2026/07/04

『淡島百景』原作漫画とアニメ版の比較対照:第9話

 第9話「淡島文化祭/柏原明穂と田畑若菜」

 「文化祭」は、原作第4巻第25-26話で、前話(アニメ第8話)から続く最新世代の物語である。「柏原明穂」は、第3巻末尾の第20話の単発エピソードだが、これを「文化祭」エピソードの中に挿入する形にしている。
 脚本は綾奈ゆにこ。絵コンテ&演出は、いしづかあつこ。とりわけ「柏原明穂」パートでは、彼女のキャラクター性を強調するような演出が多数投入されている。今回は23:55と、ふだんよりもわずかに長い尺を取っている。


 (00:00-)アバンタイトルは、原作から少しだけ順番を入れ替えて、チャットメッセージから始まる(単行本4巻94頁)。メッセージログとともに、梅のつぼみの画像、電線に覆われた街角、奥行きのある初夏の並木道、駐車禁止標識と蝉の声、暗いマンホール蓋と落葉したイチョウ、そして枯れ木立に佇む少女の後ろ姿が表示されていく(アニメ版独自の画像)。その最後のカットに、メインタイトルがオーバーラップする。


 【 Aパート:「淡島文化祭」 】
 (01:50-)チャットメッセージの続きから(原作4巻95頁以降)。澤乃井圭の母親(澤乃井京子=井汲京子)は、志村氏の前作『青い花』関連。演じている堀江由衣は、アニメ版『青い花』でも同じキャラクターを演じていた。京子と上田は高校時代のクラスメートで、それ以降も付き合いが続いているようだ。
 ここでサブタイトル表示「淡島文化祭」。白と黒で分割された画面に、先程の後ろ姿の少女の上半身が描かれている。文化祭イベントが描かれるのは、第6話の陰惨な「淡島怪談」に続く二度目であるが、両者の間にはおそらく十年以上の時間が経過している。
 (02:10-)ビル街の風景は、新宿サザンテラス周辺。喫茶店シーンでは、花瓶や鉢植えなどの植物が描き足されており、アニメ版は澤乃井母と上田が育んできた交友関係を静かに匂わせている。 沙羅への手紙は、沙羅の淡島合格を祝う内容。原作漫画ではほぼ無地の黒いコマのつらなりの上に文字表示されていたが、アニメ版では手書きの便箋から病室風景のイメージシーン(回想)などが丁寧に描かれている。カエルのスノードームは、沙羅が退院時に岡本のためにプレゼントしたものだろう。カエルは子供らしくて微笑ましいが、手紙を送り合っているところに意味がある。金属球が並んだ置物は、いわゆる「ニュートンのゆりかご」。運動エネルギーの伝達を表現する物理学アイテムであり、ここではシンプルに、遠くに気持ちを伝えることの比喩と捉えてよいだろう。沙羅の入院は、前回(第8話)で触れられていたとおり、沙羅の叔父が上田と結婚した頃の入院のことと思われるので、淡島合格から6年ほど前のことだろうか。たしかに「久しぶりすぎ」である。

 (03:30-)原作漫画には、小清水の実家のシーンがあったが(4巻104-107頁)、アニメ版では省略されている。そして澤乃井と絵莉の会話シーン(4巻108頁以下)。マゼンタとシアンの混じり合った空は、夕雲の模様が美しくもあるが、割り切れないもどかしさも感じさせる。絵莉と江里の回想シーンはモノクロで、茨のような枯れ枝のカットも描かれる(アニメ版独自)。「謝りたいな……」の台詞は、原作ではコンビニ前風景のコマで、絵莉の現実から立ち上ってくる言葉だったが、アニメ版では澤乃井と並んで腰掛けた後ろ姿で(背景は真っ白)、純粋な心の声として扱っている。

