2025/09/10

2025年9月の雑記

 2025年9月の雑記。

 09/16(Tue)

 情報の洪水に押し流される現代だからこそ、自力で情報収集し、その内容を吟味し、その意味を咀嚼解釈し、そして適切かつ公平な評価を下せるスキルはきわめて重要なのだが、しかし、情報過多の時代だからこそ、そうやって慎重に取り組む余裕はどんどん無くなっているし、SNSはそうした慎重さを失わせる方向にばかり煽り立ててくる。難しいよね……。


 90年代後半から00年代前半あたりまで、いわゆる「大正ロマン」イメージに代表されるようなレトロ~和風~幻想系の趣味が人気を博していた時代があった。『サクラ大戦』(1996年発売)から『大正野球娘。』(2007年開始)あたりまで、とりわけ女性向けコンテンツに多かった。もちろん、近年の作品にもその趣向を継承したタイトルは存在するが、ちょっと寂しくはある。
 似たような趣向として、東洋趣味/大陸趣味/仙人趣味/伝奇趣味も、80年代から流行していたし、ゴシック趣味/ゴスロリ趣味も並行して伸張していった。

 2020年代の現代は多種多様な新作漫画で溢れかえっており、大正時代を含めてこれまで試みられてきたほとんどあらゆる趣向が存在する……かと思いきや、マイナーなものは依然として存在する。例えばキャラクターの外見属性でも、青肌キャラや多腕キャラ、双頭キャラ、単眼キャラなどは今でもきわめて稀で、少なくともメインヒロイン級では事実上皆無だと思う、たぶん。
 ゾンビキャラの青肌(レイレイやゾンビランド・サガ)とか、異種族サブキャラの多腕(ファプタなど)は、一応いくらか存在するけれど、基本的には現代のotaku界隈は男性向けの色欲ドリヴンのパラダイムなので、そういう側面では案外保守的だったりする。むしろ海外の二次元アートでは、青肌や濃いめのケモキャラ(鼻筋がイヌのように尖っている)くらいはそこそこポピュラーに見かけるというのが面白い。
 世界設定についても、砂漠世界(中近東)や中国風世界は、女性向けではずっとポピュラーだが、男性向けジャンルでは極端に少ない。逆に、典型的なヴァーチャルライフものは、女性向けではかなり珍しい(※いわゆるゲーム内世界ものを除けば)。


 小柄キャラで、太いドラゴン尻尾+大きな余り袖……そうそう、こういうのが良いんだよ。
 万超えキットだが、大サイズの両翼もあるし、尻尾は細かくパーツ分割されているようだし、巨大なエフェクトもいろいろ同梱されているという贅沢なキット構成なので、この価格になるのは仕方ない。
 変身は、おそらく腹部~腰部を丸々交換する形。ドラゴンテイルの接続方法と保持力は不明だが、そこは期待できそうにない。また、キャラデザがごちゃごちゃしていて、あまり洗練されないのも難点。可愛いキャラなのか、やんちゃ系なのか、強気なのか、能天気なのか、そのあたりのキャラクター個性もはっきりしない……これは「アルカナディア」シリーズ全体の問題でもあるけど。


 栗くん……以前は、昔ながらの権力的規制派と性差別的な暴走自由派の間で、理性的でマシな路線を広げるアクターに育っていってくれたらいいなという目で見ていた時期が私にもありました。しかし結局は、後者のエロ好き男性オタクたちのための口利き屋+煽り屋みたいなところまで堕ちていってしまうとは……。
 彼一人の問題はともかく、何かしらそういうアクターは必要なのだけどね。つまり、圧力に対して個人の自由を擁護することと、他者の尊厳を傷つけない線引きを尊重し続けることの間で、バランスを取って公平な議論のできる、まともで理性的な代弁者が。

2025/09/09

漫画雑話(2025年9月)

