2025年8月の雑記。
08/28(Thu)
「ドレスアップボディS」は、「M」サイズ版から多少改良されている。肩紐をパーツ分割で再現していたり、バストサイズを2種類ずつ作れたりする。ただし、へその意味不明な縦ラインや、造形のダルいハンドパーツなど、相変わらずのところもある。
昔からKOTOBUKIYAは、へそ周りの造形が苦手なようだ。とりわけMD版「バーゼラルド」は、へその部分をただ楕円形にえぐっただけという珍造形で、さすがに購入意欲を失った(※キットを擁護しておくと、MDシリーズはロボットキャラという建前だから人体らしくなくてもよいし、モデラーとしては不満があれば自力でパテを盛って改修することも可能なのだけど、しかしそれでもねえ……)。
ようやく私なりの「ウルフさん」ヘッドの解を見つけたよ……。そう、「ちっちゃくて、そこそこ優秀そうで、落ち着きも身につけている自信家お嬢様」、これだよ……。
レシピは「ドレスアップボディS」+「ウルフさん」ヘッド(※瞳の色が同じなので暦フェイスも使える)+Picco neemo「ロゼッタワンピースset」。
上半身のアップ。デフォルメ体型の「ピコニーモ」用なので、緩く広がったシルエットになるが、むしろこの非実用的にズレた感じが良い。これだよ、これが良いんだよ。
胸部の巨大リボンは少々くどいが、これは肩に羽織っているショールの一部で、外すこともできる。
たまたま見かけた投稿だけど、こういうアプローチは私の理想に近い。つまり、「大筋では元々のキャラデザを尊重しつつ、細部を丁寧にブラッシュアップすることで、キットのポテンシャルを最大限引き出す」という姿勢。
上記作品は、デカールなどもほぼキットそのままなのだけど、前腕や靴は他のキットと交換しているし、可動拡大の改修もしているらしい。そのうえで、ドレスは凹凸のデリカシーを際立たせるように半ツヤで、そして脚部は曲線美に集中させるようにツヤ消し(たぶん)で処理している。胸部や腹部脇のクリアパープルをメタリックパープルに塗装しているのも賢明(※クリアパーツのままだと、光を通してしまって色が沈んで、埋もれてしまう)。手の爪塗装も、ワンポイントのアイキャッチ効果と腕の動きを明確化する作用の、両方に貢献している。もちろん、撮影とポージングも抜群に上手い。
実を言うと、「元デザインを踏襲しつつ、ディテールを掘り下げて、完成度を上げていく」というのは、まさにスケールモデル由来の発想だったりする。機銃を超精密パーツに取り替えたり、エッチングパーツで細部を充実させていく(例えば、本来あるべきだったトラスや手摺やネットや空中線などを表現する)。その意味で、私のモデリング思想は、今でもやはり艦船模型に立脚している。細部の精度を上げ、造形のリアリティを高め、そして作品の説得力を強め、そしてそれは元デザインに対する忠実性をも意味する。そういうことが実現できたらと常々思っている……ただし実際には、イージーな手抜き制作ばかりだけど。
新刊漫画とアニメの話題をそれぞれ個別ページに分離したことで、この月別雑記ページは模型トークが中心になっている。うーん、ちょっとバランスが気になるが、仕方ないか。模型についても、専用の月別ページを作っていくことも考えたが、それだとブログ全体の運用がしづらくなるのよな……。
漫画やアニメは、毎月定期的に書くべきことが出てくる(つまり、新刊単行本や新作配信)。しかし模型ジャンルに関しては制作ペースにムラがあるので、月別ページは作りにくい。また、フィギュアなど隣接領域の話題も含めると、分類が難しくなる。さらに、模型の話題までパージしてしまうと、この月別雑記に書くことが減ってしまう(しよーもない雑談ばかりになってしまいかねない)。また、積極的な側面として、フィギュアやプラモデルは写真を撮れるので、雑記欄の彩りになる(※漫画やアニメのスクショを載せまくるのは、著作権の観点でも躊躇するし、手間も掛かって面倒だし)。
というわけで、たまにkawaiiフィギュアやプラモデルの写真を貼りながら、いろいろと余計な話をこっそり書いていくブログとして、引き続き運用していこう。
『七夕の国』は、つい読んでしまう。一年に一回くらいは再読しているかも。
