第12話「淡島百景」
原作の最終話(第31話)に相当。ただし、原作の章題は「岡部絵美と伊吹桂子3」だったところを、アニメ版では上記のとおりメインタイトル=サブタイトルにしている。
脚本は中西やすひろ。絵コンテ&演出は、渡邉こと乃。時間は23:50と、ほんの10秒だけ通常よりも長い(おそらくエンドカードの分)。
(00:00-)メインタイトル=第12話サブタイトルは、原作漫画と同じく、渋谷スクランブル前の風景から始まる。歩行者たちを見下ろすカットは、アニメ版の追加。人々の服装からして、季節は冬。漫画のコマに、前後の時間のアニメーションを追加している。
ノートPCを見ている青年は、以前に田畑とぶつかりかけた柏木。その友人の吉村は、結婚して子供がいる。週刊誌の表紙や卒業生の告白動画は、アニメ版の新規作画だが、目新しい情報は読み取れない。新作公演『END OF THE WORLD』もアニメ版独自で、主演の「如月麗華」「杏輝」はここにしか出てこない名前。事件が白日の下に晒されたことを示すように、薄い青空が随所にフレームインしている。鉄道作画が妙に細かいのは目を引くが、落ち着きのない劇伴ともども、モノローグへの集中を妨げているようにも感じる。
(02:00-)久保田家にて。風景は、第11話では冬の曇り空だったのに対して、今回は明るい晴天で描かれている。しかしながら、当事者の苦しみが晴れたわけではない。今回は、老久保田(=岡部絵美の夫)と、その長男夫婦、そして次男が在宅している。冬の中庭のカットは、今回も使われている。
中庭のアーチで楽しげに水やりをする岡部の写真が、今回ははっきりと画面に映し出される。風通しの良さそうな服装で、シャワーホースを手にして、アーチのバラに水を撒いており、背後には白いガーデンテーブルがあるというレイアウトであり、多くの人々がイメージするであろうような、幸福な家庭生活を体現している。老久保田が、逡巡するように、あるいは慈しむようにコーヒーカップを撫でる手も、アニメ版の追加カットである。
(03:30-)田畑が久保田邸を辞去した後も、岡部絵美の遺族たちの間でやりとりが続く。絵美の長男がコーヒーを飲んだ際に、眼鏡がいったん曇って、すぐに透明に戻るところが微笑ましい。庭に咲いている薄紫の花はアネモネ。長男夫婦が会話しているシーンは、やや暗い壁に面しているが、すぐに瑞々しいガーデニングの思い出に移行する。
サトイモ科のような大きな葉に囲まれ、息子の妻の話に朗らかに応答する絵美。彼女の存命当時は、庭先は見事なまでに緑に溢れており、その家庭に様々な種類の花を咲かせ続けていた。しかし彼女がこの世を去るや、それらの華はほとんど失われる。老久保田が亡妻のことを思って庭に佇むのは、それ自体としては不幸かもしれないが、言い換えれば、彼女が健在であった間は幸せな夫婦であったということの現れでもあるだろう(庭に関するこれらの描写は、大半がアニメ版コンテによる追加である)。久保田家のリビングはいまだ暗いままであるが、それを解決するのはかれら自身に掛かっており、淡島の問題ではあるまい。
(06:30-)その一方で田畑の実家は、変わらず平和的である。母親の佐江子は、スキャンダル報道に接して落ち込んではいるが、フィギュア、大判写真、アクリルスタンドなどを収集しつつ基本的には楽しく過ごしていることが見て取れる。浅上が演じている役が黒翼を背負っているのはいささか不吉だが、その点を裏読みする必要はなく、あくまで一般論として、スターを作り出している背後にある淡島のシステム全体の暗さを示唆するものだろう(これらのディテールはアニメ版が追加した)。佐江子が手足をバタつかせたりする動画も、アニメ版が増やしている。アニメ版の台本では、「舞台に立ったのを 観てみたなったねぇ……」と、台詞の意味を明確にするアレンジがあるが、言い換えれば、これ以外はほぼ原作のままである。
(08:20-)田畑のマンション自室にて。棚の花瓶は、カラ(オランダカイウ)の白く優美な花々(アニメ版の追加)。開花時期については、あまり考える必要は無いだろう。
ノートPCに表示されている記事に、岡部が1970年頃に、淡島の学校で虐めに遭ったこと、そして「約15年ほど前に病により亡くなっている」ことが書かれている。アニメ版では、田畑の淡島入学が2005年であったことから、時系列の整合性を取るのがいささか難しくなっている(時間経過の間隔が短すぎて、最新時代までの出来事の積み重ねがタイトすぎる)。詳しくは別掲の年表記事を参照のこと。
