2020/09/25

『白昼夢の青写真』雑感

『白昼夢の青写真』製品版パッケージの表と裏。箱の構造からして、表側は、写真の右側(オレンジ色基調の風景画の方)。銀髪キャラが描かれている方が、裏表紙側になる。デュアルフロントと捉えてもよいだろう。


 (※以下は、twitterに書いたものを加筆修正したテキストです。)

 【 概要 】:アダルトゲーム『白昼夢の青写真』(Laplacian、2020年9月発売)。ブランド名が示唆するとおり、自然科学系(おそらく物理学か情報工学)の素養のあるスタッフによる、しっかりしたSFもののAVG。しかも、ヒロインはたった1人(※公式サイトでも明記されている)。
 物語の概要。主人公たちが3種類の夢を交互に見ているという謎めいた状況が提示される。3つの夢は、「現代の学園舞台」、「エリザベス朝(16世紀)のイギリス」、そして「デジタル文明が半ば崩壊した一種のポストアポカリプス的近未来(2061年)」という、それぞれに意欲的な状況設定。さらに、それらの3つの夢を見ている側の人々に焦点を当てた本筋シナリオが、作品後半部で本格的な未来SFとして展開されていくという、多層構造を取っている(※この構造は体験版段階でも明示されている)。物語形式としては、事実上一本道の読み物アドヴェンチャーゲーム。


 【 SFとして 】:私はこの作品を、まずはSFものとして楽しんだ。とりわけ、2020年現在の最新の科学的常識に立脚した、アダルトゲーム分野の貴重なSFタイトルとして。しかも、意欲的なSF作品に時折見られるように、作品が提供される社会の目下の状況に対して文明論的な関心を向けつつそれをメタフォリカルな意匠で表現するかのような姿勢がある。例えば、個人の意識(内面的アイデンティティ)は何によって担保されているか。階層差別の存在は、人々の生きる意欲に対してどのように影響するか。先端技術が新たな道徳的ジレンマを生み出した時に、人々はどのような価値に依拠して取り組むべきか。テクノロジーによる人間の生命補助の未来像はどうなるか。人間の幸福や生存のための社会的欺瞞は許されるか。等々。

 近年のこの分野の貴重なSF作品であると同時に、個人的には、懐かしさも感じた。つまり、00年代前半頃のアダルトゲーム界隈に横溢していたSF精神に相通じるものとして捉えることもできた。内容的には、例えば『パンドラの夢』(pajamas soft、2001)の未来世界や、『BALDR FORCE』(戯画、2002)の架空世界没入と電子幽霊を引き合いに出すこともできるだろう。
 90年代から00年代初頭に掛けては、まだまだパソコンの普及過程にあり、その先進的媒体の上で展開されるアダルトPCゲームを嗜む層も、理工系オタクがかなり多かった(※とりわけ個人の感想サイトを開設するようなユーザーの中には、理工系の大学生や院生がいた)。そういう気風にも相通ずるものを感じた。このブランドのyt公式アカウントを見ると、主要スタッフが事務所で芋煮会配信をしていたりして、理系オタク的=バンカラ的な親密な雰囲気が見て取れる。そういう理工系スピリットの中からこのような意欲的なタイトルが生まれてきたというのは、傍目には微笑ましくもあり、またSF好きなアダルトゲームユーザーとして嬉しくもある。SFジャンルにせよ、アダルトゲームにせよ、この二十年間で内外様々な流行の変遷があったが、アダルトゲーム分野で本格的なSFを展開することが、2020年現在でも行われ、そして通用していることを喜びたい(※例えばEGScapeでも、本作は評価が高い)。
 アダルトゲーム分野全体について言えば、00年代風の学園恋愛ものは10年代前半のうちに流行を終え、様々なニッチジャンルが自由に散在する空間になっている。特に低価格帯の拡大によって、ニッチ趣向の追求が加速したように思う。そしてSFも、多様な趣向のワンオブゼムとして再興しつつある。そうした中でも、Laplacianは現代アダルトゲームにおけるSFものの旗手と位置づけてよいだろう。第2作『ニュートンと林檎の樹』(2017)は、タイムリープによるパラドクスの解決を目指す科学史的SFサスペンスを正面から展開していた(※ちなみに今年9月発売の『さくらの雲*スカアレットの恋』[きゃべつそふと]も、タイムリープものだった)。また、第3作『未来ラジオと人工鳩』(2018)は、架空通信技術をベースにした近未来舞台のSFクライシスサスペンスを展開している。


 【 夢の構造と演出 】:「夢」の部分にも触れておこう。このブランドは第1作『キミトユメミシ』(2016)でも、夢の中で人の願いを見るというアプローチを採っていたが、このモティーフをさらに拡大したものと見ることができる。夢を見ているヒロインの意識が、夢の中のシナリオに反映されている(あるいは逆に、それらを通じてヒロインの姿が造形される)。

