2023/12/31

2023年12月~2024年1月の雑記

 2023年12月~2024年1月の雑記。


 01/30(Tue)

 月末のオタク系買い物を両手両肩にどっさり抱えてようやく帰宅。フィギュア、ゲーム、漫画、プラモ、その他グッズいろいろ。最近はアクリルスタンドにもちょっと興味が出てきた。
 買い物に出歩く回数が減ったぶん、一回あたりの購入ボリュームが増加していて、結局のところ支出総額は同水準のまま。とはいえ、「両手と両肩で運搬できる限度」というのが、買いすぎを抑止する制約になっていて、余計な買い物はあまりしなくなっている……かもしれない。

 フィギュアもそろそろ300個が近付いてきた(※所持しているものをリスト管理している)。大半はプライズフィギュアだから、一個平均1500円としても45万円。うん……まあ、このくらいならアリかな。ただし、2~3万円のスケールフィギュアも少しだけ買っているので、実際にはさらに上乗せされるが。

 楽しいことが多すぎて、時間が足りない……。


 書棚をもう一つ設置するしかないか……。しかし、空いている最後の空間なので、ここに棚を置いてしまうと、もう何も動かせなくなる。とりわけ転出しようとするときに、身動きが取れなくなる。どうしたものか……。


 ゲーム等の他言語翻訳(≒いわゆる海外ローカライズ)に関しては、そこらの噂話やSNSの動向をあまり鵜呑みにしない方がよいのでは……と危惧している。
・海外で実際にどうなっているかは、自国にいると肌感覚がまったく分からない。
・そういう状況で、SNSでたまたま視界に入ってきたものを「これが実態か」と信じるのは危ない。
・ましてや、SNSで目立つのはごく一部の先鋭化した集団だったり、煽動的なデマだったりする。
 ローカライズ悪玉論が噴き上がっているのを見て、「海外ではこんなふうになっているんだー」と真に受けると、下手をするとゲーム会社に対する不当攻撃を後押ししてしまったり、異文化蔑視に乗っかったりしてしまう危険がある。オタクの皆さんは、もっと慎重になってほしい……。実際、思慮深く見識のある日本人ゲーマーさんでも、この件では、「海外(他言語版)ではこんなひどい状況になっているのか!」と安易にデマに乗っかりかけているのを見かける。SNSでたまたま流れてきた投稿とか、メーカー公式に押し寄せているリプライ群とかを見ただけで判断してしまうのは、本当に危ないのよ……。


 残念だけど、animateがあんなことをするようでは、不買せざるを得ない。律儀に全国各県に店舗展開してくれていたり、京アニ支援募金を積極的にやってくれたりして、良い企業だとは思うのだけど、それでも「触っちゃ駄目なもの」に手を出したら、看過することはできないのよ……。
 (そうなると、「あんな××な本を店頭に並べている○○書店はどうなんだ」という話はいくらでも広げられるが、それはそれでけっして良いとは思わないし、なんとか改めてほしい。)
 追記:取扱中止を決定したとのこと。デマめいた不穏な話も飛び交っているが、ひとまずはanimateの判断を評価したい。事と次第によっては、応援と支援のために追加の買い物をしたい。cf. www.animate.co.jp/info/508861/



 01/21(Sun)

 漫画(新刊)の感想ページは今のところ順調。

 ゲームについては、独自に語れることが少ない。20年代に入って主流なのは、Guiltyのようなダーク系や、MORE系列のような尖った路線だと言うべきだろう。学園恋愛系は明らかに退潮したが、中価格のシリーズものという形で命脈をつないでいる。年1本のフルプライスではなく、ミドルプライスを年間数本ちょこちょこリリースしていくのは、店頭での露出維持やユーザー確保の観点で、それなりに合理的かと思われる。私自身もつまみ食いで買っているが、食べ足りないと感じることもある。

 後期(※秋学期と呼ぶところも増えた)の採点が大変なので、しばらく多忙になりそう。
 毎年2月は、大物の艦船模型を作ってきたが、今年はどうしようかな……。

 関西一円をいろいろ旅行して回るのも良いかもしれない。出不精なのとコロナ対策とで、外出(旅行)は極力控えているのだが、人出の少ない時期を狙ってちょっとした旅行くらいはしてみたいという気持ちになっている。とはいえ、コロナ&インフルが再び感染増加傾向にあるようなので、取りやめて引き籠もる可能性も高いが。
 さしあたり構想しているのは、「京都巡り」、「姫路旅行」、「動物園/水族館巡り」、「美術館/博物館巡り」あたり。ダム巡りもしてみたいが、交通機関頼みだと難しそう。


 「かねがねかねがねーがね」。
 かねがね:「兼々」(以前から)
 かねが:「カネが」
 ねー(ねえ):「無い」
 がね:「のだよね」(尾張弁の接尾辞)

