第11話「岡部絵美と伊吹桂子」
原作は第29話の終わりから、第30話まで。ED後のワンシーンのみ、第31話(最終話)の冒頭を先取りしている。
脚本は中西やすひろ。絵コンテ&演出は、山村日向。フリーの演出家とのことで、本作への参加はこの話数のみ。例によって、大筋はレイアウトや表情づけまで原作漫画に沿っているが、イメージカットなどをかなり増やしている。とはいえ、アニメーションとしての動き(キャラクターのモーション)などは、あまり付いていない。会話とモノローグを主体とする作品なので、そうした動画演出の重要度は他よりも低いタイトルではあるのだが。
(00:00-)アバンタイトル。病院の受付で面会カードに記入する田畑のシーンから始める(アニメ版独自)。時代設定はおそらく2020年以降で、田畑は30代になっている。
田畑が訪れた伊吹の病室は、暗いカーテンに狭く囲われて天井を見上げるカットにより、一目でその場の状況と雰囲気を伝える。画面全体が、しわがれた枯色のトーンに染められている。生命を感じさせるものは何も無い。病床に横たわる伊吹が、静かに目を開く。前回の入院とはうって変わって、総白髪は整えられもせずに枕の上に広がっているし、鼻に装着されているカニューラは彼女の呼吸能力すら衰えていることを示している。
青々とした学校屋上や緑の校庭を時折フラッシュバックさせつつ、何もない孤独の病室での会話が続く。力なく、右手をようやく布団から出して、伊吹は心中の澱を田畑に吐露しようとする。去りゆく岡部の後ろ姿も、間近に見た彼女の笑みも、そして若き伊吹自身の姿も、唾を吐きかけられるような所業をしてしまったことも、色を失った遠い過去のイメージとして、黒白モノクロで現れては消えていく(アニメ版独自のカット)。そして、滴り落ちる薬剤と、チューブ内の残り少ない液体は、彼女の命の終わりの近さと、そこに生まれようとしている小さな波紋の動きを印象づけようとしている(これもアニメ版独自)。カーテンに遮られた秘密の部屋で、しかし同時に青い海が確かに存在することを示しながら、伊吹は語り始める。
(02:40-)メインタイトルのカットは、病院周辺の風景(原作からの絵)。海辺ではあるが、おそらく淡島学校とは別の場所だろう。岸辺まで迫った低い山々は、豊かな緑に覆われており、近くの砂浜に沿って小さな市街地も存在する。
(04:10-)OPムービーを経て、サブタイトル表示。前回の、桜並木を歩く岡部とそれを見送る伊吹を、別の角度から描いた絵が添えられている。桜の木々も含めて、絵全体が撫子色(ライトピンク)で塗られている。サブタイトルのカットに色が付いたのは、これが初めてであり、そして唯一になる。
淡島の学校を訪れる田畑。年齢は30代になっている筈である。終始朗らかな彼女も、今回ばかりは枯れ木立の忌まわしい影から目を反らすことができない(アニメ版独自の演出追加)。資料室の前で、旧知の学園教師を見かけた時点では、二人はお互い明るい窓を背負っているのだが、すぐにそれは資料室の真っ暗な窓と、窓外から襲いかかってくる枯れ木の影に置き換えられる。背後の枯れ木が執拗にフレームインしてくる中、岡部と伊吹の件へと話が及ぶ。会話の様子では、岡部たちの事件は、淡島歌劇学校の歴史の中でも特に大きな事件の一つであったようだが、それはあくまで学校内部で隠蔽され、スタッフの間でも陰に籠もった噂としてのみ伝えられている。噂の中身に踏み込むにつれて、校舎の外壁は黒い枝の集まりによって覆われ、さらに教師の影までもが超現実的に枯れ枝の影に乗っ取られ、そして田畑までもが画面いっぱいに密集した黒枝に埋もれていくのも、同じくアニメ版のおどろおどろしいコンテワークである。言うまでもない、学校全体に長年蔓延してきた「亡霊」たちとそのしがらみである。
