2019/04/30

2019年4月の雑記

  2019年4月の雑記。(→5月3月

今月はKOTOBUKIYAの「赤ずきん」をば。昨年6月に購入してからずっと自宅の机の目立つところに置いているが、毎日眺めて見飽きることが無い。ケモ耳に干渉するので、頭巾は外している。


  04/29(Mon)

  得点の総計が33対4でも、4点の側が勝ち越すことはあり得る。試合結果がそれぞれ、
  ×0-1○
  ×0-1○
  ×0-1○
  ○33-0×
  ×0-1○
という得点であれば、右側のプレイヤーの方が4勝1敗になる。

  さらに、サッカーのPK戦のように、「得点が引き分けであった場合に、正規の得点以外の条件で勝敗を決する手段がある」という場合には、総得点が0点でも勝ち越せる余地がある(※要するに、0対0でのPK勝利ということ。ただし、競技のルールによっては、「記録上では、勝利した側に1点を加えておく」といったような規則を設けることもあり得る)。


  模型制作をほんのちょっと再開しつつwebラジオを流していたら、「胃~之煮」の概要記事が第12シーズンの終わりまで来てしまった。せっかくだから、最初の第1~3シーズンもこちらのブログに移設して加筆していこうかな。

  ちょっと加筆しすぎたかも。あまりクドクドと書くとテキスト量に嫌気を起こさせてしまいかねないので、程々にとどめておきたい。目安としては、一回あたり300文字以内にしたいところだが、現状では450文字前後まで行ってしまっている。後でさっと読み返して切り詰めるつもり。

  概要記事がひととおり完成したあたりで、メール等で中國氏(STP)に一度連絡を差し上げておこうかと考えている。
  1) ご挨拶をするきっかけ、というシンプルな理由もあるが、それだけではない。
  2) 記載に関して何かあった時のための連絡先を提供するという目的もある。差し障りのある内容は書いていないつもりだが、万一の時に(個人的な)連絡を取れないのはリスキーだから。
  3) ひとまず安心してもらうというもある。マエストロたちにしてみればこのブログは、メール投稿してきたことも無くて何者なのかまったく分からないが、自分たちのラジオについてたくさん書いている存在なわけで、非常に不気味に見える可能性がある(※しかも、ファンらしいフレンドリーな感想ではなく、距離をとった冷静な文章だし)。実際、以前に笹島氏たちがラジオ内で言及された時はちょっと不審げな様子で、いろいろ書いてあるけれど真に受けていいのだろうかという口ぶりだった。そういう意味でも、一度はきちんとした挨拶をしておくべきだと考えている。


  「肉薄(にくはく)」。ぎりぎりまで迫ること。
  「肉薄(にくうす)」。厚みが少ないこと。


  先日の記事の件。新様式の鬼デザインが、どうして普及したのだろうかと考えている。
  たまたまいくつかの作品が大胆な角デザインを試みて、その新機軸を見た多くの人々が「ああ、こういうのを描いてもいいんだ」と思ったのだろうか。それとも、異種族キャラがブームになった中で、「鬼」モティーフに関しても、昔ながらの童話風のデザインを克服して現代化する新たな試みは、遅かれ早かれ訪れる筈のものだったのだろうか。あるいは、生々しくも不気味な角デザインを受け入れられるくらいに、現代のオタクたちのキャパシティが広がっているのだと考えればいいのだろうか。記事の中でも概観したように、アダルトゲーム分野においても最新様式の角デザインは、00年代末頃から10年代初頭にかけて、すでに萌芽的に現れていた。ということは、さまざまな分野の中での同時多発的な変化だと言えそうだが、だとすると、そのような大規模な潮目の変化をもたらした要因は何なのだろうか。



  04/24(Wed)

  しまったあああ! このblggr(=gglアカウント)に使っているgmailで某所サポートにメールを送ったら、ユーザーネームが入ったままになっていた。いやまあ、実名などではなくて、以前のスクリーンネーム(つまり「cactus」)だから実害は無いし、送った相手もオタク系メーカーのサポート窓口なので、何も問題は無いのだけど。ちょっとびっくりした。危ない危ない。
  ちなみに、このblggrでも、自動的にその文字列がユーザーネームとして使われている(※旧ブログの時に、その名前で登録した)。だから、他のblggr系ブログにコメント投稿すると、デフォルトではその名前が露出してしまう。

  名前変更可能なゲームで独自のネーミングをしてしまっていると、名前が写ったスクリーンショットを使うのが躊躇われるという、おバカな事態になる場合も。さすがに自分自身の実名を使うことは無いが、キャラのネーミングによって私の趣味がばれるとか、趣味の悪さがばれるとか、あるいは既存作品の名前を流用していて体裁が悪いとか、いろいろな問題が生じることがある。


  『エメロードナイツ』のローズが、羽高氏から渋谷氏になってる……。羽高氏はまた、謎のおやすみ期間に入ってしまわれたようだ。出演歴が数ヶ月間ごっそり空くことがたまにあり、今回も昨年12月から新作出演が途切れているのだが、たとえば「半年間海外生活に出るので、その間は完全にオフ」とか「育児休暇のつもりで半年間休みます」とかだったりするのだろうか。「聴くに堪える数少ない桃組声優」として貴重なので、次のSHC新作までには戻ってきていただきたい。


  『メイドインアビス』の異形化は、どことなく七英雄を連想する。そんなに似ているわけでもないのだが、なんだろうか、この感覚は。元々のありようとはまったく異質の存在になって、おそらくは意識もぎりぎりまで別物になりかけているのに、怪物化した姿のまま、その世界の中で生き続け、さまざまな活動をしているという、そういう生活感の面白さが連想を誘うのかもしれない。
  「ワグナス」と「ワズキャン」を微妙に混同しているような気も……駄洒落じゃあるまいに。


  オタクたるもの、「どの松がお好きですか」という話題に巧みに返答できるようでなければ恥をかくのだった。苦い経験が……。「神谷松ですかねー」と答えて、声優オタクをちらりと覗かせるくらいしなければいけなかったのだったのだのだ。


  [ www.azone-int.co.jp/?sid=cct203&jcd=4573199832845 ]
  「川村楪」さんは発売延期か……。コートにヘッドフォン、そして躍動感のあるボブカットと、たいへん魅力的なデザインなので、品質向上のための延期ならば我慢して待ちたい。
  [ www.azone-int.co.jp/?sid=cct203&jcd=4573199832821 ]
  TYPE-B(ホワイト)さんを先に買って、心を慰めておこうかな……。


  放送部ものは少ないかも。『ねがぽじ』と、『CROSS†CHANNEL』、『ド田舎ちゃんねる5』、『あえて無視するキミとの未来』、それから、えーと。そのほか、『Strawberry Nauts』『水平線まで』『人気声優』などで個別に放送部員が登場することはある。ジャーナリストキャラの一種として位置づけられやすいのかも。声優キャラクターやDJキャラクターがラジオコーナーを持っている場合もある(『こみっくパーティー』『あるぺじお』など)。『終末の過ごし方』にも、世界の終わりを間近に迎えた中で、何者とも知れぬ声による非正規ラジオ放送シーンが何度か挿入される。

  ということで、懐かしの『終末』の音楽を聴く。ゲームディスクは段ボール箱の奥の方に沈んでいるのだが、CD-DAのBGMだけを取り出して音楽用CD-ROMにしてあったので。


  コンビニ店員制服コスはなんにも面白くないと思っていたけど、そうか、Lwsnだと前面のきれいなまったいらが際立つというのは、美点と言ってよいかもしれない。



  04/23(Tue)

  『神のラプソディ』のパッケージを発掘できた。
  昨日の「鬼」記事に加筆するためにSSを撮りたいのでインストール。

  Eushullyは、「原画の魅力は業界内でもトップクラス」、「塗りもディテール表現が緻密で、質感表現も良い」、「キャスティングも、10年代に入ると非常に良くなった(※要は桃組キャストを止めた)」、「AVG演出もなかなか野心的で注目に値する」、「キャラクター造形も挑戦的な個性がある」、「テキストもひとまず水準に達している」のだが、「UIデザインが滅茶苦茶」、「SLGパートのバランス設計がハイカロリーな長時間プレイ強制の一本槍」の二点が致命的なので、あまりプレイしたくない。その二点がもうちょっとましになってくれたらと思うのだが、00年代前半から全然進歩していないのよな……。おそろしく鈍臭い旧弊的システムの中で、最先端のオタクセンスで洗練されたキャラたちが明るく飛び回っている有様は、眩暈のするような奇観だ。
  特に「やくり」氏の絵は、アダルトゲーム原画家の中でもたぶん五指に入るくらい好きなのだけど、それだけに肝心のゲームパートの鈍重さとUIの駄目っぷりが……悔しい。『ラプソディ』も、操作性の劣悪さとゲーム進行の過度な作業性がEGScapeでもくりかえし指摘されている。


