2016/02/16

『LEVEL JUSTICE』再説

  『LEVEL JUSTICE』の表現世界について。

- はじめに
- 1.背景画像のアングル設計
- 2.非全画面背景の意義
- 3.都市の風景
- おわりに


  【 はじめに 】
  ソフトハウスキャラ(有限会社キャラ)が2003年に発売したSLG+AVG作品『LEVEL JUSTICE』は、マッドサイエンティスト主人公の立場で、悪の組織「ヴァルキル」の様々な活動に関わっていくシミュレーションゲームである。現代のアダルトゲーム分野では比較的稀少なSLG作品であるというだけでなく、そのゲームシステムの枠組から展開される状況変化の内容及び多様性もたいへん興味深いが、視覚表現の次元でも野心的な挑戦がさまざまに見出される。本稿では、PCアダルトゲーム分野の広がりの中で本作の位置づけと再評価を試みる。

  以下の議論は、基本的には、拙稿「舞台設定における田舎趣味と都会趣味:実例検討(2)」、「非全画面の背景画像(2)」、「インターフェイスデザイン:実例検討(3)」を下敷きにしている。併せて参照されたし。



  【 1.背景画像のアングル設計 】

『LEVEL JUSTICE』
(c)2003 ソフトハウスキャラ

(図1)
  本作には、プレイヤーの参加的要素の強いSLGパートと、テキスト進行ベースのAVGパートとがある。
  AVGパートの画面作りを見てみよう(図1)。まったくなんでもない花屋でのシーンだが、背景画像が極端な角度の仰角構図になっていることが目を引く。それに対して、中央の立ち絵はプレイヤーの視線と正対する角度で表示されており、背景画像との間には大きなズレがあるように見受けられる。これがまず第一の特徴だ。

  現代の一般的な(ほぼすべての)アダルトPCゲームでは、汎用的に使用される背景画像は、おおむね通常の人間の通常の視界(高さ150~170cmのアイレベル)に相当するような、ごく常識的なレイアウトで描かれるものだ。背景と立ち絵の位置関係も、実際には必ずしも写実的な整合性は確保されないが、一応は単一の視点からの同じような見え方として表示される。

  しかし本作では、「立ち絵+背景」シーンでも、このように極端な仰角または俯瞰の背景画像が頻出する。それらは――そのアングルに擬似的にカメラの存在を想定するとして――、通常の人間の視界を離れ、そして時として地面をすら離れている。

  他の場面も見てみよう。

(図2)
  図2は、ビル街でのシーンである。ここでは、背景画像は、はるか上空からの俯瞰構図になっており、そして、人物立ち絵との空間的なすり合わせは――つまり、人物がその場所に立っているように見えるかどうかは――完全に放棄されている。さて、これははたして失敗なのだろうか? それとも、なんらかの特有の表現意図/表現効果が見出される(べき)ものだろうか?

(図3)
  続いて、図3のレイアウトはさらに極端だ。なにしろ、背景画像はビル街を真上に見上げている。そしてその上に、通常どおりの正面立ち絵が堂々とオーバーラップしているというエキセントリックな構図だ。このようなレイアウトが、偶然や勘違いや失敗などで実行される筈は無いだろう。

(図4)
  ただし図4は、一見すると、わりと穏健な俯瞰にのように感じられるかもしれない。実際には、図2と同様の見下ろしレイアウトなのだが、ここでは背景画像がいわば、抽象的にロケーションを表示するカットインのように感じられ、それゆえ写実志向の整合性の不在に対する違和感を持たせないのだろう。

  このような極端な背景レイアウトはきわめて稀なものであり、国内商業アダルトPCゲームの枠内では、これに匹敵するものはほとんど存在しない。そのくらい大胆なものだ。今世紀のタイトルでわずかに比肩しうるのは、闊達自在な劇的空間を作り上げた『Forest』(Liar-soft、2004。リンク先は見本画像。以下同様)や、ゲームブック型のシステム再現に挑戦した『蠅声の王』(LOST SCRIPT、2006)くらいのものだろうか。幻想的な館内空間を描写した『神樹の館』(Meteor、2004)ですら、ごく一部のイベントCGで騙し絵のような表現を導入したものの、背景画像はしごくオーソドックスなレイアウトを維持している。

  それでは、このような背景画像レイアウトが担っている意味作用は、どのようなものであると考えられるか。ここであらためて、本作のSLGとしての(ストーリー上、シチュエーション上の)コンセプトに立ち戻ってみよう。最初に述べたとおり、本作は、悪の組織に雇用されたマッドサイエンティスト主人公が、配下の怪人を作成しながら政府のテロ鎮圧部隊(実態はコスプレヒロインズ)と戦うというものである。つまり、TV特撮番組の典型的なシチュエーションを悪の組織の側からコミカルに描いてみせた、パロディ作品の側面がある(――「ヒーロー」に対する「悪人側の事情」、「勇者」に対する「魔王」に目を向けるのは、2010年代ではすでに陳腐化するほど普及した視座であるが、2003年当時はまだそれほど取り上げられてはいなかった)。そうしたコンセプトの下にあって、このダイナミックな背景表現は、おそらく二重の意味を持つ。つまり、両義的な関係に立っている。

