2021/04/30

2021年4月の雑記

 2021年4月の雑記。(→5月3月

「ねんどろいど:西木野真姫」。今月の一枚はこのあたりで。ねんどろいどの写真は昨年11月にも出したばかりだが、可愛いから良しとしよう。


 04/28(Wed)

 木箱パッケージで知られるフェアリーテールの『時の森の物語』って、「ウィーンの森の物語」のもじりだよね、というのを唐突に思い出した。「ウィーン~」の方は超有名なクラシック作品だし、たぶん偶然の一致ではなく意識して付けたものだろう。


 今日は大量の買い物をしてきた。
 「月末」+「久しぶりの外出」+「次はかなり先になるかも(危険なので長時間の外出は極力控えたい)」という条件が重なって、レジ袋とバッグ合わせて6つ分も買い込んできた。大きな袋を両肩に提げて歩き回る、これぞまさにオタクルック。まさにオタクの法悦境。
 一日の買い物としては、これまでの人生で最大ボリュームかもしれない。ポンバ買い出しのときよりも多いと思う。ただし、プライズフィギュアなどサイズの大きなものが多く、重量と出費はそれほどでもない……と思う、た、たぶん……。

 ただし、今週末のPCゲーム新作がまだ控えている。今月の出費はどうなることか……わたし、じぶんの かけいぼが こわい!
 
 関西は本当に危険だから、外出は極力控えたいのだが、さすがにゼロというわけにもいかない。さまざまなお店が休業しているが、オタク系ショップはわりとどこも開店している。喜んでよいのかどうか、なんとも難しいところだが……。

 しかし明日の授業準備が出来ていないので、今日はまだ遊べないのだった。買ってきたフィギュアを開封したり、ゲームのパッケージやプラモデルのランナー構成をひとしきり眺めたりするくらいで我慢しなければならない。

 ひとまずゲームリストと模型リストには記録しておいた。
 ゲームのコンプリート率はずっと低いままだが、プラモデルの制作率はなんとか75%以上を維持している。ロボットプラモなどは無塗装で組んでしまうことも多いが、全体としては過半数をちゃんと塗装制作しているので、まあ良しとしよう。
 
 アダルトゲーム分野では、プレイしたタイトルは基本的にコンプリートする(つまり全ルートをプレイし、CGや回想も100%にする)ようにしている。プレイ済みタイトルの約85%がコンプリートで、15%は一部のみで放棄した(※少なくとも一つ以上のエンディングに到達したもの)。まあ、『空帝戦騎』のように似たり寄ったりのダルいSLGマップを何度も周回させられるタイトルにまで、生真面目に付き合う必要は無かろう。
 コンプリートせず、一部のルートだけで止めてしまう「つまみ食い」プレイは、むしろ昔のタイトルの方が多かった。手許のデータを見ると、2006年以降のタイトルは、いったん着手したらほとんどがコンプリートまでプレイしている。00年代初頭あたりまでのタイトルは、分岐が不明瞭だったり、システムが重かったり、UIが不親切だったり、バグがあったりで、コンプリートが難しかったという事情もあるが。複数ライター間のすり合わせが為されておらず、シナリオごとの出来不出来のばらつきが激しいということも多かった。言い換えれば、00年代半ば以降のアダルトゲームは、クオリティが劇的に向上し、そしてクオリティコントロールが非常に安定していると言ってよい。

 プライズフィギュアのパッケージや、制作済プラモデルの箱は、どんどん捨てている。これは仕方ないだろう。念のため、組立説明書くらいは、嵩張らないのでまとめて保管しているが。

 ゲームのパッケージは、基本的にちゃんと保管している。アダルトゲームの箱は大きくなりがちなので、あるとき、大量に解体して平たく潰したことがある。しかし:
- 一々開いていく作業が面倒。
- 平たくしてしまうと、もう取り出せない。
- 00年代後半以降は、潰しにくい形状の箱が増えた。
といった事情から、結局は箱のまま保管していくようになった。

 内箱にカラー印刷の筒状スリーブを被せた簡素なパッケージ(要するに箱の上下が真っ白なアレ)は、00年代後半以降のフルプライス級アダルトゲームのパッケでは、ほぼ絶滅したと思う。現在の主流は、「硬めの厚紙によるきれいなキャラメル箱(と内箱):主に黒箱系」と、「箱とフタが一体になっている(本のように開く)頑丈なワンピース箱:主に白箱系」の2種類。ロープライスでは、DVDと同じトールケースが主流。ういんどみるのような「貼箱(印籠型)」なども、たまにある。

 多脚メカ好きなので、BANDAIの「ジャガーノート(汎用機)」も買ってきた。開封してみると、スライド金型もたくさん使っているし、パーツ分割もわりと細かい。けっこう真面目に作ってある感じで好印象。原作小説は今一つだったし、アニメも見ていないが。

 創彩「小鳥遊暦」については、ひとまず眼鏡パーツの出来具合を確認して満足した。フレーム部分も一体のワンパーツで、ツル(テンプル)を折り畳んだ形のものも入っている。眼鏡パーツは全部で4つ入っているので、他のキャラクターにも流用できるだろう。

 今日買ってきたものを、どこに仕舞おうか……どこに、いったいどこか……うーん、よし、ひとまず机の下(足元)に積んでおいて、後でなんとかしよう。(なにかのフラグ)


