【 テキスト表示方式:バルーンウィンドウモード 】
『聖娼女』(Frill、2013)が売りにしている「バルーンウィンドウモード」は、フキダシ型テキスト表示の一種であって、このブランドが歴史上初めて着手したアイデアというものではないが、しかし本作特有のチューニングには、巧緻な画面設計が見出される。
まず第一に、シーン毎(一枚絵毎)にバルーン表示位置が固定されているところが興味深い。本作のバルーン(フキダシ型テキストボックス)は、通常、一画面に5個(=5クリック分)ずつ、画面右側から左側へ掛けて順番に出ては、クリアされて次に進んでいく――稀に4個になったり、あるいは3個、2個になったりすることもある――のだが、これらのバルーンは、それぞれヒロインの顔や局部を遮蔽しないような特定の五箇所で、つまり常に固定位置で表示される。Littlewitch、すたじお緑茶、lightでは、フキダシテキストはその都度演出上の必要に応じて柔軟に表示されていたし、ALcotでは、フキダシ表示位置は発話者の立ち絵胸元に半固定式で表示されていた(一枚絵では一般的な画面下部表示)が、ここでFrillは第三の新たな道を選んだと言っていいだろう。
それでは、この「一枚絵の」、しかも「アダルトシーンの」、「複数固定位置での」フキダシ型テキスト表示スタイルの中に、具体的にどのような意義や示唆が見出せるか。
1)一枚絵を遮蔽しない。
一つの明瞭な効果は、一枚絵の重要な部分をテキストが遮蔽しないという点だろう。一枚絵それぞれについて、フキダシテキストは、ヒロインの顔面、胸部、局部が隠蔽されることの無いような位置で表示される。これはとりわけアダルトシーンにとって重要な効用であり、HCG率100%の本作ではとりわけその意義は大きい。
現場作業としても、一枚絵毎にフキダシ表示位置を変えられるのでテキスト配置に融通が利くし、また、原画サイドの構図選定に際しても、通常のAVGのような制約から解放されることになった筈である。通常のAVGでは、画面下部がテキストボックスに占有されるため、顔面や局部を画面下部に配置するようなレイアウトは採用しにくい――実務上、意識して避けられている筈――のだが、フキダシ型テキストであれば、そのような制限を免れることができる。
2)固定位置なので読みやすい。
可読性の観点でも、非常に有効なものであると思われる。緑茶やlightのフキダシテキストについて時折提起される不満として、「フキダシ位置が一定しないので読みにくい」というものがある。しかし、本作のように、ほんの数個の固定位置で、しかも右から左へ順々に、個数もほぼ決まったかたちで、フキダシテキストが出てくるのであれば、そのようなストレスは大きく軽減される。 次のテキストがどこに出てくるであろうかが自然に予想でき、目で追っていくことが容易になるからだ。
これが日常シーンであれば、登場人物が多かったり、出入りがあったりするので、このようなテキスト表示レイアウトは採用しにくかっただろう。しかし本作は、アダルトシーンのみにこのレイアウトを集中的に使用している。その場の状況に動きが乏しく、かつ台詞テキストにも会話としての連続性が過度に要求されることがない(それどころか「あいうえおん」の単純な嬌声台詞が多い)という意味で、このフキダシ固定-連続表示スタイルは、このうえなくアダルトシーンに適している。
3)テキストを読ませながら、一枚絵全体を見させる。
そして、読みやすさと同時に、フキダシ型テキストの一つの美徳、すなわち「絵を見るのと同時にテキストを読むことができる」というメリットも確保されている。画面全体に順々に表示されていくテキストを捕捉しながら、それとともにプレイヤーの視線は、その背後にある一枚絵の全体をも、定期的にそして自然に注視していくことができる。これも、アダルトシーンにおいては抜群の効果を発揮するだろう。日常シーンの一枚絵では少なからぬ領域が背景によって占められているのに対して、アダルトシーンではヒロインの身体が画面全体に広がっていることが多く、しかもその全てが――つまり顔から胸部から腹部から局部から太腿に至るまで――ヒロインの(性的)魅力を体現するものとして、注視に値するものとして描かれているからである。
この可読性と総覧性の両立こそは、本作の最大の特長だろう。他社作品を見てみると、たとえばLittlewitch(例:『白詰草話』)は、アダルトシーンではフキダシテキストを放棄して、全画面テキスト形式に移行した。フキダシテキストは、コミカルな印象になってしまいやすいので、濡れ場の雰囲気を阻害しないための配慮としては、これも一つの判断だろう。しかし、このヴィジュアルノヴェル形式では、当然ながら、テキストによって画像全体が大きく遮蔽されてしまう。すたじお緑茶(例:『恋色空模様』)は、アダルトシーンでもフキダシ型テキスト表示を維持するが、表示位置がかぎりなく固定位置になる。これは、一枚絵の重要な部分を遮蔽しないようにしつつ、プレイヤーの視線をある程度決まった位置に安定させておくという意図だと思われる。しかし、視線の固定化は、視界の限定をも意味する。イベントCGの全体を自然に見ていくように促すという点では、Frillの試みは確かに成功を収めている。