  「鬼キャラ」記事にいろいろと加筆修正し、全体を整理した。思いつきから数時間で書き殴ったままではさすがにひどすぎたが、これで多少はましになったかと思う。


  昔の私は、「『ミスキャスト』などあり得ない。プロの声優がしっかり芝居をして、音響監督がOKを出しているのだから、なにかしら聴くべき価値はある筈だ」というゴリゴリの声優信奉者だったけれど、今では「声優がどう頑張っても上手くいかなかったミスマッチな配役ってあるよね。それに、明らかに浅薄な大根芝居をしていても役を取っちゃう人っているよね」という見方になっている。おとなになるってかなしいことなの。


  テレカや店舗別特典ディスクのようなせせこましい手段で、同一タイトル複数買いに依存していたような時代――そのせいで新作中古が溢れていた――と比べると、現在の新作タイトルが抱き枕カバーをつけて堂々と高額の価格設定で販売するのは、むしろ健全になったと言うべきかもしれない。販売店とのパワーゲームで専用特典コンテンツをいくつも制作するのは、メーカーとしても労力を割かれて大変だったろうし、ユーザー側としてもその作品に関わるコンテンツをフルに楽しめないというデメリットがあった。


  Ci-enが18禁コンテンツの警告を出せるようになった(or出すようになった)ようだ。
  まあ、やむを得ない仕様だろう。


  [ www.youtube.com/watch?v=VJPT8KXueAQ ]
  「戦車に乗ったことのある声優」が、また一人増えるのか……。

  [ pixel-maritan.net/maritan_diary/?m=20080210 ]
  ちなみに門脇氏は2008年だったから、かなり早い時期と思われる。

  [ store.modelkasten.com/shopdetail/000000002967/ ]
  中村氏に至っては、ご本人をモデルにした1/35レジンキットが発売されて、同スケールの戦車プラモに乗せることができるという。

  しかし、女性声優さんばかりなのがモヤモヤする。
  男性声優にも、戦車に乗りたい方はいらっしゃるであろうに。



  04/21(Sun)

  [tw: highmafuyuno/status/1119554557644685312 ]
  あっ、そうか、『とびでばいん』の2面ボスは、『FANTASY ZONE』のパロディだったのか。
  ちなみに、他のステージには「ガンダム」のロボットを模したボスや『R-TYPE』の巨大戦艦風の敵が出てくるので、上記の見立てもけっして偶然の一致や牽強付会な裏読みではない。


  [ ci-en.jp/creator/2267 ]
  Laplacianがまたへんなことしてる……。


  最近はSLGばかりプレイしている。AVGタイトルも溜まっているので、なんとかしたい。

  模型熱は収まりつつある。月1~2個ペースくらいで程々にしていければと思う。もっとも、本格的なキットだと、1個完成させるのに50時間かそこらは掛かるのだが。例えば休日に5時間ずつ割くとしたら、それだけで一ヶ月分の余暇を使い尽くしてしまう。


  「Märchen Mädchen」(童話・少女)というアニメ作品のタイトルがたまに目に入るけれど、ドイツ語の中でもわりとしよーもない、子供じみた駄洒落じゃないかなあ、とモヤモヤする(というか、似たような綴りの名詞を二つ並べているだけなので、駄洒落としてすら成立していない)。日本語で言えば、「布団が~」や「私、タワシ」並にチープなものではなかろうか。とはいえ、これはドイツ語ネイティヴではない層に向けた商品ではないのだし、当の視聴者層にとって受け入れやすいものであるならば、それはそれで悪くもないのかもしれない。
  例えば、今しがた例に挙げた「布団が~」だって、現代日本人にとってはただのしよーもない駄洒落だが、もしも仮に『Futon ga Futtonda!』というタイトルの英米向け作品が現れたとして、それを英語話者の大多数が「これは日本語で『Flying Blanket』に相当する意味なのだなあ、幻想的で面白そうなニュアンスだし、言葉としてもうまく韻を踏んでいるし、『flying carpet(空飛ぶ絨毯)』にも似ているし、なかなか趣深いなあ」と感じたならば、それはもはや駄洒落ではなくなる…のかもしれない。そして同様の理屈で、上記のタイトルも、主要な視聴者層に対してなんとなく可愛らしいイメージを訴えることができたならば、成功したと言うべきなのだろう。


  ここで思い出されるのは「天使のいない12月(December when there is no angel)」で、もうちょっときれいな英語にならないかと思ったのだが、副題としてそれっぽいアルファベットがレタリングされていればいいのだから、あまりうるさく言うものではないのかもしれない。シンプルに英訳するならば「December without Angel(s?)」が一番収まりがよいと思うが、これだと短すぎて扱いづらいという側面もある。「Angel's Absence in (this) December」とか「Angels are away this December」だと、やや堅めの表現になるか。直訳を離れて、とにかく言葉の意味を通じさせようとするならば、いっそ「Unblessed this December」(祝福されざる今年の12月)くらいに訳してもよいと思う。


  久しぶりの新記事:「鬼キャラ今昔」。
  ほんの2500字程度の小文だし、まとまりも無いが、わりと良いオチがついたので。

  そういえば、『紅神楽』の汎用の鬼ユニットに「きじま」と名付けたこともあったなあ。
  (シリーズの『鬼神楽』ネタ。)

  次でちょうどブログ投稿400個目になるようだ。節目だからといって何かがあるわけでもないけど。2013年6月に開始したから、もうすぐ6年になる(うわあ……)。一年あたり66本、一ヶ月平均で5本のペースになる。


  ytにリンクなんかしたくないというのが本音だが、1)他にないコンテンツである場合や、2)アーカイヴとして長期保存される見込みが高いという理由から、やむなくそこのURLを記載することはある。ゲームやアニメの公式サイトも、ほんの数年も経てばどんどん消えていく(さらには、消えたドメインを乗っ取られている)ものばかりだからね……。


  「詐欺師はこう言って撃退すればいい」などというアドバイスは、やめた方がいい。撃退や論破など考えず、少しでも怪しいと思ったら即座に席を立って逃げるのが一番だと思う。
  1) 「詐欺師の勧誘文句に対する上手い言い返しの言葉」などというものは、どんどん古びていく。詐欺師もそれに対するさらなる対応を考えてアップデートするだろう。だから、「こう言い返せば大丈夫だ」という考えに固執していると、まさにその点がかえってつけ込まれる隙になる。
  2) 我々一般人にとっては、勝利条件は「詐欺の被害に遭わないこと」だ。それを「詐欺師をやり込めれば勝ち」という姿勢でいたら、そこで上手い再反論をされてしまった時に、引っ込みがつかなくなり、相手の言うことにうなずくしかなくなる。きわめてリスキーな姿勢だ。そもそも詐欺師は、何百人、何千人を相手にしてきた経験者であり、上で述べたように再反論の手口もどんどん巧妙になっている。
  3) さらに言えば、わざわざ反駁して相手の発言の難を突いてやる必要は無い。詐欺師に良い経験を積ませてはいけない。詐欺のノウハウを成長させてはいけない。その場で確実に掴まえて警察に連れて行ける場合ならともかく、ただ反論して追い返すだけなら、むしろコミュニケーションを断って相手に一切情報を与えない方が大事だろう。
  4) そもそも人間の心理は、本当に騙されやすいものだ。詐欺師は、そもそも詐欺と疑わせないようにアプローチしてくる。だから、「詐欺師だと判明している相手」に対する上手い対処ばかりを考えている一般人は、むしろカモになるのではないか(※もちろん、「俺俺」のように数打てば式に単純なネタで来る場合もあるかもしれないが)。
  5) 詐欺師をやり込めて勝っても、我々一般人には何の利益も無い。我々が一度や二度撃退しても、詐欺師の側は「どれか一つでも当たれば勝ち」なのだから。
  6) 面談するような場にまで連れ出され(釣り込まれ)てしまった状況は、いくらかの個人情報も渡してしまっている可能性がある。そして、詐欺を行うような人物は、邪悪なことを平気で実行する輩だ。要するにヤクザのようなものだ。そんな状況で詐欺師をやり込めてみたところで、悪人からさらに恨みを買うだけだ。そんなリスクを冒す必要などない。