 『終末のイゼッタ』を再視聴しているのだが……BD第5巻のカバーイラストに眼鏡度入り表現があるじゃないか! 調べてみると、イラストはアニメーターの山下祐氏とのこと。というわけで度入りイラストレーターに加筆。偉大な眼鏡クリエイター諸氏のお名前はすでに70名を超えた。昨年11月時点で60人だったから、平均して月に2人ほど発見しているペース。
 
 『イゼッタ』には「美しき青きドナウ」(6話)や「魔笛」(1話)の曲が使われている。それを聴いてしまったせいで、今日はずっと「ドナウ」のワルツのメロディが頭の中を回っている。
 
 シチュエーションとしては、「第二次大戦に魔女(魔法少女)を持ち込んだら」という仮想戦記の側面もある作品だが、わりと素直に楽しむこととができた。また、全話脚本の吉野氏が言及しているように、「ルリタニア・テーマ」的状況設定でもある。
 政治(外交交渉)の次元を真面目に描いてくれたのも好印象。魔女の存在を、戦場での勝ち負けの次元だけでなく、外交の次元にも深く絡めてドラマを展開しているのが素晴らしい。複雑になりがちな政治劇を一クールアニメで扱いきれたのは、史実のWWIIという補助線を活用できたおかげもあるが、脚本がきちんと作られているのは確かだ。
 魔女伝説を中盤以降で一捻りも二捻りもして、物語の意味づけを大きく変化させていく。同じ吉野氏脚本の『ソラノヲト』でも活用された重層的な表現だが、変化の明快さは『イゼッタ』の方が洗練されている。
 
 終盤の空中戦で軍用車(ヴィルベルヴィント)をバンバン投げつけるシーンは、『グラディウスIII』のキューブラッシュを思い出した。あるいは、敵の兵器を魔力で捕獲してはぶん投げるという意味では、STG『エグゼリカ』も連想する。
 
 リッケルトくんの可愛さも良い。
 
 劇伴もユニーク。民俗音楽調を大胆に取り入れた個性の強いBGMというと、『シムーン』を思い出す。TVアニメとしてはかなり珍しいアプローチだと思う。中欧的なエキゾティシズムを活用した劇伴というと、『狼と香辛料』シリーズもある。

 ……あ。雨宮氏は、「あめみや・てん」と思い込んでいたが、「あまみや・そら」さんと読むのか。この方のことは、出演作を聴いたことがほとんど無いのでよく分からないが、『イゼッタ』のゾフィー役は十二分の出来だったと思う。
 『イゼッタ』は特に男性陣がやたら豪華で聴きごたえがある中で、主演の早見沙織氏も名演を披露されていた。端正で、誠実で、柔和で、情感豊かで、悲壮で、そして貪欲に掘り下げた芝居。最終話の演説も、めったに聴けないレベルの名演。BDオーディオコメンタリーによれば、一度はOKテイクになったものを、「あと一匙、まだ行ける、というか欲しい」と感じた早見氏がリテイクを(珍しく)自己申告して、そしてさらに上の境地にまで演じきられたという。冷静な音響監督にまで涙させる表現というのは、そうそうあるものではないだろう。



 04/22(Thu)

 今月の新作は、本当に素晴らしいキャスティングの作品がいくつもある。そう、これ、これだよ、私が求めているのは……。『シアンブルー』には波奈束氏が出演されるし、マニアックな趣向の『性格最悪のナース』には一色氏、神代氏、海原氏というとんでもない顔触れが並んでいたりする。若手では、歌謡曲の人(仮)も2本出演されている。こういう最高級の役者がたくんさ出演されているのが、00年代以来のアダルトゲームだったんだよ。こうじゃなきゃいけないんだよ。これこそが幸せなんだよ……。キャスト情報を見るだけで感動に身が震える。
 イロモノ枠では、『魔闘士マイヤ』から目が離せない。さすがのわるきゅ~れ。

 あっ、『奮闘記:弐』は今週末発売だったか。getchuでは同人枠なので見逃していた。どうしようもないマンネリシリーズではあるけれど、せっかくの蒼依ハル氏主演作品だから買おうかねえ。


 「プララジ」(っぽいラジオ)はやってくれないのかなあ……。『星詠み』が7月末の発売だから、5月半ばから始めて週一更新だと、ちょうど10回で発売日を祝えるタイミングになるのだが。プララジ#33での、青山氏の「また生存報告に来るよ」の約束を果たさせて下さい……。


 作業の効率化はうまくいったが、それでも作業総量は例年よりも多いので、体力がかなり削られる。それでも日々の遊びは楽しくやれているが。


 十年ぶりくらいに『エイリアン』(第1作)をじっくり観た。怖すぎてずっと再視聴できずにいたが、ようやく悪夢に正面から向き合うことができた(←リプリーの真似)。
 影と光が激しく交錯する巨大構造物の中を追い立てられる切迫感は秀逸で見応えがある。なかでもブレットがネコを探すシーンは抜群に美しく、そして怖ろしい。カメラワークも、たまに粘っこい長回しがあったり人物をグルリと一周したりして面白い。ただし、ディレクターズカット版の描写(ダラスの末期など)は蛇足だと思うので、個人的には最初の劇場公開版の方が好み。

