き焦がされる(のを何度も繰り返す)という陰湿な行動のSD――あの『星空のメモリア』のことだ――よりは、殴り飛ばされる程度の方がずいぶんマシなように思える。

  『晴れのちときどき胸さわぎ』は、ヒロインに主人公がひたすら殴打されるギャグゲームで、殴打カウントがあってそれをどこまで増やせるかを当時のプレイヤーたちは楽しんでいたらしい。私は以前に一度、ある方にプレイ中の画面をちょっと見せていただいたことがあるだけだが。『ゆのはな』の所持金変動のようなもので、ゲーム進行に影響を与えるようなパラメータではなく単なる遊戯的な(演出のための)カウンターだった……と思う、たぶん。
  web検索してみると、[ yamruru.exblog.jp/11443270 ]:このブログが画像掲載されているので、参考になるだろう。画像では45hitsだが、たしかゲームを進めていくと累計では500hitsとか800hitsとか、そして四桁くらいは行っていたような記憶がある。この時期のF&Cエンジン(ADMシステム)は、アプリケーションウィンドウの縁取りが普通とは違ってこういう黒い細線だった。懐かしい。

  『星空のメモリア』は、友人(男性)がアルバイトで苦労して購入したカメラ機材でヒロインを撮影したらヒロインが激怒してその場で機材を完全破壊して放り捨てるといったような心ない行動が頻出したのでねえ……(無断撮影はもちろん失礼であり不当な行為だが)。私はそれらを荒唐無稽なお笑いシーンの一つとして楽しんだが、とにかくやることなすことが陰湿で酷薄でひどかった。どなたかが「なかひろテキストは空気がギスギスしている」といったことを述べておられたが、そういう側面は確かにある。これが『ONE』の折原浩平君だったら、同じように、もしも現実だったら冗談では済まないような超顰蹙行動――例えば、眠気を解消するために、前の席に座っている女生徒の後ろ髪を勝手にじょきじょき切ってしまう――をとっていても、たいていのユーザーは「これはギャグなんだな」と笑って済ませられたと思うのだが、それと同じように陽性な笑いで済ませられるような書きぶりにならなかったことは、それが脚本家自身の意図的な選択であったにせよあるいは無意識的な資質の問題であったにせよ、(まさに麻枝ファンであった)なかひろ氏の、あえて言えば、不幸なところではないかと思う。
  上で言及した、頭部を焼き焦がされるコメディ表現は、その発想元であろう『うる星やつら』(漫画版1978-1987)でも同じようにわりと不快さを隠さないものだった――男性主人公と反りが合わない鬼族の幼児キャラの行動だった――ので、元ネタに忠実な本歌取りだと言うこともできるが。


  いろいろ考えて、最近では「アダルトゲーム」(つまり成人向けゲーム)という形式的で中立的な呼称に代えて、「美少女ゲーム」という言葉の方を多用するようになっている。「美少女」といっても、実際には少女と呼ばれるべき年齢層に限らないし、場合によっては男性(とりわけ男の娘)も含むのだが、いずれにせよキャラクターの魅力を表現すること、そしてそれがユーザーを惹きつけているという事実が、この分野の存立の根幹(の全てではないとしても、少なくともきわめて重要な要素)であるという側面を、正面から受け入れたうえでこの分野について考えていくべきだと思うようになったからだ。ただし、これはこれで一つの取捨選択であって、これによって取り逃されることになる側面も出てくるし、あるいはこう表現することによって誤解されやすくなる点もあるだろうが、そのあたりはなんとかバランスよくやっていきたい。


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  端的に悪問だと言うしかない。というのも、問われるべき主題とは無関係な知識――ここではアニメの知識――の有無に、問題文の理解度が大きく左右されてしまうような出題だから。講義内容に直結しないであろう、無関係なところで、学生間の不公平な取扱いをすることになってしまい、そしてこれが成績評価にも影響するのであれば、ちょっとした(しかし明白な)アニメオタク優遇という差別にほかならない。神大法学部とのことだが、大学の、しかも法学部でやっていいことではないと思うよ。私たちオタクは、ただ私たちの間だけで内輪のオタクネタを楽しむのは勿論いいのだけれど、状況によってはオタクでない人たちのことも考慮して公平であらねばならない場合があるということを忘れてはいけない。もちろん、非オタクな教員が学生のためを思ってオタクネタを使ってみたという場合でも、そのような公平性は常に意識されねばならない。唯一正当化され得るのは、この方が講義中に実際にこれらのアニメを設例として取り上げて内容をきちんと説明していたという場合だが……まさかねえ。


  萌花ちょこ氏がwebラジオに出演されたのは、「ガンナイトガール」のが初めて、というか今のところ唯一なのかな。役ではないご自身の肉声としては、以前にも言及したとおり『恋する少女と想いのキセキ』の公式サイト上でのフリートークがあったが、残念ながら音質はそれほど良くなかった。


  くすはらさん、表記を平仮名に変えられたのか。なんて控えめで慎ましやかな方なんだ……と好感度が上がったが、そういえば似たような話として、同業者の井口さんと名前が似ているので平仮名に改名されたいのくちさんもいらっしゃったのだった。しかもこちらの場合、いのくち氏の方が先輩(キャリアの長さも、おそらく年齢も上)だったというのが、氏の奥ゆかしさと優しさをいよいよ引き立たせている。二人の「おぐらゆい」さんは、どちらも改名される気配は無いが、基本的には別分野どうしなので、問題にはならないだろう。
  『魔女こいにっき』のサンプルヴォイスを聴いてみたら、なんとなく2005年頃の――というか具体的には『モノごころ、モノむすめ。』の――桜川氏を思い出した。つまり、この方の声優としての発展についても、桜川氏と同じくらい期待してよいだろうと思える、ということ。

