2026/07/05

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第12話

 第12話「淡島百景」

 原作の最終話(第31話)に相当。ただし、原作の章題は「岡部絵美と伊吹桂子3」だったところを、アニメ版では上記のとおりメインタイトル=サブタイトルにしている。 脚本は中西やすひろ。絵コンテ&演出は、渡邉こと乃。時間は23:50と、ほんの10秒だけ通常よりも長い(おそらくエンドカードの分)。

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第11話

 第11話「岡部絵美と伊吹桂子」

 原作は第29話の終わりから、第30話まで。ED後のワンシーンのみ、第31話(最終話)の冒頭を先取りしている。
 脚本は中西やすひろ。絵コンテ&演出は、山村日向。フリーの演出家とのことで、本作への参加はこの話数のみ。例によって、大筋はレイアウトや表情づけまで原作漫画に沿っているが、イメージカットなどをかなり増やしている。とはいえ、アニメーションとしての動き(キャラクターのモーション)などは、あまり付いていない。会話とモノローグを主体とする作品なので、そうした動画演出の重要度は他よりも低いタイトルではあるのだが。

2026/07/04

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第10話

 第10話「長谷川慎爾と夏木詩子/城芙美子の娘/伊吹桂子と岡部絵美」

 「長谷川慎爾と夏木詩子」は原作第5巻27話のエピソード、「城芙美子の娘」は同28話、そして「伊吹桂子と岡部絵美」は第29話からの終盤エピソードに入っていく。
 脚本は中西やすひろ。絵コンテは渡邉こと乃。演出は田部伸一。全体としては原作漫画に寄り添っているが、「長谷川慎爾と夏木詩子」では花の象徴性演出が活用され、「城芙美子の娘」では大胆なレタリング演出、そして「伊吹桂子と岡部絵美」では水の超現実的なイメージがまとわりついて、アニメ媒体ならではの表現空間を創出している。

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第9話

 第9話「淡島文化祭/柏原明穂と田畑若菜」

 「文化祭」は、原作第4巻第25-26話で、前話(アニメ第8話)から続く最新世代の物語である。「柏原明穂」は、第3巻末尾の第20話の単発エピソードだが、これを「文化祭」エピソードの中に挿入する形にしている。
 脚本は綾奈ゆにこ。絵コンテ&演出は、いしづかあつこ。とりわけ「柏原明穂」パートでは、彼女のキャラクター性を強調するような演出が多数投入されている。今回は23:55と、通常よりもわずかに長い尺を取っている。

2026/07/03

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第8話

 第8話「小鳥遊紗羅/藤沢江里/雅楽川静香」

 原作第4巻の前半、第22-24話にそれぞれ対応する。同級生どうしの、ひとまとまりのエピソードである。時代設定としては、作中の最も若い世代になる。
 脚本はメインの中西やすひろ、絵コンテは銀さん、演出は増原光幸、DR MOVIE、Hwang Iljinの連名。DR MOVIEは、90年代に創立された韓国アニメ会社である。この回は、原作の黒ベタコマのところを新規作画で埋めるだけでなく、かなり自由に描写を作り直している。原則論としては、アニメ翻案が漫画の絵に縛られるべきではなく、映像は映像として、その媒体の特質に適した形で再構成されるべきだというのが私の個人的な立場だが、この話数については言えば、映像作品の絵コンテとしてあまり上手くいっていないように思う。

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第7話

 第7話「山県沙織と武内実花子/武内実花子と山県沙織」

 原作第3巻の後半、第17-19話(「山県沙織と武内実花子」前編、中編、後編)に対応する。事実上ひとまとまりのエピソードである。アニメ第4話(原作第6話)の延長上の物語でもある。相変わらず、他のキャラクターたちとの関係は乏しい。 
 脚本は綾奈ゆにこ、絵コンテ&演出は渡邉こと乃。レイアウトやキャラ絵はかなり原作に寄せているが、小道具を活用したりイメージカットで上手くつないだりして、映像翻案ならではの意味作りをしている。

2026/07/02

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第6話

 第6話「淡島怪談」

 初めての、人物名以外のサブタイトルである。この回と、そしてもちろん最終回が、淡島を巡る無数の人々が行き交うプラットフォームであることは論を俟たない。原作漫画の第2巻第11-13話に相当する。
 脚本はメインの中西やすひろ、絵コンテ&演出は内野宮晃希。内野宮氏は、第1話の演出も担当している。この回も、通常の23:40よりも長い24:40の長尺となっている。

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第5話

 第5話「大久保あさ美/浅香みどりと浅上レオ」

 大久保のエピソードは、原作漫画の3巻14-16話(50ページ強)。浅香の方は、4巻21話の比較的短いストーリーである(16ページ)。
 脚本は中西やすひろ、絵コンテは渡邉こと乃、演出は田部伸一。田部氏は第10話の演出も担当する。原作漫画の構成に則しつつも、効果的な視聴覚演出が盛り込まれている。