4)縦書きテキストであること。
視線誘導という観点では、このバルーンシステムが縦書きであることも、慧眼であると思われる。ワイド化した現代コンピュータAVGでは、画面価格所を出入りするフキダシテキストを読むという行為は、視線を頻繁に左右に(上下にではなく)移動させることを意味するが、そうしたテキストを読む時は、どうやら、横書きよりも縦書きの方が読みやすいようだ。フキダシテキストが常に右から左へ表示されていくのも、通常の縦書き文章と同じなので、その点でも無理のないテキスト表示スタイルであると言える(――ただし、バックログは通常の横書きのままなので、シーン中にバックログを出すと瞬時目が泳いでしまうが、デメリットというにはあまりに些細な点だろう)。
Littlewitch作品では、画面構築上の要請に基づいてフキダシはその都度バラバラな位置に表示されるのだが、各フキダシを表示する際に常に微細な動きをつけることで、プレイヤーに受け入れやすくなるように配慮されていた。また、ALcotや緑茶は、テキストボックスの横幅を縮めることで、そうした違和感を極力減らすようにしていた(――ALcotの『幼なじみは大統領』『鬼ごっこ!』は一行22文字、緑茶の『恋色空模様』は基本的に18文字以下)。lightは、本作と同じく縦書きフキダシを採用した(例:『タペストリー』)。
5)複数テキストの並列表示。
本作の「バルーンウィンドウモード」では、テキストは5クリックを単位としてクリアされていく。複数のテキストが並列表示されるというのは、AVGとしては異例であるが、 (18禁の)漫画やイラストに慣れているプレイヤーであれば、違和感なく受け止めることができるだろう。日常シーンのテキストであれば、一クリック毎(一台詞毎)に物語はどんどん前へ進んでいくので、一つ前の台詞が画面内に滞留しているのは、基本的に無意味、あるいは邪魔物でしかない。しかしながら、アダルトシーンでは、状況の進行も、そしてテキストのあり方も、しばしばそのようなものではない。地の文がキャラクターたちの運動を描写しつつ、それと同時並行してヒロインの嬌声が漏れ出てくる。そのような有様を表現するうえで、複数の台詞テキストを並べたままにしておくのは、一つの見識だろう。もちろん、上記のように、複数のテキストのベタ置きそれ自体が他形式の性表現ですでにお馴染みのものであるという側面もあるのだろうが。
フキダシ型テキスト表示スタイルの下でも、複数のテキストが同時に(並列)表示されるのは、複数人の同時発話表現の場合を除いては、ほとんど存在しない。本作以前の、もしかしたら唯一の実例が、LittlewitchのFFD演出である。バルーン型でないテキスト表示形式では、規格化されたレイアウトの下で複数のテキストボックスを使用する他社タイトルがいくつか存在する(――例えば『空帝戦騎』や『水スペ』、あるいは、非18禁だが『暁のアマネカと蒼い巨神』など)。
6)スクリプト労力の軽減。
固定位置でフキダシ表示されるということは、スクリプトの手間が削減されるということをも意味するだろう。実際、フキダシ表示位置は、あらかじめプログラム的に指定されたうえで表示位置を自動制御されているように見受けられる。もちろん、テキスト量によってフキダシの上下左右の幅は変動するが、フキダシの中心となる位置は常に一定である。このような半-固定式のフキダシ表示は、ALcotも行っているが、大量のテキストを効率的かつ安定的に処理する必要のある美少女ゲーム分野では、このような処方は非常に有効なものであると思われる。
ただし、さらに興味深いことに、フキダシ形状は何種類も用意されていて、テキストの内容に応じてその都度使い分けられている。例えば、ヒロインの台詞は基本的に雲型の連続曲面、男性の台詞はやや不規則な輪郭、悲鳴などの場合にはシンプルな楕円、内心の言葉では靄のかかった輪郭、地の文では長方形、といったように。これはこれで、非常に労力の掛かるものであり、そして、このようにきちんと実行されれば非常に効果的な演出になる。また、テキスト色も「ヒロイン側=赤」「青=男性側=青」「地の文=黒」と決まっている。そのため、読むぶんにも分かりやすいし、見た目にも華やかである。
7)ライターとの協働。
本作では、テキストの側も、この仕様を完全に理解した上で書かれている。例えば、5クリック毎に更新されるテキストのまとまりの中で、地の文を常に一行目(つまり右端)に、あるいは常に五行目(つまり左端)に置いているシーンがいくつもある。これは、この仕様があらかじめ脚本家サイドにもはっきり伝えられているということであり、さらにそのうえで脚本家がその仕様を活用してテキストをうまく見せている実例であると言える。地の文が最初に(右端に)表示される場合は、「状況の提示から、それにつづくヒロインの反応」という形になるし、他方で地の文が最後に(左端に)来る場合は、「それまでの4クリック分の台詞会話を受け止めつつ、ページ更新のサインにもなる」という役割が地の文に与えられる。そして、いずれの場合でも、5クリック毎に地の文が挟まる文章に、特有のリズムが生まれるが、それは文字表現のみの文章芸としてのリズムではなく、システマティックなデジタルAVGという媒体の上でこそ成立したテキストのリズムである。