 ダラスたちの最期は、小説版にもあったと思う。しかし映画のDC版では、リプリーが必死で走り回るスピード感のあるシークエンスの中に、いきなり立ち止まって壁をじろじろ眺める悠長な場面が挿入されるので、明らかに映像の流れが破壊されて緊張感を削いでしまっている。
 ランバートがリプリーを叩く追加カットにも疑問がある。この時点ではクルーの間の対立不和を強調する意味は薄れている。また、ここで視聴者の意識は、エイリアンに取り付かれたケインの状態に集中しているのに、それを攪乱してしまう。そもそもランバートは愚痴り屋なだけの受動的な人物なので、この追加シーンで同僚に掴みかかるのはかなり浮いている。不要だと思う。
 ブレットが殺された後のシーンで、どうしてリプリーたちがエイリアンのサイズを知っているのかという問題がある。そのためDC版では追加シーンとして、運び去れるブレットをリプリーたちが目撃するカットが挿入されている。しかし、不自然なタイミングでリプリーたちがいきなり現れるため、いかにも説明的で、言い訳めいている。また、ブレットの死の悲劇的な余韻も失われてしまう。これも蛇足だろう。
 ちなみに、マザーコンピュータ室にいきなりアッシュが現れたように見えるのは、不気味さと衝撃の演出としてアリだと思う。DC版でもそのままになっている。リプリーがいつの間にか鼻血を流しているのも、(実は編集上カットされたシーンとの兼ね合いらしいが)状況の異様さと危機感を示唆する表現として受け止められる。

 ネコのジョーンズは、おどかし役として活躍させすぎなので、好きではない。しかし、中盤以降でリプリーの迷える心のありかのような使い方にシフトしていき、作品に深みを与えている。緊急爆破準備の最中にネコを探し始めるのは、リアリスティックに考えればおかしな行動なのだが、それによって表現されているものは確かにあるのだ。

 ノストロモ号のフィギュア(食玩?)を持っている筈だが、自宅のどこかに埋もれたまま。web検索してみると、おそらく「コナミ SFムービーセレクション エイリアン」シリーズのもの。

 動く物体の存在を「空気の密度の変化」で探知するというけれど、気密ドアの奥やロッカーの中まで探知できるのはおかしいよね……。


 評判の良いアニメ作品でも、メインキャストが新人大根揃いだと第1話すら視聴しきれずに止めてしまう。映像では明らかにここで雰囲気が切り替わっているのに芝居のテンポはそのまま……とか、キャラクターはこういう動きをしながら喋っているのに芝居は平板なまま……とか、明らかに台詞の意味を取り違えている(※これは音響監督の責任でもあるが)……とか、発声が奇妙に上擦ってたいへん聞き苦しい……とか。それに、養成所などできちんと訓練してきている筈なのに明らかに舌が回っていない(というか、そもそも芝居が死んでいる)のもよくある。どうしてこんなにひどい状況になってしまったのか……。
 誰にでも最初はあるし、場数を踏んで成長することはあるし、常に新たな世代を育てていかなければジャンルが先細りするというのもある。しかし、だからといってここまで退屈なジャリ新人まみれの世界に、一視聴者が付き合わねばならない義理は無い。というわけで、私は今後ともアニメファンにはならないと思う。たまに新作の1話を視聴してみても、気の抜けた芝居ばかりですぐに切るというのがずっと続いている。
 十年くらい前までは、デビューしたての新人声優でも、オーディションを勝ち抜いて表舞台に出てくる方々は、本当に生命の宿った芝居をしていたし、それぞれに際立った個性が聴き取れた。そういう輝きが乏しくなっているのは、そもそも声優個々人の問題だけでなく、声優養成システムと各作品のキャスティング過程に大きな問題が生じているのではないかという疑念も出てくる。実際、サブキャラには30代以上の実力を高く評価されている中堅声優が並んでいることが多いので、メインキャスト(特に女性キャラ)に新人を並べるという意図的な選別が横行しているのは確かだろう(※特に舞台出演とのセットだと、声優プロパーとしてのクオリティは大きく落ちる)。
 メインキャストでも、「あれっ、このキャラはやけに芯のある発声で、台詞の意味づけもしっかり咀嚼されている、これは良いな」と思って後で調べたら、30代以上の中堅声優さんだった……ということがある。つまり、私の耳がおかしいわけではない筈だ。また、当然ながら、若手声優の中にも鮮烈で深みのある芝居を披露されている方が何人もいる。しかし、「若手の平均水準はここ十年、急落している」、「にもかかわらず、メイン級は新人の比率が高すぎる」、「結果として、聴くに堪えないアニメが激増している」というのが私の感想だ。悲しい。


 Ci-enのチップって、誰から送られたかが受取側には分からないのか。
 よし、それならシャイな私でも、安心していろいろ送れるな!
 (今回は新作制作のご報告に対するお祝いだっただけで、普段はしないと思うけど。)


 『鬼神楽』系統のタイトルは何故出てこないのか。以前にも書いたが:
- 権利問題ではない筈。現在でも、でぼ/e.go!がDL販売している。
- 制作サイドの好き嫌いでもないと思う。そんなに嫌われる要因も無い筈だ。
- 内容面の問題も無い筈。シリアス強めだが、カニバ描写もごく控えめで、かなりの秀作だ。『黎明記』だと、うづきが銃器を拾いまくることになるが、その程度は問題ないだろう。素手で謎の遠距離攻撃をする小春&ナツ様が罷り通っているくらいだし。
- うづき役の声優さんが引退しているようなのだが、それに拘っているのだろうか? でぼ/e.go!はキャスト維持を守ってくれているが、さすかに引退(?)のような事情があっても元キャスト維持に固執することはあるまい。なお、かんな役とイチ様役は現役なので大丈夫。
 
