2017/01/22

近未来もののアダルトゲーム

  「近未来」の定義考から始まった雑感。


  【 「近未来」の範囲 】
  どのくらいの範囲までを、「近未来(SF)」と呼称できるだろうか。さしあたり思いついた基準としては、「作品の執筆/発表の時点から見て、技術的/文化的/社会的な連続性を見出せる」、あるいは「読者が自分たちから見てごく近い時代のこととして受け止められる」、のどちらかが満たされるようであれば、「近未来」と呼べそうだ。

  前者は、連続性が見出されるような描写であるかぎり、設定年代が2100年代に入っても「近未来」であり得るだろう(例えばセワシ君)。ただし、前世紀の古典SF時代の時間感覚はいざしらず、2017年現在の現実感覚に照らしていえば、その射程はどんどん短くなっている。西暦2100年、つまり83年後の世界のイメージについて、私たちが技術的な連続性を期待したり、技術的な想像力が及ぶという確信を持てたり、技術的社会的な状況を具体的に予想したりすることは、もはやほとんど不可能だろう。また逆に、設定年代が比較的近い将来であっても、現代世界とは大きく異なった雰囲気の描写であれば、「近未来SF」という冠を付ける意味は薄い……と個人的には感じる(例えば『ブレードランナー』は2019年。再来年だ)。

  後者は、部分的には前者の条件の言い換えのようなものだが、性質や作用は異なる。ある時点で、当該社会の文化状況及び技術水準について一応の理解力を備えているとされる年齢を仮に20歳以上とし、かつ、その意識を十分明晰に保持しつつ時代の変化に適切にキャッチアップできている状態をせいぜい70歳までだと措定すると、その最大範囲は50年となる。つまり、2017年現在を起点とすると、現時点で20歳である人々が平均的には70歳くらいまで耄碌せずにいられると予期できるくらいの時間経過は、2067年まで。たしかに、このくらいまでならば、「近い未来のお話」として受け止められるだろう。ただし、現在30歳以上の人口は、現実の2067年を生きて経験できない可能性が高いし、存命であったとしてもその時代の先端技術や文化潮流に合わせて自分の認識能力と対応力をアップデートできているかどうかはかなり疑わしい。

  もちろん、「近未来」という言葉は、学問(歴史学なり文学なり)上の術語ではないし、また、とりたてて実質的な含意を持つような言葉でもないので、使いたい人が使いたいように使えばいいし、定義を求められる場合でも必要に応じて規約的に定めれば済む。あるいは、用例から帰納的に定めるのでもいい。

  「未来」という呼び方は、現在の現実世界からの距離を表す表現なので、過去に関してはおおむね現実のままであるか、あるいは現実のままであると想定して差し支えないような描写であることが暗黙の前提になると思われる。現代までの人類乃至地球の歴史的発展が現実とは大きく異なったものであるとすると、その作中世界はもはや過去も未来も何もない、完全なフィクション世界のことして捉えられるだろうから。もちろん例外はあるが、たいていの場合はそういうアプローチになっているだろう(あるいは、そういうもののみがわざわざ「近未来もの」と呼ばれるだろう)。



  【 アダルトゲーム分野に見られる近未来世界設定 】
  アダルトゲームの近未来SFというと、大掛かりなものでは異星人襲来ものの『マブラヴ』が代表的だろうか。ただしこの作品は、この分野としてはかなり例外的な存在である。むしろSF表現にとってのコンピュータAVGの長所は、非現実的なロケーションやSF的シチュエーションでも制作コストが高騰しないという点にある。要するに、一般的なAVGの画面は「一枚絵」または「立ち絵と背景画像」によって構成されるが、現代の学園風景のCGを制作するのも宇宙船内部のCGを制作するのもあまり変わらないからだ。