  一方では、ごく一般的なアイレベルでの背景作画にしないことは、つまり、通常の(ゲーマーにとっては「自然」だと感じられる)レイアウトをはっきりと逸脱した仰角/俯瞰構図を用いることは、明確な作為の存在をプレイヤーに意識させるだろう。すなわち、そこに(擬制的な)カメラの存在を、そしてカメラワークの感覚を通じて実写寄りの「写し取り」の感覚を、プレイヤーの中に印象づけるだろう。この印象が、少なくともある面では、本作の特撮映像らしさの印象を下支えしている。そしてさらに、「カメラ」の模造という枠組的な観点だけでなく、ジャンル内在的にも、特撮風の大袈裟でぎこちない誇張表現や視覚効果(VFX)の記憶をプレイヤーに対して刺激することになる。

  しかし、それだけではない。本作のレイアウトが、ただ単に映像らしさへの追従を目指すものでないことは、背景と立ち絵の間の(表見上の/あからさまな)ミスマッチからも明らかだ。立ち絵と背景の写実志向のマッチングを大胆に放擲した本作は、特撮的演出へのセンシビリティをプレイヤーの中に生み出しつつ、しかし特撮的(映像的)センスに素朴にすり寄るのではなく、むしろゲームが培ってきた様式性を梃子にすることによってそれを超えていると見ることもできるのだ。私見では、本作の一見無謀な立ち絵/背景のオーバーラップは、先述のようなカットインの感性を下敷きにしている。SLGであれAVGであれ、ゲームの画面は、自明自然の映像などではない。多様な要素が様々に表示され、無数の相互作用がそこで行われるところの、そしてそうであるように/そうあるために構築された視覚的インターフェイスだ。

  そしてそれはとりわけ、SLGパートとAVGパートが同居し頻繁に交替するSLG作品ならではの強みだったのかもしれない。すなわち、そもそも多元的/構成的/人為的/機能志向的/相互作用的性格の強いSLG作品だからこそ、こうした作為的なレイアウトの成立する余地が大きかったのであろうし、また、SLGブランドだからこそそのような機能志向の発想と実験を行いやすかったであろう。実際、ソフトハウスキャラだけでなく、同じくSLG系作品(非AVG作品)を作り慣れているブランド群、とりわけEscu:de、alicesoft、Eushullyの作品にも、AVGパートのレイアウトや演出についての野心的な試みは――もしかしたら普通の専業AVGブランド以上に――しばしば見出される。『アトラク=ナクア』alicesoft、1997)におけるノヴェルゲームとしての視聴覚演出の先進性はつとに名高いし、『ワンダリング・リペア!』及び『ヴェルディア幻奏曲』(2008)以降のEscu:de作品に見出されるインターフェイス及び演出の洗練は瞠目すべき成果であるし(後述)、Eushullyもとりわけ『神採りアルケミーマイスター』(2011)以降でAVGパート演出を洗練させてきている。カットイン的な背景配置も、alicesoft(『ママトト』など)やEushully(『空帝戦騎』など)でたびたび実行されている。

  逆の見方をすることもできる。純粋な読み物AVG作品であったならば、このような極端な背景画像レイアウトは、おそらく――本作の場合よりもはるかに――プレイヤーの視覚と精神を気疲れされただろう。本作の場合は、SLGパートとAVGパートが定期的に入れ替わることもあり、そうした気疲れは生じない。それどころか、このカメラアングルの激しさが、プレイヤーにとって良い刺激のある抑揚になり、あるいはこの作品の目眩のするような劇的状況を視覚的に演出すらしているだろう。こうした点からも、SLG+AVG作作品の特殊性と、それに基づく表現上のアドヴァンテージを認識することができる。



  【 2.非全画面背景の意義 】
  次に、この背景画像に関して、もう一つの要素に注目してみよう。先の引用画像(図1)を見ると、背景画像は全画面ではなく、上下に水平の黒帯(レターボックス)が掛けられていることに気づく。90年代末から、PCアダルトのAVGでは全画面背景が支配的になっている(一説には『雫』[Leaf、1996]以来とも言われている)が、全画面背景ではないタイトルも少数ながら存在する。本作はその一例であるが、もちろんこのレイアウトにも、特有の意味があるだろう。

