2017/02/28

2017年2月の雑記

  2017年2月の雑記。(→3月1月


  02/28(Tue)
  戯画新作。サンプルヴォイスを聴いてみたら、桃山氏の素晴らしさは相変わらずで信頼感は抜群だし、白雪氏もこれまた凄味があって素晴らしいし、仁波氏はおそらく夏峰氏だし……久しぶりに戯画『キス』シリーズを買うことになりそう。ただし、恋愛AVGのヒロイン級での声優連続起用は、(声優当人のクオリティの如何にかかわらず)褒められない。2012年の『ホチキス』以来、ベル/アト/ハル/リプと来てこれでもう6本連続だし……(年一本でタイトルつながりのみの緩やかなシリーズものとはいえ、継続的に買おうという気になれないのは、そのせいでもある)。


  PCが重い……。DL待機中などで数秒のウェイトがある時は、手すさびにマウスでト音記号を描いていることが多い。他の人たちはそういう時はどうしているのだろうか。


  来月の趣味生活は何をしようかな……。新年度に入るとまとまった時間を取りにくくなるので、今のうちに時間の掛かるものを手掛けておきたい。SLG作品(中断すると状況把握が途切れる)か、大型の模型制作(制作中はずっとスペース占有される)あたりにしようか。それに対して、普通のAVGだったら半日ずつでもなんとかなるし、アニメは1クール分でもせいぜい5時間で済むので、スケジューリングのやりくりは比較的容易だ。一番大変なのは、体系的性格の強い文献(哲学書)なのだが、これは言ってみれば時間や日数どころか、下手をすれば一生ものでキープし続けなければいけなかったり……。



  02/26(Sun)
  「有償特典」形式のメリットがよく分からない。本体(メイン商品)を購入した者のみが、追加の金銭を支出して入手できる特典ということだが、特典物を単体販売するよりも売り方を制限しているわけだから、セールスは下がると思うのだけど……。ありうる状況は:
  1)無償特典にはできないくらい高価なコンテンツである場合。しかも、一般販売するほどは量産できない(製造単価や在庫リスクが高い)という場合に、特典のかたちで販売するのだろうか。典型的なのは抱き枕カバーだろう。少量でも利益を挙げられることが必要になる。
  2)特典それ自体の価格は低め(割安)に設定しており、それのみを単品販売するのは利益にならないという場合。それでいて、本体商品の予約/購入を強く促進することはできる。
  3)どうしても入手したいと思わせられるくらい魅力的な特典であれば、それによって本体商品のセールスが後押しされる可能性がある。トレーディングもののように、複数入手に意味のある特典であれば尚更(BDであれゲームであれ、本体それ自体は基本的にヴァリエーションを作れず、それゆえ複数購入が期待できないので、複数種類の特典によって本体の売上を底上げしようとするのは、ここ十数年のオタク界の一般的形態だろう。特典が有償の場合でも同じ理屈が成立する)。
  4)限定販売のかたちにすることで、特別感を演出し、それによって購入意欲を促進する。

  さしあたり考えられるのは、だいたいこんなところだろうか。こうした条件が成立する(あるいは、成立するという見通しが立てられる)状況はそれほど多くなさそうなので、有償特典の形を取っているものは、現在のオタク界でもかなり意欲的な売り方ではないかと思われる。


  書くことが増えてきたし、このまま模型趣味が続きそうなら、別にブログを建てることを考えた方がよいかもしれない。このブログで模型関連の個別記事をたくさん作るのは、方向性がわかりづらくなるので気が引けるし、同一アカウントで複数のブログを作ることは可能だし。これまでyard、gardenと「庭」ネタで来た(もう一つ前はroomだった)ので、次に模型方面でブログを作るとしたら、タイトルにはやはり「deck(甲板)」を入れるか……開けた平たい場所という意味で。来年度中はこのまま行くと思うが、テキストや写真が溜まってきたらいずれ別ブログに移設できるように、記事はできるだけ切り分けておこう。



  02/23(Thu)

  【 スポーツもの 】
  『ワルキューレ・ロマンツェ』『せんすいぶ!』『蒼の彼方のフォーリズム』と、スポーツものの秀作が10年代に入って何本か現れて、そのうち2本はアニメ化までされているのだが、なかなか後が続かない。スポーツものには、「生死を賭けない(=せっかくデザインしたキャラが一戦だけで退場することが無い)」、「独自ルールでドラマ展開を自由に動かせる(=盛り上がりを作りやすい)」、「集団競技の場合は、多数のキャラに見せ場を提供できる」といったアドヴァンテージがあると思われる。しかしその一方で、「ルール設計が難しい」、「既存のスポーツを使うと陳腐化しかねない」、「運動表現が高コストになる」、「対戦相手に大量のキャラクターデザインが必要になる」といったデメリットもあるだろう。
  00年代にはレースものが何本かあったが、やはりほとんど流行しないままに終わった。卓上競技(麻雀など)はわりとあったが、せいぜいFDなどのおまけゲームに過ぎなかった。

  いわゆる「デスゲーム系」は、バトルもの(生死が賭けられる緊張感)とスポーツもの(所与としてのルールの存在)の中間形態と見做せるが、アダルトゲームにはほとんど存在しない。分岐展開を可能にする参加的媒体という意味で、一見するとAVGに向いているように思えるが、分岐管理の難しさやヒロインズの位置付けの難しさ、脚本の長さの問題などがあるのかもしれない。白箱系のような明るい恋愛ものでもなく、黒箱系のように性描写を大量を伴いうるわけでもないので、客層を掴みにくいのかもしれない。ただし、広めに捉えれば、古くは『学園ソドム』から『遺作』『百鬼』『鎖』『HEAVEN』『姦染』『姦獄島』『110』などなど、サスペンス、スリラー、サバイバルもの、クローズドサークルもの、館ものはそれなりに存在する。先月発売の『神様のゲーム』もデスゲーム系だったらしい。悪役の側に立つものとして、『アトラク=ナクア』(学園に巣くう蜘蛛神)や『THE GOD OF DEATH』(邪悪な死神)もある。


  『Re;Lord』第三章予約開始とのこと。メインの蓬氏は、えーと、『さくらにかげつ』で主演されていた方か。期待して待ちたい。



  02/20(Mon)
  『きみはね』が、続編と合わせてパッケージ販売されるのか。嬉しいかぎり。
  (せっかくだからこれを機に夏彦氏原画の『獣の告白』もパッケ化してくれないかな……。)