 結局、まるで想像できない。このぶんだと、月神楽や花筵譚の黎明記は出そうだが。


 「胃~之煮:駄宴」の概要記事が完成。内容面では、なかなか良いシーズンでした。


 ここのところ本格的なモデリングをしていなかったせいか、模型制作欲が激しく湧き上がってきた。しかし自宅を見回しても、ちょうど手頃な未制作キットが無い……。手の掛かるスケールモデルのキットはいくつも積んでいるが、それ以外は買う端からどんどん組んでいるので、「気晴らしのモデリング」に適したものが無い。これは盲点だった。しかし、買いに行くのも憚られる状況だし……。ディープストライカーあたりを買っちゃおうかな(※置き場は? 置き場はどうするの!?)。
 ロボット模型をポチポチ組むのは、気分転換にちょうど良いんだよね。新しいキットは組みやすさにも配慮されているので、ストレスなく「手作業で何かを作り上げる」という体験ができる。しかも、下は300円から上は1万円以上まで商品のヴァラエティが豊富なので、パーツ数などを目安に適した制作規模のものを選べる。
 
 パーツ数の観点ではAVFや艦船の方が圧倒的に多いのだが、そちらは:
- 非常にデリケートなパーツが多いので、組み立てにストレスが掛かる。
- 金属パーツなどの異素材もあるので、ツールの使い分けなどが面倒になる。
- 無塗装で組み立てただけでは、完成状態での面白味が乏しい。
といった難点があるので、カジュアルなモデリング遊びには向かない。

 ただし、全てクリアパーツの「スケルトン赤城」のように、無塗装でも楽しめる特殊なキットもある。あるいは、無塗装+シールだけでだいたいの色再現が出来る「特easy」シリーズとか、SD形態のデフォルメキットとか。そういったキットは、スケールモデル入門としても適していると思う(※スケルトン赤城は、まさに私自身の実体験でもある)。

 ゲームはほぼ毎日プレイしているが、最近は言葉でのアウトプットに結びついていない。もっとも、ゲームはあくまで私自身の楽しみのための活動なので、アウトプットは無いなら無いで構わないというつもりでいる。良い刺激があれば、何かしら書きたくなってくるだろうし。


 ダウンロード販売やサブスク配信のされていない美少女ゲームの希望投票。単語を入れると『きゃんきゃんバニー』シリーズや『Dearest Vampire』『days innocent』『スタープラチナ』まで候補に出てくるのは、なかなかすごい。どこのデータベースを使っているんだろう?
 
 『days innocent』は、今プレイするとかなり大変だろうけどね……。
 『終ノ空』は、macromediaのエンジンを使っていたので、移植作業は面倒になりそう。
 『パンドラの夢』はオンライン再販売されていないのか。大波氏初期の代表作。
 ここで候補に出てこないということは、『Piaキャロ』も『BE-YOND』も『WoRKs DoLL』もどこかでDL販売またはSS配信されているのか。そちらはそちらですごいなあ。

 というわけで、『days innocent』に投票してみた。無茶な要望をしてごめん……。



 04/16(Fri)

 よし、決めた! うちにいるフィギュアやガールプラモやドールは全員ボクっ娘!
 そういう目で鑑賞すると、彼女たちがさらに、もっと、いよいよ、可愛く見えてくる。
 というか、この自宅の環境、可愛いボクっ娘たちに囲まれて、これは天国なのでは?


 内外の事情でいろいろ苦労されていたようだが、旧SHCの制作スタッフの方々も再集合して(おそらく制作用の事務所を借りて)作業をされているとのこと。ひとまず順調なようでなにより。
 「あのキャラとあのキャラの絡み」とは……ミダリ&シッポかな?
 
 新作のご報告をいただいた記念として、試しに「チップ」を贈ってみた。ちょっとおいしいものを食べていただければと思う。私はシャイなのでコメントは何も書けなかったが、うーん、礼儀として何か一言書くべきだったかもしれない。


 「胃~之煮:駄宴」の概要記事は、時間の空きを見つけて適当に進めている。この「駄宴」シーズンは、西垣氏邸での長尺収録を初めとして、リラックスしてポジティヴな雰囲気があるし、トークの密度も高い。笹島氏の欠席や感染症による中断もあったが、全体としては内容の濃い、非常に良いシーズンだと思う。


 『planetarian』(アニメ版)は、何度視聴しても私の感想は同じようなところに収まる。泣かせる脚本は私の好みからは程遠いし、構成や演出もあまり上手くない。しかし、廃墟風景、多脚戦車、雨アニメ、天文ネタ、内部露出、ロボット三原則といった趣向は楽しい。そして、なにより素晴らしいのは、主演のすずきけいこ氏。登場人物がほぼ2人のみに限定される本作で、約90分の大半を喋りまくるキャラクターなのだが、感情のないロボットという非常に難しい役どころにもかかわらず、深い説得力がある。完璧をさらに超えた高みに到達している、感動的な芝居だ。そうそう何度も聴くものではないが、数年に一度くらいじっくり視聴すると、その都度大きな満足が得られる。
 ちなみに、佐藤利奈氏も出演している。先述のようにサブキャラの出番は非常に少ないが、そうした中でも物語をきちんと引き締めつつ、柔らかな彩りを作品に加えてくれている。


