2020/01/31

2020年1月の雑記

  2020年1月の雑記。(→/2019年12月

KOTOBUKIYA「朱羅:弓兵(蒼衣)」。蒼衣といっても、ハルさんではない。キットは白水着だが、競泳水着っぽくコバルトブルー(+シルバー少量)とネービーブルーで塗装した。頭髪は、グロスブラックでつやつやの黒髪にした。黒髪がたいへん可愛い。黒髪がとても可愛い。黒髪がやたら可愛い。髪留めや武装は未塗装。

  01/17(Fri) ……えっ、もう下旬なの?

  【 ローグ神楽雑感 】
  でぼの巣の『神楽』シリーズはロープライスを驚異的なペースで連発している。
  (『D.C.』シリーズのタイトル数には、まだ追いつけないだろうけど。)

  一つのシリーズをこれほど長く続けられるのは何故だろう。
1) SLGパートの使い回しと、超高速の原画制作で、速度とボリュームを確保している。
2) 原画人気による裏付けも、かなり大きいだろう。
3) 作品世界設定などの枠組が確立されているので、企画立案も手間が省ける。
4) 巫女×妖怪という趣向は、一見するとニッチだが分かりやすく、しかも競合が無い。
5) ロープライスに舵を切ってからは、カジュアルな購買層も取り込んでいる。
考えられる事情はこんな感じだろうか。

  特にローグ系は、システムの基幹部分を一度作ってしまえば、かなり小さな手間で再利用できるし、作品規模の調整も容易だし、それでいて一定のランダム性があるので飽きられにくい。ダンジョン自動生成という手法は、制作者側にとってもたいへん楽だろう(※オープンワールド自動生成と同じ理屈)。
  これ以外のゲームシステムだと、RPGの制作は作業量が膨大になるし、ゲームバランス調整も難しい。アクションゲームは、単調になりやすいし、成長(蓄積)要素を組み込めない。パズルゲームやカードゲームも同様に、小回りが利かない。STGは、AVGパートとの連動に難がある(まさかメカ触手ものをシリーズ化するわけにもいかないし)。

  ならば、これと似たような趣向の作品、つまり「黒箱系」+「戦うヒロインや変身ヒロイン」+「主にロープラ」を扱っている他ブランドには、同じようなことは出来ないのだろうか。
  1) そもそも集客力のある看板が無い。変身ヒロイン(戦隊風や魔法少女もの)の独自世界設定を続けるのは大変だ。それに対して「(退魔)巫女」というキャラ属性は、作品個別の世界設定というよりは、ファッション上の属性であり、つまり一般性があるので、多用しても擦り切れにくい。
  2) シリーズものを続けるには、少なくとも原画レベルで連続性が無ければユーザーがついてこない。でぼの巣のような超ハイペースの生産力のある原画家(または制作チーム)を持つのは非常に難しい。
  3) ゲームパートのない読み物AVG作品のアプローチでは、テキストがドラマを担わなければいけない。すると、物語を大掛かりに展開したり、キャラクター間のつながりを描いたりする必要が出てくる。しかしそれでは新規ユーザーを掴みにくくなるし、長期展望のあるストーリーを構想するのも大変になる。それに対して、でぼの巣は、長年の蓄積でよくこなれたSLGパートを即時かつ安価に用意できる。そして、ドラマ展開に関わるテキスト制作の負担をSLGパートに委ねることができる。また、適度な作業性のあるSLGパートはユーザーを飽きさせない。
  4) 低価格帯は、同人ゲームとの競合が激しいと思われる。魔法少女ものやRPG風世界設定のものは同人分野に溢れているので、商業PCゲームブランドがそのジャンルで一つのシリーズものを維持し続けるのは大変だろう。しかし、でぼの巣にとって幸いなことに、和風世界や(対魔)巫女ものは、同人分野にはどうやら非常に少ないようだ。

