05/28(Fri)
男女関係の進展に関しては、ピンク系の方が丁寧に描いている場合がある。
白箱系だと、ヒロイン確定するとその勢いで初体験まで一気に進んでしまう場合がある。これは作品全体の尺の問題で、前半パート(共通シナリオ)のうちは個別ヒロインとの関係を進展させるのが難しく、そして後半の個別シナリオに入るとHシーン数を稼ぐ要求などもあって、悠長なお付き合いがしにくい。
それに対してピンク系では、早いうちからヒロインたちとの性的関係に入っていく。言い換えれば、物語の全体をフルに使って関係進展をじっくり描いていけるということだ。特に調教要素のある作品では、段階を追った行為進行を描くことが、まさに作品コンセプトそれ自体から要請される。例えば、いわゆるA→B→Cの進行も、順を追って丁寧に描かれる。そういう面白さは、確かにある。
今日初めて知ったが、「きのこのみ」という人物が存在するわけじゃないのか。
kino氏+konomi氏というコンビとのこと。
……あれ? もしかして私は、「同キャラ増殖」ネタに心萌え立つタイプだったのか?
AVGでモブキャラ立ち絵を並べるのはよくあるけれど、それ以外でも一人のキャラクターが分裂などで増殖する絵面に心の琴線をかき鳴らす。同じ外見のキャラたちがキャイキャイしている風景が好きなんだと思う。
おそらく『巣作りドラゴン』のモブメイドがきっかけだった。『R.U.R.U.R』には、そういうシーンが2つもあったなあ。最近の有名どころだと、『Helltaker』のケルベロスあたりか(※三つ子だが同一の魂を持っているらしい)。ドッペルゲンガーは、内面は別人格だから、ちょっと違う。
ちなみに、双子は別枠。双子は(フィクションでも)別人格だから。『桃華月憚』の胡蝶三姉妹くらいまで行けば、かなり良い感じになる。
たしか以前にも書いていたなあと検索したら、2016年4月の雑記で言及していた。
『BALDR FORCE』のように通信で増殖するのもあり。
桃組の由倉さんは、ピーチ公式サイトでも「休業中」になっているのだよね……。それほど器用な役者さんではないが、00年代半ば以降の桃組では抜群のオーラと魅力を持っている方なので、また復帰して活躍してほしい。
羽高なる氏は、『Dancing Crazies』(葉木崎唯)役で初めて聴いたが、私の中では本当に衝撃的な出会いだった。桃組に新しく華やかな才能が現れたか、という衝撃。その後もソフトハウスキャラの常連声優として繰り返し起用されて、毎作この方の芝居を聴くのが大きな楽しみになっていた。『王賊』では堂々たる主演(アルイエット)をやり遂げ、『忍流』の元気後輩系キャラ(ホタル)も快演だった。そして『BUNNYBLACK』シリーズ(シア、ソフィア)で主人公の日常生活を支えるメインキャラを演じる頃には、大波氏と並んでソフトハウスキャラに欠かせない、いわば看板声優になっていた。たまに数ヶ月間、出演が途切れることがあったが、それでもソフトハウスキャラだけは皆勤出演してくれていた(※『その大樹』だけは不出演)。
ソフトハウスキャラ以外は、黒箱系タイトルがほとんどだが、『Garden』『朝凪のアクアノーツ』『翠の海』などに出演されたときも、作品に音響的な彩りを加えてくれる、面白い芝居を披露されている。
大波氏、羽高氏に続いて、3代目(?)のソフトハウスキャラ看板声優になったのが、綾音氏だった。『悪魔娘』(2015)のサブヒロインを演じてSHCスタッフの信頼を得たのか、『その古城』『プラネットドラゴン』で立て続けに主演を張り、webラジオ「プララジ」でもパーソナリティに起用された。……羽高さんが「プララジ」に来てくれていたらなあ……。
『コイ×ミツ』シリーズは脚本陣がもの凄い顔触れだ。丸谷氏、御厨氏、そして来月発売の第3作は籐太氏脚本らしい。なんと贅沢な……。
見過ごしていたが、『美娼女学園』シリーズは「オカルティック官能ADV」とのこと。どんなオカルト要素があるのか気になってきたので、優先順位を上げてプレイしたい。
『WHITE ALBUM』といい『アトラク=ナクア』といい、90年代末のゲームでは、BGMにスクラッチノイズを入れる技法はまだ使われていた。つまり、レコードの針音のようなプチプチ音を入れて、レトロでノスタルジックな雰囲気を演出する手法。30代以下の世代では、そもそもレコードを聴いたことが無く、文化的にも「レコード=懐古趣味」という観念を持っていない人が多いだろうから、そういう演出が廃れるのは当然といえば当然なのだが。
フィルムの縦ノイズも、現代の我々にとっては「古い映像であることを示唆する記号」にすぎない。本物の映像フィルムのフィルムノイズを実際に見たことがある人は、どのくらいいるだろうか? いやまあ、昔のモノクロ映画のDVDなどを観れば、たまに遭遇するけどね。
うーん。エナメル溶剤は、通常の水性アクリル塗料(Tamiya, Creos)はあまり溶かさないけれど、エマルション系の塗料はしっかり落とせるようだ。落とすというか、塗料が固まってボロボロにこそぎ落とせるようになる。だから「ラッカーで下地+エマルション系でスミ入れ」をエナメル溶剤で擦れば、スミ入れだけをきれいに落とせる(※下地のラッカー塗料は侵さない)。
ラッカー系溶剤でも落とせるが、ラッカー溶剤はプラそのものも侵してしまうので、スミ入れを落とすには使えない。健康上のダメージもある。
Lassの『3days』は、死に戻りの原理が一応説明されていた。ただし、科学的(SF的)な理屈というよりは、オカルト的なそれだが。戻れる回数制限もあるが、これもイベントフラグを満たした瞬間に「実はもう次回が最後のチャンスだ!」ということになるだけで、最初から具体的な回数(残機数)が設定されているわけではない。そして最後のチャンスにうまくフラグを完成させると、そこからは選択肢の無い長大な物語――「第2部」とも呼べそうなくらいの――に突入していく。
PCの中身をいろいろ整理していたら、「文明崩壊.xlsx」なるファイルが出てきた……。おそるおそるファイルを開いてみたら、文明崩壊もののフィクションを分類してリスト化したものだった。数年前の私はいったい何をしていたんだ……。
06/05(Sat)
ちょっと手間の掛かる仕事が入った。優に100時間以上掛かりそうな仕事で、報酬はたぶん十万円に届かない。時給を考えるとすごいな! ちなみに、研究関係なので他人には回せない。100時間あれば、フルプライスのAVGを3~5本はコンプリートできるのじゃが……。
『カリンちゃん』新編にも、シッポ(風花氏のキャラ)は出演するのか。ひとまずめでたい。
発売一ヶ月を切ったら、ラジオをやってもいいんじゃないですかね?
