第7話「山県沙織と武内実花子/武内実花子と山県沙織」
原作第3巻の後半、第17-19話に対応する。事実上ひとまとまりのエピソードである。アニメ第4話(原作第6話)の延長上の物語でもある。相変わらず、他のキャラクターたちとの関係は乏しい。
脚本は綾奈ゆにこ、絵コンテ&演出は渡邉こと乃。レイアウトやキャラ絵はかなり原作に寄せているが、小道具を活用したりイメージカットで上手くつないだりして、映像翻案ならではの意味作りをしている。
【 Aパート 】
(00:00-)アバンタイトル無しで、OPから始まる。今回のメインタイトル画面は、キャラクターではなく風景。満開の桜が、病院の池に零れんばかりに垂れ下がるというゴージャスな風景から始まる。原作由来のレイアウトだが、アニメ媒体ならではの色彩感と、画面右上からの光源表現が味わい深い。
(01:30-)四方木田は、原作ではフルーツ籠を持ってきているが、アニメ版ではバラの花瓶を両手に抱えたポーズで登場する。「実花子でしょ」という台詞のところで、原作漫画は網掛けコマで心中の屈折を示唆しているが、アニメ版は美しい水面に桜を掲げて華やかなイメージに変えている。
(02:40-)回想シーン。アニメ版の武内は、フレンドリーに左手を上げて山県を呼び止め、卒業公演のWキャストの話をする。さらに青葉茂る木々の間に青空を見上げるカットは、希望に満ちた雰囲気と、そして2本の大樹が大きく分かたれていることを示す(アニメ版での追加カット)。淡島歌劇場のエントランス風景も、アニメ版の新規作画。観客は9割方女性で、大学生くらいの若年層も多数来場している。演目は『ロミオとジュリエット』。青ジャージの山県が気遣わしげに見つめる表情と、赤衣裳の武内が無理をして立ち上がって舞台袖に向かう動きは、アニメ版独自。「笑うわけない」の言葉の重みは、Bパートであらためて利いてくる。
これは彼女たちにとっては、音楽学校の卒業公演である。直前の第6話でも述べたように、「文化祭」公演と同じものである。ただし、現実の宝塚音楽学校の卒業公演はクローズドな3日間公演だが、本作中の卒業公演は2日間、そして上記のように一般客も観劇しているように見える(※生徒の親族ばかりなのかもしれないが)。作品解釈のうえでは、ほとんど影響は無いが、念のため付記しておく。
公演を終えて、自室で安静にしている武内。同室の後輩は、アニメ版では「上田」となっている。上田良子と同じ名字になっているのは、ただの偶然か? ここでもデフォルメの白目表現を模倣しているが、やはりアニメ媒体ではこの表現は雰囲気を崩してしまう。四方木田が持ってきたお見舞いの花束はキンセンカ。アニメ版は、花束のクローズアップショットを入れることで、その温かな気遣いを強調している。床から離れた高いベッドでうつむく武内と、それを見つめる山県&四方木田の対比構図も、アニメ版による。舞台照明が順次落とされて真っ暗になるのも、アニメ版独自。
次のシーンは、3人が歌劇学校を卒業して、歌劇団に入った1年目の初冬あたりと思われる。大都市の賑やかな街角で向き合って立つ二人はちょっと妙な情景だが(アニメ版独自)、原作の風景描写を生真面目に捉えすぎてしまったのか、それとも、山県と四方木田は世に出て独り立ちして活動しているという意味なのか、判断が難しい。その後のレストランシーンは、次の武内編の描写を先取りしたもの。ビル街は煌々と明るいが、ひと気がなく、小さく描かれた彼女たちの後ろ姿は寂しさを引き立たせる。「そもそも、さ……」と立ち止まる四方木田と、それに振り返る山県の振り付けもアニメ版による。看板「BLACK CAT」がやけに目立つが、とりたてて意味は無さそうだ。明かりが遠くにキラキラと輝く雑踏風景も、アニメ版のアレンジ。
(06:20-)そしてふたたび湖面の桜を映して、現代の病室シーンに戻る。TV画面に映っている元気な武内の傍らには、奇しくも大輪のキンセンカの鉢植えが置かれている(原作よりも強調されている)。彼女が腰掛けている椅子もオレンジ色で、内装の壁もキンセンカと同じく橙色に統一されている。山県の病室のTVディスプレイは明るい窓際で、さきほどのバラの花瓶の横に置かれている。