  要するに、詐欺だと判るならば最初から相手にしなければいいのであって、反論の仕方を考える必要は無い。そして、一般人には詐欺だとは分からない場合や、詐欺を疑わせないような状況設定をしてくるのが怖いのだ(※例えば、短期間の期日を指定して、焦らせて冷静な判断力を奪うなど。単純だが、本当に人間の心理は弱いのだ)。
  そういう意味で、「詐欺に対してはこう言い返せば上手くいく」といった話をするのは、非常に危ないので、やめた方がよいと思う。そういう話をすることは、むしろ詐欺師の仕事を手助けしてしまいかねない。
  だから、「怪しいと気づけたら躊躇なく逃げろ」、「警察を使え」、「(民事であれば場合によっては)弁護士に相談しろ」あたりではないかなあ。少なくとも、正面から言い負かしてどうこうなる相手ではないだろうし、そう簡単に言い負かせるとも思えない。


  「銀髪」属性は、それ自体としては特に好きというわけではない。しかし、私の中で特別なところにいるキャラの何人かが銀髪(あるいは薄青)なので、けっして疎かにはできない。
  (でんぱ、とどいた?)


  ひとまず、連休中ずっと引きこもっていられるくらいの現金は下ろしておいた。しかし残念ながら、連休中もあれやこれやで行かねばならない用事はあるのだった。


  『鬼うた。』のCGも追加引用。
  この作品では、主演の理多氏も素晴らしいが、手塚りょうこ氏の芝居が凄まじかった。一色氏にも比肩するほどの、濃密にして絶妙のコントロールの利いた芝居。

  うーむ、腕が鈍ったか、勘が鈍ったか……。「鬼キャラのデザイン変化」などというものは、本来ならばもっと厳密に扱って大量に調べなければいけない大変なテーマなのに、迂闊に書いてしまった。読み返せば、穴だらけなのが見て取れるだろう。この迂闊さ、筆の滑り具合、自制の効かなさが、まさに「勘が鈍った」ということだ。テキストはこのまま公開しておくが、反省しよう。


  フィギュア趣味者は、魅力のあるフィギュアであれば、原作を知らなくても買うことがある。もちろん、元作品をプレイしていたり視聴していたりすれば、それだけ愛着が増す可能性があるが、そういう要素が無くても、フィギュアはフィギュアそれ自体として、その出来具合を判断する。ちょっと面白い文化だと思う。
  それと関連してか、プラモデルやフィギュアの分野には、幸いなことに、「ネタバレタブー」の意識はかなり薄い。劇場版アニメでの劇的なメタモルフォーゼもすぐにフィギュア化されるし(例:『マギカ』)、映画版の名場面もどんどんジオラマを作って模型誌に掲載される(例:『アルペジオ』)。もちろん、TVアニメの終盤に登場するロボットがプラモになったり、ゲームの名場面のポーズを取ったフィギュアが市販されたり、実写(特撮)キャラのソフビなどもどんどん出てきたりする。場合によってはラスボスや裏ボスが立体化されることもある。「ネタバレ配慮」などというしよーもない足の引っ張り合いを、立体物の魅力とその市場的需要によって堂々と踏み越えていく、その風通しの良さが心地よい。いや、実際には、版権元が承認したからこそ成立しているのではあるが、それでも普通のオタクたちの自警団的ネタバレ禁止マナーごっこに比べればはるかに規制の程度は緩い。

  ネタバレが駄目だという人たちは、いったいどの範囲について、いつまで黙っていれば満足するのだろう。「俺が大丈夫そうだと思うまで」という恣意的な基準? それとも、「今後その作品に触れる可能性のある人類が一人もいなくなるまで」という非現実的な要求? 結局のところ、作品の内容について語り合って作品解釈を豊かにしていくという営みを放棄し、視聴直後の最もホットな瞬間に感想の言葉を発することを抑圧し、ただ表面上お上品なマナーぶりによって作品の生命を奪おうとしているようなものだ。
  ミステリを読んでいる最中の友人に「その犯人は○○だよ」と教えてしまう行為は、もちろん私も良いとは言わない。しかし、そうした特殊な状況下の行為と、公開言論空間において作品内容をいつでも自由に語れるようにするかどうかという問題は、大きく異なる。それが区別できないような大人ではないだろう。

  しかし、フィギュアも高くなっているからね……。フィギュア一体で、フルプライスゲーム2本分、あるいは3本分にまで価格高騰していると、さすがに手を出しにくい。「アニメ1クール分のディスクに比べれば、まだ半分程度」という見方もできるが、アニメはアニメで高すぎる。
  フィギュアの価格が上がっているということは、言い換えれば、価格に対するクオリティが落ちているということでもある。最近は、「あれ? 1万円超のフィギュアなのに、ディテールもあっさりしているし、塗りもそんなに緻密じゃない。この程度の出来なのか……」という気分になることがある。けっして、目が肥えたばかりではない筈だ。



  04/17(Wed)

  ソフトハウスキャラもそろそろアイドルものに手を出したりするのだろうかと想像してみたが、ストレートなステージものではなくて、例えば人材を集めて売り出す経営SLG(要するに現代版の『忍流』)とかになりそうだ。あるいは、アイドルではなくクリエイターを集めて育てるゲーム会社経営SLGとか。私自身は、現実のアイドルイベントにも籤引きアプリゲームにもおそらく手を出さないと思うが、そういう架空のゲーム内ゲームとしてならば楽しめるかもしれない。


  [tw: 1118355276443398148 ]
  ずいぶん雑なことをしている教員だなあ。
  1) そもそも出席点はNGなのでは(※それが良いかどうかはともかく)。
  2) アンケートの文言も杜撰すぎる(※まさにこの学生に突かれたとおり)。
  3) 単位認定の基準を受講者側に委ねるのは正しいだろうか?
  4) 多様な意見を単純に均して平均値を採用するのは妥当だろうか(例えば最頻値は?)
  5) それを「民主的」と言うのだろうか?
全体として、「学生を(そして教育を)なめているのか?」という印象すら抱いてしまう。


  HDDにディスクチェックを走らせたが、問題は見つからず。
  ということは、消去法で考えてマザーボードに不具合が生じつつあるという可能性がある。あまり考えたくない可能性、あるいは、最も嫌な可能性なのだが。パーツの交換が比較的難しいし(規格によっては交換困難になる)、他のパーツと規格を合わせる必要があるし(費用が嵩む可能性が高い)、かといって、そこが壊れるときはHDDとかも巻き込んでしまうので放置もできない。

  そう、ワシがWin98SEデスクトップ機を捨てざるを得なくなった時も、マザーボードの不調が原因じゃったわい……。(古老トーク) えーと、私がxxxxの頃だったから、2003年の夏くらいかな。

  Win98SE(ノート/デスクトップ)→XP(ノート)→7(DT)→10(DT)と、わりと無難な乗り継ぎをしてきた。ありがちなチョイスだが、OS選択に関してはそこそこラッキーだったと思う。

  数日来の重さがまるで嘘のように、今日は非常にスムーズに動作している。ひとまずはこのままのシステムで行くとして、せめて長時間起動を控えるくらいはしていこう。あと、こまめなバックアップも忘れずに。


  『シムーン』は、他に代えがたい個性と魅力を備えたアニメ作品なのだが、いろいろとつらくていまだに再視聴できずにいる。いや、それどころか最初の視聴時も、映像と言葉と音響のつらさに私の心が耐えきれなくて、あまり集中しきらずに見終えてしまっていた。
  補足しておくと、ここでいう「つらさ」とは、単なる心理的なものではなくて、芸術的な意味での、悲劇の鋭さと重さのことだ。
  これが『ウテナ』であれば、――作品それ自体が反復と蓄積によって成り立っていることもあって――作品をくりかえし視聴することから立ち上ってくるリズミックな構造と香しい雰囲気もあるのだが、『シムーン』の場合は、「軽々しく反復されてよいものではない」と感じてしまう。
  それでも、あの作品を視聴したおかげで私の中には新たな感性が形作られたし、個々のシーンについても(具体的な細部の記憶は朧気ながらも)感性的情緒的芸術的物語的な感触の手応えは確かに残っているし、それを大事にしていきたい。


