白箱系(学園恋愛系)で性表現が増強されるようになった経緯について。
白箱系タイトルのベッドシーンが増強されたのは、いつ頃からだっただろうか。そろそろ、こうしたこともアダルトゲームの「歴史」として跡付けられていくべきだろう。
【 前史:90年代から00年代初頭 】
90年代の豊かな混沌状態を越えて、学園恋愛系が様式として確立された00年代初頭には、個別ヒロインのイベント――現在の感覚からするとかなり短いシナリオ――を進めていくと最後の最後にヒロインとようやく結ばれて、そしてすぐにエンディングに入る、といったスタイルが支配的だった。典型的なのがF&C作品で、例えば『Canvas』(2000年)は、終盤に申し訳程度の簡素なアダルトシーンが一つずつ入るだけだった。
ただし、同じF&Cブランドでも、たとえば学園恋愛系に伝奇要素の混じった『水月』(2002)はエロティックなシーンがやや多かった(15シーン)し、ショタMテイストの『羊たちの憂鬱』も15シーン、アパート同居ものの『だぶるまいんど』(2002)はヒロイン3人で32シーンもあった。
その一方、変身ヒロインもののはしりのような『メタモルファンタジー』(Escu:de、2001)は59シーン、黒箱系の『せ・ん・せ・い3』(D.O.、2002)も62シーンと、学園恋愛系以外のジャンルでは、大量のアダルトシーンを売りにしていた。さらに『Sacrifice』(Rateblack、2002)に至っては167個ものアダルトシーンが含まれている。ただし、個々のシーンは、現在の水準からするとかなり短いものだった。黒箱系も変化しているのだ。
【 現代的なアダルトシーン配置が確立された時期 】
いわゆる「エロ薄」ジャンルと見做されていた白箱系が、アダルトシーンの描写に注力するようになり、現在では、「前半でヒロインルート分岐を確定し、後半部分ではベッドシーンを頻繁に挟みながらそのヒロインの関わる事件が展開される」といった二部構成式のイベント構成が一般化した。大雑把な感触では、2007年から2009年頃にかけてのことだったと思う。例えば『明日の君と逢うために』(Purple software、2007)は、ヒロイン一人あたり3つずつのベッドシーンを提供したし、『ヨスガノソラ』(CUFFS、2008)もヒロイン5人で18シーンを用意していた。
とりわけ、2006年にデビューしたWhirlpoolは、こうした枠組整備に力を入れており、『メリ☆クリ』(2008)以降では公式サイトなどでヒロイン毎のCG枚数を公開するようになり、さらに『ねこ☆こい!』(2010)からはヒロイン個別のHシーン数まで事前公表するようになっていた(――ちなみに『ねこ☆こい!』はヒロイン4人にアダルトシーン5つずつ)。私見では、このあたりをきっかけにして、現在支配的なアダルトシーン配分のスタイルが確立された。AUGUST、ういんどみる、Clochette、PULLTOPといった、現在につながる白箱系有名ブランドも迅速にこの流れに追随し、その普及に一役買うことになった。
【 様々な実例の考慮 】
もちろん、例外は多々あり、それ以前からもアダルトシーンの多い白箱系タイトルは存在した。いくつかのアプローチを簡単に紹介しておこう。
1)ヒロイン確定以前の序盤進行から、比較的カジュアルなアダルトシーンが挿入される、オールドファッションなスタイル。例えば『ひめしょ!』(XANADU、2005)は、一種のSFハーレムものであり、セクシュアルなシーンはゲーム序盤から定期的に出現し、総数23シーンに及ぶ。
2)典型的な学園ものではないが、それに近い親しみやすい雰囲気を持ちつつ、アダルト表現にも注力した作品。例えば和風伝奇ものの『巫女さん細腕繁盛記』(すたじお緑茶、2004)は30シーン、ゲーム開始時点でステディな恋人がいる『六ツ星きらり』(千世、2004)も35シーン。
3)ほとんどピンク系のような濃密なアダルトシーン表現を売りにした路線。例えば『あねいも』シリーズ。『あねいも2』(boot up!、2007)は、前半の情趣豊かな恋愛パートから一転して、恋人確定した後半では大量のHシーンが執拗に繰り返される(ヒロイン4人で65シーン)。
このように、00年代半ばのうちから、様々な試みが存在した。しかし、上記のような様式性が確立されたのは、それらとは別の経緯によるものであったと思われる。
【 考えられる要因 】
「ヒロイン確定後のゲーム後半に、ベッドシーンが定期的に(一人あたり3~5つ)出現する」というスタイルは、普及していったのは何故だろうか。その事情として考えられるのは、
- キャラデザ精緻化に相伴われた、ヒロイン人数の減少(つまり、リソースの集中投下)。
- 「ヒロイン/サブキャラ」の確立による、カジュアルな性表現の減少(部分的には広報的事情も)。
- 外的内的諸事情に由来する黒箱系の沈滞と、それを補うかのような白箱系のHシーン強化。
- 00年代末からの低価格帯アダルトゲームのアダルトシーン強化に対する白箱系の呼応。
- アダルトシーン嗜好の整理および拡大に伴い、要求されるアダルトシーンの趣向が増えた。
- 脚本長大化と演出技術進展が果たされつつあった中での、内容充実の最後のフロンティア。
だいたいこのあたりだろうか。それぞれの論点について、本当に関連があったのか、どの程度の影響があったのか、あるいはこれら以外にどのような原因があったのかについて、詳細な分析と丁寧な跡付けが必要であるが、さしあたり考えうる要因として提示しておく。
【 意義 】
意欲的な創作主体の挑戦が、周辺事情の変化と、ユーザーからの要求との間に相互作用を持ちつつ、最適化が図られていくことによって、一つの(新たな)ジャンルなりスタイルなりが確立されていくというのは、現代社会における商業芸術としてはありがちな光景だが、当該分野が置かれている社会的文化的経済的情勢に考えを向けたり、先進的なブランドに対する正当な(再)評価のためのきっかけとしたり、あるいは我々自身の置かれた立場を振り返ったり、今我々が享受している作品群のありように対して多角的な視点を持ったりするうえでも、こうした経緯を回顧してみることにも意味はあるだろう。
【 10年代の動向 】
さらに、10年代に入ってからは、「ワイド画面のデフォルト化による一枚絵構図の変化」、「補助的システムの整備拡充(たとえば絶頂カウントダウンシステムや、アダルトシーンでのテキスト表示形態変更)」、「期間限定のヒロイン追加パッチ(製品版のID/PWを要求する、正規購入者向けのサービス)や予約特典のHシーン追加パッチ」、「Hシーンの事前開放機能(本編をクリアしなくても、ボタン一つで回想シーンがすべて閲覧可能になる)」、「アダルトシーンのアニメーション化」といった傾向が現れている(拙稿「アダルトシーンの表現技法雑感」も参照)。