2013/06/25

(無題)



  ※ご注意。このページは、不快な話題をここに分離しておくためのものです。私個人の思考の整理や心理的決着あるいはメモのために文章にしていますが、閲覧者は以下を読まずに閉じることを強く推奨します



  下の事件があまりにもショッキングだったので、もうこのページはこれで終わりにしよう。
  願わくば、もはや二ページ目を作ることなしに済ませられますように。



  [tw: 481568115973562368 ]
  一つの趣味に対して、その価値を貶め、その趣味の絶滅を願い、その趣味及びそれを好んでいる人々を侮辱し、あまつさえそれらの人々の生命を(!)すら軽んじ、しかもそれに関して自分自身は手を汚さずにいたいなどというのは、それに賛同する人たちも含めて、もはや「趣味を語る資格の無い下衆野郎ども」と見做さざるを得なくなるのだが。
  本当にそれでいいんですか?

  一つの趣味が、メジャーなものであれマイナーなものであれ、あるいは当該趣味に関わる活動が部分的に周囲に対して(物理的な犯罪行為としてであれ、単なる心理的なうっとうしさであれ)迷惑を含むのであれそうでないのであれ、ひとが奉じている趣味そのものを貶めることをしてはならないということは、誰にでも守られるべきだと思うし、ましてや自身の趣味について他人からいわれなき偏見の目を向けられたりそれによって不利益待遇を受けたりした経験のある人(つまり例えばオタク)ならばその重要性は身に滲みて分かっていると思うのだけどなあ。一般的にみて、けっしてその性質上有害だとは考えられないような趣味について――ということはおそらくは単なる好悪の次元で――その趣味(を楽しむ人々)の絶滅を願うというのは、冗談のつもりであったとしても異常すぎて唖然とさせられる。
  上記発言は、レトリックとしてはまったく幼稚であってなんら見るべきところが無いので、その結論部分にその主張(及び賛同)の眼目があるものと考えざるを得ないのだが、まさにその部分が、およそ趣味に関する発言としては絶対に口にしてはいけない(と私は考える)類のものであり、そしてそれゆえ今回のこの件は私の中で当該人物に対するこれまでの信頼を決定的に困難なものにした。もっとはっきり言うなら、完全に冷めた。
  一つの趣味に対する陰湿で侮蔑的でそしてそれゆえそれ自体きわめて下品な、今まで目にしてきた中でも文字通り「(道徳的意味において)最低」の発言を、まさかこんなところで目にしてしまうとは。興味本位で他人のお気に入り欄を見に行くものではないね……。

  私自身が批判するのは、基本的に、「(意識的に)嘘をつく人」、つまり一つの趣味(というか、およそひとが持つ価値観すべて)を内部から破壊しようとする人と、「他人の趣味を否定する人」、つまり一つの趣味(〃)を外部から破壊しようとする人、そして「人の尊厳を傷つける人」、それだけに限るつもりでいる。実際には、具体的な迷惑行為や責任放棄的姿勢に対してもここでいろいろと攻撃しているが。



  「作者の気持ち出題」批判ってバカバカしいよね。「本文が特定の意図の下に構成されたかのように一定の合理的かつ整合的な解釈が可能なテキストだとして(そうだとせよ)、以下の問に対して最も妥当な結論を導け」ということなのだが、これを適当に省略して「本文をきちんと読んで理知的に考えれば作者の創作上の意図が整合的なものとして導出可能だとして答えよ」、さらに「想定される作者の創作上の意図に即して答えよ」→「作者の意図に即して答えよ」→「作者の意図を説明せよ」→「作者の気持ちを述べよ」といったように簡略化するのは、ただ単に「意図」「構成」といった語彙を理解できない段階にある小学生レベルの受験者に向けた便法的パラフレーズに過ぎないのであって、大人がわざわざ真に受けてしかつめらしく批判するようなものではないだろう。これを、「作者はこれによって何を書きたかった(表現したかった)と考えることができるか」と捉えるのではなく、あえて自ら曲解したうえで批判するというのは、単なるマッチポンプであり、詭弁を弄しているのに等しい。中高生以上(だろうか?実際にどのくらいかは分からないが)の段階で「作者の気持ち」が云々されるような出題なんてほぼ存在しないか、あるいは存在するとしたら出題者が例外的に愚かであるか、あるいはそのような文面での出題を必要とするほど受験者層のレベルが低いか、のいずれかだろう。
  初等数学教育批判の不毛さも、これと同類だと考えている。