 2025年9月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

●新規作品。
 山水みこ『セーデルホルムの魔女の家』第1巻(一二三書房LAVARE、原作あり、1-8話)。妖精や精霊を見ることのできる女性(メイド)と、彼女が仕える男性(元軍人)と少女(妖精を感じ取れる)の物語。おおまかに英国(ケルト妖精)をモデルにしているが、架空世界としての設定。一般人には妖精の存在はほぼ知られていないため、7歳の少女は親族からもへんけんと迫害を受けてきたという経緯がある。小説原作にありがちな、台詞に一つ一つ挿絵を付けたような感じだが、静かで内省的な本作の雰囲気には合っている。掘り出し物……とまでは行かないが、ひそやかで穏やかな暮らしの物語として、読み続けていけそう。山水氏はこれまではイラストレーター活動がメインで、漫画連載は今回が初めての模様。「挿絵っぽい」という上記の印象も、このキャリアに照らしてみれば得心がいくし、一枚一枚のコマ絵もきれいに整っている。
 イチ『くじらの料理人』第1巻(コアコミックス、1-8話)。海自の潜水艦に乗り込むことになった、ネガティヴ思考の調理隊員の話。料理要素を主人公の精神的成長に結びつける作劇の腕も、周囲のキャラクターたちを立たせる造形も、潜水艦という環境の特殊性も、なかなか上手く描き出している。作者はこれが初連載とのこと。
 杉谷庄吾『FG(フォーミュラガール)』第1巻(小学館、1-4話)。時速200~300kmで走れる特殊な資質を持った少女たちが、カーレースのように競走している世界の話。元々は作者が2009年に着想していたネタなのだとか。この漫画家は、『ポンポさん』シリーズで知ってから既刊を買い揃えるくらいには気に入っていて、その後しばらくは迷走していたようだが、この元気の良い新作でまた楽しませてくれることを期待したい。


●カジュアル買いなど。


●続刊等。
 丸井まお『となりのフィギュア原型師』第7巻(67-76話)。フィギュア関係のネタの切れ味が凄いし、そこからコメディを広げる発想も抜群に豊かだし、キャラクター造形もやたらマニアックで、相変わらずとんでもない異才ぶり。
 二駅ずい『撮るに足らない』第4巻(23-29話)。二人がベッドインしてから。物語の緊張感が失われて、ただの全年齢えろまんがになっていきそうなのがちょっと不安。
 きただりょうま『魁の花巫女』第5巻(36-45話)。バストは惜しげもなく放り出しまくるが、ただそれだけなので面白くない。きただ氏ならば何かユニークな物語を仕掛けてくれると期待して読んできたのだが、そろそろ飽きてきた。
 ナツイチ『三咲くんは攻略キャラじゃない』第3巻(21-30話)。良いところもあるのだが、型に嵌まった描写や生硬な表現もあり、うーん。
 ヨシカゲ『神にホムラを』第4巻(22-30話、完結)。いささか中途半端なところで終わりを迎えた。キャラクター造形も、イメージの視覚化も、戦後初期という時代設定のユニークさも、そして天才キャラが持つ妖気の表現に至るまで、多大な魅力はあったので残念だが、漫画家としての資質は十二分に示されているので、次なる作品に期待したい。

 遊維『大海に響くコール』第3巻(12-19話)。新キャラの同級生が出てきたり、名港水族館(※作中では「名古屋海洋水族館」)に行ったり。とても良い作品なのだけど、その美質を説明するのが難しい。シャチに魅せられた高校生女子たちの物語……というといかにもベタなのだけど、お色気志向はほぼ無く、クリアカットな作画と生真面目なストーリーで各回が展開されていく。シャチの絵もダイナミックな氏迫力に満ちているし、人物作画も時折デリケートな光源(陰影)を付けて表情を印象深いものにしている。シャチの生態をヒューマンドラマ(思春期の様々な悩み)と絡めて作劇するのはオーソドックスなアプローチだが、けっして蘊蓄優先にはならないし、美談めかした形にもせず、安易な解決にもしないまま、高校3年生に進級していく。息を詰めて読んでしまう、不思議な魅力のある作品。
 真面目さは、作中での学校での描写にも見られる。ありがちな「試験だりー」「赤点になりそー」路線ではなく、小テストも30/50ではかなり悪いという認識だし、毎日の学習習慣の作り方や、大学受験を意識した悩みまで、律儀に取り組んでいく姿勢が率直に描かれている。エンタメ寄り(?)の現代漫画としてはちょっと珍しい(※漫画界では、成績優秀な学生を描く場合には「学年1位」とか「全国模試上位」のような雑な紋切り型でやり過ごされることが多い)。

2025/09/05

アニメ雑話(2025年9月)

