2015/11/22

アダルトPCゲーム隆盛についての私見

  アダルトゲームが今よりも大きく注目を集めていた時期。
  その事情についての試論的な私見の思考。


  アダルトPCゲームが最も隆盛していたのは90年代末から00年代前半(2004年くらい?)の間だというのが大方の意見のようだ。

  1)その時期は、個人ユーザーへの据え置きPCが爆発的に普及した時期でもあり、その新しい道具を活用できるオタク趣味としての魅力もあったのだろう。付随的な事情として、当時同様に急速に普及していったネット空間の中で、PCを常用するという点でユーザー層が重なっていたことも、話題として取り上げやすくしたと推測される。時折主張される説では、「アダルトゲームへの関心がPCを普及させた」という因果関係で捉えるものもある――おそらくビデオの普及とアナロジカルに考えているのだろう――が、私見ではその順序は疑わしい。PC(Win95/98)の普及期に、アダルトゲームがちょうどタイミング良く乗ることができた、というのが実態ではなかったか。

  2)また、CGワークもその時期には十分なクオリティを備えるようになっていた。つまり、最初期のぎこちない単色ベタ塗りドット画像の次元を超えて、絵として見応えのあるものが提供できるようになっていた。それは、1999-2002年頃に一般化していったヴォイス付与とともに、オタク系アダルトメディアとしての強みを意味していたと思われる。アニメや漫画におけるアダルト分野は、当時はまだまだ出遅れていたという印象を持っている。

  3)隣接分野との関連でも、相対的にチャンスの大きい時期だったと言うことができるかもしれない。00年代初頭までは、TVアニメは現在ほどの本数は無かったようだし、リアルタイム視聴を共有しあうコミュニティ(とそれを可能にするネットインフラ)も今ほどは整備されていなかった。メディアミックス戦略も現在ほど徹底されていなかっただろう。LN市場は、もちろん当時から大量の作品が刊行されてはいたが、90年代から00年代初頭にかけては、今ほどの隆盛は得ておらず、どちらかといえば「オールドファッションでマイナーでチープなファンタジー小説群」として見過ごしていた向きが多かったように思う。私見では、そういう『スレイヤーズ』的、あかほり的イメージから風向きが変わってきたのが、『ブギーポップ』(1998-)、『シャナ』(2002-)、そして『ハルヒ』(2003-)あたりだった。漫画は、あまりにも広大すぎるので一口に言えないが、少年漫画でもまだ萌え要素をほとんど取り込んでいなかった(『ラブひな』が1998年に、『あずまんが大王』が1999年にようやく開始)。ゲームセンターは、気軽に入りやすい場所になっていたが、STGから格ゲーへの熱狂の最中にあった。家庭用ゲーム機は、2D時代の爛熟を終えてPlayStation(1994年発売)以降の新たな技術的段階に入っていたが、『FF7』(1997)でもまだそれほど洗練されてはいなかった。

  そうした環境にあって、アダルトゲーム(黒箱系はともかく、とりわけ学園恋愛系のそれ)は、ヒロイン攻略がゲームの主要目的になることから、キャラクター要素を前面に押し出しやすく、今世紀の「萌え」基軸のオタク文化をいち早くリードすることになった、ということだったのではないか。それが当事者にどこまで意識されていたかは分からないが、『To Heart』(1997)以降のアダルトゲームは明白にそして強力にそちらに特化していった。

  個々の作品の「質」の問題を別にすれば、アダルトゲーム隆盛の要因はこのあたりの事情が大きかったのだろうかと想像している。質を問うなら、平均的なクオリティはむしろ当時よりも現在の方が飛躍的に上がっているのだが。

  そして、これらの状況やアドヴァンテージが、現在では大きく変化してきている。PCユーザーはおそらく減少傾向にある。フルカラーCGの訴求力に関しても、アニメは品質(画質)向上が著しく、数量と多様性も飛躍的に増大した。LNも魅力あるイラストレーターを積極的に起用しつつ、今世紀の需要を巧みに掴まえている。漫画も、メディアミックスや同人文化とのつながりを持ちつつ、従来どおり大量の才能を開拓し育成し続けている。そうした中で、ごく限られた人数のキャラクターたちの魅力を最高の価値として奉じすぎることが、アダルトゲームの表現内容のバランスと可能性に対していささか不利な影響を持つようになっていることは否めない。