  そういえば、「胃」ラジオ聴き返しから、もうすぐ丸一年になるのか……あれからもう一年も経ってしまったのか……わりと最近のことだったような気分なのに……時の流れが……というか、そう感じてしまうのは、この一年間の私の活動の密度が薄かったせいなんだろうなあ。(がっくり)


  「あれ……この一枚絵、主人公の腰はここにあって、右腕がこの向きで伸びてきているが、人体にこんなポーズが可能なのか?」とベッドに寝転がって自分の身体をぐねぐね捻って再現してみようとして、はっと我に返る。ナニシテンダ……。


  すばるさんのキャラデザは、牡牛座(>プレアデス星団)だから、髪の毛が牛の角みたいに横撥ねしているのか……?(ようやく気付いた)


  う゛に゛ゃ゛ー! 私なんかに過大な期待をスンナー!(いろいろあった)


  アイチョや「胃」の時にも痛感したことだが、終了したイベントの記録はweb上からもどんどん失われていく。正式かつ確実なソースとしての公式情報(公式サイト)がしばしば消滅しているし、日程やロケーションなどの最低限の情報すら探し出せないことも間々ある。ネット時代でも、文化(の痕跡)は脆く儚く消えていく。



  02/18(Sat)
  なにか記憶が刺激されると思ったら、『プリンセス小夜曲』のシャロットと『グリンスヴァール』のシャルロット(作中での呼称は「シャル」)に続いて、今月の『ESEX』で三人目の「シャル」だからか。わりとよく使われる名前ではあるが、明るくて軽快な響きのネーミングはいかにも大波氏らしい。他には、えーと、『パンドラの夢』の「スウ」と『峰深き瀬』(※未プレイ)の「スゥ」で被っているくらいか。

  最近の出演傾向だと「ミセス」役の方がしっくり来るかも。フロマージュブランみたいな。


  ひどいなあ……権利侵害が明白であるはずのあからさまなネタコラ画像を、商業クリエイターや雑誌ライターの多くが平気な顔でRTしていて、それを指摘する人すらいない現状では、著作物に対するモラルはもはや完全に消滅したと言わざるを得ない。悲惨な状況だ。


  年明けからのアニメタイムは50日間でそろそろ切り上げよう。昨年は、このブログではwebラジオ聴き返しとアダルトゲームCG概論に大きな時間を使った(そしてそれぞれ一定の成果を得られたと思う)ので、今年は落ち着いてゲームに専心したい。できれば新作と旧作をバランス良くプレイして、これまでの議論にもっと厚みを持たせたい。ゲーム「システム」の話ももっとしたい。

  これまで視聴してきた/円盤所持しているアニメ作品をリスト化してみると、ここ十年来の私のアニメライフは福圓氏によって導かれ、小清水氏に憧れ、桑島氏に敬服し、藤田氏によって彩られ、大橋氏を追い求めてきたようなものだった。幸福と言うほかはなく、そして、ただひたすら感謝するしかない。
  (お前はアニメを観ても声優のことしか考えていないのか、とか言わない。これはこれできわめて重要なのだ。)

  80年代なかば世代は多士済々で、それぞれの個性の輝きと充実した表現力が素晴らしい。

  釘宮氏の芝居は芸術的だと思った。あれはもの凄かった。


  ここに書く話題が最近とみに雑多なものになっているが、そもそもこの雑記欄は覚書全般をひとまず書いてみる試し書きの場のつもりで運用しているので、これはこれでよいと考えている。一応はアダルトゲームのトピックをメインにしているブログだが、枠組をあまりきつく限定してもやりづらい。「雑」記欄はあくまで「雑」多で私的なおまけコーナーであって、このブログの最も重要な部分は個別テーマの記事群であり、そして、読まれるならばそれらをこそ読んでほしいと思っている。ええ、まあ、最近の個別記事は薄っぺらく分析の浅い覚書ばかりざんす。もっとも、訪問者が何を求めて来訪し、そして何を得て帰っていくかは、私がどうこう言えるものではないが。

  月単位のページ分けで、日付で適当に区切りを設けつつ雑多な話題を書き散らしていくスタイル――知人サイトとの間の間接的な応答もそこに書かれていく――は、00年代前半くらいまでのオタク系趣味サイトにはよく見られたもので、当時の様子を知っている人はこのブログの運用にレトロ感を覚えるかもしれない。例えば、tw時代に何度かリプライ交流の機会をいただいたW氏の電波とどいた?は、そのきれいな見本の一つだろう。00年代半ば頃から(?)ブログサービスの利用が一般化して、このスタイルは一気に廃れていったが、00年代初頭あたりの理系的知性とネット上での行動力を備えたエリートオタクたちの、濃密でありながらクールに距離を取ったコミュニケーションのあり方は、思い返すだに懐かしい。いや、べつにそういう方々の顰みに倣おうとしているわけではないし、当時も私はただ横から見ているだけだったが。


  ミカンを食べまくる。おいしいミカンは果物。可愛いみかんは木村ヴォイス(『わんことくらそう』)。未完な『蜜柑』はC's ware。判子なミカンはネーブr…こほん。柑橘類全般だったら『あまなつ』とか『Orange Pocket』とかゆずソフトとかでこポン!とか、他にもいろいろあるけど。
  あれ、えーと、『わんこ』で「みかん」役だった木村氏は、『むすめーかー』では「すいか」で、『むすめーかー』の「みかん」は有栖川氏だったか。

  明白にシリーズ未完で終わったものってあるだろうか。サーガものは、基本的に出来たところまでが存在するもののすべてなので、未完かどうかは問題になりにくい。そう考えると、『人工失楽園』という三作目タイトルが告知されていた涼崎シリーズと、「Vol.1」と銘打たれたのに続きが出なかった『桜待坂Stories Vol.1』くらいだろうか。どちらももったいない……。昨年発売の『ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない vol.1』も、続編の可能性はどうも怪しそうだ。『りとる・ピース』(Vol.2まで発売)も、もっと続けていく余地はあったんだろうなあ。