陸+空+キャラの模型購入(準)グランドスラムを決めてきた。両手がいっぱいになってしまったため、海(艦)は購入できず。フィギュアやゲームや漫画も、もちろんあれこれ見繕ってきた。外に長居するのは避けたいのだけどね……。
大きな紙袋を両手に提げてオタクショップを闊歩するその姿は……まさにいにしえの「おたく」(※平仮名)さながらよ!
2体目の「レーナ」も買ってきた。「うぇへへへ、こいつ、ボディだけは良く出来てやがるぜ!」「ひゃっはー、この身体はいただいたぜえ!」と荒廃世界の乱暴者もののような発言をしてしまう。いや、本当に、軍服のガールプラモ素体としては素晴らしい出来なのよ……顔以外は。
ガールプラモは、パッケージ絵の表情を再現できるような顔パーツも同梱してほしい。そのキャラが気に入ったからこそ買っているという側面もあるので。VOLKSの「コスモス」も、パッケージ絵のようなおっとりした表情が一つ欲しかった。
ただし、キャラクターのアイデンティティには拘泥せず、自由な色変えやミキシングを楽しむ人々もいる。それはそれで構わない。だが、顔の表情パーツを3つも4つも入れるなら、せめてそのうち一つはパッケージアートに合わせたものを確保してほしい。
Aoshimaの「スクルドSP」も、あの楽しそうなパッケージの表情が付いていたら絶対買ったのだが、眉を下げた困り顔系統ばかり3つも入っていて、本当にがっかりした。肌の色が違う(※日焼けしている)ので、無印「スクルド」などから持ってくることも出来ないし……。両目デカールを貼り替えるという対処は一応可能だが、残念ながらそこまでするほどの熱意は無い。
帰宅してお風呂でパーツ洗浄していたら、見事にのぼせてしまった。バスタブに浸かりながらパーツを歯ブラシで擦っていたら、いきなり背中が熱く感じてきて、「あっ、これはまずい」と急いでお湯を出たのだが、頭はクラクラするし汗もだくだくで、ちょっと危なかった。水分を十分摂って床に座りこみ、10分ほど静かにしていたら、幸いにもすぐ復調した。
というか、ただの「のぼせ」じゃなくて、この症状ははっきり「熱中症」と言うべきだろう。めまいもあり、大量の発汗もあったし、多少の吐き気もあったし、ふくらはぎが攣りそうにもなったから。危ない危ない。
ふっ……もはや安らかに入浴することもかなわぬこの身体(ボディ)よ……。
今日は疲れたので、雑記を6月に切り替えるのは、もうちょっと待って……むにゃむにゃ。
ネタバレ嫌悪の人たちを見ていると、「そんなに嫌なら全て口を閉ざして、ずっと黙って貧しいままでいろ、xxxxどもめ」と言いたくなることがある。50年前の作品も、300年前のマスターピースも、2000年前の古典についても、何も喋れないまま永遠に沈黙していろ。お互いの顔色を窺い合いながら、お互いを傷つけないという(誤った)美名の下にうずくまっていろ。誰からも影響を受けていない自分のピュアな受容という幼い芸術観に閉じこもっていろ。他人から何を言われても自分には自分なりの受け止め方、自分なりの解釈が必ず現れてくるのだという芸術体験の豊かさを信じられないままでいろ。他人が感想を語ることに怯えていろ、自分が感想を言うことに怯んでいろ。ただし、そういう見当違いの妄念から他人の口まで閉ざそうとする恩着せがましい妨害だけは絶対にやめろ。
初見の驚き、初見の印象なんていうものは、芸術体験の中では非常に些末なものだ。そんなものを後生大事にする必要など無い。芸術体験の本義は、びっくり箱体験ではない。むしろ、何度も再読していく中で理解が深まり、解釈が広がっていき、自分なりの把握が確立されていく。それこそが重要なのだ。
また、事前に他人から受けた示唆に、自分の芸術体験が影響されてしまうという懸念も、実のところ、それほどたいしたものではない。先に述べたとおり、他人からどのような示唆を受けていても、どうやったって自分なりの見方というものは出てくる。一冊の本を最後まで読みきり、120分の映画をきちんと鑑賞し、一本のゲームを自分でコンプリートするまでプレイしたならば、そこで得られた体験は莫大なものであって、他人から言われたほんの数語の事前言及などは誤差レベルにすぎない。自分自身の視点を、自分なりの価値観を、自身の審美眼を、己の個性を、もっと信用してもいいと思うよ。そして、芸術作品の豊かさを、もっと信頼してもいいと思うよ。一つ一つの芸術作品は、ほんのいくつかの事前情報によって決定的に左右されてしまうほど貧しいものではない。たいていの場合、膨大な情報、無限のニュアンス、複雑な多様性が詰め込まれている豊かな実体だ。
言い換えれば、「ネタバレ」してしまわないかと怖れている人たちは、自分の言葉が他人の芸術体験に対して大きな影響力を持っていると思い込んでいるのか。冗談ではない。
05/24(Mon)
今日は買い出しに行ってきたが、いろいろ購入するついでにガールプラモも4つ買ってきた。もっとも、BANDAIキットは顔面造形が致命的なので、他のガールプラモのために身体だけ差し出してもらうのだが。「肉体(ボディ)……来たか……」の雰囲気。
FRSアスナも顔の各パーツが異様なバランスで、このキャラそのものが怖くなってしまったくらい。一般のフィギュアなどでこのキャラを見ても、FRSの邪神顔を連想してしまい、手を出せなくなっている。特に両目の表情がおかしくて、「見ていると何か不安になる」レベルのホラー顔なのだよな……。
アニメ版の「レーナ」役は、ゲームでたまに聴くことのあるあの方らしいのだけど、あえて視聴するほどではない。原作小説は第1巻だけ読んでいた。状況設定は一応筋が通っているのだが、演出のための作為が露骨すぎて、あまり好みではない。
「ガールガンレディ」のボディは襟を立てているので、他のキットの頭部を乗せようとすると後ろ髪が干渉してしまう場合がある。それさえ無ければ、バトルスーツ的なボディ(素体)としてなかなか優秀なのだが。
次は、本命の「FIORE コスモス」を作る。ネーミングはFiore(=仏語/伊語の「花」)シリーズのコスモス(秋桜)だが、同時にコスモス(宇宙)でもあるわけだね、宇宙服キャラに相応しい絶妙のネーミングだね、HAHAHA。
プラモデルの箱をどのように処分するかは迷う。厚紙なので資源ゴミに出すのが良いのだけど、半端モデラーの私は「ごく不定期にゴミが出るだけ」、しかも「かなり少量である」ので、ゴミに出しにくい。なので、適当に破って通常の可燃ゴミ袋に入れてしまうことが多い。
PCゲームのパッケージも、一時期はスペース節約のために潰していた。厚紙の内箱はゴミに出してしまい、外箱は畳んでまとめて保管するという方法。ただし、00年代末からはスリーブ箱タイプがほぼ絶滅し、畳むのが難しくなったので、最近は諦めて箱のまま積んでいる。ベロのついたキャラメル箱タイプも、外箱を折り畳むのは比較的容易なのだけど、なんとなく気が引ける。
アダルトゲーム作品の「実績」って、何をさせればいいのだろうか。近年はほとんどが読み物AVGで、SLG系は昔ながらのメーカーが作っているだけなので、プレイヤーの「実績」を云々する余地はあまりにも小さいように思えるのだが。イベントコンプリートなども、スタンドアロンのシーン回想モードで十分カヴァーされているし。『アリスマチック』のように、最初から10周プレイすると、その都度エンディングに新しい幕間イベントが出てくるとか……? まさか、Hシーン回想を開いた回数で以下略な話ではあるまい。
