2022/07/05

2022年7月の雑記

 2022年7月の雑記。(→-/6月

今月の一枚は、これを残しておこう。MODEROIDの「ED-209」と「パワーローダー」。




 07/26(Tue)

 さて、前期授業も終わるわけだが、夏休みの予定はまだ特に決めていない。学生に対しては、したり顔で「計画的に楽しく過ごすんですよ」などと言っているのだが。……まあ、望ましい振舞いと実際の振舞いが一致しないのは仕方ない仕方ない、仕方ないのですよ。
 月末はMODEROID「パワーローダー」が発売になるが、この暑さだと塗装作業もしにくい。キットを2個買って、一つはすぐにパチ組みして楽しみ、もう一つは塗装に適した季節になってからじっくり制作するというのもアリか。今年はゲームの夏にするのが妥当だろうか。あるいは、溜まっていたディスク類をきちんと視聴していくのも良いだろう。
 ブログ上の作業としては、懸案の「旧サイトおよびtwitterメモからの移設」をやりたいが、csvデータの扱いが決まっていない。いっそgglドライブ上にファイルを置いて、そこへのリンクを貼るだけでもいいかもしれないが……うーん、それでいいのかどうか。
 twの試し書きの文章は、はっきり言えば「使えない」。その都度140文字単位でテーマがまとまるように機械的に圧縮してしまったので、本来語るべきだった内容に照らして圧縮率がバラバラで、非常に気持ち悪い。書くべきアイデアの羅列としては参照するが、文面それ自体はまったく再利用できない。残念ながら、完全新規で書き直すしかないだろう。


 前期授業の終わりを一人祝しつつ、全力で引き籠もるために、いろいろ買い込んできた。

 パワーローダーは予定どおり2個確保。それ以外も含めて、プラモデルは3万円超、3店舗を巡って計8個購入はこれまでの人生で最多……かと思いきや、記録上は一日に9個購入した日があった。プラモデルは一つ一つの箱が大きく、手持ちの輸送能力に限界があるので、10個も買って持ち歩くことは事実上無理だが(※それでも、自家用車やレジ発送など、方法があるにはある)。
 PCゲームの場合は、日本橋遠征の時などに、大小合わせて(中古を含めて)20本以上買い込むことがあった。しかし最近はさすがに、そういうこともしていない。そもそもここ数年は、感染症への懸念から、ポンバにも足を運んでいないが。

 ところで、「パワーローダー+リプリー」のキットは、Excelのプラモデル購入リストでは、「キャラクター」に分類すればいいのだろうか、それとも「ロボット」か、あるいは「機械」か、「車両」か……。迷ったが、ひとまず種別は「機械」としておいた(※「かにクレーン」と同じ扱い)。
 同じキットを、一日に2個購入したのも、人生で初めてだと思う。制作失敗や再挑戦などで、後日2度目の制作をするということは、これまでにもあったが。『エイリアン2』は、別格に大好きな映画の一つだし、そして私はモデラーでもあるので、このキットはしっかり取り組みたい。一度目はひとまず軽く。そして二個目は丁寧に作り込みたい。
 そんなことをしているうちに、自宅の模型タワーが、ゲームタワー、書籍タワー、ディスクタワー、フィギュアタワーと並んでいよいよ高く大きく屹立する有様なのだが。
 (追記:そう言えば、軍服キャラの「レーナ」を2個買ったことがある。あれが初めてかな。)

 鶴ヶ城(会津若松城)は、葦名の黒川のお城であり、その後は会津松平のお城でもあり、つまり新撰組の親分だったり、さらには白虎隊にも関わっていたりと、なかかなドラマティックな歴史を持つお城なのだよね……。それでいて、現在の姿をプラモデルとして見る分には、きれいに整った、いかにも穏やかな雰囲気の建物だったりする。