  「他人の感情が色として見える」設定は、『らぶKiss!アンカー』『Qualiaffordance』『夏の色のノスタルジア』の3作品で使われている。TSもの、アニメーション表現、ホラー系とそれぞれに追加的な個性があり、どれもわりと面白かった。『恋と選挙とチョコレート』は主人公ではなくヒロインにこの能力がある。



  02/16(Thu)
  黒猫や金魚を飼う夢を見た。はっきり記憶が残っている夢で、しかもこれほど幸せな夢というのはたいへん嬉しい。いや、べつに悪夢も全然見ないけど。猫飼いたいなあ……。


  海外ドラマはたしかに面白いのだけど、長時間にわたって視覚聴覚知性をすべて占有されるので、趣味としてはかなり重たい。まあ、ゲームやアニメも条件は同じだし、聴覚媒体のみの音楽や情報媒体のみの小説だって「ながら」で処理していいわけではないが。人生の時間は有限なので、「webラジオを聴きつつ模型制作する」とか「音楽を聴きながら手芸をする」といったように並行作業ができる趣味は、それはそれでありがたい。



  02/14(Tue)
  あっ……たかもりさんのラジオは聴くことができた。(私の心が耐えられた。)

  ……って、あらら、ちょうど今日がお誕生日でいらしたのか。単なる偶然だが、偶然を媒介した恩寵のようなものかもしれない。


  年末の衝撃以来、まだアダルトゲームに復帰できていない(そのぶんコンシューマゲームやアニメに力を入れていた)のだが、そろそろなんとかなるかもしれない。


  【 アニメに対するもやもや 】
  アニメは、産業構造としての問題に、一視聴者としても疚しさを覚えてしまうことがある。植民地の搾取によって成り立っているヨーロッパの華やかな文化みたいな……。円盤は円盤で、1枚2話がデフォルト化した細切れ販売から、無駄に凝っている装幀、開きにくく取り出しにくいパッケージ、フルカラーのわりに中味は中途半端なブックレット、ポストカードなどのわりと邪魔な(それでいて捨てにくい)封入特典、サントラのズタズタ分割同梱、たかがノンテロップOP/EDやピクチャーレーベルまで売りにするみみっちさと、もやもやすることが非常に多い。それでもやはり、アニメーション作品でしか体験できない素晴らしいものはたくさんあるし、支援のためにもできるだけちゃんと買い支えたくはあるのだけど……。
  内容(構成)面でも、OP/EDが毎回入ってくるのは連続視聴しているとわりと鬱陶しい(本編の雰囲気に合っていないことも多い)し、一クールにつき5時間弱(つまり映画2~3本分)の時間をとっているとはいっても起承転結を展開するにはいかにも中途半端な長さだ(2時間映画のような割り切りもできないし、かといってゲームのように数十時間規模で丁寧に描き込むこともできないし、映像メディアなので小説のような効率的なストーリー整理もできない)し、しかも12話乃至13話の話数区切りは脚本進行にとって大きな足枷になっているし、いわゆる「水着回」のような悪習も広く普及してしまっているし……。上澄みにはクオリティの高い新規作品が定期的に出現しているおかげで、非常に良い状況にあるように見えるが、業界全体としては、ほんの一歩踏み外すと一気に粗製濫造に陥りかねない寸前の状態にあるように思われる。撮影技術や3D技術は飛躍的に発達してきているだけに、なんとももったいなく、苛立たしい。

  ただし、2話収録に対する不満については、異論もある。2話毎のディスク入れ替えが面倒だという意見が散見されるが、私としては、「2話分、つまり約50分も集中して視聴したら、心身ともにいったん休憩すべきだろう」と言いたい。音楽CDだって、同じくらいか、場合によってはもっと短かったりするくらいなのだし。50分弱という時間は、芸術体験としては十分に重たいと思う。
  もちろん、バックグラウンド再生のような習慣が広まっているとか、ネット視聴などもあって視聴行動のあり方や感性が変化しつつあるとか、繰り返し視聴はそのくらいカジュアルでもいいだろうとかいったことはあるのだろうけれど。むしろ問題なのは、上述のように、パッケージの物理的な取り回しの面倒さや、冒頭クレジットの鬱陶しさ(多いものだと10個以上入ってきて1分以上無意味な時間を強いられるし、3Dなどの動画技術をキラキラに誇示していてどれも非常にダサい)ではないかと思う。そういう障害が解消されていたら、2話収録でもユーザーはもっと気楽にスムーズに映像視聴できるだろう。

  アニメだけでなく実写映像にもよくあることだが、細切れのシーン切り替えもフラストレーションが溜まる。一つ一つのシーンを描ききらず、中途半端なところで次々に別のシーンに移行していくのは、ザッピング視聴を強いられているようで、どうにも落ち着かない。
  映像編集技術として、 複数の出来事をばらけさせずに同時進行させるとか、ダルくなる部分を効率的にカットして切り詰めていくとか、音響(BGM)と映像のマッチングに寄与しているとか、個々のシーンの意味づけを細分化しつつ明確化して組み立てていけるとか、あるいは視聴者の疲労感を充実感に転化するとかいった様々な効用がありうるのは確かだが、実際にはうまくいっていないことも多々あり、しばしば無批判に因習化したツギハギ映像になってしまっている。
  特に元作品のある作品だと、原作の小ネタを一々拾おうとするせいで不自然なところに唐突なシーン/カットが入ってくることも多々ある(――しかも、漫画媒体では小さな一コマで軽く流していたシークエンスでも、アニメだとフルサイズ画面でしっかりと時間を取ってしまうので、不必要に存在感のあるシーンになり、その回のストーリーの方向性がぼやけてしまう。そうした重みづけのコントロールに失敗している箇所は多い)。

  原作とアニメ脚本の関係でいうと、原作(漫画など)がまだ継続中の時点でアニメ化してしまうことも多く――アニメ本数の爆発的増加に伴い、こうしたアニメ化事例は昔よりも増えていると思われる――、そうした場合にはしばしばアニメの結末が中途半端なところで切り上げられてしまう。メディアミックスは、広報活動を効率的に連動させつつ複数の媒体を活用してそれぞれに適した表現を作り上げていくのであれば意味はあるだろうが、実際には人気作品を青田刈りしつつ、アニメ単体での作品的完結性を放棄するという不幸な状態になっている(――同様に、息の短い一クール制作が標準化している実態も、二期含みの宙吊りエンディングを頻発させている)。これらは、近年のアニメ作品の出来を大きく引き下げている問題だろう。