 「3種類の夢を並行して見ている」という状況設定は、『蜜柑』(C's ware、2001)を連想させる。あるいは、アダルトゲーム史の中で言えば、『ヤミと帽子と本の旅人』(ROOT、2002)、『黒の図書館』(ふぉ~ちゅん、2003)、『メルティ・メルヘン』(ぱんだはうす、2003)のような「本の中の世界の物語」や「自由に展開される作中作(劇中劇)」にも通じる多層構造だ。仮想世界シチュエーションも、『バイナリィ・ポット』(AUGUST、2002)や『こころナビ』(Q-X、2003)の頃から、『ハーヴェスト・オーバーレイ』(戯画、2014)、『景の海のアペイリア』(シルキーズプラス DOLCE、2017)など、アダルトゲーム分野でも好んで取り上げられている。それらと類似する異世界訪問ネタも、『プリミティブ リンク』(Purple software、2006)や『いろとりどりのセカイ』(FAVORITE、2011)など、枚挙に暇がない。
 ただし、本作の夢は、あらかじめ特定の仕方でコントロールされた夢だという点で、それらの作品とは異なる。プレイヤー(=基盤シナリオの主人公)は、夢の中で主人公として能動的に行動することができず、何者かの夢を一方的に見せられるという受動的-鑑賞的な姿勢に置かれている。そうした意味では、3つの夢のシナリオは、それぞれの主人公が別個独立の存在であるオムニバス形式に近いと見ることもできる(例えば『フォークソング』[REWNOSS、1999]や『美少女万華鏡』シリーズ[ωstar、2011-])。実際、3つの夢のシナリオの男性主人公は、「現代日本の45歳の非常勤学園教師」、「若きウィリアム・シェイクスピア(本人)」、「近未来世界のカメラ好き学園生」というもので、それらの間にアイデンティティの共通性は無い(※ただし、三者とも創作に関わっているという側面はある)。

 いずれにせよ、「幻想的な夢の物語」「作中作」「仮想世界没入」「異世界との行き来」のような多層的フィクションは、アダルトゲーム分野が得意としてきた領域だ。それを支えてきた分野的事情としては、様々なものが考えられるだろう。例えば、選択肢による作中世界の文節化機能。あるいは無時間的トランジション表現への媒体的親和性。あるいは「立ち絵+背景」構造の記号性。背景画像を数枚用意するだけで一つの新たな世界を提示できるという表現上の経済性。プラットフォームとしてのPC空間それ自体の仮想性。知性と洒落っ気を持ってフィクションに向き合える大人(18歳以上)のユーザー層の存在。等々。

 そして、多層構造を処理する演出技法の観点でも、アダルトゲーム分野には数多くの実験と蓄積がある。表現技巧の観点から、いくつか指摘しておこう。

 1) 例えば、画面上下に黒帯領域(レターボックス)を設けることによって、他者視点や非現実状況であることを示唆するというのも、AVGが形成してきた表現文法の一つだ(cf. 拙稿「非全画面の背景画像」)。元々は映像媒体で培われてきたアイデアだが、アドヴェンチャーゲーム分野で明確に文法化され、適用場面が開拓され、よりいっそう際立った効果を持つようになった。『白昼夢の青写真』も、内省のモノローグ、過去の回想、他者視点のシーンなどで、随所にレターボックス表現を用いている。

画面上下に黒帯(レターボックス)を掛けている。特別なモノローグの場面や、時間的に前後するシーン、あるいは無時間的な説明的パッセージ、相手に距離感を感じているシーン、夢やフラッシュバックの瞬間などで、この技法が使われている。

 2) もう一つ例を挙げよう。本作では、3つの夢のシナリオと、夢を見ている人々の基盤シナリオで、それぞれインターフェイスデザイン(メッセージウィンドウの形状)が異なっている。このことも、3+1個の物語それぞれが異なった次元の物語であることを、ユーザーに対して明確に伝えている。
 実は、3つの夢のシナリオのテキストボックスデザインは、このブランドの過去タイトル3作のものを模している。つまり、現代の学園舞台のcase 1は『キミトユメミシ』、近世イギリス舞台のcase 2は『ニュートンと林檎の樹』、近未来舞台のcase 3は『未来ラジオと人工鳩』と、それぞれインターフェイスデザインが対応している。
 世界設定もそれぞれ過去作を踏襲しているのだが、それ自体にはあまり意味は無い。基本的にはお遊びか、あるいはただ単に便宜的なものだと見做してよいだろう。重要なのは、『白昼夢』一作の中でメッセージフレームのデザインが3+1パターンの変化を示しており、ユーザーがそれらの相違を認識できるという点だ。ゲームのUIは、当然ながら作中世界の事物を描写するものではなく、あくまでプレイヤーに向けて提示されるメタレヴェルの機能的要素である。それが相異なるということは、ユーザーに対して、「3+1個の物語は、それぞれまったく異なった枠組を持つ存在であり、さらには、相互に次元の異なる存在でもあるのだ」というメッセージを発信している。
 UIデザイン、テキスト表示形態、テキストフォント等を変更することによって作中事象のレイヤーの相違を表現するのも、アダルトPCゲーム分野が開拓してきた演出技法の一つである。例えば『らくえん』(Terralunar、2004)は、本編「らくえん」と、大掛かりな作中作「ぼくのたいせつなもの」の複層構造になっているが、双方の間でUIデザインは完全に切り替えられる(cf. 拙稿「アダルトゲームのCGワーク(5)」)。シンプルに見えるが、非常に目覚ましい効果を上げるガジェットである。本作もこの手法を導入しており、しかもブランド過去作のパスティーシュという遊戯的趣向をも盛り込んでいる。

『ニュートンと林檎の樹』。作中状況は1687年のイギリスであり、『白昼夢』case 2の時代設定(1595年頃)とは約一世紀の懸隔があるが、文化状況はおおむね共通している。UIデザイン、BGM、背景画像は『白昼夢』でも再利用されている。
『白昼夢の青写真』(case 2)より。セピア色基調のUIデザインは、上記『ニュートン』を再現している。近世英国の古めかしい雰囲気を表現する意図とともに、旧作ファンへのサービスという側面もあるだろう。
『未来ラジオと人工鳩』。こちらは『白昼夢』のcase 3と同時代、同一ロケーション。鮮やかなイエローを用いたメカニカルなUIデザインは『白昼夢』でも踏襲され、さらに背景画像等も随所に再利用されている。
『キミトユメミシ』(パッケージ版)。『白昼夢』のcase 1と同じく、柊英学園を舞台にしている。そのため、制服デザインや学内の背景画像も基本的に同一である。ただし、UIはデザイン改良されている。

