2017年1月の雑記。(→2017年2月/2016年12月)
01/31(Tue)
大波氏がCLOCKUP新作にご出演。このブランドの常連だったかなと思ったが、『黒愛』(2004)や『おたく☆まっしぐら』(2006)以来なので、かなり久しぶりの参加作品になる。……ってこれ、原画はTOMA氏なのか! この取り合わせは信玄ちゃん以来だな!
SHC常連出演や輝かしい『プリっち』主演を初めとして主立ったSLG系ブランドは制覇しているし、個性的なブランド(ApRicoT、CLOCKUP、近年ではMOONSTONEなど)への出演の多い方でもある。それは部分的には、キャリアの長さ(現役声優では芹園氏や夏野氏、一色氏と並んでトップクラス)のためでもあり、また、キャラクター数の多い大規模SLG作品が桃組にキャスティングを預けてそうなった場合もあるが。ご自身の芝居はわりと率直なスタイルであるわりに、したたかな姿勢のブランド群から起用されているのは、面白い現象だと思う。
SLG系ブランドでは、ソフトハウスキャラとEushullyは常連、かぐや/astronautsも『DC』など出演作は多い。pajamas softは上記『プリっち』、e.go!/でぼも『夏神楽』など複数、alicesoftは『エドランゼ』のみ(未プレイ)、Escu:deは『ヴェルディア幻奏曲』で主演、LW/天狐も『ピリオド』『英雄*戦姫』、Digital Cuteも複数作、 ninetailは『GoD』、緑茶は『プリンセス小夜曲』、戯画も『BALDR FORCE』など。あとは、えーと、Liar-softやTriangle、Leaf、softhouse-sealには出演されていないのか。
ゲーム作品で声優の芝居を聴くという営みは、舞台公演とは異なって、基本的には「声を聴く」ことのみに集約され、それゆえ聴きたい声優さんの出番が多いことを期待してしまうものだ。しかしながら、最近になってようやく、量よりも質のことを考えるようになった。
主演として作品全体を力強く牽引するのも素晴らしいが、台詞の少ない(あるいはほんの一言だけの)サブキャラでも、まさにその音声芝居がまさにその芝居によってそこに現れることに表現上/構成上の意味があると感じられるならば、それはそれで素晴らしいことだと思えるようになった。雑駁に喩えるならば、それは美術作品で色を置くのに近いかもしれない。面積がいかに小さくとも、ほんのわずかな点のようなものであっても、特定の色が特定の筆遣いで特定の場所に置かれることによって、それは作品全体の構成と均衡を実現するのに必要なものであり、なおかつ、そのような設計の下で使用されることによってその色自身もよりいっそう魅力的な現れの機会を得る。
それと似たようなことが、ゲームやアニメにとっての声優という場面でも生じている。サブキャラのほんの数語の台詞でも、印象深くキャラクターを際立たせつつ物語の流れを推し進めていったり、あるいはそれとは目立たない形でありながらも作品全体の色調に対して確実に深く影響を及ぼしていったりする。そういうことは確かにあるのだ。ただ単に「個々の声優の芝居をひたすら聴くことを楽しむ」だけではなく、「作品の中での現れとしての声を聴くことを楽しむ」ということが、ようやく多少なりとも分かってきた…ような気がする。
そういう観点でいえば、最近だと例えば藤咲氏、萌花ちょこ氏、美月氏の芝居は、やはりゲーム/アニメの進行の中でこそ聴きたい。もちろんサンプルヴォイス単体で聴くだけでも魅力は伝わってくるし、ラジオトークを拝聴したりするのも楽しいが、一まとまりの創作作品の世界と物語の運行の中で聴いてこそ、その素晴らしさが花開く。いや、それは当然といえば当然のことなのだけど。ベテランのPCゲーム声優だと、たとえば理多氏、一色氏、春日氏、西田氏、松永氏もそういう聴き方をすべきだったと思う。