 2025年9月の新作アニメ感想。『鬼人幻燈抄』『クレバテス』『第七王子』の3作。

●『鬼人幻燈抄』。
 第21話は、江戸(幕末)編のフィナーレ。鬼が持つ異能の根源を語り、そして鬼と武士の双方の終わりを描く。作画はやや浅いものの、意欲的なレイアウトと声優陣の芝居が、物語全体の説得力を確保している。今回の白眉は茅野愛衣氏(おふう役)。2クールに亘ってキャラクターをじっくり育ててきたその最後に、複雑な情緒に満ちた別離のシーンを絶妙に演じている。

 通算22話は明治5年、「二人静」の回。今回も、軋むような劇伴の雰囲気が抜群に良いし、レトロな街並みのロケーション設定も効果的(※背景作画の質感表現や時間帯表現は良い。ただし、京都の夜の大路でも延々殺陣をしているけれど……)。食事シーンを初めとして、キャラクターの日常の細やかな所作を頑張って動かしているのも好印象。絵コンテは、前回に続いて新留俊哉氏。戦いを終えた翌日の店内で、兼臣さんの背景に可憐な花瓶と穏やかな丸窓をフレームインさせているのも、滋味に富んだ美しい演出。
 ただし、アクションシーンの苦手ぶりも相変わらずだし、キャラクターの顔造形が不安定になってきた。新たな美少女キャラがいきなり3人も出てきたが、音声芝居は、うーん。兼臣さんの外見や性格造形はかなり好みなのだが……。
 ストーリー面では、ついにラスボスが姿を現した。これで2クールの物語を締め括る予定だろうか。原作は昭和平成の世までずっと物語が続くらしいが、このアニメ版のこれまでのユニークな個性は、江戸時代の文物と風景の魅力に多くを負ってきたので、それを手放してしまうとつらい。その意味でも、明治時代の始まりを素描したところまでで完結させるのは、アニメ版としては無難な対処なのかもしれない(※原作小説のまま映像化すると、どうやら7クールくらいは必要になるようだが、さすがにそれは無理なので、ここらが潮時だろう)。
 「おじさま」と繰り返し呼んでいるのは、ミドルエイジ男性の「小父さま」ではなく、親族の「伯父さま」だろう。字幕や翻訳でどうなっているかは分からないが。

 絵作りできちんと見せようとしている姿勢は、はっきりと見て取れる。例えば背景美術のディテールや歴史的雰囲気、周囲の小道具による意味づけ、そしてレイアウトによる映像的美意識など、おそらく原作小説には描かれていなかったであろう要素を盛り込んで、アニメ媒体ならではの作品として丁寧に作り出している。つまり、絵コンテと演出(そして設定制作などの地固め)がしっかり仕事をしているので、見るに堪える密度のある映像作品になっている。動画(中割アニメーション)に関しては息切れしかけていて、至らないところも散見されるのだけど、アニメ作品としてどのような表現を目指しているかは明確に伝わってくる。そば屋の店内や武家屋敷の内部構造まで、ロケーションをしっかり作り込んであり、そしてそれを映像演出に結びつけている(※例えば、店内の賑やかさや、深みのある奥行き表現、障子越しの距離感、そして光源表現の情緒など)。そういう美質があるから、この2クールの長丁場を保ちこたえて映像的品位を維持してきた。



●『クレバテス』
 第9話は、黒沢ともよ怪演劇場。田村(睦)氏もいよいよ好調。ただし、サブキャラには今一つな芝居も聞こえてくるが、まあ仕方ない。メイン二人の会話に黒沢キャラ(魔道士ナイエ)のとぼけた呼びかけを重ねていくのは、現代アニメとしてはかなり大胆な演出(※台詞を被らせるのは、よほどのことでなければ避けるので)。
 映像面では、ややぎこちないカットもあるが、奥行きや瞬間の効果を使ったダイナミックな演出もあり、見応えがある。盾を並べて防御するアニメーションなど、集団戦闘シーンも凝っており、描写としても説得力がある。
 今回活躍したハイデン妃は、王族の血の力を継いでいないにもかかわらず強大なボスキャラと対峙する。相変わらず、「不遇だけど頑張るポンコツ苦労人キャラ」ばっかりで嗜好駄々漏れだな!(にっこり)