  海面上昇ネタはわりと差し迫った問題と見做されがちなのか、時代設定はかなり近い。例えば『はるかぜどりに、とまりぎを。』の設定年代は2024年(※getchuで確認)、『青と蒼のしずく』もおそらく21世紀前半まで、『MERI+DIA』もおそらく21世紀半ば。『ひめしょ!』は21世紀後半に入っていたか。海洋ものも、新技術を創造させやすいからであろうか、『SeeIn青』は2050年、『アルテミスブルー』は2060年代と、わりと現実的な近未来になっている。現代風の親しみやすい服飾表現と、おおらかできらびやかな海辺の風景のロマンティックな取り合わせは――水没都市というもう一つのセンチメンタルな要素とともに――恋愛アドヴェンチャーにも適している。あるいは、そうした大海原の空虚な雰囲気は、ハードな世界的混乱状況のシナリオとの間に、眩暈のするような劇的なコントラストを提供するのにも適している。

  未来世界の描写は、何よりもまず技術の進歩によって為される。仮想現実ものもたいていは近未来SFの範疇で捉えられるだろう(例えば『こころナビ』『バイナリィ・ポット』『ココロ@ファンクション!』)。もちろんロボット(AI)ものも、しばしば比較的近い未来の状況になる。『ToHeart』『ルナそら』『イモウトノカタチ』など、多数の作品がアンドロイドヒロインを取り上げており、人造体ならではの過激な性表現を展開したり、「ロボットと心」「ロボットとの恋愛」という哲学的な問題に触れたりする。『白詰草話』(2002)は発表時点では近未来ものだったが、現実が作中年代(2008年)を追い越してしまった。『終末少女幻想アリスマチック』の作中年代は2022年だが、『あえかなる世界の終わりに』はかなりぎりぎり、『木洩れ陽のノスタルジーカ』は、えーと、25世紀の世界だったので、近未来カテゴリーには入らないだろう。

  その他、我々の日常にほぼ等しい現実的な描写の中に少しだけ架空の先進技術が入っているという作品は、設定年代の如何にかかわらず、またシリアス/ギャグを問わず、近未来ものとしての側面を持つだろう(『水平線まで何マイル?』のデジタルデバイス群、『うさみみデリバリーズ!!』の軌道エレベータ、『てとてトライオン!』の先進的な島内制御施設、等々)。



  【 アダルトゲームにおける遠未来表現(の難しさ) 】
  逆に遠未来ものというと、『R.U.R.U.R』『化石の歌』『Apocalypse』などがある。『うたわれるもの』も、たしか千年かそこらは過ぎていたはず。『パンドラの夢』も、ずいぶん先の話だったと思う。

  むしろ遠未来ものの方が難しいかもしれない。特にアダルトゲームでは、しばしば主人公がプレイヤーキャラになるという事情もあり、また、恋愛/性愛という文化的要素が不可避的に入ってくるので、その世界をよほど丹念に描くか、あるいは特殊な人工的空間に状況を絞らなければ、説得力を持たせるのは難しい。実際、『R.U.R.U.R』は宇宙船内が舞台であり、『化石の歌』は一種の館もの、『うたわれるもの』は擬似古代+SLG、『Apocalypse』は巨大構造物を登っていくことに焦点を当てたACT(STG)と、状況設定やゲームシステムに一ネタ噛ませている。主人公が冷凍睡眠していた『プラネットドラゴン』(西暦2316年)も、宇宙交易SLGなので、宇宙船内とステーションが移動先の大部分を占めている。

  近代文明がいったん退行した擬似中世(あるいは古代)風な未来世界というシチュエーションは、アイデアそれ自体は映画『猿の惑星』(1968)の頃から存在するし、現代日本のオタク文化の中でも『未来少年コナン』『ナウシカ』から『∀ガンダム』、『スクラップド・プリンセス』などを経て、よく知られた王道設定になっている。80万年後の退嬰的な表見的楽園に逢着した『タイムマシン』も、この趣向の先達の一つに数えてよいかもしれない。アダルトゲーム分野においても、上記『うたわれるもの』の他にも、『Princess Holiday』『シュガーコートフリークス』などで使われている。Eushullyブランドの共通世界もどうやらそういう設定のようだ。

  アダルトゲームには、性表現がありさえすれば背景設定はわりと自由にできるという側面もあるので、様々なエロ異星人が襲来する『星空のバビロン』や、タイトル自己申告どおりの『世界に男は自分だけ、全世界の女性を妊娠させて人類を救え!』のような作品も成立し得る。