2026/07/03

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第8話

 第8話「小鳥遊紗羅/藤沢江里/雅楽川静香」

 原作第4巻の前半、第22-24話にそれぞれ対応する。同級生どうしの、ひとまとまりのエピソードである。時代設定としては、作中の最も若い世代になる。
 脚本はメインの中西やすひろ、絵コンテは銀さん、演出は増原光幸、DR MOVIE、Hwang Iljinの連名。DR MOVIEは、90年代に創立された韓国アニメ会社である。この回は、原作の黒ベタコマのところを新規作画で埋めるだけでなく、かなり自由に描写を作り直している。原則論としては、アニメ翻案が漫画の絵に縛られるべきではなく、映像は映像として、その媒体の特質に適した形で再構成されるべきだというのが私の個人的な立場だが、この話数については言えば、映像作品の絵コンテとしてあまり上手くいっていないように思う。


 (00:00-)アバンタイトルは、原作第22話の中盤(3巻23-24頁)から、上田と竹原のシーンを切り出している。時代設定はおそらく2010年代に入っており、それは小道具にも反映されている(二人がスマホで通話している)。竹原はすでにトップスターとして現役活動中であり、短く揃えたヘアスタイルもすでに馴染んでいる様子である。上田が持っている記念写真は、上田の高校時代のもの(おそらく志村氏の『青い花』のキャラクターたち)。タイトル画面の一枚は、第3話のものと同じ構図だが、星々のきらめく夜景へと描き変えられている。


 【 Aパート:「小鳥遊沙羅」 】
 (2:30-)とある年の正月から始まる。時代設定は2016年頃だろうか。人間関係をあらかじめ整理しておくと、小鳥遊沙羅の父親は賑やかな人物であり、その弟(つまり沙羅の叔父)は上田良子と結婚している。沙羅の祖母は、弟一家と同居している。沙羅は小学生だろうか。
 良子たちの住居は、観葉植物の鉢植えや花々の絵が随所に飾られている、潤いのある家である(アニメ版の追加要素)。ロングヘアだった上田は、結婚後に髪を短めにしている。絵コンテは、大筋では原作に沿っているが、キャラクターの所作は生き生きと動かされている。雑誌記事や台詞によれば、竹原はトップスターになっている。沙羅がお雑煮餅を伸ばして元気よく食べるシーンは、アニメ版による追加。
 現実の宝塚歌劇について言えば、「トップスター」とはただの有名スターではなく、花月雪星宙5組の、文字通りトップに立つ男役として明確に定義される存在である(つまり、どの時期にも5人しかいない)。トップスターに就任すると、3-5年程度で退団する慣例になっている。作中の司玲於奈や香月泉の退団も、こうした慣行に沿ったものと推測される。
 上田がいう「あきら」は、同じ作者の『青い花』の「奥平あきら」のことだろうか? 上田良子はそちらの作品にも登場しているらしいが、未読なので分からない。また、『青い花』には「澤乃井」名字のキャラクターも登場するとのことで、次のエピソードに登場する澤乃井の親族の可能性がある(息子か甥かもしれない?)。

 (04:20-)サブタイトルの一枚絵は、他の回と合わせた全身図から、原作の扉絵に合わせたバストアップに変化する。
 沙羅の淡島入寮のシーンは、田畑の入寮時(第1話)を再現するようなコンテが続いている(受付で話す、振り返って応接間のテーブルを見る、そして階段を見上げる、背後から先輩が近づく、そして階段を上っていくところまで)。クリームイエローの上着も、まさに田畑と同じである。二人のキャラクター性はまったく別ものなのだが、視聴者は無意識的にでも既視感を覚え、そして淡島入寮では何十年もこのような風景が繰り返されてきたのであろうことを感じ取るだろう。
 明るい廊下を歩いて、洗面台や共同浴場を紹介するあたりは、アニメ版独自に絵コンテを切って、沙羅の好奇心旺盛な様子を描き出している。また、小清水のモノローグでは、漫画が黒ベタ進行であったのに対して、アニメ版は生徒たちの陰鬱な姿をイメージするカットを追加している。この一連のシーンでは、大きくて明るい窓が並ぶ寮生廊下の開放感や、書き文字を浮かせる軽妙軽薄な雰囲気が、他の話数と比べて特徴的に見える。

 小清水のモノローグがたびたび言及するように、彼女たちの上の年代では、「息が詰まりそう」な反目や虐めが生じていたらしい。アニメ第9話でも触れられるとおり、伊吹はいまだ現役教師として働いており(たぶん60代後半)、きっと学内の虐めが発生しないように尽力していた筈だが、この後入院するように衰えがあったのか、抑えが効かなくなっていたようだ。伊吹は教師としての厳しさをもって、学内の健全さを維持しようとしていたが、ここで小清水や柳原の世代は、当事者の自らの力で「風通し」を良くしようと努力している。本科生からの陰湿な抑圧を受けていた小清水-柳原世代は、それに足を引っ張られたせいか、残念ながら役者デビューの描写が無いが、彼女たちの薫陶を受けた沙羅たちの世代が健やかに育って仲良くデビューしているのは、いささか巡り合わせの皮肉も感じるが、彼女たちの尽力が実を結んだと捉えてよいだろう。