  花魁(っぽい)口調のキャラクターというと、『魔王のくせに生イキだっ!』の偽「ホロ」メイシャオがそうだったか。『蝶ノ夢』は、曖昧な記憶ながら、そのあたりは結構きちんとしていたような……。『花魁艶紅』はどうだったのだろうか。遊郭ものはいくつかあるので、そういうのもおそらくある。『アルケミーマイスター』の狐伯蓮は一人称「わらわ」で、「~ぞえ」とか「苦しゅうない」とかいう口ぶりだったが、これはむしろ公家風か。『彼女は高天に祈らない』のメインヒロインも、「妾(わらわ)」キャラではあった。『英雄*戦姫』の一色キャラは、ただの京言葉。当のALcotでは、『鬼ごっこ!』の鈴鹿は花魁系ではなく「~のじゃ」系だった。alicesoftにも、どこかにいそうだなあ。
  というわけで、花魁キャラ程度なら、アダルトゲーム12000本(もっと多いかも)の歴史の中にはちゃんと出てきていますよねー、という話。

  ※――男性向け商業アダルトPCゲームは、00年代に入ってからは毎年600本程度リリースされている。近年では多少タイトル数が減っているかもしれないし、また90年代以前はもっと少なかっただろう。この歴史が1982-83年頃から始まったと見做して、2013年までの30年間に毎年平均400タイトル程度発売されていたとすれば、ざっと12000本になるという計算。


  某氏のセンターヒロイン不人気ネタは、立場上、対外的に公言していいことではないと思う。



  05/12(Mon)
  もっとボクっ娘を!
  実際、すでに数百人はいる筈の、かなりメジャーなキャラ属性なのではあるけれど。
  しばらく前までは、私の中で桜川氏こそがボクキャラ声優のトップだったけど、最近になって美月氏がボクキャラ芝居の理想になりつつある。民安氏や理多氏は、男の娘キャラが似合う声優ではあるが、ボクキャラの声優という感じはしない(――実際にはボクキャラを演じておられるし、それらは確かに素晴らしいものだったが)。青山氏や松永氏や青葉氏や涼森氏や咲氏のボクキャラもとても良いものの筈。


  [ www.web-marmalade.com/products/primal/ ](※アダルトゲームサイト注意
  [ www.getchu.com/brandnew/805382/c805382charab1.jpg , charab2.jpg , charab3.jpg, charab4.jpg]

  これはすごい。ここのか氏の天才が遺憾なく発揮されている。通常キャラではなく、SD立ち絵で。通り一遍のただ単に寸詰まりにしただけのSDではなくて、デフォルメ方法について独自の様式性があるのに一つ一つの造形がまったく異なっていて、しかもポージングや誇張の仕方にも通常立ち絵とは異なるSD立ち絵ならではのアレンジがあり、そしてそれらが本編で展開されるキャラクター表現に確かに寄り添っているのだと信じられるくらい説得力がある。上の4枚のイラストを見比べてみても、通常立ち絵からは似ても似つかぬと言ってもいいほど大きくアレンジされていながら、確かに元のキャラクターから抽出された個性なのだろうという連続性がある。デフォルメCGにもかかわらず衣装等の細部が正確に維持されているのも良い。例えば、三人目のキャラクターが頭を仰向けに傾けているが、これは通常立ち絵でも一枚絵でもなかなか見られないユニークなポーズで、しかも、小さいデフォルメ画像なのにこの頭部角度変化がはっきり分かるように描かれているというのも素晴らしい。デフォルメとは、こうありたいものだ。
  氏の同人漫画作品でも、齣組みの中にSD齣やSD絵が多用されている。それだけ、SDに対する関心の強さと、経験の蓄積とがあって、今このようなレベルのものが描けているのだろう。
  後日追記:[ komichi.skr.jp/nicky.cgi?DT=20140510A#20140510A ]ご本人のブログで、SDデザインに際してどのような点を考えておられるのかが書かれているが、使用場面まで考慮して多面的かつ慎重に設計されていることが見て取れる。SDはけっしてバカにしてはいけない。


  STGは最近でもプレイしているが、やはり腕は最盛期よりも落ちている。「ミクロレベル:自機操作の正確性は落ちている(――認識面と操作面、正確性と反射速度のいずれも)」、「ミドルレベル:敵弾誘導はずいぶん慣れてきた(――単なる年の功だが)」、「マクロレベル:パターン構築スキルは変わらず(――これは一般論として低下しにくい要素だが、しかし向上もしていない)」って、典型的なロートルプレイヤーだなあ。敵弾をぎりぎりですり抜けてボス的に肉薄していく緊張感を、以前ほどには維持できない。結果として、要するに、敵弾誘導のための自機移動の航路は以前よりも大胆になったが、流れ弾でつまらない1ミスをすることが増えてきたように思う。それと、(暫定的、試験的な)パターンへの依存が強まったため、同じところで同じミスを繰り返すという、シューターとしてはわりと致命的な問題も出てきてしまった。特に、手癖的自機移動が敵行動パターンと噛み合ってしまう場合に、そうなりやすい。



  05/11(Sun)
  BGMの出来は、あるいは好みは、プレイ意欲に直結する。他の要素がどれだけ良くても、耳障りなばかりの音響や聴き苦しい音質のものは、続けるのがつらくなってくる。逆もまたしかり。


  【 インターフェイスデザイン 】
  インターフェイスの「デザイン」もまた、その作品のコンセプトを示唆し美意識を代表することができる。そして、狭い意味でのゲームシステムにおける操作性(すなわちシステムのリアクションを通じて成立するプレイヤーとのインタラクション)と同様、インターフェイスの「リアクション」のありようもまた、そのゲームの特有の質を構成する。F&Cが、Escu:deが、Littlewitchが、ういんどみるが、KAIが、UNiSONSHIFTが、lightが、そのような「質」の体験を提供してきた。『ヒメゴト・マスカレイド』の天秤演出は本当に繊細で心地良いものだったし、往時のF&Cのインターフェイスデザインはその都度の作品の方向性に寄り添った華やかなものばかりだった。『ピリオド』『あかときっ!』のユーモラスなデザインも好きだし、『RGHL』の個性については先日も言及したとおりだ。