 3) 多層性を取り込んだ演出に関して、本作が優れた表現効果を上げている技法の一つは、二重写し表現だろう。夢の物語で出てきた一枚絵や背景画像と、基盤シナリオで現れるものとが、同一のレイアウトを取るというものだ。一例を挙げよう。下の画像1枚目は、英国舞台(case 2)より、主人公ウィル(シェイクスピア)の自室風景の背景画像。2枚目は、最後の基盤シナリオ(case 0)の主人公たちの自宅。これは、プレイヤーにとっては、第一義的には「既視感と懐かしさ」として作用するだろう(構図の類似性に気づいた場合でも、あるいは無意識にでも)。さらに、この構図再現性を認識した後では、内容の解釈に踏み込んでいく契機にもなる。こうした隠微で繊細な演出が随所に施されている。

左記引用画像は、英国舞台のcase 2より、主人公ウィル(シェイクスピア)自室の背景画像。下は基盤シナリオ(case 0)の主人公自宅の背景画像。この他にも、秋房の仕事場(case 1)や洞窟の奥(case 3)などで、背景画像のイメージ共鳴が図られている。
また、イベントCGにも、自宅での執筆風景、見返り美人構図、別離のキスシーンなどに印象的なレイアウト再現がある。また、ヒロイン立ち絵も、各シナリオで類似したポージングを取る差分がある(片手を頬に当てるポーズなど)。


 同種の演出は、もちろん映画や漫画などの他分野でも行われている。しかし、美少女ゲームが立脚するアドヴェンチャーゲーム形式では、イベントCGや背景画像は、1)漫画と比べると、AVGは枚数が限られるため、一枚一枚の存在感がきわめて大きいし、また、2)映画と比べると、AVGでは静止画として長時間画面に留まるため、プレイヤーの印象に残りやすい。3)大掛かりな再制作でなくとも、色調変化などのエフェクト加工やCG差分変化という形態でカジュアルに実行することもできる。
 こうした強みから、構図再現演出は美少女ゲーム分野が好んで用いる手法の一つになっている。例えば、ヒロインとの最初の出会いのイベントCGと、エピローグでの再会シーンのCGを、同じレイアウトで描くといったような用法である。実例としては、『恋神』[PULLTOP、2010]や『神採りアルケミーマイスター』[Eushully、2011]などがある。あるいは、同一のイベントCGが差分変化しつつ再現前することによってその意味を一変させるという演出として提示される場合もある。このアプローチは、とりわけBlack CYCの伊藤ヒロ脚本作品『無限廻廊』シリーズ(Black CYC、2005/2009)と『ク・リトル・リトル』シリーズ(Black CYC、2010/2010)で徹底的に追求された。OPムービーでも、例えば『明日の君と逢うために』(Purple software、2007)は、過去と現在の二重写しカットを多用して目覚ましい効果を上げている。
 そして本作も、その優れた実例の一つとして語られる価値がある。しかも、本作においてはこの演出は、単なるフラッシュバック的効果だけでなく、作中世界の「夢」の多層構造に即した裏付けにも伴われている。


 【 ストーリーについて 】:ストーリー面でも、挑戦的な素材を取り上げている。先に述べたように、3つの夢のシナリオ(case 1 ~ case 3)は、「既婚中年男性主人公のウェットな不倫もの」、「16世紀英国の社会情勢と絡めたドラマティックな物語」、「近未来のさわやかな青春冒険譚」という、アダルトゲームではなかなか見られないものだ。さらに、最後の基盤シナリオに至っては、深刻な社会的-道徳的なジレンマを取り上げるSFになっている(※悲劇的なジレンマ状況を取り上げるのは、フルプライス前作『未来ラジオ』でも行われていたが)。
 こうした挑戦は、「本筋ではなく夢の物語(あくまでサブシナリオ)だから」というエクスキューズによって、ひとまず受け入れやすいように位置づけられている。しかし、けっしてそれだけではない。本作は、あまりにも多くの横紙破りを堂々と敢行している(そして、私見では、上手くやりおおせた)。分野的に珍しい特徴としては、例えば:事実上単独ヒロインであること(各シナリオの主演声優も同一人物)。男性キャラの多さと、女性キャラの少なさ(特に英国舞台のcase 2は、主要男性キャラ8人に対して女性はわずか2人)。SFもの。歴史もの。40代既婚男性主人公。サブシナリオのヒロイン2人が経験済みであることも(わざわざ言及したくない論点だが)取り上げてよいだろう。こうした因習を堂々と破ってくれたことは、アダルトゲームの広がりに期待するユーザーの一人として嬉しいし、しかも、奇手や搦め手ではなく作品クオリティそのものによってそれを押し通してくれたのも素晴らしいことだと思う(※とはいえ、第1作からの変化を見てくると、制作者にとってはこれらの因習は端的に「邪魔」「不合理な制約」であったのかもしれない。女性キャラをたくさん出せとか、ヴァージニティを固守せよとか、卑近な現代学園ものにせよとか、コメディシーンの安逸をたっぷり提供せよとか……)。
 本作の挑戦的な姿勢は、本稿冒頭に画像掲載したパッケージアートにも、はっきり見て取れる。キャッチコピーもサンプルCGも何も無い、あまりにも大胆なレイアウトと、美術作品のような個性的なパッケージアート。この尖りっぷりは、購入したユーザーとしては実に痛快だ。
 いずれにせよ、Laplacianの一連の挑戦を私は歓迎しているし、とりわけ本作(フルプライス第4作)では総合的なクオリティも素晴らしいものになっている。