  2018/10/22の再考。

  【 アダルトゲーム分野の隆盛とその後 】
  90年代後半からのアダルトゲーム(18禁美少女ゲーム)の活況は、「萌えもの」「美少女もの」のゲリラ的先駆者としてのアドヴァンテージであったと考えている。

  90年代までは、アニメ媒体は深夜帯が未発達で表現上の制約も大きかったし、美少女ものに大きく傾斜してはいなかったと思われる(※お色気要素が比較的強い企画は、地上波TVではなく、OVAになっていた)。漫画分野は、雑誌乱立以前の状況であり、もちろんwebコミックも存在しなかった(※90年代のうちには、個人単位でのweb漫画はすでに現れていたし、中には各種メディアに取り上げられてブームになるものもあったが、商業化されることは稀だった)。漫画同人も、男性向け(≒女性キャラ萌え)は未発達だった。内容面でも、萌え四コマは事実上存在していなかった(※基本的には2000年以降の流れ)。18禁コミックはよく知らないが、まだオールドファッションなエロ漫画が支配的だっただろうか。LNも、90年代は沈滞していたという印象だ。コンシューマゲームでも、『同級生』などの移植版――18禁要素は軽減されている――が存在するくらいで、大きな流れにはなっていなかったかと思う。

  そうした中で、90年代後半以来のアダルトPCゲームは、美少女キャラクターたちとの交流を大きくフィーチャーしていた。LNとは異なって豊かなヴィジュアルイメージを展開し、漫画とは異なってカラフルなCGであり、アニメよりも高精細な絵であり、音声付与も一般的になっていき、あまつさえ性表現要素すら取り込んでいた。これが受けたのは、ごく自然なことだろう。
  人材面では、萌えキャラを描きたいイラストレーターたちが参入できたというのが大きい。90年代までは、フリーランスの「(美少女を描く)イラストレーター」には、仕事の道が乏しかった(※同人市場もまだ小さく、ソシャゲーももちろん存在しなかった)。彼等にとっては美少女ゲーム原画は希少な活路であり、そのため多くの才能がこの分野に流入し、結果として当時最先端のハイクオリティな「萌え絵」のスタイルが、アダルトゲーム分野から出現し、確立された。
  若さと才能を兼ね備えた絵描きたちの大量参入を可能にしたのは、PCという発表媒体(プラットフォーム)の自由さ、敷居の低さでもある。地上波アニメや漫画雑誌のような発表機会の量的制約がほとんど無く、お互いの競合を気にすることなく、オリジナルの作品を制作し発売することができたのだ。いみじくも当時はパソコンの爆発的な普及期であったことも、幸いだった。

  00年代末から現在に掛けては、状況が大きく変わった。
  アニメは数量を爆発的に増やすとともに、美少女ものを公然と取り上げるようになっていった。美少女キャラクターの魅力を視覚的に表現するうえで、「キャラクターが実際に動く(アニメーションする)」ことには、絶大なアドヴァンテージがある。しかも、00年代後半からは画質の向上、作画水準の向上、録画の容易化といった品質面での劇的なアップデートも行われた。条件さえ整えば無料視聴できるという、ユーザー側の敷居の低さもあっただろう。
  LNは、00年代前半のうちには、美少女キャラクターを前面に押し出すことが増えていたと記憶する。学園ハーレムのようなアダルトゲーム的シチュエーションも貪欲に摂取した。内容面では、アダルトゲーム文化の様式や気風を最も積極的に取り込んだのが、このLN分野だったのではないかと考えている。そうした中で、レーベルの急増とともに、作家志望者がLNで商業デビューできる可能性が飛躍的に高まり、それがさらに有為の人材をLNに向かわせた。さらには、LN作品をアニメ化するという道筋も確立されてきたので、よりいっそう注目度が上がった。
  漫画分野は、規模も多様性も大きいので一概には言えないが、新興雑誌が多数発刊されるようになり、また萌え四コマ分野も00年代に入って急速に開拓された。漫画に関しては、商業媒体よりも、同人分野の方が大きな影響を持っていたかもしれない。とりわけ、コミケット的に「男性向け」と俗称される、美少女キャラクターをフィーチャーした(オリジナルまたは二次創作の)エロ同人の市場が、拡大していった。つまり、可愛いキャラ絵を描く人材が、「アダルトゲーム会社を起業して(場合によっては制作中の借金を背負って)アダルトゲーム原画で稼いでいく」のではなく、「同人漫画を売って生きていく」という可能性が広がった。同人委託店、同人通販、そしてweb上のイラストコミュニケーションサービスやDL販売に至るまで、同人作家が活動しやすいインフラも整ってきた。そして、同人市場にプールされた人材が、商業漫画やLN挿絵、さらにはゲーム(10年代のソシャゲー)などに拾い上げられていく。また、同人分野は、(主として男性向けの)フィクショナルな性表現要望に応えるという点でも、アダルトゲームを食ったのではないかと思われる。
  ゲーム分野は、伝統的なコンシューマゲームでは、いくらかの恋愛AVGや、アダルトゲームの移植版などが散発的に展開されているという程度だが、ソシャゲーの影響が大きいように思われる。同人ゲーム(18禁を含む)も、DL販売などで機動的に活動している。

