漫画雑感。主に単行本新刊について。2024年1月~3月。
2024年3月。
史セツキ(し・せつき)『日本の月はまるく見える(1)』。BL漫画好きな中国人女性が、日本で漫画家として活動していこうとする物語……になるようだ。著者自身も中国の方らしい。中国の表現規制やネット規制、婚姻政策やお見合い慣行、若者文化といったリアリズムを踏まえつつ、情熱的なクリエイター漫画として成立している。喜怒哀楽の表情がくっきりと表現されているのも良いし、漫画演出も正統派のしっかりした出来。
著者へのインタヴュー記事もある:[ https://gendai.media/articles/-/113266 ]
小川麻衣子『波のしじまのホリゾント』(既刊2巻)。鎌倉でおねショタ! おねショタ! 情景作りも類型を脱していて新鮮味があるし、台詞回しもしっかりした掘り下げと独自性があるし、作画についても少年の体躯などが絶妙のバランスで描かれている。女性キャラの側には、やや個性の強い設定が盛り込まれているが、今のところ上手く機能している。こういうしっとりした雰囲気は好きなので、上手く物語が進んでいってくれたらと思う。この作家さんの過去作品も読んでみようかな。
気に入った漫画家さんについては、既発表の作品を買い揃えて読み通すこともあるけど、最近では旧作が絶版で入手しづらくなっている場合が多く、クリエイターの創作歴を遡るのは一昔前よりも難しくなっている。
おねショタと言えば、伏見ダイキ『サヨナラ魔法使い』(全3巻、昨年に完結)は、「おねショタで『キノの旅』」のような風情の作品でなかなか良かった。つまり、ディストピアSF+魔法+おねショタ+放浪(逃避行)ものという趣向を程良くミックスさせていた。
大胆な4列コマで、台詞ゼロのまま遠景→さらに遠景→空だけ→街の手前、とまっすぐ進めている。開放的な気分。帰り道の情緒。それなりに時間をかけつつも真っ直ぐに帰還したこと。そして拠点に帰り着いた安心感。そういったものが、見事に表現されている。
もしも普通の多段コマ割だったら、こんなにきれいですっきりした雰囲気にはならないだろう。それでいて、読者はこの描写の意味づけを素直に受け止めて、さっと読み進めていける。それほど巧みで、洗練された表現だということだ。漫画家はもちろんプロであって、凄いのは当然と言えば当然なのだけど、いや、それにしても凄味がある。本作(漫画版)は、「ファンタジー世界なのにドラゴンがウージー機関銃を隠し持っている」、「冒険者ギルドでヤクザ抗争映画のような展開をしている」といったようなネタ要素に注目されがちだが、漫画作品そのものとして、確かな読み応えがある。
ちなみにこの漫画家さんは、本作がデビュー作。いくらプロとはいえ、こなれ過ぎていておかしいレベルなので、すでに実績のある漫画家の別名義ではないかと思われる。
1コマ目は、向かう先の風景の広がりをきれいに強調しているし、逆三角形のおかげで、下から上へ(!)動いていく状況も素直に受け止められるようになっている。その一方で、下側は、主人公の疲労感を反映するかのように狭く尖っている。2コマ目の狭い三角形コマも同様だ。
そして3-4コマ目が広がっていくのは、このツインテールの新たなヒーローの気宇壮大なオーラを表現するかのようだ。外連味のある斜め切断レイアウトに、的確かつ効果的な演出を盛り込んでいる。凄すぎて笑いそうになる。
先頭に立っている中心人物の顔面をあえて描いていないのも、大胆な見せ方だ。風景や状況に意識を向けさせるとともに、その次のページ以降の劇的な会話のための「溜め」としても機能している。
作者の松井氏は、『魔人探偵脳噛ネウロ』『暗殺教室』を含めて十分なキャリアのあるクリエイターだが、20年近く漫画業を続けてきてなおも、こういった挑戦的な表現に取り組んでいる姿勢には敬服するしかない。
その一方で、本当に漫画作りの下手な作家もいる。あえて名前は出さないが、美大出でキャリアの長い漫画家の新作を読んでみたら、コマのつながりはひどいし、キャラクターの身体運動表現は迫力が無いし、各台詞を誰が喋っているかすら分かりづらいし、時間経過も伸びたり縮んだりで不安定だし(そのせいで、そのシーンの緊張感も失われる)、キャラクターの言動もまるで一貫しないという滅茶苦茶なものだった。
シリアスなガンアクションものなのに、アクション描写も拙劣だし、超一流の殺し屋が素人テロリストに背後を取られたり、あるいは、荒事を怖がっている人物が無防備にも銃撃戦の現場にふらふら出てきたり、隠密機関なのに爆弾郵便を不用意に受け取ってしまったりと、とにかくひどくてびっくりした。背中から倒れているコマなのに、「ドサッ」という擬音を足元に書き込んでいるというような無神経さも目に付く。キャリアの長い漫画家なのに……(私も以前から名前は見知ってはいたが、ちゃんと読むのはこれが初めてだった)。