 【 音響表現と商品構成上の強み 】:先に述べたとおり、演出面も素晴らしい。
 例えばBGMは、旧作のBGMをアレンジしたものも含めて潤沢に投入しており、しかも、アンビエントなピアノサウンドから活気に満ちた民族音楽調までたいへん趣味が良い。環境効果音が丁寧に付けられているのも、架空シチュエーションのSFを表現するうえではきわめて重要な要素だ(空調の音、学園内や街中の喧噪、虫の鳴き声、等々)。
 視覚演出に関しても、case 0で頻出する長大な一枚絵スクロール(縦に伸び上がっていくティルト)は、巨視的視点を持つSF作品に相応しい。また、にじり寄るような微速ズーミングは、対峙のシーンの劇的緊張を高めている。
 「立ち絵+背景+音響」のコラージュで構成されるAVGは、不器用でぎこちない形式だと見做されがちだが、作品世界の雰囲気をこれほど濃密に表出することができるという優れた実例でもある。音響制作からスクリプト組み込みまで、よほど優秀なスタッフが揃っていたのだろう。
 ただし、クオリティに関しては、感染症拡大による延期という皮肉な事情もある。元々は2020年3月発売と告知されていたのが、音声収録が出来なくなったようで、6ヶ月も延期してしまった。そのおかげで、通常の制作スケジュールではあり得ないような、クオリティアップの奇跡的なチャンスが得られたという側面もある。このブランドにとっても、ゲーム文化にとっても、世間的にも、おそらく二度と起きないであろう、あまりにも希少な一回性の機会だった。しかもそれが、ブランドが過去作素材まで全て投入して勝負を賭けたであろう作品に際して発生したのは、一ユーザーとしては――あえてこう言って良ければ――幸運な巡り合わせだったと思う。

 主演声優は神代岬氏。3つの夢のシナリオのヒロインと、基盤シナリオのヒロイン――結局のところ同一人物なのだが――の全てを演じきっているが、芝居の掘り下げがすさまじい。台詞の細部にまで神経の通った芝居の精度と深度と鮮烈さは、私の言葉では説明しきれない。アダルトゲーム分野でもそれ以外の分野でも、滅多に聴けないほどの入念かつ闊達な芝居だった。あえて喩えるなら、「一色ヒカル氏に匹敵する」と言ったら、00年代のアダルトゲーマーにはだいたいの水準を理解してもらえるだろうか。要は「掛け値なしの、最高の中の最高級」ということだが。
 これほど掘り下げた芝居が聴けるのは、「個別収録」「尺が自由」「長大な脚本でヒロインを徹底的に掘り下げられる」というAVG特有の条件のおかげもあるだろう。映画の吹き替えやアニメの音声収録であれば、台詞の長さが厳密に測られた中でキビキビと演じきる緊張感があるだろう。また、ドラマCDであれば、自由な尺での全員集合収録のライヴ感があるだろう。それに対して、完全な個別収録の中で声優一人の力量によってぎりぎりまで彫琢される芝居もある。それはAVG分野の武器だ。そういうことを再確認できたという意味でも、本作にはたいへんな満足感があった。つまり声優オタクの一人としても嬉しく、そしてアドヴェンチャーゲームのユーザーとしてもありがたかった。つまり、読み物AVGの長大なストーリーは、声優のポテンシャルを最大限に引き出すことのできる環境であり、そして神代氏は上限がおそろしく高く(私にはこれほどとは予想できなかった)、そして本作の脚本(台本)はそれを十分に引き出したと思う。

 もう一つの分野的長所は、作品全体のパッケージングだ。連載漫画やTVアニメのように長期間に亘り断続的に提供されるのではなく、メガバイト規模のテキストでもワンパッケージで提供することができる。そしてユーザーは、製品版を購入したらすぐに、最初から最後まで一気に読み通すことができる。これはパッケージゲームの大きな武器だ。それを再確認した。もしも本作がLN媒体であったならば、年単位のスパンで10巻程度を順次刊行することになるが、そんな悠長さに読者は耐えられただろうか? 劇的緊張感を孕んだ、柄の大きな長編ストーリーを一気に読み通させるという点でも、読み物AVGには一定の市場的、媒体的なアドヴァンテージがある。
 とはいえ、アダルトゲーム分野も、00年代末頃から分割販売の動きが現れており、完全な「らくえん」というわけではない。00年代半ば頃から作品規模の増大(=コスト増大)と制作期間の長期化が進行しており、フルプライス作品を作りきるにはまず資金的な体力が必要になっている。またその一方で、体験版の区切りで前半のクライマックスを作るという演出技巧(つまり分割を活用する側)も普及している。体験版提供が一般化した00年代半ばには、そうした意識はすでに明確になっていたし、Laplacian自身も体験版戦略に成功しているブランドだ。


 【 まとめ 】:読み物AVG『白昼夢の青写真』は、近年のアダルトゲーム分野の傑出したSF作品であり、演出面(声優を含む)の厚みも充実している。最新世代、最新のセンスの作品ではあるが、同時にアダルトゲーム分野の歴史的蓄積や分野的長所につながるところも見出される。それらを踏まえつつ先へ進もうとするLaplacianの今後に、いよいよ期待していきたい。



 (※以下は、プレイ時の様々なメモ。)