そもそもアダルトゲームは、他のプレイヤーと交流したり競ったりすることに意味を見出しにくい分野なので、「実績」要素とは相性が悪いように思える。SLG作品では、『悪魔娘』のスコアアタックとか、『アウトベジタブルズ』の財宝を理論上の最大数まで収集するとか、『BUNNYBLACK2』の白フィリアネLv99とか、そういうので良ければいろいろやっているが、そういった取り組みはユーザー個人の好奇心でやればよい問題であって、「実績」システムで追い立てられるのは勘弁してほしい。
まあ、Eushullyあたりは喜々として実績システムを導入しそうだけど。しかも、ひたすら時間だけが掛かる退屈な目標を設定しまくって……。
そういえば、Digital CuteのSTG『ぶるにゃんマン』は実績システムを導入していた。ただし、実績それ自体はスタンドアロンのシステムで、他のプレイヤーに公開されるものではなかったが、STGのスコアに関しては公式サイト上でランキングイベントをやっていた。そういうスコア競争は、でぼの巣やninetail系列もやっていたと思う。alicesoftはどうだったかな……。
[ https://www.youtube.com/watch?v=WWuI9VV83tM ]
うーん……ヴァーチャル立ち絵が動いているのに、音声の喋りは中の人(声優)そのままというギャップは、どうにも受け付けにくいなあ。キャラの立ち絵を出すならば、そのキャラを演じる形で喋ってほしいし、声優さん自身の肉声として喋るのであれば、作中キャラの立ち絵は出さないでほしいのだが……。双方のイメージが中途半端に混じってしまうのは(しかも発売前なのに)、良くないと思うのだけどなあ。他の方々は気にしないのだろうか?
05/22(Sat)
桃ノ雑派氏が小説で文芸賞を受賞されたとのこと。
単独脚本の『呪いの魔剣』はドラマティックな展開で、作中社会の広がりも広がりもきちんと描かれており、テキストの情緒もあってわりと好き。『その大樹』も、異能の魔族たちによるバトルロワイアルものを巧緻に描いており、こちらもなかなか上手いと思った。
※『呪いの魔剣』プレイ時に書いた感想を再掲すると:「テキストはわりと好み。雰囲気は明るいが、あからさまなコメディのためのコメディや、ギャグのためのおバカ行動はほとんど無い。登場人物たちがその世界の中でそれぞれ自分なりに真面目に思考して行動しているのだ、ということがよく伝わってくる。(…)主演クレアの台詞回しも、なかなか愛嬌があるし、それ以外でも諺や格言を織り込んだテキストが妙に多いのも面白い」。意図が明快で、見通しの良いテキストワークだったと思う。
一般のニュースでも報道されているが、京都にお住まいとのこと。親近感が湧いた。
というわけで、上記作品を起動したり、自分の記事を読み返したりしていた。
昔の私は、案外真面目に攻略記事を作っていたんだなあ……。
ドールの話。
妹の「マシロ」は、まだ予約できる。どうしようかな……。
先の「カグラ」(姉)を買い逃したのは、いまだに悔しい。現地購入に拘らず、通販で買っておけばよかった。上記「マシロ」は、ものすごく好みというほどではないのだが、うーん……。
ここのところ、塗装制作はあまりしていない。せっかく初春にエアブラシ機材を一新したのに、もったいない。しかし、模型制作はあくまで趣味なのだから、好きなことだけを、やりたい時にやりたいことだけをやれていれば十分だ。使おうが使うまいが、購入費用が戻ってくるわけではないのだから、無理に使おうとする必要は無い。それに、また気が向いたら吹きつけ塗装も一気に取り組むだろう。
ふと『WHITE ALBUM』のディスクを入れてみたら……時代感覚のあまりの違いにクラクラした。この1998年当時は、世間的にもアイドル文化が(いったんは)沈滞していた。この作品は、男性の主人公と付き合っているメインヒロインがアイドル(※イベントで歌う歌手)であるという状況から始まるのだが、作中のアイドルたちの姿は、スポットライトに彩られて華やかでありながら、いささか古めかしいアナクロの雰囲気とともに描かれていた。1998年当時の感覚では、80年代の女性アイドル文化は「十数年前の流行」に過ぎなかった(※「アイドル=歌手」の構図それ自体も、80年代のうちに崩れていったようだ)。
そうした時代にあって『WHITE ALBUM』のシナリオは、アイドル文化に対して一定の距離を置いた感傷的なアプローチを採っていた。00年代後半以降の激しく熱狂的に駆り立てられているアイドル文化と比べると、あまりにも牧歌的で、レトロ趣味で、そして美しすぎる。
……小室哲哉をモデルにしたとおぼしき若きプロデューサーキャラ(緒方英二)が登場して、興行マネージメントに関してドライな視点で語るといったような、90年代なりの現代感覚も導入されてはいるものの。
……また、ライブイベントのシーンでは実際にキャラクターソングが流れる(ライバルヒロインのものと合わせて2種類が用意されている)という先駆的な試みも為されてはいるものの。
……おっとりした性格のアイドルというメインヒロイン「森川由綺」の造形それ自体、当時としても一般的なアイドル像を意図的に外したものではあるのだが。
……そして、本作の懐古的リリシズムに関しては、テキストを綴った脚本家原田宇陀児の個性と、BGM制作したLeafメンバー(とりわけ石川真也)の個性が強く影響してはいるのだが。
……さらに、アイドルとしての活動だけでなく、他のヒロインとの間の三角関係という、苦みのある要素が含まれているためもあるのだが。
それらを考慮してもなお、1998年と2021年の間の懸隔はあまりにも大きかった。眩暈がするほどの断絶だ。また、「ああ、そうか、アイドルものには、こんな道もあり得たのか」とあらためて蒙を啓かれるような手応えもある。
そして、あの冬の空気、カフェの和やかな雰囲気、コマンド会話を繰り返すSLGの見通しがたい感触、シックでありながら時折ぎらつきを見せるCGの興趣、空を見上げる長いパンニング(ティルト)演出、ヒロインたちのデリケートな鬱屈、……今になって再生すると、3重の意味でのノスタルジー感覚に襲われる。つまり、「アイドル文化に対する私の距離感(=縁遠さゆえに感じるロマンティシズム)」、「作品それ自体が持つ、落ち着きのあるレトロ趣味」、「発売からの年月」。発売は、もう23年も前だものね。
Lindsay String Quartetのベートーヴェン全集も、部屋の奥から発掘してきた。ほの暗い雰囲気の下で、ヴァイオリンは切なくきれいにメロディを歌っているし、その一方でチェロは時折重々しい軋みを聴かせてくれる。
この団体は全集録音を複数回行っているようだが、何回目の録音なのかは不明。私が持っているのはResonanceブランドから発売されたボックスセットだが、ライナーノートにも録音年の記載が無い。Gramophone Awardsを受賞している旨書かれているので、おそらく1980年代の録音。これとは別に、2002年に2回目の録音を残しているようだ。
Cleveland Qの演奏も入手したいのだが、なかなか果たせずにいる。母校の大学図書館のメディアコーナーに収蔵されているので、聴きに行くことは可能なのだが。
今回の大波氏の配役は、楽しげな雰囲気のお姉さんキャラ。十八番(おはこ)の役どころか。
原画の「やくり」氏は好きだし、CG着彩もかなり良い出来だし、キャスティングもまずまずなので、SLGパートの退屈さに目を瞑れば(あるいは、もしかしてSLGパートが良くなっていたら)、買ってプレイしても楽しめるかもしれない。私はもう御免蒙るが。