  webラジオで最悪なもの:投稿者の誕生日おめでとう企画。
  それでなくとも、投稿者の中には、「○○したので、おめでとうをお願いします」という、とんでもなく厚かましいのがいたりもする。しかも何人も……。



  「ネタバレ配慮」の美名に隠れて実質的なことについては都合良く口を閉ざしたまま――ということはつまり役に立つことを何も提供しないまま――、その一方で「これをプレイしていなければ恥ずかしい」といったような愚劣な――というのはほとんど無内容でそして否定的な側面ばかりが強調されやすい取り上げ方であるからだが――タイトル列挙遊びばかりを流布させようとしている連中は、もう本当にゴミクズとしか思えなくなりそうですわ。
  なにか面白い話をされているのかなー、と話題の出所を辿ってみたらこの有様だよ。



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  半年以上ずっと根に持って(笑)考え続けているが、やはりこの発言にはどうしても納得できないしけっして賛同できない。上記発言がその時いったいどのような事件に対して向けられたものなのかは分からない(いったい誰がどのような「コミュニティ」の中で何に対して「逆張り」をしてどんな「優越感」を振りまこうとしたのだろう?)が、それは文中で明示されていない以上知りようもないことだし、そして文中で明示されていない以上これは一般論として読むしかないし、そしてその一般論に当てはまらない一事例である私としてはまったくけっして受け入れられない。私は、現実のものであれ、イラストであれ、あるいは老若男女いずれのものであれ、スリムな体躯、スレンダーなスタイルは(それも)いいと思っているし、それを肯定的乃至好意的に見るのは私一人の確立された美意識に他ならない(けっして錯覚などではない)し、これに関して私は他人のことなどどうでもいいし、誰か(あるいは何らかの集団)から影響されたということも無いと思うし、誰かに対してこの美意識を(この美意識を不当に攻撃された場合を除いては)誇示したいとは別段思わないし、ましてやそれが何者かに対する何らかの優越感や劣等感を意味するという見解はまったく意味が分からず、そしてだから本当にいったい何故上記のような意味不明な侮蔑がスレンダー好きに対して向けられねばならなかったのか分からないのだが、それが侮蔑である(と捉えるしかない文面である)以上、美意識を賭けてこうして全力で反発するしかない。

  当然ながら、「話のネタとして『可愛がって』もらえてるんだからいいでしょ」と言わんばかりにそういうキャラクターたちの身体的特徴を茶化して楽しむ人たちは、基本的に憎悪の対象になる。フィクションのキャラクターたちは絶対に言い返してこない相手だし、(考えようによっては)何を言っても絶対に傷つかないでいてくれる相手なので、現実ではできないそうした侮蔑ベースの可愛がりもわりと気安く行えてしまうものだという事情は分からなくはないし、私自身だってキャラクターたちの外見上の特徴に対して特殊な――というのはここでは「対世間的になんらの妥当要求(のための根拠)も伴わない」というほどの薄い意味だが――偏愛を抱いてそれを言葉で表明することはあるのだけれども。「欠けたところをあえて愛でる」という感性のあり方は、ところにより卑俗な言い訳のための道具となりつつも、よく知られたものとして通用していることだし。

