2015/09/29

ピンク系ジャンルについて

  性表現要素が濃いが、蹂躙系(いわゆる「黒箱系」)ではないジャンルのことを、暫定的に「ピンク系」と総称しているが、アダルトPCゲーム全体の中で見るとどのような展望を持つことができるだろうか。ちょっと考えてみよう。また、伝統的な黒箱/白箱の分類のありようについても、簡単に振り返ってみる。


  【 ピンク系についてのおおまかな展望 】

  「純愛」「陵辱」に二分されがちなアダルトゲームにおける第三極として、性表現に大きなウェイトを置いた非蹂躙系のアプローチをはっきり示した早期の実例は、CODEPINKに見出されるのではなかろうか。すなわち『MAID iN HEAVEN』のオリジナル版は1998年発売であり、それ以降も『SEX FRIEND』(2003)や『Sweet Home』(2007)、『皇涼子のBitchな一日』(2008)などの作品を継続的にリリースしてきた。


  ●2002年頃から。
  これに続いて、この方向性での作品作りを広く認知させた作品として、『Floralia』シリーズ(xuse、2002-)は一つのマイルストーンとなっていただろう。いわゆる「萌えエロ」という言葉を普及させたのは、この作品によるところが大きかったようだ。

  また、アトリエかぐやがポップなエロコメ路線を導入したのも、ちょうどこの時期である。すなわち、『妹汁』は2002年発売、『人妻コスプレ喫茶』は2003年の発売であり、その後も主にBirkshire Yorkshireチームがこの路線を主導した。『さくら色カルテット』(2010)までの13タイトルは、すべてこのピンク系であり(※すべてをプレイしたわけではないが、おそらくそうだろう)、そのうち『プリ☆さら』(2009)までの12本を原画担当したchocochipのネームバリューとともに、一時期のピンク系の一般的認知はほとんどこのブランドに独占されていたかのようである。

  さらに、同年に発売されたSLG『超昂天使エスカレイヤー』(alicesoft、2002)も、このブランドらしく純愛(?)/蹂躙/燃えの混在した黒白混淆アプローチであるが、110個にもおよぶアダルトシーンは、おおまかにいえば「変身のためのパワーを貯めるための性行為(純愛寄り/鬼畜寄り)」「敵怪人に敗北した時の被蹂躙シーン」の三種に分かれており、純愛寄りのアダルトシーンも十分な数量が用意されていた。ただし、2002年の作品ゆえ、アダルトシーンのテキストは、現在の目でみればかなり短い。
  これと同様に、『MACHINE MAIDEN』シリーズ(evolution、1999-)や、『ラブリー・ラブドール』(Escu:de、2002)のように、従順なヒロイン――なにしろアンドロイドなのだから――に対する調教SLGタイトル群は、事実上、ピンク系の色彩を帯びることになる。とはいえ、調教SLGの伝統そのものが、00年代前半のうちに退潮していったようであるが。



  ●00年代半ば以降。
  00年代半ばになると、新たな顔触れが現れる。最も際立った存在は、XERO系列TechArts系列であろう。XEROは、『シス×みこ』(XANADU、2005)、『ツイ☆てる』(C:drive.、2007)、『めちゃ婚!』(onomatope*、2011)のように、小水、ショタ、乱婚などのニッチな性嗜好を柱にしたアダルトゲームを多数制作している。
  TechArtsも、00年代半ば頃から、あけすけに性への貪欲さを表明するヒロインたちを好んで取り上げるようになっており、G.J?(『アキバ系彼女』[2003]以降)、May-Be Soft(『へんし~ん!』シリーズ[2004-]など)、SQUEEZ(『炎の孕ませ』シリーズ[2005-]など)、MBS truth(『南国さく乳アイランド』など)、OLE(ほとんどバカゲーである)など、かなり一貫した方針をとっている。