なお、職員室のドイツ語書籍『Die Grundlagen der Kl…』は、おそらくクラシック(klassisch)音楽の入門書。
(06:40-)田畑のマンション外観にも、アニメ版は枯れ木立をオーバーラップさせているが、幸いにも彼女の自室は平和的な明るさに満たされている。アニメ版のディテールとして、棚にユーモラスなぬいぐるみが描き足され、その隣には淡島文化祭での記念写真(ロミオ姿の竹原を田畑、村上、ザワちゃん、大久保が囲んでいる)、フリージア(?)の花瓶、彼女の机には温かそうな紅茶が置かれ、さらに机上に積まれた書籍には『華と夢の記憶 淡島歌劇団の歴史』という書名が判読できる。記念写真で田畑と竹原が並んだ幸福な時代をいったん映して、しかし彼女は過去の事件に取り組み始める。翌日、念押しするように枯れ木立を一瞬映したのち、田畑は決意の深呼吸とともに岡部家に電話する。
田畑のモノローグ、「おためごかしでしかないのかもしれない」は、以前に伊吹が零した言葉とまったく同じフレーズである(アニメ第3話/原作2巻123頁)。伊吹の意志が、正しく田畑に受け止められていることを示唆する符合と言えるだろう。
(08:00-)連絡がついたのは岡部の実家のようで、岡部の実弟(岡部秋彦)が応対している。岡部邸は、現代的な戸建てが並んでいる住宅街にあり、邸内もクリーム色基調で明るく柔和な雰囲気である。岡部夫妻の口調は、どうやら広島弁寄りのようだ。ベランダに鉢植えが並んでいるのは原作のままだが、邸外の道路の街路樹は、原作では青葉が茂っていたものをアニメ版では寒々しい枯れ木立へアレンジしており、不穏さの雰囲気を引きずっている。
視点を変えて、久保田家へ。すなわち、岡部絵美が結婚後の生活を送っていた家であり、老いた久保田(岡部の夫)は、第3話の葬儀のシーンにも登場した人物である(声優は同じく花輪英司)。絵美が亡くなってから、おそらく20年ほどが過ぎており、久保田は70代と思われる。久保田邸の外には、いくつものプランターが並んでおり、ポトスやコルジリネ、そしてアイビーの白い花などが見えるが、対照的にリビングは明かりが消えて沈鬱な雰囲気に包まれている。電話中の彼の横顔も、逆光で暗くなっている。絵美が亡くなってからの彼は、あまり幸せではなかったのだろうか?
(10:20-)一転して、鮮やかなイチョウ並木の下にキキョウが乱れ咲くカットを挟んでから、skype風の動画通話で田畑と岡部弟が面談し、そして田畑は久保田家を訪問する。おそらく広島県内の、低山の間の住宅街のようだ。イチョウの秋から粉雪の季節になってしまっているようだが、現実的な時間経過というよりは心象的なムードとしておこう(これらは原作に沿った描写なので)。
アニメ版独自に作画された、久保田邸の中庭のカットは、くりかえし映されるためもあって、印象的な風景である。リビングの前からまっすぐ伸びた煉瓦舗装の小道の先には、小洒落たアーチがあり、その奥のスペースには白いテーブルと椅子が置かれている。しかし、画面ではもちろん無人のままであり、そこにいるべき人がいないことを仄めかしている。小道の両側には芝生や低木が植えられているが、田畑が来訪した初冬(?)の時点ではほとんど落葉して、枝だけが虚しく広がっている。周囲には常緑樹の生け垣があるだけに、庭内部の枯れた雰囲気が強調されている。
さて、リビングのテーブルでは、久保田(岡部絵美の夫)と、その次男(つまり岡部絵美の息子)の二人が田畑と向かい合っている。観葉植物などのディテールが加えられ、また、小窓の外から暗い森や粉雪が見え隠れするが、全体としては原作漫画の形状に合わせている。