  ちなみに、それとは逆の、平均よりも豊かな体つき(の表現)については、別段悪く言うつもりも無いが、偏愛の対象になるということも無い。

  さらにどうでもいいことだが、ほんの半年(しかもこうして言葉に出来てしまう程度の軽さで)根に持っているくらいならまだまだ短い。十年以上、しかももっとシリアスな問題で、人生を賭けて、深く遺恨を含んでいる(要するに文字通り一生絶対に許さない)という相手も何人もいる。

  といったような思いが、ここ数日来のこのあたりを拝見していて再び沸々と湧き上がってきた。
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  オタク趣味が、少なくない人々が自らのものとして――場合によっては自らの嗜好をコミットさせるのみならず価値観をすら賭けて――楽しんでいる一つの趣味である以上、(他人に迷惑をかけていないかぎり)けっして馬鹿にされたり悪く言われたりしてはならないのと同様に、サッカーやサッカー観戦を楽しむことに対しても、興味が無い人がそれを馬鹿にしたり侮辱したりしてはいけないし、そしてこれは、もちろん、それら以外の、常識的に想像することのできるあらゆる趣味について当てはまる筈だ。
  オタクは――私たちオタクは――、一般社会との間の不幸な軋轢の経緯からして、そうした蔑視(あるいはそうした蔑視が不当であること)に敏感であった筈だが、しかしもしもそれが、そうした蔑視が一般的に(どんな場合、どんな趣味に対しても)不当であるという公正な認識を強化することに寄与してきただけではなく、そのような蔑視を(自分がコミットしていない趣味に対して)実行する「型」を習得する機会にしてしまった人がいるように見受けられるのは残念なことだ。
  これまでにも、オタク趣味に関わる諸々の(我々には不当と思われる)規制を巡る言論の中で、「それなら○○だって規制されてしかるべきだよね」のようなレトリカルな皮肉の発言は度々目にしたが、その刺し違え(相討ち)を目指すかのようなレトリックそれ自体の言論技術上の危険性をさて措くとしても、規制志向の発想を心の底で受け入れてしまうことの危険性は常に意識されねばならないと私が考える[tw: 91486606954991616 ]のは、上記のような考慮にも関わっている。

  [tw: 478023488137998336 ]
  また、上記の話題にも部分的に関係することだが、他人の趣味や意識の尊厳を無視することによって自らの精神的均衡を回復しようとするのは、最低だと思う。しかも今回のこの発言は、おそらく一部のサポーターが重大な違法行為をしたというようなわけでもないと思われるのだが、ただ単に「ムカつく」という程度のことで、他人を――しかもまったくの他人ではなく、少なくとも趣味を同じくする隣人ではあろう筈の人々を――自らの認識の中で動物並(あるいは自然現象並、あるいは「搾取対象としてしまって構わないなにものか」)の扱いへ引き下げてしまうことをなんとも思わないというのは、はっきり言えば、非常に怖ろしい。これはまさに数多の差別を産出し強化してきた発想の仕方だから。
  自分が関わっている趣味について、自分と同じくらい深くコミットしているわけではないとしても、あるいは対象とする趣味についてそれほど知識があるわけではないとしても、少なくともその趣味を好意的に(あるいは、否定的ではないかたちで)見てくれる人々が世間にいてくれることが、どれほど重要であるかを、私(たち)は身に染みて知っている筈だが、そういうライト層と、ライト層を単なる「財源」としか見做さない傲慢な人物とでは、私はライト層の方をはるかに好ましく思う、というか、プラスの価値とゼロ以下の価値では比較にすらならない。
  共通の趣味を持つ者どうしの間でも全員の行動を互いに全肯定できるとは限らず、お互いの間で諫めなければならない不行状はどうしても出てくるだろうし、そしてそれを諫めるのはとても面倒で気乗りのしないことではあるのだが、上記投稿者はそういう実際的な問題解決を放棄してただ他人を侮蔑する思考に引きこもっているだけなので本当に何の役にも立たない。