岩明均氏は、倫理観のない組織人間の気持ち悪さを、無言でさらりと、しかし明瞭かつ雄弁に描き出しているのが面白い。例えば、平民集団を侮って蹂躙しようとする領主や、欲得づくの軍事会社の兵隊や、傲慢な政治家(※弱った老人でも、組織の強大な力を持った権力者だ)、そして他作品でもアルキメデスを殺害する兵士(『ヘウレーカ』)や、広川の演説に一切耳を傾けずに射殺する自衛官(『寄生獣』)、組織維持のために家老を暗殺する大名(「雪の峠」)など、ドラマの急所にその描写を持ってくることも多い。「ひとの話を聞かないエゴイスト」がよっぽど嫌いなのかなあ。
個人的に、岩明氏とゆうきまさみ氏はなんとなく近い位置で見ているが(※絵柄やユーモアの方向性、合理的思考など)、ゆうき氏は人間組織そのものは嫌っていない、というか、時として大きく肯定すらしているのが、これまた興味深い。ゆうき氏の描くキャラクターたちは、基本的には組織や社会の中での自己実現を自明のこととして受け入れているが(※たしか『じゃじゃ馬』あたりは典型的だったと思う)、それに対して岩明氏の描くキャラクターはしばしば組織や社会から距離を取り、その中で小さくパーソナルな友愛の関係を見出そうとする。最初の連載『風子のいる店』(吃音者主人公)の時からの、おそらく一貫した姿勢だろう。
もちろん、ゆうき氏も一筋縄では行かないクリエイターなので、『白暮のクロニクル』のように個人と組織の間の軋みを描いていたりするけれど、しかしやはり、『パトレイバー』の内海課長のように、「個人的な欲望によって組織を滅茶苦茶にする奴こそが非倫理的な社会悪だ」という方が、ゆうき氏のスタンスであるように思える。そもそも組織ドラマとしての『パトレイバー』を少年漫画で大掛かりかつ入念に展開していたのも、80年代当時としては異例の現象だったと言えるだろう。不思議にも対照的なクリエイターだ。
しかし、さらに複雑なことに、より広い社会に向けた視線は、むしろ岩明作品にこそ強く見て取れる。環境問題や社会問題への堂々とした言及のことだ。それに対して、ゆうき作品にはそうしたシリアスさは無い。漫画版『パトレイバー』でも、技術発展のアイロニーや生物兵器のおぞましさ、悲惨な人身売買などが描かれてはいるが、いずれも個人的な問題へと還元されていき、社会問題をそれ自体としてテーマ的に維持することはなく、文明論的な語りに踏み込むこともほとんど無かったと思う。おそらくこれは、ゆうき作品が基本的にはエンタメの枠内に留まろうとしていることの現れでもあるだろうし、それに対して岩明氏は、非常に素直に青年誌(モーニング/アフタヌーン誌)らしい知的な真面目さを表出している。ミギーのような突き放した思索的姿勢や田宮良子のような詠嘆の独白を、ゆうき氏は描かないだろう。ゆうき氏のキャラクターであれば、悩み事は常に他者との会話の中で解消していくだろうから。
「ふっ、口ではまだ暑い暑いと言っていても、身体は正直だな。秋に向けて急激に食事量が増えていることに、おまえ(ルビ:わたし)は気づいていないのか? 己の欲望に振り回されるとは、なんと無様な……」
(※キャラクター台詞って難しいね。ぎこちなく浮ついた言い回しになってしまう)
新作アニメの全視聴は、時間的には一応可能。一クールあたり70本程度なので、一日7本、つまり一日3時間弱で全て視聴できる。だから、ディープなアニメ趣味者であれば、全視聴派もそこそこいると思われる。
ただし、時間的にも精神的にも負担が大きいし、中には視聴する価値の低い作品もあるし、好みに合わない場合もあるだろう。また、過去のタイトルや海外作品、インディーズなども大量に存在するので、現在オンエア中の作品だけ観ていればいいというわけでもない。
漫画の場合は、狭義の商業単行本に限って見れば、毎月400点ほど刊行されているので、仮に一冊15分なり30分なりで見積もっても、全読破はぎりぎり可能。もちろん実際には、それ以外のものも莫大な数が存在する(※雑誌扱いの本がその2倍ほどあるし、アダルトコミックや電子オンリー、同人などもある)、金銭的にも毎月27万円ほどの費用になるのでまず不可能だが。もっとも、電子書籍のセールス待ちで大量購入していけば、なんとかなりそうな程度ではある。
PC美少女ゲームも、現在の発売数ならば、毎月の全作品をプレイするのは可能だろう(※倫理機構を通しているタイトルの話。インディーズなども大量にあるけど)。最盛期は年間600タイトルも出ていたので全プレイは完全に不可能だった(※年間360万円だから、ただ買うだけならば全購入も可能な人はいただろうけど)。