  ニッチな趣向のロープラでシリーズものを継続制作している例は、「戦うヒロイン」以外のジャンルにも存在する。例えばアトリエさくらの寝取られものや、 ZIONなどの催眠ものは、でぼの巣と同じような戦略だろう。つまり、「世界設定やストーリーを絞り込みすぎず」、「競合の少ないニッチジャンルで」、「基幹スタッフはキープして信頼感を与えて」、「比較的ハイペースな制作速度で」、「カジュアル層も取り込む低価格帯で」制作する。
  また、でぼの巣も、市場動向や隣接分野の流行次第では、もしかしたら『わーきんぐDAYS』や『りとる・ピース』のような現代恋愛もので連作を続けたり、『キャッスルファンタジア』シリーズの洋風世界を展開し続けていたかもしれない。
  Triangleの『魔法戦士』シリーズは、初期にはごく簡素なSLGパートを持っていたが、10年代に入る頃には、ゲームパートの無いAVG作品として作られるようになっていた。作品コンセプトは、看板ヒールと魔法戦士チームの対決という構図を取っており、「1)旧作の物語状況を新作でも引き継がなければならない」のと、「2)人間関係が狭いためスピンオフなどを作りにくい」という事情があり、発展性の乏しい袋小路に進んでいった。ストーリー性の強いAVG作品で、長期シリーズを続ける難しさが見て取れる。ストーリーを単線的に進めていかなければならない難しさだ。

  私自身は、studio e.go!時代の『神楽』シリーズは4本全てプレイしている(夏鬼天月)。でぼ時代のローグ系に関しては、初期の『道中記』は敬遠していたが、10年代後半のものはいくつかプレイしている。『訪神歌』あたりになるとゲームシステムもこなれてきたし、『黎明・紫』では蒼依氏の熱演が素晴らしかった。
  でぼの巣のキャスティングは、Escu:deと並ぶ正統派で、出演声優たちはアダルトゲーム中心に活動しているまっとうな実力派ばかりなので安心できる。いわゆる「表」系の声優は起用されないし、webラジオファンに色目を使うようなキャスティングもしない。桃組もほとんど出てこない。
  しかし、本質的にはなにも新しいものを作っていないのだ。10年代半ば頃にいくつかの新作が試みられたものの、ここ5年ほどはひたすらローグ神楽ばかりだった(大量のロープラ『黎明記』)。その不毛さに、その発展性の欠如に、そのマンネリぶりに、メーカーとユーザー双方にとっての時間の浪費に、モヤモヤするところはある。

  そういえば『訪神歌』は、プレイしていて『朝霧の巫女』を思い出した。もっとも、「古代の神々の争いで、勝利した側が支配勢力となり、敗北して非正統の側に追いやられた神が恨みを溜め込んで、邪神となって復活する」というのは、ありがちな神話ネタであって、『朝霧の巫女』だけのものではない(例:土蜘蛛伝説)。


  漫画家が、商業一般で連載している漫画の登場人物とよく似たキャラクターで、みずから18禁同人を描くのはありなのか……。メロブで表紙を見かけて二度見して、それから著者名を再確認して吹き出しそうになってしまった。たまたまキャラデザが似ていただけかもしれないけど。
  そういえば、『ちょサボ』第2巻はまだ買ってなかった。
  商業成人漫画でも単行本3冊もの実績があるようだ。けっこうすごい方なのか。

  某アイドルゲームのファンアートや18禁同人誌を描いているイラストレーターさんが、それとよく似たキャラクターを商業18禁ゲームのヒロインで描いているという符合を知ってびっくりしたこともある。アッシュグレーのボブカットに、目の下の泣きぼくろ(ただし左と右の違いはある)、そして珍しいオッドアイ……いいんですかぴろみずさん。
  その他にも、ルネ/マリンは格ゲーキャラや有名漫画のツインヒロインや『攻殻』っぽいキャラの作品を見境なしに作っていたし、『おまえのなつやすみ』は永井豪作品に似せたキャラデザを臆面もなく披露していた(※永井氏の承諾を得ていたのどうかは知らない)。さらに『僕らのいきなり同棲計画!』は、あまりにも露骨な『エヴァ』もどきヒロインズで、どうやら権利者から怒られたらしく、頭髪色を塗り替えてリリースされたようだ。