 有名なネタとしては「鳳凰を覆おう」(Hō-ō-wo-oo-ō)もある。


 モルモットかウサギを飼いたくなって、ここ一週間ほど、モルモット関連のweb検索をしてはニコニコしたり溜息をついたりしている。実際には、現在の自宅はペットを飼える環境にないので、ただの願望と妄想の域に留まるのだが。
 ウサギは、実家で昔飼っていた。といっても、私が5歳かそこらのことだから、ぼんやりとしか憶えていない。中型サイズで(ネコよりもちょっと小さいくらい)、人間にもそこそこ懐いてくれるらしい。大人しくて安全だし、鳴かないので騒音問題も起きないし、身体もそこそこ丈夫なのでペットとして飼いやすいようだ。
 モルモットを飼っていたのは私が高校生の時だったので、わりとよく憶えている。ウサギよりもさらにのんびりした顔立ちで、トテテテと歩くのも可愛い。こちらも大人しくて飼いやすい。ただし、人間とのコミュニケーションはあまり取れない。一応はニンゲンを「エサをくれる存在」として認識して、たまに「エサくれ」アクションをするくらい。飼育にかかる金銭的コストも、犬猫に比べるとかなり低い。ただし、夏冬の温度管理に気をつける必要がある。
 大雑把に言えば、似たようなグループとして「ハムスター<リス<モルモット=フェレット<ウサギ」のように考えられるようだ(※ウサギも齧歯類に近い。フェレットはイタチやイヌの仲間で、犬歯が鋭い)。ハムスターだと、ほとんどコミュニケーションが取れないし、寿命も短くて(せいぜい2年)悲しい思いをする。モルモットは二周りほど体格が大きくてかなり丈夫だし(体重は1kgくらい)、寿命も6年前後とそこそこ長生きしてくれる。複雑なコミュニケーションは取れないし、しつけもできないが、個体ごとに性格(個性)の違いも出てくるし、人間にもなんとなく馴れてくれる。ウサギはさらにその2倍くらいのサイズ。知能も高くて、トイレの場所を覚えさせるくらいは出来るらしいし、その都度の感情変化もはっきり表すという。フェレットも可愛いが、運動が必要など、ウサギやモルモットよりもはるかに手間が掛かるらしい。購入時の値段もかなり高め。


 『神楽』シリーズが、なにやらサブシリーズを複数作っているようだ。原画の「ヒトマル」氏とは、どなただろう。SHCでも活動されていた人丸氏……なのかな?



 01/15(Mon)

 漫画は毎週10冊ほど買っている。今年もこのペースで行きそう。
 ゲームは基本的に月末集中なのが、気楽でもあり、また、見逃しをしにくいというメリットもある。

 単行本の題材と表紙でピンと来て買ってみたら、眼鏡度入りを誠実に描いている漫画家さんだった。こういう経験があると嬉しい。
 というわけで、現時点で度入りリスト登録は141人。そろそろ150人到達が視野に入ってきた。


 このブログの使い方を再構築。漫画と模型は専用ページに話題集約しつつ、模型とゲームについては個別的-散発的に個別記事を書いていくという形を想定している。それ以外の話題、とりわけ社会的な言及については、うーん、このブログ以外のソーシャルメディアなどに切り分けて書いていく方が良さそうに思えるが、しかしSNSの場に出ていくのはかなり躊躇してしまう。日々のどうでもいい話題も(天気の話題とかね)、ここに書くものではないが、かといって有意味な(特有の情報を含む)文章ばかりに制限すると、それはそれで身動きの取りづらいブログになってしまう。どうしたものか……。
 美少女ゲームについても、ダーク系はこのブログではちょっと言及しにくくなっている。bloggerの要らぬお節介で、警告を付けられてしまうので……。

 新刊漫画の中から、気に入ったものについて感想メモを書いていくのは、うまく軌道に乗りつつあるようだ。この調子で続けていけたらと思う。買ったフィギュアについても、画像掲載しつつ所感を書き留めていきたいが、そちらは「撮影とアップロードの手間が掛かる」「不定期なので習慣化しにくい」「センシティヴ判定を受けてしまいやすい」という問題がある。


 『Vivaldia2』のスピードラン(RTA)を一度試してみたが、28分だった。スピードランというよりは、ただの雑プレイになってしまったが。何度もつまらないミスをして、リトライで数分間を無駄にしてしまったので、きちんとやれば25分くらいまでは短縮できそう。ただしそこからは、進路パターン構築の十分な計画性と、操作の完璧な正確性が必要になる。そのあたりが私の限界かな。
 この方は22分でクリアされている。すごい……。
 ただし、ステージ7の序盤はダメージ覚悟で溶岩を渡っていく方が早いのではないかと思う。コメントにもあるとおり、この方の腕前ならば22分を切ることは可能だろう。


 日本(人)のソーシャルメディア利用は、本当にドメスティックで、視野の国際的な広がりに乏しく、見ていて息が詰まる。mstdnでも、日本語オンリーのサーバーだと海外の動向がほとんど見えないままで、孤立隔絶している雰囲気が怖くなる。トレンドタグ表示もサーバーごとに大きく異なっていて、日本語話者向けサーバーだと日本語の大喜利ネタばかりになるが、他地域サーバーだと真面目なトピックから軽いネタタグまで様々なものが現れる。もちろんユーザーの人口規模が異なるせいもあるが、日本語だけで内向きになるのは非常に危ないと感じる。

 mstdnにはうまく発展していってほしいけれど、現状ではなかなか良いサーバーが無い。
・mstdn.jp → システムのヴァージョンも古く、運営に不安がある。
・mastodon-japan.net → 日本語用としてはベターだが、独自の話題を作り出せる力は無い。
・fedibird → Local TLが無いので、とっつきにくそう。絵文字リアクションも個人的に苦手。
・pawoo → 運営に不安。エロ過多で、他の多くのサーバーから蹴られているのも問題。
・misskey系 →ノリ重視で、丁寧に交流を深めていくのには適さない。
というわけで、vivaldiサーバーはとても良い環境だったのだけどね……。もしかしたら、何年か経ったら戻る気になるかもしれないけど、たぶん無理だろうなあ。あるいは自前のサーバーを建てて、そこから情報を放流する(他のユーザーからは検索で拾ってもらう)という手も考えられるが、そもそも、私個人としてはSNSの場にはもう出たくない。



 01/08(Mon)