  うわー。tw上で声優に対して失礼なリプライを出しちゃうアレな人たちは実在したんだ!
  (実は、ここに書きとめてしまうことすら躊躇われるほど不快だった。)



  fxのインターフェイス変更がうざーい!
  使いやすくなるならまだしも、むしろ理不尽な変更すらあるし、そうでなくともインターフェイスデザインの変更は操作性を少なくとも一時期的に劣悪化させるので最大限慎重にしてくれなければ困る。ヴァージョン自動更新の度にレイアウトをおかしくされたり、アドオンで再調整したものをおかしなかたちに戻されたりするのは、もう耐えられない。こんなのもう二度と更新なんかするか。というわけで更新関係の設定を全てOFFにした。もしも今後、更新を余儀なくされるようなことになれば、その時は更新をするのではなくただ単にfxの使用を永久的に止めるだろう。

  ちなみに、今回の更新でブックマーク登録ダイアログはウィンドウ左端ではなく中央部に(というかスター部分から)出るスタイルに戻っていた模様。そうだよね、重要なダイアログ(しかも入力やクリックを要する場合も多い)を端っこに出すなんていう無神経で頭の悪いレイアウト(前回更新時)を、いったい誰が考えてしまい、誰が真に受けてしまって、誰が実行させてしまったんだろうね。



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  この投稿を最初に目にした時、最後の部分を「『自重しないと』思っている」ではなく「自重しない(=どんどんやる)と思っている」と誤読してしまい、「ほお、なかなか素直な方じゃないか」などと思ってしまった……どうやら本当に性格悪いのは私だけでしたごめんなさいごめんなさい。



  [tw: 470467871617724417 ]
  たまたま目に入ってきた投稿だが、こういうのは、「対象とするテーマを扱う能力が明らかに不足している場合は、口を噤んだ方がまし(その方が誠実)」という状況じゃないかなあ。「必死で資料を集め」てもメジャーな1誌のバックナンバー1年分しか確保できない情報収集能力の低さ。そもそも模型(誌)には門外漢らしいのに着手しようとする向こう見ず。それでいてデータ批評(って何それ)に取り組もうとする危なっかしさ。……うーん。
  このテーマなら、2014年現在の主要な模型誌のみに限るとしてもせいぜい5誌も選べば十分だし、それなら1000円×5誌×12ヶ月=6万円もあれば足りる。しかし、HJ誌だけというのは、無い。せめてスケールモデル系雑誌から(も)選ばなければデータが偏るのは明らかだし、「統計」をしたいというのにそのようなバイアスの危険に対して無知乃至無策であるというのは端的に「致命的」というしかない。もちろん、データが十分に揃わない状態でも、そこから判断できることが何も無いとは限らないし、何かを言うべき価値がまったく無いとも限らない。「何かを言ってみること」にも価値があるという場面はたしかに存在する。ただしそれは、入手可能な情報が(誰にとっても)極端に限定されており、なおかつ、にもかかわらず、そのテーマについて何かを述べておくべき必要性があるという場合か、あるいは、解を得るための道筋すら分からないという状況や、教育の場面くらいのものだろう。こんな安直な泥縄ネタなど、「しない方がまし」と言うしかない。「できないことはやらない」。「無理なことは、無理にしない」。「害悪(マイナス)を振りまくよりは、何も言わない(ゼロにとどまっている)方がまし」。「規模の大きな議論や、正確性が求められる議論は、それに見合うだけの周到な準備をしたうえで行うべきだ(そしてその規模や正確性の見当すらつけられないならば、尚更、黙ったままでいるべきだ)」。
  上記の投稿者のことは何も知らないし、敵意や悪意も持っていないが、つくづく「無いなー」「これはひどいなー」と思わずにはいられなかった。文面を誤読したかとすら自ら疑ってしまったくらい。



  getchu.comの右下に出てくる広告がうざーい!