老久保田が小野田の話をするとともに、彼女のイメージが現れる(アニメ版独自)。久保田が小野田の手紙を通じていくらかの事情を知っていることは、アニメ第2話でも振れられていたとおりである。淡島の体育館、廊下、教室、折り返し階段、そして学校の門へと移りながら、小野田の後ろ姿は薄くフェードアウトしていく。さらに、久保田が思い描く岡部絵美の物思わしげな顔は、漫画版では目を閉じたままの一コマだが、アニメ版では風景にオーバーラップした線画として、ゆっくり目を開いて上の方を見据えるようにアニメーションされている(※市街地の風景描写は、どこか実在の土地に基づいているのかどうかは不明)。朗らかに笑う絵美のカットと、それに続いて彼女が学校の廊下を歩いていく後ろ姿は、アニメ版でもモノクロで作画されている。
サイドボードに置かれている岡部絵美の写真はカラフルだが、ここではそのディテールは見て取れない。緑のアーチに囲まれていて水やりをしていた絵美の姿と、現在の枯れ果てた無人のアーチが、アニメ版では対比されている。そして、庭の小道を歩く絵美の影は、学園の廊下を経て、こちらに振り返り、そして消える。アーチは、OPムービーにも描かれている。
(14:30-)田畑は自宅に戻って考え込む。机の上には『淡島百年 歌劇団のあゆみ』や『舞台に咲く、淡島の鼻たち』といった書籍も見えるが、山路よし子(伊吹の母親)の世代から数えても、確かに淡島はすでに100年前後を閲しているだろう。田畑は、伊吹の学校時代を想像する(アニメ版独自)。それは、寮の部屋の窓際に立って、明るい窓外を見つめる後ろ姿である。
(15:20-)ビル街の風景は、新宿駅北西の新都心歩道橋付近である(原作どおり)。幸いにも伝手を紹介されて、後輩の柳原とレストランで会う。街路樹は依然として枯れたままだが、柳原の上着は明るいコーラルレッドで、レストランのソファも鮮やかな赤色であり、ここで画面のムードが一気に活気づく。柳原の名刺に猫口のマークが入っているのがユーモラスであるが、会話はてきぱきと進められる優秀な人物である。柳原は、田畑の文化祭公演から触発を受け、歌劇学校から歌劇団には進まず、文芸(編集業)でキャリアを積み重ねてきたとのこと。それゆえ、20代半ばほどにはなっていると思われる。伊吹の件と同じように、柳原の上の学年にも大きな問題が起きていたことを彼女は語る。柳原の苦い述懐に合わせて、アニメ版では桜並木を歩いて行く無数の淡島生徒たちの後ろ姿を描き出す。
淡彩のデリケートきわまりないグラデーション着彩の下、その季節は春の桜吹雪から初夏の青葉、秋の黄葉から冬枯れの風景、そしてふたたび春への暖かな空気へと戻っていく(原作漫画は並木を真上から俯瞰するコマによって表現したが、アニメ版は奥行きのあるレイアウトによって歴史の長さと未来への道を示そうとしている)。田畑は、ひと気のない伊吹の座席を思い、涙を滲ませる。そして、柳原の支援を得た田畑は、執筆に取りかかる。
ちなみに、柳原の世代にも伊吹は教師として在籍していた筈だが、その当時でも60歳を超えていた筈であり、現場に立つ機会は減っていた(それゆえ柳原たちにはいささか縁遠い存在だった)と推測される。