 現在の大学生でも、「成人(大人)は20歳から」という認識が優勢のようだ。もちろん、物事の認識に関して、法律上の条件と社会的な立場が一致するとは限らない。というか、個人の価値観や社会関係の次元の問題は、既存の法令に合わせようとする必要は無い(法律は人々の価値観そのものに対して強制すべきではない)。もちろん、民法から公職選挙法まで、様々な社会関係が18歳成年の運用になっているので、それはそれで正しく意識していてもらいたいが。


 アイドル、宝塚、漫才……芸能産業全体に、ああいう負の体質があるのだろうと考えている。「客観性のある技術的指標を持ちにくいが」、「人気という(操作されやすい)指標で動いており」、それでいて「大きな金が動き」、「起用プロセスが閉じている」となれば、どうしても不正な慣行が蔓延しやすくなる。内輪での不透明な選出と、それを利用した権力行使が現れるのは(残念ながら)当然だ。それを防止するために、監査機関なり、マネージャー(エージェント)制度なり、労働組合なりといったシステムを導入する必要があるのだが、それをずっと怠ってきた分野はどんどん腐敗していく。
 他国でも同様の事態は大なり小なり起きていると思われるが、日本の場合は組織的に大規模で、なおかつ長期間に亘って抑圧-搾取の構造が続いてきたと見るべきだろう。マスメディア(とりわけTV)と、人気商売産業(アイドルや漫才)の結託は、大阪ではさらに特定の政治勢力と結びつくことによっていよいよ悲惨な事態をもたらしている。
 私自身、そういった「金の掛かった人気商売」分野には、一切関わらないようにしてきた。オタク界隈でも00年代以降、「アイドル」ブームが――二次元でも三次元でも――強力に普及したが、そこからは可能なかぎり距離を置いてきた。せいぜい「二次元アイドルキャラのフィギュアを買うことがある」「アイドルキャラが登場するゲームをプレイする」という程度だ。
 もちろん、自分一人が身ぎれいであれば済むという話ではない。この日本社会に、現代社会に、そういった不正な構造が存在し、そしてそれがどうやら事実であると明るみになったならば、「それは良くないことだ、そうした産業構造はけっして支持しない」と言わねばならない。
 ……もう笑えないよね……。アイドルキャラのえろ同人などで、そういう強制的な性的支配の物語は大量に制作されてきたが、それはあくまで「これはフィクションです」という建前の下に安んじて描かれてきた。そういった行動が確かに現実に(しかも大量に)行われてきたことを我々が知らされたこの状況では、いかにえろ同人といえど、「権力者がアイドルキャラに性的関係を強要するストーリー」を描いたり読んだりするのは、もはや不可能だろう(※2024年のこの瞬間にそのような作品を描くクリエイターに対しては、良識を疑わざるを得ない)。現実の不正義こそが最も残虐かつ苛烈に、フィクションの自由と安逸を破壊するのだ。


 漫画は基本的に読みっぱなしにしてきた。メモもつけないし、購入リストも作っていない。しかし、これではよろしくないので、優れた作品については感想を書き留めておくようにしよう。ということで別ページを作成した。昨年までに読んできた作品や、連載継続中の作品についてはコメントが難しいところもあるが、1)備忘録としても、2)作品評価の試みとしても、3)良い作品の紹介としても、様々に意義はあるので、できるだけ書いていきたい。単行本(紙媒体)だけで年間500冊は読んでいるとして、そのうち100冊くらいは言及できるようにしたいが……うーん、出来るだろうか?
 ちょうどタイミング良く、記念すべき一冊目に冬目景作品を挙げられたのは嬉しい。
 メモを数年単位できちんと蓄積していけば、備忘録としても役立つことが期待できる。つまり、第何巻まで読んだかとか、このシリーズを買い忘れていたのに気づくとか、そういう意味でも役立ってくれたらと思う(※原始的ながら、まさに記憶の外部化だ)。



 01/05(Fri)

 今後の運用方針。その都度の雑感的文章はそたすらここに書いていって、後で適宜、ジャンルごとのページに移設していく形でよいかな。

KOTOBUKIYA「創彩少女庭園:寿武希子(1/10)」。腰部およびスカートが、「立ち姿」と「座り姿」の2種類用意されているので、このようにあぐらをかくポーズも取れる。
フリュー「ぬーどるすとっぱー:ラム(ルームウェア:アナザーカラー)」。最近購入した中では抜群の出来。パーカーの柄をきちんと塗装しているし、ボディをわずかに捻ったポージングも良いし、斜めを向いたツリ目気味の顔立ちも良いし、指先の表情づけも細やか。様々に角度を変えても見応えがある。
TAITO「Aqua Float Girls」シリーズの「春日野穹」と「レム」。こちらは相変わらずのTAITOクオリティで、素肌部分の透明感と色ツヤが素晴らしい。春日野穹(左)は程良くくびれたボディの造形が絶妙だし、ラムはラムで、やや低年齢気味の丸顔造形で、愛嬌があって良い。