  ただししかし、残念ながら、演出の新機軸に挑戦し続ける意欲的なブランドたちすべてがインターフェイスデザインにおいて高いセンスを発揮したわけというわけではない。すたじお緑茶も、Purple softwareも、ageも、minoriも、ぱれっとも、この点についてはほとんど寄与してこなかった。すたじお緑茶は、『プリンセス小夜曲』(2005)以来、フキダシ型テキスト表示のデザインをくりかえし試行錯誤していることが見て取れるにもかかわらず、今のところ、そのレイアウトとグラフィックデザインの味気なさを克服するには至っていない。Purple softwareも、『初恋サクラメント』(2010)や『未来ノスタルジア』(2011)ではコマンドボタンを18個も画面内に並べ立てて、ヴィジュアルデザインの垢抜けなさを露呈させていた(――コンフィグで消すこともできた筈だが。最新作『ハピメア』[2013]では、画面上部に薄く表示して、カーソルを合わせた時だけ濃く表示されるという対処になったが、個人的には、それでもまだ野暮ったさが抜けきらないと感じた)。視覚的演出に関するageやminoriの試みがいかに「頭でっかち」で空転しているか――いかに実作業が追いついていないか――は、例えばテキスト表示の鈍感さについてくりかえし言及してきたとおりだ。

  ソフトハウスキャラも、『LEVEL JUSTICE』(2003)ではコマンドボタン群の上にマウスカーソルを走らせるとドレミファの音階SEが鳴るという洒落っ気があったし、『巣作りドラゴン』(2004)もコマンドボタンの上にカーソルを置くとその内容に対応したSE台詞を執事キャラ(「クー」)が喋ってくれるという、反応の楽しさがあった。機能性と物語性と遊び心を併せ持ったこの楽しいギミックは、後に『グリンスヴァールの森の中』(2006)や『BUNNYBLACK3』(2013)では、コマンドボタンではなくマップ上のカーソルリアクションという形に拡大されていった。


  2009年頃から2011年頃まで携わっていた「演出技術論」の段階では、トップダウンの大枠として演出上の意味をなすいくつかの主要な側面を抽出したにとどまっていたが、もっと細かく様々な演出技法や表現スタイルやコンフィグ機能を言葉にして定式化していきたいという思いがある。とはいえそれらは、つまり2014年現在の王道的演出スタイルの構成要素となっている諸技術は、Leafやpajamas softやageのようなブランドによって十数年前から着手されていたものばかりだが。感情エフェクトや、フキダシ型テキスト、拡縮演出、立ち絵振り付け、キャラ別テキスト色、テキストボックス形状変化、拡張的コンフィグ、背景嵌め込み表現、背景アニメーション、時刻差分、デフォルト立ち絵の配置、そして多種多様なカットインといった無数の意味作動メカニズムのカタログとその歴史を、もっとたくさん、もっと正確に、もっと幅広く、言葉にしていきたい。

  ……というか、こちらのブログに移ってから約一年間の間、単なる好事家的備忘録のレベルの適当な雑記を書くばかりで、主題についてきちんと調べて十分に思考したうえでの(論文とまではいかないにしてもそれなりの厳密性のある)記事をまったく書いてこなかった自分に、そろそろ飽きかけている。ゲームをプレイするための熱意や、ゲームをプレイしている最中の熱中はキープしているつもりだが、しかしながらゲームに触れている際のその熱量が熾火として自分の中に十分移されてきていない――つまり自分自身の創造的意欲へと変換されるところまで高まっていない――ことに、もどかしさがある。一つ前のブログで導入した、作品横断的なスクリーンショット群とそれを説明しつつそれと(占有面積においても内容においても)拮抗するキャプションテキストとを併置して突き合わせるという論述スタイル――映画論などで採用されているスタイルだが日本国内のゲーム(美少女ゲーム)論の文脈ではそれなりに新規性があったと思う――は、視覚演出の紹介及び分析という視座設定と親和的であり非常に便利ではあったが、しかし同時に散漫な書きぶりを自分に許すことにもなってしまっていたのかもしれないという反省もある。


  現在、室内は25度(@関西)。このくらいの気温だと暑くもなく寒くもなく、涼をとるのも暖をとるのも簡単で、実に過ごしやすい。今この時期のうちにたくさんゲームをこなしておきたい。



  05/10(Sat)
  大学生どうしのウブで可愛らしい初恋というのもありかもしれないなあ……。以前は美少女ゲームに大学舞台が少なくなった理由の一つとしてこの要因を挙げていたもので、 というのはなにしろ私が入学したところは一筋縄ではいかないひねくれた奴らばかりだったのだが、それはむしろかなりの少数派的環境であって一般的には大学生というのもまだまだ暢気なものなのかもしれない(そしてフィクションにおいても大学生どうしの初恋描写がさほど違和感を与えるようなことは無いのかもしれない)と考えるようになった。


  [ www.pajamas.ne.jp/pricchi/images/st_cg14.jpg ]
  「美術作品を参照しているゲーム」記事のためにこのCGを取ってこようと『プリっち』をインストールしたのだが、CG鑑賞コーナーには登録されていなかった。再プレイして確認。そういえばモーツァルトの『レクイエム』が使われていたので、ついでにメモ。

  あっ……薄目が、薄目がぁー。



  05/09(Fri)

  [tw: 464448421269471232 ]
  うんうん、そうそう、そうだよそうだよね! 乃嶋氏は今回もきっと凄い筈なので早くプレイしたい。

  大波氏は、実をいうとどのあたりが得意なのか私にはよく分からないのだが、この方が落ち着いた寡黙系キャラを演じられるとたいてい当たり役になる――主にSHC(アーティ、リンテール)とアトリエかぐや/Astronauts(イリス、オボロ)――ので、その意味ではやはりこれはお得意な役柄の一つなのだろう。もちろん、それとは対照的な、輝くような元気キャラもお得意なのだが。

