2014/08/29

ソフトハウスキャラ作品のイベント構成

  ソフトハウスキャラ作品に見られる、イベントフラグ構成とゲームシステムの協働。
  主に『アウトベジタブルズ』と『巣作りドラゴン』を題材として、簡単な再検討を試みる。


  【 『アウトベジタブルズ』におけるSLGパートとAVGパートの相互関連 】
  考えれば考えるほど、『アウトベジタブルズ』のイベントフラグ構成は秀逸だ。

  1)最初のうちは、準備が十分整わないプレイヤーは、何よりもまず怪盗活動の成功(つまり財宝獲得)を目指す。財宝獲得を繰り返すことで、秘書「瑠流」のイベントが次々に発生していくが、これはさしあたり、主人公の置かれた状況がどのようなものであるかを、おおまかにそして緩やかにプレイヤーに示唆していく。

  2)次第に余裕が出てきたプレイヤーは、怪盗ポイント獲得によるランキングアップを目標にするようになる。そのために、カードの組み合わせによるコンボボーナスを目指すことになるが、その過程で、カードの出し方を条件として弟子二人のイベントが発生するという関連に気付くようになるだろう。ここから弟子の育成が始まる。元々、これは本作の主人公に与えられた目標であったのだが、この段階でプレイヤーはこれを自らのプレイ目標として受け入れるようになる。そして、弟子の育成(=カードの強化)と、カードコンボの構築(=ゲームシステムの理解)と、怪盗ポイントの増加(=ゲプレイ目標)が、共通の目標の下に連動していく。

  3)この段階で、プレイヤーには大きな裁量が与えられる。すなわち、ランキングを目指してもよいし、弟子のイベントを見ていってもよい。さしあたりは弟子二人のイベントを順次発生させていくことになるだろうが、これらのイベントフラグはランキングには影響されないので、気兼ねなくこのゲーム世界のシチュエーションを楽しんでいくことができる。

  4)そして二周目、三周目になると、ラグドールイベントが現れる。このイベントは、ストーリー面では状況に対してドラマティックな緊張感をもたらしつつ、ゲームパートとしては「超えるべき目標」をプレイヤーに対して提示することになる。引継ぎポイントも増えており、ゲームシステムやマップ構成の理解も進んできたところなので、プレイヤーは自身のプレイングスキルを駆使してランキング一位獲得を追求する。

  5)ラグドールに勝利すると、最後に第六シーズンが開放される。そして、最高難度のマップを踏破すると、ベストエンディングを見ることができる。ラグドールイベントがランキング争いの長期戦であったのに対して、こちらは一つのマップを制覇することが目標になるという点で、プレイヤーに求められるゲーム上のアプローチは大きく異なってくる。

  6)ここまで来る頃には、イベント回想枠はかなり埋まってきている。回想シーンはかなり分かりやすい順序で並んでいるので、残っているのがどのあたりのイベントであるのか――そしてどのようなフラグを満たせば良いであろうか――も、見当をつけることができる。

  このようなゲームの進め方が、AVGパート上のイベントフラグとSLGパートのゲームシステムの双方の組み合わせによって、自然に誘導されている。これまでのソフトハウスキャラであれば、周回モード変化を設定して、ヒロインたちのイベントを個別に順々に見せていくという形にしていただろう(――直近の作品では例えば『雪鬼屋』『門を守るお仕事』はまさにそうだった)。そのような外形的、強制的、作為的な区分にはほとんど依存せずに、イベントフラグの条件設定によって上記のようなゲーム進行の流れを導いているのは、まぎれもなく、本作の美質の一つである。



  【 ソフトハウスキャラの他作品について 】
  ただし、SLGパートの難易度コントロールと、AVGパートのイベントフラグ設計とを組み合わせて、ゲーム進行の道筋をつけるという手法にSHCが成功したのは、本作が初めてではない。例えば『うえはぁす』(2000)は、ゲームパート上の難易度やルート分岐条件の設計によって、クリス(メインヒロイン)エンディングを、最後に訪れるべき真のエンディングとして位置づけていた。『真昼に踊る犯罪者』(2001)も、物語のキーとなる重要なイベントを、難易度の高い依頼の中に埋め込むことにより、ルネリアイベントを謎めいたものとして作り上げた。『ブラウン通り三番目』(2003)も、経営SLGパートの状況に応じてヒロインイベントが進行する。



  【 『巣作りドラゴン』におけるSLGパートとAVGパートの相互関連 】
  しかし、特筆すべきは『巣作りドラゴン』(2004)だろう。本作もモード変化を伴ってはいるが、基本的には、ゲームパートが期間延長されるだけだと言ってよい。

  1)ドラゴンを主人公として、巣に侵入してくる冒険者たちを迎撃して財宝を貯めるのが本作の目標であるが、最初のうちは迎撃のための戦力が整わないため、デフォルトのヒロイン「ユメ」とのイベントを進めて無難なエンディングを目指すことになる。物語の最初のイベント登場するヒロインとして、物語の始まりに対して応答的な結末を与えるものであり、そして同時に、このエンディングではリュミスとの関係についても最初の――ただし最善とは言えない――結着がつけられる。