2026/07/01

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第4話

 第4話「四方木田かよと山県沙織/田畑若菜と田畑佐江子/柏木拓人と吉村さやか」

 今回は、脇筋のエピソードを集めている。原作漫画ではそれぞれ第6話、第10話、第5話に相当する。比較的くつろいだ内容が多いが、演出的にも色彩感豊かな表現や、舞台シーンのインパクトの強い絵面、さらにはユーモラスなデフォルメに至るまで、個性的な話数になっている。
 脚本は綾奈ゆにこ、絵コンテ&演出は、いしづかあつこ。いしづか氏は、『宇宙よりも遠い場所』などいくつもの作品で監督を務めている。

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第3話

 第3話「伊吹桂子と日柳夏子/山路ルリ子と日柳夏子」

 シナリオは、原作第1巻第4話の後半部分と、第2巻第7-9話の伊吹家関連エピソードをまとめている。5話と6話は後回しになったが、シナリオ上の影響の小さいエピソードなので問題無い。
 脚本は中西やすひろ、絵コンテは「銀さん」、演出は森洸貴。銀さんは第9話のコンテも担当する。この回はふたたび、原作漫画のコマからの模倣が非常に多い。

『淡島百景』の妄想年表

 漫画『淡島百景』およびそのアニメ翻案について、人間関係や時間経過が複雑なので、私なりの理解で年表的な見通しを試みた。

2026/06/30

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第2話

 第2話「岡部絵美と小野田幸恵/伊吹桂子と田畑若菜」

 原作漫画の順序どおり、第1巻の第3話から第4話の途中(第1巻109頁)まで。
 脚本は中西やすひろ、絵コンテ&演出は渡邉こと乃。中西氏は、シリーズ構成を務めつつ大部分の話数を担当しており、それを補うように4話、7話、9話の比較的脇筋寄りのエピソードを綾奈ゆにこが担当している。綾奈氏は、同じく志村氏原作のアニメ化『青い花』(2009)でも、いくつかの話数を担当している。
 渡邉氏は12話のうち計5話について、絵コンテ(時には演出も)担当している。

2026/06/29

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第1話

 【 はじめに 】
 本稿の目的は、アニメ版『淡島百景』を原作漫画と対照してその異同を確認し、それを通じてアニメ版がいかに独自の試みを加えているかを明らかにすることである。
 あらかじめ先取りして概要を説明しておくと、このアニメ版は、シナリオ構成や台詞、さらには画面レイアウトに関しては、ほぼそのまま原作の表現を流用している。しかし、アニメ版による新たなカットや、色彩的な表現、そして音声演出による意味づけといったディテールを通じて、アニメ版独自の解釈と豊かさが生み出されていることも確かである。
 本稿は、第一義的には、そうしたアニメ版スタッフによる創造性がどのようなものであるかを、少しでも明らかにすることを目指している。またさらにこの比較作業を通じて、原作とアニメ版の両方の媒体的な特質についても一定の示唆を見出すことを試みたい。文章それ自体は具体的な異同を指摘しながら、そこから引き出せる作品解釈を私なりに述べるというコメンタリー形式になる。

2026/06/06

2026年6月の雑記

 2026年6月の雑記。

 06/22(Mon)

 【 現代エンタメにおける悲劇の欠落 】
 現代日本のエンタメ(とりわけサブカル系)が、強迫的なまでにハッピーエンドを志向(要求)しがちなのは、もったいないと感じている。歴史的に見ても、フィクションにおける悲劇のカタルシスの意義は、古典古代からずっと高く評価されてきたし、受け手もそれを虚構の中の出来事として享受してきたのだが……。
 例えば、すれ違いによってカップルが結ばれずにそれぞれ自死してしまう『ロミオとジュリエット』が20年代のエンタメ作品として作られる(翻案リメイクされる)ことは、うーん、残念ながら、ほとんど想像できない。史実ベースの歴史物だけは例外だけど、それ以外のオリジナル創作で、悲劇を志向するものはいよいよ少なくなっているように思う。例えば『Uボート』のような歴史もの(史実戦争もの)では、結末は無常観と親和的なビターエンド/バッドエンドになりがちなのだが、これは特殊事情と言うべきかもしれない。

 1) 私見では、これはおそらく皮相的で迎合的な商業主義の産物であり、結果的に創作と感性の振れ幅を狭くしてしまっている。しかし、それだけでもないかもしれない。

 2) 00年代初頭の、いわゆる「泣きゲー」(という誤ったジャンル認識)が大きな禍根を残した。それらは、一方では、障害者などの社会的困難を戯画的に誇張した感動ポルノという邪悪な側面があった。keyの脚本家が闘病ノンフィクションを読み漁って参考にしたというのは、その酷薄かつ無責任な欲望の所在をよく示している。またその一方で、影の濃いメランコリーの雰囲気にリードされる、いわゆる「鬱ゲー」アプローチも、90年代末の世紀末的ムードの延長上にあってそのパラダイムに絡めて取られており、そのポテンシャルを活かしきれないまま、ジャンルを沈滞させてしまった。これももったいない。