 日本オタク文化の「若年キャラクターに擬した官能性表現の追求」は、国際的な規制基準の下ではいよいよ難しくなっている。現代の多くのソーシャルメディアでは、「[実在の]未成年者を性的に搾取すること(child sexual exploitation)」や「未成年者の性的虐待(child sexual abuse)」が厳禁とされるだけでなく、「未成年者との性的関係を望む(desire)発言」や、「未成年者の裸体に関わるようなコンテンツ素材(child nudity related content material)」、「未成年者を性的に表現した画像(sexualized images of minors)」も強く禁じられており、その下では若年キャラクターのお色気イラストも該当すると見做される。オタクサイドの主張としては、「現実の未成年者(に対する搾取)とは直接結びつくものではない、あくまで空想的かつ創造的なイマジネーションなのだ」と言いたいところだが、そういうエクスキューズはどんどん通用しにくくなっている。
 それはオタクの責任というよりはむしろ、現実の児童保護に関する国際的な合意と実践が不十分なままであることの反映でもあるのだが。しかしまたその一方で、現在のオタク文化が、現実の性的侵害へと無邪気に接近しつつあるという困った状況もある。例の『たわわ』のあたりで顕在化したことだが、現実の(実在の女性たちに向けようとする)セクハラ的視点と、フィクション(イラスト)の中で表現し共有されるセクハラ的視点は、実のところ、区別することが困難になっているからだ。
 その観点では、PCゲームの18禁シールは「私たちは現実とフィクションをはっきり切断しています」というメッセージになり得ていたのだが、10年代から20年代に入って、そういうメッセージを形にしておく仕組みが失われていった、あるいは、無視されていった。
 元々このブログでは、明示的に性的なコンテンツは扱ってこなかったが、上記写真のように、ある程度の「お色気」要素を含むくらいのものは扱ってきた。せめてこのくらいまでは、許容される世界であってほしいが……。


 「不特定多数が出入りするSNS上で」+「相手が不明瞭なままに」+「何かに対して批判的な投稿をすること」、この3つが重なると危ないということなのだけど、伝わらなかったのかなあ。
 SNS上でも、相手や行動を特定して「それは良くないよ」という主張を提起することそれ自体は、あってよい。ソーシャルメディアは、他者と交流(social)するための場なのだから、異論を提起することも受け入れられるべきだ。賛同ばかりである必要は無い。不同意があっても口を噤まねばならないということも無い。異論があればいくらでも言うべきだし、そうすることによって互いの認識が深められたり、誤りを協働的に除去したりすることができる。私自身、SNS上で他の方があまりよろしくない行動をしていた場合には注意喚起をすることがあったし、異論の提起を肯定する姿勢も明言してきた(※もちろん、異論そのものの内容的適否は別だし、人格攻撃になってはいけないが)。
 しかし、「批判的な投稿」は、他者に対して特有の作用を持つということにも留意しなければいけない(※ここで「批判」とは、否定や攻撃のことではない。再考すること、吟味し直すこと、「別様の理路も検討すること」を広く指す)。単なる好き嫌いの主張であれば、それは他者に対するアクションではなく、単独の独白で済ませることができ、それゆえ他者(周囲の人々)は無視することができる。しかし、批判的な主張の場合は、そうではない。相手(対象)に対する応答要求を――少なくとも潜在的に――伴うことになるからだ。すなわち、他者の行動に容喙する言及である以上、批判者の側に一定の社会的-道義的責務が発生すると考えるべきだろう。つまり、単なる言いっぱなしや悪口ではなく、最低限、理解可能性のある主張として提示すべきだ(例えば、論拠を明示するなど)。また、人格攻撃や詭弁など、用いてはならない禁則条件もあると言うべきだろう。
 それでは、「何を批判しているかを明示しないままに非難めいた投稿をする」のはどうか。私見では、ここでは大きな問題が生じる。すなわち、単なる「好きなもの」の話題ではなく、他者の言動へ向けた投稿であり、それゆえ一定の(少なくとも潜在的には)応答要求を提起しているように見えるにもかかわらず、名宛先が明示されていないため、曖昧な批判と応答要求の気配ばかりが拡散されることになる。好きなものに関する不明瞭な投稿であれば、周囲は「よく分からないけど(分からないならば)無視して一向に構わない」と考えることができる。しかし批判的投稿は、応答を求める(かのような)pingを発しているため、ただ無視することに躊躇を覚えさせる内容であり、「自分が関わっているかもしれない」と検討しなければならなくなるし、「それは絶対に自分とは無関係だ」とまでは自信を持てないような多くの人々を困惑させるし、場合によっては「自分に向けられているかもしれないが、自分が応答すべきなのかどうかが判断しきれない」という宙吊り状態を強いるの等しい作用をもたらすかもしれないし、それによって「自分の行動を改めなければいけないかもしれない」という萎縮をも生じかねない。こういった一連の作用を持ってしまう点で、「好きなもの(任意の客体)について個人が言及すること」と、「その場にいる他者について個人が(批判的に)言及すること」の間には、社会関係のありようにおいて決定的な違いがある。
 そういう意味で私は、「SNSでの+不明瞭な+批判投稿」に異を唱えた。心理的な威圧かどうかではない。冷静であったりマイルドであったりしても、他者に対して対応の負担を一方的かつ過剰に生じさせてしまう危険があるという点が問題なのだ。だから、批判を提起する者は、対象を明確にし、論拠を明示し、議論が生じたらきちんと応じるくらいまでは責任を持って発言すべきだと思う。少なくとも私は、そういう心積もりで述べてきた。

 (ここ数日くらいは状況を見守っておくつもりでいたけど……大変そうだなあ。いろいろ心配してはいるが、もはや私にはどうしようもないと割り切るべきかな……。)



 12/31(Sun)

 【 年間回顧 】

 AT-Xの年間アニメ投票で『のんびり農家』が7位とは……。制作規模からしてミドルクラスの位置づけかと思っていたけど、想像以上に好評を博していたようだ。嬉しいかぎり。
 ただし、上記リストには2022年アニメも入っており、企画趣旨はよく分からない。

