2024/11/02

2024年11月の雑記

 2024年11月の雑記。

 11/29(Fri)

徹夜して3体目まで完成させた。共通パーツも多いが、主な違いとして、ツノ周りの形状、胸部(の中央)、両肩上側の突起、足首の突起は、三者とも異なっている。腰の前垂れも、金と青は同一形状だが、黒だけは違っている。また、背面の羽根は、金と黒で共通だが、青だけは独自形状のクリアパーツ。なお、3体の装甲をミックスすることも想定されている(※あしゅら男爵や『Dark Blue』のようなアレ)。
「オルタナティブジャスティスインフィニットドラゴン」単体で撮影。シルバーをきれいに筆塗りするのは(私には)ほぼ無理なので、「表面がガサガサデコボコなのは鋳造表現です!」ということにした。


 クリアパーツの効果を発揮させるには、光を当てたり透過させたりする必要がある。そうでないと、色が識別しづらかったり、パーツ裏側の凸凹が目立ってしまったりする。そういった箇所は、むしろきちんと発色する塗料で塗装した方がよい……というのが今回の教訓。

 上記のシルバーは、VallejoのChainmail Silverを使った。以前に買った一瓶を使い切りそうだったので、もう一つ買おうと思ったら、この「Game Color」シリーズはちょうどリニューアルされていて、塗料そのものも変わっているようだ。具体的には、旧版では粒子感がはっきりしてガサつき気味だったのに対して、新版は粘度が低く(濃度も低く?)なめらかに塗装できる。隠蔽力も、わりとまともで、透けにくくなっているように感じた。下地処理をせずにいきなり塗料を乗せても、メタルカラーがきちんと発色する。これならアリかも。
 (※もしかしたら経年変化のせいかもしれないが。水性塗料は、店頭で手に取ってみると中身が分離してしまっていたり、固まりかけていたりするのよね……。特にシタデルでそういうのを見かけると、お値段の高さもあって悲しくなる)。


 『悪食令嬢』アニメ版は、中村(カ)氏主演とのこと。キャリアはまだ浅いが、役には合っていると思う。主演の『それでも歩は~』は、薄目の呪いを発動させたりしていたし、現在の『歴史に残る~』はアニメとしては今一つな出来だけど……。


MG版のF2ザクは、もったいない出来でしたね……。両肩の引き出し関節などの創意もあったのですが、F2の特徴が無視されて、ベタなヒーロー体型とヌメッとした曲線的な輪郭になってしまい、さらに連邦カラー版と武器を分けあって……。それに対してHGUC版は、設定画どおりのゴツゴツ角張った形状で、大いに満足しました。


 しまった……ソーシャルメディアというのは、文字通り他人と交流する場だった。
 拙い英文でも、独り言の文章を投稿するだけならば、書きたい内容をゆっくり推敲してからポストすればいい。言い回しが「誤解を与えかねない」とか「想定外の別の意味を持ってしまう」という危険性についても、その都度調べればだいたい回避できる(※そのくらいしつこく辞書を引いてから投稿している)。
 しかし、ネイティヴスピーカーからリプライをもらうと、相手が何を言っているのか分からないという可能性がある。SNSでの会話は省略の多い短文になりがちだし、さらにネットスラングが含まれていると、会話の趣旨すら把握できないという可能性も出てくる。これは怖い……。
 以前に手掛けた翻訳書も、スラングで大困りしてネイティヴ話者に意味を尋ねたりしたのだが、もちろんネットでのやりとりを誰かに手助けしてもらうわけにはいかない。なので、「もらった言葉の意味が分からない時に、失礼にならないように質問する表現」をキープしておく必要がある。「すみませんが、英語に不慣れなので、あなたの○○というところが理解出来ませんでした。××という意味でしょうか? ならば……(I am sorry I am not a native speaker and I couldn't understand your words XXX.)」という感じになるだろうか。あるいは、単なるカジュアルなリプライであれば、☆(Like)や絵文字リアクションで済ませることもできる。
 でも、遠くないうちに、ひどい誤読をやらかしてしまいそうな、嫌な予感が……。



 11/25(Mon)

お次はSDガンダム「ドミナントスペリオルダークネスドラゴン」。対象年齢8歳以上なのに、ネーミングはすでに中二(14歳)クオリティ……。先日の金色は「全体(チタンゴールド)を吹き付け+細かいモールドを筆塗り(濃いゴールド)」だったが、今回は逆に、「シルバーを全体吹き付け+地の部分(ブラック)などを筆塗り」にした。どちらでもやれる。
やはりパールコート……パールコートは全てを解決する!!(おばか) 光の当て方を調整するだけで色調を変えられるのが楽しい。ブラックの部分はマット(ツヤ消し)のままにする選択肢もあったのだが、塗膜保護を兼ねてトップコートすることにした。
先日の金色と並べて。もう一つ、クリアパーツだらけのキットが残っているが……やるのか?