 Escu:de新作は、いつもの間繋ぎエロコメAVGかと思いきや、SLGになるのか。とはいえ、AVGにちょっとした進行制御システムを組み込むだけでもSLGと称する場合はあるが。
 原画陣は外注と思われる。こちらもいつも通り、実力と人気のあるクリエイターをきちんと選んで起用している。かなり画風の異なる4人だが、着彩レベルで統一を図るのだろう。


 一昔前の白箱系でも、どうしてわざわざネガティヴな問題を発生させるのかと不平をこぼしたくなることはある。もっとポジティヴに、例えばヒロインの夢を実現させるように協力するとか、ヒロインの思い出の場所を探すとかで良いのに。
 問題解決型の個別シナリオは、おそらく元々は、1)ヒロインの内面(アイデンティティ)のデリカシーに近付く描写、2)恋人として付き合ううえでの障害を乗り越える展開、3)山あり谷ありの劇的要素の導入、といった目的があったのだろう。背景としては、90年代末~00年代初頭のメランコリー志向(※)も影響していたのだろう。
 しかし、1)に関しては、ヒロインの内面造形は個別のドラマに頼らなくてもよくなってきた。前半の充実した共通パートの中で、ヒロインの性格描写は十分に展開できる。また、そもそもキャラクターの性格表現の仕方が、昔のような「属性」ベースのパターン化したものではなく、主要キャラクターたちの間の人間関係の中で形成させる、関係的な造形にシフトしている。
 2)に関しても、ヒロインルートが確定してからは、わりと早い段階から恋人付き合いを始めるようになっている(※というか、共通パートの山場=ヒロイン確定=初体験までがセットになっている場合もある)。なので、ヒロインと付き合う「ための」障害という次元はすでに通り過ぎている。
 3)に関しては、べつに悲劇でなくてもいい。先に述べたように、ポジティヴな劇的展開も、当然作ることができる。
 こういうわけで、ヒロイン個別シナリオにいちいち悲劇的展開を持ち込むのは、00年代以来の因習を無反省に引きずっているだけのように見えることがある。もうちょっと上手くやれるんじゃないの、もっと楽しくやっていいんじゃないの、と思う。

 ※――以前も書いたが、露骨に悲劇性を煽り立てるいわゆる「泣きゲー」路線は、実は非常に少なかった。ヒロインの生き死にのような問題で大騒ぎするようなストーリーは、案外少ない。その一方、「鬱ゲー」と呼ばれるものの射程は非常に広かった。「鬱ゲー」と名指しされてきた、プレイヤーを落ち込ませるような悲惨な展開を持つごく一部のタイトルだけではない。不幸や困難とその解決のドラマを基調とする、悲愴でしめやかな雰囲気は、00年代前半頃の白箱系タイトルでも好んで扱われていた。そして、困難や障害を発生させる憂鬱志向は、アダルトゲーム(白箱系)の中では2021年現在まで、底流的ムードとして脈々と続いているように思われる。
 ちなみに、ここで「泣きゲー」「(広義の)鬱ゲー」の区分は、前者がヒロインのの生死のような運命的で絶対的な不幸や、あるいはヒロインを救うための情緒的なジレンマ状況を扱うのに対して、後者は世界の破滅のようなドラマティックな困難や、家族との対立のような社会的問題――いずれも解決の可能性がある――を扱うものとして捉えている。

 いわゆる「泣きゲー」や「鬱ゲー」は、当時あれほど活発に語られていたのに、結局それらの歴史的総括は誰もやらないままになってしまった。いや、私の知らないところで誰かが丁寧に論じてくれているかもしれないけど。私個人としては、上記のように考えている。


 『星詠み』は期待しているのだが、どうも片桐氏の絵が……。両目を見開きすぎていて、目の表情が死んでおり、かなり不気味に見えてしまう。大丈夫かなあ……。


 『のんびり農家』は単行本も巻を重ねているのに、いまだにアニメ化の動きが出て来ないということは、やらないつもりなのかな。原作者の意向とか、映像での表現が難しいとか、いろいろな事情があり得るだろう。とはいえ、アニメ化されても見るかどうかは分からないけど(※友永さんや幡宮さんや氷青さんやミルノさんが出演されるかどうかで判断することになりそう)。
 脚本面で見ると、以前にも書いたように、原作第2巻まででちょうど区切りが良いのだけどね。そこからは、長大な洞窟探索をしたり、温泉や空中城に行ったり、出店パートになったりして、落ち着きがなくなる。


 ジャンバラヤときくと、いつも『おまたせ!雀バラや♪』を思い出してしまう私の脳髄……。
 ちなみに、麻雀部分がろくに機能しないバグゲーとして(のみ)有名。
 同様に、トルティーヤというと『祝福のカンパネラ』のトルティア姉妹を思い出す。
 どちらもスペイン語由来のようだが、jambalayaとtortillaで「~ヤ」の部分の綴りは異なる。

 なお、ジャンバラヤはエビが入っていることがあるので、エビカニアレルギーの人は要注意。


 LYCEEって、まだやっているのか! すごいな!