  「AQUA SHOOTERS!」は実に楽しいシリーズですね。
  しかも第4弾は、ついにセーラー服ですぜ。

  ひとまず一個組んでみたところ、造形もさらに良くなっている。関節可動プラモデルで上腕と前腕をきれいにつなげるのは難しいが、上腕を∩型に受ける形にして、肘の接続部をなめらかにしている。15cm級ガールプラモとは異なって長袖デザインなのが奏功している。塗装済みパーツもかなり多く(頭髪、顔、襟とスカーフ、両袖)、同価格帯の食玩並のクオリティはきちんとクリアしている。高さ8cm足らずの小サイズながら、各部関節もよく動く。

  以前にも書いたが、コンセプトの狙いどころも上手い。
  1) ベタな銃器ガールではなく、水鉄砲という明るく爽やかな路線を採っている。
  2) それでいて、ミリタリー系の文脈もきちんと踏まえている(武器セット)。
  3) プラモデルとしても、BANDAIクオリティ。小サイズながら関節部もきちんと嵌まる。
  4) SD体型なので、頭部が大きく(1/12ガール並)、十分な魅力を発揮している。
  5) キャラデザも、あざとすぎず程良いバランスでまとまっている。
  もしもSD体型でベタなリアル銃器路線を目指していたら、安っぽくなってしまっただろう(=水鉄砲アプローチの成功)。かといって、ただの水鉄砲だけでは底の浅いものになっていただろう(=ミリタリー要素の成功)。また、普通のプロポーションにしていたら、キャラクターとしての魅力が感じられなかっただろう(=SDキャラの成功)。キャラデザも、クドすぎず薄すぎずのマイルドな感じで、簡素なSDフィギュアに似合っている(=キャラデザの成功)。そのあたりのバランス取りが上手い。
  プロポーションに関しても、たしかに4頭身程度のSD体型なのだが、見ようによっては(ポーズのつけ方と写真の撮りようによっては)普通のプロポーションのようにも見える。SDだからといって、強引に寸詰まり体型にするわけではなく、四肢の動かし方にも説得力がある。そのあたりも絶妙に出来ている。

  キャラクターとしては、第2弾の3人の人気が高いようだ。今回(第4弾)は、瞳孔が縦長の無表情系(?)ツリ目キャラに、赤目+片目隠れの邪笑キャラと、やたら濃いデザインを持ち込んできた。今回は武器セットに長物(剣)が入っているので、アグレッシブな表情を入れたのだろうか。顔パーツは他のキャラに組み替えられるし、今後も楽しみ。
  (次はそろそろショタキャラでやってくれませかね。)

  ガチャポンと箱売りの両方があるが、いずれにしても買い逃すと後からの入手は難しくなる。一部のホビー店では、ばらし売りもしているが、それはそれで多少高くつく。

  webを見ると、プラモデル(ガールプラモ)というよりは、「シルバニアファミリー」のようなカワイイ人形遊びに近いかたちで楽しんでいる人が多いようだ。まあ、独自カラーリングで塗装してメカパーツをゴテゴテ盛り付けるような路線とは違うよね。

「AQUA SHOOTERS!」、第4弾の星乃さん。攻めまくったキャラデザをいきなり突っ込んできたのに驚いた。(本心:いいぞ、もっとやれ)