  PCゲーム分野では、ミレニアム前後に生まれた「文字だけ批評」の連中は00年代前半以降――もう十年以上前ですぜ!――の流れには全然ついていけてなくて、ようやく自分たちのフィールドとして作り上げ(たつもりになっ)た分岐構造にまつわる議論も、結局ろくな発展をみることなく立ち枯れて、今ではせいぜいお仲間識別のための合言葉としてしか役立たなくなっており、それ以外の側面については「PCゲーム表現は高度に複雑化したため、個人単位ではいずれかの各論に専心するのでなければ議論のクオリティを保てない」という所説を(アニメに対するのと同様に)免罪符にしたつもりで旧弊的議論に引きこもり、そしてそのままむなしく消え去ったかと思っていたら、ほとぼりが冷めた気になってかそれとも自分たちのアナクロぶりを自覚できていないだけなのか、いまだに発展性の無い十数年前の繰り言を厚かましく繰り返している人もいるのか。



  ネットで吹かしている程度の半可通や素人を、学知の――特定の学問分野であれ文系理系といった総称としてであれ学問全体についてであれ――代表のように見做すのはやめてくれないか。学問の内容や水準についても、その到達地点についても、その意義についても、その受容状況についても、認識が歪むだけだぞ……。そして、ちゃんとした研究者は、そんな馬鹿なことはけっして言わない。そのくらい、正確さ(厳密性と中立性の双方を含む)を重んじるものだし、正確であるために非常に慎重に発言するし、そして対象の内容とその根拠と意義をきちんと確かめるものだ。ましてや、文系がどうの理系がどうのなんていうちゃちな偏見をふりかざすような研究者は、残念ながらおそらく皆無ではないにしても、ごくごく少数の(悪しき)例外でしかない。そんなのを学者の典型的サンプルのように見做すなよ。



  STP#402。投稿者Nのおぞましさが限度を超えた。相手(女性)の胸部に言及するとか、売春行為の妄想をぶつけるとか、さらには400回のお祝いの場面にネガコメント(にしかならない内容)をよこしてくるとか……。社会的なマナーも、相手に対する配慮も、そして最低限のモラルも持ち合わせてない輩というのはこんなにもひどいんだなあ。



  アニメの話しかしていない人物に対して、自分自身の意見は提示せずに「○○について知っていますか」といきなり質問だけ出して([tw: 463234942936158208 ])、さらに応答に対して別分野のシェークスピアや漱石といった有名な――ということは、この場合、受容史や解釈史を概観することすら容易ではないような――著者に関するハードルの高い要求を(何故か)出してきて、それに答えられなかったら馬鹿扱いして切り捨てるとか、やっぱり批評好き連中の言論態度は小狡いばっかり楽してるねえ。借り物の権威に乗っかりつつ、敵対者攻撃ばかりをして、自分自身では内容のある議論を一切提示しない(せいぜいが賛同者の意見をRTしたり韜晦的な思わせぶり[tw: 463251606742396928 ]を付け加えたりするだけ)というのは、皮肉にも、通俗的なイメージどおりの批評したがり君の不毛さそのままじゃないか。実際、その言い争った相手の見識が非常に未熟であったというのは一つの事実だが、相手が明白に馬鹿(未熟)だと分かっているならわざわざtwでつっかかるほど暇なことをせずともよかろうし、もしも真面目に議論すべき問題だと考えているなら自分自身の考えをきちんと述べるべきだろう。ましてや、他人に対してわざわざリプライで質問を突きつけたなら、最終的には自分なりの見解も相手に対して述べるのが、理性的議論の最低限のマナーだ――というか、同意できない意見を開陳している人物に対して異論を述べたいなら、まずは反論としての自説を首尾一貫したかたちで(つまり検証可能なように)提示すべきだ――し、そして、相手を馬鹿と切り捨てられるくらい自分の見識が明らかに大きく上回っているという認識がありながらそういう挙に出ていたなら、文献の一つも紹介してあげるものだろう。そのどちらも放棄して、論拠も明示せずに侮辱的な一言だけで済ませてしまうのは、失礼どころではなく、完全なルール違反と言ってよい。それはただ、揚げ足取りの罠を仕掛けているだけであって、まっとうな議論の仕方ではないし、そして一定以上の知的訓練を経ている人には絶対に通用しないような程度のものだし、そしてそれゆえ一定以上の(このハードルはけっして高くないが)知的水準にある人々ならば使うことを恥じるような種類のものだ。それはまた、ある個人が無知であるかどうかを試すことにしか役立たず、そこから新たな知見を協働形成していくことにはまったく寄与しないからでもある。細かい雑学群は憶えていても、理知的で公平で生産的であるための言論のルールは学んでこなかったのかな。
  以前にtwで見かけた(たまに見たこともあった)頃から、この拗ねた態度も言葉を濁す悪癖も外部権威依存はちっとも成長してないし、もはや今後とも成長しないのだろうなあ。とりあえず、不誠実きわまりない言論姿勢の証拠の一つとして書き残しておく。

