2024年11月の雑記。
11/11(Mon)
プラモ文化の大きな一部分を担っているSDガンダムものを、久しぶりに買ってみた。キッズ向けなのであまり顧みられないジャンルなのだが、新商品が常に大量に出回っており、パーツ構成やキャラ造形にも自由なオリジナリティがあって面白い。パーツ取りの観点でも、個性的で派手なパーツがヴァリエーション豊かに提供されていて、ものによってはコトブキヤMSGよりも使い勝手の良いものがあるし、クリアパーツが多めなのもありがたい(※塗装ではクリア表現がほぼ不可能なので)。
ただし、やはり、低年齢向けの限界はあって、ごく安価に収めるためにパーツの裏側はスカスカだし、塗り分けはほぼ皆無で、パッケージ見本のように仕上げようとすると地獄のような塗装作業を余儀なくされる。三国志キャラや西遊記キャラや戦国武将をSDガンダム化するという一見不思議なコンセプトで、世界設定などか掴みづらいのも、敬遠されがちだろう。
とはいえ、500円~800円程度でカジュアルに買えるし、色再現はシールによって賄われているし、組み立てもきわめて容易だ。つまり、「子供たちが気軽に買って、30分足らずでパチパチ組んで、適当に遊べる」ということだから、模型文化の将来世代を育てるという文化的貢献において絶大な功績があると思われる。どのくらい売れているのかなあ。
いささかセンシティヴな話になるが、物語の中でキャラクターが死ぬこと、殺されることに強く惹かれることがある。もちろん、急いで断っておくが、生死に関わる出来事が強いインパクトを持つのは当然だし、また、加虐的な嗜好ではない。
一つには、90年代風の「殺され萌え」の流れがある(柏木千鶴、原素子など)。主人公キャラの立場で、誰かから強い感情を向けられること。殺害という特別な非-倫理的な出来事を、そのヒロインとの間でパーソナルに共有できること。そして、主人公キャラの人生全体の幕引きを、まさにそのキャラにしてもらえること(いわば、看取ってもらえること)。もちろん、バッドエンドに特有の、破滅のカタルシスという要素もあるし、邪悪ヒロインが本性を現した特別な瞬間になる場合もある。
もう一つは、「キャラクターの可哀想な状況」の究極であるという点。死亡フラグを立ててしまった可憐なキャラクターが絶命という結末を迎える有様は、時には儚く、深い惻隠の情とともに、また時にはその無惨美によって、大きなカタルシスを与えてくれる(牧村美樹)。
もう一つは、キャラクター造形の限界であること。死に瀕した時には、まさにその瞬間にしか見られないキャラクターの一側面を体験できる。ただしそれは、そのキャラクターの本質であるとは限らないが、それでもやはり、最も稀少な一回性の場面であることに変わりはない。また、時間的にも、そのキャラクターの人生全てを見届けたという満足感を持てる場合もある。
……でも、『School Days』はいかにも作為的でシラけたんだよね……。
SNSのいわゆるCW(Contents Warning: 危険なコンテンツを警告とともにワンクッション置く仕組み)がジレンマに面しているというのは、うん、分かる。つまり、一方では、人々は不快なコンテンツを避ける権利があるし、避けたがるだろうし、さらには精神的ダメージを与えるような有害コンテンツも確かに存在する。しかしその一方で、社会改良を主張するような意見は、往々にして「不愉快な」ものごとに関わるものにならざるを得ない。そうした状況下でのCWは、意見をちゃんと読ませたり、上方を拡散させたりするのを大きく阻害し、結果として現状追認を強化する傾向がある。
双方の方向性が完全に衝突しているので、このアンビヴァレンツは基本的に解決不可能だろう。しかし、あえて言うならば、異論を受け入れ合う文化を形成していくことによって、なんとか問題を緩和していけるかもしれない。というか、そのくらいしか解決策はない。
「胃~之煮」が最新回まで追いつけた。そして次回から新シーズンに入る見込み。
11/06(Wed)
文章がきれいな人を見ると、「頭が良いなあ」と感心する。ただ単に表面上、美しく飾っているのではなくて、