  「特許ちょうちょう官」とは……。「本営直通(中略)確にんにん務」を思い出した。



  04/15(Mon)

  【 即売会とおつり雑感 】
  タクシーのチップのような感覚で、即売会やフリーマーケットで「おつりは結構です」と言う人はいるのだろうか(そういう行動は実際に行われているだろうか、また、失礼に当たりはしないだろうか)と、ふと思った。私自身、実際にそういう行動をとったことは無いし、「おつりは取っといて」と言ったor言われたという話も聞いたことが無い。
  考えられる積極的意義は……。1)おつりの計算や小銭確保の問題を解消する。2)経済的に苦しいクリエイターにとっては、いくらかは足しになる。そのくらいだろうか。3)お気に入りのクリエイターに対する追加的な応援手段になるというのは、ファンの自己満足にすぎない。万札を出して「おつりは結構です」と言うならまだしも、ほんの数百円では高が知れている。
  否定的な側面もあり得る。1)ほんの数百円のことで、売り手側を過度に警戒させたり恐縮させてしまう可能性。2)「おつりは要らないよ」「えっ、いいんですか」「いや、いいですよ」と繰り返すコミュニケーションコストが煩わしい。3)ヒートアップした鉄火場の即売会で、イレギュラーな金銭的考慮をさせるのは負担になる。4)後から何か言われるかもしれないという潜在的なリスクを感じさせるかもしれない。5)販売価格の流動性を認める慣行が成立すると、値切りの可能性(懸念)も生まれてしまう。

  いろいろ考えてみて、買い手としては「おつり不要」のアクションはしない方がよいと思うし、そのような行動が広まるのも、好ましくない副次効果を生んでしまいそうだ。表示されたとおりの金額を、それだけをきちんとスッと手渡すのが一番スマートだろう。即売会は、しかるべき額で本を売買する場なのであって、ストリートミュージシャンへの投げ銭やタクシー運転手へのチップや募金(寄付)活動のような行為とは意味が違うのだ。
  お気に入りのクリエイターさんに、本を一冊買う以上の応援(とりわけ金銭的支援)が何か出来ないものだろうかと考えていて、上記のような思考に至ったのだが、あまり良い手段ではなさそうだ。とはいえ、同じ本を複数買いするのも気が引ける(※自宅に二冊置いておいても無意味だし、捨ててしまうのも申し訳ないし、中古市場に出すのもよろしくないし、あげられる友人もいない)。やはり無難なのは差し入れだろう。万札を出して「いつも素晴らしい作品をありがとうございます、おつりは結構です」と言ってみたくはあるが、けっして格好良くはないし、相手を警戒させる奇行パフォーマンスになるのが関の山だろう。

  投げ銭のようなシステムで価格を提示している即売会サークルはあるのだろうか。「お好きな額を払って下さい」とか、「価格:300円~」といったような感じで。そのような値付けは買い手を戸惑わせ敬遠させてしまうだろうから、固定価格を明示する場合よりも売上はかなり下がると思われる。洒落のつもりでもないかぎり、そんなことにチャレンジしても何の得にもならないだろう。


  【 日本の漫画文化の盛衰 】
  有名コミック店の閉店も相次いでいるし、単行本の価格もずいぶん上がってきているし、それでいて漫画出版界隈では景気の悪い噂ばかりが目に入ってくる。2019年現在、日本の漫画文化は、けっして豊かとは言えない。それは否定できない事実だろう。それを、「縮小衰退過程にある」と言うか、「貧しい」と端的に述べてしまうか、「危機的状況にある」という表現をとるか、「日本経済の不況の余波である」「紙媒体出版の限界である」「出版業界の旧弊的体制が問題である」といったような文脈に位置づけるか、さまざまな捉え方が出来るだろうが、いずれにしても、才能あるクリエイターたちを今なお多数輩出しつつあるにもかかわらず、商業単行本の刊行点数は膨大であるにもかかわらず、青年漫画や同人作品も含めた裾野は大きく広がっている(ように見える)にもかかわらず、現代日本の漫画文化は明らかに力を失いつつある――とりわけ、経済的な活力を。
  もちろん、昔だって、連載打ち切りは頻繁に生じていた。また、昔だったら、そもそもこんなに多様な漫画雑誌が存在していなかったかもしれない。昔であればとても商業レベルで出なかったようなマニアックで野心的な作品が、現在は曲がりなりにも商業単行本で出ている。昔と比べれば、例えば作画水準ひとつ取っても、平均的なクオリティははるかに上がっているだろう。しかし……。それなのに……。私自身も、――漫画はメイン趣味ではないけれど――良いと思った作品や良さそうな単行本は、できるだけ買っている。もちろん、単なるお義理ではなく、実際にどれも面白くて、対価を支払うことに何の不満も無い。しかし……。

  昔からアニメ制作の現場が苦しんでいるのと似たような不幸な状況に、(商業)漫画と漫画家たちも陥っていくのではないかという懸念がある。どれだけ優れた作品が、どれだけたくさん公表されていても、それを支える経済構造がいびつな搾取や過度の貧困や境遇の不安定さに依存してしまうとしたら、やはりそれはけっして良い状況ではない。そうした暗部から目を背けて、アウトプットの素晴らしさだけを讃えるというのは、欺瞞ではないか。
  一消費者としては、お金を出すこと(ちゃんと買うこと)と、あるいはせいぜい不買をすること、そしてもしも機会があれば声を上げることくらいしか出来ないのだが。


  【 使いたくない言葉 】
  近年の「推す」「推し」という表現は好きではない。今後も使わないだろう。「○○を応援する」とか「○○のファンである」といった表現と比べて、即物的な力学的イメージが強く、文化的な行為としては味気なく感じるというのが主な理由だ。「推す(押す)」という語感の、我の強い一方的な雰囲気も、好きではない。また、「推す」という言葉は、他のユーザーに対して薦める(プッシュする)とか、選挙などのイベントの中で支援するというイメージと結びつく……つまり、シンプルに応援相手に向けた言葉ではなくなっている。そういう社会関係やイベント挙行の文脈に絡め取られているのが、個人的には、本当に煩わしい。価値判断や心情の要素、あるいは文化的な雅さが抜け落ちて、パワーゲーム的な側面が強くなりすぎるのも、居心地が悪い(※近年の使用は、まさにアイドル界隈の競争的空間に発したものではなかろうか?)。押しつけがましい振舞いは嫌いなのだ。私の言語感覚と、それに基づくスタンスを言葉にすると、以上のような説明になるだろう。
  「推」の字義からして、「上にいただく」という、相手に対する敬意を含んだ意味が無いわけではない(「推戴」「推服」)。しかし辞書的には、第一にはやはり「押す、押しのける」(推進)であり、そして「譲る」(推譲)、「移り変わる」(推移)、「奨める」(推薦)、「選ぶ、引き立てる」(推挙)が先に来る。「推しはかる」(推測、推理)という意味もある。


  【 擬人化のキャラデザ雑感 】
  [tw: 1117304578116952067 ]
  「元のほうが艦艇擬人化として艤装を上手く人型に落としこめている」って……えー、そうかなあ。「元」というのは左側のイラストのことだと思うけど、両肩のパフスリーブ(布製?)の上にゴツい砲塔がくっついているのは不可解だし、肘の動かしにくそうなところに艦橋が付いていて目障りだし、シルエットとしても、機能面で考えても、とても艤装と人型が結びついているようには見えない。木甲板を手甲っぽく取り込んでいるのは面白いが、それも手首までで止まっているのでどっちつかずになっている。煙突をハイヒールに見立てているのも、ただ単に形状だけの問題であって、艦の上側に突き出ている筈の煙突が人体の最下部にあるというのは転倒した印象を受けるし、煙突の中に足を突っ込んでいるようにも見えるのでナンセンスギャグめいている。
  人体部分への物理的な密着度が高かったり艤装要素をたくさん盛り込んだりすれば「擬人化」の度合いが高まるというわけでもあるまいに……。このデザインのどこが良いのか、私にはちょっと分からない。