  何故か唐突に「ぴりあっとまーくおんせんどっとえーじー」という声が脳裏をよぎった。



  05/08(Thu)
  Iチョ#282のCM案コーナーをきっかけに、ショパンの練習曲(op. 10-4)とベートーヴェンのソナタ(op. 13、第2楽章)を聴き返した。高校生の頃はこういう曲をくりかえしくりかえし聴いていた。
  どの曲だったかについて、自分の記憶に確たる自信が無かったので、『祝福の鐘の音は~』で使われていたのを手掛かりにして[ d.hatena.ne.jp/mp_f_pp/20080711/1215776155 ]でチェックして確認したのだけど……こうして文章にしてみると、なんという迂遠な手順。


  [ ho2ch.vs.land.to/ayaka.html ]
  美少女ゲーム界隈で、リリースされる情報を最も精密に見ている人たちが最も高い密度で存在するのは、声優オタク(のトップグループ)なのではなかろうかとの思いを不断に更新しつつ、常々拝見している。精密に、そして広汎に、迅速に、公平に、明晰に、熱心に、長期的に。個別クリエイターについての精度の高い作品参加情報を長期間に亘って維持しているのもほとんど声優ファンにしか見られないし、そしてそれらをちゃんとプレイしている比率も――出演本数の膨大さにもかかわらず――かなり高い。EGScapeにも木村氏出演作品を70本、80本、90本もプレイしてる方々がいらっしゃるが、いったい何者なんだ。引き合いに出すのは申し訳ないが、たとえば個々の原画家について全作品――せいぜい十数本だ――をプレイしつつその作風の変遷まできちんと追って文章にしているゲーマーなんてのは寡聞にしてほとんど知らない(ただし皆無ではない。例えば山本和枝ファンやみつみ美里ファンの中にはきっといるだろう)し、脚本家ファンでも初期作品や関連商品までしっかり目を通しているような人は非常に少ないように見受けられる。余技的なところでは、判別スキルが高度な次元に達している方が多いようで、初めて目にする名前の声優やキャスト非公開タイトルでもweb検索してみるとたいてい正確にアイデンティファイされている。私なんか、『南十字星~』のキャストすらろくに分からないくらいなのに……。

  今聴き直してみたら、サブキャラはそれなりに分かったけど、むしろヒロイン級が全然分からない。九谷由子役は木村氏(緑茶作品では4キャラ目)で、砥部りなは咲氏(『祝桜』の北園紗夜役だった)、メイドは桜川氏(『祝桜』の東雲うらら役)、萩真名は青山氏(緑茶出演は4本目)、出石ゆいは宮沢氏(緑茶初出演だがこのお声は間違いない筈)というところまでは確かだと思う。ラジオのお二人はもちろん既知の情報だから別問題として。
  答え合わせのためにweb検索してみたら……なるほど、そうか! 販促webラジオはもう聴いていない(※CD発売待ち)ので知らなかったが、どうやら桜川氏と宮沢氏がゲストでいらしていたようだ。男性友人キャラについては具体的な推測を出している人はいないようだが、個人的にこの声はちょっと苦手かな。

  [ www.geocities.jp/natsuno_kohri/ ]
  こちらの方も凄い。[ www.geocities.jp/natsuno_kohri/kohri04.html ]これを真似て私も大波氏出演作のパッケージをすべて並べて写真を……いや、出演作は全部で200本以上はあるのに、私はせいぜい60本弱くらいしか持っていないのだった。木村氏の出演作も、総数300本程度はあると思われるが、私が持っているのは70本くらいしかない。



  05/07(Wed)
  そういえば『メルヘヴン』は観たことが無かった。今視聴したら幸せになれるのではなかろうか。


  【 オタクとしての終わりとは 】
  最初のうちは一つ一つのゲームについて丁寧で心のこもったレヴューを書いていたのが、次第に毎週のアニメ最新話の感想を散漫に書き散らすようになって、それも間が空きがちになったところで唐突に政治の話をするようになったと思ったら更新がぱったり途絶えてしまったというブログの行路は、一般的にわりとありがちなパターンのようだが、しかし実際に以前頻繁に訪れていたゲーマーブログを久しぶりに開いてみたらまさにそんなことになっていて、ちょっと落ち込んだ。
  そういう「オタクとしての死」の痕跡は、おそろしいことに、web上には無数に存在する。「オタクはやめられない」という話(一種の神話)もあるが、それはただ単に「さしあたり現在まで、ずっとオタクをやめられないままでいるという人もいる」というだけのことだろう。私はこれからどんなふうに生きて、そしていつどんなふうに(オタクとして)死ぬのだろうか。
  他方で、滅多にブログ更新が無くても、「これほど幅広い情報収集と濃密な思考を精力的に展開し続けているであろうことが窺われるこの人物ならば、この生き方が変わってしまうことは無いだろう」と信じきれるような人物も、何人もいらっしゃる。そういう方々は、趣味のジャンルが違っていても、あるいはブログコメント欄や即売会現場などで直接のコミュニケーションをとったことが一度も無くても、私の中でいわば「オタクの師匠の一人」としての高みに位置づけられている。


  『CROSS FIRE』は、パッケージアートが印象的だったし、桃井(い)氏が主演なのだが、手を出さずに来てしまった。余裕があればプレイしておきたい。



  05/06(Tue)
 
  [ kai-soft.jp/WPG-WEB/image/WPG-WP-Arie-1024.jpg ]
  [ www.getchu.com/brandnew/677828/c677828table1.jpg ]
  [ www.getchu.com/brandnew/705110/c705110package.jpg ]
  [ www.getchu.com/brandnew/737292/c737292package.jpg ]
  やはり私の中では、〆鯖コハダ氏こそは当代随一の背中描き。作品自体がこのような外連味に満ちた構図を期待しがちだからという事情もあるが、他のバトル系ブランドにはこれほどの頻度で背面ポーズを描いているものはなかなか無いという事実に鑑みても、これは〆鯖氏個人の個性に帰するところが大きいと判断してよいだろう。