・言葉の選択が的確にハマっている(ニュアンスが的確だし、曖昧な表現で誤魔化さない)、
・叙述がロジカルに整理されていて、引っ掛かるところが無く、ストレートに読める、
・話題の趣旨や方向性を正しく把握してリアクションしている、
・相手の知識、関心、立場もきちんと考慮したうえで述べている、
といったあたり。要は、正確にピントが合っていてクリアな感じ。ただ単純な内容に引き下げて「分かりやすく」するのではなく、知識と技術と配慮によってコミュニケーションの精度を上げているわけで、そういうことが出来る人は、ただ者ではない。
私自身もそういう文章を目指している。しかし、そういう文章をサラリと書くことはできないので、ブログやSNSでもわりと時間を掛けて推敲して、できる限り明晰で清潔な文章になるように努力している。なかなか出来ないけどね……。ややもすると括弧()で補足をバンバン入れたくなってしまうので、いつも必死で禁欲している。
例えば、「~しなくはない」のような二重否定表現は極力避けている。また、「……しかし……その一方で……ただし……」のように肯定と否定の立場が頻繁に入れ替わるのも、論旨の本筋を追いにくくなるだろう。そういうのは、意識的にチェックして抑えるようにしている。なかなか出来ていな(以下略)
mastodon+海外ユーザー+日本オタク文化というと、こういうサーバーもある。ただし、サーバーのポリシーを読むと、「ろりしょたは蹴るけれど、日本オタク文化ファンダムの場だから、misskeyやmstdn.jpだけは例外的に許容するよ」とされていて、うーん、そんなふうに優遇しなくてもいいのにとは思った。また、アニメニュースや萌えキャライラストも頻繁に流れてくるようで、個人的には、もうちょっとストイックな方が好み。
とはいえ、日本オタクのタイムラインに近い雰囲気だし、アクティヴユーザーも月間数百人と賑わっているし、misskey対応で3000字まで書けるとのことだし、mstdnのヴァージョンアップもきちんと為されているので、人によっては居心地が良いだろうとは思える。
海外(主に欧米)のサーバーだと、リアルろりしょたのような本物の社会悪に対してはきっぱりした対応を取ってくれるので、私としても安心できる。生々しいろりしょた性的虐待イラストでも、それが公然と流れていくような場は、やはり良くないと思う(※せめて、もっと潜っていてくれ……)。日本国内でも、例えば『LO』の「オタクだからこそ子供を守ります」というのは欺瞞的だとは思うが、しかしそんな建前でも言わないよりはマシだろう。
上記以外でも、非-オタクな(一般的な意味での)日本好きサーバーとか、日本語学習者たちのサーバーなどもある。そういうインスタンスが増えていってくれたら、それはそれでありがたい。
アニメ『ネガポジアングラー』第6話。動きの表現や視聴覚的演出がとても鮮やかに出来ていて、視聴者の感覚を気持ち良く刺激してくれる回だった。例えば、スタッフのコメントでも言及されているとおり、太刀魚を捌くシーンは、何気ないカットなのにやたらとなめらかでリアルだし、釣った魚のエラが動いているところも生命の手応えを強烈に意識させる。夕陽のシーンで主人公に柵の影が掛かるところもインパクトがある。
戸松遥氏の腰を据えた芝居も、台本に大きな説得力を加えている。当初は、「戸松氏ほどの人物を、わざわざこんな脇役キャラに使うのは何故だろう?」と思っていたが、今回のような重要な役割――主人公に良い刺激を与えてくれる年長者だ――を演じるのであれば、なるほど、戸松氏クラスの役者をキャストしなければいけないわけだ。
劇伴(BGM)は、第1話の頃はほとんどギター1本だけだったが、ここに来て他の楽器もかなり目立つようになってきた。わびしいソロ演奏から賑やかな合奏になるという聴覚的変化は、ストーリーと歩調を合わせた演出だろう。
タイ人や中国人(中国語台詞がある)が、ごく自然に登場しているのも、現代日本を舞台にしたアニメとしてはきわめて健全な描写だし、また同時に、日本の現代アニメとしては(残念ながら依然として)きわめて珍しい描写だ。