作者の頭の中では、状況の流れを作っているのだろうけど、それがコマ組みの流れとして具体化されていない――コマ組みが下手すぎて、ただ雑然と並べたようにしか見えない――のは、漫画構成として致命的だった。二度と読むことはあるまい。
椙下聖海『馬姫様と鹿王子』も新刊(第4巻)が出た。これも好きな作品。奈良の歴史観光ものとしての側面と、鹿神が人間の姿になって登場する和風ファンタジーの側面が混じり合った作品。
古都観光については、仏像のなども手書きのコマ絵で描写されているが、仏像実物に向き合ったときに感じるオーラまで思い起こさせるような、ずっしりした迫力がある。漫画表現としても、一ページあたりのコマ数は少なめ(一ページ平均4コマくらい)で、そのぶん、一コマごとの存在感とムードが粒立って鮮やかな印象を与える。演出面でも、かなり大胆な表現をさらりと取り込んでいる。この第4巻でも、寺の遺構を目にしつつ過去の風景に思いを馳せる二重写しの演出(44-46頁)は、目覚ましい効果を上げている。
ストーリー進行やキャラクター表現も個性的。小さな出来事のシーンでも、丁寧にその情緒を汲み取って誠実に描いている。一般的な漫画では、場面転換を頻繁に入れていくことが多いが、本作は一つ一つのシーンを腰を据えてじっくり描いていく。例えば、猿沢池で友人と出会って話し込むシーンでも、十分なページ数を取って細やかにその会話の興趣を作り出している。
この作者が手掛けている、もう一つの連載『マグメル深海水族館』(既刊9巻)も素晴らしい出来。架空の水族館を舞台にして、そこで活動するスタッフたちの人間模様や深海魚の生態をオムニバス風に描いていく物語だが、こちらもデリケートな心情表現をベースにしつつ、海洋生物たちの幻想性とリアリティを描き出していく。こちらも傑作。
やっぱりラブコメは苦手。やたら強引な展開や不自然な進行、さらにはステレオタイプで掘り下げの乏しいキャラばかりという作品に遭遇してしまう頻度が高い。絵は丹念に描かれていて魅力的なものもあるけれど、さすがにそれだけでは読み続けられない。
夢乃狸『双子菜園(1)』もそういった作品で、楽しい農業ものかなと表紙買いしてみたら、上記のようなお色気コメディだった。背景まできれいに描かれていて、絵作りはなかなか良いのだけど、定型的な決め台詞キャラとか、強引すぎて説得力に欠けるイベントとか、使い古された下ネタとか、うーん、そういうチープなやり方をしなくても、もっと良い作品を作れそうなのになあ……。ちなみに作者は、商業アダルトコミックも手掛けており、本作でもお色気表現や人体の立体感、ヒロインの表情づけが非常に達者に描かれているのは確かだ。
ラブコメよりもさらにエロティック方面に傾斜したのが、柚木N'(ゆずき・エヌダッシュ)『カレシがいるのに』(既刊9巻)。浮気ネタの一話完結型オムニバスで、全年齢ながらストレートな性表現があるが、なかなか面白い。女性キャラクターたちもヴァラエティ豊かに描かれていて、それぞれに愛嬌と魅力と色気があるし、「浮気」ネタ一本だけで様々なストーリーを作り出している手腕も良い。オーソドックスな職場ものや大学サークル舞台から、見せつけシチュエーション、そしてオカルトテイストの話もたまにあり、浮気とはいえストーリーもけっして重くならず、古典的な艶笑話めいたユーモラスさがある。漫画の絵作りとしても読み甲斐があるし、裸体のプロポーションや立体感がきれいなのも良い(※ちなみにこの作者も、イエローマーク付きのアダルトコミックも手掛けている本格派。そちらは未読だが)。
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』(既刊8巻)も好調に続いている。大正時代の陸軍直属中学校の面々による、オカルト(ホラー)+たまにバトルもの。以前にSNSで書いた[ https://twitter.com/cactus4554/status/1515610392055382016 ]ように、とにかくコマ組み技巧が抜群に凄い。私が読んでいる連載中作品のうちでは、松浦だるま『太陽と月の鋼』(既刊8巻)と双璧の上手さ。
『岩元先輩』の絵作りは、大正時代+軍服趣味+美少年趣味+オカルトという、その筋の人々が大好きなものをたっぷり詰め込んでいる。ホラーものは、得てしてグチャグチャできたならしい感じになってしまいがちだが、この作品は怪奇シーンを超自然的-超現実的な美しさとして描いているのが良い。雑駁に言えば、江戸川乱歩-京極夏彦の路線にあると言えるが、グロテスクさの中にも、目を奪うような魅惑を見出し、崩壊の中にも、ぎりぎりの無惨美を掬い取り、異形の現れに、現実を超えるカタルシスを作り出そうとする、そういう見せ方はたいへん好み。