そうそう、古めのPCゲームを新しいOSでプレイする際に、Indeo 5 Codecが引っかかってくることがある。具体的には、サウンド(BGMや動画ファイル)が鳴らない。私もXPからWin7に切り替えた際にこのトラブルに遭遇して、いろいろ調べて対処した憶えがある。
ついでにweb検索してみたら:
1999年の同人ソフトが最新OSでも起動するとは……しゅごい。
05/16(Sun)
ファンタスティック声優さん……「婦暗多棒(ファンタスティック)」に飽き足らず、今度は「炭酸水棒(ファンタスティック)」と名乗ってしまうとは……。しかし、この名前のインパクトで作品への注目も高め、たぶん予約を10本は増やしただろうと考えると、キャストネーミングもなかなか侮れない。
「炭酸水棒(ファンタスティック)」の時点でネタとして完成されきっているので、たとえば「麻慈絵棒(マジェスティック)」さんとか「亜丁偉棒(アーティスティック)」さんのようなシリーズ名が現れることは無いだろう。
というわけで今月の予約チェックを済ませた。
「アイチョ」を聴き返すついでに、せっかくだからと概要記事もちょっとずつ加筆している。既存の記事はあまりにも簡素で、読んでもちっとも面白くないから、少しでもマシなものにしたい。231回+αだから、各50分として190時間以上。一日平均2時間としたら8月末まで掛かる。今年は充実した春夏になりそうだ。(それでいいのか?)
いわゆる「絶対領域」というものに、どうやら私は何の面白味も感じていないようだ。完全な素足(生足)か、あるいはきれいなタイツならば美しいと感じられるが、膝上のニーソックスにはべつだん何の興味も持てない。
「絶対領域」という言葉(あるいは概念)は、主に00年代後半に流行っていたが、当時から私が感じていた距離感、親しめなさは、結局のところ、「私はべつにそれが好きではない」「そこに面白味や色気を感じ(られ)ない」のが原因だったようだ。
絶対領域とはほぼ正反対の、スパッツ(ショートレギンス)は、あり。描き方によっては、かなり色っぽいと思う。
あれは元々、三次元サイドの趣向なのだと思う。要するに、美少女ゲームなどの二次元文化に発するものではなく、メイド喫茶やコスプレなどの分野で主に展開されたものだった。
実際、PCゲームのバストアップ立ち絵では太腿はほとんど描けないし、アニメや漫画でも強調されにくい部分だ(※アニメで太腿を大写しにしても、ただ単に肌色の面がべったり広がるだけで、絵としての面白味は乏しい)。
2010年代半ば以降の「イラスト投稿サーヴィスやSNSの普及」+「ストーリーに縛られないカジュアルなイラストの爆発的増加」+「スマートフォン対応の縦長レイアウト」+「肌ツヤ表現技術の劇的な進歩」の環境では、絶対領域趣味にとって好都合な条件が揃っているが、しかし現代のオタク系イラストはもはやそんな単発の嗜好だけではどうにもならないくらい先鋭化してしまっている。
北見六花キャラは帽子を被る、という傾向があるような……。
Escu:de新作は桃組丸投げか……。アダルトシーンの演技には強いから、作品の趣旨に合っているのかもしれないけれど、通常シーンの芝居が壊滅的で聴くに堪えないのだよな……。
渋谷氏はずいぶん息の長い活動をされている。1999年デビューだから、今年に入っても定期的に出演がある。『LEVEL JUSTICE』の頃から好きな声優さん。
「胃~之煮」は(STPも?)、緊急事態宣言に対応して、一時休止かな。現下の状況では、収録のために集まって喋り合うのはあまりにも危険だから、収録休止されたのに正直ほっとしている。残念ではあるが、生命に関わる問題なので、休まれた方がよいと思う。
防疫、予防、補償といった対策が滅茶苦茶なせいでこんなに事態が悪化しているのだ。gotoやら五輪やらのあれこれをせずに誠実に科学的な対策をしていれば、今頃はまともな日常を取り戻せていたかもしれないのに……。
西洋風ファンタジー世界に「東方(≒和風)」の人物が入ってくるのはよくあるが、逆に東洋風の世界に西洋的な事物(片仮名名前のキャラクターなど)が入ってくるのもわりと楽しい。
例えば『カオスシード』は、中国風の土地を舞台にした風水モティーフのSLG作品だが、サブキャラとして西国からの英雄「アレックス」たちも登場する。ああいう雰囲気も好き。ジンギスカンを主人公とする『蒼き狼と白き牝鹿』も、第1部はモンゴルだけの舞台だが、モンゴル統一後の第2部ではユーラシア大陸全体が舞台になり、アジアやヨーロッパ諸国のキャラクター(歴史上の人物たち)が登場してくる。
『忍流』は、日本のような島国が舞台だが、物語の後半では西方からの船団(シルヴィアたち)が来襲してくる。主人公たちがそれを撃退し、シルヴィアは主人公の妻(妾)になるのだが、本国では冷遇されていた彼女が遠い東国に安住の地を見出したという流れには、不思議な情緒を感じたものだった。あの雰囲気は好き(※言ってみれば「大人しめのクシャナ」みたいな路線だったと思う)。
すたじお緑茶の出世作『巫女さん細腕繁盛記』は、タイトルどおり日本の神社が舞台なのだが、西洋出身の魔法使いキャラも一人登場する(CVは、みる氏)。
まあ、『月神楽』のような例もあるけど。西洋妖怪(モンスター)軍団の存在感が薄かったのは、もったいなかった。「日本妖怪勢力(千蟲姫)×神社(清家姉妹)×西洋魔物勢力(エーファ)」の三つ巴を描きたかったのだろう、というのは分かるのだけど。
05/12(Wed)
先月末から、オタク系ショップに行けずにいる。もう2週間か……。関西は(関西も)本当に危険な状態なので、必要最低限の外出のみにしている。食材を買いに行くついでに近所の書店に立ち寄るくらいで、ゲームもCDもフィギュアもまったく買えていない。ゲームや映像/音楽ディスクは通販で調達できるが、店頭でいろいろ物色するのも楽しかったんだよね……。
ずっと引き籠もっていても苦にしない性格で良かった。というか、オンライン授業(例えばゼミ)でたくさんの学生たちと毎日いろいろ喋っているおかげもあって、人寂しさを感じずにいられるのかもしれない。また、精神衛生のために、ときどき近所を散歩している。
ともあれ、今のところ趣味生活は豊かに過ごせている。今期は多忙のため、まとまった時間を取りにくいが、なんとかやりくり出来ている。
ガルフレラジオが模様替えしたかと思えば、LiLiTHラジオは終わってしまうのか……。蒼乃氏たちの意欲的なトークは、アダルトゲーム公式ラジオならではの話題(アダルト芝居の特徴や演じ方など)にも踏み込んでいって、たいへん聴き応えのあるラジオだった。番組終了してしまうのは惜しい。
「超えられない自作」か……ネウロイ化赤城は、「ネタ度合い」「作り込みの度合い」「オリジナリティ」が上手く行っていて、私自身の中では特別な存在になっている。スケールモデルの正統派アプローチでキャラクターモデル(架空物のモデル)を作るという手法も、なんとなく私らしいと思う。
一般的な意味での完成度の高さや、作り込みそれ自体のボリューム、あるいはネタのキャッチーさといった個別的な側面では、あれを上回る作品もいろいろ作っている思うし、個人的な愛着という意味ではあれよりももっと好きな作品はあるのだが……。
このブログでのゲーム関係の記事では、やはり数度にわたる木村あやか祭を開催できたことが一番嬉しかった(「背面立ち絵」、「エンディング演出」、「ケモ耳造形」、「学園恋愛系」)。自分で見返してもニヤけてしまうし、機会があれば何度でも挑戦したい。
私の家って、要するに、「ベッド、机、キッチン、バストイレ付きの倉庫」なのでは?