  改訂後(右側のイラスト)は、たしかに物理的には人体部分と艤装部分の分離度合いが高まっているが、カラフルな迷彩が背負いものからスカートそして靴先までを彩っているので、デザイン全体としての整合性は高まっている。しかも、この迷彩柄は妙高(実艦)の顕著な特徴でもあるので、個艦識別(擬人化の元ネタの示唆)としても優れている。それに対して上のイラストでは、艦橋の形状から妙高型のどれかということくらいしか察せられないだろう。
  靴は相変わらず煙突を模しているが、蒸気捨管のような細い縦線をひっそり入れているだけなので悪目立ちせず、むしろ粋な仕込みと思える。ポージングとしても、両脚をクロスさせて引き締まったシルエットにしている方が、妙高型のほっそりしたプロポーションに合っているので、この意味でも「改二」版の方が良い。
  ちなみに、よく見ると、横髪のヘアピンがカタパルトを模している(両者共通)。

  全体としては、前者の方だけを「上手く人型に落としこめている」と称揚するほどのものではないように見える。そもそも、どちらも大差ないとは思うが。「改二」版のイラストも、巨大な砲塔群を無策に背負っているだけなので、あまり褒められた出来ではない。


  【 勉強と努力 】
  「いわゆる難関大学の出身者は『頑張れば報われる』ことを知っており」……?
  わりとダウト。「ガツガツ勉強はしてない」、「頑張るほどやってない」、「苦労してない」、「勉強は努力じゃない(楽しい)」、「高校の授業と程々の復習だけで十分だった」、「予備校なんか行っていない」という人も結構いる。天才肌の人や、効率的に勉強していた人、勉強(知識収集)そのものが好きな人など、中身はいろいろだけど。単純に「頑張る」姿勢だけを重視している人や、自分の特別な努力が報われたのだと考える人は、それほど多くはない。もしかしたらいわゆる受験戦争が激しかった頃はそういう傾向が強かったのかもしれないけれど、少なくとも現在30代以下の世代では、「頑張って報われた(合格した)」という意識は薄くなっていると思う。
  「TOEIC1000点」と称しているあたり、意図的な吹かしアカウントの可能性もあるけど。

  さっとweb検索してみたら、現役合格と浪人生は6:4くらいの比率なのか。浪人勉強をして入学したという場合は、「一年追加で勉強を続けた」という事実が、合格できた要因の中で比較的大きなウェイトを占める(と認識する)だろうから、まさに「頑張ったおかげで報われた」「頑張ったからこそ良い結果を得られた」と考えて、自分自身の努力を恃みがちになるのかもしれない。うーむ、そんな頑張りマッチョな人は、私の周囲にはほぼいなかったんだけど……。もしかしたら、関東の大学では雰囲気が違うのだろうか。

  あえて言うなら、「頑張れば」ではなく、「知的に取り組めば、問題は解決できる」という考え方が強かったかもしれない。そして、これはこれで誤った信念なのだが。つまり、神ならぬ人間の知性は万能ではないし、ましてや18歳かそこらの学生一人の知力や知識には限界があるから。また、どれだけ知的に取り組んでも解決できない問題は、いくらでも存在するから(※ただし、そういう問題はたいていの場合、知性以外の手段を使っても解決できない)。

  そういえば、中一の頃の私は学校の勉強を全然していなかった――本当にまったく何もしていなかった――ので、成績は学年の下位10%に入っていた(※その代わりに、好きな本をいろいろ読みまくっていた)。特に数学や暗記系科目は、きちんとそれに対応した勉強をしなければ解答できないので、当然の結果だ。そこからどうやって持ち直したのかは、憶えていない。程良く放任主義な私立の中高で、ストレス無く好き勝手にしているうちに、数学がパズル的に面白くなったり、社会の教科書や用語集から知識を飲み込んでいくのが楽しくなったり、英文読解の問題集が読み応えのある文章だったり、たしかそんな感じだったと思う。要するに、
  1) 学生本人に知的活動のそこそこの下地があったうえで、
  2) 家庭環境や友人関係や金銭面での不安が無く(※当時の子供なりの主観)、
  3) 教師たちが筋道だったクリアな説明をしていてくれれば、
わりと良いところまで、学校の学習くらいは順調に進むようになるものだと思う。もちろん、その三つが満たされているのは、十分恵まれた、ありがたい環境だったと言うべきだ。また、人によっては、環境要因が満たされても、必ずしも好奇心や意欲が学校の勉強に結びつくわけではないから(まさに中一の私のように)、「学校の成績だけでは知性は測れない」というのも部分的には正しい。

  大学の講義でも、学生にはストレスを掛けないようにしている。学生の能力を効率的に伸ばしていくための、必要な環境整備の一環だと考えているからだ。「あまり構えず、まずは気楽に試してみるとよい。でも、やってみると結構楽しいものだよ」くらいの気分で。失敗や誤解についても、できるかぎりマイルドにフォローしている(※そもそも期待していないとも言う)。もちろん、安全性に関わる事柄は気をつけるし、重要な事柄についてはきちんと「これは重要な事柄なのだ」ということを理解できるようにしているし、過度な怠惰についても、他の真面目な学生との兼ね合いで公平な扱いになるようにはする。
  そのわりに、学生からの授業評価はそんなに高くn…むにゃむにゃ。


  ここ最近、PCの動作が重い。タスクマネージャーを見ると、CPUとメモリは正常に動いている。メモリの余裕もある。消去法で考えて、HDDの反応(読み出し)が遅れているという可能性があるが、まだ一歳半のHDDだし、数百GBしか使っていない(空きも十分)。ネットのアクセスが遅い時もあるので、HDDだけの問題ではなさそう。通信速度をチェックしてみると、十分快適である筈の数字が出ている(※もしかしたらタイミングによって乱高下しているという可能性も考えられるけど)。ウイルスなどの影響も無い筈。変なサイトにアクセスした憶えも無いし。不調を来したきっかけも、特には思い当たらない。
  今のところはアプリケーションの起動などがちょっと遅滞するという程度で、それも致命的なほど遅いわけではない。映像再生にも支障は無い。修理するほどではないし、修理しようにもどこに手を付けたらいいか判断できないので、このまま我慢していくことになりそう。
  予備のまっさらなPCが押入に眠っているので、万一の場合もすぐに対処できる筈。


  00年代にアダルトゲームをやり込んでいた筈の人たちが、時系列のおかしな回顧を語って当時の情勢を変な形に整理してしまっているのを見ると……ちょっと悲しくなるよね。いや、私だって一面的な見方で語っているところはあるだろうけど。
  どんなに熱中していた趣味でも、その分野の活動から離れて何年も経つと、記憶が薄れたり、因果関係を取り違えたり、その後の経験に影響されて認識が中途半端に上書きされてしまったりする。それは、残念ながら、ほとんどの人が逃れられないことだ。



  04/12(Fri)

  「胃~之煮」でもしばしば『ガンダム』の話題が出ているけれど、私自身は大学院で初めてガンダムオタクな人(熱っぽくガンダムを語る人)に会ったくらいで、ほとんど縁が無かったし、そういう人たちの愛着も肌感覚としてまったく分からない。たとえば西垣氏がνガンダムへの思い入れを語っておられても、私としてはあのロボットのぬるっとした曲線はあまり好きではないし、あのアニメそれ自体としても(まさに大学院時代に見せられたのだが)そんなに面白くもないと思ったので、温度差にまごついてしまう。あるカテゴリーの人々を熱中させる作品でも、コンテキストを共有しない者にとってはそんなものだったりする、というお話。