  [ www.light.gr.jp/light/products/senshinkan/special/illust01.html ]
  おお、KeG氏がこんなところに!
  氏の最新の(そしてもしかしたら最後の)ゲーム原画業でもある、すたじおみりすでの2作品――『鉄腕がっちゅ!』(2004)と『いたじゃんR』(2005)――が比較的有名だろうが、『静寂は闇の調べ』(2003)も気に入って絵買いしていた。当時は「Minkとcircusを混ぜたみたいな絵だなあ」などと失礼にも適当な(そして的外れな)イメージを持っていたが。『Wing&Wind』は、2001年当時のタイトルとしては十分に人目を惹きつけるパッケージだったが、残念ながら買わずじまいだった。
  [ www.russel.co.jp/hp/adult/tetuwangacchu/cg/00.gif ]:たしかパッケージアートに使われていたこのCGとかも、ずっと印象に残っている。


  というわけで100本目の新記事は「夏野氏について」。以前に言及したものも、掘り返してこちらのページに移設しておこう。

  波奈束氏についてもそうだが、個々の声優さんの芝居について書こうとすると、(意外に)アダルトシーンに筆が向かってしまうことがある。これはおそらく、アダルトシーンの方が技術の問題として説明しやすいという事情もあるのでこうなってしまうのだろうが、いずれにせよもしかしたら失礼に当たる側面があるかもしれないので、申し訳なさを感じている。



  05/05(Mon)

  【 「アニメーション」という言葉 】
  静止画ではなく、動きのある絵(画面)であることを言い表すのに、苦慮することがある。立ち絵の移動拡縮や、猫耳アニメーション、あるいはFFDのような「動き」を指すのに、どう呼んだらいいのか。さしあたり「アニメーション」という言葉を使うことがあるが、この言葉ではセル画風のフルアニメーションを指すものと取られかねない。「映像」というのも違う。「動的な(ダイナミックな)変化」と書くこともあるが、コンピュータゲームの領域では別のニュアンスで受け取られる可能性がある。誤解を与えないように、文章の中では最初のうちに「スライドなどの動きのある画面構成」のような説明的な表現をしておいて、それ以降は「アニメーション(化)」などの表現を適当に使っていくという対処で、免罪符を入手したつもりになっている。
  そもそも、狭義の「アニメ」的なアニメーションのみを正確に指示するのにどのような言葉を当てたらよいのかも、依然として私には分からないのだが(cf. [tw: 24781887555 ])。「セルアニメ」「セル画型アニメ」といった言い回しなら、だいたい意味は通じると思うが、いかにも洗練されない。 


  【 タイトル画面雑感 】
  タイトル画面の動的演出は、派手なものよりも、むしろその作品の情緒を表現するために為されているものが良い。そういう演出をこそ寿ぎたい。ゲーム開始の最初の印象を大切にするブランドには、好意を抱かずにはいられない。
  美少女ゲームでは、タイトル画面にヒロインたちを置いておくスタイルが優勢だが、キャラクターのいないタイトル画面もわりと多い。『あかときっ!』も『R.U.R.U.R』も『Forest』も、『Quartett!』も『翠の海』も『恋色空模様』も『3days』も『カルタグラ』も。そのような挑戦的な作品はしばしば全体が意欲的に作られており、プレイヤー(私)に強い印象を残すものだというのは、経験則的認識の一つだ。同様に、プレイ状況によってタイトル画面変化させる作品群に対する認識――と好意――も、それに匹敵する(cf. 演出技術論Ⅳ-4-5-β)。
  昔のゲームは、タイトル画面にキャラクターを出さないものもわりと多かったかもしれない。『Piaキャロ』シリーズもLVNSも『鬼畜王』も、タイトル画面はシンプルだった。白箱系でタイトル画面でのキャラクター露出が一般化したのは自然な流れだし、黒箱系でもしばしばパッケージアートをタイトル画面に再利用するかたちでキャラクターが強調されるようになっている。趣味の良い中間的路線では、メインヒロインのシルエットだけをそっと表示するというのもある。『ツナバン』とか『白詰草話』とか『うさデリ』とか。


  アニメについても、研究の水準ではもう海外に負けているんじゃないかな。アニメに関する分析やその言論を「1.制作現場」「2.研究」「3.一般(視聴者)」の三層に分類するとして、日本では1)のレベルでは蓄積があるとしても、2)と3)が低い水準のままであるように思う。それに対して英語文献では、3)の上澄みから2)の段階へと移行するつながりが出来ており、出版物でもかなり手の込んだ労作が現れている。1)についても、映像制作一般のクオリティがアニメ制作でも維持されている。もしも、最低限の理論枠組すら作らないままネット談義だけでなんとかなると思っていたら、日本のアニメ言論は悲惨なことになる(あるいは、なっている)。いまだに「アニメをどう論じたらいいか」すらろくに分かっていないようでは、もう成長は望めそうにないが。
  もちろん、ゲームについても、似たような状況になっており、日本側の立ち後れは顕著になっている。美少女ゲームについては、そもそも海外に似たようなものがほとんど存在しないこともあって、幸か不幸か、この種の問題は顕在化していないようだが。


  聴いたことのある曲の一部分がふと頭に浮かんだが、何の曲だったかが思い出せなくて頭を抱えてしまうことがある。曲の全体を思い出してみたり、ジャンルや編成や音色を推測の手掛かりにしたりして、たいていの場合はなんとかはっきりさせられる。クラシックの場合は様式からだいたい見当がつけられるし、ゲームBGMもループ処理あたりから判別できる。映画やアニメの劇伴も、シーン全体の印象と結びつけやすい。難易度が高いのはwebラジオのBGM。くりかえし汎用的に使われるので特定の場面と連想を結びつけにくいし、トーク内容とあまり関係が無い定型的な付け方だったりするし、どのラジオだったかも判別しにくい。販促ラジオの場合は、当該販促タイトルのBGM(あるいは同社旧作のBGM)から流用していることも多いので、ゲーム本編をプレイしていれば思い出すのも比較的容易になるが。


  学園ものAVGを起動してヘッドフォンから軽やかなBGMを流したままにしながら、それとは別にSTGを起動して無音でプレイしていると、まるで自機にダンスを踊らせているかのような気分になってくる。この感覚は、まさに『2001年宇宙の旅』のワルツ。