その一方で、波奈束氏や五行氏や綾音氏、あるいは北都氏や夏野氏や安玖深氏や鈴田氏や(往時の)青山氏のように、存在感のある堂々たる主演芝居によってその作品の劇的展開を一手に引き受けて視聴者/プレイヤーの心を引っ張っていくような役者さんも素晴らしい。一つの作品のことを思い浮かべる時に、その主演の声の記憶と強く結びついて作品の印象が思い出されるのは、こういった役者さんによってリードされた作品だ。アニメ分野だと、個人的にはとりわけ福圓氏が印象深い。私の拙い理解と乏しい言葉では到底説明しきれないが、作品全体の形姿を内側から作り出して視聴者を導いていく特別な力を持った役者であり、一人の声優(役者)の「個性」を超えた、声優(役者)のイデアのような存在だと思う。同様に、高森氏の(あの捉えがたく私にはどうにも言葉にできない)芝居も、作品の基調を決定する特別な現れになっている。
アニメでも主演声優(座長)がいわば協奏曲におけるソリストのような役割に立っていることがあるが、アダルトゲームでは「主人公」がヴォイス無しであるのが通例であり、その音声空白地帯を出演声優たちは協働してみずからの芝居によって充填している。
……あっ、声優/芝居について、なんとか再び言葉を紡ぐことができた。もしかしたら私はまだやっていけるのかもしれない。出演情報というかたちで間接的にきっかけを与えて下さった大波氏に感謝したい。
[ www.youtube.com/watch?v=RP9FN1derbc ]
『ヒットミー』の寸劇ラジオがあったのか。
[tw: 826247160937082880 ]
言われてみれば確かに、アニメ作品の音声はロングショットの絵でも顔アップのカットでも、常に声の位置(マイクの位置)がやたら近くて、「声の出ている場所の距離」の感覚を感じにくいというのはあるかもしれない。音声の左右振りや遠さの表現といったものも、アニメでは後から機械的処理の一環として操作されがちということなのか。物理的な収録環境それ自体は映画(実写映像の吹き替え)もアニメのアフレコも同条件のはずなのだが、技術の使用慣習の違いやストーリーの傾向や様式的な演出目的といった文化の違いがあるものらしい。
『しゅがてん!』の作風は、『パティシエなにゃんこ』好きだったユーザーに合いそうな感じになるのかな。冬の洋菓子店ものというシチュエーションだけでなく、BGMの趣向もそちらへの連想を誘うものだった(※「オトメ*ドメイン」ラジオで流されていた曲)。公式サイトを見てみたら、助演に成瀬氏と七ヶ瀬氏もいらっしゃるのか! いよいよもって素晴らしい。
うわあ……このページのurlが、作成時に「notes201701.html」にしてあった筈が、「20171.html」に変更されている……。ggl(blggr)のなんという余計なお節介。「diary(当年月).html」だけでなく、「notes(当年月)」も引っかかるのか、それとも「(当年月)」を含んでいると自動的に余計なお世話の対象になるのか、何なのかなあ。記事一覧ページなどで、固定urlでリンクを張ったりしているので、無通告で勝手にアドレスが変更されるのは迷惑以外の何物でもない。考えられる防止策/対応策としては:
1)年月表示を文字列に含まないようにする。→月別雑記として分かりにくくなる。本末転倒。
2)年月表記を別の形にする(例えば17jan、17febなど)。→問題点は上に同じ。
3)含むとしてももっと複雑な形にする(例えば前後を挟むなど)。→逃れられる保障は無い。
4)あらかじめ当年月のアドレスを作っておく。→対応としてはおそらく確実だが、おバカすぎる。
5)余計な介入がある度に、事後的にページを作り直す。→弥縫策だし癪に障るが一応確実。
url自動変更のタイミングは、おそらく月替わりに関わる時点と思われる――今回気付いたのもこのタイミングだった――ので、その期間はページ更新しないようにするというのも、不確実だが一応考えられる。しかし、その都度の自由な思考を記述するという雑記欄の目的からして、そうした外部の事情で更新できなくなるというのは耐えがたい。
思いきって2)のアプローチでページを作り直し。当該ページのアクセスカウントが消去されるが、それはやむを得ない。「notes(年月).html」ではgglの妨害行為を免れられないという知見も得られたが、活用する機会は無いだろう。
いったい何を考えてこんな余計な仕様を盛り込んでいるのだろう。わざわざそうする合理性がまるで考えられないし、こんな仕様を思いついたということ自体もブキミすぎる。
1/27(Fri)
新記事:「海上人工施設とアダルトゲーム」。