 (07:30-)これまでもくりかえし描かれてきた屋上からの風景、鉄柵の向こうに遠い空と豊かな山々と平和的な海が広がる風景を映して、沙羅の入寮物語は朗らかに締め括られる。


 【 Bパート:「藤沢江里」 】
 (07:30-)明るい光に照らされた沙羅の自己紹介から、藤沢江里視点のパートが始まっている(原作同様)。藤沢が立ち上がるのはアニメ版独自。
 サブタイトルのスチルは、原作の扉絵をベースにしつつ、全身絵にしたものだろう。
 絵莉のカットはアニメ版独自、澤乃井に掛かる文字表示もアニメ版特有の演出。このあたりはアニメ版独自の作画がかなり多い。クマのマウスパッドや、絵莉のpixiv(Pixive)アカウントのディテール、電車内での様子、ベッドに倒れ込む動画、沙羅&藤沢が熱心に話し込んでいる夕方の教室、二人が階段を上るシーン、澤乃井のSNSアカウント画面など。レイアウトの面でも、しばしば実験的な絵作りをしている。親戚の有名人について雅楽川が忠告するのは、次のCパートのストーリーにも関わっている。
 細かい話だが、澤乃井のSNSアカウント情報に鑑みれば、この時代は2018年以降である(言い換えれば、田畑入学の年から少なくとも13年が経過している)。ただし、これを厳密な作中設定として受け入れてよいかどうかは分からない。下手をすると年代設定に矛盾が生じてしまうので。

 (12:40-)新入生たちは、変わらず古いままの校舎内を歩いていく。年々歳々、学校内の木々は緑であり、柔らかな木陰が建物を覆っている。雅楽川は、達観した台詞とともに、二人を置いてどんどん進んでいってしまう(これらの動きもアニメ版独自だが、廊下の奥行きが3Dモデリングそのままのようで少々浮いている)。校庭に面した通路のカットは、第6話にも同じレイアウトで描かれたが、ここでは枯れ木の夕暮れではなく青葉の日中として描かれている。

 いささかバタバタしてまとまりが無いように見えるシナリオだが、次の第9話「淡島文化祭」にも関わってくる布石のエピソードである。
 今回の冒頭のエピソードで、竹原が「良子さんの身近な人[の名前]で構成されてるのね わたし」と幸せそうに語ったのに対して、藤沢の場合はいまだ友人たちの漢字をもらうことに一方的に憧れている状況だが、いずれそれは芸術的実践の中で昇華されるだろう(次回を参照)。
 また、「いつも誰かになりたかった」という思いは、上田の「あなたそのものになりたかった」という台詞とも響き合うが、藤沢の場合は具体的な他者ではないおかげで、ステージ上の理想として解決できる余地がありそうだ。「いつか誰かに」描いてもらい、誇ってもらえるようなスターになるという形で。


 【 Cパート:「雅楽川静香」 】
 (14:40-)例によってサブタイトルの絵は正面からの全身イラスト。
 雅楽川と佐々木が観劇した舞台作品『ヴァイオレット』は、直前の第7話の山県&武内によるW主演の作品と思われる。雅楽川たちはこの時点で中学生。時代設定はおそらく2010年代後半なので、スマートフォンも十分普及している。おそらく小中高一貫の私立校で、佐々木たちは初等部(小学校)からの持ち上がり、雅楽川は中学受験で入学してきたようだ。

 (15:20-)教室での昼食風景や、陰口をたたくクラスメートのイメージ、有川を囲んだ記念写真など、ここでも独自コンテが多く、無地背景や、周囲を狭く囲んだ枠表現なども用いられている。原作漫画が黒ベタ背景のモノローグコマを多用しているので、それを視覚的に補ううえで十分な意味があるし、それを別としても、ユニークなアニメ演出としての意義がある。ただし、デフォルメ顔を一瞬で終わらせずに延々アニメーションするなど、少々クドすぎてバランスを壊しているように見える箇所もあるし、その場の状況がかえって把握しづらくなっている絵もある。
 窓外の明るさとは対照的に、廊下側はほとんど真っ黒に作画されているし、生徒たちも逆光で影のように暗く見える。淡島以外のどのような場所でも、このような不和や対立や陰口は起きうるという例証である。

 (19:20-)合格発表に向かう鉄道車両の内装は、いかにも阪急電車っぽいカラーリングだが、外装はさすがにマルーン色ではなかった。線路を走る風景は、ちょっと妙な地形。雅楽川たちがテーブルで喋っている談話室(アニメ版独自のカット)は、第2話で田畑たちがいたのとおそらく同じ場所。タイトル画面の屋上夜景を静かに映して、このエピソードは終わる。


 【 小括 】
 新世代を描いたエピソード集である。沙羅は家族のサポートを受けて、新生活も素朴に謳歌している。藤沢は中学校の友人との関係に悔いを抱いているが、淡島で良き友人に出会えた。そして雅楽川も、中学校のクラスで人間関係を破綻させてしまったが、信頼できる友人は残っているし、淡島でも級友や先輩との間に幸福な関係を築いている。三人のドラマを順番に見ていくと、家族-友人-クラスと、問題の規模も大きくなっているが、得られたものもより堅固でうるわしいものになっている。そして、正直で物怖じしない沙羅や、陰口関係を拒否できる雅楽川たちは、「風通しがよくなる」希望を感じさせてくれる。