  『白昼夢』のパッケージデザインは、一般的なアダルトゲームのようなキャラクター紹介も無ければ、一枚絵サンプルも載っていない。主要スタッフやバーコードや権利表示も、このワンピース箱の口の部分(書籍でいう小口の部分)にひっそり記載されている。キャッチコピーの一つも書かれていない。これをどう捉えるべきだろうか。
  メーカースタッフたちの趣味や美意識の発露だと見ることもできる。因習的なパッケージ売りに対する問題意識は、動画配信でも語られていた。また、ヒロインが一人だけというピーキーな作品内容に相応しい、尖ったパッケージデザインだと言うこともできるだろう。
  あるいは、ユーザーに対する信頼だろうか。ブランドとしてすでに4作目であり、発売前の広報活動も様々な形で展開されている。「製品版の箱にまで押しつけがましい宣伝文句を並べなくても、ユーザーたちはちゃんと買ってくれるだろう」という期待か。それとも、「ユーザーのお前等が本当に目の肥えたオタクであるならば、ちゃんと予約して買ってくれているんだろうな」という意味での期待か。いずれにしても、そういう信頼に賭けたデザインの提示に対して、ひとまず私がそれに応えられていたら幸いだ。
  あるいは、アダルトゲーム市場に対するふてぶてしさか、それとも現状に対する諦念か。製品版のセールスの9割以上が、発売日から数日のうちに決まってしまう。そういう市場であるならば、人目を引く奇抜なパッケージで一気に売りきるのも、一つの戦略であり得る。ただし、そんな売り切り勝負であるような市場を、「熱気と速度に満ちた目利きどもの鉄火場」として肯定的に捉えるか、それとも「ロングテールが期待できず、その都度の新商品もあっという間に流れ去っていく刹那的な市場」として悲観的に見るかは、人によると思うが。
  いずれにせよ、このようにパッケージデザインからして挑戦的なタイトルが、2020年の新作としてアダルトゲーム分野に出現してくれるのは、本当に嬉しい。

※追記:[ https://laplacian.jp/yonagi/column_detail.php?id=172 ]
  開発者コラムによると、今作は初動勝負ではなくロングテールを目指し、それとともに「作り手側である我々の納得性を、大衆性より優先しよう」というスタンスだったとのこと。

  特異なデザインのパッケージというと、ヒロインの後ろ姿だけが描かれている『水月』とか、SDキャラの後ろ姿だけが小さく描かれている『ぼくらがここにいるふしぎ。』とか、いろいろある。ヒロインの股間(下着)部分だけが大写しにされているタイトルもいくつかあった(例:『HUSHABY BABY』)。『百鬼』も、軍艦島のような島の遠景だけが描かれており、キャラクターは一人も描かれていない。『鬼作』や『死刑囚110』のように、悪役主人公(見栄えの良くない男性)が中央に大きく描かれているものもある。孤島生活SLG『南国ドミニオン』は、透明プラケースにヒロインたちがプリントされているが、それを外したパッケージ本体は、ひたすら美しい浜辺の風景だけという形になる。『時の森の物語』は木製パッケージで、表面にはタイトルが刻印されているだけ。『RUMBLE』『白神子』は、ほぼモノクロのパッケージアート。ただし、10年代に入ると、奇手のデザインはなりを潜め、絵のクオリティで正面から勝負するアプローチが支配的になっている。

  というわけで、週末はこのタイトルに専念したい。

  神代氏の演じる台詞の一つ一つに、神経とニュアンスと解釈がぎっしり詰まっている。
  なんという贅沢な時間……。

  一区切り。……あ、公式サイトにアップデートver. 1.1がある。今のうちに更新しておこう。

  アンドロイドキャラだから瞬き(目パチ演出)をしないのか。

  CASE3→1→2の順番になったようだ。体験版の雰囲気からすると、キャラ→物語(人間関係)→ドラマと、社会性がウェイトを増していく順番になった感じだろうか。一番とっつきやすい順番。
  複数のストーリーがザッピングしつつ並行進行するのは、『蜜柑』を思い出した。3つのオムニバスというだけならば、『フォークソング』もある。入れ子構造の多層的物語の先例としては『ヤミと帽子と本の旅人』『長靴をはいたデコ』『Forest』などもある(※『黒の図書館』はただのバラバラな競作だったが)。そもそも、選択肢分岐等によって併存する複数のストーリーを、のちにそれら全てを夢なり時間逆転なりとして多層化して再統合しようとする発想は、まさにアダルトゲーム分野が鍛え上げてきたものだ。そう考えると、これでもやはりアダルトゲーム(あるいはアドヴェンチャーゲーム)の蓄積の中にちゃんと位置づけられる作品なのだ。本作が最終的にどのような形で3つの分枝ストーリーを位置づけるのかはまだ分からないが。
  夢のオムニバス並列といえば、そういえば『美少女万華鏡』シリーズは、まだ最後までプレイしていないままだった。

  キキの似顔絵……デフォルメイラストの可愛さは時代を超えた……。
  「ボクの可愛さが全部でてる!」

  御苑生女王とは……。

  口パクは、音声ベースの自動判別で動かしている模様。
  スクリプトで一々タイミング指定するのはさすがに大変すぎるだろう。

  音響面も素晴らしい。BGMの趣味もかなり好みだし、最も美しい場面で(旧作)主題歌の明確なインストアレンジを持ってきてそのシーンの重要性をはっきり知らせてくれる演出も、行き届いていて気持ち良い。