SEGA「ラム & レム 大精霊パック」。ケモ耳着ぐるみ姿がたいへん可愛らしい。ペアのプライズフィギュアなので、揃えて並べるとさらに良い。
顔立ちは、可愛らしいというよりは、色気を感じさせる繊細な造形。両目のプリントもくっきり印刷されている。フード全体が前後分割で張り合わせてあり、頭部がフードにしっかり包み込まれている。つまり、フード内部の奥行きがきれいに見通せるので、被りものらしい奥行き感を楽しめる。
レムの表情も、目元に潤いを感じさせる素晴らしいプリント。このキャラのフィギュアはたいていの場合、おっとりして愛嬌のある雰囲気に作られるが、このフィギュアの意志的な表情づけはかなり新鮮。
POP UP PARADE (Good Smile Company) 「甘露寺蜜璃」。原作イラストのポーズそのままに立体化したもののようだ。虚ろな目つきも、原作どおり……なのだろうか? ピンクと萌黄色の頭髪はたいへんカラフルで、置いておくだけで彩りが増して明るい雰囲気になる。ただし、顎が上向きなので、撮影時のアングルには要注意。
TAITO: Coreful「星宮六喰(水着 ver.)」+「時崎狂三(チャイナ水着 ver.)」。特に星宮六喰(左)が素晴らしい。TAITOらしく血色のよい素肌成形色が、肉感的な下半身造形を引き立てている。パーティングラインも軽く処理されていて美しい。編んだ後ろ髪も見どころ。
時崎狂三(右)は、素肌成形色はベッタリしていて一段落ちるが、ポージングは非常に良く出来ている。ドレスの柄表現も細やかだし、ヒップの造形も目を引く。
「パワーローダー」も、ひとまず組んでみた(仮組み)。リプリーはグレー1色成形だが、水性筆塗りでなんとかしよう。リプリーのサイズは17cm弱なので、縮尺はおそらく1/11相当。ここから各部のケーブルを這わせていくと、さらに重機らしさが増すだろう。成形色は、ややオレンジ寄りなので、原作のような煤けたイエローにしたい場合は、全塗装することになるだろう。
フリューのBIGエイリアンと対決させると、こんな感じになる。クイーンじゃないのが残念。シリンダーは例によってHASEGAWAの「ミラーフィニッシュ」でキラキラにした。
SF映画メカ同士で、MODEROID「ED-209」と並べて見る。甲乙つけがたいボリュームと迫力。
FAG「グライフェン」(をパワーローダーっぽくしたもの)と並べても、ものすごく大きい。
1/11スケール相当なので、既存のガールプラモにもだいたい対応する。ただし、後ろ髪などが干渉するものはあまく乗せることができない。figmaだと、ちょっと小さすぎる。足置きの高さを変えられるのも嬉しい。
やはり似合うのはグライフェン君か。キャラクター前面の防護ハッチは、原作どおり上に押し上げることができる。
ついでにAOSHIMA「1/32 ジムニー」も。イエローというよりは黄緑色で、爽やかな感じ。「楽プラ」シリーズなので、無塗装のままでこの出来。



 07/18(Mon)

 人類文明の崩壊した未来世界を旅するシチュエーションの漫画が、ずいぶん増えてきた。おそらくは『少女終末旅行』(漫画版:2014-2018)をきっかけとして、『鍵つきテラリウム』『世界の終わりに柴犬と』『世界は終わっても生きるって楽しい』『きみと世界の終りを訪ねて』『終末世界の箱入りムスメ』『終末ツーリング』など、多数の作品が著されている。現代では大量の新作漫画がリリースされるようになっており、こうしたポストアポカリプス系ジャンルの作品も増えてくるのは当然だが、それにしても多い。
 また、大元のネタ『地球の長い午後』やその直系の『ナウシカ』に見られる過酷な世界像とはかなり異なった筆致で描かれているのも興味深い。現代型のポストアポカリプス旅行ものの基本的特徴として、以下のようなものが見出される。
- 人類はほぼ絶滅(ごく稀に他の生存者と出会うこともあるが、人類以外の存在だったりする)。
- 主人公たちはペアで行動する(相方はロボットのことが多い)、一種のバディもの。
- 崩壊した都市を旅する(森や砂漠ではない)。
- 比較的穏やかで、心地良い雰囲気で描かれる(過酷な生活も楽しむ)。