コトヤマ『よふかしのうた』は20巻で完結した。あらためて最初から通読しようかな。
浅山わかび『ラストカルテ』も8巻まで来た。クールさの中に、真率な感情のしっかりした掘り下げがある。素晴らしい。
胡原おみ『逢沢小春は死に急ぐ』(既刊3巻)。主人公が出会った少女「逢沢小春」は、彼女の弟のために自発的安楽死をする決意をしており、しかし安楽死の予定日(高校卒業)までは自由に楽しく生きようとしている。死の予約という陰鬱な設定を抱えつつも、基本的には男性主人公を楽しく振り回す力強いヒロイン像であり、作品のトーンはそれほど暗くはなっていない。
古典的なラブストーリーとして「卒業後に海外留学が決定しているヒロインとの付き合い」というパターンがあるし、「重病を煩っている儚いヒロイン」というタイプもあり、それらのヴァリエーションと捉えることもできる。しかし本作は、自発的な安楽死の決心という設定があまりに特異だし、また、女性キャラクターもアクティヴでヒロイックに描かれているし、男性キャラの側でも恋愛要素は希薄なので、かなり珍しいアプローチを採っていると言えそうだ。そしてそのうえで、死と向き合うことの深刻さが誠実に描かれているし、そうした特異なシチュエーションならではの仕方で、人間の心のデリカシーが丁寧に描かれている。
田中文『あの子は少女の振りをして』(既刊2巻)は、内心の屈折を抱えた少女と、過去のトラウマを抱えた男性教員の物語(舞台は女子高校)。こちらも恋愛関係ではない、というか、恋愛の矢印がまったく向き合っていない切羽詰まった関係を掘り下げていく描写がたいへん面白い。
……こういうタイプの作品は、感想を言葉にするのが難しい。
月間50冊ほど買っているが、その中でも特に良いと感じた5冊~10冊くらい(1割~2割程度)を書き残していければと思う。続きものも多いので、何巻まで読んだかを記録する自分メモとしても役立てるつもり(※先日の大掃除で蔵書整理したら、10冊近くもダブり買いをしていたので……)。
こうして読み続けているタイトルについて、続刊が出るたびに一々感想を書くというつもりは無い。一巻ごとの筋書をここで書きとめるのはあまり意味が無いし、ストーリーについては他のサイトの感想などで言及されるだろうから。むしろ私がやりたいのは(やってきたのは)、漫画の表現技法や演出方法に注目したり、作品のコンセプト(ジャンル的-歴史的な位置づけ)を考えたり、個々の漫画家の創作的キャリアを展望したりすることだからだ。
緒里たばさ『暗殺後宮』も、新刊(第5巻)が出た。主人公は、一流の暗殺スキルを極めた少女だが、性格は純粋で誠実で、そしてかなりシャイなのだが、後宮に入って友達を欲しがっているという複雑なシチュエーション。隠密スキルや毒物知識といった様々な技術をひそかに駆使して、皇帝暗殺を未然に阻止したり、王宮の争いを切り抜けたりする。主人公のひそかな努力を見守る楽しさもあるし、暗殺スキルにまつわるストーリー進行も説得力があるし、重大なシーンで主人公が見せる凜々しさも見事なレイアウトで描かれている。主人公が狼狽えたり、驚いたり、深く考え込んだり、殺意を露わにしたり、決意を表したりする様々な表情描写も、たいへん読み応えがある。一般青年向けのカテゴリーだが、『月刊スピリッツ』連載らしく、マイルドに女性向けのテイストで作られていて、そのバランス感覚も気持ち良い。
女性向けの後宮ものだと、井山くらげ『後宮茶妃伝』(既刊3巻、原作小説あり)も、継続して買っている。お茶マニアな主人公が、手違いで後宮に入ってしまい、そこでのトラブルをお茶の知識で――時には天然に、時には意識的に――解決していく形で物語が進んでいく。そして、後宮ものの通例で、苦境の皇帝陛下をひそかに手助けすることになり……というもの。この種の後宮ものは食傷しているが、本作は恋愛要素が控えめなのもあって、落ち着いて読めるのがありがたい。ちなみに、舞台は中国風の架空世界、お茶の名称等も架空のもの。
丸山朝ヲ『転生したら剣でした(15)』も発売。原作小説に基づいた作品だが、漫画版なりのアレンジが利いている。この方については、以前にブログ記事「漫画版『転生したら剣でした』(丸山朝ヲ)について」でも書いたとおり、とにかく漫画作りが上手い。今回の15巻は、飲食店勝負という、ネット小説にありがちなエピソードだが、間に挟まる剣戟シーンのコマ割や表情表現、画面演出は凄まじい迫力で、小柄な黒猫族ヒロインの凶悪な強さと殺気の鋭さを鮮やかに描き出している。