  一時的なレターボックス付与は、「他者視点」「回想」「進行を中断したモノローグ」などを表すものとして、AVG分野でその用法及び意味作用は文法化されている。他方で、全面的なレターボックスレイアウトにも、(コスト節約以外に)様々な効果が見出される。1)例えば『誰彼』(Leaf、2001)、『朱』(ねこねこソフト、2003)、『MERI+DIA』(ぱれっと、2005)では、レターボックスは比較的素朴な映像模倣的デザインと言えるだろう。この三者の場合、立ち絵はレターボックス(でありかつテキスト表示領域であるところ)にオーバーラップしていないという点にも、特徴がある。個人的には、その映画志向的アプローチの通俗性はあまり好きではないが、AVGの枠内で実行可能な、ありうるスタイルの一つではある。2)あるいは、和風伝奇ホラーのVN『アトラク=ナクア』や遠未来SFのメカニカルなSTG『apocalypse』(NEXTON、2003)では、その世界の見えづらさや緊張感を視覚的に体現し、あるいは読み物らしい抽象性やSTGの機能性に相応しいレイアウトになっていたと言えるだろう。3)さらに、アダルトゲームブランドでの人間模様を描いた『らくえん』(Terralunar、2003)や、視点人物が頻繁に入れ替わる刹那的なラブストーリー『Imitation Lover』(light、2006)では、レターボックスの作為性は、主観の相対性を意識させることにも寄与していると見做すことができる。このように、非全画面背景という画面構成には、それぞれに作品コンセプトと結びついた表現効果(意味作用)を見出すことができる。 

  それでは、『LJ』においては、レターボックスの機能的/演出的作用はどのようなものであると考えられるか。これについて、私の中ではまだはっきりした解釈はまとまっていないが、先に述べたような、a)映像的感覚への示唆や、b)カットイン的性格の強調といった側面のほかにも、様々な作用を想定することができよう。例えば、c)パロディものとしての、ストレートでない距離感を示したり(とはいえ、にもかかわらず、この悪の組織「ヴァルキル」の生活風景は、たいへんに親密で居心地良く、むしろ深く没入感を誘っていたりもするのだが)、あるいは、d)SLG作品らしいスタイリッシュな機能性と足並みを揃えてもいるように思われる。さらには、e)このレターボックスは、もしかしたら、この90年代末以降の(つまり現在の潮流にまっすぐつながっている)アダルトゲームとしては珍しいことにビル街の無機的な風景を正面から描いている作品の鋭さを、際立たせつつ同時に多少なりとも和らげているかもしれない。



  【 3.都市の風景 】
  背景画像について、第1節ではその構図(アングル)を、第2節ではそのレイアウト(画面上での配置)を、それぞれ検討した。本節では、描かれている(仮想的)対象の次元に目を向けよう。

  本作の他にも、現代の大都会のビル群というロケーションを効果的に用いたアダルトゲーム作品は、いくつも存在する。

  1)例えば、世界各地を飛び回る『Scarlet』(ねこねこソフト、2006)や、日本各地を演奏旅行する『キラ☆キラ』(OVERDRIVE、2007)では、プレイヤーの我々と地続きの世界としてのリアリティが、背景画像から提供されている。これは、上記『らくえん』『おたく☆まっしぐら』(銀時計、2006)、『アキバ系彼女』『私立アキハバラ学園』『おたマ!』における秋葉原風景にも共通している。『ままらぶ』(HERMIT、2004)が、TVドラマ的イメージの反復としてのビル街風景を映し出しているのも同じことである。

  2)またとりわけ、脚本家日野亘が参加した(企画主導したと思われる)『るいは智を呼ぶ』(akatsuki works、2008)、『coμ』(akatsuki works、2009)、『こんそめ!』(Silver bullet、2010)は、いずれも都市の周縁に生きる若者たちの生活とそこで発生する様々な劇的状況を取り上げており、その状況設定は、背景画像の現前として、そしてその具体的造形において、視覚表現の次元からも強力に下支えされている。

  3)さらに特殊な例としては、上記『Forest』においては、実在の新宿の町並み(の写真をおそらく取り込んだもの)は、その視覚上/音響上/テキスト上の幻想的性格を逆説的に強めているし、ホラーSF『沙耶の唄』(nitro+、2003)や近未来SF『MERI+DIA』(上記)においては、世界崩壊や気候変動のリアリティに奉仕している。

  そうした名作群に伍してなお、あるいはそれらの多くに先行すらして、この『LEVEL JUSTICE』世界の視覚的構築は、オリジナリティのある人工美に満ちている。魚眼演出のダイナミックな遠景から、めまいのするようなビル街の直上構図、そしてミステリアスなコンビナートの夜景に至るまで。




  【 おわりに 】
  本稿では、もっぱら『LEVEL JUSTICE』の画面構築原理とその表現効果について紹介と検討を試みてきた。もちろん、多面的な媒体であるPCゲームにおいて、注目されるべき要素はこれらだけではない。キャラデザの特質、インターフェイスデザイン、音響効果、フラグ構成や進行管理システムの新奇性、そして特撮パロディとしてのディテールまで、語られるべきことは多い。しかし、ゲーム作品を論じようとする際に、そのヴィジュアルデザイン(と作品コンセプトとの結びつき)の分析は、これまで閑却されてきた。本稿は、そのようなストーリー偏重やゲームバランス偏重の傾向に対して一石を投じようとするものでもある。