 パーツ切り出しと下地吹き付けに2時間。さらに細部の筆塗りで6時間で完成した。今回の制作の技術的コンセプトは:
・久しぶりのSDガンダムに挑戦
・SDガンダムで、パーツ構成(パーツ再利用とヴァリエーション変化)を調べる
・大きな面積を筆塗りする練習
・細かなディテールを筆塗りする練習
・筆塗りのスピード確認
・筆塗り/吹き付けをどのように使い分けできるかの実験
・メタルカラー(水性、筆塗り)をどのように扱えるかの再確認
といったあたり。いずれも一定の成果があった。この程度であれば、下手なマスキングよりも筆塗りの方が速く正確に処理できる(水性塗料なのでリカバーも容易)。ただし、両目や肩にダメージが行きそうなので、あまり多用はしたくない。

 ちなみに、ちょうど今日発売された『Hobby Japan』のオラザクコンテストには、このシリーズ3体をセットで作りきったどなたかの作品が投稿されていた(※選外の小さな写真だけだが)。


 漫画版の『新世界より』を再読したくなったけど、どこに埋もれているか分からないので取り出せそうにない。原作小説は、『人間以上』『AKIRA』のようなミュータント超能力人類との争いから出発して、そこに『ナウシカ』のような生物工学的人間改造(社会的馴致)を組み入れ、さらにウェルズ『タイムマシン』の異形化&階層分化した未来人イメージを投影するという、贅沢にしてチープな作品……なのだが、漫画版はストーリーを大幅圧縮しつつお色気シーン――原作にもあった設定だが――を増量し、それでいて程良くまとめきっていた。作者の及川徹氏はこれが初連載で、その後、異能バトル+SF設定+政治劇のオリジナル漫画『インフェクション』を長期連載した(※そちらも結局、完結まで読み続けた)。



 11/20(Wed)

 FFシリーズでカウンター攻撃が、毎作のように実装されてきたのが、かなり不思議。いかにもユーザーから嫌われそうな――私も嫌いだ――システムなのに、ずっと続けられてきた(※最近のタイトルでは、使われなくなっているようだが)。
 一面では、そういう仕様にもいくつかの理由やメリットがある。1)バトル中の特定の行動を引き出す(例えばイベント台詞や、キャラの性格を表現するような行動)。2)戦略性を深める(敵の行動パターンをよく見る必要がある)。3)強敵らしさの演出(迂闊に攻撃すると、苛烈な反撃を受ける)。
 しかし、デメリットも大きい。1)自軍の弱いキャラが役立たずになる。2)通常攻撃とカウンターの区別がつきにくい(※攻略情報頼みになってしまいやすい)。3)カウンターをしてくる敵かどうかが分からないので、行動が消極的になってしまう。4)そもそも、攻撃を受けた瞬間に強力なカウンター攻撃ができる(しかも回数無制限で、即時反撃)のがおかしい。
 アクティブタイムバトルの枠組から引き出されたシステムだと言われることがある。しかし、実のところ、それとはあまり関係が無いように思える。迂闊な行動をせずに行動の順番を回すことは、古典的なコマンドバトルでも可能だからだ。「通常モード」と「反撃モード」を切り替える敵の場合には大きな意味を持つが、そうでないボスキャラが常時反撃できるのは、アクティヴタイム制とは無関係なものになってしまっている。
 攻撃を受けた瞬間というのは、負傷したり体勢を崩したりしている筈で、そんな状況でも即座に、しかも強力な反撃を、いつでも(何回でも)発動できるというのは、さすがに理不尽に思える。防御態勢のときだけ反撃するというのであれば、まだしも納得できるのだが……。いわゆるファイナルアタックも、死ぬ間際にのみ発動させる(つまりバトルが終了する瞬間のカウンター行動)という、嫌がらせのような行動なので、かなり不快感が強い。
 例えば、「カウンター行動をする敵は、あらかじめ識別できる(例えば、グラフィカルにモードチェンジするなど)」、「カウンター行動は、回数限定である」、「弱めに殴られる程度のカウンターである」といったような 仕組みがあれば、まだしも納得できるのだが……。ちょっとつつく度に、瀕死レベルの強力な反撃をバンバン撃ってくるような敵だと、「反撃を待たずに自分から激しく攻撃しまくれるのでは?」という不可解さも生まれる。ボス敵がカウンター常備だと、こちらのやれることが大きく制限されて、爽快感が失われるのも悲しい。
 プログラムとしては導入しやすく、しかも手軽に強敵らしさを演出でき、さらに対処法も仕込んでおけるというの意味で、便利なシステムであることは確かだが、一プレイヤーとしてはかなりうんざりしている。FF12(2006年)くらいまでは多用されていたようだが、近作では視覚的なモード変化があったり、カウンター敵がいなかったりするようで、カウンターシステムを避けるようになった(?)のは良い変化だと思う。