  新記事:「白箱系とアダルトシーン」。
  「学園恋愛系」って英語でどう表現したらいいだろうかと考えていたら、『すくぅ~るらぶっ!』というタイトルを思い出したのでそれにした。どちらかといえばschoolというよりもcampusくらいの方が良いかもしれない。18歳以上設定だし。

  約2400字の記事に2時間弱かかった。準備ゼロの状態から書き始めて、調べもの(発売年確認など)もしながらの執筆でこのペースか……。報告書一本分程度と考えると、夜中に目が覚めて机に座ったらふと思いついたという精神状態のダルさを考慮しても、もうちょっと速度を上げたいところだが、今の私が趣味について(一応最低限の構成は整えつつも)雑感を書くときはこのくらいが限界だろうか。


  ヴァレンタイン戦車は、平たくてゴツゴツした車体のディテールに小ぶりな砲塔の取り合わせが見ていて飽きない。前面の台形デザインやライトもなかなか楽しい。ただし、これらの特徴は構造上、運用上の問題点でもあったようだけど。



  02/13(Mon)

  【 歴史ものいろいろ 】
  『宵待姫』の大正趣味はわりと稀少な、そして貴重なものだった。近代日本レトロ趣向のタイトルというと、『WW&F』や『月陽炎』なども思い出す。EGScapeを見てみたら、「大正浪漫」タグを作っている方(々)がいるようで、私が思いつくようなものはほとんど挙げられていた。あとは、『仏蘭西少女』や『花散峪山人考』『相州戦神館學園』も該当する。『銀色』にも、大正時代のシーン(章)があったはず。『獣の告白』も大正時代らしい(※未プレイ)。『檸檬・かなりあ』の13cmブランドは、『僕は天使じゃないよ』も大正時代だった筈。『エーデルヴァイス』は、残念ながら音声とBGMのバランスがひどくて(コンフィグ機能も貧弱で)、せっかくの松永ヴォイスをあまり楽しめなかった。海外舞台だと、『ロンド・リーフレット』『L'Heure Bleue』『マスクドシャンハイ』『ANGEL BULLET』が19世紀。Liar-softだと『SEVEN-BRIDGE』もたしかそのあたりの時期だが、架空要素がかなり強い。『らいむいろ戦奇譚 明治日本、乙女 防人ス。』は、サブタイトルにあるとおり、明治時代(日露戦争ベース)。

  『pianissimo』は大正時代を越えて昭和期に入っているのだったか。『終の館 恋文』も、たしか第二次大戦後。『IZUMO』シリーズは、えーと、『IZUMO零』が明治時代。『蝶ノ夢』や『花魁艶紅』は、さらに珍しい江戸時代(の、どちらも遊郭もの)。戦国時代に関しては、くノ一ものが多数挙がってくると思われる(『くのいち・咲夜』『抜け忍』など)。『紅蓮天衝』シリーズは架空世界だったか。『花御女』はどうなるのだろうか。

  時代を遡ると、『御魂~忍~』は、非常にめずらしい南北朝時代。さらに、『シキガミ』は平安時代が舞台。古代日本をメインにしたタイトルはちょっと思い浮かばないので、おそらくこれらが最も古い時代に材を取ったアダルトゲームだろう。ただし、キャラクター単位やエピソード単位で見れば、例えば『七彩かなた』には平安貴族ヒロインが登場するし、『超時空爆恋物語』『英雄*戦姫』には卑弥呼が時空を超えてきたり転生していたりする。海外舞台も視野に入れれば、古代中近東世界の『Palmyra』がある。『渡り鳥に宿り木を』は……18世紀頃だったか。

  調べてみたら、『平安☆ラブウォーズ』(2000)という作品があったようだ。『久遠の絆』も。
  総数はともかく比率としては、女性向けの方が、歴史ものに積極的に取り組んでいるかも。


  四神(四聖獣)は、ACT『巫女さんファイター涼子ちゃん』でも使われていた。各ステージのボス敵として登場するものだが、玄武は爆裂札でいったんひっくり返さなければダメージを与えられないし、朱雀は冷凍札を使わなければダメージを与えられず、青竜は隆起札を使って進路を塞いでダメージスポットに誘導するという、それぞれにトリッキーなボス戦だった。白虎は、突風札で風車を回して電気床のダメージを与えるというのだったか。終盤に再登場するのだが、無敵朱雀が空を飛んで向かってくる中を、ゴール目指してひたすら登っていくステージがあった(9-1面)。あれはきつかった……。『涼子ちゃん』を制作したすたじお緑茶は、のちに『祝福の鐘の音は、桜色の風と共に』のヒロイン名字を方角ネタにした際に、「北園」「東雲」「西九条」に対して南は「鳳」でネーミングした。おそらく南→朱雀→鳳凰と読み替えたものと思われる。
  神話/伝奇ものと相性が良く、たしか『IZUMO2』にも登場するし、『メタモルファンタジー』でも主人公がこれらに変身していたはず。さらに検索してみると、『巨乳くのいち・朱雀』というタイトルもあったようだ。「朱雀」「白虎」という名前の忍者ヒロインが登場するが、残り二種が登場したかどうかは不明。いずれにせよ、ネタとしてはあまりにもベタなので、最近ではどのジャンルでも、ストレートに(捻りなしに)使用する作品は滅多に無いだろう。

  ちょうど先日、京都駅ビル破壊シーンをチェックするために『ガメラ3』を(再)視聴したところだった。作中では、玄武(ガメラ)に対抗して、南方を守る存在(鳥のような怪獣「イリス」)が現れるという伝承が扱われていた。
  ただし、映像それ自体は、残念ながら脚本ともどもわりと退屈な出来だった。駅ビル完成が1997年で、この映画の公開は1999年とのことだから、当時としてはまさに最新のネタだったわけだが、京都駅コンコース内でのぶつかり合いやガラス外壁破壊シーンも、あまり面白くなかった。その直前の、イリスが東寺周辺を火の海にしたあたりは、SSを撮っておくと何かに使えるかもしれない。
  ちなみに、ガメラが緑色の血を流して苦しむ映像は、えろすだとおもう。