この漫画家さんは、商業作品を全て買い揃えて読んでいるくらいのファンだが、暗めで濃密な情念を持ったキャラクターを描くのが抜群に映える。この作品も、ただのkawaii猫耳ヒロインを超えて、苛烈な命のやりとりを躊躇なく行えるほどの覚悟を持った剣士キャラクターとして描かれている(※原作小説にもそうした示唆はあったが、漫画版ではさらに明確にその側面が強調されている)。
2024年2月。
文川あや『その蒼を青とよばない』(既刊1巻)。緑色が判別できない色覚異常の主人公が、大学の写真サークルに入った話。ストーリー描写も丁寧だが、それ以上に、漫画の画面作りが洗練されていて読みごたえがある。ページ単位でのレイアウトも抜群にきれいだし、斜めコマ(傾斜枠線)や段差コマなども効果的に使っていて、とにかく上手い。
この著者は20巻以上のキャリアを持っている方だが、現代の漫画界はデビューしたての作家でもいきなり見事な漫画作りを披露してくれることが多い。人材が充実していると言うこともできるし、ネガティヴに言えば「デビューするにはそれだけ高い実力が求められるし、それほど優れたクリエイターたちでも、なかなか長続きしないハードな世界なのだ」と言うこともできる。
氷堂リョージ『虫の皇女マユの旅』(既刊2巻)。昆虫を人間化させる魔法――つまり、本当に擬人化キャラのような姿に転換させる――を生みだした、架空の中世的世界の話。2010年代以降の擬人化文化を、20年代風の魔法的-SF的な発想に接続したものと言えるだろう。とはいえ、ストーリー展開はむしろ牧歌的で、主役2人(カイコガとホタルガ)は、世界の広がりを知ろうとする楽しい旅に出ている。
それに対して背川昇『どく・どく・もり・もり』(既刊1巻)は、過酷で陰惨な旅路を描いている。こちらも一種の擬人化ネタで、小さなキノコの妖精たち(それぞれ人間のような姿になっている)が、北海道(?)の深い森の中を放浪していく。主人公のタマゴタケ(仮)は、ツキヨタケに両親を殺害され、復讐のためにツキヨタケを付け狙うというシチュエーション。キャラクター作画は3頭身~4頭身で、いかにも可愛らしくデフォルメされているのだが、殺意を初めとした感情表現は激烈だし、ゴア表現(斬殺、流血、骨折など)も踏み込んで描かれているし、非常にサディスティックな場面もあるし、背景の森林も匂わんばかりに濃密に描かれている。漫画としての演出も抜群に上手くて、俯瞰コマや仰角カットも見事に使いこなしている。面白いのは、ダンスが破綻していくシーンで、各コマの位置まで秩序を乱して不規則にばらけていくところ(1巻158-159頁)。ありそうでなかなかお目にかかれない、非常に珍しい演出だが、ここでは強烈な効果を上げている。凄味のある作品。現代のデフォルメキャラ漫画は四コマと児童向けが大半で、青年向けのストーリー漫画ではかなり珍しいが、このアプローチだからこそ扱える表現世界もあるのだという優れた実例でもある。
小動物サイズのキャラクターたちによる冒険譚としては、鳥取砂丘『世界は終わっても生きるって楽しい』(既刊5巻)もあるが、最新刊は買い漏らしていたかも。これは人類が絶滅した(?)ポストアポカリプス的世界で、鼠サイズの主人公たちが放浪する話。『少女終末旅行』『メイドインアビス』『ナウシカ』をミックスしたような趣向で、架空未来世界の不思議な生態系描写とSF的バックボーンが噛み合ってたいへん興味深い作品。
凡竜『乙女の地球の走り方』(既刊2巻)。アウトドアスポーツ+女子学生の、萌え部活ものの一種。島や山などの広域を使って、制限時間内にできるだけ多くのポイント獲得地点を回ってポイント競争をするという実在のアスレチックゲーム(アドヴェンチャーレース)、「ロゲイニング」。漫画として堅実に描けていて、そこそこ面白い。
この種の萌え部活ものは、萌え(お色気)に依存しすぎて退屈だったり、ルール説明などが過剰になったり、逆に趣味活動の描写が浅薄になったりしがちでハズレ率が高いジャンルだが、本作はそういった弊に陥らず、わりと真面目に描けている。ウォーキングの心地良さ、周囲の自然風景の魅力、競技としての意識、チーム内での人間関係、行程のプランニングなど、作劇や作画に活用できる要素も多いので、シリーズを上手く発展させていけるかもしれない。
如意自在『リ・ペア この世界は持続可能ですか?』も、若年女性たちの活動ものに分類できるだろう。ポストアポカリプス的廃墟生活+機械修理ネタという、なかなか贅沢な趣向だが、2巻で完結した。
2024年1月。