 この一年を回顧すると、1月から海外Vtuberを視聴するようになり、『農家』も1月から放映していた。3月には英国艦船シリーズに取り組み、4月からはこのブログの記事をいろいろ書いていた。6月は『農家』ディスクを繰り返し視聴しつつ、並行してPCゲームをいろいろプレイしていた。夏頃からはSNSにいることが増えて、9月は『Vivaldia』シリーズを繰り返しプレイ。10月からは仕事が多忙なのと、経済的にきつい状況で、趣味活動はあまり進展せず(※主に漫画を買いまくっていた)。12月はアニメもちょっと見ながらいろいろ……こんな感じだった。趣味の領域をそこそこ広げつつ、豊かに過ごせたと言ってよいだろう。
 身体面では、相変わらずの低空飛行。大きな病気はインフルエンザ1回だけで済んだが、コロナもずっと蔓延しているので、今後ともいろいろ心配。社会生活では、まあまあ無難にやり過ごせたと思うが、あんまり良い状況ではない。オンライン生活は、当分ここに引き籠もるつもり。
 世間的には、様々な社会的不正が噴出した一年だった。政治の組織的不正、企業の組織的不正、芸能界隈におけるいくつもの虐待と迫害、そして侵略戦争。戦争はともかく、国内的不正の露顕は、不正義の膿を出して社会を良くしていく過程だと捉えたいが、そうなるかどうかは私たち自身の行動に掛かっていると言わねばならない。


 年末はゲームと音楽とプラモデル、その他諸々。
 さほど興味を持っていなかったキットを作ってみたが、パーツ構成などが面白く、良い刺激になった。やはり新作キットは、技術的にもどんどん進んでいるものだ。


 正月の地震は、関西ではヌルヌルと長く続く揺れだった。うちはプラモデルが一つ棚から落ちた程度で、今ところ大きな被害は無い。
 心配になることも多いだろうけど、災害報道に晒され続けるのは心理的にもきついので、自身の安全が確保できている人は、ニュースから距離を取ることも意識しておくのが良いと思う。心の自衛も、とても重要な問題なので。被災復興支援は、状況が見えてきてからしっかりやればよい。


 聴覚メディアの使い方に迷っている(※模型制作やネットサーフィン中についての話)。
 1) クラシック。最も充実した時間になるが、情報の観点では新味に乏しい。これまで聴いたことの無い曲も、いろいろ聴くようにしているのだが、それでも限界はある。
 2) アニメや映画などの再視聴。楽しいし、声優の芝居を大量に聴けるのが強み。ただし、あくまで再視聴なので新味は乏しい。
 3) PCゲームの再プレイ(オートモード)。これも楽しいが、基本的にはやらない。再プレイをするなら、やはり新作をプレイしていきたい。
 4) Vtuber配信。それなりに楽しいが、ゲーム実況の連続は飽きる。英語の聞き取りも限界に近付いてきた。
 5) 海外ニュースなどの配信。有益だし知的刺激もあるが、趣味としては楽しみにくいし、意識をそちら中心にしなければ意味が無いので、使える場面の制約がある。

 当面は1)、4)、5)を併用していくことになりそう。


 【 ソーシャルメディアの話 】
 mstdnなどでSNSサーバーを維持するのは大変な労力が掛かるし、様々なリスクもある。個人の継続的な無償奉仕の上に成り立つソーシャルメディアなどというものは、けっして健全とは言えない。
 また、良い環境のサーバーを運営している者は、それ自体、ユーザーに対して価値のあるサーヴィスを提供している。忌憚なく言えば、「金を取っても良いクオリティ」のサーヴィスだったりもするのだ。
 こうしたことから、サーバー運営者は(ユーザーからの寄付金などで)その活動だけで生活が維持できるくらいだと良いのだけどね……。クラウドファンディングやクリエイター支援サーヴィスのように、匿名篤志のユーザーたちがポンポンと、毎月百万円くらい出しているくらいでも良いと思う。
 しかし残念ながら、運営(経営)の難しいサーバーも多いようだ。これは、1)オンラインサーヴィスは基本無料が浸透しすぎたこと、2)少なくとも日本では、一般のユーザーたちが経済的余裕をどんどん失っていること、そして、3)サーヴィスの品質保障や安全性や存続可能性を確認することが難しいこと、などの事情があると思われるが、いずれにしても なかなかつらい話だ。


 ソーシャルメディア上で、相手を明示せずに不平や否定や非難や拒絶の単発投稿をするというのは、いわば誰に命中するか分からない爆弾を投げつけているような危険行為なのだが(※このことを先日痛感した)、この危なっかしさは気づきにくいものなのだろうか。各人がどのような運用方針で投稿しているかは、他人からはなかなか窺い知れないものだから、本人には「自分はこういうつもりで投稿している」という認識があっても、それが他人と共有されているとは限らない。
 今回の場合は、私の(攻撃性を一切伴わない)投稿に対して、相手の方が趣旨を誤解して過剰反応したのではないかという疑念を私が持ったのだが、相手の方によればむしろそれ自体が、私の誤解による過剰反応なのだということだ……状況がややこしい。しかし、私の投稿の直後に(たしか10分以内だったと思う)、かなり強烈に恨みがましい(しかし対象の不明な)投稿をされて、その方のログを遡ってみれば該当するかもしれない要素が見つかったら、私自身に名宛された非難である可能性を考えるのは、妥当な推論の範囲内と言える筈だ。だが、相手の方にしてみれば、そうした私の反応が突飛な誤解や唐突な言いがかりに見えてしまった(らしい)のだとすれば、それはそれでやむを得ないと思う。整理すれば、「不明瞭な投稿と、それに対する過敏な誤解」ということになるようだが、内実はともかく、そういった齟齬が顕在化したという事実だけで、私にとっては致命的だった。
 そういった「自分に向けられた非難かもしれない(そうでないかもしれない)きわめて不明瞭な投稿に晒されうるのだ」「自分の振舞いが誤解したり誤解されたりする事態がきわめて容易に生じるのだ」ということが可視化されてしまった時点で、私にとっては、そういう場での活動がきわめて難しいものになった。つまり、そういうソーシャルメディア上のコミュニケーションの不安定さと危うさが意識されてしまったことにより、そういう場で活動をすることへの意欲も自信も失われた。個別投稿の真意如何を問う以前に――どちらであるかは断定してしまわないようにしていた――、そのSNS全体が、私にとっては怖ろしいものになった。相手の方にはつくづく申し訳ないが、もはや「お互いに離れる」しか解決法は無かった。