 (04:00-)岡本は淡島の外からの率直な応援であり、絵莉は淡島の外に残してきたわだかまりである。そして、淡島の中でほぼ一年を過ごしてきた現在の沙羅と藤沢は、冬の「文化祭」の準備を存分に楽しんでいる。
 ピンク色の電話機は、受付に置かれているものとは別だが、これもダイヤル回転式のレトロな一品である(アニメ版独自)。作中の時間は2010年代~2020年代と思われるのだが……。寮の受付から奥のロビーへのレイアウトも、ここの一枚が分かりやすく描いてくれている。梅本先輩は、原作でも頬を赤らめて含羞んだ表情だが、アニメ版の役者(永瀬アンナ)はかなりシャイな雰囲気として訥々と演じている。
 (05:20-)音楽室のシーンは、安定感のある窓枠を、木々の緑がそっと囲んでいるショットから始まる(アニメ版独自)。力強くピアノを演奏する柳原の背後を枯れ木立が覆っているが、その木々の見え方はかなり薄まっている。「知らぁん!」と、はち切れんばかりに元気な柳原先輩を演じているのは中村アンナ。校舎正面と冬の木立のカットは、原作漫画でもくりかえし描かれているとおり。 暖かそうな色合いの談話室内部と、テーブル上の小物ディテールはアニメ版独自。竹原登場のイメージシーンも、背景がゴージャスに描き加えられている。
 それにしても、沙羅と柳原の二人部屋は、さぞかし賑やかなことだろう……。とはいえ、柳原は立場に応じて冷静な行動ができる優秀な人物だし、沙羅もただ人懐っこいだけではなく他人の心情の機微に対して誠実に振る舞える性格なので、シナジーを最大限引き出せるコンビなのかもしれない。

 (06:30-)田畑の講演。校舎外観のカットは、厳しくも明るい陽光と、頑丈そうな太枝を取り合わせて、寒さの中にも田畑の堅実な成長ぶりを示唆している(アニメ版独自)。壇上の田畑の横に、緑鮮やかな壺花(演台花)をフレームインさせているのもアニメ版の配慮。ただし、デルフィニウムか何かの花がわずかに見えているだけで、大半は清らかな緑の葉々が見えているだけである。スターとして花開いたわけではなかった田畑若菜(葉月青)らしいとも言える。しかし生徒側から見た正面風景では、ステージ上でスポットライトを浴びて立つ田畑の姿は、端正で引き締まった雰囲気の立派な先輩に見えていたかもしれない(このロングショットもアニメ版コンテによる)。体育館の風景、幾重にも折れ曲がった階段、大きく横に広がった枝振り、そして鉄道線路の分岐も、アニメ版が補ったスチルである。このあたりのモノローグは、沙羅たち三人が一人ずつ言葉をつないでいき、最後に「何かになれるのだろうか」では三人が声を合わせている。

 (07:20-)病室で独り読書している桂子。年齢は不明だが、周囲の状況からして60代半ばくらいかと推測される。彼女は現在も淡島の学校に勤務しているようだ。彼女の病室には植物の気配は無く、花瓶ではなく歯磨きコップが置かれているだけである(アニメ版がその存在を強調している)。窓外の風景は、原作漫画ではただガラスの反射だけ。アニメ版では、広い海面と遠くの山々が描かれているが、まるで磨りガラス越しのように極端に薄い色で、ほとんど見えなくなっている。伊吹の眼鏡は、ここでも度入りの段差表現あり。伊吹が読んでいたのは、田畑の初著作『星彩(seisai)』。淡島学校時代を回想する自伝的web連載「私の少女時代」を単行本化したもののようだ。『星彩』という書名は、原作には無く、アニメ版で設定されたもの。一息のためを挟んで、「……本心よ」という、恒松氏の言葉のニュアンスたるや。
 (08:50-)ふたたび田畑の朗らかな講演シーンを映してから、次のエピソードに移行する。


 【 Bパート:「柏原明穂と田畑若菜」 】
 (09:00)サブタイトル画面は、例によって第20話の扉絵から。
 花道を行くかのように廊下の中央を堂々と闊歩する田畑……の夢。4月の爽やかな青空を見上げる窓越しのカットは、アニメ版新規。ここでも歯ブラシを使っているのは偶然か。見慣れた校庭風景を挟んで、田畑たちは上級生として、新入生の受け入れを間近に控えている。茶髪の村上と、ツインテールのザワちゃんは、2年生(本科生)に上がっても相変わらず仲良しである。図書室のデスクトップPCは黒い箱形で、00年代半ばには普及していたスタイルだったと思う。