 SONY/KDKWの件は、あのKDKWの邪悪な体制/体質がまともな方向に改善されたらいいなあとは思うが、SONYはSONYでそんなに良いところでもないので、たいして期待していない。


SDガンダム「スペリオルストライクフリーダムドラゴン」。ベースはエアブラシ塗装で、縁取りやレッドは筆塗りで仕上げた。8歳の子供でも作れるプラモデルだが、全塗装するのはちょっと大変。でも、大雑把な筆塗りでもなんとか誤魔化しは利く。
背面から。ドラゴンらしいので、羽と尻尾が付いている。カラーリングともども、中国趣味のようにも見える。なお、ご覧のとおりの着膨れなので、全身の可動はほぼゼロ。

 メタルカラーを筆塗りできれいな平滑面にするのは難しいので、クリアレッドのパーツは諦めて、全体をゴールド吹き付けした後にレッド筆塗り(+パールコート)で表現した。ただし、類似品の「ドミナントスペリオルダークネスドラゴン」は、部分筆塗りでは困難なところが多いし、さらに「オルタナティブジャスティスインフィニットドラゴン」に至っては、クリアパーツをそのまま使うしかないので、シルバーの筆塗りが地獄のような作業になる。

 メタルカラーは、塗装面が凸凹になると覿面に目立ってしまうのが苦しい。しかも、水性塗料だと粒子が粗いせいで表面がザラつきやすいし、隠蔽力も低く、結果的に厚塗りで表面が荒れてしまいやすい(※私の筆塗りスキルが低いせいもあるが)。
 ラッカーのメタル系塗料だと、隠蔽力はましになるが、健康被害が怖い。私は基本的に、ラッカー系塗料はきちんとした換気環境で、エアブラシでのみ使用している。机の上で、ごく一部のワンポイント塗装をすることはあるが、長時間の塗装はしたくない。溶剤のせいで、筆もすぐに傷むし……。なので、ラッカーの筆塗りは基本的に選択肢には無い。かといって吹き付け塗装をするには、上記キットのディテールは、マスキングが不可能なほど細かく複雑なので、これまた採用できない。
 それゆえ、メタルカラーは基本的に、ラッカー吹き付けで対処することにしている。ものによっては、エナメル塗料やガンダムマーカーを使う手もあるのだが……(※例えば、小さなリベットをガンダムマーカー「メッキシルバー」でちょこちょこ塗ったり)。

 ちなみに、上記SDガンダムでは、濃いゴールドにはシタデル「Retributor Armour」を使っている。さすがはシタデル、隠蔽力が桁違いなので安心して使える。
 水性メタルカラーの使い勝手は、個人的には、「シタデル>>TAMIYA>ファレホ≒CREOS」くらいの感じ。マテリアルの性質や塗装ノウハウに習熟しているモデラーであれば、どの塗料も上手く使えるのだろうけど。
 美術用のアクリルガッシュも使っている。色数が抜群に豊富なのがありがたいし、入手も容易だし、価格もリーズナブルだし、チューブ式なので使いやすい。ただし、プラへの塗料定着は非常に弱い(※ただし、はみ出た部分を削り取れるのはメリットでもある)。また、乾燥の仕方などが特殊なので、塗装の際の扱いがちょっと難しい。スケールモデルなどの局所塗装では便利。