 3) コンテンツの長さも、おそらく影響している。2~3時間の舞台演劇であれば、悲劇の結末にしばし浸ってからスッキリと切り替えて劇場を後にすることができただろう。しかし、長大なゲームを何十時間もプレイした結末が、主人公の死などの不幸な形になるというのは、心理的なインパクトが大きく異なる。
 ただし、ゲームでもデニム皇帝の暗殺EDのような例はあったし、連載漫画『デビルマン』や『ザ・ムーン』が人類全滅エンドだったり、通年アニメ『Vガンダム』で味方側キャラクターがほぼ全滅していたりと、悲劇寄りのタイトルも昔は一定数存在した。世紀の替わる頃に、なにか決定的に雰囲気が変わってしまったように感じる。
 また、メディアミックスを含めて物語世界を大きく展開していく際に、人の死を描いてしまうとそのキャラはもう登場できなくなるし、悲劇的な事件があるとその後の展開に大きな影響を及ぼしてしまうので、そうした要素は扱いづらいというのも、まあ、分からないではない……ただの商業主義的都合に過ぎない、とも思うけど。

 4) 社会的要因? 不況下のリアルな経済的-社会的困難が続く中では、「物語の中でまで不幸を見たくない」と感じる人が増えるのは、十分あり得ることだろう。しかし、そうした悲劇嫌悪のネガティヴな声がSNS空間では過剰に増幅されやすいという状況が、問題をさらにややこしく解決困難なものする。

 今世紀の有名なタイトルにも、露悪的な残虐イベントを含む作品はある。しかしそれらも、SNS空間では「未読/未見の人にショックを体験させたい」という陰湿なDV的欲望のネタとして消費されるばかりで、苦味のある劇的感興をじっくり味わおうという精神的姿勢が存在する余地がきわめて小さい。悲劇の醍醐味というは、そんなびっくり箱の衝撃ではないのに……。
 また、NTRもののように、不幸描写が――あるいは、不幸描写までもが――しばしば性的な要素と結びつけられるようになったのも、それらを表立って扱おうとする際の妨げになっているかもしれない。
 むしろ、腰を据えて丁寧に描かれる長編コンテンツの方が、人間性の機微に触れるビターな物語を効果的に描き出せる力があるのだが、「ハッピーエンドにしました」「ハッピーエンドになりますから大丈夫です」といった言説ばかりが広まっているのを、いささか悲しい思いで見ている。
 もちろん、昔でも悲劇寄りの作品がマジョリティだったというわけではない。しかし、近年の動向は「ハッピーエンドでなければいけない(そうでなければ売れない、そうでなければ読まない)」というところまで極端に偏ってしまっていることに問題がある。

 見方を変えれば、80年代から90年代くらい(?)までは、終盤には悲惨なカタストロフが発生して、それをなんとか生き延びてちょっとだけ未来の希望を見て終わる……といったようなスタイルがそれなりに多かったと思う。それはそれでちょっと特殊なスタイルの作劇だったかもしれないが、近年のタイトルでもこういう展開があると、「おお、来た来た、懐かしいなあ!」と嬉しくなってしまったりする。
 アニメ映画『ナウシカ』(1984)から『もののけ姫』(1997)の影響も大きかっただろうけど、ゲームのFFシリーズも頻繁にこの演出を取り入れてきた。最近の漫画などでもたまにそういう気分を感じさせる作品はある。アニメだと、2025年の『ある魔女が死ぬまで』(大津波)や『九龍ジェネリックロマンス』(街全体が崩壊)、『全修。』(虚構世界の危機)などは一応これに当てはまる。主人公が瀕死になって精神世界をさまよい始めたりするのはちょっとシラけるけど、まあ、そういう展開になるのも仕方ない。


 個別の問題はともかくとして、あくまで一般論として思うことなのだけど、最近の日本人はパロディ表現に対して厳しすぎるんじゃないかなあ。侵害性の高いコピー商品でもないかぎり、パロディとか、物真似シーンとか、ちょっとしたギャグ演出とか、風刺的な言及とかは、もっと広く、もっと自由に表現できる方が、創作世界の豊かさにとって好ましいと思うんだけど……。
 00年代くらいからだろうか、いわゆる「大人の事情」と称して企業側の利害を忖度しなければならないという意識がぼんやりと強まっていったのが、転換期だったのかもしれない。そこからは一貫して、利益や権利の囲い込みが進んでいった。メディアミックスビジネスの伸張もそれを後押しした……というか、まさにそれのためにパロディの自由は失われていったのかもしれない(※その一方で、二次創作同人だけは許容されて、今では即売会という場所的限定すら取り払ってオンライン販売が行われるようになっている)。
 例えば、ゲーム『巫女みこナース』のOPムービーにガンダムキャラもどきのような絵がチラッと出てくるくらいは、ネタとして笑って済む話であって、それが咎められるような社会は抑圧的にすぎると思う。また、『全修。』のように、既存アニメの有名シーンをパロディ的に描いた作品も、まさにそうしたパスティーシュを通じて、アニメ史の広がりと重み――それはアニメーター主人公に掛かる重みでもある――を視聴者の目に強烈に印象づけた。そうした絶大な効果を持つ場合もある。パロディ元の作者たちに一々許諾を取らなくても、そういった自由な表現の余地がある方が、文化的発展にとっても、我々受け手の楽しみにとっても、良い状況になるだろう(※あの作品はたぶん内々に連絡して、業界的な義理を通してはいただろうけど)。しかし、『僕らのいきなり同棲計画!』のように、綾波&惣流そのままのキャラクターをただ拝借してベッドシーンを描いているだけの作品では、非難の度合いが高まるのは妥当だろう。明確な線引きは難しいけれど、できるだけ緩く、寛容側に傾けておく方が良いのではないかなあ。
 ちなみに、海外では著作権の保護形態(保護範囲)そのものが異なるので、また別問題になるのだけど、それでもアニメのスクショそのものを切り出してグッズにして販売したりするのは、個人的には、ファン活動の範囲を超えた海賊版行為だと思う。
 もちろん、パロディはパロディで、「面白いか」「作品としてどのように組み込んでいるか」といった視点でそのクオリティが厳しい吟味に晒されるのは当然だ。むしろパロディは、そうした評価のハードルが上がりがちなのが、その安易な導入を抑止する防壁として作用しているとも考えられる。拙劣なパロディは、その拙劣さによって当の自作の出来を落とすし、またパロディ元のファンをも憤激させるだろう。言い換えれば、「パロディを使うなら、上手くやれ、面白くやれ」というのは、結果的にパロディ元作品の価値を守ることにもつながるだろう。受け手としても、「パロディだから駄目」という大上段の論法ではなく、「下手だから駄目」(パロディとして面白くないから駄目)というアプローチをする方が、はるかに健全だし、作品受容(作品のディテールをきちんと見てそれを解釈する姿勢)としても望ましい。