  キャラクターの「属性」で戦うRPGを妄想していた。
  最初にいろいろ質問をして、それで主人公の耐性/弱点の属性が決定される。例えば銀髪に弱いプレイヤーキャラは、銀髪の敵キャラから大ダメージを受けるし、ツインテール好きなユーザーが操作するキャラは、ツインテールの敵キャラからクリティカルヒットを喰らう。八重歯好きなユーザーが作ったキャラは、八重歯ボスからの攻撃が回避不能(必中)になってしまう、といった具合。
  せっかくだから同人作品にして、既存有名作品のキャラクターたちを登場させよう。序盤の敵キャラは手塚治虫作品から。いきなり難関かと思いきや、「主人公の目には美人に見えるロボットキャラ」とか「不義密通で生まれて倉の中にずっと閉じ込められていたヒロイン」とか「絵の具を塗りたくられた透明人間の犯罪者ヒロイン」とか「天麩羅芸を披露するヒロイン」といったような、現代においてすら超マニアックな属性なので、たいていのユーザーもといプレイヤーキャラは、あまりダメージを受けずに安全に撃破できる。
  中盤までは、単眼キャラや10メートル級の巨女キャラのような、比較的マイナーな属性の敵キャラが登場する。ただしごく一部のユーザーは、そこがまさに難関になるかもしれない。キャラ嗜好があまり開拓されていないライト層はかなり楽にプレイできるが、さまざまな嗜好を身につけてしまった熟練のオタクには難易度が高いという、業の深いゲームデザイン。ただし、これまで気に留めていなかったキャラクターの意外な歯応えで、そのキャラの魅力に気づけるという余録もある。なお、反発属性もあり、例えば「ケモ耳+眼鏡」や「低年齢+グラマラス」は効果が相殺される。
  中盤以降では、『ときメモ』『東方』『ハルヒ』『けいおん』『アイマス』など、有名作品のキャラがどんどん出てくる。綾波/惣流、遙/水月、言葉/世界などは、序盤マップではそれぞれ単体で出現していたが中盤からは同時出現し、必ずどちらかが回避不能になってしまうので難易度が上がる。『FF』シリーズのキャラたちが立てこもるエクストラステージは、ひとによっては攻略不能の難易度になる。ふと現れたネコ耳フードの門脇キャラに一撃必殺のヴォーパルダメージを受けたりするかもしれない。ラスボスは『セーラームーン』キャラの七英雄的合体で、ほとんどのユーザーもといプレイヤーキャラはどこかの要素で大ダメージを受ける。
  最後は、これほど魅力的なヒロインたちにプレイヤーが勝利してよいのか、それとも属性の魅力に敗北する方が正しいのか、二択を突きつけられて、リアリズムEDとロマンティシズムEDにエンディングが分岐する。
  隠しボスはCCさくら。単独出現だが、戦闘中にどんどん衣装を変えるので、思わぬタイミングでクリティカルヒットを食らってしまう。

  ……うーむ、なんともおバカな、そして誰かがすでにやっていそうなネタだ。キャラ嗜好としての「属性」と戦闘の相性としての「属性」を読み替えただけの一発ネタだし、そもそも発想がどことなく00年代前半っぽい。


  今年の花粉はきついらしいのだが、何故か私はほとんど症状が出ていない。「もしかして花粉症が治まったのか?」、あるいは「そもそも花粉症ではなかったのでは?」と訝りそうになるくらい。元々症状は軽かったのだけど、今年はかなり楽に過ごせている。何故だろう?
  もちろん外出時はマスクをしているし、うがいや洗顔もしているが、薬は服用していない。それでも今のところ、鼻づまりは無いし、頭痛や目のかゆみもほとんど無い。くしゃみが一日数回出るくらいか。例年はもう少しはっきり症状が出ていたのだけど……。いずれにせよ、気を抜かずに対策はしていくつもり。まさか「これまでの症状は花粉ではなくハウスダストだった」というオチではない筈。


  今週の「ドーラク」。[ www.youtube.com/watch?v=cUSQxaz6hHo ]
  黒髭危機一髪が……すごい。仮に穴が8個あったとすれば、一本目で当ててしまう確率は12.5%だから、奇跡的というほどではないにしても、なかなかツイていらっしゃる。まあ、芸事に生きる役者としては、「当たりを引く」のは縁起が良いとも言える。

  「卓球のアニメ出てたから!」というのは、『灼熱の卓球娘』。
  卓球の未経験者がピンポン球リフティング50回って、かなり難しいのでは……。

  手が大きいって良いなと思います。カメラを持ちやすくなるから。


  Escu:deユーザーのコア層は、調教SLG好きゲーマーなのかも。そう想定すると、SLG系一般の話題でalicesoftやSHCやninetailと並べて挙げられにくいのも一応は腑に落ちる。いや、alicesoftやtail系列も調教SLG/AVGを作っているけれど、全体としては広汎な「ゲーム」らしさをアピールしている。『プリマヴェール』シリーズは偉大だったということか。



  04/09(Tue)

  [tw: sakicchons/status/1112957504454119426 ]
  さすがにこれは聴かないわけにはいられない。ラジオはとても充実した内容だった。ひとかたならぬ熱気の籠もったトークで『東京ミュウミュウ』のことを回顧しておられる。


  日野亘氏のtwアカウントがソフトハウスキャラ関連の情報をRTされているが、双方の間に何かご縁があったのだろうか。それとも、個人的にSHC作品がお好きなのだろうか。日野氏と内藤氏には、文体やコメディセンスの観点でわりと親和性があると思うし、キャリアに鑑みてもしかしたら蓬莱学園の同窓生どうしだったという可能性もある。いずれにせよ、私の好きなクリエイターさんが、私の好きなブランドとご縁があるのであれば、それはそれで嬉しい。
  エッジの利いたキャラ立ての登場人物たちが多数居合わせている状況を余裕のあるユーモアで包みつつ、彼等が相互作用の中で複雑な社会関係の力学を動かしていく様子をクールな三人称的距離感で描くという大人びたスタンスは、アダルトゲーム界隈では、なかなか見られない貴重なものだ。これがalicesoftであれば、清濁併せ飲むようにもっとキャラ立てがきつくなるし、Liar-softだとパロディの露骨さ(既成知識への依存)が前景化してしまう。Frontwingだと、ちょっとオタク的な毒気が強すぎる。私見では、内藤氏と日野氏の間に大槻氏が入ってきたら、きれいな三幅対になると思う。


  90年代風のデフォルメキャラも、あらためて見返してみると可愛い。顔面は頬の膨らみを強調した「ぷに絵」で、頭髪はコミカルにデフォルメされ、胴体は極端に小さく寸詰まりにされ、四肢はすっきりとストレートに伸びて健康的な雰囲気であり、手先と足先はかなり大きく描かれて表情豊かに身振りを示す。色使いは総じてカラフルで明るいが、ビビッドカラーではなくパステル寄りの色彩であることが多い。80年代以前の漫画などにも見られたスタイルだが、私としては90年代を代表する画風の一つだと認識している(※とはいえ、当時の私はオタクではなかったから、詳しくはない)。

  00年代に入ると、萌え四コマによく見られるような人体造形が優勢になる、と言えるだろうか。頭部の輪郭はすっきりし、頭髪の描き込みは繊細になり、胴体は幅広になって存在感を増し、その一方で腕部や脚部の表情づけはおとなしくなり、手先と足先は小さくなって四肢全体の造形が円錐に近づき、着彩はグラデーションの使用が一般化する。カラーリングは淡めなので、輪郭線はむしろ目立つようになる。「ねんどろいど」シリーズが典型的だろう。
  10年代の人体デフォルメはどのようなものだったと言えるだろうか。衣服のディテールがよりいっそう精緻になったというくらいで、基本的には00年代の延長上にあり、新たな美意識を作り出すということはついぞ無かったように見受けられる。


  ゲームや漫画は魅力的な新作がたくさんあるけれど、今年に入ったあたりからフィギュアやプラモデル分野でこれといったものがあまり見当たらず、いささか物欲を持て余している。良いことなのか、悪いことなのか……。やはりここはドールに手を出して心の渇きを癒やs…こほん。



  04/08(Mon)

  「胃~之煮」の概要記事は第12シーズン(限界突破)に入った。ただし、この時期の記事は、最初に作成した時点でかなり多めに書いていたので、加筆は少なめで済む筈。


  鼻筋の記事は、良い引用画像が見つからないので断念。そもそも、イラストやゲームCG以前に、漫画分野の方で長い歴史の蓄積がある話なので、不正確(一面的)なことをおおっぴらに書くのも良くないし、まあ、やめておこう。


  「プララジ」次のゲストは、ありかわ氏か。SHC作品ではメイン級(ヒロイン役)を演じておられないのでちょっと意外だが、桃組の中では比較的良い芝居をされていると思うので、ひとまず期待しておきたい。
  昨年11月に羽賀氏がゲストに出演された時は、「この分なら、大波氏と萌花ちょこ氏と海原氏の出番もすぐだな!」と思っていたのに、それからずっと桃組系ゲストばかりで……ぐすん。


  フェルメールは、いろいろ説明されて構成原理と表現効果と歴史的意義についてひとまず教科書的な理解は得ているのだけど、あんまり好きになれない。実物を見れば認識が変わるのかもしれないけど。



  04/07(Sun)

