【 変わり種ED。STGとACTのばあい 】
『それゆけ! ぶるにゃんマン えくすたしー!!!』(Digital Cute、2014)のエンドロールは衝撃的だった。STG作品なのだが、エンドロールの最中にも自機を操作できて、さらにスタッフクレジットの文字列を攻撃破壊できて、しかもそれがスコアに加算されるのだ。STGならではのユニークな演出ではあるが、中盤からはクレジットの側からもそれなりに激しい弾幕攻撃をしてくるようになるので、クレジットを確認するのが難しくなるというおまけつき。
風変わりなエンドロールというと、『巫女さんファイター涼子ちゃん』(すたじお緑茶、2006)を思い出す。パズル要素のあるアクションゲームで、エンドロールの最中にエクストラステージの模範プレイが流れているというもの。このエクストラステージは、本編ステージに比べるとアクションパズル的側面は控えめだが、操作の正確性と、それからタイムアタックのための速度が求められるので、模範プレイを見せてもプレイヤーの邪魔になるものではない。
【 個々のヒロインに対応した表現 】
純AVG作品――しかも学園恋愛系――でいうと、エンドロールのキャスト表示欄で、その都度のエンディングを迎えた当該ヒロインが序列トップに来るようになっているというものがある。ヒロインの地位が、そしてプレイヤーの選択の結果が、きちんと尊重されているのだという気持ちにさせてくれる、繊細なエンドロール表現。憶えている範囲では、『パティシエなにゃんこ』(pajamas soft)と『明日の君と逢うために』(Purple software、2007)があるが、これらに限らず、白箱系ジャンルでは00年代半ば頃にはすでに、エンディング演出が手の込んだものになっていった。
典型的なのは、ヒロイン毎のエンディングソングを導入した『はぴねす!』(ういんどみる、2005)だろう。しかも、個別ヒロインのエンディングで、それぞれ当該ヒロイン(を演じた声優)自身に歌わせている、つまりキャラソン型であるという点も特徴的である。
しかし、ED曲演出の先鞭をつけたと言うべきは、おそらくpajamas softとすたじおみりすだろう。上述の『パティシエなにゃんこ』(2003)は、姉小路冬華のエンディングで、――他のEDとは異なって――ヒロインを演じる海原エレナによるED曲が流れるという形になっていた。歌手キャラクターというわけではないが、ヒロインが憶えている想い出深い曲として、本編中でも鼻歌などで何度か耳にしていた音楽が、エンディングに至って正式な形で流れるというのは、音楽の聴かせ方としても秀逸だった。その前の『パンドラの夢』(2001)も、キャラクター毎の固有のエンディングソング(ただしキャラソンではない)を与えていたような曖昧な記憶があるが、確認できない。
『月陽炎』(すたじおみりす、2001)も、個別ヒロインに複数のエンディング曲を用意していた最初期の例に属する。ただし、全てのヒロインにそれぞれ独自のED曲を用意したのではなく、一部のみであるが。その基幹スタッフは、ALcotを設立してからも複数のエンディングソングを使用する演出を繰り返しているが、いずれもキャラソン型のED曲ではない。
『Quartett!』(Littlewitch、2004)も、同様にヒロイン毎のエンディングソングを用意していた。ただしヒロイン役声優によるキャラソンではなく、一人の(キャスト陣にも含まれない、歌専門の)歌手による歌唱である。
なお、Littlewtchでは、第一作『白詰草話』(2002)にも特徴的なエンディングがある。章構成を採用する本作では、各章の終わりにスタッフロールが流れるが、そこでは本編中で使用された画像の原画(下絵)群が、シックな白黒反転画像として使われている。通常の意味の汎用的立ち絵を使用せず、FFDと称するカットイン組み立て式の画面構築をその都度行っている本作であればこそ実現し得た、特異なエンディング演出である(――詳しくは「ラフ画像」記事を参照)。
上記Purple softwareも、『秋色恋華』(2005)で、アイドルヒロイン「新山葵」専用のエンディング演出として、ヒロインを演じる木村あやかによるエンディングソングを聴かせてくれた。これは、本編進行から切り離されたエンドロール演出ではなく、本編の最後のシーンをそのまま受け継いで、ヒロイン自身が歌うシーンとして構成されているという点が注目に値する。
ウェブサイト「BANDITの隠れ家」のデータを参照するに、複数のED曲を持つタイトルは『淫声 ~うたごえ~』(APPLE PIE、1999年7月)が最初になるようだ。
『それゆけ! ぶるにゃんマン えくすたしー!!!』 (c)2014 Digital Cute
スタッフクレジットを、射撃破壊できるという、奇抜なエンディング。後半ではクレジットの側からも大量に弾を撃ってくる。なお、最初期のプレイでのスクリーンショットなので、スコアはかなり低い。
『巫女さんファイター涼子ちゃん』
(c)2006 すたじお緑茶