舞台演出家の宮島は、Bパートで登場するが、長期療養した武内が復帰できるように尽力した人物である。さらに、のちにアニメ最終話にも再登場する。
【 Bパート 】
(07:30-)サブタイトルの一枚絵は、原作第19話の扉絵をベースにしている。内容面では、原作第18話に相当する。
ここからは、武内実花子サイドの回想になる。淡島入学直前の自宅風景から始まって、さらに幼いときの入院生活へと遡る。ガラス窓越しのカットは、原作漫画のままだが、アニメ版ではガラスに外の風景が映っているせいで、幼い実花子が病室の奥に閉じ込められているような雰囲気を強めている。また、アニメ版ではベッドの上にスイッチやコンセントをぎっしり描き込んだり、点滴スタンドを画面に入れたりして、その空間の人工性を念押ししている。少女漫画や雑誌はアニメ版独自の絵だが、とりたてて元ネタなどは無いようだ。「同室だった女の子は 少し前に亡くなってしまった」のくだりでは、アニメ版はロングショットの構図で、武内のベッドの前に、無人になったベッドをレイアウトしている。頭上の棚には、ぬいぐるみやケン玉と並んで旅客機のミニチュアがあり、彼女がスチュワーデス(フライトアテンダント)になりたいという当時の夢を、微笑ましくも支えている。この時代はおそらく1990年代前半なので、「スチュワーデス」という呼称がまだ使われていた(過渡期?)。「グリーンホール」も、元ネタは無さそう。
(09:10-)そして淡島入寮の日へ。アニメ版では、武内宅の生け垣に白い花々が咲いている。武内の実家は、そこそこの一軒家が建ち並んだ穏やかな住宅街のようだ(アニメ版)。武内父の眼鏡も、例によって度入り表現あり(アニメ版)。本作は男性に眼鏡キャラクターが非常に多いのも特徴的である。原作の校庭コマも、アニメ版は飛行機雲が横切る絵に置き換えて、武内の夢が続いていることを示そうとしている。
卒業公演の主演が決まり、靴を蹴飛ばして、身体を思いきり乗り出して電話機のダイヤルを回すポーズも、アニメ版がユーモラスに追加している。時代設定はおそらく2000年代初頭と思われ、当時としてもダイヤル式電話機が現役で使われているのはかなり珍しかったと思われる。受付の緑色カチューシャの女性は、第1話の田畑入寮時(2005年)と同一人物で、外見もほとんど変わっていない(演者は小松奈生子。第4話は声のみながら登場。第8話では臙脂色のヘアバンドで、やや年を重ねた風貌で受付を続けている)。つづく武内の横顔は、アニメ版では青空にオーバーラップしている。
(11:50-)そして、Aパートでも描かれた卒業公演を、武内視点から描き直す。舞台袖へ歩いていく武内や、深紅の緞帳が上がる豪奢な雰囲気、そして中央で両手を広げて演技を始める武内の姿など、アニメ版はその魅力を引き出すカットを増やしている。山県と四方木田が武内の部屋を訪問するくだりはほぼ原作のままだが、木製ベッドの縁が武内と二人の間を区切って見えるような一枚も追加されている。細かい話だが、「みえる」は中部地方の方言で、「いらっしゃる」の意味。四方木田がこの言い回しを使ったのはちょっと不思議。
練習場の短いシーンは、原作漫画では実家での電話口風景だったものを、アニメ版で置き換えた。汗が滴り落ちる描写は、おそらく病院点滴に重ね合わせて、彼女の苦闘の長さを示唆するための絵コンテだろう。母親が病室を去っていくカットも、アニメ版独自(※このとき、「実花子 ごめんね」の会話があったのだろう)。原作では、武内は病室のベッドに仰臥して物思いに耽っているが、アニメ版では病に抗おうとするかのように上体を起こして沈思している。
武内の降板記事は、アニメ版では文面が判読できる。それによれば、武内の歌劇団での芸名は「美甘(みかも)まゆり」、そして次期トップスター候補として嘱望されていたが、病気療養のため、降板と同時に退団を決定したとのこと。退団公表は話を先取りしすぎているように思うが、ただの画面内の書き込みなので、気にするほどではあるまい。