冬目景『百木田家の古書暮らし』(既刊4巻)。状況設定も作画も、いかにもこの作者らしい。生活感のあるレトロ住宅生活の日常描写をベースにしつつ、人間関係の微妙な変化をじっくり描いていく物語。かといって、内面描写をこれみよがしに繊細に掘り下げるというわけでもなく、むしろ恬淡とした雰囲気が基調になっているのは、現代漫画としては非常に珍しいアプローチだと思う。この作者はインタヴューなどで小津安二郎に言及することがあった筈で、そういった古典邦画の雰囲気に近いスタンスだと喩えてよいかもしれない。
とはいえ、現代日本のエンタメ漫画らしく、登場人物の造形には今風の洗練がありつつ、冬目作品らしい個性もはっきりと見て取れる。主人公は、シャイで気難しい文学少女寄りのキャラクターで、人間関係でのちょっとした悩み方にも特有のねじれがあり、そうした内面の動きを柔らかく――時としてユーモラスに――描いていくのは、『羊のうた』『イエスタデイをうたって』以来のこの漫画家の大きな特徴になっている。その周囲には、姉妹や隣人などの賑やかしキャラが数人配置されているが、それらも独自の内面造形(思惑や目的や悩み)を抱えつつ、日常の交流を続けていく中で少しずつイベントが発生していき、人間関係も微妙に彩りを変えていく。そういう情緒が面白い。これまでの連載作品のように、積極的な意欲や欲求を持って物語の鼻面を引き回すようなキャラクターは、もはや本作にはおらず、控えめな起伏とともに歳時記的な描写が続いていく。ホームドラマめいた温和さとも言える。
ただし、ストーリー面では、これまた冬目作品らしく、「もはや居ない人物(逝去した人物)の面影を追う」というモティーフが、緩やかに磁力を発揮し続けているのだが、それとても劇的なシーンを作り出すことは無く、真相に関する重要な述懐も脇役との会話の中でそっと漏らされるに留まっている。
作画面では、相変わらずアナログ感が強く、筆触の微妙な力加減の変化がよく見て取れる。ただしし、おそらく最終的にはトーンやコンテ構成を含めてデジタル処理で原稿が完成されていると思われるが。背景作画も、写真取り込みとおぼしきものが随所に現れる(※とりわけ風景カット)。神田界隈の落ち着いた街並みと、古書店(兼住居)での生活風景、そこに暮らす人々の人間模様。そういったものをゆったりと楽しめる、不思議な作品だ。
三都慎司『新しいきみへ』は7巻できれいに完結した。細菌パンデミックを引き起こそうとする犯人を、ループ(死に戻り)しながら探していくというサスペンスもので、設定からして現代的な新鮮味と一昔前のレトロ感が混在していて面白い。ストーリー展開は硬質な緊張感の中にもロマンティックな幻想味をわずかに滲ませつつ、この作者らしく都市破壊描写の緻密さとカタルシスは絶品だし、登場人物が健やかで善良な人物――能天気というのではなく「他者を信頼しようとする覚悟を持てる」という意味で――なのも、この作者らしい。同じ作者の旧作『アルマ』も良いが、最終巻は電子書籍オンリーになってしまったのが惜しまれる。
【 漫画で描かれる在留外国人 】
杉本亜未『デリシャス・アンダーグラウンド』(原作:石井光太。2巻で完結)。日本に暮らす外国人たち――特にアジア系――と、彼等の食事をフィーチャーした作品。食事ものの漫画としての側面もあるが、在留外国人の境遇という社会的視点も取り込まれており、とりわけ第2巻では「入国管理局に収容されている心臓病の外国人を救い出す」という深刻なイベントを扱っている。
(主にアジア系の)在住者と食事ものというアプローチでは、山本三筋『僕とおとうとのハラルご飯』もあり、こちらも優しみとデリカシーのある物語だった。漫画のような視覚媒体で、文化(異文化)に注目しようとするとき、日常の食事の焦点を当てるという手法は確かに効果的であることが分かる。
また、日本における外国人の扱いという観点では、Peppe(ペッペ)著の『ENDO』(既刊1巻)も刊行されている。こちらは、第二次大戦中に日本国内にいたイタリア人一家が、「敵国人」として収容所に入れられるという、実話ベースの物語とのこと。枠線まで手書きで、スクリーントーンもごく限られた種類のものしか使われておらず、そのことがプリミティヴな迫力と描き込みの誠実さ、そして表情表現のデリカシーに帰結している。描かれている状況は陰惨だし、ストーリー進行もかなり地味だが、たいへん力強い作品だ。
ちょっと余計な話になるが、『デリシャス・アンダーグラウンド』の巻末コラムには国内のエスニック料理店がいくつも紹介されている。ただし、それらはいずれも関東所在のレストランばかりで、大きな地域的偏りを感じる。もちろん、作者が他地域まで取材渉猟することは難しいのだろうけれど、せっかく国際的なモティーフを取り上げているのに国内的には関東偏重の地域的バイアスが強烈に現れているというのは、いささか残念だった。