これは倉庫なのだと考えるのが実態に合っているように思えてきた。
そうか、倉庫ならば仕方ない。倉庫だと割り切ってどんどん詰め込んでいこう!
現代美術も大量に置かれているので、美術館でもある(※オタク部屋とも言う)。
1/350の大スケール艦船は、ごく一部のディープなモデラーだけが取り組むハイエンドキットのように敬遠されているようだが、もっとカジュアルに取り組んでもいいと常々思っている。
たしかに値段それ自体は、1/700キットの2倍またはそれ以上だし、クオリティも非常に高い。しかし、だからといって必死に作り込まねばならないというわけではない。むしろ、大スケールであるぶん、パーツが大きいので作りやすいし、ディテールの精度も高いので、簡素なストレート制作でも十分な出来上がりになる。その意味では、1/700よりもはるかに簡単であり、技術的なハードルも低い。1/350艦船は複雑で難しいというイメージがあるかもしれないが、実際はむしろ技術的要求は低いと言ってもいいくらいだ。まずは駆逐艦や軽巡洋艦あたりを手掛けてみれば、パーツ精度の気持ち良さや、ディテールの充実度、そしてハイボリュームの迫力を楽しめるだろう。
1/700という極小スケールでは、金型成形のわずかなズレが致命傷になるし、各パーツも米粒のように小さいのでディテールアップ工作も難しい。マストを通すなどの組み立ても、当然ながら小スケールの方がクリアランスが厳しくなる。迷彩塗装などの工作もやりにくい。小スケールの方が難しいと思っている。
ただし、大スケールキットにも固有の問題がある。それは理解している。決まり文句のように主張されるのが、サイズの大きさに由来する展示スペースの問題だ。作品を量産するモデラーにとっては、場所を取る大物キットは、扱いに困る難物だ。しかし、大型キットは制作時間も倍増するから、あまり変わらないのではないかとも思う。たとえば、1/700キットを10隻と、1/350キットを3隻では、制作時間も展示スペースも大差ないだろう。
その一方、大サイズのおかげで、ポテンシャルが非常に大きいというメリットもある。実際、模型展などでは、1/350艦船キットを細密ディテールで入念に作り込んだ大作が畏敬の目で鑑賞されているのを見かける。大スケールならではの境地があるというのも確かだ。
資金と時間とスペースの折り合いが付くなら、1/350キットの方が良いというのが私の意見だ。お金が掛かるといっても、駆逐艦なら6000円程度、巡洋艦でもせいぜい1万円前後だ。1/700キットでも、最近は3000~4000円台になっているし、アフターパーツなどを盛り込んでいけばすぐに1~2万円になってしまうわけだから、それほど極端な価格差があるわけではない。
というわけで、全力で作り込むのも良いけれど、カジュアルに1/350キットを作るのも楽しいよ。あまり手を入れなくても、素晴らしい迫力と精密感のある艦船模型が、比較的簡単に作れる。艦橋パーツが多面スライド金型で一発成形されていて、窓枠もキットのままできれいに抜けていたりして、制作の手間はかなり省ける。エッチングパーツなどを組み込むのも、大スケールの方が工作しやすい(=ストレスが掛からない)。1/350キットがもっと普及してくれたらと願っている。
なかには難物もあるが、組み立てやすいきれいなキットも多い。Tamiya筑摩は洗練された構成で、キットのままでもループアンテナまで立体的にプラ造形されているし、Hasegawa矢矧も見通しの明快な構成でたいへん楽しかった。Fujimiの艦NEXT駆逐艦もとっつきやすいだろうし、HobbybossやTrumpeterなどの海外メーカーも、精密で引き締まった造形のキットをリリースしている。
残念ながらHobby JapanやModel Graphixのような模型総合誌では、1/350艦船はめったに取り上げられない。総合誌での露出がもっと増えてくれたらいいのに……。スケールモデル総合誌のModel Artですら、頻度は非常に低いと思う。さすがに艦船模型専門誌では、巻頭作例として1/350キットが大きく扱われる(表紙写真も飾る)ことが多いが、1/350作例ゼロの号もたまにある。
00年代末から10年代初頭にかけて、国内メーカー各社から1/350キットの新作が発売され、かなり賑わっていたようだ(※FUJIMI金剛が2008年、TAMIYAの利根が2010年、大和が2011年)。2020年代の現在も、特に海外メーカーが1/350キットを多数リリースしてくれているので、世界的に見れば1/350キットはかなり普及が進んでいると言ってよいのかもしれない。日本国内でも、もっと1/350ユーザーが増えてくれたら嬉しいのだが……。
この様子だと、1/350比叡は国内メーカーよりも海外メーカーで、先に発売されそうだ。まあ、模型はユニヴァーサルな趣味であって、良いキットが入手できるのであれば国の如何は問わないのだけど。どこでもいいから、早く開発してくれないかなあ。
1/700キットも、掌サイズで可愛らしくて、そちらはそちらで好きなのだけどね。先日も「球磨」(艦NEXT版)を制作したところだが、手に取って全体をじっくり鑑賞できるサイズで、手でぐるぐる回しながらいろいろな角度から眺めて楽しんでいる。
手に取って鑑賞するには、やはりフルハルが良い。
2月の自宅大整理から連休にかけて、手許のDVD/BDをいろいろ見ていたら……飽きた。特にアニメからは当分離れていたい。やっぱり私は、アニメ系オタクではないのだなあ。ゲームはほぼ毎日プレイして楽しんでいるし、漫画もいろいろ読んでいるのだが。