  [tw: 1114504487601704960 ]
  うーむ……それはどうなんだ……。様々な観点で捉えられる複雑な問題なので、簡単には言えないが、考えられるいくつかの論点についてコメントすると、例えば:
  1) オタク絵が現実の性産業(つまり生身の個人の身体を用いる性的ビジネス)と結びつくこと。現象としては、遅くとも90年代頃から存在しているようだ(※特に遊人氏のイラストが好んで使われていたという)。ただしそれらは基本的に、既存イラストの無断使用――許諾も得ず、報酬も支払われない――であったと思われ、オタク文化の側からすれば何の責任も無く、何の関わり合いも無い事態だった。
  2) オタク、オタク活動、オタク文化、オタク絵などが、現実の性産業と結びついてイメージされること。あまり好ましいことではない。ただし、オタク絵が社会全体に普及してごく普通のものとして扱われ、なおかつ、官能表現の最も優れたものであると評価されるという側面に限って言えば、良い徴候だと言える余地もあるかもしれない。
  3) オタク文化に属する者が、明示的に現実の性産業にコミットすること。例えば18禁コミック雑誌は、そちら側の広告を掲載している。ただし、どのような種類のものであるのかはよく分からないし、いつ頃から行われているのかもまったく知らないが、リアルサイドの広告を広汎に受け入れているのは確かだ。主体が企業(出版社)であるか個人(イラストレーター)であるかによって評価を違える意味は無いだろう。だから、その種の広告を受け入れている雑誌を非難するならば看板イラストを描いたクリエイターも非難すべきだし、前者を容認するならば後者も容認するのが筋なのだろう……たぶん。あるいは、双方の間に違いを見出そうとするならば、それはそれで相違点を説明できなければいけない。例えば「雑誌の場合はあくまで漫画が主体であり、リアル広告は金銭的な対価を伴う付随的な要素にすぎない。それに対してリアル性産業のために新規イラストを提供する場合は、リアル性産業の活動が主であり、もっぱらその目的のためにイラストを描くことは肯定的に見られないし、それはもはやオタク文化の中での活動ではない」といった説明をすることができるだろう。
  4) そもそもリアルの性産業について、どのような姿勢で捉えるべきか。それ自体としては違法ではない(のだよね?)という建前を受け入れるのか、組織的慣習的になんらかの社会的不正義に接近した領域であると捉えるのか。
  5) 当然ながら、オタク文化またはオタク集団は、全体としてリアルの性産業を支持したり協力したりしているわけではない。また、オタク分野が扱っている性表現はあくまでフィクショナルなものであって、けっして現実の性犯罪や性に関わる社会的不正義と結びついているわけではない。しかし、実際にリアルな性産業の活動と協力する者が増えていくにつれて、その主張は説得力を毀損されていくだろう。
  6) 個々のオタク(クリエイター)も、個々のオタク系企業(出版社)も、経済活動は自由であり、リアルな性産業的活動との間でビジネスを行う者がいても構わない。違法なものでないかぎり、誰もそれを禁ずることは出来ない。またその一方で、オタクは一枚岩ではないのだから、「たまたまオタクである一個人」の行為に何かしら咎めるべきところがあったとしても、他の「オタクである個人」たちはそれについてなんら責任を負わない。
  7) 文化は、一個人だけが担うものではなく、多くの人がコミットする集団的な活動だ。それゆえ、ある一つの文化領域がどのようなものであるかについて、まず第一義的には、そこにコミットする人々が声を上げて議論していくべきだろう。

  さしあたっては、「非難はしないけれど、やめてほしいと強く思う」といったところ。こういうの心底嫌だと感じる。この方はわりと良いイラストを描かれる方だけど、今後は近づきたくない(この方の作品を見たり買ったりしたくない)と思うくらいには、嫌悪感が強い。

  画像から判読できる名前でweb検索して、おそるおそる公式サイトを閲覧してみると、どうやらいわゆるそーぷらんどのようだ。えーと、つまり、どストレートな性産業か。うーむ。
  ちなみに、初めて見たけど、1時間2万円、3時間6万円って、高いのね……。相場がどんなものかは知らないけど、本場物のオペラ来日公演S席チケット並の価格じゃないか。時間単価で見ても、大学教員の自治体等での講演謝礼や弁護士の相談料をも上回っている。すごいぞ。一クールアニメのBDを買い揃えても7000円×6巻=42000円(約5時間分)だから、それよりも割高ということになる。6万円というと、オタク趣味で比較すると、60cm級ドールとか、1/350赤城プラモ+アフターパーツフルセットが買える価格だ。怖い。

  同人誌即売会でも、18禁コスプレもの(いわゆるコスROM)が販売されることがあるようで、そこまで行くとほとんどアダルトビデオと境界を接するのではないかと思う。そういったものの実物を鑑賞したことは無いし、よく知らないので判断を下せないのだが、怖い傾向だと思う。

  もう一つの懸念として、同人文化またはオタク文化がヤクザと接触してしまう、あるいはそういう類の者に侵入されてしまわないかという心配がある。まったく知らないが、コミケットとかはどうやって対処してきたのだろうか。

  これと通底する事柄として、パチンコ化した作品も、非常に印象が悪くなる。「賭博遊興企業からお金をもらっているなら、もう私がお金を出さなくてもいいよね」という気持ちになって、関連コンテンツを買おうという意志が消え去る。パチンコ台に大写しに嵌め込まれたヒロインの笑顔などという悲しいものは見たくなかった。


  アンサイ先生、どんな顔をして学生の前に立てるんだろうか。
  大学を含め、教育の場では、教授者の側が信頼されなければいけない。教壇に立っている者が、当該領域に関して確かに傾聴に値する知識および見識を有しているということを、受講者がひとまず信じられるようでなければ、教育の効果はきわめて乏しくなる。そういう「ひとまずの信頼」を受けられるように、私も常々気をつけている。
  もちろん、教育者が無謬である(または無謬であるべきだ)ということではない。大学教員だって、個々の学問的判断を誤ることもあるし、エキセントリックな少数説に立っている場合もあるし、後世の知見によって誤りが判明することもあるし、専門外の領域に関しては素人であったりするし、さらには(残念ながら)本物の無能教員もいないわけではない。また、教育者の言葉を疑ってはならないということでもない。知的誠実と真理探求の前に万人が平等であり、教育者が権威者(批判できない存在)になってはならない。さらに言えば、教育者が清廉高潔な人格者であれということでもない。人間的な信頼の話ではなく、あくまで専門家としての能力的信頼の問題だ。
  そういうことではなくて、教育の場を協働的に形成し、実のある時間にするためには、最低限の信頼関係が必要なのだ。つまり、講義内容が何年または何十年もの研究活動に――そして間接的には何百年、何万人もの研究活動に――裏付けられており、教員の発言にはすべて一定の学問的根拠があるのだ――そのハードルをクリアしたもののみを選んで講義で語っている――ということを理解し、そしてそのことが信用できる度合いに応じて教員の言葉を信じるということだ。そこはひとまず飲み込んでくれなければ先へ進めない(※そしてもちろん学生の側も、それなりに真摯な姿勢で向き合ってくれねば困る)。
  それに対して、「まさに専門領域である筈の事柄に関して無知を晒す」とか、「情報(先行研究やデータ)の取扱に関して初歩的な無理解を晒す」とか、さらには「盗用行為やデータ改竄行為のごとき、教員乃至研究者としての基本的資質に関わる致命的な不始末を犯す」といったような場合だ。こうしたことが起きた場合、受講者はその教員の一言一言について、それが本当に正しいのかどうか、きちんとした研究に基づいて十分な根拠があるのかという基盤部分から疑わねばならなくなる。つまり、「世界中で何十年または何百年も慎重に考究されてきた中で、確からしいと認められてきた知見を整理して述べた言葉」ではなく、「単なる粗漏な与太漫談」なのではないかという疑念に晒される。そのような疑念の中では、教育の実が果たされよう筈は無い。
  アンサイ先生の場合は、ディーセントな場では絶対に使うべきではない情報に、ぶっ通しで依拠しているわけで、「確からしさがきちんと検証されてきた知識」と「そうではないてきとうな主張」との区別が出来ていない――つまり基礎的な情報リテラシーの欠如を露呈している――わけだから、まあ、一発アウトのNG行為だろう(※仮に皮肉や冗談のつもりだとしても、仮に明示的なエクスキューズがあるとしても、やはり公論の場で引き合いに出すのはNGだ)。私が意地悪な学生だったら、講義開始前の黒板に「この講義の内容はアンサイに基づいています」と大書しておくところだ。