 それにしても、私のことが「フェルメールをぼんやりとしか知らない(宗教画家かどうかすら分からない)ような奴」だと思われていたというのは、なかなか衝撃的だった。
 私の一連の投稿を見れば、その知的水準のベースラインは把握できるだろう。そうでなくても、例えばモンドリアンのアイコンを使っているくらいの人物であれば、それよりも有名なフェルメールのことは(少なくとも通り一遍の知識としては)当然知っていると想定できる筈だ。あるいはモンドリアンに気づいていなくても、そこまで無知な奴だと(中学生並だと)想定するのはさすがに失礼なレベルだろう。相手のことをそんなに無知だと見くびれるものなのかというのが驚きだ。



 12/26(Tue)

 ここ数ヶ月は、mastodon(主にvivaldi.socialサーバー)でいろいろ書いていた。あちらはあちらでたいへん良い環境で、魅力的な方々もたくさんいらっしゃるし、私自身としてもかなり自由に書ける場で、居心地が良い。しかし、話題の制約もあり(※例えばお色気方面)、気分転換をしたくなったこともあって、改めてこのブログに活動の重心を移していこうかと考えている。


 【 買い物 】

12月は忙しくてオタクショッピングを出来ていなかったのと、年末年始を自宅で過ごすために、今日はオタクグッズを大量に買い込んできた。一日の購入費用を更新したかも。とはいえ、せいぜい両手で持ち運べる程度の分量にすぎないし、金額もけっして無茶ではない(10万円は超えていない)。重巡足柄は『アルペジオ』版として作りたいが、あの難解な塗装で作りきれるかなあ……。

 オタク関連の支出は、今年も例年どおり。最終的に、ぎりぎり大台に乗ってしまった。来年もこの調子でいきたい……のだが、もう自宅のキャパがいいかげん一杯になっていて、本当に困っている。引越をすべきだろうか。「トランクルーム」や「売却」という選択肢もあるが、トランクルームは高コストのわりに運び入れるのが大変だし、売却もしたくない。
 美少女ゲームは、今月も4本購入。しかし、これまでの積みが多すぎて、どこまで消化できるか怪しい。放置しているうちに、OS対応も失われるし、公式サイトやミラーサイトの修正パッチも取得できなくなってしまったり、ものによっては認証できなくなったりしてしまう。
 その一方で、時間の掛かるコンテンツ(の趣味)がどんどん増えていって、時間のやりくりが難しくなってきた。何かしら娯楽を楽しみ続けてはいて、趣味生活全体としては充実しているのだが、せっかくのゲームを楽しみきれない(かもしれない)のは悔しい。もっとも、パッケージを購入したことそれ自体は、いわば「いつかプレイできるという条件を確保するという投資」に過ぎず、プレイできなかったとしても、それは最早サンクコストに過ぎないと割り切っている。

 Gamers三宮店でも買い物をしてきた。1月8日に閉店してしまうとのことだから、これが最後の買い物だろう。私はけっして良い客ではなかったが、やはり寂しいし、これまで店舗を維持してくれたことに感謝したい。


 【 SNSとの関係について 】
 結局、mastodonからは「ひとまず撤退」という結論になった。
 他にどこか行くあてがあるわけでもないので、再びこのブログに籠もることになるだろう。
 あちらにいらっしゃる方々は、どうかあの場所を存分に楽しんでいってくれたらと思う。

 撤退したからこそあえて言うのだけど、日本語アカウントの多いmastodonサーバーの中では、vivaldi.socialはトップクラスの良い環境だと思う。トップクラスどころか、トップランナーと言いたいくらい。
 非常に知的で話題豊富な方が多いし、それでいてLocal TLは和やかな雰囲気で、コミュニケーション関係がしっかり成立している。海外(他言語)アカウントもそこそこ多いし、英語をさらりと読めるユーザーも多いので、最新情報やテック系ニュースや政治状況の話題もたくさん出てくる。もちろん、趣味の話題も幅が広くて、マニアックなところまで知っている方が多い。流速も程々の速度で、ついていきやすい。もちろん、Local TLを無視して自由に投稿していてもよい。お悩み投稿も受け入れられる親密さと、どんな話題でも出てくる自由さの両方が、高い水準でバランスが取れている。Local TLの治安は最高度で、住人も良い方ばかりで、運営母体もきわめてクリーンで、技術的にも安全で、規模もかなり大きいという、希有なサーバー。
 そういうわけで、日本語でmastodonを使ってみたいという方には、まず最初におすすめできるサーバーだと思う。アカウント作成がちょっと特殊だけど(※mastodonだけでなく、vivaldiサーヴィス全体でのアカウントを作成する必要がある)、それさえこなせれば、Local TLを時々見ながら適当に投稿していけば、すぐにmastodonの使い方にも慣れていくだろう。
 モデレーションが高度に作用していて、スパム投稿が瞬時に消されるのもありがたい。攻撃的な妄説や嫌味投稿などもほぼ皆無。ただし、表現規制の基準はEUベースなので、お色気投稿、とりわけ未成年者を性的に扱ったコンテンツに対しては非常に厳しいとのことで、日本オタクの流儀やセクハラ的言動は通用しない(※例えば水着キャラのイラストも、削除されたりアカウント排除されたりするらしい)。そこだけ理解していれば非常に快適だと思う。