Eushully新作に大波氏が出演とのこと。神代氏もいらっしゃる。
さあ、どのキャラの担当か当ててみよう! ……最近の大波氏は年上キャラも多いから、黒髪の騎士キャラ(キスニル)あたりだろうか? それと、常連おまけキャラのアナスタシアも(※最近の作品に登場しているのかどうかは知らないが)。
しかし、残念ながらゲームパートはまったく期待できないのだよなあ。
各国兵器ネタふうに、SLG系各ブランドに対する私なりのイメージを書くと:
ソフトハウスキャラは、「やりたいことはよく分かるが、もうひと味の遊び心が欲しかった」。
Escu:deは「やりたいことが明確で、実装もたいへん気持ち良い。ありがとうございます」。
alicesoftは「ユーザーに何をやらせたいのかは分かるが、もうちょっと自由にやらせてくれ」。
Eushullyは「とにかく長時間やらせたいのは分かった、UIのひどさも分かった。さよなら」。
ninetailは「いろいろやっているのは分かるが、もうちょっと整理してほしい」。
でぼの巣は「65点を目指してきちんと65点を維持しているところだけは評価しよう」。
Digitial cuteは「やりたいことは分かるだけに、もったいない」。
『悪魔聖女』は、ソフトハウスキャラ作品の中で唯一、自力でコンプリートしきれなかった。近年のこのブランドの中では最もコンパクトな作品だったし、ゲームシステム設計の発想もなかなか秀逸だったのだが、とにかくテキストに緊張感が無くて、プレイ意欲を保てなかった。あのブランドの最後の作品で、こんなことになるとは……なんとも悔しかった。
ゲームシステムは、ソフトハウスキャラらしい面白味があった。要するに、毎週のコマンド選択は、「AVGパートのイベント進行」と「SLGパートの手駒を増やす」の二つの側面がある。一人のヒロインのイベントを進行させようとすると、特定のコマンドを連続選択することになるが、そうするとSLGパートの戦力がいびつになり、戦闘が苦しくなる。この意味で、自発的な縛りプレイのぎりぎりのバランスを見極めるというゲーム性があった。また、個々のヒロインの攻略を目指すたびに、SLGパートの手持ち戦力も大きく異なるわけだから、毎回のプレイに新鮮味があった。
実は、この構造はブランド第一作『葵屋まっしぐら』と同じものだったりする。毎週の行動選択が、ヒロインイベントとSLGパートの両方に影響していくという形。コマンド選択バトルではなくて、温泉旅館経営だが。コラボタイトルの『カリンちゃん』を除外すると、ブランド最終作が第一作と同じシステムデザインで出来ているというのは、なんとも不思議な巡り合わせだった。
1987年声優の顔触れはすごいよね……。芝居の完成度の高さと個性の輝かしさがみごとに両立していて、安心しつつドキドキして聴くことができる。井澤氏、高森氏、田村氏、赤﨑氏、喜多村氏、そして金元氏と多士済々。
1970年代以前の声優は、大人しすぎるというか、堅苦しすぎるというか、オタク的に言うと「愛嬌が足りない」感じ。その一方で90年代以降はアイドル路線が強すぎて、芝居そのものは型通りの水っぽいものばかりになっている(※もちろん、真率に掘り下げた芝居をされている方もいるが)。女性声優では、80年代こそが最もブリリアントな世代だと思う。遠藤氏、坂本氏、門脇氏から、斎藤氏、佐藤氏、福圓氏、小林氏、藤田氏、沢城氏、小清水氏、福原(綾)氏まで、台本氏をしっかり咀嚼して掘り下げ、役をクリアカットに造形し、芯のある発声と生き生きしたフレージングで、台詞を豊かに味付けしていく、名優揃いの世代。技巧と精神性と個性が噛み合って、音声芝居の美しい高みを聴かせてくれる。
実際には、子役時代からの長いキャリアのある方もいれば、かなり遅咲きの方もいて、一概には言えないし、そもそも「80年代」という機械的な区切りにはあまり意味が無いのだが、だいたいそのあたりの世代としておおまかに見たときに、この世代の充実ぶりは突出している。
ちなみに、アダルトゲーム声優では、70年代半ば~80年代前半の世代がおそろしく分厚く、そして頂点も高い。アダルトゲームに音声が付き始めた最初期を「第1世代」とすると、90年代末から00年代に掛けてヒロインフルヴォイスが標準化した時代にデビューしてきた、いわば「第2世代」の方々。この世代のアダルトゲーム声優だけでも、当時のアニメ声優全体に比肩するほどの、超一流揃いのものすごい顔触れだった。一色氏、青山氏、鷹月氏、海原氏、如月氏、かわしま氏、鈴田氏、吉川氏、松永氏、金田氏、安玖深氏、木村氏、桜川氏、小倉氏……。五行氏や波奈束氏も、デビューは00年代半ば以降だが、世代としては上記の範疇だろう。もっとも、アダルトゲーム声優の方々は基本的にプロフィールを明らかにしておられないが、えーと、まあ、そういう話として。
個人のコンプレックスを笑いものにするのは、さすがにフィクションでも笑えないし、現代ではそういう下品な笑いはかなり慎まれるようになっている。しかし、残念ながら、バストサイズにコンプレックスを持たせる(そしてそれをコメディシーンとして表現する)のは、いまだにアニメでも平気で描かれているんだよなあ……。おそらくリアリティをまったく意図しない、単なるお定まりのコメディ(擦り切れたクリシェ)として反復しているだけなのだろうけど、コメディとしてもまったく面白くないし、その品の無さでかなり気分が悪くなる。アニメオタクたちは、ああいうのを楽しんでいるのだろうか?