関心の無い検索者に無駄足を踏ませないように、念のため「~とアダルトゲーム」と明示した。
さすがに『SeeIn青』(2000)のスクリーンショットは手許に無かった。
このラインアップならば、青山ゆかり祭を催せる余地もあったのだが……。
そして、いつの間にか、記事数300に達していたのだった。
去年の「CGワーク」の記事で、Escu:deブランドのUIヴィジュアルデザインと作品コンセプトの連動について一節を設けて論じておきたかったのだが、うまく出来る見込みがなくて結局断念してしまった。私自身の理解不足でもあり、適当なSSが用意できなかったせいでもあり、そしてEscu:deの(はなたか氏の)デザインが分かりやすく単純に説明できるようなものではないのも一因だ。例えば『あかときっ!』では、魔砲少女たちの空中戦闘パートと、童話的な緩やかさと不気味さを併せ持ったシナリオと、パステル調の水玉デザインとが、どのように結びついているのかを説明するのは、とても難しい。また、『ヒメゴト・マスカレイド』の豪奢で落ち着きのあるUIデザインと、心の天秤がゆらゆらと揺れ動くシステムと、あの品のないエロ表現の奇妙な取り合わせの体験は、いったいどのようにしたら説明できるだろうか。……もっとシンプルに、『ヴェルディア幻奏曲』の楽譜デザインを例に出しておけばよかったかもしれない。どこかで時間を割いて加筆しておこう。
思いつきはすべて、まずはこの雑記欄で試し書きをして、内容が固まってきたら適宜切り分けて単独記事にしたり別ページに移設したりする。だいたいこれでうまくいっている。最初から単独記事にしてタイトルをつけてしまうと、思考の枠組をあらかじめ制約することになるのでよろしくないだろう。また、書き始めたものの結局うまく書ききれなくてページ削除するというのも、自分自身が情けなく感じてしまうだろう。この雑記欄スタイルは、発想抽出と思考整理のためにできるかぎり自由な場として確保していきたい。公開のブログなので、「他人(訪問者)が読んで理解できる可能性がある」「他人に見せても差し支えない範囲に留める」という制約要因はあるが、それはむしろ必要なことだと考えている。
特定のトピックで作品に言及する時は、最近のタイトルに限らず、また過去のタイトルのみに限定されないように努めている。現在の新作タイトルの潮流に無理に合わせることはせず、過去のタイトルも遠慮なく言及する。過去を過去のまま死なせてはいけない。しかしまた、過去のタイトルを過去の素晴らしいものとして固定化することも避けるべきだ。過去のタイトルを、「レトロゲーム」といったような別カテゴリーに押し込めてただひたすら自分(たち)の過去の美しい思い出に縛り付けて賛美するような姿勢であってはいけない。その作品の構成上の、演出上の、美術上の、システム上の様々な美質を取り上げるようにすべきだし、それらが現在のアダルトゲームシーンにもつながっている側面を看過しないようにすべきだ。だから、過去のマイナータイトルでも積極的に取り上げていくつもりだし、かといって過去のタイトルを懐古趣味の対象として死蔵させるつもりも無いし、また懐かしいタイトルに言及したからといってそれだけで自動的に価値が見出されるなどということも考えない。その一方で最新のタイトルでも時の経過に任せることなく自分自身で評価を試みていくつもりだし、最新のタイトルも歴史的な前後関係を踏まえて捉えられるようにしたい。あらゆる作品が万人のものであるべきであって、「老人のためのもの」「若者にしか分からないもの」などといった誤った枠は破壊して風通しを良くしてゆかねばならない。
……なかなか出来ることではないし、今回の記事でも、00年代発売のタイトル11本に対して、10年代のタイトルは3本、90年代は1本しか言及できなかった。これはひとえに私自身の知識の浅さ、プレイ経験の薄さ、分析の弱さに起因する。
01/23(Mon)
新記事:「近未来もののアダルトゲーム」。例によって特定の声優さんの演じたキャラでスクリーンショットを釣瓶打ちにしつつ近未来SF作品紹介記事にすることも可能なのだが、まだそこまで気力が湧かない……。
[ www.getchu.com/soft.phtml?id=944249 ]
やはりこのネタが来たか!
