使い魔、謎ペットや普通のペット、マスコットキャラなどについての雑多なメモ。
基本的には、この手の下品な使い魔キャラや謎生物ペットは好みではない。作り方がイージーだと思うし、外見や言動もわざとらしすぎることが多いし、しばしばそこだけリアリティのレベルがずれてしまって落ち着かない。オタク文化の中で、いつまで経っても馴染めない要素の一つだ。しかしながら、注目している役者さんが演じられるとなると、見方は変わってくる。すなわち、「出ずっぱりになって台詞をたくさん聴ける」「アダルトシーンの可能性を気にしなくてもよい」「通常のヒロイン役とは一味違った芝居を聴ける」と、メリットも多いのだということに、ようやく気付いた。物語に対して斜めから関わってくるサブキャラでありながら、出番が多く、しかもどろどろせずに最後まで楽しくいられるというのは、要素だけを形式的に取り出してみればわりと理想的な位置づけなのだった。
使い魔(「お供」)やペットがはっきりと奇抜化したきっかけは、90年代後半の『CCさくら』だろうか。トリックスター的キャラ全般としては、もっと遡りそうだが(――極端に言えば、ドラえもんだってこの伝統の中に数えられるだろうし、80年代の高橋留美子作品にも非人間型の賑やかしキャラは無数にいた)。
美少女ゲームでは、魔女っ娘や魔法少女でなくともペット/お供キャラを連れていることが間々ある。『ましろ色』のあいつはきつかったなあ……。『マジカルウィッチアカデミー』の帽子生物「ジークフリード」も苦手だった(――『えん魔くん』のパロディのようなところもあったが)。『シュガーコートフリークス』も、リーガン(呪いのペンギン人形)が動き出してから一気に品下がってしまった。他方、『淫妖蟲』の「夜」所長や、『ときパク』のフィー、Eushullyのアナスタシアとかは、そんなに嫌いでもなかった。『カルマルカ』の陸亀「ノコ」は、上原氏の腹話術演技が面白かった。『マジカライド』は、謎生物を主人公にする(そしてその由来を明らかにする)というアプローチによって、その奇矯さと違和感を解毒することに成功したが、考えてみればこれは『パティシエなにゃんこ』と同じ路線なのだった。なまじ本筋に深く関わってくると、『蠅声の王』のプレーリードッグのようなことになる。「お前が物語にオチをつけちゃっていいのかよ!」と。いや、いいんだけど。
そういえば、人間のコミュニケーションを理解する「謎生物/使い魔/マスコット」や、ベッドサイドに置いてあったりする「(不気味な)ぬいぐるみ」とは別に、ごく普通の意味での「ペット」を飼っているキャラクターってあっただろうか。……えーと、多少はいるか。猫(例:『にゃんカフェ』)とか、犬(『はるとま2』など)とか、「わんこ」(あれとあれ)とか、盲導犬(『ク・リトル・リトル』)とか、熱帯魚(『こみパ』)とか、金魚(『仏蘭西少女』)とか。鳥類は、意外にいない。『ナツユメナギサ』の舞台は野良ペンギンたちが闊歩している人工島であるらしいが。ペットとはちょっと違うけど、馬(『WR』『バカ燃え』)とか、学校でのウサギ飼育(『ここころナビ』『THE GOD OF DEATH』)とか、変わり種としてはライオン(『英雄*戦姫』)とか。黒箱系でペットを飼うのは、そのペットにとっては死亡フラグみたいなものだけど、まあそれはともかく。田舎舞台のタイトルだったら、ペット描写が多くても良さそうなものだけど、なかなか見かけない。
全体として、ペットキャラクターは少ないと言っていいだろうが、その理由として想像されるのは、1)小動物は画面に入れにくい(カットインなどの対処はあるが)、2)物語に絡ませにくく、登場させる意味が薄い、3)普通の動物を描くうえでの問題がある(人間は萌えキャラ風にデフォルメしているので、リアルな動物を描くとミスマッチになるし、かといって動物を独自にデフォルメするのもセンスが要る。謎生物が幅を利かせる理由でもある)、4)コミュニケーションが成立しない(だから謎ペットに取って代わられる)、5)他のキャラクターの行動を制約してしまう(例えば大型犬は電車に乗せられない)、といったあたりだろうか。ともあれ、「動物を飼う」というのは、キャラクターの性格表現として好都合だろうし、情景表現のちょっとしたアクセントとしても良いと思うのだが……。アメリカの一般家庭はなんらかのペットを飼っていることが非常に多いので、『To Heart』の宮内家(日米の国際結婚家族)がペットを飼っていたのはキャラクター表現の一環として的確だった。