 こういう穏やかな衰退の作品がウケているのは、それ自体ものすごく退廃的、退嬰的に思えて不気味でもある。世紀の変わり目に現れた『ヨコハマ買い出し紀行』『終末の過ごし方』も好きだったけどね。
 また、こうした「心地良い破滅」ものが、主に漫画ジャンルで展開されているというのも興味深い。活字媒体(小説)だと劇的なストーリーになりがちだし、アニメやゲームだとロードムービー型の作品は背景作画コストが嵩むという事情もあるだろう。そうした中で漫画媒体は、美しい(廃墟)風景を適宜描きながら主人公コンビの楽しい活動や楽しい会話を描くのに適しているということだろうか。アダルトゲームでも、上記『終末の過ごし方』の他にも、『はるかぜどりに、とまりぎを。』『しすたぁエンジェル』『R.U.R.U.R』、あるいは『うたわれるもの』の序盤のように、文明崩壊後の穏やかなコミュニティを描くものは存在するが、ごく少数に留まる。


 エスとエムの話。フィクションのキャラクター関係としては、「ややS」同士のカップルがお互いの距離感を見計らいながら付き合っていくくらいの状況が、一番好みかな。「S×M」のように攻め受けの矢印の方向が固定されてしまわないのが、作劇としても面白いし。ただし、一般的な恋愛ものだとS同士の主役カップルは案外少ない。女性向けでは比較的多いと思うが、それでもやはり少数派ではなかろうか。ありがちなのは、「繊細なややS(つっかかっていく方)×マイペースな強S(うまくやり返す方)」あたりだろうか? あんまり詳しくないけど。



 07/14(Thu)

 ホビーショップに行っても、今一つ購入の食指が動かない。原因は明らかで、「これ以上買っても、当分積んでしまうし、部屋のキャパそれ自体も限界に来ているから」。それなり興味を持てるキットはいろいろ出ているし、実際はそこそこ購入しているのだが、つい購入に消極的になってしまう。以前のようにもっと無思慮無節操にガバガバ買いまくる方が、趣味としては豊かに過ごせるのだが……。すぐには組み立てないとしても、自宅で開封してキット構成をじっくり眺めるだけでも、模型や実物に関する大量の情報を得ることができるのだから。
 建築模型コーナーも見てきたが、……うーん、城郭模型よりも、金閣寺や薬師寺東塔あたりの方が面白そうかも。
 ドイツの潜水艦(Uボート : VIIC型)の『Das Boot』記念モデルも店頭に出ていた。ついネタ買いしてしまいかねないキットだったが、今日は買わずに済ませてしまった。ネタとしても十分面白いので、今度買ってこようかな。


 久しぶりにCDショップにも足を運んで、いろいろ買ってきた。
 10枚組3,000円くらいの超廉価ボックスセットを、しかも歴史的な名演揃いで入手することができるわけだから、クラシック(CD)はとんでもなくリーズナブルな趣味になっている。昔(学生時代)は、1枚3,000円の新譜や10枚組2万円くらいのボックスを、頑張って買っていたものじゃがのう……。もちろん、コンサートでの実演は一回3,000~8,000円、オペラなどの大物だと数万円になることもあるが、それはそれで内容に照らして妥当だろう。
 クラシックをおすすめするにも、非常に良い時代になったと言える。クラシックを聴かない知人に向けて、ショパンやモーツァルトや、あるいはそれらのごちゃ混ぜボックスセット(例えば7枚組2,000円くらいの)をカジュアルにプレゼントすれば、非常に良い手掛かりになるだろう。いや、実際に聴いてくれるかどうかはともかく、そういう機会を提供することはできる。
 ショパンのピアノ曲セットや、モーツァルトの協奏曲セット、あるいはドヴォルザークやメンデルスゾーンの交響曲セットあたりもメロディアスでとっつきやすいだろうし、多少なりとも音楽に慣れている相手ならばフォーレやサティやバッハのピアノ曲集もいいだろう。