  2)そのうち、最初の難所として、イベントキャラクター「フェイ」が侵入するようになる。これを撃退することが、ゲームパート上での最初の目標になる。そして、フェイ撃破に成功したうえで関連するコマンドを実行していくと、このヒロインとのエンディングを迎えることができるようになる。AVGパートにおける位置づけとしては、彼女は巣への侵入者の代表として描かれており、そしてそれゆえ、フェイの関連イベントを体験していくことにより、この時点でプレイヤーは、侵入者側の物語を見聞きし、そしてこの主人公が置かれている状況についての理解も得る。

  3)配下ユニットが成長して余裕が出てくると、財力上昇を目指して街や城を襲撃することにプレイヤーの意識が向かうようになる。ここで、城攻撃に成功すると、今度はプリンセス「ルクル」のイベントを進められるようになる。王族ルクルは、領内に巣食うドラゴンの討伐を命じている張本人であり、SLGパート上で彼女を捕獲してAVGパート上で交渉成功させることにより、ドラゴンと人間社会との関係について、一応の決着を得ることができる。

  4)さらに周回を重ねてプレイ期間を延長すると、強敵「ドゥエルナ」が侵入するようになる。これを撃破してイベントを進めると、今度は竜族社会の広がりが描かれていく。こちらはもっぱらAGVパート上の連鎖イベントの形で、主人公の置かれた境遇のもう一つの側面が展開されていく。そして、ゲーム遂行上の最終目標であるところの、メインヒロイン「リュミス」にも関わるドラマが、次第にプレイヤーの眼前示される。SLGパートでは、ドゥエルナを撃破できる頃には、SLGパート上の手駒は十分揃ってきており、ユニット育成の試行錯誤を楽しめる段階に入っていく。

  5)財力蓄積(所持金の額)をフラグとしてサブキャラ「クー」のイベントが発生する。また、週単位コマンドの実行回数によってサブキャラ「メイド」のイベントも見るようになるが、実行回数がイベント進行の条件であるため、期間延長が必要であり、三周目以降になってようやくイベントを最後まで見届けることができるようになる。クーとメイドは、主人公の巣造営に関する第三の社会的側面を扱う物語であり、巣の運営の経済的側面を描くものでもある。

  6)最後にメインヒロイン「リュミス」とのエンディングを迎えられるようにするため、プレイヤーは採りうる限りの手段を用いて最善を尽くすことになる。許嫁リュミスとの婚姻成就は、本作の最初に示された目標であり、そして最もハードルの高いエンディング条件である。

  このように、SLGパート上のあらゆる要素を使って、ヒロインたちのイベントフラグを配置し、そして物語としても順を追って状況が展開していくように構成されている。名作と呼ばれる所以である。



  【 ソフトハウスキャラ作品におけるSLGパートとAVGパートの相互作用の特質 】
  このようなSLGパート(システム基軸の「ゲーム」のサイド)とAVGパート(テキスト基軸の「イベント」のサイド)の相互作用形成について、同社は常に成功してきたというわけではないが、しかしいくつもの作品において目覚ましい成功を収めてきたことは確かである。しかもそれは、一般的にイメージされるSLG+AVG作品のそれと比べて、そのフレームワークのあり方においてきわめて特異なものである。それは、AVGパートのイベント進行によって狭く固定された飛び石的なSLG進行ではなく、また、完全に自律的なSLGパートのゲームシステムの中に単なるフレーバーとしてのAVGパートイベントが散発的従属的に現れるというようなものでもない。AVGパートとSLGパートを往復しつつゲーム時間が進行していく形式的なルーチンが、このブランドのゲーム作りの基礎にあり、その中でSLGパートのありようがフラグとなってAVGパートを進めさせ、そしてAVGパートで描かれる状況がSLGパートのなりゆきに対して(時折実質的な影響をもたらしつつ)意味づけや目的を与えていく。ここでは、SLGパートは、物語進行から切り離された挑戦の場としての「ゲームらしいゲーム」パートに終わるものではなく、AVGパートのためにプレイヤーが様々な条件をコントロールするためのフェーズになっている。そしてAVGパートの側も、SLG進行からの単なる帰結や褒賞提供に終わるものではなく、自ら積極的にゲーム進行に対して働きかけていく存在である。
  デジタル読み物のような、単なる物語表現メディアだけではなく、また、囲碁将棋のような、ルールに基づいた挑戦的遊戯のみに特化したものでもない。テキストとシステムのあらゆる手段を用いて展開されるフィクショナルな「状況」の表現と、それをプレイヤーの手で実際に展開していく「参加」の側面を併せ持ったこれらの作品は、我々が知る言葉で言えば、まさに「シミュレーション」というものの最も徹底的でそしてきわめて豊かな現れである。