  【 美少女ゲーム市場の構造的な自由度 】
  漫画やLNであれば出版社(編集者)のスクリーニングが掛かるし、アニメも企画段階から多数のアクターが関わってきて方向性と品質に対して吟味の目が入る。それに比べてアダルトゲーム分野は、出資者からのチェックがあるとはいえ、メーカーの裁量で作れる自由度は――あるいは最終的にクオリティの振れ幅の大きい商品がリリースされる可能性は――大きいと考えられる。人的資源や開発形態や流通構造といった諸事情によって、PCゲーム分野はいまだにフロンティアであり続けている。一人のクリエイターの才覚に依存した大胆な挑戦やゲリラ的なニッチタイトルが出現する余地が大きいことは、その一方で十分なノウハウを持たないスタッフによって最低限のコントロールすら為されていない極端にロークオリティな商品が出現する可能性と差し引きしても、良しとすべきだろう。もちろん、同人市場ではさらにその不安定さが大きくなるが、商業PCゲーム市場では「商業的に成立する一定の規模(フルプライス規模の同人は稀である)」、「単体商品としての完結性(同人のような連載リリース[と中途放棄]のようなものはほとんど存在しない)」、「市場原理に基づいて期待されるところのクオリティに対する責任(バグがあった場合でも、パッチリリース可能性に対する信頼度は、同人とは比較にならない)」、「商業制作ならではの底上げ(背景美術、彩色、キャスト、エンジン等のクオリティは桁違いに高い)」といった要素に伴われており、個人的には同人市場のアナーキーよりもこのくらいのバランスの方が好ましい。
  以前に述べたPC(アダルト)ゲーム市場の強み(2013/2/26雑記)も、これと関連する。実績の乏しいクリエイターたちでも、漫画賞のようなハードルや下積みアニメーターのようなキャリアやTV放映枠のような競争的システムを経由することなく、完結した大規模オリジナル商品をいきなりリリースできる(という可能性がある)というのは、現代社会において驚くべきことだ。


  「おぜうさん、『あにめいと』ごときを怖がつているようぢやあ、どうしようもねえ。しよせん、おれつちとは、住む世界が違うんでげすよ。おぜうさんに相応しい世界で、釣り合つたお方と、幸せにお暮らしなせい」。こんな感じ。



  05/04(Sun)

  【 フィルムノイズ演出 】
  回想シーンなどで、古い映像を模したフィルムノイズ演出を施しているものがあるが、フィルムやテープが身近ではなくなっている若年世代には、これが何なのか分からなくなっていたり、あるいは理解はしていても懐古的雰囲気の表現として受け取りにくくなっていたりしないだろうか。もちろん、現在のデジタル世代でも、写真(や映像)に関わっている人ならば、実体験として知っている可能性は高いが、そうした場合でも、それらが特定の感情と結びつくかどうかはまた別問題だろう。テープを巻き戻すキュルキュル音やレコードのスクラッチノイズ、あるいはウェストミンスターチャイムやダイヤルアップ接続ノイズと、それらがもたらす(あるいはもたらしていた)情緒との間の結びつきは、当然ながら、経験に強く依存する後天的なものなのだから。
  他方で、オルゴールならば、音色の経験や基本構造の知識くらいは現在でも一応常識の範疇にあるだろう。ただし、個人的には、あの金属的な音ではちっとも泣けないのだけど。あるゲームクリエイターの方が、センチメンタルなシーンでオルゴールアレンジを流せばユーザーはたいてい泣く、といったようなことを書いておられた([tw: 412643487968804865])が、私自身についてはそういう感受性は無いし、そして私以外のゲーマーに関しても少々疑わしいと思っている。簡素化された素朴なアレンジが感傷を誘うというのは分からなくはないが、はたしてそんなに強く、そしてそんなに強い感情と結びつくものだろうか。


  [ www.getchu.com/brandnew/749602/c749602sample5.jpg ]
  眼鏡を手に! これは名シーンか?(※未プレイ)


  赤眼鏡の上田さんが相づちを打つ際にいつも「たしかにー♪」と仰るのは、日常会話だったらずいぶん風変わりだが、ラジオトークとして会話をつないでいくうえでは良い感じだなあと思った。「うんうん」のように消極的でもなく、「なるほど」のような冷たさもなく、聞き手側として合いの手を入れる台詞として分かりやすいし、上田氏らしい明るい声色にも合っている。

  上田氏に関しては、ゲームよりもラジオで聴いている時間の方が長いかもしれない。PCゲームの出演作はまだ5本かそこらしかプレイしていないが、「しゅな*GIMO」~「らぶ*しゅな」は第70回くらいまでは聴いていたし「ぐれらじ」(計10回)も聴いているので。


  私はずっと家にこもってゲームと音楽と映像と読みものに時間を費やしているのだが、GWは何をしています(いました)かという話題に対しては、「ちょっとだけ出歩いておいしいものを食べて回っていました」と答えるつもり。これなら適当な話題提供になるし、話題の深度(具体性)をコントロールするのも容易だし、実際にはGW中に行動したのでないという場合でも話ができるし。
  私はことほどさように想像力の世界を旅するだけだが、世間の人々は頻繁に観光旅行に行くものであるらしく、感性や価値観の違いに驚くことがある。旅行写真などを見せていただくのは、それはそれで楽しいが。


  中途半端に立ち絵拡縮演出(距離感演出)を採用している作品では、立ち絵サイズ変化が「大-中-小」程度の段階しか用意していないため、背景画像の縮尺との間のズレが大きく出やすく、たまに身長3mの巨人が立っているように見えてしまうことがある。立ち絵表示が固定的でない立ち絵表示スタイルの中でも、それが抽象的な立ち絵距離変化演出であるのか、それとも背景画像とのマッチングを行った嵌め込み演出であるのかは、自明ではない。現時点での個人的な感覚としては、立ち絵の脚部まで見えてしまうと嵌め込み演出っぽく感じてしまう傾向がある。とりわけ、足先と地面が接しているように見える場合には、そこを基準にして一枚の(同一の遠近法の下にある)絵として認識されやすいだろう。他方で、立ち絵の腰のあたりまでか、あるいはせいぜい太腿までしか見えないようにしていれば、背景画像とのすり合わせを気にすることは無く、単なる距離感演出として感じられるのではなかろうか。中途半端にやって、「下手な(/失敗した/違和感のある)嵌め込み」と認識して(orされて)しまうのが一番まずい。