 第10話は、将軍ドレルの過去回想が展開される。ここに至ってようやく、物語の各パーツが噛み合ってきた。すなわち、主人公の父親の因縁、勇者伝承の謎、魔獣王たちの存在、魔剣鍛冶と魔術の併存、そして世界そのものの謎に進んでいくだろう。
 映像表現も力が入っている。空中戦闘の迫力や、衝突時のインパクト、肉体再生のアニメーション、高低の立体的表現、そして魔獣の巨大感演出、等々。背景のタッチや随所に見せるレイアウトの童話めいた雰囲気も、どこか作り物めいた手触りと神秘的なムードを形作りながら、キャラ絵のクリアカットな存在感を際立たせている。
 ドレルの剣戟が「ギャオー」という怪獣の鳴き声のようなSEなのは、ドラゴンのパワーを放出していることの表現だったのか……なんとも分かりづらい。



●『転生したら第七王子』
 第21話は、完全食戦と月皇戦の二つ。漫画のモノクロ表現に合わせてアニメそのものも(ほぼ)モノクロにした奇手は、案外面白かった。OPパロディを敢行したふてぶてしさも好ましいし、「完全食」を大型/中型/小型ヴァージョンでわざわざ3人の声優に割り振った贅沢さも微笑を誘う(※そんなところにコストを掛けたのか!?)。
 後半の剣技戦闘も、アニメーション表現を多少拡充していた。とりわけ、「聡明で……カッコよくて 可愛くて……」のところでシルファに細かく振り付けをさせるなど、ネタ回だからこその吹っ切れた意欲的演出が利いていたのは皮肉。ただし、決着の一撃は相変わらず止め絵コピーでやり過ごしている。

 第22話は黒竜戦。ナレーション(地の文)をキャラクター台詞で喋らせてしまっているので、説明過多の印象が強まっていよいよダサい。せっかくのアクションシーンなのに絵を動かすのをサボって静止画+エフェクトだけで誤魔化しているところが多く、その一方で倒れた黒竜がもがいているところだけは細かくアニメーションさせているのは、コスト配分としても演出コントロールとしても不可解。
 黒竜を演じているのは楠大典氏。ちょっと落ち着きすぎで、個人的には若き黒竜の精神的な不安定さを強調してくれた方が良かったと思う。ギタン役の宮本充氏は、穏やかさの中にも迫力と虚無感を同居させていて、たいへん説得力がある。タオ役の関根氏も、今回の力演は上手くハマっている。そして「グリモワール/グリ太郎」役のファイルーズあい氏は、キャラクターの底力を存分に表現した名演。

 作中でも触れられていたが、ギタンとギザルムが戦ったらどちらが勝ちそうか。ギタンの聖属性攻撃は魔族に対して属性有利だが、ただそれだけとも言える。なかなか決定打にはならないだろう。分離キメラで手数を増やしても、倒しきれそうにない。ただし、アンチ・ギザルム・エクスカリバーを当てれば、霊体でも消滅させられるかもしれない。
 他方でギザルムも、ギタンの回復能力や反射回避を超えて倒しきれるか疑わしい。ただし、大量の魔力槍で縫い付けたうえで、斬首して意識を絶つか黒死玉に吸い込むかすれば勝てるかも。
 ということで、どちらも相手の再生能力を上回ることができないまま終わるか、あるいは、どちらかが先に特効即死(?)攻撃を当てるかの勝負になるかの問題だろう。どちらかが決定的に有利/不利ということは無さそう。

 ちなみに完全食くんに対しては、ギザルムは「黒死玉で消滅させる」、ギタンは「全身を食べる」で、たぶん勝つ。完全食はこの時点では、ギザルム/ギタン/ロイドの3者には負けるが、それ以外はどのキャラにも勝てる(というか、負けない)と思われる。
 ただし、それ以降のストーリーだと、剣聖マルクオスならば、再生できないくらいまで細切れにして勝てるかもしれないし、イドくんも強力な魔法で完全食を消滅させられるだろう。バミュー領域で窒息(=行動不能)しても事実上負けになるだろうし、狂気樹海の精神攻撃でもたぶんアウト。「無限再生&その都度強化」だけではさすがに限界がある。

2025/08/09

2025年8月の雑記

 2025年8月の雑記。

 08/28(Thu)