 私自身、もしも余所のSNSで活動することがあるとしたら、どこにするかな……。実名寄りのアカウントなどはキープしているが、そちらはあまり積極的に動かしたくないし。
 このブログは「趣味中心」+「アーカイヴ目的」なので、それに対して「社会的な話題で」+「その場の書き流し目的+ちょっとした情報収集」で使える場所があると便利なのだが、なかなかちょうどよいサーヴィスが見つからない。英語圏中心のサーバーで、日本語も受け入れられるようなところで、ある程度堅実に存続してくれそうなものがあれば、日英併記で運用しようかなという構想はあるのだけど……。mozilla.socialで秘かに蠢くか、あるいはいっそ本家mastodon.socialの大海に紛れて過ごすくらいしか、適当な場所が見当たらない。英語圏の比較的健全なオタク系サーバーも見つけているが、そこに出ていくのも気が引ける。いずれにしても、私がSNSの場に出ていくことは当分の間――あるいは、もう一生の間――差し控えるつもりだ。

 このブログは、基本的にはわりと便利なのだけど、3点ほど問題がある。
 一つは、画像アップロードに手間が掛かること。ドラッグ&ドロップが利かない(※画像ファイルを置こうとすると、新たなページとして開こうとする)ので、一々アドレス指定して画像を取り出してこなければいけない。ついでに、ブログのデータ容量限界も、そろそろ気になってきた。
 もう一つは、センシティヴなコンテンツに対する扱いが厳しくなった件。例えば水着フィギュアくらいでも、外部からの閲覧者に対してセンシティヴ警告が出る。かなり大きなハードルだと言わねばならない。これは、近年追加された変更で、まあ、一定程度は仕方ないと思うが、けっして嬉しいものではないし、げっちゅ屋のURLを貼るだけでもセンシティヴ扱いになるのは過剰な抑圧だと思う。
 三つめは、ブログの維持条件が厳しくなったこと。2年間アクセス(編集や投稿)が無い場合、ブログ全体が削除される可能性がある。これも後から追加された条件なので、かなり不満がある。


 【 模型関連 】
 メモ:1/350足柄(妙高型)を『アルペジオ』版「ナチ」に改修するために必要なもの。
・艦首下部の魚雷発射口? →適当な艦船模型パーツから流用。
・船体下部に突き出たドーム →適当なロボット模型などから探す。
・艦船後部に突き出た整流フィンのようなもの →適当なロボット模型などから探す。
・小さなナチ(キャラクター)と座布団 →自作。小さいので誤魔化しは利く筈。
・高角砲の台座(形状が異なるし、アーム伸縮する) →汎用パーツなどでなんとかする。
・独自の模様(バイナルパターン) →マスキング塗装? 蛍光塗料でよいか。
・塗装 →対潜迷彩塗料でよいか?
・その他。機銃や手摺も一応装着していく。空中線は省略するか。


 30MS(アイマスキャラ)も作ったが、頭髪表現に関しては完全にKOTOBUKIYAを上回っている。毛並みのディテールも、立体感も、桁違いの出来映えになっている。
 KOTOBUKIYAはガールプラモの先駆者だったのに、これまでずっとヘルメットのような真っ平らな頭部造形のまま足踏みしてきた。毛先表現は多少細かくなったり、創彩シリーズで頭髪パーツに注力したりもしているが、根本的なところは近年でも変わっていない。ついでに、前髪がどんよりと重たいのも、FAG最初期から変わっていない。
 そうしたところで、BANDAIが一気に急追してそのまま追い抜いていったという印象。さらにAnnulusのような新興メーカーや、PVC樹脂ヘアパーツを使う中国メーカーなどが、頭髪表現の水準を大きく引き上げてきたのが、この一年内外の変化だと言ってよいだろう。

 KOTOBUKIYA新作では、水着リツカも買ったけど、水着の紐部分は塗装済みパーツなのか。たしかにこの「創彩」は、塗装済みパーツを入れることに躊躇のないシリーズだったし、紐の色彩表現をするにはベターなやり方の一つではあるが、これは予想外だった。紐表現の手法としては:
 1) 無塗装でモールドだけ。無塗装派にはつらく、味気なく見えてしまう。しかし、キットそのもののコストも下がるし、塗装派ならば問題無い。
 2) デカールorシール。強度維持に問題がある。デカールだと失敗リスクも。着衣の柄(がら)を再現するのに多用されるアプローチ。
 3) パーツ分割。コストが掛かるし、とりわけ細い紐だと射出成形でも組み立てでもデリケートな作業が要求される。ただし、ちゃんと色再現しましたよという言い訳は立つ。
 4) 塗装済みパーツ。コストが掛かるが、無塗装でもきれいに完成する。塗装色を丁寧に調整しなければ、水着の塗装部分と成形色部分で色調が微妙に異なるという問題が生じる可能性がある。
 この「創彩」は、組み立てのしやすさを優先して、ユーザーの技術的ハードルを下げる(言い換えれば、初心者向けの入り口として機能させる)ことを考えていると思われる。そうであるならば、総合的に考えて、水着の紐を塗装済みパーツにしたのは、正解なのだと思う。

