2014/07/15

ソフトハウスキャラのシステムデザインについて

  ソフトハウスキャラのシステム設計をめぐるもろもろの雑感。


  ソフトハウスキャラ全作品のイベント構造を思い出そうとしているのだが、かなり難しい。「ヒロイン」概念の軽重、個別のヒロインフラグ間の関係、本筋ストーリーの規定性の強さ、ED分岐の様態、引継ぎやモード変化の有無、等々。考慮しなければならないことが多いし、そしてそれらのフラグ設計がどのように変化してきたかを考えるのはとても楽しい。

  ソフトハウスキャラ作品のフラグ設計で本筋の状況進行と個別ヒロインのイベント進行が分離されたのはかなり早くて、3本目の『海賊王冠』(2001)がすでにその形態を取っていた。しかも、個々のヒロインイベントは並列的(つまり本筋に対しても他のヒロインイベントに対しても介入することが無い)に累積していくという自由なかたち。このように本筋展開とヒロインイベントとが平行して進んでいくというのはソフトハウスキャラ作品の大きな特徴だろう。
  他方でEDについては、ヒロイン基軸で(つまり特定のヒロインとの物語として)択一的に分岐するという美少女ゲームらしいものが多いが、しかしながら、それをも放棄した状況基軸のED描写乃至ED分岐が試みられているタイトルもある。これも『アルフレッド学園』(2003)の頃にはすでに行われていたが、美少女ゲームとしては非常に野心的で、そしてたいへん個性的なED造形だ。
  これらの特質については、ずいぶん前にサイトで公表した拙稿ソフトハウスキャラ作品史小論でもいろいろ書いただが、最近の作品も含めてもう一度見通しを立てておきたい。

  トップヒロインのイベントフラグが過剰なまでに複雑煩瑣になった『Wizard's Climber』のシステムデザインに対しては、個人的には、あまり高い評価を与えていない。ソフトハウスキャラ流のシステムの洗練という観点では、ターン制ルーチンシステムの枠組の中に、様々なイベントを融通無碍に盛り込んだ『忍流』は、たいへん刺激的だった。あれはソフトハウスキャラのシステム構想の一つの理想形だと思う。
  他方で、ゲーム内世界の広大さを感じさせるという点では、『BUNNYBLACK3』が素晴らしい。『BB』『BB2』はおおむね一本道の展開だったが、『BB3』では周辺勢力サイドと天界勢力サイドの2層構造で大きくイベントを進行させていったというところも、ドラマティックだった。システム面でも、『BB』のダンジョンRPGと、『グリンスヴァール』風の街開発と、簡易『巣作り』風のダンジョン防衛の三つの側面があってたいへん贅沢。
  同社のSLG作品においては、SLGパート(のメカニズム)はしばしば、一般的に認識されるような「(狭義の)ゲーム」のためのパートというよりも、個別イベントを発生させていくための枠組(ターン制ルーチンとして組み立てられた、プレイヤーとの間のインターフェイス)として作られており、プレイヤーはその枠組みを通じて、「当該シミュレーション世界の体験」と「イベントフラグの(半)自発的コントロール」の双方を同時に遂行するのが通例である――だから、つまり「(狭義の)ゲームパート」「一つの世界のシミュレーション」「フラグコントロールインターフェイス」の三つの意味がある――が、狭義の「ゲーム」としてのシステムの独創性という観点では、今作『アウトベジタブルズ』が突出している。一見するとカードゲームのような体裁をとっているが、NPC(のAI)との対戦という困難な道に進むのではなく、関門突破のためのゲームを視覚的機能的に整理するための表現型として利用し、その一見シンプルなシステムはコンボ稼ぎと組み合わせることで、意外なほど奥深い。

  興味深いことに、ソフトハウスキャラはしばしば「所持金」のパラメータを持たないSLGを制作している。そのように多目的的に利用できる蓄積物を利用する場合も、数値表示の代わりに、「カード」(『うえはぁす』『OV』)や「コイン」(『LJ』)、あるいは「アイテム」(『南国』)といったかたちで機能的抽象的に表現する。ただ単にシステムの複雑化を志向するのではなく、機能的な「整理」への意識が見て取れることは、私を安心させる。しかも、それのみならず、『OV』では収斂的な「整理」を梃子にしつつそこから一転してコンボ展開という拡散的な側面を導入することにも成功している。