さらにおまけ。作中でも言及されているA.C.クラークの墓碑銘は、「He never grew up, but he never stopped growing.」というものらしい。上手く日本語に訳すのは難しいが、大方の訳例のとおり、「(世俗的な意味での)大人にはけっしてならなかったが、しかし(創作者として)たゆまず成長し続けていた」という趣旨で良いと思う。
フカヤマますく『エクソシストを堕とせない』(原作:有馬あるま、既刊7巻)は、どこに行くのかちょっと分からなくなってきた。アイドル女性とアイドル男性を出しておきながら、アイドル産業の問題には触れずにやり過ごしたのはかなり意外だった。特にアイドル男性キャラは、わざわざ新キャラで登場しておきながら物語上は(少なくともこの章では)たいした役割を果たしていない。わりと真面目なネタを仕込んできた作品ではあるが、この件はいささか残念に感じた。
ヒューマンドラマ路線では、相変わらず小学館が強い。
浅山わかび『ラストカルテ』(既刊7巻)は、法獣医学という珍しい素材を扱っており、北海道の自然生物やペットの遺骸を取り上げては、その死に至るまでの生涯を丁寧に辿ったり、野生生物と人間社会との関わり――時として軋みを伴う――に思いを馳せたりする。とはいえ、過度にエモーショナルに盛り上げることは無く、穏やかで寡黙な雰囲気をベースとして、比較的短めのエピソード(単行本1冊につき2~5つ程度)を続けている。作画面でも、端正で繊細な手つきで描かれており、近年の小学館の『よふかしのうた』『葬送のフリーレン』などと同じように描線はかなり細い。
それに対して、劇的な展開を伴うアプローチでは、田島青『ホテル・インヒューマンズ』(既刊7巻)がある。舞台となっているホテルは、殺し屋たちが宿泊する(※隠れ家にしたり、武器の手入れの依頼をしたりする)。そういう状況設定からして、もちろん道徳的ジレンマや人死にが多数描かれ、登場人物も時として不幸な最期を遂げる。しかし、作品全体のトーンは、そうした状況から複雑な人間的情緒を掬い取ろうとするものになっている。苦みはあるが、読後感は良い。
『ホテル・インヒューマンズ』には、これまた小学館らしく、衒いのない漫画的外連味も堂々と盛り込まれている。例えば、男性主人公とともに働いているメインヒロインのコンシェルジュ(門番)は、戦闘スキルも一級品で、問題をしばしば実力で解決する。彼女のロングヘアは、しばしば大胆にゆらめいて描かれる。斜めに大きくなびき、あるいは逆立つかのように上空に向けて広がる。また、敵対者と撃ちあう活劇のシーンでは、駆け回る彼女の後髪がまるで尾を引くように流れる。バトルシーンが、ただ戦いの激しさを表現するのではなく、美しさと躍動感のある光景として楽しめるのは、本作の美質の一つと言えるだろう。
【 恋愛ものの新潮流? 】
川田大智『半人前の恋人』(既刊2巻)は、美大志望の男性キャラ(※眼鏡度入りあり)と、伝統工芸職人の女性キャラの間の恋愛もの。二人がどちらも、プロフェッショナルな技芸に生きるという人生の目的を明確に持っており、そしてお互いの価値観を認めあったうえで、人として誠実に付き合っていくプロセスが描かれる。浮ついたコメディにならず、控えめな情緒のある初々しさが丁寧に描かれていく。第1巻の序盤展開はやや落ち着きが無かったものの、第2巻に入って二人の関係描写に集中するようになってからは、とても良い感じで進んでいる。
こういったアプローチの恋愛ものは、10年代後半くらいから(?)増えているという印象がある。恋愛漫画というと、従来は「1: 派手な事件に振り回されるドラマティックな恋愛」、「2: ロマンティックな恋愛(シンデレラストーリーや後宮もの、異類婚姻ものなど)」、「3: ラブコメ(コメディ優位の進行)」、「4: エロコメディ(お色気優位)」のいずれかであったと思うが、近年になって、もう一つのアプローチ、すなわち「5: 誠実な恋愛」路線も現れてきているように思う。
お互いを思いやり、相手を尊重しつつ交流を深めていく恋人たちの、誠意とデリカシーに満ちたミニマルな物語は、いかにも現代的で好ましい。私自身は恋愛漫画をあまり読まないので、的外れな見方かもしれないが、例えば『君は放課後インソムニア』(全14巻)や『正反対な君と僕』(既刊5巻)などが人気を博しているのを見ても、大きく注目されているスタイルであると言ってよさそうだ。
設定面では、学校舞台での恋愛ものが多いが、意外にも(?)、成人どうしの職場ものも多い。『あそこではたらくムスブさん』(既刊6巻)や『不器用な先輩。』(既刊7巻)のように、民間企業での恋愛シチュエーションでも、シャイな女性と誠実な男性がゆっくりと関係形成していく作品がある。TVドラマめいた激しい展開に引きずり回されるのでもなく、強引なコメディ描写でもなく、性欲ドリヴンでもなく、「恋に恋する」というほど夢見がちでもない、地に足の付いたラヴストーリーを綴っていくのは、むしろ中高生キャラよりも大人キャラどうしの方が良いのかもしれない。