しかし、せっかくのハチロク(124cm/20kg)なんだから、1/6スケールと言わず思いきって原寸にしてしまってもよいのでは……と思ったが、それはもはや「フィギュア」ではなく「ドール」の世界の仕事になるだろうし、まともにドールを作ったら文字通り桁違い(価格10倍以上)になる。この商品がシンプルな水着姿なのも、(『ものべの』沢井夏葉フィギュアと同様の、容易に脱がせられるというメリットと併せて)服飾部分のコストダウンに寄与しているので、原作どおりの制服姿でドール立体化したらいったいいくら掛かるか見当も付かない。
原作のPCゲーム『まいてつ』は力作であり、確かに優れた作品でもあるのだけど、立ち絵サイズがふらふら変化していて、各キャラの身長がうまく実感できないのがもどかしかった。もちろん一枚絵では身長表現はきちんと一貫しているので、そこでなんとかサイズ感は掴めた。
[ shchara.co.jp/04develop/maken/img/cg11.jpg ](※アダルトCG注意)
「男性キャラの身体が空中浮遊している!?」と勘違いしかけたが、よく見たらヒロインを地面に押しつけているのではなくて、壁に押しつけている構図だった(……という捉え方でいいんだよね。もっとも、ファンタジー世界なので、男性キャラが魔法などの超自然的力で実際に浮いているという可能性も否定できないが)。
この壁の傾斜角度をざっと測ってみると、ディスプレイの水平から37度。さすがに描写上の鉛直が45度よりも低く寝そべっていては、縦横を取り違えて錯覚してしまうのもやむを得ないだろう。ワイド構図普及の不幸な副作用の一例だ。
もう一つの要因として、ヒロインの奥に見えている木張り部分が、垂直に伸びているとは認識しづらいというのもある。まるで壁の下端水平の巾木のように見えてしまう。……というか、この部屋の隅の木張り部分は何なのだろうか。現実のインテリアデザインとしては目にしないような形状なので、意味が分からない。箪笥の側面が見えているというわけでもなさそうだし。
01/20(Fri)
ハンス「寒イ……寒イ……寒イカラ……プラモ買ウ……少シダケ……心 温カイ!!!」
(火炎放射器を手にしつつコヒューコヒューと)
いやほんと、良いものを買うと、それだけで心が暖まるし、帰途はマスクで顔を隠していなければいけないほど口元がニヤけてしまう。良いものであれば、模型に限らず書籍でもCDでもなんでもいいんだけど。
そんなこんなで散財していたら、ようやくほんの少しばかり心が現世に戻ってきたような気が、しないでもないかもしれないような……。
[ www.onsen.ag/index.html?pid=harugura ]
最後の「ぴょっぴょっぴょっぴょっぴよぴよ…」にびっくりした。飛び道具にも程がある。
手先が見えないほどのぶかぶかだぼだぼ袖のキャラクターというと、最初に思い浮かんだのは『プリスター』の金松ヴォイスキャラ(名前失念)、次に『恋神』の月詠。『まいてつ』のハチロクさんは、スカートの広がりが印象的だが袖周りは引き締まっている。
天才系小柄白衣キャラや魔法使い(白魔)キャラにはわりとありがちなキャラデザだろう。小柄さを強調するだけでなく、ギャップ萌えの演出だったり、天才ぶりや身なりに気を遣わない常識外れっぷりを表す性格表現だったり、個性的な被服感(素材感)の表現だったり、ゴスロリファッションの一形態だったり和風/中華風の袖下ファッションだったり、手許の表情を見せない神秘的な隠蔽(かぶり物の延長)だったり、アニメやゲーム(格ゲー)では腕部の動きを強調していたり、暗器を隠していたり、果ては機能上の意味のある特殊アタッチメントだったり。
遡れば要するにレイレイだ(※キョンシー設定&暗器仕込み)。
[ www.getchu.com/brandnew/474685/c474685chara2.jpg ]
……あっ……そうか、『プレアデス』のあおいちゃんの既視感の正体はこれだったかー! 懐かしいわけだよ! 青髪ショートな強気系というだけでなく、一応、魔法使いものという共通点もある。相方(?)の主演ピンクキャラも[ www.getchu.com/brandnew/474685/c474685chara1.jpg ]こんな感じのちょっとおっとりした子だったりするし。
ななてる氏は、まどそふとのSD画像の方はあんまり感心しなかったのだけど、イラストや漫画の絵は抜群に素晴らしかった。柔軟な描線は気持ち良い躍動感とデリケートな色気を両立させているし、齣組みや構図も思い切りのよさがきちんと表現効果に結びついているし、色使いも統一感がありつつクリアな色配置になっているし、キャラクターの表情も朗らかだし。
(→2017年2月/2016年12月)