2016/07/07

ゲームの恋愛表現

  アダルトゲームにおいて、恋愛をどのように、どの側面を描くか。


  恋愛ものAVGに「頑張ってヒロインを落としていく描写」は、べつに必須ではないよなあと。『ときメモ』や『セングラ』や『同級生』といった初期の恋愛SLGはまさにそういう努力路線だったけど、それは唯一必然のスタイルというわけではないし、むしろそれは「ゲームらしさ」(達成目標の設定とそのための試行錯誤の面白さ)を持ち込むためにねじ込まれたものだったと言えるかもしれないのだ。「学園のラスボス高嶺の花とうまくいく(告白成功)ために、頑張って学力運動容姿等々のパラメータを上げていく」なんていうのは、はなからあからさまなギャグ展開であって、けっしてリアルな恋愛などではなかった。

  もちろん現実の「恋愛」だって、大切なのはガールハント(ボーイハント)する努力のフェイズではなくて、付き合っている最中に心理的な幸福感をどのくらい持てるかが大事なのだ。フィクションにおけるラブストーリーだって、結ばれるまでの右往左往のしっちゃかめっちゃかとかはTVドラマとして第三者的に鑑賞するぶんには面白いかもしれないが、プレイヤーの主体性(あるいは主人公への感情移入)の強いAVGでそれをやられるとストレスが溜まるばかりだろうし、手練手管の恋愛なんてというのも(私はそれはそれで好きだが)実際にやったらモノローグが相当鬱陶しくなるにちがいない。

  だから、序盤では出会いの場面から継続的に関わりを深めていって、その過程でヒロインの魅力が感得されたり相互の信頼感が醸成されたりして、それなりの機縁でプレイヤー(主人公)が認識できる程度の選択行為があり、そしてせいぜい告白シーンで気の利いた盛り上がりがあって(その描写の雰囲気に説得力があって)、あとはヒロインと楽しく幸せにひたすらイチャイチャする描写があれば、もうそれは何の文句もつけようが無いほど十分、十二分なのではないか? 何が不満だというのか。

  こういう見方に立つとき、現在の白箱系の恋愛描写に対して不満を投げかけるとすれば、それはむしろ、「デートシーンが薄っぺらい」という点になる。つまり、ヒロインと(性的な側面以外で)イチャイチャする場面が決定的に足りないのだ。

  もちろん、そのようなデートシーンを描くのはおそらく非常に難しい。(バ)カップルの甘ったるくもバカバカしくて中味の無いイチャイチャトークを、飽きさせずに読ませるなどというのは相当難しい。カップルのおしゃべりなんていうのは、他人にとってはたいてい退屈なものだろう。だから、恋愛系AVGのデートシーンが、ほとんどの場合、その最中の描写をきれいに省略してデート終わりの場面までスキップしてしまうのは、やむを得ないことではある。それはけっしてコスト面の問題(まともにデートシーンを描こうとすると、背景や一枚絵を大量に消費してしまう)だけではないだろう。



  そして、あらためてこの視点を現代のアダルトゲームシーンに振り向けると、ソフトハウスキャラの独自性が浮かび上がってくる。そのことを説明してみよう。

  ソフトハウスキャラの自由なSLGの中では、アダルトシーンは、通常のAVGのように「頑張って10分も20分もかかる濃密かつ直接的なベッドシーンを――性行為のいわゆる本番部分だけをひたすら――描く」というようなものではない。ターン制SLGの合間に、幕間イベントのワンオブゼムとして滑り込んでくるアダルトシーン群は、総数としては大量だが、一つ一つのシーンはごく軽く、そして性行為を直接には扱わないものも多い。

  例えば、一つのシーンが、情事を終えた直後の瞬間から始まって、そのままピロートークだけで締め括られるということも珍しくない。最新作『プラネットドラゴン』(2016)でも、例えば、「俺は行為に果て、眠ったルウを抱きしめた。」という一文から始まって、ヒロインの身体を撫でさすりながら、起きた後で一緒に風呂に行くことを考えるだけで終わるシーンがある。

  あるいは、明日はベッドでどんなプレイをしようかといった色事話だけで一つのシーンが作られているものもある。

  あるいは、小柄なヒロインに対する抱っこの仕方をいろいろ試してみる場面から「そのままベッドに雪崩れ込んだ。」で締め括られるシーンもある。

  あるいは、一つのシーンの全文が「何度も行為を重ねた後、風呂場でも襲ってしまい、呆れた顔をされてしまった。/まあ、それがポーズで、実は喜んでいるのは知っている。/……/もう一回。/俺は黒とイチャイチャした。」というものもある(画像は、ヒロイン「黒」が風呂場で立っている一枚絵。イベント名は「黒H10」)。本当にこれだけだ。

  あるいは、ヒロインがベッドに寝そべっている状態(シーツにくるまっている一枚絵)で、寝物語に食事の話や親族の話をしているだけのシーンもある。これも回想シーンでは「シャーリーH06」や「シャーリーH09」と名付けられているから、おそらくHシーンのカテゴリーなのだろう。

  しかもこれらは、けっして単なる下ネタトークではなく、曲がりなりにもコメディとしての味付けがなされている。つまり、肌を重ね合った関係ならではの会話という意味で、先に述べたようなイチャイチャ要求を十分に満たしてくれるのだ。なまじの恋愛系AVGよりも大量に、しかも脚本家内藤氏らしい慎みのあるコメディの雰囲気の中で、ヒロインとの性的関係を前提にした(ただし性的関係のみではない)関係の広がりが描かれていく。それは非常にアダルトゲームらしいものであり、そして恋愛を扱ったゲームに相応しい描写ではなかろうか。



  まあ、いきなり脇目もふらずに紐緒さんに食いついていった私に、ゲームにおける恋愛のなんたるかを語る資格があるのかどうかはともかくとして。