  02/11(Sat)
  新記事:「『呪いの魔剣』体験版雑感」。とりあえず単独ページにしておく。


  1秒でいのくちヴォイスだと分かった。うむ、私の耳はまだいける。
  しかし、アニメはOP曲が本編の雰囲気に合っていない作品がわりと多い……。



  02/10(Fri)
  梅田と日本橋でいろいろ買い込んできた。梅田Mndrkが11時ではなく12時開店だったというのは想定外だったが、そこからポンバを一通り回ったらちょうど17時だったので、一応時間の余裕はあると言える。ただし、体力と持ち物の限界のため、TwrRcdなどは回りきれなかったが。
  13:30に恵美須町駅を降りたから、日本橋界隈にいたのは約3時間半。こういう心身ともにハードワークな買い出しは、移動ルートや入る店がついつい固定化(習慣化)してしまいやすいので、もっといろいろ開拓したいのだが、そこまでの余裕はなかなか取れない。荷物があまりに多いと移動も大変だし、入った店内でも身動きがとりづらくなるので、いっそポンバ近辺でホテルを取って、買ったものが溜まったら部屋に置いてはまた出撃するというのも考えた(荷物は翌日のチェックアウト前にホテルから自宅へまとめて発送すればいい)が、まあ、関西の中だったらそこまでしなくてもいいだろう。関東などの他地域に数日がかりで行くのであれば、そういうことをしてもいい(というか、結果的にそういうことになる。コミケとか)。
  ともあれ、計画していた以上に良いものがたくさん買えたので、今回の遠征は大いに満足。出費が(ぎりぎり)10万円に届いていないのが不思議なくらい。


  店頭で例の「声優職業体験所」ディスクを見つけてしまったので、つい買ってしまって只今鑑賞しながら大笑いしているのだけど、えーと、「やまゆき」(はつゆき型)のキットは残念ながら現在どこも在庫切れのようだ。それにしても、門脇1等海尉はおっそろしく若々しくて小学生くらいにしか見えないし、大橋3等海曹は「じえいたい……戦う!」とか相変わらずでいらっしゃるし、なんだかいろいろと凄いものを観ちゃっている気分。なお、企画の本旨はあくまで「声優」のようで、カメラは基本的にずっとこの絵お二人をフレームに収めており、艦の紹介映像としての資料的価値を求めるようなものではない。


  [ segaprize.com/sp/spm/1605_zuiho/home.shtml ]
  Mndrkが開店するまでCLUBSEGA東梅田で時間潰しをしていた時に出会ったのが、そうそう、これ(の迷彩塗装版)。たかがプライズと思えないほどの造形にびびった。さすがに表面の質感などはプライズ相応にしても、ポージングの躍動感、頭髪部分などのシャープさ、バランスの良さ、見せどころの上手さと、なかなかの出来。元作品はよく知らないけどキャラは一応(間接的に)知っているし。え? UFOキャッチャー? 私に取れるわけないじゃないですか。
  作ってみようかな……ただし実艦の模型で。いや、でも、空母はちょっと飽きたかも……。


  とらにも立ち寄ったが、例の比村氏の青白いイラストが大判ポスターでばんばん並べられていたのは、かなり不気味な風景だった。ポスターやポップであの配色にすると、生気のないホラーなイラストにも見えてしまうし、周囲の鮮やかなオレンジ色との対比もそれを助長してしまう。デジタルイラストとして見る分には、あの浅くてくどみのない色調が武器にもなっていると思われるのだが。デザイン上の特定の趣向を作家のトレードマークとして押し出すのはそれはそれで良いことだけど、すり合わせの難しい場面ももちろん生じてくる、ということの不幸な実例を見せつけられた。


  つくづく藤田咲氏は才人だなあ……。物凄い切れ味でおそろしく鮮烈な印象を残す芝居を披露されていて、しかし案外ノリと勢いでやっているようにも聴こえて、しかしやっぱり非常によく考えられた(キャラとシーンの勘所を弁えつつバランスの取れた)芝居をされている。「したいこと」(役者としての意欲と個性)、「すべきこと」(台本の把握と掘り下げ)、「できること」(表現上のテクニック)の三者が高い水準で両立しているということなのだと思う。物語の脇を引き締めるトリックスターにしばしば配役されるのも、そうした美質が評価されてのことだろう。
  『プレアデス』ラジオ(第6回、12:10-)でも、演じたキャラクター(ななこ)のことを、「ユーモアのすごい高い人」と評していたが、その評価はまさに役者本人のことでもあるだろう。ユーモアの機微に対する感受性の鋭敏さとそれを巧みに拾い上げる処理能力の高さは、藤田氏がみずから展開する芝居の中にも、享楽的な雰囲気とウィットの閃きとが絶妙に混じり合った快速調の音声表現として反映されていると思う。


  声優オタク、禁断の秘術。AVG作品を、目を閉じてオートモードで聴く。主人公台詞や地の文が読めなくなるし、立ち絵の表情変化などが分からなくなるし、それどころかそのシーンの場所すら見えないが、これでもその場の状況と物語の動きがまざまざと浮かび上がってくるあたり、やはりプロフェッショナルな声優の力は凄い。
  もっとも、演じている最中の声優もまさに、収録時点では立ち絵変化も分からないし他の役者の芝居を聴くこともできないという条件下で、独力でそうした芝居を作り上げていっているのであり、つまり、実情はさらにすごいわけだが。



  02/09(Thu)
  ゲームのしすぎで指が痛い。

  (1/20)*(1/10)=1/200くらいの確率で発生する結果を百個以上入手したいとしても、せいぜい数万回実行すればなんとかなる。……なんとかなった。


  「zipファイルを送付して別のメールでpwを伝える」という文化が、本当に実在したとは……初めて体験したぞ。まあ、たしかに、例えばメール誤送信などのヒューマンエラーを、この二度手間によって回避する(つまり、一通目を間違ったアドレスに誤送信してしまっただけで、即座に誤りに気付いたという場合には、一応セキュリティが確保される)という意味では、まあ、まったくの無意味ではないけれど……。そして、素人の手作業でも実行できるセキュリティ対策であるという点(素人の手作業に任せるなとも思うが)、誤受信者が素人であれば解凍できないという点(重要度次第だが、瑣末かつカジュアルな漏洩を防ぐには一応意味がある)は、メリットといえばメリットになる。