レストランでの山県&四方木田のシーンでは、山県の顔が(心が)紅茶の表面に揺らいでいるカットなどが追加されている。
(15:20-)ここからは原作第19話の内容になる。ふたたび山県の病室にて、今度は武内が見舞いに訪れている。顔を俯ける武内の、横髪が流れ落ちるアニメーションは、動画媒体ならではの武器を活用している。ただし、レイアウトや表情づけについては、原作漫画をかなり忠実に踏襲している。宮島の名刺では、住所が「兵庫県垂…」のように読めるが(神戸市垂水区を想定?)、淡島が兵庫県下にあるとは限らない。
点滴スタンドの絵から、みたび水面と桜のカットが映し出される(アニメ版独自)。水を滴らせていく長い苦しみと努力の上に、武内がそれを現在の華々しい活躍へと結実させたことと、そこに流れる生命力を表すものだろう。さらに、花瓶から落ちる赤い花弁と、そこから水に広がっていく墨も、アニメ版独自(原作では黒ベタコマの連続)。しかしそれも大輪の花々によって塗り替えられる。このエピソードも、花による象徴的表現が多い。山県のモノローグは、病室での静かな声ではなく、本心での力強く明るい声で演じられている。
(21:10-)さらに時間経過。市街地のカットは、彼女たちがふたたび世に出て活躍していることを示唆する。そして、踊るような劇伴とともに記者会見の席に二人が座っている間に、二人をつなぐように大きな花束が置かれている(この花もアニメ版が追加している)。事務所のTVで会見報道を観ている四方木田のカットも、アニメ版独自。今回の最後に映し出される、バラやマリーゴールドの花々もアニメ版独自のコンテだが、彼女たちが最善の形で大輪の花を咲かせたことを表している。
余談ながら、このW主演の舞台作品は、次の第9話によれば、『ヴァイオレット』というタイトルである(原作でも明示されている)。TVドラマをベースにして、舞台化翻案を武内たちが演じることになったという経緯のようだ。
また、アニメ版の新聞記事の文章によれば、山県はトップスターとして活躍した後、淡島歌劇を退団しており、その後病気により休業したが(=今話のエピソード)、快癒して武内とのW主演にまで漕ぎ着けたようだ。現実の宝塚歌劇の慣例に即して言えば、トップスターになった時点ですでに30歳前後であり、そこからの年数を加算するとW主演の時点でかなりの年齢になってしまう。なので、この記事は設定情報としては採用しないか、あるいは、あくまで淡島と宝塚のシステムは一致しないという想定で、かなり早くにトップスターになったと考えるか、どちらかの道筋で解釈する方が妥当な結論になりそうだ。
【 小括 】
武内もまた、家族との関係の軋みが、彼女自身の人生の選択に影を落としている。それは退団と引退という大きな転機をもたらしてしまった。しかし幸いにも、そして皮肉にも、「山県による代役/山県からの代役」という出来事を通じて、母親とのすれ違いが解消されることになった。
淡島受験は未成年に限られており、それゆえ淡島を目指す人々は、家族や周囲との関係を抜きにして人生の選択をすることがほぼ不可能だし、淡島のステージに生きるトップスターたちですら、依然としてそうした桎梏に囚われている場合がある。家族や親族から純然たるポジティヴな後押しを受けたのは、作中のキャラクターでは竹原(叔母の悦子)と小鳥遊(伯母の上田良子)であり、そして田畑も家族から鷹揚な応援を受けつつ頑張って入学した。それに対して「伊福部の娘」は、いまだ母親との誤解の溝が解決されていないし、「城芙美子の娘」も、母親の世界に囚われたままである。
こうした観点で武内のエピソードは、家族との「ボタンのかけ違い」を解決できた幸いなケースとして、本作全体の中でユニークな側面を照らし出していると言えるだろう。家族関係の問題とライバル関係の両者を巧みに絡み合わせて描ききった原作者志村氏の、構成力とストーリーテリングの凄味を体験できるエピソードでもある。