  シェイクスピアから8世紀ということは、史実どおりならば西暦2400年代か。
  他の箇所の記述では、2200年代あたりのようにも読めるが。


  構成としては、サブシナリオ数本が並列したうえで、それらとは独立の長大なトゥルーシナリオが出現するというタイプのようだ。このようにまとめてしまえば昔からある構成の一つではあるが、本作ならではの独自性もある。
- 入れ子構造。「夢」という形で多階層化されており、トゥルーシナリオ(基盤シナリオ)は個々のサブシナリオに対して明確にメタレベルに立つ。
- それとともに、サブシナリオの内容は、プレイヤーにとっては先に体験されるものだが、作中世界の順序としては後から形成されたものという扱いになる。
- それでいて、なかなか複雑なことに、基盤シナリオの存在が冒頭から明示されている。しかも、サブシナリオの進行中も「幕間」として定期的に差し込まれてくる。
- サブシナリオ群の展開形態も、通常のような選択肢分岐タイプではない。ゲームスタート時に、3つのサブシナリオ(の前半部分)がどの順序で提示されるかは、どうやらランダムのようだ。

  従来の作品では、サブシナリオ群は、あり得る未来の失敗した分枝として廃棄されたり、単なる夢だったとして事後的に破棄されたりする(『パンドラの夢』『黒の図書館』『マブラヴ オルタ』『神樹の館』『片恋いの月』『霞外籠逗留記』『あかときっ!』等々)。「正解」「真相」としての真のシナリオが、それらを偽のシナリオと見做して上から否定するのだ。言い換えれば、プレイヤーの体験を後からひっくり返すような、傲慢な真相としてのトゥルーシナリオが、しばしば描かれてきた。
  しかし、本作はそういう路線には行かないようだ。3つの夢のシナリオは、プレイヤーにとっても、また作中キャラクターにとっても、存在する意味のある肯定的経験として律儀に累積される。基盤シナリオも、サブシナリオと同一地平上で衝突するのではなく、夢を取り込む基盤としての現実という位置づけになっている。そういう意味で、誠実な構成だと言えるのかもしれない。

  とはいえ、その一方で、個々のサブシナリオは、必ずしもハッピーエンドではない。因習的な「めでたしめでたし」ではなく、影のある余韻を残すドラマティックな物語になっている。これは、本作の構成のおかげで可能になっているアプローチだと考えられる。すなわち:
  1) あらかじめ夢のシミュレーションであることが明示されており、その役割が見えている。それゆえ、素朴な感情移入(主人公への一体化)を放棄することができた。つまり、個々のサブシナリオでの主人公(=プレイヤーキャラ)にハッピーエンドを提供しなくてもいい。何かしらの情緒的な手応えが得られさえすれば、そのシナリオは受け入れられるものになる。
  2) いわば一本道進行であり、個々のサブシナリオは選択肢などのプレイヤーの介入行動を伴わない。つまり、「プレイヤーが上手くプレーしたことに対する褒賞としてのハッピーエンド」というゲーム観から、完全に手を切ることができた。そのため、アンビヴァレントな苦い味わいのある結末や、悲劇的側面のあるエンディング、そして別離で終わる物語を、正面から提示することができた。
  3) 付随的に、ヒロイン全員がどうやら同一の存在であるということが、プレイヤーにも察せられる。そのため、プレイヤーの意識の中で、ヒロイン間の人気の取り合いという問題が、ほぼ生じなくなるだろう。要するに、「サブシナリオのヒロインの存在がトゥルーシナリオによって破棄されるのは可哀想だと感じられる」、あるいは「サブシナリオのヒロインがトゥルーヒロインよりも可愛すぎてはバランスが崩れる」といった問題が生じない。こうしたことも、物語構成全体に(あるいは物語体験全体に)安定した土台を提供していると思われる。

  まとめると、「シナリオの全体構成」「ゲームの進行制御システム」「個々のストーリーの方向性」がきちんと噛み合っていると言うことができる。コンセプトの明確な、良い作品だと思う。

  基盤シナリオはなかなかのSFシチュエーションで、科学的設定を披露するくだりの饒舌ぶりは、90年代~00年代初頭のアダルトゲーム分野が湛えていた理工系精神を思い起こさせもする。上記のシナリオ構造のことも含めて、本作もまたアダルトゲームの歴史と蓄積の上に立っているのだと思える。

  何百年経っても、ブラは金具ホックなのか。
  何百年経っても、「はじめて用のナノマシン無痛ゴム」みたいな便利グッズは無いのか。

  日常の衣服のデザインは、ほどよく未来世界らしい説得力があると思う。基本的には現代のものであり、ポケットなどの機能的な部分もそのまま残されているが、どことなく現代ふうではない雰囲気がある。

 出雲たんが真面目な顔で登場する度に、仮想空間でのエキセントリックなアドリブ芸を思い出して笑ってしまう。作品全体に裏付けられた、長続きする笑いを仕込んでくれたものだ。

  秋本ねりね氏がいたとは。

  ひとまず本編クリア。終盤のひっくり返しはちょっと強引だった。SF設定をさらに新たなSF設定でひっくり返しているわけだから。最初から一段階縮めたかたちで構成しても良かったのでは……。キャラクターに物語設定上の都合の良い特殊な性質を過積載しているのも、居心地がよくない(エスパーで、小説書きで、アルツハイマー兆候で、超記憶キャラと付き合っていて、しかも階層問題に悩む過去があって、遊馬とも面識があって、etc.)。ともあれ、全体としてはオーソドックスで良い出来。
  後は、エピローグ→おまけシナリオで全部埋まるのかな。回想欄の空き具合からして、エピローグとおまけシナリオはアダルトシーンばかりになりそうだが。

  サブシナリオの3ヒロインもたいへん魅力的だったが、全体構成からして、真ヒロインの魅力はその3人を超えていかなければいけない。サブシナリオのヒロインに負けたら、作品全体の意味づけが瓦解してしまう。大丈夫かな……と多少心配していたのだが、みごとにやり遂げてくれた。めっちゃかわいい……。絶妙のキャラデザ、絶妙のシナリオ。それでいて、サブヒロイン3人を捨てたわけではなく、それらをしっかり取り込んだ形で物語が掬い上げてくれている。絶妙の差配。