エンドロールの最中に、背後ではエクストラステージのオートプレイが流れている。左記画像は、画面中央の自機が、右側に向かって道具を投げつけている瞬間。
『秋色恋華』 (c)2005 Purple software
本編の最後のシーンは、ヒロインが主人公に歌を聴いてほしいと告げるものであり、それを引き継いで、エンドロールの間、ヒロイン(を演じた声優)による歌が実際に流れる。このアイドルキャラクターのみに与えられた特別な演出である。
『明日の君と逢うために』
(c)2007 Purple software
個別ヒロインエンディングでは、そのヒロインの役を演じた声優が筆頭に表示される。筆頭キャラクター以外では、原則として安玖深音、祢乃照果、五行なずな、井村屋ほのか、沢野みりか、一色ヒカル(以下略)の順になっている。背後では、写真フィルムを模した帯の上に当該ヒロインの関連シーンが流れていく。
(2015/02/10)
【 エンドロール上で展開される新たな物語 】
『SEVEN-BRIDGE』(Liar-soft、2005)のエンディングムービーは、美少女ゲームの一般的な流儀(これまでの一枚絵を並べて振り返るもの)ではない。そこでは、新たなCG群――といっても本編のそれとはタッチが大きく異なるが――が、スライドショー的に表示されていく。描かれているのは、本編の厳しい劇的展開を乗り越えたエマとクゥの穏やかな生活であり、これが事実上エピローグを成している。本編とは異なって一切の台詞を排したその描写は、本編最後の状況に関する一抹の気掛かりを宙吊りにしつつ、柔らかで融和的な関係が綴られていく。もちろんED曲は音楽として流れており、Rita氏の歌う「Inliyor」は朗々と、しかし同時にせつなく懐古的に広がっていく。そしてその最後に、歌が終わってからも、映像はしばし続き、ラストシーンを提示する。
エンドロールをエピローグの場とするアイデア。そこに何枚もの新規CGを投入する配分。それによって実現された、無言のシーン。これは、美少女ゲームの中の最も濃密で最も美しい瞬間の一つに数えられるだろう。
同様にOPムービーも、各キャラクターが列車に乗り込むことになる経緯を断片的に示唆するものになっている。ただしこちらは、いささか分かりづらい(目で見て認識しづらい)。
[tw: 7997224898 ]。以前には、これとは少し別の角度から、このEDムービーに言及した。
エンドロール演出として印象深いのは、『アトラク=ナクア』(alicesoft、1997)。本作のエンディングは、きわめて特異なスタイルを採る。本編のラストシーンに続いて、ED曲とともにスタッフロールが始まるが、ここでは本編の背景画像がスライドショー的に展開される。クレジットがひとしきり表示し終えると、教室を正面から映した――これも、実はきわめて珍しい構図であるが――背景画像が、目の粗いセピア色に変じる。そしてそこから、新たなセピア色の一枚絵群が順次表示されていくが、そこで描かれているのは、本編には存在しなかった不思議なショット群である。一枚目は、生徒会長「渡辺鷹弘」とその妹「つぐみ」と恋人「高野沙千保」が、明るい日差しの中庭で和やかに談笑する様子――しかし本編では、つぐみと沙千保は鷹弘を挟んでいささかぎこちない関係にあり、ゲーム進行のうえで択一的関係に立たされていたのだが、ここではそのようなとげとげしさは一切窺われない。それでは、この融和的関係を描いた一枚絵は何を表しているのだろうか?
続いて表示されるのは、八神燐が、自宅のベッドとおぼしき場所で枝毛を切っているCG。この不幸な少女については、本編ではその私生活の側面はまったく描かれなかったのだが、その欠如が埋め合わされるかのように、このエンディングの中でその日常の様子が描かれる。さらに、物語の重要人物である「葛城和久」と「深山奏子」が遊園地を楽しげに駆けているシーン。生活指導教諭とおぼしき大人に追いかけられているという、いささか古めかしいイメージのラブコメ的状況であるが、本編中では、彼等にはこのような幸福――ほとんど通俗的なほどに典型的に想像され願われる幸福――の機会はけっして与えられなかった。そして最後に表示されるのは、主人公「比良坂初音」の姿である。八重坂高校に棲み着いた異形の怪物である彼女(ただし普段は人間形態を取っている)は、学校のキャンパスに対して終始余所者であり異物であり続けていたのだが、このCGではそのような軋轢や屈託はまるで存在しないかのように、彼女は窓辺の席で肘をついて目を瞑り、静かに安らっている。
要するに、ここでセピア色のCG群でそっと示唆されているのは、本編中には存在しなかった物事のありようであり、本編中では結局そうならなかったがそうあることも出来たかもしれなかった、幸福な夢の世界である。アナログレコードの微かな雑音を混ぜた懐古的なED曲「Memorial day」においてヴァイオリンが朗々と歌っているのは、端的にいえば喪失の抒情であり、そして、主人公の死をもって閉じられたこの短い物語がこの技巧的な手段を用いることによって奇跡的に調達したロマンティックな別様の幸福の可能性である。