 04/11(Sun)

 新年度の始まりはさすがに忙しく、おかげでこの雑記欄の日付更新が「日」記ではなく「旬」記になってしまった。


 ねんどろいどは、まあまあ可愛いのだけど、写真に撮るとふっくらした立体感が消えて平板な印象になりがちなのが少々もったいない。いや、私の写真の腕が拙いせいでもあるけれど。


 「胃~之煮」概要記事の加筆も、そろそろ手を付けるか。ちょうど丸一年分溜まっていたので、良い頃合いだろう。
 というわけで、ひとまず7回分ほどこなしてみた。こんな感じで良かったかなあ。一年前まではtwttrの発言を遡って確認することも出来たが、何年も寝かせてしまったら発言を辿ることが不可能になってしまいそうだ。
 サウンド不要のSLGをプレイしながら「胃~之煮」を聴き返しているのだが、ついつい概要編集を忘れてしまい、頻繁にシークを戻す羽目になる。


 壱智村氏がひとまず最後のご出演。
 今後も、みなさんがそれぞれ幸せに人生を楽しんでゆかれることを願いたい。


 立体パズル「キャスト・ドット」は予想どおりの仕組みで、1~2分で解けてしまった。味気ない。パズルとしてはあまりにも凡庸で、並の知恵の輪よりもはるかに詰まらない。
 ただし、しかし、構造としてはちょっと面白い。ほぼ同形の平面的な2パーツ同士を組み合わせてパズルを作っているのが、なかなか興味深い。基本的には点対称なのだが、黒側と銀側で動きが微妙に異なる。
 紛れルートの存在を含めて、いろいろガチャガチャ動かせるので、初心者に遊んでもらう最初の一個としてはありかも。変化のパターンは限定されているので、しっちゃかめっちゃかの大混乱になってしまうおそれは無く、安全に楽しめるだろう。
 
 「キャスト・バロック」に似ているなあと思ったら、同じ作者(Akio Yamamoto氏)のようだ。


 【 アニメ雑感:00年代~10年代 】
 
 10年代のアニメでは、やっぱり『ソラノヲト』(2010)が一番好き。滋味のあるキャスティングは、小林氏の渋く絞ったウィスパーヴォイスから、デビューしたての金元氏の清新な演技、そして福圓氏の真率きわまりない芝居、そしてサブキャラにも京田氏や石塚氏といった名優を起用する分厚さで、たいへん聴き応えがある。
 SF的舞台設定も刺激的だし、背景美術も美しい。脚本は余裕のあるユーモアに満ちているし、また、倫理的な清らかさもある。神戸監督ほかによるコンテ演出もたいへん巧みだ。情緒ある雨天シーンが頻出するのも嬉しい(1、2、4、8、9話)。部隊の中核にある筈の超技術多脚戦車が、中盤まではずっと整備中でまったく戦いもせず、後半の活躍シーンも、災害救助のためにワイヤーを射出するだけだったりする。最終話でも、超技術の見せ場は主として自重軽減(!)の力場発生くらいで、なんとも微笑ましい。
 そしてなにより、劇伴が心地良い。たまらない。

 構成も良い。第1話は、主人公の「迷う」という性格造形によって駆動しつつ、舞台となる街を自然に紹介していき、さらにそれを祭の行事と絡めることによって美しく賑やかに彩り、しかもその祭の伝承が作品の背景設定と密接に関連しているという凝りよう。それでいて、全体は無理なくきれいにまとまっている。モノローグの多用も、小林ゆう氏の心のこもった芝居で、しっかりと聴かせてくれる。コンテは神戸監督本人。
 第2話については、以前に書いたので割愛するが、一つの建物を探索するだけの話なのに、やたら面白い。第3話は、リオに焦点を当てることで、この二人のキャラクターを中心とする一種のツイン主人公であることが明示される。カナタが疲労で倒れたというだけの、いわば些細な出来事なのだが、キャラクターの心理の襞に触れるきわめてデリケートな事件になっている。メインテーマ(物語の主題としても、音楽上の意味でも)が、ここであらためて正式に提示される。
 第4話は、街の周囲の広がりと人間関係の広がりを楽しませつつ、主人公の成長、そしてノエルの個性、多脚戦車の機能など、様々なネタが用意されている。朝焼けの空に広がる爽やかなティルト演出が美しい。そして第5話は、夏服に替えた開放的な雰囲気になり、ユーモラスな行軍訓練の回と見えて、しかし終盤には世界設定の悲劇的側面を静かに突きつけるという劇的な話数でもある(ちなみに、一種の温泉回でもある)。
 第6話は、ある一日を、AパートとBパートで別の視点から追っていくというトリッキーな構成。前半はコメディ回だが、後半は神戸監督お得意(?)のウェットな情緒に満ちた展開になる。ユミナ役を演じる福圓氏の芝居は、この回も素晴らしい。第8話は、いわば主人公がトイレを我慢するだけの回なのだが、様々な演出を取り込んでいて飽きさせない。
 その間の第7話は名作。作中世界の背景設定に触れつつ、その過去の悲劇と、本編時点の夏の物悲しい雰囲気と、そしてこれから訪れる崩壊への予感と、今回フィーチャーされるフィリシア個人の過去の喪失体験、そしてさらに日本の視聴者が感じる「敗戦の季節」と「亡霊たちの季節(つまりお盆)」、これらを静謐に描き出している。フィリシア役の遠藤氏の芝居も、悲壮さと柔和さを兼ね備えつつ、その振れ幅を絶妙にコントロールしている。神戸監督の『エルフェンリート』も思い出す。
 第9話は秋の台風災害に見舞われるドラマティックな回だが、話のスケールは「子供の作ったナス畑を救う」というもの。いたずらに大袈裟にせず、地に足の付いたパースペクティヴで、視聴者を引き込む。ストーリー上の結着も、クレハが「虚像」への憧れを捨てて正面から「実像」への敬意を持つようになったというもので、その倫理的なまでの潔さは心を打つ。第10話は、状況設定がいささか作為的にも感じられてあまり好みではなかったが、リオの母親に重ね合わせた描写として、そしてリオを決心に導いて状況を決定的に変化させる回として十分な重みがある。冬の雪景色を迷妄表現から幻想性表現まで活用しており、終盤の悲劇的な盛り上がりも、劇伴と巧みに絡み合ってさすがの出来。ちなみに、全12話でちょうど丸一年という構成になっており、話数ごとの季節感も巧みに織り込まれている。
 第11話は、ドイツ語会話から悪役の登場からフィリシアのエロ台詞からノエルの恐慌まで、とにかく忙しい。内容もたいへん重たい。そして最終話(第12話)は、日本アニメお得意のカタストロフへの緊張感に満ちて、蜘蛛型多脚戦車タケミカヅチをようやく本格起動させつつ、最後はメインテーマによって温かく結着させる。エピローグは再び春の季節に戻り、桜の美しさと寂寥感の中に物語を締め括る。なお、番外編として7.5話と13話もある。