全体として、「映像としての気持ち良さをきちんと提示する」というアニメならではのエンタメ要素と、「この作品ならではと言えるような尖った個性」をきちんと作り上げるコンセプトのクリアさのバランスが絶妙だし、キャスト陣の芝居やフィルムスコアリングのBGMによるクオリティの大幅な底上げと、中割で大胆に崩してみせる意欲的な動画作画、そして背景静止画のレイアウトの美しさも相俟って、たいへん旨味のある映像作品になっている。繰り返し視聴してもその都度たっぷりと味わえるところがあるのは凄い。
長谷川育美氏の出演はどこだろうと思ったら、ああ、留守電の自動メッセージの役(?)なのか。こういう現代ものでもギルド受付嬢案内役を演じるとは。
animate timesでは、なんと、一話ごとの振り返りインタヴューが毎週掲載されているのだが、それによれば第1~3話は助走(エピソードゼロ)とのこと。そして、今回視聴した第5話で、また一つ大きな節目(お祝い)になった。次回からは、そろそろドラマを動かしていくのかも。
海外オタクたちの中には、私よりもマニアック(マイナー)な漫画を読んでいる人がいる(※もちろん、わざわざ他地域から日本のコミックにアクセスするような情熱のある人が、しかも何万人、何十万人もいるわけで、総体としての彼等に私一人が及ぶわけがない)。
しかも、彼等自身の社会にとっては、日本の漫画は絶対的に知られていない存在なので、それらに言及するときも丁寧で誠実な紹介から入っていくし、ネットのグローバル&ユニヴァーサルな場での投稿なので、「なあなあ」の説明でお茶を濁すことなく、正確で客観性のある評価をきちんと言語化している。
そういう場に入ってみると、しっかりしたボリュームのある作品理解の文章に出会えるし、大いに参考になる分析も出てくるし、そして視野の広さと熱意に、一オタクとして身が引き締まる思いがするし、そういう場で鍛えられるのは気持ち良い。「よし、これはやってみて良かった」と感じているし、そしてグローバルオタクたちに対する敬意もあらためて高まった。
裏を返せば、日本人≒日本語の中だけで内輪のムードでだらしなく流れていくのは、かなり非生産的だし、私はそういうドメスティックな狭さが嫌なので、そこから意識的に距離を取るようにしてきた。もっとも、海外(グローバル)は海外で、独自の偏りや忖度もあるのだろうけど、それについては私の側がそういうのに纏わり付かれずに自力でやっていけるパワーがあるので(つまり、ジャパンネイティヴオタクとしての強みだ)、あまり気にならないだろう。
11/02(Sat)
11月2日……「いいふた○りの日」?
倍速視聴は、私自身は一切していないが、条件と目的によっては、あり得る視聴方法だとは思う。具体的には、
・もっぱらストーリーを追いたい(作中で起きる出来事の成り行きを把握したい)。
・音響や演出は気にしない(細部のニュアンスは捨ててよいとする)。
・大量のコンテンツを把握したい(昔のアニメなり、Y/V-tuberの長時間配信なり)。
・マルチタスク処理に慣れている(BGVのようにミニ画面で映像を流しながらSNSを追ったり)。
そういう場合であれば、理に適った選択肢なのかもしれない。だから、高速視聴をしている人々を一方的に見下してバカにしてはいけない。しかも、こうした議論は「芸術の分からない愚かな若年層」のような世代的偏見に傾いてしまいがちだという懸念もある。
例えば、昔のアニメ50話を倍速ミニ画面で9時間で消化すれば、大量の情報と結構な満足感を得られそうだ。あるいは、エンタメ映画や連続TVドラマや特撮ドラマは、そこまで丁寧な向き合い方をしなくてもだいたいの満足は得られるようにチューニングされているだろう。Y/V-tuberの配信も、集中して聴くようなところは滅多にないので、(アーカイヴの)倍速視聴でもおそらくほとんど問題は無い。
ただし、私自身は上記の姿勢とは正反対なので、今後とも一切しないだろう。つまり:
・ストーリー要素は、映像体験としては重視しない。むしろストーリーこそは、間接的な情報などでもフォローできるので、倍速視聴などという無理のある仕方でわざわざ本編を見るのは非効率。