  実のところ、ショッキングでもある。そこそこディーセントな訓練を受けてきた方だろうと思っていたのに、実は会話と言論のディーセンシーに関して「平均以下」であったのかと。こんなにもみみっちく見苦しく卑しいことをやらかしてしまう人物だったのかと。失望するしかない。たまたま第三者がこの人物の別の発言をRTしているのを見て、久しぶりに訪れてみたらこの有様だよ。



  Rosebleuは、インターフェイス(レイアウト含む)もテキストも絵もコンセプトも売り方も、全てが駄目だなあ……。Clochetteと同じく、心情的には嫌いではないのだが、目にする機会がある度に心底ひどいブランドだなと思ってしまう。別段、悪口を言いたい相手ではないのだが、この耐えがたいほどの気持ちを言葉にするとどうしても悪口になってしまうので、こちらに書いておく。そのビッグマウスに「手」(具体的な現場演出センス)がついていっていないminoriに対しても、私の中ではマイナスイメージが支配的になっているが。



  あるラジオに、気になっている声優さんがゲストで出演されたようなので、「たまにはいいかな」とonsenサイトに行ってみたが……やはり駄目だった。あのサイトデザインには堪えられない。今時、テキストスクロール(!)を多用するセンスは、もう無理だ。ただ単にセンスが悪いというだけでなく、番組タイトルをスクロールで流してしまっているので、一目見てタイトルを視認できなくなっている。バカじゃないの? しかも、左側には、ぺかぺか下品に切り替わるgif画像が並んでいるし、サイト全体も重たいうえ見づらいし、ブラウザの横幅変化(つまりユーザー毎の閲覧環境)を考慮していないし、「番組紹介」フレームもいちいち「閉じる」ボタンを押さなければ消せないし。どれだけ無能なスタッフにページデザインさせたんだ。あるいは、どうしてこんな馬鹿な仕様で組ませたんだ。
  お気に入りのメーカーのラジオや、注目したい声優さんが出演されているラジオは、後でデータCD化された時に買っているが、しかしあのサイトにアクセスすることはもう二度と無いだろう。



  わたしだってつらいんだよ、大学時代の知人がtw上で「衆愚が~」などと社会派な発言をするようになっていたり、斜め上を昂然と睨みつけるかっこいい実写アイコンにしていたりするのを目にするのは。もちろん、知人たちの大半は賢明かつ慎重であり、職業や趣味に即したプロフェッショナルと呼ばれるに相応しい見識を身につけているし、上記のような側面のある人々も全体としてはもちろん十分知的であり有能であり誠実であり公平であるのだが。……もっとも、他方で、もしも彼等が私のこのブログを知ったら、「大学時代のあいつ、まだ美少女ゲーム"ごとき"で時間を空費していやがって」と思うかもしれないので、まあ、この程度のことは「おあいこ」なのかもしれない。