 KOTOBUKIYA(とりわけメガミデバイス)に感じる不満は、「ただ武装を盛り付けていくだけで、それ以上の個性的なギミックが乏しい」という点。BKシリーズが巨大ランスに跨がるくらいだが、それとても「跨がるようにすることも一応可能」というだけだし。
 他のキットだと、騎乗したり(FAGフレズヴェルク、AOSHIMAのVFGシリーズ)、武装全体を取り出してロボット形態にも出来たり(VOLKS「ドラセナ」、AOSHIMA「合体」シリーズなど)、さらには合体してケンタウロス状態になったり人魚形態になったり(Nuke Matrix)、武装パーツそれ自体にも凝った変形機構が組み込まれていたり(とりわけ中国メーカー)といった個性的なギミックが、キットにきちんと組み込まれている。装甲装着するにしても、FAGグライフェンのようにワンオフできちんとしたコンセプトのある造形になっていたりするのだが……。
 MDシリーズにはそういったものが無くて、ただなんとなくトゲトゲした格好良さそうな装甲パーツをガールの表面にくっつけるばかりで、しかも一部は他のキットパーツからの流用だったりして、武装パーツに面白味が乏しい。つまり、散漫な添え物にすぎず、個性と自立性が乏しい。武装パーツに、「こんなメカニズムが!」とか、「こんな遊び心が!」といったような驚きが無いのだ。最近のメガミ新作に購入意欲があまり刺激されないのは、そういうマンネリ感があるのかもしれない(※直近で買ったのは「スサノヲ・レガリア」[2023/08]。その前は「赤ずきん」[2022/05]だった)。
 もっとも、「組み替えて遊ぶ」というのがコンセプトなのだろうから、あまり融通の利かない個性的なパーツは投入しにくいというのもあるかもしれないし、シリーズ全体で一貫したアプローチを採ることは、それはそれで理に適っている。しかし、そのせいで似たり寄ったりの印象になってしまうのはもったいない。
 KOTOBUKIYAで、武装パーツにある程度の自立性があったりシステマティックなギミックを備えていたりするキットというと、FAGフレズヴェルク(騎乗形態にできる)、FAGグライフェン(騎乗形態にできる)、FAGガオガイガー(原作あり:メカ組み替え)、FAG金剛(艦船形態に変形できる:未購入)くらい? それ以外に大型MSGと組み合わせた商品形態もいくつかある。

 MODEROID「レーシングミク 2022 ver.」も、パチ組みで完成。なかなかユニークなキットだった。
 パーツ構成がシンプルに整理されており、制作時間は4時間程度でスムーズに作れた。足首関節はかなり簡略化されているが、ごく普通のポージングをする分にはなんら問題無いというのが面白い。膝関節も、きれいなシルエットの維持と可動域の確保(ほぼ180度曲がる)を両立させている。その一方で、胴体可動や股関節などは凝りすぎず、シンプルにまとめている。パーツ精度も十分に高く、関節部は緩めで破損しにくい。大きな旗や、腹部のクリアパーツといったアイキャッチ要素もあるし、頭髪表現などの挑戦的要素もある。
 全体として、これまでのガールプラモの文脈(内輪の慣習や因習)をいったん括弧に入れて、可動構造や萌え/エロ要素への執着もいったん捨てて、「シンプルながら作りやすく、華のあるキャラクタープラモデル」を提供してくれたという印象。
 フェイスパーツは、印刷済みは1個だけで、残り2つはデカール。コストダウンを図りつつ、ひとまず最低限「初音ミク」が完成させられるというバランスで、このアプローチは近年のBANDAIも採用している。これで店頭実売6000円台になるのだから、こういう判断もありだと思う。

 BANDAI「ノワール」も、わりと良いキットなのだけどね……。目に付くデメリットが多いので、評価が下がりがちになるのは、やむを得ない。
 長所は:「頭髪造形が良い」、「着衣表現が良い(ジャケットは着脱両方に組み替えられるし、胴体のホワイトパーツも外せる)」、「肩可動にオリジナリティがある」、等々。
 短所は:「キャラ絵に似ていない(※これは他社キットにも当てはまるが)」、「素肌に血色感がない(※キャラ設定に忠実?)」、「細くて脆いパーツが多い(※垂れ下がった紐パーツ)」、等々。

 昨年購入したキットの中に、封入ミスが2件あった。いずれもパーツ(ランナー)の入れ間違い。こういう取り違えは、重量チェックではすり抜けやすい(※パーツそのものが足りていない欠品であれば、発見しやすい筈)。
 これまで欠品に遭遇したことは無かったのは、運が良かったのだろう。今後は、パーツ不足(欠品や間違い)はどうしても一定頻度で発生してしまうものだと覚悟して、うまく対処できるようにしなければと、あらためて考えている。具体的には:
・とりわけ海外製品はサポート対応が難しいというリスクを認識する。
・サポート窓口などの情報は確保しておく。
・不確かな通販は使わない。
・購入したらすぐに欠品確認をして、レシートも確保しておく。
・欠品があっても対処できるように、パーツ複製技術も習得しておく。
個人レベルで対処できるのは、このあたりだろうか。

 模型趣味では、今年の成果はたくさんあった。1/350ウォースパイトと1/700プリンス・オブ・ウェールズ(迷彩)を中心に、英国艦を作り込むことができたし、民間船の1/350宗谷もそれなりの密度で完成させることができた。ガールプラモでは、30MS「シアナ」が好み。Annulus「宝多六花」とNuke Matrix「ユフナ」も意欲作で、手応えがあった。
 PCゲームだと、Escu:deの『戦巫』が相変わらずの力作。『神楽黎明記』シリーズも買い続けているが、そろそろ惰性めいてきた。『サルテ』がパッケージ版で再発売されたのは良し。