 ショパンのマズルカ集を久しぶりに聴いているし、ゴシック期のヨーロッパ音楽(音楽史でいう「アルス・ノヴァ」など)も聴いている。学生時代はごく一部の時代しか聴けなかったが、様々な音楽を聴けるキャパシティが次第に広がってきた。


 うちに同居人が出来ました。蜘蛛じゃない奴です。フィギュアのことでもありません。ちゃんとした生き物です。ちゃんとした、生き物……の抱き枕です。おかげで昨晩は安眠できました。朝になったらベッドの隅に追いやられていたけど。

サメの抱き枕。サイズは小さめで(全長60cm程度)、価格もごく安価だが、手触りがとても気持ち良いので買ってしまった。就寝時だけでなく、机で仕事をしている最中も、片手で抱きかかえていると、なんとなく気持ち良い。ただし、不意にヒレが身体に触れることがあって、ちょっと邪魔。


 高級フィギュア界隈は、2万台からさらに高額化して、一気に3万円台半ばまで突入してしまったようだ。これはちょっと、ついていけないかな……。
 まったくの素人だけど、フィギュア(※プライズではない正格の、1/8~1/6のフィギュア)は、00年代にはせいぜい1万円かそこらだったと思う。それが10年代を通じてじわじわ価格上昇していき、10年代前半には1万円超えが普通、10年代半ばには15000~18000円くらいが一般的になり、10年代末には2万円オーバーが標準化し、2020~2021年には2万円台後半の商品も定期的に現れるようになった。そして昨年から今年に掛けては、3万円台のフィギュアが複数リリースされている。2022年現在では、一定のサイズとクオリティのある1/8~1/7フィギュアは、最低でも18000円くらい、基本的には2万円台になっていると思う。いや、継続的/統計的に調査したわけではないが、だいたいこんな感じだったかと思う。



 07/09(Sat)

 人生で初めてアシダカ様に遭遇した。キッチンの隅の壁際にいたが、脚を広げれば成人女性の掌をはみ出すほどのサイズで、ものすごい迫力があった。普段、これほどのサイズの野生生物を室内で目にすることは無いからね……。全身が黒めで、脚も太くて、うーん、残念ながら好きにはなれない感じの外見だ。
 彼(彼女)が現れたということは、エサになる生物も存在する可能性が考えられるが、いやしかし、ここ数年はそういった生物を目にしたことは皆無だし、エサ生物にとってのエサになるようなものも置いていないので、可能性は低いだろう(※紙魚くらいはいるかもしれないし、ごく稀には虫が入ってくることはあるが、Gはいない筈)。たまたま階下から登ってきたくらいで、またじきに退室していくだろう。そうあってほしい。そういえば昨晩、エアコンのところで何かが落ちる「ボトッ」という音がしたが、もしかしたら、あれが彼(女)の入室時のドジっ子イベントだったのだろうか……。
 ハエトリグモのカプセルトイを持っているが、今日のアシダカくんは、それとほぼ同じか一回り小さいくらいだった。うーん、そうか、この玩具と同じくらいの大きさか……。自宅には蜘蛛メカや蜘蛛ガールのプラモデルもあるが、やはり実物の存在感は別格だった。

 追記:翌日もキッチンの床にいた。まさか定住する気じゃないでしょうね……。暗がりでいきなり足元にいるとか、暗がりでいきなり視界の間近にいるとかいった不幸な遭遇は御免蒙りたいので、室内の灯りはできるだけ点けておくようにしよう。
 素早く立体的に動くその姿は、そう、『ソラノヲト』の多脚兵器タケミカヅチをまざまざと思い起こさせるものだった。あのアニメの動画表現は、良く出来ていたんだなあ……。(現実逃避)
 もっと言えば、フェイスハガーでもある。こんなものをさらに大型にしたような宇宙生物が、自分のフェイスにハグしてくるなどとは、想像したくない……こわい……。映画『エイリアン』が、さらに怖く感じられるようになったかも。
 