 (10:20-)柏原家の吹き抜けリビングルームは、原作よりもその広さが強調されている。二方が全面ガラスで外に向かって開かれており、ソファや花瓶台が配されている。仕切り棚を挟んでキッチンと開放的につながっている。真上から降り注ぐ槍のようなシャンデリアが、映像版で新規造形され、さらに見上げるカットで強調されている。「THE ROAD OF LIFE」のイメージカットも、アニメ版独自のレイアウト。真っ暗なリビングで白いTV画面を見つめているカットもアニメ版独自。
 (11:40-)淡島の教室での自己紹介シーンが、アニメ版ではまるで靄の掛かったような曖昧なタッチで演出されているのは、彼女がいまだ周囲への関心よりも内面の整理に心を傾けていることの表現だろうか。校舎の窓の下に咲いているのは、ハクモクレンまたはコブシの木(アニメ版独自)。上に向けて大きく力強く咲く、純白の春の花である。窓ガラスに清らかな青空が映っているのも、このアニメの中ではきわめて珍しい見せ方であり、柏原の才能の特別さを明らかに予示している(事実、彼女はスターとして開花する)。
 柏原が寮の廊下――淡島の学内社会にとっての公共スペースであり、自らを誇示する花道である――を、オーラを振りまきながら切り開いていく柏原は、アニメ版では外連味たっぷりに演出している。ただし、つづく室内でのシーンは、ほぼ漫画版のとおりのレイアウトで進行する。
 二人部屋の会話は、木の質感に満ちた暖色の空間のうちに終始展開されるのだが、柏原の足下の床には、多くの擦過痕があり、まるで彼女を包囲し非難するかのように、あるいは彼女の足下に不安定な亀裂があるかのように見せている(アニメ版独自のカット)。iPodのような携帯音楽プレイヤーも、00年代風のガジェットである(アニメ版のディテール)。硬質な清潔感のある露草色は、彼女の私服のシックなヒヤシンスブルーとともに、彼女のクールな印象を際立たせている(彼女の上着は、漫画版では黒ベタ)。こうした色彩的チューニングが出来るのも、カラー映像媒体ならではの強みである。
 彩度を極端に落とした、無人のインタヴュー席のカットもアニメ版独自であり、彼女がこれから衆目に晒され続ける勝負の世界に立つことをすでにリアルに覚悟していることを窺わせる。ただし、彼女が両親と語らう自宅のイメージは、生き生きとしたポトスの鉢やフレッシュなトマトに彩られた、幸せに充実した空間そのものだったのであるが、今ではそうした家族のバックアップは事実上失われ、柏原はただ独力で芸道の世界を戦っていかなければいけない。湯船に映る彼女自身の像は、いまだ不明瞭に揺らいだままである。柏原家のプールはかなり極端な大きさだが、一見美しく整った自宅の下に広がる、暗い「虚像」の暗示そのものとして捉えよう(この一枚もアニメ版独自)。未来のインタヴューシーンでのすみれ色(宝塚のシンボルカラー)は、このアニメではほとんど使われてこなかった色であるが、それにつづく寮部屋ショットでは、二人はそれぞれ薄青いカーテンの背後に横たわって、静かに距離を置いたままであり(第1話の竹原-田畑のシーンでも似たような絵がある)、さらに足下のシーツの乱れた皺はここでも彼女の不安定な心情を示唆している(アニメ版独自)。続く短い回想では、父親の横顔のイメージに、まるで走査線のようなラインが走る。原作漫画のコマ分割を応用しつつ、ディスプレイ越しのような距離感をも表す、ユニークなアニメ演出である。さらに、薄い光を浴びて佇む足下のショットもアニメ版独自。
 (17:10-)日本舞踊のクラスを終えて。アニメ版のカラーリングでは、田畑の和服は朗らかな白藍(水色)に、きれいな鬱金色の帯。対するに柏原は、ごく薄い女郎花色(ベージュ)の着物に、ふたたび縹色(薄いすみれ色)の帯。広い校庭を臨みつつ、そして春の青葉をフレームインさせつつ、会話が進む(アニメ版独自)。竹原を思う田畑の語りに、アニメ版は柔らかな憧れを伴った振り付けを与えている。カーテンを挟んだ会話は、これまでも先輩と後輩の間で幾度となく為されてきた風景であろうが、ここでは柏原の決意の方にウェイトが置かれている。いつもの屋上夜景を、少しだけレイアウトを変えて、このエピソードは美しく締め括られる。