  これまでたまに拝見していた方が、「タイトルの一部をshachikuにすると」や「ossanにすると」のようなネタに嬉々として乗っかっているのを見てしまうと、ああ、こんな方だったのかと、いたたまれず耐えがたいほどの喪失感に襲われる。芸術に対する感性と社会的公正に対する感性は別ものなのだとはいえ。悲しみつつ、そっとブックマークを消すしかない。



  実在する個人(他人)の顔写真や名前をtwなどのアイコンに使うのは、私の中では完全にNG。歴史上の人物だろうが、茶化したい政治家だろうが、クリエイターだろうが、自分の親族だろうが、肖像権を持ち出す以前にモラルとマナーの最低限として「してはいけない」行為だと思う。同様に、自分の発言に「CV:誰々」と付記する人たちのセンスも、――不当性の度合いはずいぶん低いとしても――やっぱり無理。



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  たまたま目に入ったんだけど。こういう言い方をする人は大嫌い。自分の主張を、他人の口を借りて言わせようとするなよ。もしも自分がそう考えているなら、自分自身の責任で、自分自身の言葉としてそのまま書けばいいのに。そして、もしそうでないなら、自分自身も信じてすらいないようなその特定の主張を(たまたま、そして当然ながら)言わなかった他人を、雰囲気で道徳的に責めるかのようなセコいことをするなよ。そもそもジャーナリストというのは、そういうことを自分から主張すべき立場(仕事)じゃないのだし。本当に、こういう人(たち)は何がしたいの? 発言の責任を免れながら格好つけたいだけなの?
  ちなみに、私は上記発言の中の括弧で括られた主張内容にも賛同しない。
  ……そういえばこの人って、とweb検索で確認したらこの発言者、シンガーソングライターじゃないか。素人(部外者)ではなく、自身がまさに音楽業界関係者なんじゃないか。その業界に属するのであるならば――つまり広い意味での「当事者」「利害関係者」であるならば――尚更のこと、音楽業界/市場に関するその発言は、記者なんてものにイタコさせたがるのではなく、自分自身の意見として口にするべきだった。ひどすぎる。実際に自分(私)が属する分野になぞらえて状況を想像してみれば、このような記者任せの発言がどれだけおかしいか(つまり通常の発想では、自分自身が属する分野に関する出来事について、けっしてこのような発言姿勢は出てこないであろうということ)は、はっきり理解できるだろう。



  今どき、「○○をするアニメは名作」のようなハッタリ法則定立を、いかに冗談でも平然と口にする人々に対しては、当然ながらその見識に対する信用も人間性に対する評価も急落する。試しにweb検索してみたら「○○なアニメは名作」というwiki的辞書項目が見つかるくらいの陳腐な言い回しなのだが、こういうことを平然と口にする人は、1)そのようなオカルト的発想(を創作物の集合に対して適用すること)に対する慎重さが欠如しているということであり、2)たとい冗談でもそのような疑わしい話を命題として(つまり一種の真理要求を提起するかのような体裁で)公然と述べてしまえるということであり、3)さらには「○○なアニメは名作」という大仰な表現を安易に口の端に上らせるような言語上乃至人間関係上の悪習にどっぷり漬かってしまっているということであり、4)そしてそもそも対象(作品)に対する適当さと(不)誠実さについてもなんとも思わない人物だ、ということなのだから。仮にもしかしてその「○○」という要素に対して本当に愛着や傾倒があったのだとしても、いくらなんでももう少しまともな言いようがあるだろうし、そうではない場合(クリシェ玩弄や深刻ぶり遊戯の場合)でももう少し洒落の利いた表現はあるだろう。
  もちろん、もしも私が(アニメではなくともゲームについて)似たようなことを述べていたら、同様に私に対する評価及び信用を落としていただいて構わない。たぶん言ってはいないと思うが、似たようなことを書いてしまっている可能性は考えられる。ただし、「○○氏が出演しているタイトルは名作(になる)」というのは、もしそういう一節が存在したとしても、おそらく私は修正乃至撤回の必要を感じない、文字通りの意味で真に受けていただいて一向に構わない信念だが。