  大手と見做されるブランドの中にも、この方向性は見出されるようになる。ういんどみるは、当初から白箱系としてはアダルト要素にかなり注力してきたブランドであったが、中でもミドルプライスの『魔法とHのカンケイ。』(2004)は、その名のとおり性表現要素に大きなウェイトを与えていた。今秋発売の新作『アンラッキーリバース』も、「ういんどみる史上 “最高にエッチ” な物語 !?」(getchu.comより引用)と謳っている。
  pajamas softも、『プリンセスうぃっちぃず』(2005)では、純愛系寄りのストーリーでありながらアダルトシーンの魅力を公式サイトで大きくアピールし、その後の作品でも同様の姿勢を見せている。Whirlpoolも、『ねこ☆こい!』(2010)以降はヒロイン毎のCG枚数やHシーン数を公式サイトで事前公開するなど、アダルト要素の量的増加とそのアピールに熱心である。ま~まれぇども、『らぶ2Quad』(2011)の頃からこちらの路線を旗幟鮮明にしたし、Peassoft(『つくしてあげるの!』シリーズ)も白桃中間路線に数えてよいだろうか。



  ●00年代末以降。
  その一方で、00年代末から伸張してきた低価格帯ジャンルも、ピンク系路線と親和的である。多数の例に代えて、ここではNornブランドの名を挙げておこう。第一作『使い魔様は魔界プリンセス』(2007)以来、「甘エロ」「イチャエロ」「ラブイチャ」といったフレーズを副題部分で執拗にアピールしつつ、この一貫したコンセプトの下で制作されたタイトルはすでに80本を数える。

  00年代後半以降で目立つのは、サブブランドでの実験的ピンク路線である。noesis(『放課後のセンパイ』[2007])、UNiSONSHIFT Accent.(『Chu×Chuアイドる』[2007]ほか)、littlewitch velvet(『聖剣のフェアリース』[2009])、apricot cherry(『シスタ×シスタ』[2009])、MOONSTONE Cherry(『いちゃぷり!』[2009])、SkyFish poco(『ぽちとご主人様』[2011])、PULLTOP LATTE(『彼女と俺と恋人と。』[2012])と、ensemble sweet(『彼女はエッチで淫らなヘンタイ』[2014])がその典型である。NEXTON系列のluxuryブランド(『魔王のくせに生イキだっ!』)もこれに類するアプローチと言えるだろう。

  なお、事情はよく分からないが、路理系ブランドにピンク系アプローチがしばしば見出されるのも近年の特徴だろうか。たぬきそふと(『姪少女』[2008])とGalette(『サンタフル☆サマー』[2013])が双璧と言っていいだろう。



  ……単なる飛び石のイメージ語りであって、遺漏も多々あると思われるが、主立ったブランドを思いつくかぎり取り上げていくと、だいたいこんな感じだろうか。一昔前は白黒二分法の間であまり注目されなかったがいくつものブランドによって継続的に試みられてきて近年大きく開花しているこのジャンル(またはアプローチ)について、まずは私自身が思考を整理するための習作として、書き留めておこう。



  【 黒箱と白箱のはなし 】

  白箱系と黒箱系の分断は、けっしてメーカー側の恣意的な操作ではなく、またおそらくは社会的規制からの影響でもなく、はたまた白箱系ユーザーの過度な潔癖などが原因でもないだろうと考えている。



  ●白箱系の側から。
  さしあたり、学園恋愛ものを中心とする白箱系の側から私見を述べてみよう。ここでは、作品規模が拡大していくにつれて、昔のような記号的な萌え表現を超えて、作品の内実がどんどん豊かに充実していき、そして作中世界の雰囲気もその都度の作品コンセプトに応じていよいよくっきりとしたものになってきた。それは、テキスト量の増大という定量的な要素にも現れており、またキャラクター造形やシチュエーション設定の緻密化という質的側面においても進行してきた。これを受けて、ユーザーの側でも、個々の作品がもつ特有のムードを尊重し、そしてそれを楽しむようになっている。しかしそれは、融和的なラブストーリーの中に破滅的な被虐/嗜虐表現を持ち込む白黒混淆スタイルとは、相性が良くない。白黒両面を楽しめるというおまけの楽しさは、いまや、統一感のある物語世界を楽しむことのクオリティを、おそらくは致命的に犠牲にすることになる。つまり、白箱系の中に、残虐なバッドエンド展開が差し込まれることが忌避されるようになったのは、ユーザー意識の狭隘な潔癖さなどではなく、むしろ、そのような夾雑物を入れるのが困難になるほど、作品構築のクオリティが高まっているからだ。これが現時点での私の推測だ。