 (19:10-)そして再び、淡島「文化祭」の日に戻る(原作第4巻130頁以下)。柏原が「八乙女皐月」となり、男役主演として活躍している場面につなげたのは、アニメ版の巧みな再配置である。彼女の名は、祝福の花々(フラワースタンド)に囲まれている。ここでも柏原の私服は、イメージカラーのようにブルー系である。背後の花々は、バラや胡蝶蘭など、イベントとしてはごく一般的なものである。漫画版には伊吹入院に関する会話があったが、アニメ版では省略されている。そして伊吹の病室お見舞いシーンに戻る。伊吹が微笑みを見せたのは、このシーンがおそらく初めてである。
 次にアニメ版では風景の俯瞰描写が入る。これは病院周辺のシーンのようにも見えるが、おそらく淡島学校の側だろう。建物は小さく穏やかな湾内に面しており、周囲は低山に分厚く囲まれている。周囲の自然によって外界から保護された小さな場所だが、湾を通じて広い海につながっている。 田畑の講演はつつがなく終わり、愛らしいネコヤナギのカットが季節を告げる(アニメ版独自)。田畑に声を掛けていったのは、現在の淡島の教員のようだ(演じているのは石上静香)。田畑たちと行き交うように藤沢が逆側から走ってくる映像が気持ちよい。藤沢が、澤乃井と絵莉を見つけて驚いた場面は、アニメ版では背景の緑濃い常緑樹と、遠景の広い海面によって、その後の展開を暗示している。

 (20:30-)演劇シーンは、アニメ版でかなり拡張されている。演目について、原作漫画では三島由紀夫『春の雪』と明示していたが、アニメ版では明示せず、クレジットもされていない(つまり、『春の雪』ではないという扱いにしている。権利関係か何かの都合だろうか?)。老女「蓼科」は、エンドロールによれば、藤沢と同室の梅本先輩が演じている。つまり、梅本自身は同室の後輩藤沢との関係に悩んでいるのだが、当の藤沢自身はこの梅本の劇的な芝居に魅せられて、その役から「蓼科」を自らの芸名にしようとまで考えている(※実際、最終話で示されるとおり、彼女は「蓼科柚葉」と芸名を名乗ることになる)。原作漫画では、そもそも蓼科はコマに描かれてすらいない(フキダシ台詞のみ)ので、ここで梅本の演じる蓼科の力演を映像化したのは、アニメ版スタッフによる心優しいアレンジである。
 藤沢と雅楽川の会話も、談話室の暖かそうな背景が作画補充されている。そして、まさに「春の雪」が桜に積もる風景に導かれて、絵莉からの贈り物が届く。最後の言葉はアニメ版では、劇中の台詞に替えて、藤沢の「私たち きっと また会える」というモノローグにしている。


 【 小括 】
 田畑を結節点としてつなぎつつ、意志的な柏原と、のびのびと成長している柳原~雅楽川たちという、どちらも比較的若い世代を取り上げている。本作の中では珍しく、柏原と藤沢のポジティヴな成長のドラマが展開されていく。
 柏原は、例によって家族関係に足を引っ張られる登場人物であるが、淡島での先輩たちとの新生活は、彼女の自立をより強靱なものに育てていってくれる。
 また、梅本は後輩との関係に悩んでいるが、その後輩藤沢はまさに梅本が演じる卒業公演から良い触発を受けて、自らの芸術的アイデンティティに取り込もうとしている(※ただし後者は、声優を聴き分けるか、あるいはエンドクレジットまで注意深く見なければ気づきにくいが)。
 さらに、田畑自身が周囲に良い影響を広げているという側面も見て取れる。