 私はまだまだ下手なので、重ね塗りではついつい筆ムラを起こしてしまう。なので、最近は諦めて、「塗る」のではなく塗料をボッテリと「乗せる」形で、乾燥するに任せておくことが多い。ひとまずきれいな塗面を作れるし、塗り重ねをしないので短時間作業で済む。細かいモールドを埋めてしまわないことだけを注意していれば、わりと便利に使える。


 鼻筋と鼻の穴の描写について。
 アニメ『ネガポジアングラー』や、漫画『ホテル・インヒューマンズ』など、鼻の穴をはっきり描く作品が、近年いくつも現れているのは興味深い。もちろん歴史物などでは、鼻筋を堂々と描くものが多いが、美少女文化に席巻された今世紀のオタク文化では、鼻筋や鼻孔はほとんど描かれない。
 四方田犬彦『漫画原論』によれば、50年代には丸っこくコミカルな鼻描写だったが(例えば手塚治虫)、70年代の少女漫画ではドラマティックで誇り高い鼻筋が――物理的にも高くて長い――明確に描かれるようになった(萩尾望都や池田理代子など)。それが、80年代以降のミニマルな日常志向とともに、自己主張の強い鼻筋描写はどんどん縮小していった(江口寿史など)。
 私見では、それは90年代以降の美少女ゲーム(みつみ美里)や00年代以降の萌え四コマ(あずまきよひこ以降)、さらには10年代以降のアニメやオンラインゲーム(ソシャゲー)などにもずっと継承されている。そうした中で、上向きに尖った鼻先や、鼻の穴まで描き込む作品が現れてきたのは、面白い現象だ。これが大きな変化になっていくのかどうかは分からないが。


 『負けヒロイン』は、アニメ版の演出がものすごい切れ味だったのは確かだが、しかし原作小説のクオリティはそれほどでもないと思うのだけどな……。いや、けっして悪い出来ではないし、アプローチも興味深くはあるけれど、あれがLNでトップというのは、うーん、それでいいの?


 おねえちやんが うすめた とりようの びんを ゆかに ひくりかえしました。
 50みりとるも あつたので ゆかは きれいな しろに なりました。すごいです!
 ふろーりんぐだから だいじよぶだよと おねちやん いつてます。
 めずらしい けいけんだつて おねえちやんは ないてます。うれしなきかな?
 (エアブラシを十年使ってきて、ここまで盛大にやらかしたのは初めて。調色塗料だったので、塗装しきった後だったのは不幸中の幸い。床はひとまずきれいに拭き取って換気しているところ。)



 11/11(Mon)

 プラモ文化の大きな一部分を担っているSDガンダムものを、久しぶりに買ってみた。キッズ向けなのであまり顧みられないジャンルなのだが、新商品が常に大量に出回っており、パーツ構成やキャラ造形にも自由なオリジナリティがあって面白い。パーツ取りの観点でも、個性的で派手なパーツがヴァリエーション豊かに提供されていて、ものによってはコトブキヤMSGよりも使い勝手の良いものがあるし、クリアパーツが多めなのもありがたい(※塗装ではクリア表現がほぼ不可能なので)。
 ただし、やはり、低年齢向けの限界はあって、ごく安価に収めるためにパーツの裏側はスカスカだし、塗り分けはほぼ皆無で、パッケージ見本のように仕上げようとすると地獄のような塗装作業を余儀なくされる。三国志キャラや西遊記キャラや戦国武将をSDガンダム化するという一見不思議なコンセプトで、世界設定などか掴みづらいのも、敬遠されがちだろう。
 とはいえ、500円~800円程度でカジュアルに買えるし、色再現はシールによって賄われているし、組み立てもきわめて容易だ。つまり、「子供たちが気軽に買って、30分足らずでパチパチ組んで、適当に遊べる」ということだから、模型文化の将来世代を育てるという文化的貢献において絶大な功績があると思われる。どのくらい売れているのかなあ。