  このブログでの記事数が99になった。去年の6月から、11ヶ月間で99本、つまりちょうど9本/月。
  前のブログは、(ページ作成の方針等が違うので単純な比較はできないが)22ヶ月で127本。
  不必要に書き散らしてネットのゴミを増やすのは私の趣味ではないので、もっと抑えていこう。
  さしあたっての目安としては、この総合雑記ページを別にして、月2~3本くらいでいいと思う。



  05/03(Sat)
  良い一枚絵に出会えると、本当に嬉しいよね。「名画じゃ、名画じゃ!」と叫びながらゴロゴロ転げ回りたくなるが、それでは絵を注視できなくなるので着座したままじっと見惚れ続ける。
  一般的なAVGでは、立ち絵シーンを中心に、ニュートラルな画面構成(及び光源処理)をベースとしつつ画面のあらゆる部分がなんらかの描写で充満しているので、一枚絵で大胆に余白をとったレイアウト――たとえば人物をおもいきって片側に寄せつつ背景の暗闇を大きく取った構図――や個性的なライティング――とりわけ逆光表現は多用されているが、それ以外にも目を瞠るものは無数に存在する――の画面が出て来たりすると、それまでの立ち絵シーンとの対比もあって、非常にスタイリッシュに映る。状況の描写に関してはテキストや音楽が担ってくれたりリードしてくれたりすることが多いので、ゲーム作品のイベントCGは「絵」単体としての完結性に縛られることは無く、原画家と脚本家の間で物語進行及び演出に関して一定の意志疎通が出来ていれば、一枚絵で挑戦的な構図を採用しうる余地はかなり大きいと思われる。

  ……というわけで、この一枚絵が表示されている瞬間があまりにも素晴らしく、ここからクリックでゲームを進めてしまうのがもったいないとすら感じてしまったので、今日はここまでにしてウィンドウを閉じることにした。


  サイトで攻略記事を書くだけが私のオタク的対外活動だった頃、つまり5~6年くらい前までは、PCゲームについて何事かを表現しようにも、言い出せる内容が私の中にほとんど無く、そういう意欲ばかりが先立っていつももどかしい思いをしていた。それは、自分なりの視座が(今ほどには)確立されていなかったせいもあるし、あまり情報収集を行っていなかったためでもあり(そして、今とは違って、その場限りのメモのようなものは極力書かないようにしていたことも関係している)、そして「読み手へのサービス」のような余計な下心が思考を阻害していた側面もあったと思われる。それが今では、一々ひねり出さなくてもこんなにもいろいろなことを書き散らすようになってしまった。良いことなのかどうか、自分でも分からない。とりあえず、ただの無駄口レベルのものは書かないようにしているつもりだが。


  極端に縦長あるいは横長の画像を掲載すると、どうしても不格好になるなあ……。縦長画像にすると、その右のキャプションスペースが大きく空いてしまうし、横長だと今度はキャプションテキストがほとんど書けなくなる。
  キャプションテキストのキャパシティを最大化するには、キャプションエリアが正方形になるように画像サイズを調整すればいい。ただし、画像サイズは「小-中-大-特大-元サイズ」の5種類しか選べないし、テキストの方も行単位でしか変化しないので、厳密な操作はできないが。


  【 理工系部活もの 】
  Chuable新作。サークル(とりわけ学校の部活)で何かを作ろう、あるいは何かのイベントに参加しようというのは、よくあるタイプだ――天文部や伝承研究や探検や演劇、あるいは祝祭イベントや音楽イベントや競技会参加など――が、理工系ジャンルのものもいくつも存在する。ロケット制作(『ロケットの夏』)とグライダー競技(『水平線~』『その大空~』『アルテミス~』)、いずれも空を飛ばせるものだ。『蒼の彼方の~』も、似たような趣向。水上競技としては『せんすいぶ!』がある。いずれロボコンものなども出てきたりするのだろうか。


  この週末中にもう1本くらいクリアしておきたいが、さてどれにしようか。さっそく『DEMONION II』に着手するのもありだけど……。プレイ済みの旧作群を再インストールしてSS収集に励むというのも、たまには良いかもしれない。あるいは、SSのことなんか一切考えなくてもいいような、ただひたすら楽しいだけの作品とかもプレイしたい。


  ALcot HCの新作は旅館「かわしま」。ALcot系列のやっていることだし、『しにきす』のビデオショップが「ここのか」だったのも意図的なのだろうかと勘繰ってしまいたくなる(――ただし、かわしま氏も、ここのか氏も、ALcot系列のタイトルに参加されたことは無いのだが)。


  夕方差分で画面全体が鮮やかな橙色に染まると、つい『さよならを教えて』を思い出して「ひぐっ」と怯えてしまうことがある。むしろプレイ後こそが怖ろしい、恐怖体験。


  ※夏野氏についてちょっと書いた。別掲記事に移設。



  05/02(Fri)
  firefoxをやめようかなと思わせる今回の深刻な改悪(参考:[tw: 461886085602099200 ]。これは直せるけど)。私としては利用頻度とマウス操作からして、タブバーがアドレスバーの下にある方が便利なのだが、それが今回逆になってしまったのもつらい(――現在開いているタブのアドレスを表示しているという意味では、今回の仕様の方が理屈に合っているのではあるが)。マウス操作が大雑把(かつそれなりに高速)なので、各ボタンが小さくなったのも厄介だし、「進む」ボタンが通常非表示化することによって妙な動きが出てしまう(アドレスバーがスライドする)のも気持ち悪い。特に「更新」ボタンは、相当多用していたのに、アドレスバーの端におまけのように置かれてしまった。各タブの境界線も見づらくなったし、境界線がぬめっとした曲線になったのも嫌。ブックマーク追加のダイアログも、中央ではなく左端に出るようになった。ページ閲覧を邪魔しないようにとの配慮なのかもしれないが、重要なレスポンスなのだし、ごく短い時間だけの問題なのだし、そしてマウス移動距離が伸びてしまうので、これもNG。
  要するに今回の更新は、私にとっては、そしてUIレベルでは、良い点が何一つ無く、悪い点は無数にある。部分的には「慣れ」や「好み」の問題でもあるが、そうでない改悪も多い。とりあえず関連アドオン(CTR)でレイアウトを戻して取り繕ったけど、気持ちの良いものではない。