・音響表現や、声優の芝居、映像的なタイミングを重視している。それらはもちろん、再生速度変化によって致命的に破壊される。視聴覚複合媒体ならではのデリカシーを楽しむことこそが、私の最大の目的であって、その豊かさを自分から捨てることは考えられない。
アニメでも、倍速にしたら情緒や面白味が失われてしまう作品もあるし、その一方で、(映像表現がたいして面白くないので)再生速度を上げてもクオリティがあまり変わらないと思われる作品もある。後者の場合は、倍速や同時再生で視聴するのも、分からないではない。もっとも、そんな作品はそもそも見る必要も無いし、その時間で優れた作品一本を注視する方がはるかに見返りが大きいのだが。
2020年代も半ばを過ぎようとしているが、この数年間のオタク界隈は10年代を引きずったまま、いまだ新しいムーヴメントを生み出せていないように感じる。
90年代以来の美少女ゲームは、00年代にはメランコリーものやパロディもの、そしてツンデレキャラなどを生み出した。00年代のアニメは、萌え四コマ漫画をきっかけとして、「ファンタジーから日常系へ」の大移動を行なった。さらに10年代には、魔法少女ものがあらためて大きな注目を集めるようになり、それと並行して、00年代後半以降の異世界ものがパワフルに花開いた(※つまり、10年代はファンタジー重視の時代だった)。その一方で、二次元アイドルキャラのコンテンツも10年代を通じて様々に試みられたし、オンラインゲーム(ソシャゲー)を中心とした「擬人化(女体化、美少女化)」の盛り上がりも、10年代前半の大きな特徴だった。模型界では、10年代前半に艦船模型のちょっとしたブームがあり、また、10年代後半にはガールプラモの勃興という地殻変動が起きた。
……だが、20年代に入ってからの新潮流は? 私にはちょっと思い浮かばない。追放ものや悪役令嬢といったアイデアは、あくまで2010年代文化のver.1.5にすぎない。Vtuberもののコンテンツが商業レベルでメディアミックス展開されるようになってきたが(例えばフィギュア化)、それも10年代のうちに形成されたきたものだ。いわゆるソシャゲー界隈は分からないが、10年代以来のメジャーコンテンツもずっと継続されている(※『ブルーアーカイブ』[2021-]のような海外発のオンラインゲームが進出してきたのは、市場的には大きな変化だが、内容面での違いや、消費者意識における流行とは言えない)。
オープンワールド系を中心とした3Dアクションゲームが、あらためて人気を博するようになった(?)のは、20年代的な流行と言えるだろうか。日本のメーカーでも、『Ghost of Tsushima』(2020)なり、『アーマード・コア6』(2023)なりといったビッグタイトルが現れている。もっとも、『Monter Hunter』シリーズなどに繋がる10年代文化の延長ではあるが。『天穂のサクナヒメ』(2020)のような、従来のゲームシーンは考えられなかったようなネタが現れてきたのも面白い。また、『Fall Guys』(2020)や『Among Us』(2018)のようなパーティーゲーム寄りのオンラインゲームが普及した(?)のも、現代的なオンラインテクノロジーならではの現象だろうし、『Helltaker』(2020)のような海外ゲームも――とりわけsteamプラットフォームから――広まっていった。
まあ、広汎な注目を集める大きなブームが発生せず、ただひたすら多様な趣味群が散在しつつそれぞれに動いていくというのも、それはそれで構わないと思う。個人的には、10年代流の「お金を掛けたメディアミックス圧力」とか「右を向いても左を見ても魔法少女ものばかりな風景」には、いいかげん辟易しているというのもある。
「オタク」そのものについて言うと、00年代までは10年代以降で、かれらの行動文化が決定的に変質したとは言えるだろう。とりわけ、20年代のSNSで噴出した様々な負の側面も含めて。
もう少し話を広げると、20年前や30年前のタイトルのリバイバル(リメイク)が相次いでいるのも、気掛かりではある。私としては、もっと新しいもの、完全に新規の作品が欲しいのだが……。