 ふと見たら、今夜はキッチンの窓の外側にいた(おそらく同一個体)。夜中の電灯に寄ってきた羽虫を捕りに行ったのだろう。窓は閉めたままだったが、おそらく換気扇かどこかの隙間からスルリと抜け出したのだろう。そのまま退室していってくれないかな……。


 生徒会長選挙のようなネタは、ありそうで、なかなか無い。さしあたり思い出せる範囲では、『Little Little Election』『恋色空模様』『恋と選挙とチョコレート』『PRIMAL×HEARTS』『淫辱選挙戦』くらい。選挙結果を変動させると、生徒会長になるキャラが変化するわけだから、イベントのフラグ管理(というかテキスト作成)が大変になりすぎるし、かといって選挙結果が固定だと、再プレイ時にストーリーとしての面白味が減殺される。また、全校的な大行事だから、作中イベントとしても大きく力を割くことが求められるが、その割には主人公たちを活躍させるのが難しい。


 プラモのヒケ(※プラの収縮率の違いで、表面が一部へこむこと)は、めったに修正処理しない。よほど目立つ場所にヒケが出た場合は、なんとか頑張って修正することもあるけど、基本的にはキットパーツのまま組んでしまう。私の場合は:
- 艦船模型は細かすぎるので、ヒケ処理をする余地が小さい(※スケモ全般に言えるが)。
- イージーモデラーなので、そういう精密さまでは追求しない。
- パテを盛るのが苦手だし、ヤスリで整形するのもわりと力が要るので大変。
- ヤスリで大量のカスを出すのも好きではない。

ロボット模型だと、おおぶりなパーツにヒケが発生していることが、わりとある。フラットな面の筈なのに、裏側のピン穴の形にうっすら凹凸が出来てしまっているということがある。



 07/05(Tue)

 ここのところミステリづいてきて、いろいろ読んでいる。オタク系(?)では、今更ながら『虚構推理』小説版を全巻揃えて読んでいる。
1. 「ノックスの十戒」を正面から破るような超自然的能力の探偵であり、
2. 実際に起きた経緯の解明とは別に、人々を納得させる虚構的解決の発案に面白味があり、
3. それゆえ単なる「真相」解明ものに収まらない、「説得(納得)」の次元をミステリに導入しており、
4. また、唯一の正解(真相)とは異なった複数の解決法が提示され得るのも刺激的だ。
5. 怪異の存在を隠すという主人公の動機付けにも、きちんと筋が通っている。
 こういった一連の独自性によって、ミステリとしても非常に先鋭的で、おそらく比肩するものの少ない、個性的なシリーズになっていると思う。

 私自身はクラシカルなミステリ好きなので、オーソドックスな「雪女のジレンマ」が好み。ただし、このシリーズの個性(特徴)という観点で言えば、第一作(無印の『虚構推理』単行本)が、「複数の虚構的説明の間で説得力の鎬を削る」というアプローチを正面から展開しており、オリジナリティが高い(※ネットロアものという意味では、2022年現在では陳腐になっている趣向だが、2011年の初出当時は画期的な新機軸として評価されていただろう)。


 1/700艦船は、基本的には「たくさん集めて並べる」が本旨なのだろう。純正エッチングセットを組み込む程度なら、せいぜい20時間で完成するし。ただし、サイズからして、ディテール表現にはかなりの制約がある。だから、本格的に作り込もうとしたら、やはり1/350に移行するのがベターだと思う。そちらの方が、作り込みのポテンシャルも大きいし、ディテールの限界も深いし、キットだけでも再現度が比較的高い(つまり、その分、手間が掛からない)。1/700に留まったままで極限的な作り込みを追及するよりは、1/350でやる方が良いと思う。