 「ドレスアップボディS」は、「M」サイズ版から多少改良されている。肩紐をパーツ分割で再現していたり、バストサイズを2種類ずつ作れたりする。ただし、へその意味不明な縦ラインや、造形のダルいハンドパーツなど、相変わらずのところもある。
 昔からKOTOBUKIYAは、へそ周りの造形が苦手なようだ。とりわけMD版「バーゼラルド」は、へその部分をただ楕円形にえぐっただけという珍造形で、さすがに購入意欲を失った(※キットを擁護しておくと、MDシリーズはロボットキャラという建前だから人体らしくなくてもよいし、モデラーとしては不満があれば自力でパテを盛って改修することも可能なのだけど、しかしそれでもねえ……)。


ようやく私なりの「ウルフさん」ヘッドの解を見つけたよ……。そう、「ちっちゃくて、そこそこ優秀そうで、落ち着きも身につけている自信家お嬢様」、これだよ……。
 レシピは「ドレスアップボディS」+「ウルフさん」ヘッド(※瞳の色が同じなので暦フェイスも使える)+Picco neemo「ロゼッタワンピースset」。
上半身のアップ。デフォルメ体型の「ピコニーモ」用なので、緩く広がったシルエットになるが、むしろこの非実用的にズレた感じが良い。これだよ、これが良いんだよ。
 胸部の巨大リボンは少々くどいが、これは肩に羽織っているショールの一部で、外すこともできる。


 たまたま見かけた投稿だけど、こういうアプローチは私の理想に近い。つまり、「大筋では元々のキャラデザを尊重しつつ、細部を丁寧にブラッシュアップすることで、キットのポテンシャルを最大限引き出す」という姿勢。
 上記作品は、デカールなどもほぼキットそのままなのだけど、前腕や靴は他のキットと交換しているし、可動拡大の改修もしているらしい。そのうえで、ドレスは凹凸のデリカシーを際立たせるように半ツヤで、そして脚部は曲線美に集中させるようにツヤ消し(たぶん)で処理している。胸部や腹部脇のクリアパープルをメタリックパープルに塗装しているのも賢明(※クリアパーツのままだと、光を通してしまって色が沈んで、埋もれてしまう)。手の爪塗装も、ワンポイントのアイキャッチ効果と腕の動きを明確化する作用の、両方に貢献している。もちろん、撮影とポージングも抜群に上手い。

 実を言うと、「元デザインを踏襲しつつ、ディテールを掘り下げて、完成度を上げていく」というのは、まさにスケールモデル由来の発想だったりする。機銃を超精密パーツに取り替えたり、エッチングパーツで細部を充実させていく(例えば、本来あるべきだったトラスや手摺やネットや空中線などを表現する)。その意味で、私のモデリング思想は、今でもやはり艦船模型に立脚している。細部の精度を上げ、造形のリアリティを高め、そして作品の説得力を強め、そしてそれは元デザインに対する忠実性をも意味する。そういうことが実現できたらと常々思っている……ただし実際には、イージーな手抜き制作ばかりだけど。


 新刊漫画とアニメの話題をそれぞれ個別ページに分離したことで、この月別雑記ページは模型トークが中心になっている。うーん、ちょっとバランスが気になるが、仕方ないか。模型についても、専用の月別ページを作っていくことも考えたが、それだとブログ全体の運用がしづらくなるのよな……。
 漫画やアニメは、毎月定期的に書くべきことが出てくる(つまり、新刊単行本や新作配信)。しかし模型ジャンルに関しては制作ペースにムラがあるので、月別ページは作りにくい。また、フィギュアなど隣接領域の話題も含めると、分類が難しくなる。さらに、模型の話題までパージしてしまうと、この月別雑記に書くことが減ってしまう(しよーもない雑談ばかりになってしまいかねない)。また、積極的な側面として、フィギュアやプラモデルは写真を撮れるので、雑記欄の彩りになる(※漫画やアニメのスクショを載せまくるのは、著作権の観点でも躊躇するし、手間も掛かって面倒だし)。
 というわけで、たまにkawaiiフィギュアやプラモデルの写真を貼りながら、いろいろと余計な話をこっそり書いていくブログとして、引き続き運用していこう。