そして最後に、あらためてタイトル「アトラク=ナクア ATLACH=NACHA」を、白で薄く縁取られた赤文字で黒画面上に表示することで、この作品は完全に終結する。
オーソドックスなのは、ヒロインがその場で歌うエンディング。例えば上記『秋色恋華』の新山葵EDは、ラストシーンでヒロインが主人公一人だけのために歌い始め、そこにスタッフロールがオーバーラップしてくる。ここでは、物語を継続し、歌を聴かせ、スタッフロールを見せるという三層の進行が同時に為されている。
邪悪な形態の一例として、『夢幻廻廊2』(BLACK Cyc、2009)がある。長大なループの終端にようやく到達し、スタッフロールが重々しくも切なげなED曲「Endless ripples」とともに流れ終えるや、物語の狂言回しが突如として再登場する。そして、プレイヤーに向けてひとしきり皮肉なコメントを述べたのち、画面は砂嵐に転換して今度こそ本当に終わる。本作を企画した伊藤ヒロは、後に『ク・リトル・リトル』(2010)において再び同じように、作中人物が唐突にプレイヤーに向けて語りかける一幕を――ただし今度はエンディング後ではなく本編中の特定の分岐の際に――挿入して見せた。このように、伊藤は物語の終わらせ方についても意識的なゲームクリエイターであり、『R.U.R.U.R』(light、2007)においても、プレイヤーが全てのエンディングを迎えた直後に特別なエピローグイベントが発生するというフラグ設計を行っていた。
ただし、『夢幻廻廊2』のような語りかけは、ゲーム分野においては突飛なものではないということも留意されるべきである。現代美少女ゲームのパラダイム的なAVG形式の外では、挑戦と計画的試行錯誤を重視するゲーム作品においては、エンディングに到達したプレイヤーに対して制作者自身から称賛の言葉が「Congratulations!」と投げかけられるのは、まったく通常の事態である。美少女ゲームにおいても、例えば『ママトト』では、エンディング到達時のプレイヤーユニットたちの総合レベルに応じて異なった「Congratulations!」画像が表示される――そのため、プレイヤーは低レベルクリアを動機づけられる(あるいは、半ば強制される)ことになる。また、ソフトハウスキャラのSLG作品には、エンディング時にランク評価が下されるものがある(――とりわけ『ブラウン通り』から『Wizard's Climber』まで)。このような表現が成立しうるのは、ゲームというものに内在する複雑なインタラクティヴィティに由来している。すなわち、作者の手を離れて客観的に完結した(と一応見做せる)非ゲーム作品とは異なって、ゲームの作品は常に動的な存在であり、プレイヤーは制作者と直接に、あるいは制作者が構築した動的メカニズムと、ずっと向き合い続け、それとの間で様々な情報や機能のやりとりを行うことになる(――生身の制作者と直接向き合うゲームもある。TRPGにおけるゲームマスターは、コンピュータゲームにおける「制作者」に相当する地位に立つ)。そのような相互作用性があらかじめゲームの行為には内在しているがゆえに、制作者の声がゲーム上の物語(がある場合にも)の枠を超えて届けられることも、正当な振舞いとなる。『夢幻廻廊2』の話に戻すと、伊藤の創意が発揮されているのは、エンディング後の語りかけという構造を採用したことに存するのではなく、その語りかけという形式を用いつつそれを――古典的な賛辞の機会とは逆に――巧みに冷や水を浴びせるために利用したという点にこそ存すると言うべきだろう。
なお、美少女ゲームで、よりいっそう典型的に「作中からプレイヤーへの語りかけ」が見出されるのは、次回予告表現においてである。この幕間イベントでは、しばしば楽屋ネタをも交えつつ、作中キャラクターからの直接的な語りかけがなされる。『えむぴぃ』『あかときっ!』『恋神』などが、次回予告でのそのような語りかけを行っている(――似たような例として、『桜花センゴク』では、本編中の作中キャラクターではなく、物語全体の枠組的語り手による第三者的な解説シーンが、章末に挟まれる)。
『アトラク=ナクア』 (c)1997 Alicesoft
本編中の状況とは異なったシーンのイラスト。セピア色の懐古的なムードであるが、この物語の過去にも現在(本編中)にもあり得なかったであろう状況が、このエンドロールという特殊な場を借りて表現されている。
『夢幻廻廊2』 (c)2009 BLACK Cyc
エンドロールの直後に出現するイベントシーン。場所も時間も明示しない曖昧な背景のうえに、名乗りすら多重化されているキャラクターが――ということはそのキャラクターとしてのアイデンティティも攪乱されているということだが――登場し、プレイヤーの属する現実世界の歪さをひとしきり揶揄したうえで、ゲームはようやく終わる。
『恋神』 (c)2010 PULLTOP
章構成を採用する本作では、各章の合間に「おしえて神様!」というコーナーが設けられており、田口まことによる瑞々しい筆致のデフォルメキャラクターたちの会話という形で次回予告的内容がおおまかに示唆される。「おしえて神様!」は、本編中でも用語説明のために何度か挿入される。