  ゲームで一仕事終えて、なんだか満足してしまった気分になっている。これは実は、あまり良くない状態だ。満足してはいけないということではないし、べつに常時心が餓えたり満たされない思いをしたりしなければならないということではないし、そういう瞬間が訪れるくらい満足したことそれ自体は良いことなのだけど、しかしながら、今のように「もうこれから何もしなくても十分幸せだ」と感じてしまうのは、停滞の第一歩である可能性があるからだ。そんなアタラクシアは、生物としては死の間際に感じればいいことだし、あるいは、趣味生活を(なんらかの外的/内的な事情で)閉じようとする時に感じられればいい。
  「オタクは一度なったらやめられない」という神話は信じていない(もちろんオタクに限らず趣味を辞める/辞めた人は無数に存在する)し、少なくとも私自身にはおそらくそれは当てはまらないだろうと思うし、「趣味よりも大切にしたい物/人に巡り会いました」と言ってオタク趣味を格好良く辞めるのはロマンティックな夢想としてはあるけれど、そういうことになる予定は今のところ無い。
  とりわけ音楽(聴く方)は、私の人生の中で初めて明確に意識的主体的な選択として手に取った趣味であり、そして、それが無い生活には耐えられない(おそらく唯一の)趣味だ。私自身のパーソナリティ形成に対する影響の大きさとしては他にもっと大きなものがいくつもあるが、生を続ける必須条件という意味では音楽が最も決定的だと思う。



  02/07(Tue)
  ストレス解消を兼ねていろいろキットを買い込んでいたら、そろそろ購入ペースと制作速度のバランスが崩れかけている。自制したいのだが、最近になってようやくAFVや海外艦にも関心が向き始めていて、楽しいやら難しいやら……。特に大スケールキットは、開封して各パーツのディテールを眺めるだけでも値段以上の眼福体験になるし、それをさらに一つの完成形に組み上げた時の満足感はたいへんなものだし、塗装して(自分の技量と機材次第で)見応えのある色合いと質感が実現できた時もたいへん嬉しい。
   ゲーム分野に関しては、とうの昔に「所有と経営の分離」、もとい、「購入と実プレイの分離」が徹底されてしまっている。発売時点で買い逃すと後からでは入手困難になってくることも多いので、それはそれで理に適っているのだが、その一方、OS対応などの環境要因からしてあまり寝かせているとプレイ不可能になるというリスクもある。
  音楽CDは、さしあたりクラシック分野などでアマチュア的にのんびり聴いている分には、一枚の新作リリースが重大な出来事になるということはあまり無いし、数十枚規模のBOXセットは買っていきなり全て聴き通すというわけにもいかないから、気になるものを適宜買いつつ、その都度の気分で聴きたいものを聴くというスタイルになっている。
  漫画単行本やアニメディスクは、今のところほとんど積んでいない。購入数もたいしたことは無いが。webラジオは、原則として期間限定配信なので、はなから聴くものを選別せざるを得ない。


  またそろそろ聖地ポンバへ十字軍略奪もとい買い出し遠征に行きたいのだが、昨日から腰が痛いし、まだ寒い(今日も雪がちらついた)し、懸案だったいくつかのものはちょうど通販で入手したばかりだしで、なかなか気が進まない。いや、前に行ったのは9月初旬だから、もう5ヶ月か……やはり行ける時間があるうちに行っておこう。先月のこみトレも行けなかったことだし。特に買うものが無いとしても、最先端のオタい空気を定期的に取り入れていかなければ、感性は容易に鈍ってしまいかねない。
  ちなみに腰痛は、最近しばらくデスクワークにかかりっきりだったせいだと思う。普段はこんな症状は無いのだが。こんな状態で重いものを買い込んでしまったら危険だから、安心してガバガバ買いまくれるように今回はキャリーバッグ持参で行った方がいいかもしれない。

  買うことそれ自体も、けっして悪いことなどではない。その行為だけでもプレイしたり制作したり視聴したりする意欲を大きく賦活してくれるし、その分野に対する関心をその都度刷新しつつ知識においてもアップデートさせてくれるし、もちろんメーカーへの金銭的寄与にもなっている。身銭を切るという行動は、べつに妄想的に持ち上げたりオカルトめいた期待を寄せたり宗教じみた運命的返報を求めたりする必要は無いが、真面目に購入検討する(そのうえで実際に購入する)というプロセスを踏んでいる以上、ごく現実的で平凡な人間意識のあり方の問題として、趣味生活を豊かにしてくれるものなのだと思う。


  とあるタイトルで、ヒロインの初めてのそれの瞬間に、画面を赤くフラッシュさせた演出がございまして……痛恨のダメージじゃねえか、という冗談はともかく、そんな見せ方は必要だったのだろうかという疑念を持った。慣例化している(主に男性側の)絶頂時フラッシュ(白色)はまだしもそういうものだろうと受け入れられるのだが、ベッドシーンでの出血時の赤いフラッシュには、何よりもまず「うわ、痛そ!」という印象が先立ってしまった。人によっては、初めての傷をつけたとかいったような征服欲に結びついたりするのだろうか? プレイしたのは去年だが、あれ以来、アダルトゲームの濡れ場に入る時に、あの痛そうな演出が来てしまわないかと半ば無意識裡にびくびくしている。



  02/05(Sun)
  春乃(い)氏のことは応援していきたい。出演傾向に顕著な特徴があって、桃山氏や卯衣氏との共演が多かったりするので、遭遇率はわりと高いし(思い返すだに『QUINTUPLE☆SPLASH』のキャスティングは素晴らしかった。波奈束氏までいらっしゃるし)。ただし、それでもまだなかなか買えていない/プレイできていないタイトルも多い。

  ちなみに、「乃」の字つながりで、桜乃(ひ)氏も楽しい芝居を披露して下さる役者さん。全面的に好きというわけではないが。春乃氏との共演歴もある。


  【 無題な話 】
  白箱系に限っての話だが、ここ十年ほど(00年代後半以降)、あちらの方々がこちらにもあれするようになったのは、基本的には良いことだと考えている。