  おまけシナリオ5本を残すところまで来た。ただし、回想モードの枠からして、たぶん5つともベッドシーン中心なんだよね……。長いアダルトシーンをプレイするのは本当に面倒で、申し訳ないけど音声もほとんどスキップするのだが、それでもまだダルい。エピローグがエロピークなのはつらい。(駄洒落御免)

  『蜜柑』→『パンドラの夢』→『BALDR FORCE』を一気に読んだような味わい。
  大ネタの釣瓶打ちを、よくやりきってくれた。

  ヒロイン人数が一人だけのタイトルは、他にもある。フルプライス級だと、『こいびとどうしですることぜんぶ』や『アステリズム』など。『EXTRAVAGANZA』も、ここに含めてよいだろうか。ダーク系でも、女性主人公ものはこれに近い形態になる(古典的な例として:『脅迫』)。しかし、これらと比べても、本作には本作独自の構造と個性がある。


  初回起動時の語りのシーンは、どうやったら再読できるんだろう?
  本編終盤で(たぶん同一テキストの)シーンが現れるから、再現は可能だけど。
  (原始的な対処としては、ユーザーがsvdtを削除or一時退避すれば見られる。)

  グラフィック面では、同じ構図をくりかえし使うことによる二重写しの効果が実に上手い。一枚絵のポージングでも(凛の見返り美人)、背景画像でも(シェイクスピアの自室)。夢のシナリオと基盤シナリオを重ね合わせるような演出として、あるいは既視感に伴われた懐かしさの表現として、機能している。これも、複数のシナリオで結局はヒロインが同一人物であるということが、演出効果に対する物語上の裏付けとなっている。上手い。

  おまけシナリオのテキストは緒乃氏かな。アダルトシーンにこんな笑いを突っ込んでくるのは、もしもサブライターだったら、よほど肝の据わった人でなければ出来ないだろう。ただし、共同執筆かもしれないし、あまり詮索しても仕方ない。過去タイトルのような艶笑成分は、ここでふんだんに提供されている。
  本編のベッドシーンは、おそらく大半がサブライターさん。キャラ造形の踏み込み具合が異なるように感じた。ただし、すももや祥子のイベントはメインライター(緒乃氏)かもしれない。

   白衣姿で遊ぶ世凪のCG差分は、一周では埋まらないようだ。3つのサブシナリオの進行順によって変わるのだとすれば、前半部分で最大6パターンを辿る必要がある。各サブシナリオが何番目に来るかで差分変化しているのであれば、それぞれ3パターンずつ見れば済むが。


  「すぐバレた。美しくない、とか言われて」の部分は、スペンサーの口調を演じるキキを演じる出雲たんを演じる春乃氏という4層構造なのか……。
 もっとも、それを言うなら、case 2の演劇(例えば『ロミオ』)のシーンも、創作物世界の中の夢の世界の中の演劇世界という3層になっている。

  本作はアダルトゲームの分野的、媒体的特質を最大限活用したタイトルだと言うこともできる。3点ほど挙げてみよう。
 1) 結局のところ本作の眼目は「読みもの」としての側面にあるわけだが、メガバイト規模の超長編をワンパッケージで買わせて一気に読ませることができるというのは、2020年現在でも、事実上、PCゲームにしか存在しない。フルプライスPC美少女ゲームのテキスト量は、ノヴェルに換算すれば8~10冊ほどのサイズになるのだが、それほどの規模のコンテンツを書き溜めておいて一気に買わせるなどということができるLNライターは、おそらく一人もいない(そんな出版社もないだろう)。漫画やアニメーションでも同様だ。しかし、アダルトゲームならば出来る。ただし、実際にはテキスト量過剰やアダルトシーン要求などの面倒な問題もあるのだが、それらを差し引いてもなおも、きわめて大きなアドヴァンテージがある。ボリュームのある内容を表現したいと考えているクリエイター(とりわけ脚本家、文筆家)にとって、アダルトゲーム(エロゲー)がいまだ希望のある領域であることを、本作は証立てていると言えるだろう。
  2) しかも、アダルトゲーム業界には、大きな資金的裏付けが無くても挑戦できる余地があるという特質もある。00年代以来、新興メーカーはしばしば流通からお金を借りて制作に取り組むという慣行があるようだ(※借りていた分は、新作のセールスで支払う)。つまり、うまくスタッフを集めて企画を通れば、当面は自費持ち出しで苦しまずに制作できるということだ。これが完全な同人であれば、貯金を切り崩して耐えしのぐか、兼業状態で制作を続けるか、あるいは分割販売で小出しにしていく必要がある。この点でも、意欲あるチャレンジャーにとって、商業アダルトPCゲーム分野には、一定以上の規模の作品を世に問うことのできる大きなチャンスがあると言える。
   3) さらに、もう一つの決定的に重要な要素として、声優による音声芝居を付けることが出来る媒体も、かなり限られている。アニメ、ドラマCD、そしてゲームくらいだ(近年では、いわゆる音声作品も一分野として成立しているが、そこには映像やテキスト表示が無い)。本作の決定的な美質の一つは、一人の声優――しかも傑出した表現技術のある声優――によって全体が演じきられているという点にある。これを敢行できる分野は、他の分野にはほとんど無い。いや、アダルトゲームですら、これほど徹底的なものはほとんど無いのだが、それでも、ワントップヒロインものや音声付きの女性主人公ものがそうした挑戦を成功させてきたという実績がある。ちなみに、『未来ラジオ』には、文字表現と音声表現のギャップを利用した演出もある(「オオゾラ」の件)。