  その一方で、アダルトゲーム媒体の短所も見えてきた。
  最大の要因はおそらく、メディアミックスへの乗り遅れだろう。00年代後半以来のオタク系業界は、組織立ったメディアミックスを強く志向しているが、その中でアダルトゲームは、性表現という扱いづらい要素を含むために、メディアミックス手法を採用するのが難しかった。また、アダルトゲームメーカーはほとんどが資本規模の小さな企業であり、大規模なメディアミックスを仕掛けることができない。
  12ヶ月前後も掛けて大きなタイトルを一本制作しては、発売後一週間でほとんどを売り切ってしまうという極端な分野でもある。漫画やLNであれば、複数の連載作品を展開しつつ、有望なものを残したり、人気が出るように梃子入れしたりすることもできるが、アダルトゲームはそうしたことが出来ない。基本的に、一作品毎の一発勝負しか出来ない。また、ソシャゲーのように、work in progress式にイベントを随時追加していくといったことも出来ない。その意味で、会社規模の小ささにもかかわらず、融通が利きにくい巨体の作品媒体でもある。このことも、メディアミックスにとっては不利に働く。当たるかどうか分からない新作の企画と組んでくれる相手は、なかなか出てこないだろう。ちなみに、同じく年単位の大規模制作を要するアニメ分野は、人気の出た漫画やLNを原作にするという安全志向のアプローチもあるし、各メディアを巻き込んでオリジナル作品を大々的に展開することもできる。
  アダルトゲームは、性表現要素が含まれるため、メディアミックスの受け手側に立つこともできない。全年齢だとしても、メディアミックスに参加してゲーム版を作るノウハウもほとんど持ち合わせていないだろう。
  windowsPCをプラットフォームにするメリットは、若年層が自分用のPCを持つ比率を減らしたこと、そしてPCの前で時間を過ごす習慣を持たなくなった(携帯電話~スマートフォンに取って代わられた)ことにより、現在ではほとんどメリットにならない。

  結局のところ、90年代以来のアダルトゲームは、現代的な美少女ものの先駆的分野であり、才能あるクリエイターたちを取り込むのにも好都合な環境を持っていたが、それらの強みは00年代のうちに隣接諸分野によって模倣、摂取、転用、奪取、改良されていき、アダルトゲーム特有のアドヴァンテージは失われていった。
  アダルトゲームが、90年代末から00年代前半まではオタク文化の台風の目になる機会が多かったにもかかわらず、その後そうした場面を減らしていったのは、だいたいこのような事情ではないかと思われる。学園恋愛系AVGの現代的基礎を作り上げた『ToHeart』(1997)が、その名を冠した続編『ToHeart2』(2004)で、アダルトゲーム媒体を含む大きなメディアミックスとして人気を博した最大の作品になった――つまり、オタク界隈全体に対して、これを超える巨大なプレゼンスを持つ作品は、その後現れていない――というのは、いささか皮肉な巡り合わせだ。