  アダルトPCゲームに音声が入りはじめた最初期にはあちらのわりとメジャーな方々が出演した例もあったが、それに対して90年代末から(?)00年代半ばくらいまではアダルトPCゲーム声優はかなり専業傾向が強かった。それはそれでプロフェッショナルな役者たちを数多く生み出したが、ふりかえってみれば、あちら側との間の分断が非常に深い時代でもあったように思われる。アニメ化に際してのキャスト交代があれこれ議論されていたのも、00年代半ば頃までの現象だ(現在では、アニメ化しても大抵はむにゃむにゃなままでいられるようになった)。とはいえ、上原(と)氏や三咲氏のように当時から双方のキャリアを十分な密度で両立させてきた方もいるし、また、鈴田氏や芝原氏のように初期の業績の少なからぬ部分をアダルトゲームに持っている方もいた。

  00年代末(2008~09年頃)から、風向きが変わってきたように思う。杏子氏(2008-)、羽間百合氏(2008-)、車の人(2009-)など、主にあちら側を主な活動の場にしていた方々が、実力のあるニューフェイスとしてこちらにも登場するようになった。その前史として、某アイドルコンテンツの盛り上がりと平行して、それに関わっている顔触れ(遠山氏[2006-]や加賀氏[2006-]、上記鈴田氏など)もひそかに話題になっていたようだ。
  この時期以降にアダルトPCゲーム分野に参入してきた方々は、仕事量の都合ゆえか、ゲーム音声専業というほどの出演頻度ではないものの、定期的な出演が続いている方もかなり多い。どうしてこのような変化が生じたのだろうか。事情は分からないが、声優事務所の増加と多様化、そちら側(から)の職業声優の爆発的増加と競争の激化、アニメ化等を含めた人的交流やパイプラインの整備、収録周りの技術的整備などが考えられる。オタク的趣味分野の中でアダルトゲームのプレゼンスが相対的に低下した一方で、キャスティング面ではこのような新規参入現象が生じてきたことは、この分野の音響風景をさらに豊かにしてくれたと思う。それは、人材融通の幅が広がった/幅を広げたということでもあり、また、アダルトゲームの地位(受け入れられ方)も変わってきた/変えてきたということだ。

  10年代に入るとその傾向はさらに強まり、若手の声優ではあちらでも活動しつつこちらにも出演されているという方がかなり増えている。桃/黄/AGなどの一部事務所を除いては、専業化せずどちらの分野でも定期的に仕事をしているというのも興味深い。当人にとっては、「あちら/こちら」といった壁など無いのかもしれない(例えば桃山氏は、デビューもほぼ同時期だし、その後のキャリアもほぼ同時並行[半々程度]と言ってよいくらいだ)。また、その一方で、アダルトゲーム中心の声優でも、いわゆる「顔出し」仕事を許容する方がかなり増えている。00年代前半にはきわめて稀な例外(例えば歌手兼業の榊原氏)でしかなかったのが、10年代にはイベントや動画配信で着ぐるみも使わずに登壇される方が増えているというのは、この分野を取り巻く環境の変化を示唆するものだろう。また、アダルトゲームメーカー側も、そうした人材をいきなりヒロイン級に起用するといった例が増えている。

  とはいえ、現在でもアダルトゲームへの出演についてスキャンダラスな取り上げ方をしたがる人は、残念ながら一定数いるようだし、アダルトカテゴリーに対する偏見は拭いがたいようだ。また、最初に触れたように、ほぼ完全にフルプライス白箱系タイトルのみに限られているというのも、いささかもどかしい状況ではある。ごく一部のピンク系傾向の強いタイトルと、一部のSLG系タイトルへの出演も見られるが、ダーク系は事実上皆無である(かなりきつい『斬死刃留』に芝原氏が出演されたり、特典コンテンツという特殊な扱いながら『EXTRA VA MIZUNA』に三咲氏が出演されたりした例はあるが)。さらに、男性声優の場合はさらに事情が大きく異なる。こちらは、おそらく性別の問題もあり、またBLヴォイスなどの仕事が確立していることもあり、00年代のうちからかなり自由な往来が行われていた。

  どうなんだろう。むしろ私が分野の枠を気にしすぎているのかもしれない。ただ、事実として00年代末から上記のような新たな流れが急速に現れてきたのは確かだ。ブランド単位で見るとage、PULLTOP、FAVORITE、Lump of Sugar、CUFFS系列、そして声優非公開主義だがLeafが、風穴を開けるのに貢献したと言えるだろうか。大量のキャラクターを登場させる近年の大作(『恋姫†無双』以来の潮流)も、間口を広げた可能性がある。『もろびとこぞりて』や『人気声優の~』のような(それ自体としては称賛をいささか躊躇してしまうが)妙な試みをしたタイトルもあった。

  PCゲーム声優の時代/世代の変化については、以前にも書いたことがあった。



  02/03(Fri)

  [ products.web-giga.com/furukiss/character.html ]
  桃山氏が出演されているだけというで、安心感が段違いだ……。
  白雪氏は、素晴らしい役者さんだと思うが――というか、「思うからこそ」――なんだか怖い。


  せつぶん……対決ゲームで鬼を決めて……「わるいごはいねがー」……懐かしいなあ。
  (懐かしいも何も、つい先月までバックナンバー聴き返していたでしょ!)


  美人ではないキャラがわりと好き。不美人というのではなくて、全体のバランスは整っているけれど美人というほどではなかったり、あるいはベタな美人顔とは違った路線の顔立ちだったり。以前も言及したが、『フローラル・フローラブ』の椿姫こはねは、公式のキャラ紹介でも「容姿は十人並み」と明言されているのが、美少女ゲームとしてはなかなか挑戦的だった。もちろん、CG上での外見は十分可愛らしいのだけど。設定レベルでなくても、実際のヴィジュアル上の造形がいささか垢抜けない感じだったりするのも、(キャラデザ担当の意図的な調整であれ、あるいは意図せざる至らなさのせいであれ)それはそれで萌える。
  業が深いとか言うな。もとい、この程度で業が深いとか言うな。