ジャンル史的に捉えるならば、「00年代後半の『日常系』アニメからの延長線上」とか、「10年代前半の百合ものやBLものの普及」とか、「男女平等の進展やジェンダー多様化などの現実的認識を踏まえた『フェアな恋愛』を受け入れる素地」といったところから影響されているのかもしれないと思うが、さすがにそういった大きな歴史的(精神史的)展望を語るには実証が乏しすぎるので、あくまでメモ書きにとどめておく。
例えば、現実的なセクシャルマイノリティ認識と、物語的な「百合」ジャンル(つまり同性愛シチュエーション)は、表面上は連動しそうに見えるが、文化的にはあまりつながっていないように感じる。『フツーの恋って何?』(既刊1巻)は、同性愛を主題化しているように見えて、ややもすると因習的な「百合」認識に還元されてしまいそうだし(※そういう意味で私は、いわゆる「百合」趣味の視点はけっして好きではない)、『アウトサイダーパラダイス』(既刊1巻)までエキセントリックになると、もはや「マイノリティ」「百合」のどちらでもない。あるいは、『雪と墨』(既刊3巻)になるとむしろ古典的な女性向け漫画の伝統に棹さすようにも見えるので、そうそう明快な図式が描けるわけではない。
最近の単行本は、オビの嫌いなものが多い。具体的には、「○○氏、絶賛!」のような有名人頼みと、「SNSで○○万PV!」のような外部頼みのもの。どちらも出版社が自力でコンテンツの魅力を紹介しようとする意欲が見られないので、そういうオビを巻いた作品に対しては非常に印象が悪くなる。特に前者は、紹介者「○○さん、驚愕!」のような文字を、著者の名前よりも大きく押し出しているのが、あまりにも下品で失礼に見える。
ポリティカルサスペンス(政治ドラマ)と異能バトルもの。
桜井亜都『幻狼潜戦』(既刊2巻)もなかなか良い感じ。人類社会の西日本と獣人族の東日本が対立しているという、架空の日本分断ものだが、キャラクターたちも類型を脱してきちんとした個性があるし、ケモキャラ感も本格派の味わいがある。とりあえず買い続けていくつもり。
超常能力ものだと、古日向いろは『石神戦記』(既刊2巻)は古代日本風の架空世界で、国を滅ぼされた少年(元王子)が、石を操れる異能ヒロインとともに再興を目指すバトル&政治謀略もの。シチュエーション設定は前世紀以来のクラシカルな作りだが、おっとりした正統派の進行。
板橋大祐『極東キメラティカ』(既刊2巻)は、ポストアポカリプス的古代時代のような状況での、怪物(キメラ)狩猟もの。主人公の人類女性は、キメラの種(?)のようなものを植え付けられて、超人的な戦闘力を持っている。数メートル~十数メートルの大型怪物とのバトルシーンが、たいへん良く描けていて面白い。槍メインの純粋な物理バトルなのだが、状況把握も明晰だし、激しい運動表現にも説得力があり、さらに外連味のある絵もあって、なかなか魅力的。主人公が刹那的楽天家なのも、どことかく士郎正宗キャラめいた感じで、なかなか好印象。
バトルものかどうか分からないが、野原多央『なんくるなんない!』(既刊1巻)も楽しそう。沖縄を舞台に、サイキック(念動力)に目覚めた少女とその父親という状況。ストーリーがどう進むのかはまだ分からないが、作画も漫画演出も上手くて読み応えがある。
寺島らて『しあわせのカーテンコール』は、単刊で完結。南極越冬隊に同行している写真家(ジャーナリスト)が主人公が、現地で不思議な少女と出会う。ストーリー進行はふんわりしているが、オチに向かうプロセスがとてもきれいで、読後感は素晴らしい。
ちなみに「リュッカ」は、web検索によると、スウェーデン語で「幸せ」を意味するらしい。南極ではなくて北極(北欧)?というのは不思議だが、そこは気にしなくてよいだろう。
シクシク『この世で一番素敵な終わり方』(既刊2巻)は、記憶を失ったキョンシー女性を中心とする物語。百合レーベルの一冊だが、そういう捉え方に拘泥する必要は無いだろう。しめやかな情緒のある作品で、禁忌の秘術を巡るミステリアスな展開になっていくようだ。ミニマルな中華風ファンタジーとして楽しめる。
芦谷國一『この終末に恋をした(1)』。ウルトラマンの代わりに宇宙美少女を配置したラブストーリーと言えばよいだろうか。それが同時に、「空から落ちてくるヒロイン」型のシチュエーションにもなっているのが面白い。第1巻の範囲では、おっとりした進行で、男性主人公と宇宙人ヒロインの交流を穏やかに描いており、なかなか好印象。