  「人類の滅んだ遠未来世界で、ロボットだけが元気に活動している」というシチュエーションの創作は、現代ではもはや成立困難だろう。コンピュータはきわめてデリケートな機械であり、頻繁にメンテナンスしなければならず、環境変化(気温や湿度)にも弱く、もちろん動力供給も絶対に欠かせないということを、現代の我々は知ってしまったし、フィクションとしてすらそれを裏切れないほどに強固な現実感覚を確立してしまった。コンピュータや機械に関する認識が、基盤部分から劇的に更新されたのだ。
  90年代以前には、ロマンティックな「遠未来のロボットの楽園」モティーフが表現されていた。最も著名かつ象徴的な実例としてアニメ『天空の城ラピュタ』(1986年)のロボットが挙げられるし、『ヨコハマ買い出し紀行』(連載開始は1994年)の頃にも、それに類する牧歌的夢想はまだぎりぎり成り立っていた。しかし、00年代半ば以降の我々には、崩壊寸前の廃墟プラント群や、遺されたストックパーツを探し回るロボットといった描写の方が説得力がある。近時の漫画で例を挙げるなら『少女終末紀行』『鍵つきテラリウム』のような機械文明の断末魔の世界像であり、ゲーム/アニメで言えば『planetarian』(2004年)のような壊れかけのロボットこそがよほど身近なのだ。一時期は「ナノマシン」という便利なガジェットが、超長期的なオートメンテナンス機構として時間的稼動限界を飛び越えさせていたが(例:『∀ガンダム』『R.U.R.U.R』)、都合が良すぎたのか、10年代以降はほとんど顧みられなくなった。
  仮想空間の存立もまた、物理的なインフラによって支えられている。言い換えれば、エネルギーの持続的供給と物理的なメンテナンス無しには維持できないというのが、現代人の自明の常識的前提になっていると言える。PCゲーム『BALDR FORCE』(2002年発売)の頃には、仮想空間で電子化したヒロインと永遠に一体化するというロマンティシズムが描かれていたが、現代の我々が(再)プレイしたら、その描写は牧歌的にすぎるように感じてしまうだろう。
  そう考えると、ロボットの作動限界時間を突きつけた『まほろまてぃっく』(原作漫画は90年代末に開始)はわりと先進的…と言うほどでもないが、少なくとも「時代に一歩先んじていた」とは言えるだろうか。雑駁に言えば、『まほろまてぃっく』のシチュエーションをセンチメンタルにしたのが上述の『planetarian』なのだが、双方の制作時期の間には5年もの懸隔がある。そしてそれは、高度なコンピュータデバイスが一般人にも急速かつ広汎に普及していった00年代初頭の5年間だった。

  90年代末には、「マスターとの思い出を心に秘めつつ一人でのんびり暮らす遠未来のセリオさん」のSS(二次創作ショートストーリー)があったりしましたよね。そういうイマジネーションの美しさが失われるわけではないけれど……あのようなイマジネーションを私たちはもう二度と持つことができないのかもしれない。
  遺物としての高度文明というのはやはり好きだ。過去の高度文明時代からの技術継承が断絶してしまった退嬰的時代の物悲しくもロマンティックな風景。これはこれで頻繁に用いられており、『ナウシカ』や『スクラップド・プリンセス』のような著名な作品にも見出されるし、『ソラノヲト』もこのアプローチだった。遡れば『タイムマシン』にも同じ趣向は見出される。


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  然り。入学試験でもそうだし、大学によっては学部科目の定期試験でも厳格に処理している。例えば、記述式の出題をする場合に、以下のようにする。
  1) 回答冊子の表紙の片側に受験者氏名を書かせる。
  2) 事務方は、表紙の両側に同一の数字(仮のIDナンバー)を記入して、照合可能にする。そのうえで氏名の書かれている方を切り取り、受験者を識別できない形にして、冊子本文だけを教員に渡す。
  4) 教員は、本文だけを見て採点する。
  5) 事務方が採点結果を受け取り、ナンバーと氏名を照合して、成績をデータ入力する。