  【 パッケージアートと主人公 】
  ソフトハウスキャラ作品のパッケージアートは主人公も描かれていることが多いのだけど、これはわりと珍しいスタイルかもしれない。主人公がなんらかのかたちで描かれているのは、24本中12本、つまりちょうど半数のタイトルが該当する(『海賊』『ブラウン』『グリンスヴァール』『BB』『BB2』『BB3』『悪魔娘』『勇者砲』『PD』はヒロインたちと同一画面、同一次元で描かれている。『真昼』は賞金首張紙風? 『巣作り』は竜形態。『雪鬼屋』はSD頭身)。ヒロイックな活躍をする『DC』『王賊』あたりは、主人公が露出していてもよかったかもしれない。
  SLG作品であることも影響しているかもしれないと考えて、試しにEscu:de公式サイトを参照しながら完全新規タイトルのみ(つまりFDやリメイクは除外)で数えてみると、主人公がパッケージアートに描かれているのは24作品中7作品(※全作品をプレイしたわけではないので、間違いがあるかもしれない)。しかもシルエットだけだったり、ぬいぐるみキャラ(ハタヤマ)だったり、女装主人公だったり、後ろ姿だけだったり。
  一般にSLG作品では、状況設定上の事情からして主人公には比較的はっきりした個性を与えられがちであり、またゲームパートでもしばしば自機ユニットとして登場するという事情からもヴィジュアル面でも頻繁に露出させられやすい。なかでもRPGを称する作品では、主人公の個性が作品全体のPRと強く結びついているように見受けられる。alicesoftのランスやTriangleのメッツァーも、わりと頻繁に箱絵に出ている筈。同じ理屈で、バトルものAVGも主人公が目立つかたちで描かれることが多いと思われる。

  その一方、学園恋愛AVGでは、もちろん主人公の外見もあらかじめデザインされたものが存在するが、プレイヤーに対する恋愛関係の代行者でもあるため、ヴィジュアル面での露出は総じて禁欲される(ただし例外は女装主人公もの)。例えばAUGUSTやゆずソフトは、白箱系の中でも野心的なシチュエーションに挑戦しているブランドだが、それでもパッケージに主人公の姿が描かれているのは、ざっと確認したかぎりどちらも0回。他の白箱系ブランド群も実態はほぼ同じだろう。

  それでは黒箱系やピンク系はどうかというと、これらも男性主人公の姿が前景化することはほとんど無い。ピンク系のショタ主人公ものやダーク系の女性主人公もののような特有の事情がないかぎり、基本的にパッケージはヒロインズしか描かれない。もっとも、『110 ~産婦人科 死刑囚 病院ジャック~』のような刺激的な例外もあるが。低価格帯でも、『さかしき人にみるこころ』のように男性主人公がパッケージやキーヴィジュアルに露出している作品は、しばしば内容面でも意欲的な作りになっている。


  うっ……これではただの小ネタ思い出トークじゃないか……作品の内容をこそ語るべきだ。



  02/01(Wed)
  思い切って雑記欄の設定urlを改めてみる。ストレートなアラビア数字表記に比べて、アドレス直打ちで過去の雑記記事にアクセスするのが困難になるが、もはや今時そんなことをする人はいないだろうし、様々な形でリンクは設けているので実際上の問題にはならないはずだ。

  せっかくだから、10月は「kannazuki」ではなく「kanna」にしたい。『鬼神楽』の天神かんなはおそらく十月生まれで(ただし旧暦名称なのでグレゴリオ暦とはずれている可能性がある)、うづきは四月生まれだったのだろう。ちなみに『夏神楽』の音羽姉妹にも元ネタと思われるものがある。玉藻前伝承に倣ったネーミングだろう(桂香>桂姫、初花>初花姫)。

  『Quartett!』の双子のメイとユニも同じ趣向。双子なのに生まれ月が違っているのは、5/31から6/1に掛けての出産だったから(※たしか初回版同梱のブックレットに書いてあった筈)。 ただし、実在の言語に照らしていえば、おそらくドイツ語のMaiとJuniであって、イタリア語(この双子の設定上の出身地)ではない。主人公たちの名前や各所の単語を見るに、作品の舞台は独墺系地域(おそらくはオーストリアの音楽の都)だったようだ。


  声オタたるもの、「好きな声優事務所」を即答できるくらいであらねばならんのではないか……などという思いつきが頭に浮かんだが、これは明らかに妄言の部類だろう。
  もちろん、事務所毎にカラーの違いはたしかにあり、主導的な在籍声優たちを中心としたおおまかな傾向はあったりするし、とりわけ自前の養成所を持っている場合には演技観にもそれぞれのポリシーは反映されていくだろうし、周辺事情としても事務所毎に経営方針や重点分野があったりするし、在籍タレントの売り出し方にも違いはある。しかしながら、芸術上の視座設定の問題としての役者による音声表現を考えようとする場合には、当該業界にみずからコミットするのでもないかぎり、それはあまりにも迂遠かつ皮相的かつ大雑把な語り方になってしまうだろう。よほど稠密な楽派的に共通したアプローチや学派的な方法論的連動がある分野ならばいざ知らず、現在の日本の声優界は一人一人の役者の個性が比較的自由に展開されており、まずはそうした違いを丁寧に聴き込んでいくべきだろう。

   個人的には、そうだな、例えばパwa…こほん。あるいは、アku…むにゃむにゃ。


  【 キーボード雑感 】(※音楽の話ではない)
  キーボードの方向キーが微妙にガタついてきた。もう買い換えどきか……。特にゲームでは方向キーの使用頻度が高いので、たいていはここから故障してくる。同種のストックを持っておきたかったが、もう店頭には(大型店舗ですら)見つからないので、通販で探すか……。

  選別基準は:
  1)テンキー不要。あまり使わないし、取り回しが便利なように、コンパクトに。
  2)薄型。下の両端が尖っておらず、掌を刺激しないこと。
  3)薄型パンタグラフキー。ストロークが深いものは苦手だし、打鍵音も極力小さくしたい。
  4)方向キーができるだけ大きいこと。さらに言えば他のキーと干渉しないのが望ましいが……。
  5)有線。ほぼ固定なので無線にするメリットは無いし、乾電池消費も好きではない。
  6)形状はフラットな長方形でよい。表面はテカテカしないのが望ましい。
  7)当然だが、小さすぎるタイプは不可。
  8)使用しない時は垂直に立てて机上スペースを空けられるとなお良い。
特に上の1)から4)は、私が快適なキーボード使用するためにほぼ必須の条件なのだが、最近ではこれらを満たす製品がほとんど無くなっている。色や防水如何は気にしないし、条件さえ合えば価格は問わない(値が張っても構わないし、逆に安物でもいい)のだけど。


  (→3月1月