 観光地などの風景写真に、キャラクターがそこにいるかのようにイラストを描き込むのはかなり好き。ファンタジーキャラの現パロだとなお良し。


 ガールプラモの発売年表の更新は、もう止めてしまってもいいかなあ。理由はいくつかある。
 1) ガールプラモ分野の出現と初期の発展過程の20年史については、私の力の及ぶかぎり、ひとまずは記録することができた。完璧ではないにせよ、アウトラインを把握するための資料としては、それなりに役立つ筈だ。
 2) 現状ではもはや、極端に新しいムーヴメントが現れてくることは無さそうだから、ジャンル的発展史の観察&記録をこれ以上続ける意義は見出しにくくなっている。
 3) ブランド間のコラボや周辺的なミキシング用パーツなど、商品形態が複雑化してきたので、それらの見通しを提示するのは、単純な時系列リストの形では困難になってきた。
 4) 新作キットの数が増えすぎて、もはや一つのリストだけでは見通しが利かなくなってきた。ブランドごと、時期ごとの各論も、個別の記事としていろいろ書いてきたし。
 5) プレバンや布服販売、あるいは半-公式のレジンパーツのように、限定販売品や予約商品が激増したため、リリース情報の記録を残す意義が薄れてきた。……いや、むしろ情報を残すべき価値が高まってきたとも言えるのだけど、一般には買えない商品までトレースしていくのは不毛感がある。

 こういった同時代の記録は、後世のために誰かがやっておくべき作業であり、そして、一研究者兼趣味人としては、ひとまず歴史に対する義理は果たしたと言ってよいだろう。日本の「オタク」たちはどんどん刹那的で消費志向になっており、こうしたアーカイヴ化の営為が誰かによって引き継がれることはもう期待できないが、それはもう仕方ない。まあ、当面は私の労力を割けるかぎり、新作情報の更新を続けるけどね……。もうちっとだけ続くんじゃ(フラグ)。


 さて、『淡島』の私的なコメンタリーに着手してみた。……長い。長すぎた(第1話だけで17600字)。資料が揃っていて、書くべき方向性も決まっていれば、トップスピードで一日3万字くらいは行けるが、いや、それでもさすがに疲れた……。まあ、web検索やページ内検索などで、面白そうなところだけ適当につまんでいってくれたら十分、というつもりでいる。
 第2話以降はどうしようかな……。ざっと見たところ、原作漫画のレイアウトから多少離れた自由なコンテの回もあって、それはそれでとても良いことなのだけど記事としては書きにくい。それに、ひとまず解釈のアプローチと注目できるポイントは提示しきったので、これ以上は同じような話を繰り返すマンネリになってしまいかねない。うーん。
 
 というわけで、第2話の途中まで概要執筆してみた。時速2400文字(おばか)。
 これはこれで面白い知的営為ではあるのだけど、やはり時間を取りすぎる。このペースだと、ざっと70時間は掛かる計算になる。それはまずい……。
 最終的に、第2話のコメンタリーは9300字でまとまった。第1話の半分だね!
 第3話の分は、5300字。このペースならば、なんとかなりそう。
 第4話も、5300字。第5話は4400字。

 ……こうして心の電波を放出するのは楽しいよね。ともあれ、創作物のどこが、なぜ、どのように優れているかをきちんと言語化してそれを共有可能にするのはとても重要なことなのだが、なかなかやってくれる人はいないし、私も出来ているとは言いがたい。今回の投稿群が、ちょっとでもそうしたことに目を向けるきっかけになったら嬉しいし、こうしたアプローチは現代のメディアミックス優位状況ではとりわけ大きな有効性があるだろう。
 もちろん、こうした演出の細部について、読者/視聴者が無意識のままでも効果は発揮されている。そして、そのくらいの浸透力と説得力のある演出は、「上手い」と言うべきだ。俗に、派手にして面白がらせることばかりを演出と呼ぶ向きもあるが、それはべつに演出のコア部分ではない。陰影表現とか、色彩的な変化とか、レイアウトによる意味づけとか、そういったものによって画面のニュアンスを視聴者に感得させるのは優れたコンテワークの成果だ。だから、視聴者は、「なんかよく分からないけど、良かった!」という感想でも、まあ、ひとまずは構わない。少なくとも、画面をしっかり注視しているかぎりは。「ながら見」とか倍速視聴では、ストーリーの大筋は捉えられても、そこから零れるものが多すぎて、結局のところ芸術体験としてはナンセンスになってしまう。