ちなみに、女性キャラクターの年齢ネタは、当人のコンプレックス描写以前の問題として、作中キャラやユーザーがそのキャラクターを嘲笑するのによく使われている。これも私は大嫌いで、笑いのセンスとしても最低だし、キャラクターに対する無遠慮な侮蔑性という意味でもまるで笑えない。無くしていくべきだと思うよ。
twttrにいろいろ書きに行ってみようかなあ……と考えることがたまにある。しかし、本当に実行するかどうかは、たぶん半々以下。夏休みに時間が取れたら、もしかしたら以前のアカウントにログインしてみるかもしれない。
久しぶりに「もっとアイをチョウダイよ!!!」を聴き返している。
初回から楽しそうにやっているなあ。
旧SHCのスタッフも、NEXTONや戯画あたりにチームごと売り込んでいけば、お金を出してくれたりしないものかなあ。制作経験豊富なコアメンバーがいれば、後のスタッフ(脚本とか広報とか)はメーカーが提供or紹介してくれるだろうし。旧SHCの解散は制作方針に関する意見の違いがあったとのことだが、制作方針に関して意見が合う者どうしが集まって何かやってくれたらと思う。業界内での実績は折紙付きだろうし、SLG制作スキルはたいへん貴重なのだから。もっとも、すでに新しい仕事を見つけて精力的に活動しておられる方も多いだろうけど。『LEVEL JUSTICE』以降のSHCの塗りを劇的に向上させた笠懸えびら氏や、『王賊』の頃から企画補佐や広報として大活躍されていた藤山ちかい氏は、今どこでどんな活動をなさっているのだろうか。
ふと思い出してフランク・マルタンのCDを取り出して聴きまくっている。いや、聴きまくると言えるほどたくさん持っているわけではないけど。Ansermetの古典的録音も速めのテンポが心地良いが、Armin Jordan指揮の演奏(1989, 1991)も色彩感が豊かで楽しい。
VOLKSの「FIORE コスモス」は、5/22店頭発売とのこと。その頃になったら、意を決して買い出しに行こう。幸か不幸か、オタク系の買い物をほとんどしていないため、今月分のお金には余裕があることだし(※といって気が大きくなると、数万円を一気に使ってしまう虞もあるのだが)。
Master Gradeのガンプラは、これまでに20個ほど作っている。多いのか少ないのかよく分からない数字だ。
思い出深いのは、「ガンダム ver. 1.5」。脚部フレームが多重成形によってランナー状態のまま完成している(切り出すだけで関節部も完全に可動する)のに驚嘆した。
変形ものに関しては、「ゼータプラス」が良かった。変形後の形状もきちんと固定されるし、カラーリングもきれいに再現されている。楽しくてA1とC1の両方を作ったくらい。変形ものでは、「イージスガンダム」と「ΖΖガンダム ver. Ka」も面白かった。
構造面で刺激的なのは「ボール ver. Ka.」。内部の多重フレームがリアリスティックに再現されていて、本体+フレーム+外装を取り付けていくという組み立てになっている。内部フレームものとしてきわめて説得力のあるキットだった。
プレーンに完成度の高いキットとしては。「エールストライクガンダム ver. RM」が良かった。プロポーションもディテール密度も関節強度も程良いバランスで、作っていて気持ち良いキット。
大物は「Ex-Sガンダム」。エアブラシ導入最初期の塗装制作だったが、たいへん楽しかった。なお、「ディープストライカー」は買っていない(※GFF版を持っているので)。
作ってみたいかなと思うのは「∀ガンダム」。ガンダムタイプ以外のMGも作ってみたい(※ガンダム以外は「ザクII F2」と「リックドム」くらいしか作っていなかった)。
HGUCは、ほんの13個。PGはガンダムMk-IIの1つだけ。やはり私は、ガンプラ趣味はかなり希薄だし、そしてガンダムファンでもない。
05/08(Sat)
AGP「ユニコーンガンダム」(MS少女)も持っているので、並べてみた。軽装のユニコーンモードと重装のデストロイモードを、一部パーツの差し替えや組み替えのみで見事に再現している。目隠れキャラがたいへん可愛らしい。
HGUC版「バンシィ」も以前に作っていた。そちらはデストロイモード固定で、そのぶん堅牢に出来ている。変形を重視しないならばHGUC版でも良いと思う。左右非対称の腕部も格好良いし。
「メーカーとユーザーの距離が近かった」というのは、90年代末から00年代前半頃までのアダルトゲーム文化の大きな特徴の一つだと思う。関連する要因として、「インターネットの拡大期」、「小規模制作」、「オタク文化」、「年齢制限コンテンツという秘密感」といった様々な条件に恵まれていた。
90年代末には、インターネット利用者が急増していたが、ばらばらの一般利用者たちが集合し交流する場は、まだ整備されていなかった。SNSやブログなどは無く、比較的高いIT知識を持つnifty会議室ユーザーやアングラ志向の総合掲示板のほかは、無料掲示板サーヴィスがようやく現れつつあるという程度だった(※Teacup掲示板は1997年開始とのこと)。趣味の諸分野でも、yahoo検索でヒットする主要なサイト群(ごく限られた数の)を定期的に訪問しては、掲示板などでほそぼそと交流するのが一般的だったと思う。
そうした中で、アダルトゲームメーカーは、商業ゲーム制作会社としては珍しいことに、公式サイトに掲示板を設置する例が比較的多かった。Leaf掲示板は有名だし、ソフトハウスキャラも当初から掲示板を開設していた。要するに、まだ人口の少ないインターネットで、18禁ゲームという比較的マニアックなコンテンツに関して、オフィシャルサイト上でユーザーたちが(場合によっては制作スタッフも)熱心に交流する空間が、いくつも存在した。
さらに00年代に入ると、公式サイトのスタッフ雑記などでもいわゆる「匿名掲示板」(つまり2ちゃんねる)への言及が時折見られた。私自身はそのあたりには詳しくないが、現在のSNSへの言及とはまた違った具体性、特定性があっただろうし、そこにいるユーザーたちもそうした言及を好意的に受け取っていただろう。
PC(アダルト)ゲームメーカーのほとんどが、若い世代による小規模企業であったおかげもあるだろう。当時の先進メディアであるパソコンをプラットフォームとして、デジタルリテラシーの高い若きクリエイターたち数人が集まっては、短期間でゲリラ的に新作ゲームを制作し発売していく。そういう速度感と自由さのある世界だった。そうした空気から、お堅い大企業のやり方とは正反対のフレンドリーなオンラインコミュニケーションが展開されたのは、まったく自然なことだった。メーカー公式サイトでは、肩の凝らない四コマ漫画のようなお遊びコンテンツが定期掲載されていたし、エイプリルフール企画も活発に行われていた(※アダルトゲーム業界は、早くからネット上でのエイプリルフール企画を行っていた分野の一つ。00年代初頭当時としては、それは「洒落の分かる大人なユーザーたち」をメーカーが信頼することができたからこそ、一日限りの大胆なお遊びネタを披露してくれたのだ)。
各メーカーの公式サイト以外でも、例えば「SS(二次創作小説)」投稿サイトが様々に存在し、そこからアダルトゲームのシナリオライターとして商業デビューしていく者も多かったようだ。つまり、10年代以降(小説投稿サイトからの商業小説化デビュー)と似たような状況が、90年代のうちからすでに存在していた。