  昔の作品は、そういう体裁ではなかった。当時としては鋭く先鋭的な、そして当時としては十分に新鮮な、大胆な萌え要素を放恣に展開していたが、それは実際には、今よりもはるかに寡黙で言葉少ななテキストの上に、属性ベースの記号的な表現で分かりやすく味付けされたものだった。その短くも趣深い物語は、間隙も多分に含んでおり、そしてそれゆえ想像(萌え妄想)の余地もあるようなものだった。そのような自由さと隙の多さが、一作品内での白黒併存を可能ならしめていた一因だったのだろう。実際、00年代初頭までは、ラブストーリー基軸のAVG作品でも、陰惨なバッドエンドを含んでいいたり、メランコリックな雰囲気の物語であったりするものは珍しくなかった。有名なところでは『とらいあんぐるハート』(JANIS、1998)や『バイナリィ・ポット』(AUGUST、2002)がヒロインの蹂躙シーンを含んでいる(バッドエンドでは、主人公たちが殺害されることすらあった)し、また、UNiSONSHIFT、HOOK、Peassoft、fengなどの白箱系ブランドも、00年代初頭にはセンチメンタルな趣の作品を作っていた。もちろん、F&Cの広汎な作品ラインアップの中にも、そうしたタイトルはある。しかし、そのような感傷的な雰囲気のコンセプトは、昔の規模だったからこそ実行できたのであって、現在のフルプライスの作品規模でそれを押し通してしまったら、ユーザーはただ食傷するばかりだろう。短編向きのシチュエーションもあれば、長編でなければ語りきれない質もあり、連載形式に適した物語もあれば、分岐構成の下で美しく開花するコンセプトもある、ということだ。



  ●黒箱系の側から。
  他方で、黒箱系ではどうか。こちらは、近年めっきり勢いが無くなっているようだが、規模の拡大と性的嗜好表現のバランス良い配置、そして実用面の(つまり、主に男性の一人芝居のための)機能整備が進展しているようである。ただしこちらは、白箱風の純愛表現をごく局所的に持ち込むことに対しては、とりたてて否定的にとらえる風潮はないように見受けられる。陰惨で過激な本編ストーリーの中に、ほんの一つか二つほど、ちょっとした救いのありそうなエンディングや、風変わりなかたちでのラブストーリー的傾斜(「極限状況での奇妙な愛情」のごときもの)が描かれることがあっても、制作リソースの無駄打ちとは捉えられず、対比として良いアクセントになる彩りだとして受け止められることが多いようだ。これは、白箱系が作品世界の雰囲気を重視するのとは異なって、黒箱系では、性表現の過激さや状況設定の面白さ(復讐の物語や、催眠能力を得た話など)を作品の第一義的価値としており、それゆえ雰囲気の攪乱に対しては比較的寛容になりうるからであろうかと推測している。そたすら昂進していく過激さに、わずかに制動をかけてみせることによって、かえってその推進力を強く感じさせるといった演出的効果もあるかもしれないし、あるいはもっと単純に、そうした過激さに対する箸休めになるということもあるかもしれない。