 いささかセンシティヴな話になるが、物語の中でキャラクターが死ぬこと、殺されることに強く惹かれることがある。もちろん、急いで断っておくが、生死に関わる出来事が強いインパクトを持つのは当然だし、また、加虐的な嗜好ではない。
 一つには、90年代風の「殺され萌え」の流れがある(柏木千鶴、原素子など)。主人公キャラの立場で、誰かから強い感情を向けられること。殺害という特別な非-倫理的な出来事を、そのヒロインとの間でパーソナルに共有できること。そして、主人公キャラの人生全体の幕引きを、まさにそのキャラにしてもらえること(いわば、看取ってもらえること)。もちろん、バッドエンドに特有の、破滅のカタルシスという要素もあるし、邪悪ヒロインが本性を現した特別な瞬間になる場合もある。
 もう一つは、「キャラクターの可哀想な状況」の究極であるという点。死亡フラグを立ててしまった可憐なキャラクターが絶命という結末を迎える有様は、時には儚く、深い惻隠の情とともに、また時にはその無惨美によって、大きなカタルシスを与えてくれる(牧村美樹)。
 もう一つは、キャラクター造形の限界であること。死に瀕した時には、まさにその瞬間にしか見られないキャラクターの一側面を体験できる。ただしそれは、そのキャラクターの本質であるとは限らないが、それでもやはり、最も稀少な一回性の場面であることに変わりはない。また、時間的にも、そのキャラクターの人生全てを見届けたという満足感を持てる場合もある。
 ……でも、『School Days』はいかにも作為的でシラけたんだよね……。


 SNSのいわゆるCW(Contents Warning: 危険なコンテンツを警告とともにワンクッション置く仕組み)がジレンマに面しているというのは、うん、分かる。つまり、一方では、人々は不快なコンテンツを避ける権利があるし、避けたがるだろうし、さらには精神的ダメージを与えるような有害コンテンツも確かに存在する。しかしその一方で、社会改良を主張するような意見は、往々にして「不愉快な」ものごとに関わるものにならざるを得ない。そうした状況下でのCWは、意見をちゃんと読ませたり、上方を拡散させたりするのを大きく阻害し、結果として現状追認を強化する傾向がある。
 双方の方向性が完全に衝突しているので、このアンビヴァレンツは基本的に解決不可能だろう。しかし、あえて言うならば、異論を受け入れ合う文化を形成していくことによって、なんとか問題を緩和していけるかもしれない。というか、そのくらいしか解決策はない。


 「胃~之煮」が最新回まで追いつけた。そして次回から新シーズンに入る見込み。


 非常に慎ましやかな衣装でシリアスな物語を綴っていたタイトルが、余所のコンテンツにコラボ出演したら、半裸メイドルックや「はいてない」構図やベタ濡れ温泉イラストを連発していて、たいへん悲しい気分になった。えろだから、ではなくて、キャラクター造形や元作品の雰囲気を裏切っているという意味で。



 11/06(Wed)

 文章がきれいな人を見ると、「頭が良いなあ」と感心する。ただ単に表面上、美しく飾っているのではなくて、
・言葉の選択が的確にハマっている(ニュアンスが的確だし、曖昧な表現で誤魔化さない)、
・叙述がロジカルに整理されていて、引っ掛かるところが無く、ストレートに読める、
・話題の趣旨や方向性を正しく把握してリアクションしている、
・相手の知識、関心、立場もきちんと考慮したうえで述べている、
といったあたり。要は、正確にピントが合っていてクリアな感じ。ただ単純な内容に引き下げて「分かりやすく」するのではなく、知識と技術と配慮によってコミュニケーションの精度を上げているわけで、そういうことが出来る人は、ただ者ではない。
 私自身もそういう文章を目指している。しかし、そういう文章をサラリと書くことはできないので、ブログやSNSでもわりと時間を掛けて推敲して、できる限り明晰で清潔な文章になるように努力している。なかなか出来ないけどね……。ややもすると括弧()で補足をバンバン入れたくなってしまうので、いつも必死で禁欲している。
 例えば、「~しなくはない」のような二重否定表現は極力避けている。また、「……しかし……その一方で……ただし……」のように肯定と否定の立場が頻繁に入れ替わるのも、論旨の本筋を追いにくくなるだろう。そういうのは、意識的にチェックして抑えるようにしている。なかなか出来ていな(以下略)