 第6話は6800字でなんとか書ききった(累計48700字)。文字数よりも、掛かった時間も方が問題かな。映像の再視聴チェックも含めて4時間ほど掛かってしまったので。
 第7話は、かなり控えめに3600字(累計52300字)。全12話ぶんは、7月いっぱい掛けても無理だと思っていたけど、案外スムーズに完成できるかも……だったらいいなあ(終盤の大変さから目を逸らしつつ)。
 第8話もコンパクトに4100字。累計56400字なり。
 第9話は5500字。累計61900字。最終的には10万字以内でまとまりそう。10万字というのは、だいたい新書一冊分くらいなので、まあまあコンパクトな数字。しかし、このブログでこれまで書いてきた連続記事では、「CGワーク」が9万字、「ガールプラモ史」が最終的にたぶん6万字くらいなので、今回のはほぼ最長規模になっている。
 第10話は7400字(累計69300字)。これまで一日2話ずつ、予定通りのペースで進めてこられた。日曜日のうちに完成させられたらいいな……。(不穏なフラグ) 技術的には、文学部(英文学科とか仏文、独文とか)あるいは映像学専攻のまともな学生であればたいてい誰でも語れるくらいの内容……というか、やっていることは本当に素朴なアプローチなのだが。
 第11話は5900字(累計75200字)。原作の黒ベタ進行を、アニメの新規カットで補っている箇所がいくつかあるので、解説の文字数が増えることを懸念していたが、わりと穏当な規模で収まってくれた。
 第12話は3600字(78800字)。なんとか完成させられた。

2026/06/05

漫画雑話(2026年6月)

 2026年6月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

●新規作品。
 檸羽(ねう)『悪役令嬢ってのはこうやるのよ』第1巻(双葉社、原作あり、1-5話)。いまいち。カオミン氏デザインをベースにしていることもあってキャラデザはなかなか魅力的だが、疫病解決など、アイデアがどれもありきたり。仇役がどれも愚かなのが退屈させる。
 男性向けだと敵対者は「倒し甲斐(乗り越え甲斐)のある、立派な強大な存在」として描かれることが多いのに対して、女性向けだと「心ゆくまで叩き潰せる、醜くて愚かで無価値な小物のゴミ」として描かれる。前者は前者で問題がある(例えば悪いことをしているキャラクターも格好良くなりすぎる)けれど、後者も、美醜と好悪だけを基準にした格差主義と、異物(というか自分よりも「下」の存在)に対する攻撃性の発露を全肯定している気持ち悪さがある。この作品でも、主人公と対立する「ヒロイン」側の人物たちが愚かな社会的粗相によってどんどん自滅していくので、なんともカタルシスが無い。
 いわゆる「私のためにキモい奴らを殴ってくれるヤ○ザ様or公爵様」のアプローチも、反転させると「俺のために醜いあの女どもをいじめてくれる元気ギャルちゃんor高嶺の花お嬢様」になるのだが、たぶん大多数の男性はそういうキャラクター(関係)を悍ましく感じるだろう。うーん。いや、もしかして、ありなのか? 「モテない僕を愚かなギャルたちから護りつつ尽くしてくれる強気な幼馴染」のようなものも、うーん、それほど露骨ではないにせよ、あったかもしれない。まあ、どちらも私は嫌だけど。
 鯨川リョウ『教生カンケイ』第1巻(秋田書店、1-6話)。鯨川氏の新連載。両親から愛されていないと感じている一人暮らしの男子高校生のところに、だらしない女性教師が転がり込んでくるコメディ。主人公の心情描写にはシリアス要素もあるが、ヒロインの方はひたすら滅茶苦茶な生活をしている。この漫画家さんらしいキャラクター造形の尖った切れ味や、闊達自在で「お行儀良くしない」コミカル演出は健在。
 あきときたいき『オヤサイリベリオン』第1巻(小学館、1-6話)。野菜擬人化(?)キャラクターたちの物語。ナス族を虐殺する根菜たちと、それに対するナス主人公の復讐のドラマ。作画はレイアウトも良いし、力感のある動きもよく描けていて素晴らしいし、目玉が飛び出る(物理)くらいのグロ描写もあるのだが、シナリオとキャラデザが陳腐なのがもったいない。また、シリアスなようでいて中途半端にメタジョークを挟んでくるのも、個人的に好みから外れる(※焼死したナスキャラを「焼き茄子」と呼んだり)。野山を進むシーンの細やかな所作など、良いところも多いのだが……。擬人化キャラたちの凄惨なバトルという観点では『どく・どく・もり・もり』の後追いのようなアプローチだが、現時点ではとても比較にならない。作者はこれまでいくつもの連載経験があり、絵作りそれ自体はかなり高い水準なのだが……つくづくもったいない。
 成田芋虫『ヴァージン・キラー忍法帖』第1巻(マッグガーデン、1-8話)。鈍感な男性忍者と、ツンデレな女性忍者の間のラブコメ。予想以上に、かなり面白かった。ヒロイン「紫(むらさき)」が慌てたりドキドキしたり頑張ったりする表情がやたら生き生きしていて、これだけで読みごたえがあるし、二人を見守る首領キャラがいることで、「状況をかき回す」「ツッコミをする」「いわゆる『カップル見守り』役として読者の反応を代弁をする」といった刺激をもたらしている。ラブコメなので、ベタなネタもあるのだが、ネタの密度が高いし、オチの前の溜めも上手く利かせているし、台詞回しや周辺の小ネタなども洒落っ気があって良い。この漫画家さんの作品を読んだのは初めてだが、2010年デビューでこれが3つめの連載(本書で16冊目)という、中堅クラスの十分な実績のあるクリエイターのようだ。