  彼以外にも、出版物やSNSで致命的な失態を晒す大学教員や政治家やその他諸々がいるわけだが、そういう人たちを見ていると、なんというか、私の想像を超えて肝の太い人、神経の強い人、タフな人、面の皮の厚い人が、世の中には案外たくさんいるのだなあと驚かされる。「もしも私だったら恥ずかしさと申し訳なさで看板を下ろすことを真剣に考えるだろう」というくらいの無惨なことをやらかしても、平然としている人たち。その精神構造が怖ろしい。

  ともあれ、あれで大学の専任教員らしいんだよね……。日本の大学全体に対する信頼がいよいよ損なわれていくのかと思うだに、辛く、悲しい。


  お酒はまったく飲まない私が、先日は珍しく酔ってゲームをした。もちろん、基本的には判断力が鈍るのでプレイが下手になるのだが、普段はしないような行動を取ってしまうおかげで新鮮な発見もあった。私は基本的には、最適解らしきものを見つけ出して型に嵌まったプレイをしがちなのだが、酔ってプレイすると通常とは異なって、大胆(強引)な行動をしてしまったり、パターンを外れたり、非効率な動きや不必要なアクションをしてしまったりするわけで、そうすると敵出現パターンやNPCの行動ルーティンも変化する。特にSTGやACTのようにアクション要素のある作品だと、新たな攻略パターンの実験になっtt…いや、ならないか。特にSTGは、酩酊状態でプレイすると凡ミスで死にまくって、まともなプレイにならない。
  SLGの場合は、酔っていても技術的な意味でのミスはしないのだが、意識の攪乱要因を持つので、普段とは違ったプレイスタイルになる可能性がある。特にSLG+AVG作品の場合は、きまぐれで無駄な行動を取ることで、新たなイベントに出会える可能性がある。

  ちなみに、お酒はかなり弱いのだが、好きなお酒(カクテル)はアレキサンダーで、飲める機会がある時はたいてい一杯頼んで、ちびちび味わう。
  度数強いじゃんとか言わない。きついのを避けたい時はカルーアミルクで。


  斑木ふらんさんは裏表のない善良なひとです。それだけにタチが悪いが。
  ちなみに、裏表は無いものの、左右に分割されたりはした(プラナリアかよ)。左側は過度に理性的で、右側は過度に情緒的という……。


  自宅の床にうっかり積み上げてしまった書籍塔が、戦艦扶桑の前檣楼のように不安定にひょろ長くなって……これ、どうしよう。


  αを非難しようとする者が、その発言の中で無関係なβを不当に侮辱する文言を使ってしてしまうのは、本当に残念だ。よくあることだが。そういった場合には、αに関する主張がいかに正しくても、発言全体が不当なものと見做されてしまい、結果的にその発言は説得力を欠き、受け入れられない主張になり、発言者の信用も下落し、αに関する問題提起もろくに効果を発揮せずに終わってしまう。悲しい状況だ。
  何かを批判する時に、過度に強い言葉を使おうとするのはリスキーだ。どんなことであれ、見くだすような姿勢で発言するのは避けるべきだ。目的が正しくても、手段(発話プロセス)が正しくない行為は、支持を得られない。
  否定的な評価を述べる際にどのような罵倒表現を選ぶか(選んでしまうか)は、まさにその人の価値観を反映する。そういう時に、発言者の無意識の偏見が露呈しやすい。地域差別、知力差別、年齢差別、人種差別、性差別、等々。ほんの一例を挙げるなら、ある愚かな振舞いを指弾しようとする時に、地域的な特殊事情が関わっているわけでもないのに「田舎○○」という言葉を安易に使ってしまう人は、明らかに地域的偏見を露呈させている。あるいは、実在の病名を比喩的な罵倒表現として用いる人や、特定の国籍になぞらえることを侮蔑表現として用いる人なども同様だ。言葉遣いの中に、そうしたバイアスの悪臭が滲み出る。
  品位ある言葉遣いと冷静な討議のマナーは、ただ単に表面を取り繕うものではなく、議論の中に余計な要素を混ぜ込まず、熟慮された発言に適切な説得力を持たせるために、必要な言論姿勢なのだ。人間はすべて、時代的、文化的、個人的なさまざまなバイアスを逃れられないのだが、であればこそ、個々の発言の文脈においては可能なかぎりそうしたバイアスの危険を除去するように努める方がよい。
  対象がどんなに愚かに見えても、あるいは相手がどんなに嫌いでも、人は人として尊重するという最低限の姿勢を維持することの意義の一つは、ここにある。難しいけれど。

  ちょうど上に書いた文章で言えば、「面の皮が厚い」が、私の中で限界ギリギリの表現。それも、特定個人ではなく不特定のカテゴリーに向けた言葉だ。


   山崎闇斎(山崎アンサイクロ)。駄法螺を吹かしまくるトリックスター、とかいったら、『行殺新撰組』の芹沢カモミールみたいな感じのネーミングだ。



  04/03(Wed)

  [ www.youtube.com/watch?v=3EHSgUY77hc ]
  笹島氏が出演していたとのことで、視聴してみた。『スーパーボンバーマンR』などをプレイしている。ついでにバックナンバーをざっと見てみると、
  [ KEeNoeDxGbY ]:園崎氏が『SNATCHER』をプレイされていたり、
  [ 5g9fXya1Bxc ]:こやま氏が『LEGO AVENGERS』と『YU-NO』(※こやま氏の出演作)を、
  [ fiwZ2eJho8M] :清水氏は『セヴンデイズ』を(※清水氏が出演している)、
それぞれプレイされているようだ。いずれも3時間以上の長尺だが、時間があれば見てみよう。


  自分の過去の投稿を調べるためにtwlgを見てみたら、ログ非表示にされていて閲覧できなくなっていた。ちょうどこの4月に運用が変わっていたようだ。twlg更新させないためにtwttrアカウントを非公開状態でサスペンドさせておいたのが、こんなところに影響が出るとは。
  twttr公式から完全ログをcsv形式でダウンロードしてあるからいいのだけど、本人以外の人々にとっては見づらいだろう(とりわけ検索性の観点で不便が大きい)ので、うーむ、やむを得ず、一度twログインしてtwlgを公開させておくことにする。ログインするのはこれを最後にしたい。


  「プララジ」概要記事は10回分ほど溜まってしまったが、一回25分前後なので、5時間もあれば(たとえば休日の半日を費やせば)なんとかなる筈。


  「ファンクラブ懇談会」……とても良い企画だと思うけど、私自身は怖ろしくて行けない。
  そもそも私は、オフラインでSHCファンの方と話をしたことが一度も無い。イベントはどんな感じになって、参加者の方々はどんな風に楽しまれるのだろうか。行ってみたくはあるが、やっぱり怖くて行けない。



  04/01(Mon)

  [ nexton-net.jp/af-img/skc.jpg ]
  [ twitter.com/maokarinchan ]
  [ twitter.com/maokarinchan/status/1112369582696591360 ]
  SHCは冗談企画はしないだろうと思いつつ公式サイトにアクセスしてみたら、意外すぎるコラボでびっくりした。NEXTONもSHCも大阪市内のゲームメーカーだし、以前から何かしら交流があったのだろう。

  それにしても、わざわざ「チーム++」名義にしているのが興味深い。ただ単に作品の方向性の違いをユーザー向けに表示するためのブランドではなく、スタッフ編成そのものが自立性を高めて無印SHCとは別個に活動しているのだろうか?

  キャラ設定からして、ただの巣(住居)じゃなくて「愛の巣」ですよね。
  乃嶋氏がSHC作品に出演されるフラグであるならば大歓迎。


  紅茶のパックは、プレゼントやイベントの差し入れにも便利。明確な既製品だし、ブランドイメージもあるし、軽量でコンパクトだから持ち帰りの負担も無いし、消えものだし(※飲めば無くなるので保管や廃棄の問題が無い)、それでいて保存性もあるし、入手しやすいし、価格も程々だし、好き嫌いやアレルギーの心配も小さい(※さすがに問題皆無というわけではないけど)。
  あえて言うなら、土地柄を代表するような品物になりにくく、個性を出しづらい(つまり、その場面ならではの特別さを演出するのは難しい)という点くらいか。


  4月になったら、新年度になったら頑張ろう……と思っていたのだけど、暦の数字が一つ変わった程度で簡単に成長できる筈も無いのであった。


  (→5月3月