 というわけで、先週たまたまこの作品を思い出すきっかけがあったので、再視聴していた。

 非-アニメオタクの大雑把な印象論だが、10年代は前半(2010~2013年頃)に面白いものが多かったと感じる。10年代半ば以降は、メディアミックスの常態化のせいで中途半端なつまみ食いで終わってしまう作品が増えたし、個性の乏しい若手声優ばかりで辟易することが多かった。一話ごとに大量の声優が出演して収拾が付かなくなる悪弊は、10年代初頭の頃には始まっていたが(例えば2011/2012年の『境界線上のホライゾン』)。

 00年代だと、『シムーン』(2006)をもう一度視聴したいのだけど、つらくてなかなか決心が付かない。DVDボックスを持っているが、たまにパッケージの背中を見つけてては嘆息するばかり。

 アダルトゲーム原作ものだと、『ヨスガノソラ』(2010)が映像演出として突出して素晴らしい。セクシャルな表現も地上波アニメとしては突出しているが。それから、力作『蒼の彼方のフォーリズム』(2016)と、学園ものの王道として完成度の高い『星空へ架かる橋』(2011)あたりが個人的にTOP3になる。アニメはあまり見ていないので、他にも良い作品があるかもしれないけど。

 キャスティングだけを見るなら、『ストライクウィッチーズ』(特に1期)が、もう別格すぎる。80年代世代を中心に、堂々たる主演を張れる掛け値なしの一流ばかりを集めたような、すさまじいまでのキャスティング。まあ、作品全体としてはあまり好みではない要素もあるのだが、奇跡のようなこの共演を聴くのが楽しくて楽しくて、二年に一回くらいは再視聴している。
 私にとっては、The 声優(これぞ声優)と言えば福圓氏だし、斎藤氏こそは声優界の超人だと思っている。キャラクターの呼吸のリズムから造形してくる沢城氏の掘り下げの深さは、あらためて言うまでもない。さらに、小清水氏や名塚氏のように、子役時代から長いキャリアを重ねている方々もいる。つまり、「実年齢としては若手なのだが(つまり気力も体力も充実しているし声も若々しいのだが)、役者経験はすでに膨大に蓄積しているベテラン」という、それこそチートじみた実力の役者さんが何人もメイン級で参加されている。さらに、外画吹き替えで鍛えまくってきた園崎氏に、芯のある芝居の田中氏に、おそろしく誠実な芝居をされる門脇氏に、超個性派の大橋氏に……。ただし、野川氏だけは個人的によく分からないが、あの飄々としたノンシャランなキャラクターにはよくマッチしていると思う。

 『放課後のプレアデス』(2015)も良かった。丁寧な演出、真面目なSFアプローチ、そしてキャスト陣も素晴らしい。藤田氏と牧野氏という二人の知性派に、天才児の高森氏、そして大橋氏と立野氏がしっかり脇を固めていた。主演キャストの5人が歌い交わしていくED曲も気持ち良い。

 人数を絞ったキャスティングだと、やはり『キルミーベイベー』(2012)が逸しがたい。赤﨑氏と田村氏という同年代の若手声優が、作品の時間の大半を二人だけで引き受けて、全力のからかい&ツッコミ会話劇をひたすら続けるというもの。それでいて十分な聴き応えの作品になっているのは、赤﨑氏が大胆で切れ味の良い表情付けを果敢に展開し、そしてそれを田村氏が芯の強い芝居でしっかり受け止めているからだ。赤﨑氏の芝居の魅力は、近年では『女子高生の無駄づかい』(2019)の主演でも堪能できた。
 ちなみに、演出面でも、例えば一部の効果音(SE)を番レギュ声優たちが声で表現するなど、かなり風変わりな表現も盛り込んでいる。怪作にして秀作。