永椎晃平『スケアリー・キャンパス・カレッジ・ユニバーシティ』(既刊7巻)は、大学を舞台にしたオカルトホラーもの。出来不出来の波が激しく、軽薄で下品な描写も時折現れるが、漫画としての絵作りが抜群に上手くて印象に残るシーンもあって、なんとなく読み続けている。最新刊でも、怪異を相手取ったラップバトル模様のシーンがあって、ギザギザのコマ組みから抑揚のあるレイアウトからキャラクターの表情づけから、大学キャンパス(=つまり本作の舞台)に絡めたラップ台詞の表現効果に至るまで、とても良い。
山本崇一郎は、『それでも歩は~』『くノ一ツバキ』『高木さん』の連載3本を同時期に全て完結させた。2010年代の『ふだつきのキョーコちゃん』の頃から読んできた漫画家で、短編集も含めて全て買っている。『からかい上手の高木さん』最終巻(20巻)は、90頁1コマ目の傾斜コマ演出が素晴らしかった。男性主人公の心情を大きく変えるきっかけとなった台詞の場面で、ロケーションそのものはごく普通の路上なのだが、絵が斜めに30度ほども傾いて描かれており、それによって「ここで何か重大な激変があったのだ」「主人公の心情がこの瞬間に大きく傾いたのだ」「世界の見え方がここで一変したのだ」ということが強烈に伝わってくる。元々この作品では、背景作画も丁寧だし、俯瞰や仰角のレイアウトも多用してきたが、それらとはまったく異なる。この一コマの描写は、「絵そのものは真横から普通に撮っているのに、絵全体が斜めに傾斜している」というものだからだ。こういう演出は良い……実に良い。
メイジメロウ『断頭のアルカンジュ』(原作:花林ソラ)は、5巻で完結。素材は良かったし、作画も見応えがあったのだが、ストーリー展開が図式的で、歴史のプロセスをなぞるばかりの進行がもったいない。ポテンシャルは見て取れるので、クリエイターたちの今後に期待したい。
いけだたかし『旅に出るのは僕じゃない』(既刊2巻)は、近未来SF+海外旅行(異文化体験)もの。第1巻は、世界的パンデミックの下でヴァーチャル旅行映像を提供する専門的旅行者が主人公で、ギリシャ、ベトナム、ブラジルなどを訪問している。単なる観光娯楽ではなく、文化保存の問題に光を当てたり、近未来の社会状況をイメージ豊かに示唆したり、現地に生きる人々の意志や夢を大胆に描いたりする。傑作。
驚くべきことに、第2巻では主人公(旅行者)が交替している。しかも、第1巻が2040年代の設定だったのに対して、第2巻では2050年代に入っており、状況提示もパンデミックを超えて「すっかり定着した格差社会」でのヴァーチャル旅行需要という形で、現代にアクチュアルな状況に対して鋭敏に反応している。クロアチアから街並からアイスランドのオーロラまで、風景描写にも情趣があるし、気候変動対策のSF的ガジェットも刺激的だし、同性愛カップルをさらりと入れてくるところも今風に洗練されているし、漫画演出としても意欲的だし(※たまに藤子漫画風の演出が入るところには、作者の力量と見識が窺われる)、ユーモアセンスも心地良い。
紙媒体の単行本だけで、年間500~600冊ほど買っている。作者買いや続刊などの継続購入が4割ほど、表紙買い(予備知識のないカジュアル購入)が6割くらいだろうか。買ったものはすぐに読んでいるので、積み漫画は事実上ゼロ。満足度について言うと、半数くらいはひとまず満足できる水準だし、3割ほどは非常に優れた作品だという手応えがある。ただし、駄作も2割ほど掴んでいる(※コマ組みなどの演出が稚拙だったり、ストーリー展開が陳腐すぎたり、絵にデリカシーが無かったり)。
大抵のジャンルは読むが、苦手なものもある。具体的には:
・ラブコメ(※強引な展開やベタなシーンが多くて食傷)
・四コマ漫画(※四コマの枠組が退屈だし、これも強引に笑わせようとしてくるのが嫌)
・スポーツ漫画(※展開が冗長になりがちなので。バトル漫画や格闘漫画も読まない)
・一部のBL漫画(※攻めキャラとして傲慢で差別的な登場人物がいるのはすごく嫌い)
このあたりかな。もっとも、四コマ漫画でも読めるものはあるし、ラブコメ漫画やスポーツ漫画でも完成度の高いものは読める。BL漫画も、DVキャラがいないマイルドなものであればOK。
ヤクザ(反社)を格好良く描いている作品や、ヤクザ主人公の作品は、一切買わない。これは私なりの倫理観としての判断。格好良さそうに(美化して)描けば描くほど、むしろおぞましい。
KADOKAWA不買も続けている。あの会社の体質に鑑みて、今後もずっと不買を続けると思う。志のあるクリエイターさんは、是非ともKADOKAWA以外で仕事をしてほしい。そうすれば、できるだけ買いますから……。