 mastodon+海外ユーザー+日本オタク文化というと、こういうサーバーもある。ただし、サーバーのポリシーを読むと、「ろりしょたは蹴るけれど、日本オタク文化ファンダムの場だから、misskeyやmstdn.jpだけは例外的に許容するよ」とされていて、うーん、そんなふうに優遇しなくてもいいのにとは思った。また、アニメニュースや萌えキャライラストも頻繁に流れてくるようで、個人的には、もうちょっとストイックな方が好み。
 とはいえ、日本オタクのタイムラインに近い雰囲気だし、アクティヴユーザーも月間数百人と賑わっているし、misskey対応で3000字まで書けるとのことだし、mstdnのヴァージョンアップもきちんと為されているので、人によっては居心地が良いだろうとは思える。
 海外(主に欧米)のサーバーだと、リアルろりしょたのような本物の社会悪に対してはきっぱりした対応を取ってくれるので、私としても安心できる。生々しいろりしょた性的虐待イラストでも、それが公然と流れていくような場は、やはり良くないと思う(※せめて、もっと潜っていてくれ……)。日本国内でも、例えば『LO』の「オタクだからこそ子供を守ります」というのは欺瞞的だとは思うが、しかしそんな建前でも言わないよりはマシだろう。
 上記以外でも、非-オタクな(一般的な意味での)日本好きサーバーとか、日本語学習者たちのサーバーなどもある。そういうインスタンスが増えていってくれたら、それはそれでありがたい。


 海外オタクたちの中には、私よりもマニアック(マイナー)な漫画を読んでいる人がいる(※もちろん、わざわざ他地域から日本のコミックにアクセスするような情熱のある人が、しかも何万人、何十万人もいるわけで、総体としての彼等に私一人が及ぶわけがない)。
 しかも、彼等自身の社会にとっては、日本の漫画は絶対的に知られていない存在なので、それらに言及するときも丁寧で誠実な紹介から入っていくし、ネットのグローバル&ユニヴァーサルな場での投稿なので、「なあなあ」の説明でお茶を濁すことなく、正確で客観性のある評価をきちんと言語化している。
 そういう場に入ってみると、しっかりしたボリュームのある作品理解の文章に出会えるし、大いに参考になる分析も出てくるし、そして視野の広さと熱意に、一オタクとして身が引き締まる思いがするし、そういう場で鍛えられるのは気持ち良い。「よし、これはやってみて良かった」と感じているし、そしてグローバルオタクたちに対する敬意もあらためて高まった。
 裏を返せば、日本人≒日本語の中だけで内輪のムードでだらしなく流れていくのは、かなり非生産的だし、私はそういうドメスティックな狭さが嫌なので、そこから意識的に距離を取るようにしてきた。もっとも、海外(グローバル)は海外で、独自の偏りや忖度もあるのだろうけど、それについては私の側がそういうのに纏わり付かれずに自力でやっていけるパワーがあるので(つまり、ジャパンネイティヴオタクとしての強みだ)、あまり気にならないだろう。



 11/02(Sat)

 11月2日……「いいふた○りの日」?


 倍速視聴は、私自身は一切していないが、条件と目的によっては、あり得る視聴方法だとは思う。具体的には、
 ・もっぱらストーリーを追いたい(作中で起きる出来事の成り行きを把握したい)。
 ・音響や演出は気にしない(細部のニュアンスは捨ててよいとする)。
 ・大量のコンテンツを把握したい(昔のアニメなり、Y/V-tuberの長時間配信なり)。
 ・マルチタスク処理に慣れている(BGVのようにミニ画面で映像を流しながらSNSを追ったり)。

そういう場合であれば、理に適った選択肢なのかもしれない。だから、高速視聴をしている人々を一方的に見下してバカにしてはいけない。しかも、こうした議論は「芸術の分からない愚かな若年層」のような世代的偏見に傾いてしまいがちだという懸念もある。
 例えば、昔のアニメ50話を倍速ミニ画面で9時間で消化すれば、大量の情報と結構な満足感を得られそうだ。あるいは、エンタメ映画や連続TVドラマや特撮ドラマは、そこまで丁寧な向き合い方をしなくてもだいたいの満足は得られるようにチューニングされているだろう。Y/V-tuberの配信も、集中して聴くようなところは滅多にないので、(アーカイヴの)倍速視聴でもおそらくほとんど問題は無い。