  ●SLG系タイトルについて。
  00年代以降、読み物AVGが黒白分離に向かっていたのに対して、SLG系タイトルでは白黒混合アプローチが維持されてきた。すなわち、一つの作品の中で、一部のヒロインに対してはもっぱら好意的な関係のままでありつつ、他のヒロインに対しては苛烈な身体的蹂躙を加えるという描写が、SLG系分野ではしばしば見出される。これは、現在のアダルトPCゲームシーンにおいては、際立った特徴になっている。
  いくつかの原因を想定することができる。1)一つには、SLG作品はしばしば企業運営や国家運営のような組織的/集団的/社会的活動を描いているという点がある。そこではしばしば味方キャラクターと敵対者キャラクターが登場し、味方キャラに対しては融和的に振舞いつつ敵対者キャラに対しては攻撃的に振舞うという二面性が、主人公キャラクターの中で両立することができる。これを性表現として読み替えるならば、純愛シーンと鬼畜シーンの双方が一作品内に含まれうるということになる。
  2)もう一つ、SLGの特質、あるいは「ゲーム」の特質に関わる要因が考えられる。すなわち、読み物AVGとは異なって、SLG作品やSTG作品では、ある一定の目標を持ってプレイヤーが試行錯誤してその都度のハードルを越えていくという挑戦的要素を持つのが通例であるが、ここでアダルトシーンは、伝統的に、目標達成に対する褒賞として提供されてきた。つまり、そのシーンの内容がストーリー上どのように位置づけられるかという物語内在的な観点とともに、物語外在的な「褒賞」の観点がプレイヤーにおいても意識されており、そしてゲームシステム上、褒賞としての機能が果たされているかぎり、アダルトシーンが融和的な性的関係であるか破壊的なそれであるかは、それほど問題にされない。……このように考えることができるかもしれない。
  3)さらに、SLG作品の傾向として、主人公が非正統的立場にあったり、伝統破壊的な価値観の持ち主として位置づけられていたりするという特徴がある。既存秩序の維持を志向する体制寄りの主人公では、ゲーム状況の変化が目指されなくなってしまうので、SLG作品の主人公はどうしても野心的で攻撃的なキャラクターになりがちであり、そのことは、アダルトシーンの方向性にも影響してくる。事実、この分野のSLG作品には、魔王主人公(例えば『英雄×魔王』[Escu:de、2005])、異種族主人公(例:『姫狩りダンジョンマイスター』[Eushully、2009])、反社会的組織を指揮する主人公(例:Triangleの『魔法戦士』シリーズ[2002-])、復讐心を持つ主人公(『偽骸のアルルーナ』[でぼの巣製作所、2014])、闇社会に属する主人公(例:『天ツ風』[ninetail、2010])、ならず者主人公(例:alicesoftの『Rance』シリーズ[1989-])などが多数存在する。
  最も典型的なのは、ソフトハウスキャラの一連の作品だろう。このブランドの主人公たちは、敵対者を破った時はその相手を性的に蹂躙するのが通例であり、そして服従した相手に対しては十分な配慮をするようになる。また、味方や協力者に対しても、粗暴に振舞うことは無く、お互いの立場や約束の内容をきちんと守っている。これは、初期の『真昼に踊る犯罪者』(2001)や『アルフレッド学園魔物大隊』(2002)から、近年の『BUNNYBLACK』シリーズ(2010-)や『門を守るお仕事』(2012)に至るまで、このブランドの一貫した方針である。



  ●補論:同人との相違について。
  このように考えてみると、同人文化における性表現の特質についても、一定の筋道立った仮説的説明を与えることができるかもしれない。主として男性向けの18禁同人漫画では、アニメや漫画における既成キャラクターたちが、無名無貌(文字通り、顔面のディテールがほとんど描かれない)の男どもにいきなり蹂躙されるという筋書きのものがわりと多い。そのような放恣で破壊的な筋運びが、容認され、好まれて、飽きることなく再生産されているのは何故か。とりわけアダルトゲーム白箱系が、そのような破滅的展開の混入を峻拒して純愛ピュリズムを固守しているのと対蹠的であるが、その相違はいったい何故か。私見では、これは客層の違いによるものではなく、また、一次創作と二次創作の違い(は無関係ではないだろうが)のみによるものでもなく、あるいは、それらの二次創作がイージーな物語展開に逃げているというだけで説明しきれるものでもない。同人二次創作がかくも刹那的な性行為表現をいとも平然とおこなっているのは、ひとつには、その短さがそれを許容しているという側面もあるだろう。LNの10冊分にも及ぶテキスト量で作品世界の雰囲気を丹念に構築する白箱系アダルトゲームが、唐突な蹂躙描写の混入を嫌うのと同様に、そしてそれとは対照的に、わずか十数ページの短さで一息で終わってしまう短編漫画の形式は、丹念なラブストーリーよりも、不意打ちの蹂躙表現に適したメディア形態なのだと想定することは、あながち無理な想像ではないだろう。逆に、想像してみよう。もしも、男性向け18禁同人漫画が、「薄い」物語に断片化にされることなく、連続した長編漫画として執筆され続けていくとしたら、そのようなサプライズリボルビングを描くことに耐えられるだろうか。長編になっていくにつれて、シチュエーションは複雑な絡まり合いを増し、キャラクターたちの心理的な機微は深まっていき、そして、その作品固有の情趣ある手触りが重視されるようになっていくのではなかろうか(――それはまさに、女性向けジャンルの中にしばしば見出されるものだが)。

  メディアのあり方が物語のあり方を規定し、あるいは少なくとも一定程度は方向付けているだろうという想定を、アダルトゲームや同人漫画に振り向けて、理屈に合ったかたちで整理すると、このように考えることができるだろう。実際のところは、もっとしっかりした統計的分析やインタヴューによって裏付けられる必要があるが、さしあたり一つの仮説として私はこのように考えている。