ガールプラモに関しては、この十年の発売点数は以下のとおり。パチ組みだけのガール系専業モデラーなら、全制作は一応可能。ただし、肩や膝のジョイントを何百と組むのは苦行だろう(※下記は
別掲ページの発売データによる。プレバンなどの販路限定ものは原則除外。また、海外キットもカウント除外[※年間10点程度]。ドール分野も除外。2025年は暫定値)。
年 | 製品数 | 備考(新規シリーズ開始など) |
~2014 | xxx | Hasegawaバーチャロン、Kotobukiyaホイホイさん、レイキャシールなどが細々と。むしろリボルテック、figma、武装神姫、S.H.Figuarts、AGPといった可動フィギュアジャンルの方が元気だった。 |
2015 | 7 | FAG、HGBF(すーぱーふみな等)がシリーズ開始。 |
2016 | 9 | メガミデバイス開始。 |
2017 | 25 | Figure-rise Standard、FIORE開始。 |
2018 | 35 | VFG、Figure-rise Labo開始。 |
2019 | 44 | chitocerium、Dark Advent開始。MODEROIDもガールプラモに進出(ストレリチア等)。 |
2020 | 36 | 11月は新作ゼロだった(※コロナ混乱の影響か?)。この頃から海外メーカーもガールプラモを製造するようになった(※ただし左記統計には入っていない)。 |
2021 | 56 | 創彩少女庭園、ガールガンレディ、Aoshima合体シリーズ、Guilty Princess、30MS、アルカナディア、エクスプラス開始(※30MMは2019年開始)。 |
2022 | 40 | PLAMAXもガール系に本格進出(ゴッズオーダーや、大サイズの固定ポーズキットなど)。微妙に谷間の年なのは、コロナ下での材料調達困難や電力問題など、いろいろあったせいだろうか。たしかスケールモデルも値上げを強いられた時期だったと思う。 |
2023 | 58 | annulus(GRIDMAN)シリーズ開始。 |
2024 | 70 | メガロマリア、プラフィア(PLUM、ずんだもん)、KPMS、PLAMATEA開始。 |
2025 | 121 | 30MP、FAGグランデ、ASG(Hasegawa)開始。 |
2025年で爆発的に増えたのは、それまでの各社シリーズが安定生産するようになったのと、30MSシリーズの大規模展開(アイマスコラボ等)、GSC(Plamateaなど)の精力的な新作発売、それからKOTOBUKIYAのカラバリ大量発売が例年に増して多かったため。市場そのものは完全に確立されたので、来年以降もこのペースになりそう。
SFの話から。先達として「若いファン」たちに何かしてやりたくなるのは分かるし、知の継承という意味でそうした共同体的活動には大きな意義があるとは思う。しかしそれが、「俺が感動したこの作品を読ませたい」で終わっていてはいけないというのも確かだ。
私見では、そもそも特定の作品を勧めるという発想に留まっているのが良くない。ニューカマー(経験や知識の浅いファン)が良い作品を知りたいと思ったときに、どうやったら探せるか、どのようにして自立的に情報収集していけるようにになるか、いかにして当人が「次に読んでみたい作品」を選んでいけるようにするかが重要だと思う。つまり、キャリアが長く、年長者としてその分野に責任感を持ちたいならば、システムを整備すべきなのだ。個別作品ではなく、幅の広さを、系統を、可能性を、見取り図を、手掛かりを、後輩たちに提供してやるべきなのだ。あるいは、べつに後輩がいなくても、そういった知の組織化に取り組むべきなのだ。そして日本のオタクたちは、パーソナルなエンタメ耽溺と刹那的なSNS消費の中で、そうした活動をずっと怠ってきた。
美少女ゲームについては、幸いにもEGScapeがあり、その大量の作品情報アーカイヴとユーザーによる評価点と多種多様なタグ検索の中から、かなり自由に各自の希望や嗜好に沿ったものを抽出できる。艦船模型分野も、これまた幸いなことに、10年代のうちに刊行された多数のムック本が、キット一覧から基本的技法まで、ほぼ包括的な見通しを提供している。しかし、それ以外の分野で、ファン有志による包括性と客観性と操作性のあるデータを作り出しているものがどれだけ存在するだろうか?
