木村氏について。
僭越と非礼を承知で書くが、木村氏でも、最初期の2003-04年くらいまでは、そんなに据わりの良い芝居をしていたわけではなかった。落ち着きのない浮ついた芝居であったり、台詞の流れがいささか硬直的に感じられるものだったり、キャラがきちんと立っていなかったり、表情づけがエキセントリックなものであったりといった瞬間が、たまに現れていた。今聴き返してみると、あるいは今聴き返してみても、残念ながらその当時なりの限界らしきものが感じられる。
それが次第に、キャラクター毎にきちんとした核の感じられる芝居になり、威勢の良いキャラでも十分な心理的な奥行きを感じさせるようになり、突飛な性格づけのキャラでもしっかりとしたアイデンティティを表現されるようになり、耳心地良い自然さと開示的なインパクトを兼ね備えるようになり、内面の屈曲の機微を映し出すかのような繊細さを身につけ、そしてキャラクターそれぞれの個性を芝居それ自体の中から作り出すようになり、要するにキャラ芝居としての説得力を飛躍的に高めていったのは、おそらく2005-07年にかけてのことだったように思われる。『秋色恋華』の新山葵、『鬼神楽』のイチ様、『GSS』の一柳あかね、『わんことくらそう』のみかん、『いな☆こい』の神代睦月、『夏めろ』の水上秋、『Chu×Chuアイドる』のヒヨリ、『あねいも2』の霧島深月、『片恋いの月』の八島杏奈、『ツナガル★バングル』の一ノ瀬悠夏、『明日の君と逢うために』の月野舞、『DI』のルサルカ、『ピリオド』の弥月美由といったキャラクターたちは、いまだわずかながら過渡期的な不徹底さの尻尾を残してもいたが、しかしいずれもすでにして木村氏の代表作と呼ばれるに値する優れた業績である。
そして、今のような水準の「木村あやか」がユーザーの前に正式に姿を現したのは、2008年のことだと言ってよいだろう。すなわち、『朝凪のアクアノーツ』の白玉かなか、『水平線まで何マイル?』の古賀沙夜子、『ヨスガノソラ』の依媛奈緒、『とっぱら』の幸子といったキャラクターにおいてようやく、その大胆と繊細と魅惑と諧謔と真率と余裕が高い次元で統合されるようになった。ミステリアスな先輩キャラや異種族の無口キャラでも確かなキャラクター心理の手応えが感じ取れるようになり、元気キャラや幼馴染キャラも十分な説得力で満たされるようになり、そして耳と心を溶かし尽くすかのような甘い芝居を、はたまた耳と心を撃ち抜くかのような峻烈な芝居をも、披露するようになった。
2009年以降については、どの作品のどのキャラクターでも堂々たる名演を披露し続けていることは、あらためて述べるまでもないだろう。高司智沙、帷千紗、毛内清美、アーサー、しろ、そして高社紗雪に至るまで、幅広いキャラクターたちに対して、その芯の強さとその懐の深い落ち着きとを使いこなしながら、それぞれに精妙かつ豊饒な音声表現を与えている。その美質は、もはや言葉で説明しきることができない。
2001年以来、すでに14年に及ぶこの長いキャリアをこのように振り返ってみると、木村氏はPCゲーム声優として最も大きく成長した役者の一人なのではないか、ということに思い当たる。珍しいものだ。一色氏はそのキャリアのごく初期から一貫してあの超絶的な一色ヒカルのままであり続けてきたし、北都氏も、そのキャリアの中でよりいっそう豊かなニュアンスやよりいっそう大胆な表情づけを敢行するようになってきたが、その明晰さは最初期の芝居にもはっきりと聞き取れるものだった。芹園氏や金田氏や桜川氏も、その芝居の基本的なありようやクオリティが大きく変化したということは無いだろう。また、誰とは言わないが、デビューからすでに三桁のタイトルに出演しているにもかかわらず、いまだにその芝居の掘り下げの甘さが克服されていないという役者もいたりする。総じて、00年代前半のフルプライス美少女ゲームにヒロイン級で起用されるような役者さんたちは、デビュー時点ですでにその基本的なポテンシャルを十分に汲み出して役者としての個性を開花させていたものだった。そうした中で、木村氏がPCゲーム声優としてのキャリアの中で役者としての長足の進歩を遂げられたことに対して、称賛と感謝の言葉をひそかに捧げたい。
2015年現在のクオリティで、例えばもしも園原麻由を再演されたら、いったいどのくらい凄いことになるだろうか。あるいは例えば、もう一度秋穂もみじを演じられたなら、FDに登場しないなどという憂き目に遭うのをけっして誰も許さなかった筈だ。あるいは例えば新山葵がいったいどのくらいグレードアップすることになるかは、ほとんど想像できない。野乃原結先生は、どれだけ愛らしさを増すだろうか。長森瑞佳は、2015年の木村氏の芝居の下では、どんなキャラクターになるだろうか。想像するだけで楽しく、そして実際には、私の想像力では到底及ばないものになるだろう。
もちろん、その他にも、例えば青山氏はその演技の色合いをいよいよ豊かにしてきたし、松永氏は00年代後半にはその自由闊達さを存分に展開するようになっていた。鷹月(夏野)氏も、初期の芝居からは想像できないほどに複雑なニュアンスをその芝居に載せるようになった。御苑生氏がこれほどの存在感を発揮するようになるとは、十年前、いやそれどころか五年前にすら、予想できなかっただろう。