 『七夕の国』は、つい読んでしまう。一年に一回くらいは再読しているかも。
 岩明均氏は、倫理観のない組織人間の気持ち悪さを、無言でさらりと、しかし明瞭かつ雄弁に描き出しているのが面白い。例えば、平民集団を侮って蹂躙しようとする領主や、欲得づくの軍事会社の兵隊や、傲慢な政治家(※弱った老人でも、組織の強大な力を持った権力者だ)、そして他作品でもアルキメデスを殺害する兵士(『ヘウレーカ』)や、広川の演説に一切耳を傾けずに射殺する自衛官(『寄生獣』)、組織維持のために家老を暗殺する大名(「雪の峠」)など、ドラマの急所にその描写を持ってくることも多い。「ひとの話を聞かないエゴイスト」がよっぽど嫌いなのかなあ。

 個人的に、岩明氏とゆうきまさみ氏はなんとなく近い位置で見ているが(※絵柄やユーモアの方向性、合理的思考など)、ゆうき氏は人間組織そのものは嫌っていない、というか、時として大きく肯定すらしているのが、これまた興味深い。ゆうき氏の描くキャラクターたちは、基本的には組織や社会の中での自己実現を自明のこととして受け入れているが(※たしか『じゃじゃ馬』あたりは典型的だったと思う)、それに対して岩明氏の描くキャラクターはしばしば組織や社会から距離を取り、その中で小さくパーソナルな友愛の関係を見出そうとする。最初の連載『風子のいる店』(吃音者主人公)の時からの、おそらく一貫した姿勢だろう。
 もちろん、ゆうき氏も一筋縄では行かないクリエイターなので、『白暮のクロニクル』のように個人と組織の間の軋みを描いていたりするけれど、しかしやはり、『パトレイバー』の内海課長のように、「個人的な欲望によって組織を滅茶苦茶にする奴こそが非倫理的な社会悪だ」という方が、ゆうき氏のスタンスであるように思える。そもそも組織ドラマとしての『パトレイバー』を少年漫画で大掛かりかつ入念に展開していたのも、80年代当時としては異例の現象だったと言えるだろう。不思議にも対照的なクリエイターだ。

 しかし、さらに複雑なことに、より広い社会に向けた視線は、むしろ岩明作品にこそ強く見て取れる。環境問題や社会問題への堂々とした言及のことだ。それに対して、ゆうき作品にはそうしたシリアスさは無い。漫画版『パトレイバー』でも、技術発展のアイロニーや生物兵器のおぞましさ、悲惨な人身売買などが描かれてはいるが、いずれも個人的な問題へと還元されていき、社会問題をそれ自体としてテーマ的に維持することはなく、文明論的な語りに踏み込むこともほとんど無かったと思う。おそらくこれは、ゆうき作品が基本的にはエンタメの枠内に留まろうとしていることの現れでもあるだろうし、それに対して岩明氏は、非常に素直に青年誌(モーニング/アフタヌーン誌)らしい知的な真面目さを表出している。ミギーのような突き放した思索的姿勢や田宮良子のような詠嘆の独白を、ゆうき氏は描かないだろう。ゆうき氏のキャラクターであれば、悩み事は常に他者との会話の中で解消していくだろうから。


 「ふっ、口ではまだ暑い暑いと言っていても、身体は正直だな。秋に向けて急激に食事量が増えていることに、おまえ(ルビ:わたし)は気づいていないのか? 己の欲望に振り回されるとは、なんと無様な……」
 (※キャラクター台詞って難しいね。ぎこちなく浮ついた言い回しになってしまう)


 新作アニメの全視聴は、時間的には一応可能。一クールあたり70本程度なので、一日7本、つまり一日3時間弱で全て視聴できる。だから、ディープなアニメ趣味者であれば、全視聴派もそこそこいると思われる。
 ただし、時間的にも精神的にも負担が大きいし、中には視聴する価値の低い作品もあるし、好みに合わない場合もあるだろう。また、過去のタイトルや海外作品、インディーズなども大量に存在するので、現在オンエア中の作品だけ観ていればいいというわけでもない。