 ただし、私自身は上記の姿勢とは正反対なので、今後とも一切しないだろう。つまり:
 ・ストーリー要素は、映像体験としては重視しない。むしろストーリーこそは、間接的な情報などでもフォローできるので、倍速視聴などという無理のある仕方でわざわざ本編を見るのは非効率。
 ・音響表現や、声優の芝居、映像的なタイミングを重視している。それらはもちろん、再生速度変化によって致命的に破壊される。視聴覚複合媒体ならではのデリカシーを楽しむことこそが、私の最大の目的であって、その豊かさを自分から捨てることは考えられない。

 アニメでも、倍速にしたら情緒や面白味が失われてしまう作品もあるし、その一方で、(映像表現がたいして面白くないので)再生速度を上げてもクオリティがあまり変わらないと思われる作品もある。後者の場合は、倍速や同時再生で視聴するのも、分からないではない。もっとも、そんな作品はそもそも見る必要も無いし、その時間で優れた作品一本を注視する方がはるかに見返りが大きいのだが。


 2020年代も半ばを過ぎようとしているが、この数年間のオタク界隈は10年代を引きずったまま、いまだ新しいムーヴメントを生み出せていないように感じる。
 90年代以来の美少女ゲームは、00年代にはメランコリーものやパロディもの、そしてツンデレキャラなどを生み出した。00年代のアニメは、萌え四コマ漫画をきっかけとして、「ファンタジーから日常系へ」の大移動を行なった。さらに10年代には、魔法少女ものがあらためて大きな注目を集めるようになり、それと並行して、00年代後半以降の異世界ものがパワフルに花開いた(※つまり、10年代はファンタジー重視の時代だった)。その一方で、二次元アイドルキャラのコンテンツも10年代を通じて様々に試みられたし、オンラインゲーム(ソシャゲー)を中心とした「擬人化(女体化、美少女化)」の盛り上がりも、10年代前半の大きな特徴だった。模型界では、10年代前半に艦船模型のちょっとしたブームがあり、また、10年代後半にはガールプラモの勃興という地殻変動が起きた。
 ……だが、20年代に入ってからの新潮流は? 私にはちょっと思い浮かばない。追放ものや悪役令嬢といったアイデアは、あくまで2010年代文化のver.1.5にすぎない。Vtuberもののコンテンツが商業レベルでメディアミックス展開されるようになってきたが(例えばフィギュア化)、それも10年代のうちに形成されたきたものだ。いわゆるソシャゲー界隈は分からないが、10年代以来のメジャーコンテンツもずっと継続されている(※『ブルーアーカイブ』[2021-]のような海外発のオンラインゲームが進出してきたのは、市場的には大きな変化だが、内容面での違いや、消費者意識における流行とは言えない)。
 オープンワールド系を中心とした3Dアクションゲームが、あらためて人気を博するようになった(?)のは、20年代的な流行と言えるだろうか。日本のメーカーでも、『Ghost of Tsushima』(2020)なり、『アーマード・コア6』(2023)なりといったビッグタイトルが現れている。もっとも、『Monter Hunter』シリーズなどに繋がる10年代文化の延長ではあるが。『天穂のサクナヒメ』(2020)のような、従来のゲームシーンは考えられなかったようなネタが現れてきたのも面白い。また、『Fall Guys』(2020)や『Among Us』(2018)のようなパーティーゲーム寄りのオンラインゲームが普及した(?)のも、現代的なオンラインテクノロジーならではの現象だろうし、『Helltaker』(2020)のような海外ゲームも――とりわけsteamプラットフォームから――広まっていった。
 まあ、広汎な注目を集める大きなブームが発生せず、ただひたすら多様な趣味群が散在しつつそれぞれに動いていくというのも、それはそれで構わないと思う。個人的には、10年代流の「お金を掛けたメディアミックス圧力」とか「右を向いても左を見ても魔法少女ものばかりな風景」には、いいかげん辟易しているというのもある。

 「オタク」そのものについて言うと、00年代までは10年代以降で、かれらの行動文化が決定的に変質したとは言えるだろう。とりわけ、20年代のSNSで噴出した様々な負の側面も含めて。