  ただ皮肉を言うだけのために物事の筋道を転倒させても――例えば原則と例外を誤解させるような形で発言をしても――構わないといわんばかりの言論をまきちらしている人物の言葉は、読む必要は無い、いやむしろ、読まない方がよい。その皮肉が安っぽいものだったりセンスの低いものだったり差別的なものだったりする場合には尚更。
  自分とは異なる考え方に触れるのは、(自分自身の考え方が絶対的でないということを認識するためにも、物事に対する様々な認識の仕方を習得するためにも)重要なことだが、しかしながらその一方で、「読まない方がいい」言論、「こんなのを真に受けて読んだら馬鹿になるだけ」な言論は、残念ながら存在するし、そしてそうした言論に対しては、文字通り、読まない方がいい。



  ものごとを実在の病気(病状)に喩えるって、相変わらずデリカシーもリテラシーも無いことをする人だなあ……。真面目な方なのだろうとは思うが、こういうところと、山師的言論に流れがちな傾向、それから自分自身のバイアスについてあまりにも無自覚なところは、拝見していて首をかしげてしまう。



  一人称に「私」を使っただけで「女だな!」と過敏に反応するおこさまはなかなかいなくならないなあ。いい大人の公的な立場での発言は、性別を問わずたいてい「私」なんだし、そもそも性別なんかどうでもいいだろうに。鬱陶しい。



  座談会記事で「一同(深くうなずく)」のような一節があったりしたら、そのうすら寒さに頬を引きつらせるしかない。その首肯の対象がピント外れのものだったりしたら尚更。おそろしい。



  あまりにも不快なことなのでこの一度しか言及しないが。twで「この中に好きな声優がいたらRT」のようなしよーもないハッシュタグとともに適当な声優の名前を列挙しているバカたちが何故いまだに絶滅していないんだろうか。迷惑行為以外のなにものであり得るというのだろうか。



  [tw: 356703272628789248 ]
  不幸にしてたまたま目にしてしまった。冗談のつもりでも、立場上言ってはいけない発言というものはある。ゲームを販売する売り手の立場にある人物が、「ゲームはただ買って積んでいればいい、プレイする必要などない」ということを意味する発言をしていいものだろうか? ゲームは、プレイするために、そして楽しまれるために存在するのではないのか。おそらくゲームブランド/スタッフとの間にも相互フォロー関係がある筈だが、そのゲーム制作者たちの前でこの人物は厚顔無恥にもこの発言を行ったのか(――なお、前後の文脈を見るに、どうやら改変ネタのようだが、その事情は発言の不正さをいささかも免責するものではない)。そもそもこの人物って、たまに漏れ聞こえてくる発言を見るかぎりでは、自分の嗜好を押しつけがましくアピールしたりしようもないパロディ口調を誇示したりといった自分中心のネタトークは熱心に繰り返しているけれど、ゲームのことを愛しているようには見えない。
  ゲームを売らず、箱と円盤を売っているだけのメディオでは、絶対に買い物はしない



  一昔前は、実在(存命)人物の写真をコラージュするのは、ネットアングラの遊び(つまりアングラでなければけっして容認されない行為)だったものだが、最近では――たとえばtw上で――多くの人が平気で公然とやってしまうようになったんだね……。なんとおぞましい世界。
  実在人物に限らず、というか実在人物ですらこうなっている状況で、それ以外の創作物が尊重を払われているわけが無い。完全に箍の外れた世界では、写真であれ、イラストであれ、それ以外の何であれ、どこにでもいる善良な一般人たちによる無思慮で侮蔑的な権利侵害的かつ尊厳蹂躙的なコラージュのゲリラ的襲撃から保護されることはもはや無いのかもしれない。彼等がそれを単純に「楽しい行為」としてしか認識していないのならば、もうそれを押しとどめることは困難だろう。