2014/01/23

翻案の意義・再説――独自性と忠実性の間で

  翻案の意義・再説――独自性と忠実性の間で


  創作物を「翻案」するということ――つまりアニメ化したり漫画化したりとマルチメディア展開するということ――は、原作の単なる(擬似的)再現を行うものではなく、原作を原案として視野に入れつつもそれはそれとして新たな創作を行うことであり、そしてそれゆえ、その評価は「原作との類似の度合い(いわゆる再現度)」をもってするのではなく、その作品固有の美質を探求するという形であるべきだ、ということは以前(cf. 「同作異演の可能性」)から一般論として述べてきたことだが、ただししかし、いわゆるキャラ萌え文化の領分では必ずしもそれだけではなく、原作で発揮されていた魅力を損なうことが無いように、できるだけその美質を継承するようにするという、忠実性によって得られる価値の占める範囲が比較的大きいということができるかもしれないということもまた意識されられてきた。それは特に――公然と言及するにはデリケートな問題なのだが――キャストの同一性という側面がしばしば槍玉に挙げられてきており、「まさにその声であること」をキャラクターのアイデンティティの核心部分に据えて捉えようとするその声優尊重的姿勢についてはあまり悪く言う気になれないのだが、しかし私は原則的姿勢としてはそうした主張には賛同できなかった。

  ところが、キャストとは別の場面で、それとよく似た意識が私の中にもあるということに気付いた。PCゲームのVFBや公式サイトなどで、制作スタッフの知人たちから寄稿された、いわゆる「応援イラスト」について、それらを面白いと感じたことはほとんど無い。それは、一つには(そして最大の理由は)、それらのイラストが、非常に多くの場合、単体としての鑑賞に堪えるほどの出来ではないからだが、のみならず、原作におけるそれらのキャラクターの魅力にまったく叶わないからでもある。ただし、上に述べた立場を一貫させるならば、それが例えば「ゲーム発売前の(ということは本編でそのキャラクターがどのように振る舞っているかをまだ知り得なかった時点で)描かれたものであること」、つまり原作に対する(無)理解という条件は、そのイラストの単体としてのクオリティ評価にとっては基本的に関係無いということになる筈だし、また、原作におけるそのキャラクターのありようとはまったく異なっていたとしても、その相違の度合いが自動的にそのイラストの評価に直結するということは無い筈である。にもかかわらず、応援イラストを退屈がってしまう私の意識には、もしかしたら、それらのイラストが原作におけるキャラクターたちの像と似ても似つかないが故にそのイラストの評価を過度に引き下げてしまっているのではないかという反省がある。自分でもよく分からないのだが。

  ただし、もしもそのような心理的メカニズムが私のものだけではないならば応援イラストに対して大きな不満の声が挙がるものではないのかと思えるが、実際にはそのような感想を目にすることはほとんど無い(――というか、記憶のかぎり一度も、どこでも目にしたことは無い)。私以外の人たちは応援イラストの慣習をもっと好意的に見ているからなのか、それとも私以外の人たちは応援イラストでも虚心に見ることができるのか、あるいは(例えば二次創作文化に慣れているといった事情で)イラストについては異工同曲を受け入れる素地が出来ている(そして他方で声については、そのような同曲異演にあまり慣れていないのかもしれない)といったことでもあるのか、もしくは声の演技については(素人にとっては)巧拙適否を評価することが比較的困難であるがイラストについてはその技量や完成度などを適切に認識することが相対的に容易であるといったことでもあるのか、はたまたそれ以外のなんらかの事情があるのか、これもまったく分からない(――もしもあまり好みでなかったとしても、そういうことは口にしないという世間的なマナーを、私以外の人たちはきちんと守っているという可能性もあるが……)。私にしてみれば、むしろ、イラスト(画像)については「まさにこの一枚こそが」「まさにこの表情、この立ち絵こそが」という確定された視覚情報があるが故に、現物(原作)に対するのめり込みは大きくなりやすく、他方で声優の芝居については、瞬間瞬間にどんどん流れ去っていくものであるが故に、「これこそが」という確定情報としてのフェティシズムは発揮されにくいのではないか、と考えてしまうのだが、実際には、オタクたちの関心は画像の忠実性にはあまり向けられず、その一方で声の同一性という捉えがたき要素について奇妙なこだわりを見せている。不思議なものだ。

  男性向けアダルトゲームが、静止画としての立ち絵や一枚絵の品質を追求しており、それはアニメや漫画と比べてはるかに強く意識されており、そして実際にも高い水準で行われているにもかかわらず、それらについての同人二次創作は随分少ないという、少々意外に思われるかもしれない事実も考え合わせて、声や絵の原作忠実性がどのように求められているかは、非常に複雑な問題であるように思われる。


  関連する議論として、拙稿「同作異演の可能性」、「同一キャラを別の原画家が描くばあい」なども参照。寡聞にして、オタク界隈では、翻案の意義についてのまとまった文章を目にしたことが無いが、何か良い論考があるだろうか。