 1/700だ1/350だといったスケールの数字それ自体は、なにかしら必然性や合理性があるというわけではない。だから、ミニチュア制作そのものとしては、そういった特定の規格に拘泥する意味は無い。
 しかし、そういった規格は、実際には歴史的な経緯や文化的な広がりを伴っていることもある。そして、そういった文化的に形成された価値の側面を、ただ切り捨てるばかりではいけないと言うこともできる。
 だから結局のところ、私の認識は以下のような中途半端なものにならざるを得ない。すなわち、「必然的なものではないのだから、自由にしてよい余地はある。しかし、必然的ではないからといって無価値なわけではない。とりわけ、他者が特定の規格を自身のパースペクティヴの中で大切にしているならば、その姿勢はけっしてバカにすべきではなく、尊重されるべき一つの文化だと言わねばならない。しかしなおも、そうした中で、他者に対して文化的価値のありようについて議論をしたり、オルタナティヴの示唆をしたりすることも、もちろん正当であり得る。それどころか、文化が硬直化せずに展開していくためには、そういった他者(異なる価値観)との付き合いには大きな意義がある」。


 うーん、なんだか、この一週間で急激に疲れが出てきた。講義をしていても、気力が尽きかけて言葉に一瞬詰まるという現象が数回起きた。年齢の問題ではないし、何かの病気ということも無いし、睡眠もほぼ普段通りだし、暑さのせいというほどでもない筈だ。うーん、汗をかきすぎて塩分不足になっているとか?

 今月は、月末近くまで授業が続くし、最後には期末試験の採点もある。本格的に遊べるのは、8月に入ってからになるだろうか。あまりに暑いのでエアブラシ塗装は避けたいし、やはりゲームに専心するのが一番かなあ。未視聴のDVDも溜まっているから、まとめて見ておきたい。


 近年のRPG風ファンタジーは、時代劇と似たようなところがあるのかもしれない。作中世界のおおまかなイメージを共有しつつ、その中で多数の作家が自由に創作していくという意味で。「江戸時代の封建的社会体制の下に生きる武士や浪人」と、「西洋中世風ファンタジー世界の冒険者ギルドに加入している剣士や魔法使い」の間には、実のところ、そんなに違いは無いのかもしれない。
 ただし、こうした捉え方から出発するとして、現状をどのように評価するかについては、さまざまなスタンスを取ることができるだろう。異世界ものは、「昔の時代劇と同じように、現代のポピュラーな共有シチュエーションである」と見るべきか、「時代劇と同じような、陳腐な世界像である」と言うか、あるいは逆に「時代劇も、流行の風向きによってはオタク層の間で大きく復興する可能性がある」と考えるか、「実在の江戸時代に肉薄するほど、精緻で広汎に共有された世界像を、RPG風異世界ものは確立してきた」と述べるべきか……。
 ちなみに、個人的には、時代劇もRPG風異世界もあまり好みではない。嫌うというほどではないし、どちらもそれなりの数を読んで楽しんできているが、とりたてて愛着や好奇心を向けるほどの対象ではないという程度。
 また、00年代末以降の異世界ものには、架空状況を前提としたロジカルな思考実験という側面が非常に大きい。典型的には、「○○スキルを持って転生したら」というタイプのあれこれ。こうした知的な側面は、昔の時代劇にはおそらくほとんど存在しなかった。原因としては、オタクの文化的成熟とか、文章媒体と映像媒体の違いとか、まあ、いろいろな事情が考えられるが。


 『転生したら第七王子』は、原作小説版も読んでみたが、4-5巻はちょっときつい内容が出てきた。倫理的に深刻な問題のある行為が、作中であまり咎められずに流されているのは、いかにフィクションとはいえ、いささか受け入れにくい。「ひどいことをするキャラ」「酷薄な行為」「非倫理的な描写」にも、冗談(シャレ)で済むものと、その限界を超えてしまうものがあり、その境界線の線引きが私とこの小説家では異なっているようだ。さすがに生命の尊厳に対する冒涜描写は、笑えない。


 あっ……そういえば、今年も去年も、6月5日をこっそりお祝いするのを失念していた。
 新規出演作がなかなか出ない状況下とはいえ、申し訳なく感じる。


 (→-/6月