  こうした意味において、今作『白昼夢』は、アダルトPCゲームならではの作品であり、アダルトゲームだからこそ成立し成功した企画であり、そして、美少女ゲーム分野なればこその魅力を湛えている。もしもこれがアニメ媒体だったら、これほどの規模の作品を成立させることはできなかっただろう(※一般的なアニメ1クールだと、シナリオ規模はLN2~3冊分程度しかカヴァーできない)。また、3つのサブシナリオを経由しつつ一気に本筋シナリオを読み切らせるという本作の魅力が、もしもライトノヴェル10冊に渡って数年スパンで分割販売されていたら、その構造性は破壊され、劇的な緊張感も台無しになっていただろう。また、小説形式では、神代氏による音声芝居の深みが完全に失われてしまうし、一枚絵の魅力も、背景美術や音響演出による様々な効果も、すべて無くなってしまう。

  もちろん、アダルトゲーム分野にも、あれやこれやの面倒な要求はある。例えばフルプライス商品に対するボリューム要求。「エロゲー」としての濡れ場要求。美少女ゲームならではの萌え充足の要求。等々。本作もそうした因習的諸要求から完全に自由になっているわけではないのだが、しかし、そうした慣例を打破しようとする挑戦もふんだんに含まれている。例えば、case 2の男性率の高さ。case 2やcase 3では、ヒロインが経験済みであること。case 1やcase 2では、美少女キャラを大量にばらまくことをせず、ほぼメインヒロイン一人だけに集中していること。case 1では40代既婚男性を主人公に据えてみせたこと。case 2では、非学園もの、歴史ものでストーリーを展開していること。等々、等々。一ユーザーとしては、Laplacianのそういう挑戦はたいへん嬉しい。つまり、アダルトゲームの分野的可能性を広げてみせてくれたという意味でも、本作は本当に貴重な存在だ。
  ただし、制作者にとっては、上記のような要求は、制作上の面倒な制約だったかもしれない。「美少女をたくさん出せ」「毒にも薬にもならない安逸のコメディ空間をたっぷり描け」「キャラクター個性に反してでも、様々なタイプの濃厚なベッドシーンを十分に提供せよ」といったような主流派的スタイルを、彼等はアダルトゲーム業界の問題点と捉えているかもしれない。一ユーザーとして言えば、私はそれに対して両義的な姿勢にならざるを得ない。様々なタイプのヒロインが入り交じる華やかな日常シーンをたっぷり提供されるのは、確かにそれはそれで楽しいからだ。しかし、それだけではつまらないということも理解している。だから、受けの良い主流派スタイル――第1作『キミトユメミシ』が従っていたような――を敢然と手放して今作のような挑戦に取り組んでくれたことも大きく歓迎するし、それが報われてほしいと強く願うし、そうした様々な方向性がアダルトゲーム分野でもっともっと開かれていってほしいと思う(そしてもちろん、支持と応援の1本分は予約購入した)。


  このブランドの男性キャラはかなり好み(性格、外見ともに)。女性ユーザーへの受けも良いだろうし、男性ユーザーにも受け入れられやすいだろう。男性キャラは、体格差からして女性キャラの立ち絵と並べるのが難しいが、その点でもこのブランドは上手くやっている部類だと思う。特に男性友人キャラが主人公に対して物わかりが良すぎるというご都合主義的傾向はあるが、欠点というほどではない。中高年男性キャラも良い。程良い年齢感が表現されているし、塗りも甘すぎずクドすぎずでバランスが取れている(※メーカーによっては、まるで女性キャラのようにヌメッとした老人立ち絵だったり、あるいは逆に、くすんだ色に塗りすぎてヒロインキャラと並べると画面内のバランスが崩れたりするものがある)。

  登場人物の男女比。
  case 1の主要キャラでは、男性は主人公と同僚教師渡辺の2人(+故人の秋房と、不倫相手の作家。バイト先のスペンサー[仮]も言及されていたが)。女性はヒロインと妻の2人。ヒロインの母親にも言及されていたが、登場はしていない。『キミトユメミシ』の東条七ノ羽とおぼしきキャラも、図書館シーンのテキストでひそかに言及されていた。
  case 2は、名前のある女性キャラはヒロインと女王だけ。スペンサー放蕩の一枚絵にも描かれていたが。男性キャラは多数。名前がある特定個人としては、主人公を含めて8人? スペンサー邸の執事や街の悪徳警吏などもいたか。
  case 3は、母親(故人)とサブ学生(一枚絵ありのキキもどき)を含めれば女性は4人。男性は主人公、父親、スペンサー、サブ教師(立ち絵無し)の4人かな。キャンプ場の管理人もいたか。『未来ラジオ』の登場人物への言及もある。
  case 0は、女性キャラはヒロイン、母親、里桜(故人)の3人+出雲(ロボ)。男性は主人公、労働者男性(無名だが立ち絵のあるロブもどき)、シャチ、遊馬、入麻で5人かな。リープくん(ロボ)も立ち絵あり。


   これまでLaplacianに注目してきたのは「声優陣が良いから」「SFだから」の2点が大きかった。過去3タイトルもそれぞれに良い出来だったが、今作ではキャスティングとSF要素のどちらも十分満足できるものになった。素晴らしい作品に、大いに感謝している。

パッケージは、大型のB5判で揃えられている。『ニュートンと~』以降は正面のパッケージアートが横長レイアウトなのも好み。今後とも楽しい作品作りを積み重ねていってほしい。