なお、本作には、クリック待ちアイコンやページ送り表示は存在しない。そのため、改行(表示されているフキダシ群がいったん全消去される)タイミングが明示されない。これは、一見するとAVGとしては問題があるように見えるが、普通に読み進める分には支障は生じないし、また、上記のように地の文がページ送りのサインになっている場合も多い。そもそも、画面設計の問題として、フキダシの中にクリック待ちアイコンを置くのは不格好であるという判断もあるだろう。実際、Littlewitch(『白詰草話』)もlight(『タペストリー』)も、クリック待ちアイコンは出していない。
小括。
これらの検討から分かるのは、本作においてはテキスト表示のための設計が非常に慎重かつ繊細に行われているということである。性表現要素が支配的であるこの作品にとって、アダルトシーンのテキスト表示をどのようにすれば効果的であるか。そして、その設計を適切に実装するにはどうすればよいか、あるいはその設計を活用してどのようなことができるか。本作の成功は、原画家や脚本家の力であるだけでなく、このような設計を組み立てたディレクションに由るところが大きいだろう。このバルーンシステムによって、イベントCGの側は、画面下部テキストボックスの制約から解き放たれて十分な自由度の下で扇情的なレイアウトを展開することが可能になり、またテキストの配置によってCG全体をよく見てもらえるようになる。テキストの側にとっても、この仕様はけっして不利にはならない。複数のパラグラフが数クリックの間、画面内に留まり続けることが可能になり、アダルトシーンにおいても自身の存在感を維持する――それどころか、より良く発揮する――機会を得ているし、また、フキダシ形状変化によって個々の台詞のムードが分かりやすく表されることになり、さらには地の文と台詞部分との間でリズミカルな関係を構築する機縁をも獲得した。視覚表現と言語表現を結びつけた本作のインターフェイス設計の、表現システムとしての意義は、このような形で見出される。
関連作品の実例紹介について。Littlewitchについては演出技術論Ⅰ-1を参照。緑茶については同Ⅰ-2、ALcotとlightについてはⅢ-2-6やフェイスウィンドウ論、テキストボックス複数表示についてもⅢ-2-6(『水スペ』『空帝戦騎』)とフェイスウィンドウ論(『アマネカ』)、縦書きテキストについてはⅣ-4-3-αを参照。
『聖娼女』 (c)2013 Frill
(図1:)画面には、最大5つのフキダシが表示される。フキダシは、ヒロインの顔や身体を遮蔽しないような位置に置かれている。このシーンのテキストは、基本的に地の文が右端に表示されるように書かれている。
(図2:)上記図1と比較すると、5つのフキダシがそれぞれ固定位置であることが見て取れる。フキダシ型なので話者表示は無いが、その代わりにテキスト色が話者を表している。
(図3:)画面に2つのフキダシしか表示されない場面。ヒロインの逡巡と、会話の「間」を表現するために、このような演出的イレギュラーも時折行われる。
【 その他。絵の特徴、絵の見せ方について 】
たまに出てくるヒロインの舌なめずり差分は、非常に珍しいもので、しかもその場面のテキストと合わせて見ても意味がよく分からない表情変化だが、『ホーリー×モーリー』にもあったし、これは恋泉氏の好みなのかもしれない。実際、ご本人のサイトのトップページも舌なめずりイラストだったりするほどだし。ただし、今作では金目鯛氏も舌なめずり差分を描いておられるので、ディレクターorライターからの発注指示があったという可能性もある。
それ以外にも、舌を出す差分変化は非常に多い。舌を突き出したり、舐めたり、キスをしたり。特に恋泉氏原画サイドでは、舌の表現がかなり目に付いた。それに対して金目鯛氏の絵は、いつものことだが、口をけっして大きく描かない。
頭をのけぞらせるというダイナミックな差分も頻出する。のけぞるということは、プレイヤーから顔が見えなくなってしまうということでもあるが、差分変化として非常に派手なので、デメリットを圧してでもやる価値はあると思えた。
CG着彩については、肌の表面のテカり表現はあまり好みではなかった。何かのコーティングでもしているのかと思ってしまうほどに、大きな白円が素肌の上に置かれている。
寮制の学園で、キャラクター毎の個室の背景画像もあるのだが、家具等の基本的配置(窓、机、ベッド、箪笥)は同じであるだけに、ヒロインそれぞれのインテリアコーディネートの違いがはっきり見えるのが楽しい。シックな色調で簡素にまとめられていたり、几帳面にもカレンダーが掛けられていたり、壁飾りの満艦飾だったり、大きな姿見が置いてあったり、柔らかいフリルカバーが掛けられていたり、花瓶があったり、ぬいぐるみがあったり、「努力」「必勝」と書いた半紙やバーベルやサイン色紙があったり。
しかし、やっぱり主人公が気持ち悪かったので、コンプリートまでプレイし続けるのはかなり辛い。こういう感じの中途半端な(つまり戯画化されきっていない)不潔感とだらしなさが、ゲームイラストとしては一番きつい。