(17:50-)暗転を挟んで、伊吹の病室へ。背景は黒く霞んでおり、画面はほぼモノクロである。原作ではここから黒ベタのモノローグが続くのだが、アニメ版では、点滴チューブから、生き方を転倒してしまった伊吹のベッド(頭が画面下に来る角度で描かれている)、そして悔恨の黒い花吹雪に流されて、彼女が届かなかった二人の背中――岡部と小野田――が映される。二人と伊吹の位置関係は、上下逆さまであり、もはや同じ地平に立つことができない。若き伊吹のシルエットの中に、淡島学校時代の思い出の数々(窓際の座席に座る岡部に始まって、岡部による決定的な台詞、そして岡部に背を向けた自分、岡部を見捨てたこと、岡部に投げつけてしまった台詞、そして岡部から受けた烙印)がフラッシュバックしていく。さらに、彼女が憧れていた理想である祖母と、その冷たさと、彼女に対して発してしまった言葉への後悔、そして彼女から受けた初発の感動の瞬間を自らの中に抱え込んだまま、伊吹の姿は小さくズームアウトしていく。淡島学校でのうるわしい記憶の数々も、山路家~伊吹家の4世代に亘る執着と憎悪と憧れと葛藤の歴史も、取り返しのつかない呵責の黒い花吹雪に塗りつぶされて、最後のひとひらが水に沈んで消える。
最後の一言は、高齢者としての声色ではなく、若い伊吹としての言葉になっている。学校時代に言うべきだった謝罪だという解釈か、あるいは、伊吹の人生全体を掛けた――つまり年齢の如何を超えた伊吹の本心の――言葉として捉えることも可能かもしれない。
(19:20-)曇り空を背景にした冬枯れの桜から、葬儀場のシーンになる。伊吹を弔うために、教え子たちが集まっている。皮肉なことに、「華がない」と言われて慎ましやかな生活を送っていた伊吹は、彼女の遺徳を偲ぶ人々により、色とりどりの花に囲まれている。物理的にも、そして様々な形で芽吹いた教え子たちという意味でも。このくだりをどのように捉えるかは、解釈の分かれるところだろう。贖罪を果たして最後の祝福を受けたと見るか、生きている間には華を持てなかった人生のアイロニーを見出すか、それとも一人の才能を潰した人間の曇り空の末路と見做すか。
参列者には、田畑と、旧友の村上、そしてその後ろに並んでいるのは住吉(伊福部)のようにも見えるが、本人だとすると70歳以上の筈なので、別人かもしれない。喪主は分からないが、伊吹吉彦(桂子の父親)側の親族であろうか。桂子の遺影は、アニメ版では顔を映さないままカメラを外している。
さらに、今なおステージの第一線で活躍している大久保と、そして大スターの竹原も姿を見せる。もう独りの一つ結びの女性は、ザワちゃんだろうか? 学校時代の先輩と後輩のムードに一瞬だけ戻った後、田畑の不安げな表情を見て、竹原は何かに驚き、田畑を気遣う。そして参列者たちは粛々と辞去していく。恩師を失って寂然とした空気だが、木々の間には、まぶしく輝く海がわずかに見えている(アニメ版独自)。
ここで竹原が驚愕する演出はいささか不可解である。原作では、「不安です」という言葉を聞いてびっくりしただけのように読めるが、アニメ版の表現はあまりに大袈裟に見え、しかも「不安です」という言葉が発せられる前に驚く理由が分からない。竹原が、岡部の事件と田畑の執筆を知っていた可能性はあるが、そうだとしても(そうであるならば尚更)、ここで驚く筈はない。それ以外の事情でも、田畑の「不安です」という言葉だけで大きく驚くような理由は考えにくい。私見では、原作漫画の表現を絵コンテ&演出が捉えそこなったのではないかとも考えている。
(21:20-)執筆しながら、田畑は思いを馳せる。淡島の校庭で朗らかに夢を追って生きる生徒たちの、神々しいまでに清らかな姿を映し(アニメ版独自)、そして、祝福とも弔意とも知れぬ白バラの海が暗闇に浮かんで、このエピソードはEDに入る。
今回のEDソングは、前後にピアノ独奏を入れて、多少アレンジされたヴァージョンである。
(23:20-)ED後に、もう一つのシーンがある。大型書店の新刊コーナーに並ぶ、田畑の『惜別の日々』。オビのフレーズ「夢を追い続けた少女たちの 光のかけらと影のゆらめき」は、アニメ版独自。