 というわけで、再視聴することが多いのはこのあたり。
 
 アニメは視聴した作品数が非常に少ないので、こういうことも狭い見聞の範囲で気軽に書けてしまう。これがゲームだと、プレイ本数が一桁増えるので選びきれないし、内容もシステム面から分岐展開まで複雑になるので、簡単に雑感を書くことはできない。


 漫画版『クダンノフォークロア』は、単巻完結だった。前半部のストーリーをきちんと締め括るところまでは描いているので、これはこれでありかな。

 漫画版『ガンダム0083:REBELLION』の最終巻(第16巻)を店頭で目にしたので買ってみたら、えっ、ケリィさんもシーマ様も生き延びているとは……ここまでにいったいどんな展開があったんだ。さらにクレナ・ハクセルさんが悪役っぽくなっていたが、なるほどたしかに、あんな立場でやりくりしていたらクリーンな筈は無いよね。興味はあるが……既刊を買うほどではないかな。
 
 『応天の門』とかも最新刊をつまみ食いで買ってみて、かなり面白かったけど、全巻買い揃えるかどうかは、うーん。もっともっと広い部屋が欲しいのだけど、もう引越すにも引越せないのよな……。引越作業は大変な労力が掛かるし、どうせ引越すならば十分に大きい部屋にしたいが、しかし住居にそこまで支出できるわけでもないし、かといって、割安な郊外に移転するのも嬉しくない(通勤に時間が掛かるのも、人生の時間にとって大きなマイナスになる)。電子書籍ならば場所を取らないが、やはり書籍は紙媒体で読みたいし……。



 04/01(Thu)

クレイズ(CLayz)「琴乃宮雪」。1/6のラージスケールなので、たいへん見応えがある。発売は十年以上前だが、造形面の問題は無く、十分鑑賞に耐える。右手には雪だるま柄の団扇を持たせることもできるが(原作準拠)、団扇無しで顔をはっきり見られるようにするのも良いだろう。
 なお、こちらは白ストッキングの「色替えver.」(2010年7月発売)。無印版(2009年3月)は黒ストッキング。原作はたしか白ストだったと思う。
左は「ランチ(GLITTER & GLAMOURS)」。ロングスカート大好き。


 びっくりしたが、冗談ネタの方だよね……。つまり、7月発売の『星詠み』本編はもちろん「巣作り」システムのままで、それまでの余興というエイプリルフールネタで、去年の「鬼ごっこ」を繰り返したという。そのわりにグラフィック素材はずいぶんまともに出来ているので、第3弾として本当に制作していてもおかしくないが。


 積んでいたZVEZDAの「1/72 T-90MS」を組んでみたのだが、1/72の小スケールなのにおそろしい細かさで、心底驚いた。1mm未満の極細パーツもあるし、柵まできれいにプラ成形しているし、砲塔の多重装甲構造までしっかり再現している。FLYHAWKの艦船キット並の超々高精度で、もはや立体パズルと呼べそうなくらい。砲塔部分の組み立てだけで2時間掛かってしまった。パーツ数は198(※履帯はラバー製の一体型が2本)。
 それでいて、ユーザー配慮も行き届いているのがありがたい。ピンは半円形になっていて、角度を間違えないようになっているし、箱組みする部分なども位置決め&固定用の凹凸が入っている。パーツの合いの良さも、十分な高精度。

 砲塔部分は左右に平たく突き出していて、カニやカブトガニのような外見。ちょっとメルカバを連想したのが、キット購入の理由。砲塔後部には柵状のバスケットがあり、これもメルカバっぽい。迷彩塗装はたいへんそうだが、なんとかきれいに完成させてやりたい。

 同社は1/35のT-90キットも出しているようだから、そちらも作ってみたい。(またかよ)


 漫画『桜井さんは気づいてほしい』の「あきのそら」氏。既視感があって調べてみたら、アダルトコミックも手掛けている作家さんで、しかも単行本をたまたま買ってあった(※たぶん表紙買い)。というわけで『あいぞめ』も読み返してみたら、なるほど、ヒロインのこういう可愛らしさを描いていたんだなと理解が深まった。つまり、『桜井さん』からの逆照射なのだが、こんなふうにして作品の見え方が変化することもある。
 原画家の「あきのしん」氏や「秋空もみぢ」氏と混同しかけていたかも。


 秋山うた氏も、『カリンちゃん:星詠み』に参加されているとのこと。SLG作品の拡張版なのでスタッフ維持は順当だが、これでSLGパートはひとまず安心。


 新年度の諸々の仕事をどのように作業したらよいかに関して、ようやく目処が立った。なんとか効率化したパターンを作れそうだ。これで安心して遊びまくr…あれ?


 「胃~之煮」(ヱ#31、13:25-)
 「(ゲームを)買ったら、さすがにやります」。そうだよね、普通はゲームを買ったら、多少なりともプレイするものだよね。あるいは、すぐにプレイするものや確実にプレイするものだけを買うのが普通のユーザーだよね。「いつプレイするのかも分からないままに、面白そうなゲームを買いまくり、100本単位で積みまくる」なんていうのは、普通じゃないんだよね……。


 かわいい! 一般販売されたら買おう。VOLKSのプラモデルなので、値段も割高だしパーツ精度も程々だろうけど、買う価値はあるだろう。キャラデザは、おぐち氏とのこと。


 (→5月3月