 もう少し話を広げると、20年前や30年前のタイトルのリバイバル(リメイク)が相次いでいるのも、気掛かりではある。私としては、もっと新しいもの、完全に新規の作品が欲しいのだが……。
 オンライン空間に関しても、10年代以来のソーシャルメディア群がずっと主流であり続けているし、スマートフォンの規格も、基本的にはここ十数年変わっていない。エンドユーザーの次元では、2010年頃から劇的な変化が生じていないように見える。生成AI関連の様々な出来事も、一般消費者のレベルでは、まだそれほどドラスティックな変化を生んではいない。こういったことをひっくるめて、文化的な停滞感を強く意識してしまう。いや、いろいろ違ってきてはいるのだが、90年代や00年代のように、「新しい世界が、新しい趣味が、新しい感性が、新しい美意識が、新しい文化が、新しい技術が、どんどん生まれてくる!」というダイナミックな体験が乏しくなっている。


 TV版『エヴァ』や『ウテナ』は、年1回くらい見返していて、「何度でも、いつまでも観ていられる」と思っていたのだが、さすがにここ数年は見なくなっている。さすがに飽きたか、あるいは、消化し尽くしたのか、はたまた、あの演出や技巧を摂取して乗り越えた新規コンテンツの魅力に押されてしまったのか……。『ウテナ』は机上の一角にDVDボックスをずっと置いているので、また気が向いたら再生することもあるだろう。

 新規のSNSアカウントを作る度に、ハンドルネーム(スクリーンネーム)の設定で長時間頭を抱えることになる。趣味関連は基本的にcactusで通しているし、オフライン(実名)寄りならば困らないのだが、サブ利用のアカウントやお試し目的のSNS加入などでは、いろいろと気を遣う。具体的な条件としては、
・自分が覚えやすく、私自身の名前だと思えること、
・他のユーザーとカブらない(混同されない)、
・有意味な文字列である、
・できれば短め、
・不快感を与えない(怖い生物の名前などは使わない)、
・性別や年齢を示さない(宗教的帰属、婚姻の有無なども。居住地や言語は仕方ないか)、
・その名前を使っても、迷惑が生じない(例えば既存キャラの名前は、できるだけ避ける)、
・検索の妨げにならない(特殊な文字列か、あるいは平凡な単語か)、
最低限、このくらいは配慮したいが、うーん、難しい。

 というわけで、あまり人目に付かない場所で、新規のSNSアカウントを作ってきた。内容そのものは、ここで書いていることのコピーや書き直しになるだろうけど、それを英文で投稿していくつもり。趣旨は主に2つあって:
 ・インプット面で:日本語話者のオタクたちが、一つの場所で(日本語世界だけで)群れているのが我慢できなくなってきた。外の自由な空気を吸ったり、新しい見え方を体験したりしたい。
 ・アウトプット面で:優れた作品に関する話は、もっと広い場所で、広くリーチする形で、やっていきたい。日本語圏では、そういうオタク的投稿はすでに飽和しているから、他言語空間に進出していく方が効果的だろう。
 英語圏でも、日本オタク文化に理解のあるSNSプラットフォームはちょこちょこ存在するので、そのあたりに潜り込んでみるつもり。もっとも、多忙な中でどのくらい継続できるかどうかは分からないし、他国のオタクたちから「日本人オタクが乗り込んできてマウントしてきた」みたいに取られたら困るなあという心配もある。

 ずっと前から、英語で趣味関係の情報を発信していきたいという考えを持っていた。最新のコンテンツに関しては、今では他言語でもしばしば十分に情報共有されているが、昔のゲームや日本のオタク史の動向に関しては、なかなかその細部が伝わっていなかったり、そもそも知られていなかったりすることも多い。そういった点を、ちょっとでも補充していけたら――そして、それらの優れたコンテンツ(への関心)が失われず、グローバルに保全されていったら――という思いがある。もっとも、「違法共有によって保全される」というのには賛同しがたいけれど。

 情報の発信および蓄積のベースは、あくまでこのブログとする。他のソーシャルメディアなどでの発言はいずれも、「いつ消えてしまってもいい」くらいの心積もりでいる。いや、けっしてその都度のコミュニケーションを疎かにしたり侮ったりするつもりは無いけれど、根本のところではライフログを預けきることは難しいという意味で。