(09:00-)高層ビルの内部フロアのカットは、アニメ版の追加。この最終回で、久保田家や宮島、歌劇団上層部など、男性キャラクターや男社会の存在感が急激に高まったのは少々不可解であるが、淡島の学校内部を超えた社会問題になっているという意味では、理解できなくはない。
(10:40-)『惜別』舞台化の情報から、教室風景にオーバーラップして、山県&四方木田、武内、大久保(?)の姿が映される。ファン吉村のベランダにも、多くの観葉植物が繁っている。柏木の室内には、香月泉のポスターのほか、『Wuthering Heights』『Romeo and Juliet』のポスターも貼られている(これらはアニメ版独自)。
(12:00-)人々の声は、アニメ版では、SNS投稿や、スクランブルの上に被さる音声、チャットメッセージなどの形で表現される。大きなガラスウォールの前を、無数の淡島学生たちが高速で行き交い、枯れ木立の影が学校の廊下に差し込んだりするのも、アニメ版独自。「そんなふうに数多の作品は紡がれてきたのではないだろうか」までのモノローグは、脚本家宮島の声として処理された。
(13:50-)最新世代の3人それぞれについても、順調な様子が描かれる。
雅楽川(香山怜)がストレッチをしているのはアニメ版独自だが、中学校以来の佐々木との交友は今でも続いている。
また、藤沢江里も、友人の絵莉も、ヘアスタイルを変えている。絵莉はデジタルツールとアナログ画材の両方を使いこなしつつ、イラストレーター兼デザイナーとして活躍しているようだ(アニメ版独自)。
江里は、絵莉からもらった絵をちゃんと壁に飾っている(これもアニメ版独自)。
沙羅と良子の状況は、よく分からない。公演準備のために良子たちの家に宿泊しているのだろうか? どうやら初めての役名持ちの出演になるようだ。廊下に置かれている花瓶には、コデマリやレンギョウが生けられている。
(15:20-)竹原と田畑の会話は、原作では「Café Mirin」という喫茶店だったが、アニメ版ではホテルのロビーとおぼしき開けた場所に設定されている。そして田畑が入寮してきた初日を、竹原の視点から描き直す。このとき竹原も、ベッドの上で膝を抱えて悩んでいたことが、ここで初めて明かされる(アニメ版独自)。室内は暗いが、カーテンに柔らかな光が当たっている。ステージ上の光輝を、舞台袖の暗がりから見つめる三人の少女たちも、アニメ版が描いた印象的なカットである。寮部屋の外を見つめる新入生田畑と、それを背後から見守る竹原先輩の姿が、淡島の学校の良き学内関係として想起される。そして役者は両手を広げて、星々の海を開いてみせるのだが、その下部には再びインクのような暗がりが広がっていく。大きく咲いてはすぐにしぼむ月下美人の花。これらもアニメ版によるアレンジ。
(19:30-)田畑は、うるわしい思い出の記念写真を一瞥し、淡島大劇場へ足を運ぶ。上空へパンニングするが、紫煙とともに再び画面は地表へ降りてくる。第2話の岡部のシーンが再演されるが、大きな違いがある。水平線に沈みつつある太陽から、海沿いの道路をバスが走る中、彼女は前を向いたまま落涙するのだが、彼女はさらに指先で涙を拭い、袖で顔を隠し、そして右手を強く握りしめる。そして、右腕を振り下ろしたとき、涙はなく、ただ前を見つめ続けている。原作でも、涙を拭う描写があったのだが、ここでアニメ版は、拳を作る動きを加えることによって岡部の意志の動きをハイライトさせている。淡島ではない生き方を新たに決意し、舞台人ではない生き方を見据えていく覚悟をしたと解釈してもよいし、あるいはネットの解釈で見られるように、ステージを変えはしたが、良き家族のための最高の演技をし続けたと捉えてもよいだろう。夕日に輝く海上に、あらためてタイトルが表示され、そしてアジサシがひたすら力強く開放的にまっすぐ飛び続ける中、エンドロールが流れていく。
配信版でも、最後にエンドカードが表示される。確認までに、キャラクターは左端から竹原、押上+住吉+伊吹、岡部、小野田、大東、大久保、熊谷、ルリ子+英雅、梅谷+柳原、藤沢+沙羅+雅楽川+小清水、武内+山県+四方木田、柏原、堀内+森久保、浅上、村上+ザワちゃん++田畑となっている。淡島歌劇学校に通った人物だけが描かれているので、学外者はいないし(上田や悦子もいない)、若い年齢時が設定されていない年長世代のキャラクターたち割愛されている。