こうした側面は、アダルトゲーム文化をふりかえる際に看過されがちだが、しかしそのダイナミズムは、この分野の盛り上がりを支えていた事情としてきわめて重要な要因だったと思う。私自身は、年齢(世代)や性格のため、そういった交流にはほとんど参加しなかったが、しかしその熱気の照り返しははっきりと感じ続けていた。
2021年現在では、ネットユーザーがあまりにも多すぎ、なおかつあまりにもカジュアルになりすぎているため、幅広さと密度を両立させた趣味のコミュニケーションは難しくなっている。ゲーム制作会社の公式サイトで掲示板を維持することも、現在ではかなり困難だろう。流れが速すぎてコミュニケーションが維持できなかったり、言い争いなどのトラブル対処に膨大な手間が発生したりするか、あるいは逆に外部のSNSに話題を奪われたり、固定客がほとんど来ない寂れた掲示板になるか、いずれにしてもユーザー間の理想的な交流の場を作り上げることはほとんど不可能だろう。
しかし、現代は現代で、新たな媒体を用いた新たな形態のコミュニケーションが展開されている。とりわけ動画配信とSNSは、リアクションの即時性が高く、参加のハードルも低い。実際、楽しんでいる人口は非常に多いようだ。
[ shchara.co.jp ]が、ついに消えたか……。『ブラウン通り三番目』(2003)の頃からプレイしていて、その次の『LEVEL JUSTICE』(2003)と『巣作りドラゴン』(2004)でファンになったから、もう17~18年になるのか。ほんとうに長い間、人生の大きな楽しみを与えてくれたメーカーだった。公式サイトが消滅するのを見ると、「ほんとうに解散したんだなあ」という悲しい実感が心の中に落ちてくる。
それほど上手ではない外国イラストレーターさんの絵も、SNSなどでわりと頻繁に見かけるようになった。私の見聞の範囲では、ここ数ヶ月でかなり頻度が上がってきた。これはとても良いことだと思う。つまり、外国(日本)にまで威名が轟いて当然のような超一流クリエイターの作品だけでなく、裾野全体に及ぶ交流が増えているということだから。中国語アカウントやハングルアカウント、あるいは英語アカウント等々のイラストレーターたちとの間でも、絵を通じて交流することができる。互いの言語は違えども、イラストという形で通じ合うことができる。そしてそれが、どんどん広がっている。素晴らしいことだと思う。
元々、インターネット空間は、言語や居住地域の垣根を超えることのできるポテンシャルがあるのだが、それが(オタク系の)趣味分野でも実現されつつある。もちろん、音楽や模型でも、あるいはそれ以外の趣味や学問、生活等々の様々な領域でも十分可能だ。
プリンだ! プリンを寄越せ! 代わりに王国をやるぞ!(『リチャード3世』ネタ)
そう、私の生活にはプリンが足りていなかった。はやく たべなければ かゆい うま
05/02(Sun)
FAG「フレズウェルク:ビキニ」(上の写真)は、ハイヒール込みで約16cm、創彩「小鳥遊暦」(写真中央)は約15.5cmなので、同一スケールと見做してよい。しかし、創彩は小顔のためもあり、かなり等身が高く見える。FRS「ダイバーアヤメ」(写真右)は、やや小さめの約15cm。顔立ちもアニメ顔で、プロポーションも重心低めで安定感がある。
最も顕著な違いはバストサイズだろう。胸部外周を測ってみると:
- ランチャー(MD)=5.7cm(※胸部骨格はかなりスリム。「ウィッチ」はさらに小さいだろう)。
- 小鳥遊暦=5.95cm(※シルエットの見栄えのためか、脇の下の背中側が出っ張っている)。
- フレズヴェルク(FAG)=6.9cm(※左右に突起パーツがあるため、実際には-4mm程度か)
- アヤメ(FRS)=6.9cm(※忍者装束はボディコンシャスなデザインで、着膨れ感は少ない)。
- グライフェン(FAG)=7.1cm(※ただしハーネスベルトで盛り上げている)。
- ラーニア(DA)=7.2cm(※胸部は前垂れのみで、ほぼ素肌)。
10倍~11倍すればおおむね現実の人間に相当する筈だが、いずれも胸部骨格が極端に小さくデフォルメされているので、単純な比較はできない。胸部骨格の分は、それぞれ+2cmくらいが妥当だろうか。
というわけで、ガールプラモ資料ページに加筆。
今年受け持っている講義に、あるアダルトゲーム声優さんと同姓同名の受講者がいて、名簿を見る度にちょっとドキドキする。あの声優さんご本人ということはあり得ないが、漢字も完全に同じなのでなかなかスリリング。もちろんここで名前を挙げるわけにはいかないが、例えば「青山ゆかり」「深井晴花」くらいのビッグネームが名簿に載っているわけで、インパクトが大きい。
もちろん、贔屓などせず、どの学生も公平に扱っている。以前は「門脇」名字の受講者がいたことがあり、内心ではついつい好ましく感じてしまうのだが、講義中外の対応や成績評価はあくまで公平に行った。
『ソラノヲト』第1話の籤引きトリックは、こんな感じかなあ。
1人目(ノエル)と2人目(クレハ)が引くときは、どちらもハズレ。あるいは、アタリ籤は手元の方に入れておく。ノエルは無頓着に、一番手前から引く。クレハはかなり迷うが、根は気弱なので、早く引けとせっつけば慌てて手前を引く。ただし、ノエルたちは密造酒に気づくくらいには気が回るので、万一を考えてアタリは入れずにおいたという可能性もある。
3人目(リオ)が引くときは、たぶん両方ともアタリ。リオがアタリを引いて驚いている最中に、最後の一枚(自分自身の分)をそっと隠して、ハズレ籤にすりかえている。フィリシアの手許がいったんフレームアウトしているのがミソ。裏を返せば、「リオの思考は複雑なので、どう行動するかはフィリシアにも読み切れなかった」ということも示唆しているエピソードだ。
それにしても、第1話の冒頭から腹黒を発揮しているフィリシアさん……。
王女の役に小野涼子氏がキャストされているのも良い。高貴さというよりは、相手に安心感と信頼感を与える心優しいキャラクターとしての、絶妙の配役だと思う。
「おかしい……私はどうしてこの絵に惹きつけられるのだろう?」という時がある。熟視熟考してみると、どうやらそのキャラが眼鏡を掛けていることが原因のようだ、という結論になる。ネタや冗談ではなく、本当にこんなことが何度も起きている。キャラのポージングはあんまり可愛くないし、塗りも薄っぺらいのだが、どこか目を離せない魅力を感じて、その焦点を探ると眼鏡(がそのキャラに似合っているという事実)に行き当たる。めがねって、すごい!
もちろん、眼鏡であれば何でもいいというわけではない。眼鏡の似合っていないイラストもあるし、眼鏡の描き込みのイージーさに不満を覚える絵もある。しかし、全体としてみれば、やはり眼鏡は良いものだと思う。
眼鏡といえば、SNSのプロフィールで「眼鏡のファンです」と書いているクリエイターさんがいらっしゃった。その発想、その言語感覚、そこまでの自己認識は、私の中には無かった……。
ガトーゲルググとシーマゲルググ(マリーネ)のカラーリングは、補色関係なんだね。 前者の画像を色反転すると後者の配色に近くなる。どちらも不思議なカラーリングだと思っていたが、ふと思いついて色反転してみたら、見事にぴったりだった。……仲の悪さを色彩面でも表現していたとは。
アイドル系ゲームなどのコンテンツは全然興味が無いのだけど、「彼女たちがみんなBL好きで、楽屋や稽古場でも毎日BLトークに花を咲かせている」と考えてみたら、とたんに好ましく感じられるようになってきた。(そんなのでいいのか……)