  [ www.r-banana.com/if/ ](左側の作品概要を参照)
  こういうタイトルで「ターゲット:20~30代の男性」とはっきり書かれるとモヤっとするが、それはともかく、HRRNとかあの方とかあの方とかも出演されるようだし(ちなみに前作には友永氏も出演されていた)、出来には期待したい。


  「みる・プラトー」。声優みるの高まり。……みる氏はここ十年来ずっと全盛期だけどな!


  [ ho2ch.vs.land.to/list/ayaka_talk.html ]
  今更ながらこんなコーナーがあることに気付いて見てみたら、コンプリートどころか全然聴けてなかった。ドラマCD系商品は、今から入手できるのかなあ。


  【 バトル系のブランド群 】
  バトル系作品は好みじゃないので、あまりプレイしていないし、頭の中で情報の整理もしていないのだが、2014年現在でバトル系(いわゆる「燃えゲー」)ブランドというとどのあたりなのだろうか。light、みなと系列、戯画の一部シリーズ、Liar-soft、SkyFish(『ソレイユ』シリーズ)、暁(とその周辺)、Triangleや縁やKAIなどの黒箱もの、それからSLG系ブランド群のあれやこれや(ninetail系列、alicesoft、Eushully)あたりが挙がるのだろうか。こうして見ると、セールスの良い作品も多いが、ブランド単位でみると寡占傾向があるのかもしれない。黒箱系のバトルものは、魔法少女ものなどを中心に昔はもっと多かったように思うが、ここ数年のタイトルというとメジャーなものがなかなか思いつかなかった。


  [tw: 461773638006349824 ]
  ひどい、そんなのひどいよ……。



  05/01(Thu)
  18禁ゲーマーに大学生が多いのなんて当然じゃん。私だって毎日大学に通っている。
  つまらない冗談はともかく――このブログで書いていることを読んでいる者には、私の職業はおおよそ見当が付くだろう――、無難な一般論としていえば、18禁美少女ゲームは大学生からせいぜい20代の若年(男性)層をメインターゲットにしている筈であり、そしてそこを狙うのが最も自然であろう分野なのだから、実際にきちんと大学生を顧客に出来ているならばそれは良いことと考えていいだろう。発売日に40代くらい(?)の男性たちや、たまに女性(かなり若い人も、それなりの年齢の人も)がレジに並んでいたりするのを見かけることがあり、そういう客層の幅広さもそれはそれでまた良いことだが。


  アニメ声優の某H氏の魅力が私にはまったく分からない。その魅力が奈辺にあるのか、もしも教われる機会があるなら教わってみたいものだ。PCゲーム声優については、世間的にも人気なのであろう声優の方々の魅力や美質は、(分析的にはともかく少なくとも経験的直感的には)だいたい分かるのだが、アニメの場合はなかなかそうはいかない。この対比から察するに、声優のなんたるかが分かっていないというよりも、私にはアニメのなんたるかが分かっていないということなのかもしれない。


  【 『Rance IX』のテキストボックス 】
  [tw: 460428779567841280 ]
  こんなふうに『RanceIX』のゲーム画面のSSを目にする機会があったが、あのテキスト表示はわりと上手いアプローチだと思う。比較的幅の狭い――1行18文字程度だろうか――(フキダシ型の)テキストボックスを、画面中央の上寄りに表示することによって、テキストを読みながらキャラクター立ち絵の顔面部分(表情変化)をも常時視野に入れておくことができる。キャラクター立ち絵は、画面両端に寄せて置かれるので、テキストボックスによって遮蔽されてしまうことも無い。ワイド画面ならではのレイアウトだろう。フキダシにはトンガリが出ているし、立ち絵のキャラクター名は画面下部に表示されているため、話者や話者名が分からなくなるということも無いだろう。セーブ/ロードなどの機能ボタンも画面下部にまとめて置かれているため、テキストを読む際にそれらのボタンが視界に入ってきて雰囲気を阻害するという心配も無さそうだ。ただし、「キャラクターの身長による影響がどうなるか」、「立ち絵に十分な密度(見応え)がなければ、画面下半分がつまらないデッドスペースになってしまわないだろうか」、「立ち絵アクションとは両立できないだろう」といった懸念はあるが、とりあえず一つの見せ方として理に適っているように見受けられる。


  新記事:「一枚絵のまばたき表現をめぐって
  異論があるならweb拍手などで直接言えばいいのにとも思うが、まあ仕方ない。web拍手の中で長広舌をぶつわけにもいかないし。
  先日の「タイトル画面の動的変化」記事に続いて再び、スクリーンショットの連続使用によってアニメーションを紹介する手法を採ってみた。これが良いかどうかは、今後とも慎重に考える必要がある。静止画のパラパラでアニメーションを紹介するのは、迂遠すぎて説明として妥当かどうか疑わしいし、どうしてもSSが枚数過剰になってしまいやすい。
  それにしても私はこれからいったい何度、ぱれっと作品とFAVORITE作品(のスクリーンショット)に頼り続けることになるだろうか。


  『ONE(FVV)』もそうだけど、木村氏の幼馴染キャラは、痛々しく突き刺さってくることが多いのでつらいんだよね。もちろん、その痛みの強さも、声優の技芸の卓越の証明に他ならないのだが。