オンライン空間に関しても、10年代以来のソーシャルメディア群がずっと主流であり続けているし、スマートフォンの規格も、基本的にはここ十数年変わっていない。エンドユーザーの次元では、2010年頃から劇的な変化が生じていないように見える。生成AI関連の様々な出来事も、一般消費者のレベルでは、まだそれほどドラスティックな変化を生んではいない。こういったことをひっくるめて、文化的な停滞感を強く意識してしまう。いや、いろいろ違ってきてはいるのだが、90年代や00年代のように、「新しい世界が、新しい趣味が、新しい感性が、新しい美意識が、新しい文化が、新しい技術が、どんどん生まれてくる!」というダイナミックな体験が乏しくなっている。
TV版『エヴァ』や『ウテナ』は、年1回くらい見返していて、「何度でも、いつまでも観ていられる」と思っていたのだが、さすがにここ数年は見なくなっている。さすがに飽きたか、あるいは、消化し尽くしたのか、はたまた、あの演出や技巧を摂取して乗り越えた新規コンテンツの魅力に押されてしまったのか……。『ウテナ』は机上の一角にDVDボックスをずっと置いているので、また気が向いたら再生することもあるだろう。
新規のSNSアカウントを作る度に、ハンドルネーム(スクリーンネーム)の設定で長時間頭を抱えることになる。趣味関連は基本的にcactusで通しているし、オフライン(実名)寄りならば困らないのだが、サブ利用のアカウントやお試し目的のSNS加入などでは、いろいろと気を遣う。具体的な条件としては、
・自分が覚えやすく、私自身の名前だと思えること、
・他のユーザーとカブらない(混同されない)、
・有意味な文字列である、
・できれば短め、
・不快感を与えない(怖い生物の名前などは使わない)、
・性別や年齢を示さない(宗教的帰属、婚姻の有無なども。居住地や言語は仕方ないか)、
・その名前を使っても、迷惑が生じない(例えば既存キャラの名前は、できるだけ避ける)、
・検索の妨げにならない(特殊な文字列か、あるいは平凡な単語か)、
最低限、このくらいは配慮したいが、うーん、難しい。
というわけで、あまり人目に付かない場所で、新規のSNSアカウントを作ってきた。内容そのものは、ここで書いていることのコピーや書き直しになるだろうけど、それを英文で投稿していくつもり。趣旨は主に2つあって:
・インプット面で:日本語話者のオタクたちが、一つの場所で(日本語世界だけで)群れているのが我慢できなくなってきた。外の自由な空気を吸ったり、新しい見え方を体験したりしたい。
・アウトプット面で:優れた作品に関する話は、もっと広い場所で、広くリーチする形で、やっていきたい。日本語圏では、そういうオタク的投稿はすでに飽和しているから、他言語空間に進出していく方が効果的だろう。
英語圏でも、日本オタク文化に理解のあるSNSプラットフォームはちょこちょこ存在するので、そのあたりに潜り込んでみるつもり。もっとも、多忙な中でどのくらい継続できるかどうかは分からないし、他国のオタクたちから「日本人オタクが乗り込んできてマウントしてきた」みたいに取られたら困るなあという心配もある。
ずっと前から、英語で趣味関係の情報を発信していきたいという考えを持っていた。最新のコンテンツに関しては、今では他言語でもしばしば十分に情報共有されているが、昔のゲームや日本のオタク史の動向に関しては、なかなかその細部が伝わっていなかったり、そもそも知られていなかったりすることも多い。そういった点を、ちょっとでも補充していけたら――そして、それらの優れたコンテンツ(への関心)が失われず、グローバルに保全されていったら――という思いがある。もっとも、「違法共有によって保全される」というのには賛同しがたいけれど。
情報の発信および蓄積のベースは、あくまでこのブログとする。他のソーシャルメディアなどでの発言はいずれも、「いつ消えてしまってもいい」くらいの心積もりでいる。いや、けっしてその都度のコミュニケーションを疎かにしたり侮ったりするつもりは無いけれど、根本のところではライフログを預けきることは難しいという意味で。