 漫画の場合は、狭義の商業単行本に限って見れば、毎月400点ほど刊行されているので、仮に一冊15分なり30分なりで見積もっても、全読破はぎりぎり可能。もちろん実際には、それ以外のものも莫大な数が存在する(※雑誌扱いの本がその2倍ほどあるし、アダルトコミックや電子オンリー、同人などもある)、金銭的にも毎月27万円ほどの費用になるのでまず不可能だが。もっとも、電子書籍のセールス待ちで大量購入していけば、なんとかなりそうな程度ではある。
 PC美少女ゲームも、現在の発売数ならば、毎月の全作品をプレイするのは可能だろう(※倫理機構を通しているタイトルの話。インディーズなども大量にあるけど)。最盛期は年間600タイトルも出ていたので全プレイは完全に不可能だった(※年間360万円だから、ただ買うだけならば全購入も可能な人はいただろうけど)。
 ガールプラモに関しては、この十年の発売点数は以下のとおり。パチ組みだけのガール系専業モデラーなら、全制作は一応可能。ただし、肩や膝のジョイントを何百と組むのは苦行だろう(※下記は別掲ページの発売データによる。プレバンなどの販路限定ものは原則除外。また、海外キットもカウント除外[※年間10点程度]。ドール分野も除外。2025年は暫定値)。

製品数備考(新規シリーズ開始など)
~2014xxxHasegawaバーチャロン、Kotobukiyaホイホイさん、レイキャシールなどが細々と。むしろリボルテック、figma、武装神姫、S.H.Figuarts、AGPといった可動フィギュアジャンルの方が元気だった。
20157FAG、HGBF(すーぱーふみな等)がシリーズ開始。
20169メガミデバイス開始。
201725Figure-rise Standard、FIORE開始。
201835VFG、Figure-rise Labo開始。
201944chitocerium、Dark Advent開始。MODEROIDもガールプラモに進出(ストレリチア等)。
20203611月は新作ゼロだった(※コロナ混乱の影響か?)。この頃から海外メーカーもガールプラモを製造するようになった(※ただし左記統計には入っていない)。
202156創彩少女庭園、ガールガンレディ、Aoshima合体シリーズ、Guilty Princess、30MS、アルカナディア、エクスプラス開始(※30MMは2019年開始)。
202240PLAMAXもガール系に本格進出(ゴッズオーダーや、大サイズの固定ポーズキットなど)。微妙に谷間の年なのは、コロナ下での材料調達困難や電力問題など、いろいろあったせいだろうか。たしかスケールモデルも値上げを強いられた時期だったと思う。
202358annulus(GRIDMAN)シリーズ開始。
202470メガロマリア、プラフィア(PLUM、ずんだもん)、KPMS、PLAMATEA開始。
202512130MP、FAGグランデ、ASG(Hasegawa)開始。

 2025年で爆発的に増えたのは、それまでの各社シリーズが安定生産するようになったのと、30MSシリーズの大規模展開(アイマスコラボ等)、GSC(Plamateaなど)の精力的な新作発売、それからKOTOBUKIYAのカラバリ大量発売が例年に増して多かったため。市場そのものは完全に確立されたので、来年以降もこのペースになりそう。


 SFの話から。先達として「若いファン」たちに何かしてやりたくなるのは分かるし、知の継承という意味でそうした共同体的活動には大きな意義があるとは思う。しかしそれが、「俺が感動したこの作品を読ませたい」で終わっていてはいけないというのも確かだ。
 私見では、そもそも特定の作品を勧めるという発想に留まっているのが良くない。ニューカマー(経験や知識の浅いファン)が良い作品を知りたいと思ったときに、どうやったら探せるか、どのようにして自立的に情報収集していけるようにになるか、いかにして当人が「次に読んでみたい作品」を選んでいけるようにするかが重要だと思う。つまり、キャリアが長く、年長者としてその分野に責任感を持ちたいならば、システムを整備すべきなのだ。個別作品ではなく、幅の広さを、系統を、可能性を、見取り図を、手掛かりを、後輩たちに提供してやるべきなのだ。あるいは、べつに後輩がいなくても、そういった知の組織化に取り組むべきなのだ。そして日本のオタクたちは、パーソナルなエンタメ耽溺と刹那的なSNS消費の中で、そうした活動をずっと怠ってきた。