例えば、MGガンプラやHGUCの整理されたリストはあるか?(※以前は存在したがサイト消滅してしまったままだ) 主要な漫画家たちをフィーチャーした漫画史の通史的教科書がどれだけあるか?(※何冊かは存在するが、まだまだ足りない) アニメ制作会社とその主要作品を展望できるwebページは存在するか?(※wkpdのような機械的な五十音順羅列では役に立たない) 有名なゲームシリーズの全作品をプレイしてそれなりに公平な紹介をしているwebサイトを、既存のファンたちは大事にしてきたか? そういう作業をオタクたちはずっとサボってきたし、日本のアカデミズム(漫画学科など)もあまりに未発達なままだ。
ガールプラモについては、せめて私なりに、最低限の時系列的リストや教科書的整理を作ってきた。それは当事者としての、そしてアカデミックな意義に照らしても、誰かがやるべきだという責任感からの仕事だ。
SFについてはどうだろうか。例えば、「SFマガジン」誌の定期的な特集を紹介することで、マスターピースを絞り込みつつ各自に選択の余地を確保することができるだろう。あるいは、「ループもの」「破滅もの」「生物学SF」「スペオペ」といったジャンルの広がりとそれぞれの歴史的経緯や主要な問題関心を概説することでも、無数の手掛かりを与えることができるだろう(※同人誌などでそういった意欲的な試みがある)。:傑作選アンソロジーのような書籍もたまに刊行されており、簡便な手掛かりとして有効だろう。
趣味の先輩としてやるべきは、利用(操作)しやすい情報を整備しておき、それへのアクセスを導いてやることであり、そして、先輩ぶるのはそこまでに留めるべきだ。あとは、その後輩くんたちが自身の関心のままに自由に探索し享受してくれるだろうし、そうやって独自の見識を持った自立的趣味人になってくれた時に、「後輩」「ライト層」「新参者」だった人物は最も頼もしく刺激的な同好の士になるだろう。
「この作品に感動してほしい」、「この作品でハマらせてやろう」といった考えは、邪念と言うべきだ。そういう願望や欲望も分かるけれど、それは禁欲すべきだ。
私が現在の日本語圏のいわゆるオタク/マニアたちに対して持っている不満の非常に大きな部分は、この点だ。他人が使えるように有益な情報をきちんと整理して公開する、そういう知的誠実と後進への貢献をすべきだった。活発なのはオンラインゲームの個別タイトルの攻略wikiや、アニメ各回クレジットのwkpd記載くらいで、それ以外は知の集積と体系化が欠けたまま、エンタメ享受がSNS上にただのっぺりと広がっているというのが、10年代以降の「オタク」たちに対する私のイメージだ。
まあ、私自身、漫画やアニメについては月別インプレッションを書き流しているだけで、アーカイヴとしてはろくでもない雑談のままだけどね……。
00年代前半頃から10年代初頭くらいまで、「萌える○○辞典」や「シナリオのための○○事典」のような概説書が多数刊行されていたのは確かだ。それらはしばしばイージーな内容で、クオリティ面では評価しにくいものが大半だったが、ああやって入り口を広げ、見取り図を提供することそれ自体については、大きな意義があったと思う。
(※個別の書籍について内容面の問題があれば、もちろん厳しく指摘してよい。プロジェクトに意義を認めることと、個別のアウトプットを評価することは、次元が異なるからだ。私自身、問題のある書籍については指摘してきた。某エ○ゲー文化研究なんとかの駄目っぷりとか、萌える独裁者ムックの非倫理性とか……)
「ディープストライカー」はGFF版(2003年発売)で持っているので、MG版プラモデルは買わずにいる。当時としても別格のボリュームとディテールに、大いに満足して日々じっくり眺めていた。MGでは、Ex-Sの方を制作した。