2014/02/19

演出の時代(と、その終わり?)

  PCアダルトゲーム表現の十年についての、概括的なイメージ語り。


  PC美少女ゲームにとっての00年代は、(もちろん全てではないとしても、少なくともその一面では)「演出の時代」であったと述べることは十分可能であろうと思うが、しかしここ数年の――つまり2010年代に入ってからの――動向を見ていると、演出の時代は終わったか、あるいは少なくとも一息ついた段階になっているように見受けられる。90年代の放恣に花開いた無数の実験群を経て、現在私たちが知るような立ち絵背景システムの「形」は、90年代末頃に確立され共有されていたと考えてよいように思われる(――例えば2004年の『Quartett!』においてすでにあの立ち絵-背景フォーマットは、アダルトAVGに典型的乃至特徴的な風景として、つまり最もありふれていながらまぎれもなくその分野の一般的イメージを代表する象徴的造形として、パロディ的に取り扱われていた)。フキダシ表示を筆頭とする様々なテキスト表示形式の試みも、立ち絵振り付けという形でスクリプト表現が深化してきたのも、CG拡縮表現の進展も、放出場所固定化コンフィグや発射カウントダウン表示のような機能的に特化したいくつものユニークな仕様も、その堅固な共通地盤の上で活発に行われてきた。しかし、ここ数年は、少なくともユーザーサイドで目にする次元では、際立ったものはなかなか現れなくなっているように感じられる。目立ったものは、3D表現の浸透と、(主にアダルトシーン一枚絵の)アニメーション化の普及、それから(わりと話題にはなったがその後ほとんど追随されていないように思われるが)e-mote技術くらいで、たとえば立ち絵/背景システムに対する挑戦を仕掛けるような大掛かりな新機軸は現れていない。それは、1)内的(技術的)に見れば、十年もあれば新機軸として通用するであろうような主要なアイデアはだいたい出てくるものだということかもしれないし、2)外的(経済的)に見れば、この数年でいよいよ明らかになりつつある市場全体の難しさからの影響も考慮されるだろう。あまり考えたくない可能性ではあるが、もしかしたら私自身の思考が演出技術論の枠組に自縛されているという可能性もあり得る。

  いずれにせよ、LittlewitchがダイナミックなFFDから趣味の良いインターフェイスアクションへと方針転換し、緑茶の『祝福の鐘の音は~』(2011)が肩すかしに終わり、Leafが『WA2cc』(2011)以来PC新作をリリースしておらず、ageも続編とリメイクに閉じこもっている現状で、狭く誤解された「演出」がまるで単なる道楽的挑戦のように見做されるような時代になってしまうとしたら、それはPCゲーム界にとっては深刻な不幸だろう。FAVORITEやPurple SWを見ても、 「物語」が(あるいは狭義のストーリーだけではなく、舞台設定やシチュエーションの妙を含めたドラマの全体が)ふたたびAVGを牽引していくようになっているという傾向も現れているのかもしれないと思わせる節もある。そうした中で、ういんどみると、それから(失礼ながら)意外なことに『フレラバ』と『Melty moment』のHOOKSOFTが、美少女ゲームらしさをあくまで維持しつつその美質を活かすような仕方で風変わりに演出を試みているのは、幸いとすべきだろう。

  肯定的な側面を見出そうとするならば、さしあたり二つの点を指摘することができるだろう。
  1)一つは、一般的な技術それ自体の質は個別的な(個別作品における)演出の質と同義ではないということだ。そして、現在のアダルトゲーム分野は、「新機軸(新技術)の開拓」よりも「開拓された技術的体系の洗練された使用」へと注力していると考えることができる。これは演出技術論の終章でも述べたことだが、創作物にあっては、「何が利用できるか」の次元(個々の技術)は、それらを「いかにして利用するか」の次元(技術の具体化と洗練)に伴われなければ意味が無い。その過程がまさに現在行われているのであるならば、我々はこれを素直に寿ぐべきだろう。
  2)もう一つは、そのように技術のより良い具体化が目指されているとして、現在はいかなるものが目指されているかという点だ。私見では、現今の美少女ゲーム(の、とりわけ白箱系ブランド群)が集中的に取り組んでいるのは、伝統的なキャラクター基軸の「萌え」だけではなく、舞台設定のユニークさや作中世界の豊かさ及び楽しさといった、架空シチュエーションの面白さを個々の作品で展開していくことであるように思われる(――美少女ゲーム分野で近年とみに状況設定が重視されているという診断の妥当性については、傍証として別掲の拙稿「公式サイトの背景紹介について」も参照のこと)。
  いまや美少女ゲームは、「萌え」「性描写」「ゲーム性」「物語」といった既存の個別的価値に加えて――あるいはそれらの個別要素を超えるマルチメディア分野ならではの総合表現として――、「架空世界のシミュレーション的享受」という新たな境地を実現しつつあるのかもしれない。それは歴史的にはAVGよりもむしろSLG系ブランド(典型的にはソフトハウスキャラ、そしてelf、 Leaf、abogado powers、Liar-softといった老舗ブランド)によって継続的に遂行されてきたプロジェクトであったと言うべきだろうが、近年ではPULLTOP、FAVORITE、Lump of Sugar、Innocent Grey、AUGUST、みなとそふとといったAVG系ブランド群によって精力的に取り組まれるようになっている。


『Quartett!』 (c)2004 Littlewitch
多数のカットインの複雑な組み合わせとそれらの運動による視覚的物語構築を基礎とする本作の中に、因習的なAVG画面を模したこのシーン(主人公の妄想)が現れる。味気ない汎用正面立ち絵風のポージング、生真面目な話者表示、台詞であることを律儀に示す括弧書きといった形式的要素群が、主人公の妄想内容の通俗性をくっきりと浮かび上がらせている。
『BUNNYBLACK3』
(c)2013 ソフトハウスキャラ
結婚準備のために巣作りするドラゴンや、中世世界の学園を百年間運営する長寿族といったユニークな状況設定の上に、そこに暮らす登場人物たちを生活感に満ちたかたちで描き出す、個性的なSLGをいくつもリリースしてきたブランドである。