●カジュアル買い、買い足しなど。
 新島なるい『白銀のキュイジーヌ』第1-2巻(講談社、1-4話/5-11話)。明治時代の外交官邸で西洋料理を作ることになった少女の物語。傲慢毒舌な上司(美形若年男性)の下で働くことになる主人公の「かわいそ可愛い」雰囲気はコミカルで楽しいし、料理描写などもきちんと下調べをして作劇されている。主人公の少女も、どこか妙に色っぽく(えろすではなく、なまめかしい)、濃厚な雰囲気を漂わせている……のだが、えっ、第2巻(新刊)で完結してる! もったいないなあ……。シチュエーションも明確で、目標もはっきりしており、人間関係も見通しが良く、そしてキャラクター造形や台詞のセンスにも独自性があり、漫画的演出もこなれていて充実した内容なのに……。なお、作者はこれが3つめの連載のようだ。次なる連載の機会に期待する。
 俵京平『金のなる森』第2巻(集英社、5-16話、5月刊)。表紙でカジュアル買い。人類が火薬などの近代的技術を発達させて、旧弊的なエルフ族から搾取しはじめている世界(財宝、奴隷化)で、両者の合間を縫って活躍する商売人(?)主人公の物語。オリエンタリズム的な財宝探しロマンの物語類型でもあり、また、近年(再)形成されてきたエルフイメージを梃子として巧みに用いている点でも興味深い。ただし、シナリオ展開はややぎこちなく、トリックもありきたりだが、ドラマティックな展開は楽しめる。ほどほどに肉付きの良い人体描写と、意外に派手なグロシーン、さらに異能フレーバーのある魔法表現と、それらを活用した戦術的側面が混じり合っている贅沢な内容。せっかくなので第1巻も買って読んでおこう。作者は『恋獄の都市』(全5巻)に続く2つめの連載のようだ。
 ささきさ『蒼きバルカナリア』第1巻(秋田書店、4月刊、1-5話)。これまで2作の連載経験のある漫画家による、16世紀ブルガリアを舞台にした物語。衣装、風景、建物、料理などのディテールが濃密に描き込まれており、読みごたえがある。シナリオは少女漫画なりに見通しをシンプルにしているが、ポジティヴな主人公の意志的で活発な行動が、見ていて心地良い。なお、「バルカナリア(balkanaria)」は、「バルカン半島の事物(バルカン文化)」といったような意味のようだ。


●続刊等。
 1) 現代舞台の作品。
 雁木万里『妹は知っている』第7巻(55-63話)。人間関係がいったん確立されたところで、さらにそれを先へ進めていこうとしているようだ。メール投稿職人の兄というキャッチーな部分と、芸能人(妹手)の裏側の何気ない日常という受けの良さそうな側面が、さほど連動しているわけではないのに、上手く両輪としてバランスが取れているのが面白い。
 三都慎司『ミナミザスーパーエボリューション』第3巻(9-12話)。超常能力そのものの開拓はいったん区切りを付けて、同じ能力を持つ他者の出現、そしてそれらと対比的に描かれる青春の日常の輝きが美しい。
 仲邑エンジツ『同居人がこの世界のモンじゃない』第2巻(11-20話+web掲載版いろいろ)。うーん、常識外れの突拍子もないキャラクターをほのぼのと描くのは、この作者の得意分野なのだが、この作品では、生々しい性欲表現がちょっと気持ち悪いし、それに引っ張られてネタの幅も狭まっている。倫理観の枠を外してみせる性的なネタも、道満晴明氏だったら突き放したユーモアで流していけただろうに、この作品では押しつけがましい雰囲気になってしまっている。うーん、もったいない。同じ作者の同月刊行『ムジナとミサキ』第2巻(8-14話、完結)も、歯切れの悪いまま終わってしまった。『おぼこい魔女』のようにキャラが上手く当たれば魅力的になるが、そこを外すと構成の弱さと中途半端なお色気が目立ってどんどん崩れていってしまうようだ。もったいない。
 天井フィナンシェ『白紙の上でさようなら』第2巻(6-11話)。漫画家として(再)デビューを目指す女性の物語。第1巻の展開はスムーズで、今巻も良いには良いのだが、図式的にきれいに整理しすぎていて、状況の迫真性や内面の葛藤を感じ取りにくくなっている。この最新刊でも、「分かりやすい抑圧者が出てくる→主人公が黒ベタモノローグで動揺する→ヒーローにきれいに慰められて前向きになる」のパターンを連発しているのは、ちょっと飽きる。うーん、もったいない。画面作りに関しても、やけにカメラの近い構図を連続させていて息苦しい(つまり、コマの8割をキャラクターのアップで埋め尽くしまくっていて、空間的な広がりや風通しの良さが乏しい)。絵そのものは良いのだが、画面構成や視覚的演出が平板(単調)になりがちなのが惜しい。
 イズミダフユキ『夜鷹ふたたび』第2巻(8-16話)。自堕落な元暗殺者の命を狙うコミカル闇社会サスペンス。若者から中高年まで、イズミダ氏はそれぞれに個性的な外見のキャラデザを披露されていてそれだけで面白いし、テクニカルなバトル描写や、キャラクターの表情を思いきり崩してみせる大胆さも含めて、エンタメとして充実した味わいがある。前作の『マダラランブル』も悪くはなかったが、キャラが多すぎたうえに、バトルシーンに傾斜しすぎたため、少々付き合いづらい作品になっていたが、今作はメインキャラを絞り込みつつコメディの比率を高めているおかげで、見通しの良い物語をベースにしてその都度のシーンを楽しんでいける。