  学部の定期試験レベルであれば、そんなに厳格にはしないところも多いと思うけど。

  そもそも入試レベルの重大な試験だと、採点者は1人だけではなく、2人以上でダブルチェックするのが普通だろう。つまり、特定の受験者だけを不正に加点して合格させることが出来ないような制度にしている筈だ。当然ながら、作問者や採点者が誰であるかは外部には知らせない。いやまあ、本気で不正をしようと思ったら、そりゃまあ、しけんもんだいそのものをろーえーしてしまうことも不可能ではないけれど、そのような不正に加担するメリットと不正が露見した場合のダメージを天秤に掛けると、ほとんどの場合はまるっきり割に合わない(※正直に言って、仮に1億円もらえるとしてもノーと返事をする可能性が高い)。

  とはいえ、司法試験ですら、ろーえー事件はあったからねえ……。いがk(以下略)。

  不正の話ではないが、京都大のアメフト部は、有望なアメフト高校生がいると部員たちが寄ってたかって無料で家庭教師をしまくって学力を引き上げて入試合格させて、アメフト部に入部させるのだという噂を聞いたことがある……って、実話なのか。そして、今でもやっているのか。問い合わせに身長体重の記入欄があるのが、まあ、なんというか……。
  [ gangsters-web.com/recruit/direct/ ]
  スポーツ推薦制度の無い国立大ならではの人材確保手段だ。私立大(や私立高校)ならば、学校の名前を上げるためにスポーツ推薦やスポーツ特待生制度をバンバン出せるのだが(※大学のあり方として、それが良いことなのかどうかは疑問もある)。いずれにせよ、京大生たちがみっちり仕込めば、たいていの高校生は入試合格水準まで学力を上げることが十分可能だろうし、そうやって彼等は「強いアメフト部」を維持してきたのだろう。まっとうに学力を上げさせて正面から受験させているわけだから、客寄せパンダのようなスポーツ推薦に比べればはるかに健全だ。
  とはいえ、それでも、「それは正しいことなのだろうか?」と、釈然としない思いはある。何が悪いのかというと、よく分からないのだけど。あえて言うなら、「どのような形であれ、大学の内部者(学生やサークル関係者)が、個々の受験者に対して組織立って介入するのは、入試の公正さを歪めているのではないか」というところだろうか。
  それから、もしかして「無料家庭教師をする代わりに、合格の暁には必ずアメフト部に入部します」というような契約が結ばれているのだとしたら……という疑念もある。いやまあ、こういう類の、相手の人生を縛るような抑圧的な約束は、他でも(以下略)。

  受験要項にも書いてあると思うが、「服装は無地」というのも、もちろんきわめて重大な問題だ。要するに、地図や英単語がプリントされていたらまずいから。間違ってそういうものを着てきてしまったら、「上に何か着て、前もきちんと留めて、完全に隠して下さい。それが出来なければ受験を認められません(退室してもらいます)」と指示されるだろう。

  大学毎の二次試験でも、当該大学の教員が各部屋の試験監督をするのが通例だろう。大学一回生の時の話題で、「私が受けた教室の試験監督は、○○講座の××教授だったわー」、「俺の部屋はたしか△△先生だった」と話していた。

  えっと、まずいことは書いてないよね。しゅひぎむとかにはふれていないよね。


  [ https://www.youtube.com/watch?v=UQ0enynRuWA ]
  「ドーラク」#78、井澤さんが大盛り上がり。楽しそうでいいなあ。


  1/19(日曜)のインテックス大阪は、
- こみトレ(4&5号館)、11:00-15:00
- 関西コミティア(2号館)、11:00-15:30
- ドールイベント(1号館)、11:30-15:30
の3つが蝟集した濃厚マニア異空間になる模様。

