2014/01/05

制作リソースの配分とその評価のために

  AVG作品の「量」「規模」「質」を評価しようとする際のちょっとした話。


  【 一枚絵の枚数評価 】
  現代AVGでは、一枚絵の枚数だけでその作品の「量」や「規模」を測ることはできないし、ましてや作品の「質」の十分な基準にはなり得ない。それが指標にならない(不十分である)という命題それ自体は、一昔前でも妥当していた筈だが、現在では――とりわけ白箱系では――よりいっそう乖離の度合いが進んでいる(――これは、私自身の書いたものでいえば、遡れば何年も前の演出技術論の註28でも書いていたことだが)。

  しかしながら最近でもCG枚数をそのような作品評価のための有効な指標と見做す主張を目にすることはあるし、一定の範囲で、一定の仕方での有効性はあるのだろう。例えば、典型的には黒箱系タイトルでは、イベントCGの枚数如何の問は、端的にポルノ画像の多寡に関する問とほぼ同義であり、その作品のポテンシャルと密接に相関する指標になる。それは、アニメーションシーンの数やインターフェイスの機能的洗練や録音の品質といった他の重要な諸要素とは独立のものである(すなわちそれらを含む総合的な指標たり得ていない)が、しかし、それらの中でおそらく最も重要な要素についての、十分な客観性のある指標の一つたり得ていることは確かだろう(――また、一枚絵の枚数が全てではないとしても、一枚絵枚数の変化などを問う場合には、その問題はその問題として、きちんとしたデータに基づいて正確に検証すべきであることは言うまでもない)。


  【 様々なタイプの素材制作バランス 】
  それでも、コスト配分の仕方は作品によって様々であるという原則的認識それ自体は、変える必要が無い。典型的には、BGM曲数や背景画像枚数、あるいはSD画像の枚数(あるいは有無)などは、作品毎のばらつきが大きい。

  1. BGMの実例検討
  例えば、先日言及した『ツゴウノイイ家族』(D:drive.、2013)は、BGMは10曲しかないが、その代わりに(というわけでもないだろうけど)ヴォーカル曲が8曲も用意されており、全体としてはずいぶんゴージャスな印象を持った。
  ただし、全体的傾向としてBGMの曲数が増えてきたということは、けっして誤解されるべきではない。昔のAVGは、例えば『CANVAS』(カクテルソフト、2000)あたりは、たしかBGMが10曲少々しかなかった筈だ。

  2. 背景画像の実例検討
  また、『瑞本先生の~性教育レッスン!!』(SQUEEZ、2006)のような突き詰めた構成を採っている作品では、背景画像はほんの数枚しか用意されていない。立ち絵シーンのほとんどは授業シーンであって、黒板背景だけでほとんど賄えてしまうからである(――実際には、「教室全景」「黒板前」「教卓前」の3枚の他は、ごく一部の特殊イベントのための学外風景の数枚だけである)。その代わりに、性教育シーンの説明画像が大量に用意されており、ゲームの密度を保障している。作品のコンセプトから考えられた、理に適った編成と言うべきだろう。
  同様に、『はじめてのおるすばん』(ZERO、2001)も、そのシチュエーション設定から予想されるとおり、作中の背景画像は室内各所のものしか存在しなかったという話を目にした憶えがある。さもありなん。

  3. 立ち絵の実例検討
  立ち絵についても、2010年代の一般的な流儀は、解像度の高い(そして十分慎重に作画された品質の高い)汎用立ち絵画像を用意して、そこに大量の変化差分を提供しつつ、様々な場面に対応する際にはもっぱらスクリプト演出によって処理するというものになっているが、昔(十年以上前)のAVGでは、特定の場面で使用するために完全新規の立ち絵(に分類される)画像を制作してその場面に嵌め込んでいくという対応が頻繁に行われていた。
  『痕』(Leaf、1996)の嵌め込み立ち絵については先に紹介した(演出技術論Ⅳ-4-1-αの追記コメント)が、それよりも今風のスタイルに近づいた『ToHeart』(Leaf、1997)でも、「矢を構える」「格闘の構えを取る」「怪我をした」「弁当箱を手にする」「授業中(教室の背景画像に嵌め込まれる)」「携帯を開く」「ダウジングをする」「口づけをしようとする瞬間」「格闘時・蹴り」「格闘時・必殺技」「スカートを持ち上げる」「気絶して倒れそうになる」「屈んで犬に話しかける」「エアホッケーをする(背景嵌め込み)」「迷子の少女をあやしている(遠景用嵌め込みの全身画像)」など、特定場面の具体的描写のために専用立ち絵画像を大量に用意している。
  『腐り姫』(Liar-soft、2002)の人物画像嵌め込みスタイル――画像サンプルは演出技術論Ⅳ-4-1-βの追記部分を参照――は、非常に個性的ではあるが、その個性は「遠景使用」「単色立ち絵」といった点に存するのであって、立ち絵嵌め込みそれ自体は当時としてはそれほど特異なものでもなかったと言うべきだろう。
  アドホックに専用立ち絵を制作していくスタイルと、汎用立ち絵を基にしてスクリプトで構成していくスタイルについて、それぞれの得失(例えば、内容面でも制作体制面でも大規模化したAVGにとってどちらが適しているか)や、前者から後者への移行の歴史があったとしてそれがどのように跡づけられるかは、あらためて慎重に検討されるべきだろう。たとえば、上で言及したLeaf作品群についても、「あれは当時としても例外的だったのだ」ということになる可能性はある。後考に俟ちたい。


  いずれにせよ、経済的/人的/時間的なリソースをどこにどのように配分するかは作品によって異なり、そしてそれはそのゲーム作品を構築する設計上のコンセプトと明確に関係している。


『瑞本つかさ先生の【エッチ】を覚える大人の性教育レッスン!!』 (c)2006 SQUEEZ
60個にも及ぶ「性教育授業」パートでは、数多くの説明画像がスライドショー的に表示される。