 2) ファンタジー寄り。
 きただりょうま『魁の花巫女』第8巻(67-78話、完結)。結局、方向性のよく分からない作品だった。伝奇ものとしても中途半端だし、異能バトルというにも食い足りず、お色気ハーレムとしてもエンジンが掛からず、視覚的演出についても(かなり良い出来ではあるのだけど)驚きに乏しかった。この漫画家さんは、『μ&i』からずっと読み続けていて、たぶんファンと自称してもよいくらいだけど(※ただし『エグゼロス』は読んでいない)……うーん。
 井山くらげ『後宮茶妃伝』第9巻(47-51話)。お茶関係のネタがヴァラエティ豊かで、読んでいて飽きない(※架空世界の架空茶だが、十分にあり得る話として受け止めることができる)。ストーリーは、後宮の人間関係が安定してきて、政治よりもお茶そのものを楽しむエピソードに集中している。作画に関しても、細く精妙なペンタッチと、くっきりした黒ベタのコントラストを活用しつつ、時にはユーモラスな表情も交えて物語を朗らかに展開している。
 目玉焼き『悪役令嬢の矜持』第4巻(17-21話)。作画を引き継いで新たな漫画家が制作されているが、画風は比較的似ている(寄せている)ので、続けて読んでも大丈夫。第2巻までのクライマックスから、第3巻はスイートな後日談でややダレたが、今巻は新章に入って新たな物語が展開されている。紙面全体の描き込みがべったりと重たいせいで、やや読みづらいが、美術面でもストーリー面でも十分な面白味があるので、引き続き買っていくつもり。
 眼亀『ミズダコちゃん~』第5巻(29-35話)。プールにお祭と、夏のイベントが続く。異種族キャラクターの造形のユニークさと、そのディテールの掘り下げ、そして空間的なレイアウトを意欲的に使ったレイアウトなど、見どころは多いが、同時にサブキャラなどには、チープで品のないところもある。pixivのイラストを見ても、本格派のクリーチャー系趣味で奇想豊かな作品をいくつも描いておられ、創作的な根っこはそちら側にある方なのだろう。
 上田悟司『現実主義勇者の王国再建記』第15巻(73-77話)。ドラゴン編を終えて、雪国編へ。政治的交渉の中で人間性の輝きや技術的卓越を見出していく軍師的な楽しみの作品だが、縦進行を大胆に取り入れた独創的なコマ割は健在だし、ディテールをハンドライトでザクザク描き込んでいく気持ちよさも、洋書で描かれる顔アップの魅力的なニュアンスも素晴らしい。
 恵広史『ゴールデンマン』第9巻(67-74話)。向こうの世界の悪徳企業との大決戦。それぞれにキャラ立てが上手いうえに、ここまでの描写の蓄積もあり、そのうえで各キャラの志操信念に関わる決意やテクニカルな対処の旨味もたっぷり味わえる。なお、9月頃に最終巻(10+11巻)が発売されるとのこと。

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2026/06/04

アニメ雑記(2026年6月)

 2026年6月の新作アニメ感想。第8~9話あたりから、最終話まで。

2026/05/11

2026年5月の雑記

 2026年5月の雑記。

 05/29(Fri)

 今月は延々ゲームをしていて、それ以外は生産性に乏しかった。いや、漫画等も普段どおりのペースで読んでいるのだが……読んでいるつもりなのだが、またもや未読が20冊ほど溜まってきている。