  ドールイベントは、私自身はそれほど深入りしないつもりだから、最初に軽く覗いてこよう。入場列が長かったら困るが、その場合は仕方ない。ブース数は550とのことだから、11時過ぎに現地入りして12時前には離脱するくらいの心積もりで、あまり長っちりしないように気をつけよう。ドールに手を出すのは危険だから、基本的には何も買わないつもり。入場料1300円。下手をしたらドール服だけで2万円くらい使っちゃいそうなんですけどね。
  こみトレは入場待ちが長そうだが、完売したり早めに撤収したりするサークルが出るので、あまり後回しにはできない。13時半までに島中全体を一巡するのを目処に行動したい。残念ながら、ゆっくり見て回ることはできそうにない。支出は20000円くらいまで。カタログ(=入場証)は購入済みなので、土曜日のうちにざっとチェックして、当日は効率的に動けるようにする。
  コミティアの混み具合や捌け具合は分からない。サークルさんが長時間いてくれることを期待しつつ、13:30から終了時刻まで最大2時間は会場にいられる筈。しかし、1200スペースとのことだから、1スペースあたり6秒しか見られない計算になる(ひどい)。カタログ(=入場証)は1000円。会場では5000円くらいは買うかも。

  帰りは、日本橋に寄ることも可能だ。
  中ふ頭(ニュートラム)→住之江公園(四つ橋線)→なんば(ここからさらに千日前線で日本橋駅まで乗ることもできる)だと、ちょっと遠回りだろうか。
  中ふ頭(ニュートラム)→コスモスクエア(中央線)に乗り換えて、本町(御堂筋線)→なんば、あるいは、堺筋本町(堺筋線)→日本橋or恵美須町、のどちらにも行ける。
  いずれにせよ、乗り換えがスムーズだとしても40分ほど掛かるので、ポンバ近辺に到着するのは16:20くらいになる。うーむ。帰宅のことを考えると、日本橋に滞在できるのは1時間かそこら。もちろん月曜日も仕事はあるし、一日歩きづめでは疲れてしまうし、即売会で財布のHPが削られていることだし、昨年8月と12月にも行ってきたところだし、今回はやめておこう。

  ……あ、あれ? 見つからない……こみトレのカタログはどこに置いてたっけ?(おばか)


  オタク出費が嵩んでいる(自分でも分かっている)ので、家計簿をつけるのが気が重い。

  家計簿のタブで、2019年11月を「1911」、19年12月を「1912」と表記してきたのだが、その様式で行くと20年1月が「2001」となってしまい、2001年のように見えてギョッとする。2021年になるまで、この不気味な錯覚から逃れられそうにない。
  ちょっと別の問題になるが、下二桁ずつで揃えようとして2001年1月を0101、2001年2月を0102…と書いても、数字として処理されると頭の0が消されてしまう場合がある。同様に、元号を使う場合に元年年1月を「0101」とする場合も、「101」にされてしまう場合があるだろう。文字列として処理するように指定すれば済む話だが、けっして気持ちの良いものではない。

  そういえば、平成三十一年硬貨は、そんなにレアでもないのだろうか。昭和六十四年コインは実物を見たことが無いが、気づいていないだけで手にしていたことはあるかも。

2020/01/05

模型雑話:2020年1月~

  プラモデル&フィギュアの雑多なメモ。2020年1月~。(→-/2019年9~12月

「プラスになるラジオ」第49回~の概要

  webラジオ「プラスになるラジオ」第49回~の概要。継続中。
  第1~48回は、別ページで紹介している。

2019/12/31

2019年12月の雑記

  2019年12月の雑記。(→2020年1月2019年11月

HASEGAWA版(右)とVOLKS版(左)の「フェイ・イェン」。どちらもデカールと部分塗装のみ。前者はスケールモデルのメーカーらしくすっきりしたメカニカルな造形。後者は等身を下げた愛嬌ある雰囲気を表現しつつ、脚部は色気のある内股にしている。

2019/12/26

『巣作りカリンちゃん』各種データ

  『巣作りカリンちゃん』の各種データの置き場。
  細かいことはSHC総合wikiに任せるつもりで。