 美少女ゲームについては、幸いにもEGScapeがあり、その大量の作品情報アーカイヴとユーザーによる評価点と多種多様なタグ検索の中から、かなり自由に各自の希望や嗜好に沿ったものを抽出できる。艦船模型分野も、これまた幸いなことに、10年代のうちに刊行された多数のムック本が、キット一覧から基本的技法まで、ほぼ包括的な見通しを提供している。しかし、それ以外の分野で、ファン有志による包括性と客観性と操作性のあるデータを作り出しているものがどれだけ存在するだろうか?
 例えば、MGガンプラやHGUCの整理されたリストはあるか?(※以前は存在したがサイト消滅してしまったままだ) 主要な漫画家たちをフィーチャーした漫画史の通史的教科書がどれだけあるか?(※何冊かは存在するが、まだまだ足りない) アニメ制作会社とその主要作品を展望できるwebページは存在するか?(※wkpdのような機械的な五十音順羅列では役に立たない) 有名なゲームシリーズの全作品をプレイしてそれなりに公平な紹介をしているwebサイトを、既存のファンたちは大事にしてきたか? そういう作業をオタクたちはずっとサボってきたし、日本のアカデミズム(漫画学科など)もあまりに未発達なままだ。
 ガールプラモについては、せめて私なりに、最低限の時系列的リストや教科書的整理を作ってきた。それは当事者としての、そしてアカデミックな意義に照らしても、誰かがやるべきだという責任感からの仕事だ。
 SFについてはどうだろうか。例えば、「SFマガジン」誌の定期的な特集を紹介することで、マスターピースを絞り込みつつ各自に選択の余地を確保することができるだろう。あるいは、「ループもの」「破滅もの」「生物学SF」「スペオペ」といったジャンルの広がりとそれぞれの歴史的経緯や主要な問題関心を概説することでも、無数の手掛かりを与えることができるだろう(※同人誌などでそういった意欲的な試みがある)。:傑作選アンソロジーのような書籍もたまに刊行されており、簡便な手掛かりとして有効だろう。
 趣味の先輩としてやるべきは、利用(操作)しやすい情報を整備しておき、それへのアクセスを導いてやることであり、そして、先輩ぶるのはそこまでに留めるべきだ。あとは、その後輩くんたちが自身の関心のままに自由に探索し享受してくれるだろうし、そうやって独自の見識を持った自立的趣味人になってくれた時に、「後輩」「ライト層」「新参者」だった人物は最も頼もしく刺激的な同好の士になるだろう。
 「この作品に感動してほしい」、「この作品でハマらせてやろう」といった考えは、邪念と言うべきだ。そういう願望や欲望も分かるけれど、それは禁欲すべきだ。

 私が現在の日本語圏のいわゆるオタク/マニアたちに対して持っている不満の非常に大きな部分は、この点だ。他人が使えるように有益な情報をきちんと整理して公開する、そういう知的誠実と後進への貢献をすべきだった。活発なのはオンラインゲームの個別タイトルの攻略wikiや、アニメ各回クレジットのwkpd記載くらいで、それ以外は知の集積と体系化が欠けたまま、エンタメ享受がSNS上にただのっぺりと広がっているというのが、10年代以降の「オタク」たちに対する私のイメージだ。

 まあ、私自身、漫画やアニメについては月別インプレッションを書き流しているだけで、アーカイヴとしてはろくでもない雑談のままだけどね……。

 00年代前半頃から10年代初頭くらいまで、「萌える○○辞典」や「シナリオのための○○事典」のような概説書が多数刊行されていたのは確かだ。それらはしばしばイージーな内容で、クオリティ面では評価しにくいものが大半だったが、ああやって入り口を広げ、見取り図を提供することそれ自体については、大きな意義があったと思う。
 (※個別の書籍について内容面の問題があれば、もちろん厳しく指摘してよい。プロジェクトに意義を認めることと、個別のアウトプットを評価することは、次元が異なるからだ。私自身、問題のある書籍については指摘してきた。某エ○ゲー文化研究なんとかの駄目っぷりとか、萌える独裁者ムックの非倫理性とか……)


「ディープストライカー」はGFF版(2003年発売)で持っているので、MG版プラモデルは買わずにいる。当時としても別格のボリュームとディテールに、大いに満足して日々じっくり眺めていた。MGでは、Ex-Sの方を制作した。

2025/08/08

漫画雑話(2025年8月)

 2025年8月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。