 イエサブ模型コンテストの参加ネタは、「ギィ」か「グライフェン(バラクーダ)」のどちらかになりそう。前者は、ネイルシールを使ったカジュアルな装飾がほどほどにキャッチーなアレンジになっていて、見た目の面白さと技術的な実験性を提供できるだろう。後者はベタだが、箱入りレイアウトを深海風の簡易ジオラマに作れば、コンテストの趣旨にも合致するだろう。

2026/05/09

漫画雑話(2026年5月)

 2026年5月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。
 まだ先月分の新刊も読み切っていないけど、まあ仕方ない。

2026/05/03

アニメ雑記(2026年5月)

 2026年5月の新作アニメ感想。今のところ、『淡島百景』『上伊那ぼたん』『カナン様』『自称悪役令嬢』を視聴中。『鑑定士』『姫騎士』『楠木邸』は飽きたのでおしまい。最終的に、普段通りの4本にまで絞れてきたのは、良いのか悪いのか……。
 きちんと観ると決めた作品は、各話を複数回視聴して、映像演出と音声のデリカシーをそれぞれ集中して追っていき、スクショも撮りまくるので、多数のタイトルに手を出している余裕は無くなる(※さらに言うと、今期は繰り返し視聴のきつい作品も多いのだけど。キャストが今一つだったり、ストーリーが重苦しすぎたり……)。
 最終的な評価は、『淡島』75~80点、『上伊那』65~70点、『カナン様』60~65点、『自称悪役令嬢』70~75点くらいになりそう。

2026/04/24

2026年4月の雑記

 2026年4月の雑記。

2026/04/23

漫画雑話(2026年4月)

 2026年4月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

2026/04/04

『透明男と人間女』原作漫画とアニメ版の比較

 岩飛猫氏による原作は、背景をターコイズブルーに塗ったユニークな二色漫画で、欄外の作者コメントなども含めて読み応えがあるが、瀬田光穂監督(シリーズ構成と全話脚本も担当)によるアニメ版は、そこからさらに様々なディテールを追加し、また、原作のエピソードを巧みに組み替えることによってクール制のアニメ媒体としてのクオリティを高めている。
 本稿では、アニメ版の各話について、原作の対応箇所とアニメ版の追加要素などを、筆者の気づいた範囲で書き留めておく。もちろん、視聴覚演出や画面レイアウト、色彩設定、音響表現、そして台詞の細部については、違ってくるのが当然なので基本的に省略し、大きな変更点について言及するにとどめる。

2026/04/01

アニメ雑記(2026年4月)

 2026年4月の新作アニメ感想(※タイトル五十音順)。
 さしあたりクオリティ評価を点数としてつけてみる。

2026/03/24

2026年3月の雑記

 2026年3月の雑記。

2026/03/15

2026/03/08

漫画雑話(2026年3月)

 2026年3月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。
 今月分も、各作品におおまかな評価点をつけてみる。

2026/03/04

アニメ雑記(2026年3月)

 2026年3月の新作アニメ感想(※タイトル五十音順)。
 『アルネ』『違国』『透明男』『29歳』『ヘルモード』の5作を最後まで視聴。

2026/02/10

2026年2月の雑記

 2026年2月の雑記。

2026/02/09

漫画雑話(2026年2月)

 2026年2月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。
 こちらも試しに、評価点をつけてみる。

2026/02/06

アニメ雑記(2026年2月)

 2026年2月の新作アニメ感想(※タイトル五十音順)。
 『アルネ』『違国』『透明男』『29歳』『ヘルモード』の5作を視聴中。『シャンピニオン』はやめた。

2026/01/07

2026年1月の雑記

 2026年1月の雑記。

 01/26(Mon)

 土曜日のイベントに参加してから、まだ太ももに筋肉痛がある。要するに、低いテーブルのプラモデル作品のために頻繁にしゃがんで撮影していたのは、要するに数時間断続的にスクワット運動をしていたようなものだから、筋肉に負担が掛かるのも当然か……。


 今月の美少女ゲーム新作『諦観のイヴ・ベセル』は、キャストが凄いんだよね。秋野氏主演に、杏子氏メインという贅沢な配役で、それから皆都乃ヨーコ氏というのはたぶん歌謡曲の人、そして和央氏も10年代後半から良い仕事をしてこられた方。さらにサブキャラにも、かわしま氏、一色氏、桜川氏、柚原氏と、2010年前後に輝かしい表現を記録してきた役者さんが並んでいる。何なの、これ……買おう。

 Laplacianもロープライス新作を告知したし、こちらも良いキャストになるだろうと期待している。

2026/01/06

漫画雑話(2026年1月)

 2026年1月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。
 試しに、評価点をつけてみる。60点以上は、見るべきところがある(60点未満は言及しない)。70点は、十分な美質と個性がある。80点以上は読み応えのある優れた作品。90点は傑作級。特にコメディやお色気ものは評価が難しいし、あくまでおおまかな感触程度にとどまるが。

2026/01/05

アニメ雑話(2026年1月)

 2026年1月の新作アニメ感想(※タイトル五十音順)。
 今回は、試しに総合評価の点数推移もメモしてみる。それぞれ第3話までで『透明男』85点、『違国』85点、『シャンピニオン』80点、『アルネ』80点、『29歳』70点、『ヘルモード』70点。『魔王の娘』『人外教室』『カヤちゃん』『アカウント』は中途離脱。